辰市 祐英(たついち すけひで、1938年10月6日 - )… 辰市 祐英(たついち すけひで、1938年10月6日 - )は京都府京都市左京区出身の元プロ野球選手。選手時代の登録名は、辰市 邦輔(-くにすけ)。 立命館高等学校では2年生の時、エース富永格郎らとともに、四番打者、二塁手として1955年の夏の甲子園に出場。準決勝に進むが坂出商に1-2で敗退した。8月には富永らとともに全日本高校選抜チームとして初のハワイ遠征を果たす。同年の神奈川国体は準決勝に進むが、四日市高の高橋正勝(巨人)に抑えられ敗退。翌1956年夏は府予選準々決勝で花園高に惜敗。 1957年に大阪タイガースに入団。1958年のシーズン中盤には浅越桂一に代り二塁手の定位置を獲得、一番打者として先発した7月20日の対国鉄スワローズダブルヘッダー2戦目(甲子園)では1試合4安打3盗塁を決めるなど、主に一番打者として35試合に先発出場を果たす。
辰市 祐英(たついち すけひで、1938年10月6日 - )… 辰市 祐英(たついち すけひで、1938年10月6日 - )は京都府京都市左京区出身の元プロ野球選手。選手時代の登録名は、辰市 邦輔(-くにすけ)。
栗田 善成(くりた よしなり、1938年〈昭和13年〉10月… 栗田 善成(くりた よしなり、1938年〈昭和13年〉10月6日 - )は、秋田県出身のローカルタレント、ラジオパーソナリティ。 満州の藩陽の奥地で生まれる。両親ともに日本語学校の教師だった。終戦後は秋田へ引き上げ、大学入学とともに上京。秋田県立秋田高等学校を経て、日本大学芸術学部放送学科を卒業後、三木鶏郎の事務所でCMソングのプロデューサーとなる。 事務所の解散後はCMソングなどを作る広告会社を起こすが3年で解散して、1969年に福岡へ拠点を移す(理由はできちゃった結婚)。1971年、福岡県の放送業界で活動を開始した。 2021年3月、『栗田善成の土曜娯楽版』の番組終了を機に、50年に渡るラジオ番組の出演を退き、芸能界を引退した。
遠藤 武彦(えんどう たけひこ、1938年10月5日 - 2… 遠藤 武彦(えんどう たけひこ、1938年10月5日 - 2019年12月27日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(6期)、農林水産大臣(第44代)、山形県議会議員、置賜農業共済組合組合長理事、山形県農業共済組合連合会会長理事、社団法人全国農業共済協会理事などを歴任した。愛称はエンタケ。 山形県米沢市出身。父は米沢市議会議長、山形県議をつとめ、山形農政に強い影響力を持っていた遠藤清海。現在の山形県立米沢興譲館高等学校を卒業後、1961年に中央大学文学部を卒業し、帰郷。県指導主事、米沢市農業協同組合理事などを務めた後、山形県議会議員(3期)を経て、1986年、第38回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選。
岡田 義弘(おかだ よしひろ、1938年〈昭和13年〉10月… 岡田 義弘(おかだ よしひろ、1938年〈昭和13年〉10月5日 - )は、日本の政治家。元群馬県安中市長(2期)、群馬県議会議員(3期)、安中市議会議員(5期)。 1938年、安中市野殿の名主の家柄に、7人兄弟の末子として生まれる。1956年に群馬県立高崎高等学校通信制を中退し、家業の農業に従事する。 1975年に安中市議会議員に初当選し、以後連続5期務める。市議として東邦亜鉛の安中公害問題に取り組む。この間市議会議長、県市議会議長会会長、関東市議会議長会副会長、全国市議会議長会理事や、安中市社会福祉協議会会長を務める。 1995年の群馬県議会議員選挙に安中市選挙区から出馬し初当選、3期務める。
御手洗 肇(みたらい はじめ、1938年10月5日 - 19… 御手洗 肇(みたらい はじめ、1938年10月5日 - 1995年8月31日)は、元キヤノン社長。 東京都出身。マサチューセッツ工科大学大学院電子工学科、スタンフォード大学修了。キヤノン創業者御手洗毅の子。 1974年にキヤノンに入社。中央研究所所長などを務めた後、1993年に山路敬三の突然の退任を受け第五代社長に就任。社長として辣腕を振るったが、1995年に間質性肺炎のため、在職のまま死去。後任社長には従兄の御手洗冨士夫が就任した。
生田 義和 (いくた よしかず 1938年10月5日 - 2… 生田 義和 (いくた よしかず 1938年10月5日 - 2023年1月27日)は、日本の医学者。元広島大学病院病院長、広島大学名誉教授、元日本手外科学会理事長。専門は、手の外科を中心としたマイクロサージャリー(英語版、ドイツ語版、ベラルーシ語版、ギリシア語版)(顕微鏡を使用する手術)、手や指の怪我の治療、切断された指や腕の再接着など。
春田 整秀(はるた よしひで、1938年(昭和13年)10月… 春田 整秀(はるた よしひで、1938年(昭和13年)10月5日 - )は、日本の政治家。元福岡県前原市(現・糸島市)長(2期)。 福岡県糸島郡前原町(のち前原市、現・糸島市)出身。1957年、福岡県立糸島高等学校卒。保育所を運営し、所長となる。前原市議会議員を経て、1995年、前原市長に当選。2期務める。2003年、落選。現在、社会福祉法人春陽会の理事長を務める。
湯浅慎一(湯浅愼一、ゆあさ しんいち、1938年10月5日-… 湯浅慎一(湯浅愼一、ゆあさ しんいち、1938年10月5日- 2022年2月28日)は、日本の哲学者、京都府立医科大学名誉教授。 北海道生まれ。上智大学法学部卒業、同大学院文学研究科修士課程修了。ドイツ・ケルン大学法学部卒業(1969年法学博士)。ドイツ・ケルン大学哲学部卒業(1976年哲学博士)。信州大学教育学部助教授、京都府立医大学教授、2002年定年退官、名誉教授、大阪樟蔭女子大学教授を務めた。
坂本 吉弘(さかもと よしひろ、1938年10月4日 - )… 坂本 吉弘(さかもと よしひろ、1938年10月4日 - )は、日本の通産官僚。通商産業審議官を最後に退官後、アラビア石油代表取締役社長、AOCホールディングス代表取締役社長、三菱重工業取締役、セントラル硝子取締役等を歴任した。 大阪生まれ。岸和田高校を経て1962年東京大学法学部卒業後、通商産業省入省。妻は入省同期の坂本春生。 JETROシドニー駐在、通商産業省航空機武器課長、通商産業省国会担当参事官、通商産業省産業資金課長、通商産業省機械情報産業局総務課長を経て、1986年通商産業大臣官房総務課長。1987年臨時円高対策本部幹事会座長。同年通商産業省通商政策局国際経済部長。1988年資源エネルギー庁石油部長。
綿田 道則 (わただ みちのり、1938年(昭和13年)10… 綿田 道則 (わただ みちのり、1938年(昭和13年)10月3日 - )は、日本のフィールドホッケー選手。 1960年ローマオリンピックで男子トーナメントに出場した。
綿貫 隆夫(わたぬき たかお、1938年(昭和13年)10月… 綿貫 隆夫(わたぬき たかお、1938年(昭和13年)10月2日 - 2020年(令和2年)12月25日)は、日本の政治家、弁理士。長野県中野市長。 長野県下高井郡中野町(現中野市)生まれ。長野県長野高等学校を経て、信州大学工学部卒業。高校卒業時から家業の醤油醸造業を承継し、学生生活と社長を兼ねた。 1973年に弁理士試験合格。科学技術翻訳士資格取得。その後、長野市に綿貫国際特許・商標事務所を開業し、クリエイ知的所有権研究所長も務める。 1996年、中野市長選挙に初当選した。2004年に退任し、2006年からは長野県教育委員長を務めた。 2009年、旭日双光章受章。2020年、紺綬褒章飾版受章。
加納 剛太(かのう ごうた、1938年10月2日 - )は、… 加納 剛太(かのう ごうた、1938年10月2日 - )は、日本の工学者。工学博士。専門は半導体工学。 砒化ガリュウム(GaAs)半導体を用いた携帯電話用化合物半導体集積回路・GaAs MMICの開発実用化、ビスマス多層ペロブスカイト型強誘電体を用いた非接触ICカード用不揮発性メモリ集積回路・FeRAM LSIの開発実用化の貢献に努めた。 2000年、工学分野における研究の在り方に関する新しい概念を、(社)映像情報メディア学会に発起人の一人として提唱し、「起業工学」という学問体系の構築を推進した。同年、マルチメディア・アントレプレナー研究会(後に起業工学研究会と改称、通称アントレ研)を発起人の一人として設立し、2003年には委員長を務めた。
矢吹 晋(やぶき すすむ、1938年10月1日 - )は、日… 矢吹 晋(やぶき すすむ、1938年10月1日 - )は、日本の中国研究家。横浜市立大学名誉教授。 福島県生まれ。1962年、東京大学経済学部卒業。 東洋経済新報社、アジア経済研究所を経て、横浜市立大学商学部教授となる。中国経済論と現代中国論が専攻分野である。2004年横浜市大定年退職、名誉教授。 1945年4月、郡山市田村町守山国民学校入学 1951年4月、郡山市田村町守山中学校入学 1954年4月、福島県立安積高等学校入学、1957年3月、卒業。 『知事抹殺』の佐藤栄佐久知事は1年後輩。隣家の舩山隆(音楽評論)は矢吹が卒業した年に入学。 1958年4月、東京大学教養学部入学、三鷹寮を抜け出して、駒場寮中国研究会に入る。
三宅 孝夫(みやけ たかお、1938年10月1日 - )は、… 三宅 孝夫(みやけ たかお、1938年10月1日 - )は、日本の実業家、元プロ野球選手(外野手)。 香川県出身。香川県立観音寺第一高等学校卒業。孫は、元タレントの三宅ひとみ(元アイドリング!!!)。 1956年(昭和31年)7月、第38回全国高等学校野球選手権大会香川県予選に観音寺第一高校の3番センターとして出場する。決勝戦まで勝ち進み、高松商業高校と対戦、0対2で敗れたが準優勝を果たした。香川県野球連盟から優秀選手として敢闘賞が贈られた。 同年8月2日、香川県予選の準優勝校として同選手権大会北四国大会に野球部創設以来初出場する。愛媛県予選の優勝校の西条高校と対戦、1対6で敗れ、甲子園出場は成らなかった。
高野 澄(たかの きよし、1938年10月1日 - 2023… 高野 澄(たかの きよし、1938年10月1日 - 2023年4月20日)は、日本の歴史小説作家。日本ペンクラブ会員。 埼玉県生まれ。同志社大学文学部新聞学科卒業。立命館大学大学院文学研究科近代史専攻修了。立命館大学助手を経て作家となる。 当初、立命館の教授だった奈良本辰也との共著が多かったが、実質高野の単著だったらしいことが、文庫化に際して単著扱いになることで分かる。 大河ドラマにあやかった著書が多かったが、近年は辻潤など近代人の伝記に力を入れていた。 2023年4月20日、心不全のため死去。84歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
依田 郁子(よだ いくこ、1938年9月30日 - 1983… 依田 郁子(よだ いくこ、1938年9月30日 - 1983年10月14日)は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走・ハードル競走。女子80mハードルの元日本記録保持者で、1964年東京オリンピック日本代表として同種目で入賞を果たした。 長野県小県郡丸子町(現・上田市)出身。長野県上田染谷丘高等学校卒業。結婚後の姓名は宮丸 郁子(みやまる いくこ)。 中学3年生のとき肋膜炎と肺炎にかかり上田染谷丘高校の受験に失敗、同校の定時制に入るが翌1955年に再受験して全日制に入学した。同校は当時バスケットボールの強豪で身体能力を見込まれた依田はバスケット部の勧誘を受けるも、「私は個人主義だからバスケは向かない」と陸上部に入部する。
土屋 博(つちや ひろし、1938年9月29日 - 2023… 土屋 博(つちや ひろし、1938年9月29日 - 2023年2月14日)は、日本の宗教学者・聖書学者。博士(文学)(北海道大学)。北海道大学名誉教授。 1938年、東京都生まれ。1962年、北海道大学文学部哲学科を卒業。同大学大学院に進み、1967年に文学研究科哲学専攻博士課程を単位取得退学。 1967年、北海道大学文学部助手に採用された。1970年には同大学文学部専任講師、1973年には助教授に昇進した。1986年、同大学文学部教授・同大学院文学研究科教授に昇進。2000年からは同大学院文学研究科教授。2002年3月、北海道大学に学位論文『教典になった宗教』を提出して博士(文学)号を取得。2002年、北海道大学を停年退官し、名誉教授となった。
中野 圭一郎(なかの けいいちろう、1938年9月28日 -… 中野 圭一郎(なかの けいいちろう、1938年9月28日 - 2025年11月12日)は、日本の脚本家、作家。旧筆名・中野顕彰。本名・横田勝弘。 東京生まれ。早稲田高等学校卒。子供の頃から浪曲や講談が身近にある環境で育つ。高校生時代からシナリオ同人誌に参加して活動。浪人生時代から日活へ自作のシナリオを持ち込み、1959年に日活専属の脚本家となる。筆名・中野顕彰(あきら)として、日活映画のシナリオを執筆。『スパルタ教育』(原作・石原慎太郎、主演・石原裕次郎)』。テレビでは『大江戸捜査網シリーズ』と『あばれ八州御用旅シリーズ』、アニメ『未来少年コナン』などがある。のち中野圭一郎と改名し、小説を書いた。
前田 哲男(まえだ てつお、1938年9月28日 - )は、… 前田 哲男(まえだ てつお、1938年9月28日 - )は、日本のジャーナリスト・軍事評論家。元東京国際大学国際関係学部教授、元沖縄大学客員教授。専門は軍事・安全保障論。 福岡県福岡市生まれ。県立福岡高校卒業後、長崎放送に入社、放送記者となる。1971年に退社後、ジャーナリストとしての活動を始める。 日本社会党(現社会民主党)の安全保障問題に関するブレーンであり、日本とアメリカの軍事戦略に、その立場から平和主義を唱えて反対している。 2015年12月9日には憲政記念会館において、辻元清美議員の「政治活動20年へ、感謝と飛躍の集い in 東京」という政治資金規正法に基づく資金集めのパーティに参加している。
岩佐 徹(いわさ とおる、1938年9月28日 - )は、フ… 岩佐 徹(いわさ とおる、1938年9月28日 - )は、フジテレビ・WOWOWの元アナウンサー。
森 健一(もり けんいち、1938年9月28日 - )は日本… 森 健一(もり けんいち、1938年9月28日 - )は日本のコンピュータ科学者。工学博士(東京大学、1970年)。日本初の商品化されたワードプロセッサである東芝JW-10開発のグループリーダなどの業績がある。
森 健一(もり けんいち、1938年9月28日 - )は、日… 森 健一(もり けんいち、1938年9月28日 - )は、日本のコンピュータ科学者、技術者。工学博士(東京大学、1970年)。日本初の商品化されたワードプロセッサである東芝「JW-10」開発のグループリーダーなどの業績がある。 1938年(昭和13年)、東京生まれ。1957年、麻布高等学校卒。1962年、東京大学工学部応用物理学科を卒業。東京芝浦電気株式会社(現:東芝)に入社。同社の中央研究所(後の総合研究所)で文字認識の研究に従事。1967年、郵政省からの委託研究である「自動手書き郵便番号読み取り装置」を開発した。 続いて、自然言語処理の応用として見込みのある商品として日本語ワードプロセッサに着目。
村田 修三(むらた しゅうぞう、1938年9月27日 - )… 村田 修三(むらた しゅうぞう、1938年9月27日 - )は、日本史学者、大阪大学名誉教授。専門は日本中世史、特に中世城郭史。 兵庫県生まれ。1961年京都大学文学部史学科卒業。1967年同大学院博士課程中退。奈良女子大学文学部助教授、教授、1998年大阪大学大学院文学研究科教授、2002年定年退官、名誉教授。 1984年(昭和59年)、踏査研究で屋嶋城跡の北斜面土塁遺構を発見した。
馬場 征男(ばば ゆきお、1938年9月25日- )は、日… 馬場 征男(ばば ゆきお、1938年9月25日- )は、日本の経営者。藤田観光社長を務めた。東京都出身。 1961年に早稲田大学商学部を卒業し、同年4月に藤田観光に入社した。1993年3月に取締役に就任し、1997年3月に常務を経て、2001年3月に副社長に就任し、2002年3月には社長に昇格した。2004年3月には相談役に就任。
冨山 省三(とみやま しょうぞう、1938年9月24日 - … 冨山 省三(とみやま しょうぞう、1938年9月24日 - 2012年12月8日)は、日本の政治家。茨城県筑西市長を1期、平成の大合併以前に存在した下館市長を3期務めた。 茨城県出身。1957年、茨城県立下妻第一高等学校卒業。コンクリート工業の会社を経営し、茨城県議会議員を3期務めた後、1996年、下館市長に当選する。下館市長を3期務め、2005年に下館市は合併で筑西市となる。合併後の市長選挙に立候補し、当選する。筑西市長を1期務め、2009年の市長選挙に立候補したが、元筑西市議の吉沢範夫に敗れた。旭日小綬章を受章し、2012年に筑西市から名誉市民を贈られた。同年12月8日に死去した。
富田 玲子(とみた れいこ、1938年9月24日 - )は、… 富田 玲子(とみた れいこ、1938年9月24日 - )は、日本の女性建築家。象設計集団の創始者の一人。現在象設計集団東京事務所主宰。 母は日本初の女性大使でデンマーク大使を務めた高橋展子。父は軍医であったが戦死した。東京府に生まれ、高田馬場で育つ。戦時中は埼玉県に疎開し、その後阿佐ヶ谷で育つ。代表作のドーモアラベスカはそのときの家を改修したものである。ピアノを音楽評論家の藤田晴子に師事。 東京教育大学附属高校から東京大学理科二類に進学。1961年に東京大学工学部建築学科を卒業し、大学院に進学。なお、東大建築学科初の女子学生であった。同年、林泰義と結婚。当初は吉武泰水研究室に所属していたがしばらくして丹下健三研究室に移籍。
青木 拡憲(擴憲、あおき ひろのり、1938年(昭和13年)… 青木 拡憲(擴憲、あおき ひろのり、1938年(昭和13年)9月23日 - )は、日本の実業家。メンズ、レディースファッションの「AOKI」・ブライダルの「アニヴェルセル」・エンターテイメントの「快活フロンティア」を中心としたAOKIグループの創業者。元AOKIホールディングス代表取締役会長。公益財団法人AOKI財団 の評議員、名誉会長。日本創新党の有力な支援者だった。 1938年9月、更級郡篠ノ井町(現・長野県長野市)で米穀商・青木商店の長男として生まれる。太平洋戦争後の1946年、父親が質屋を開業するも、行き詰まる。 長野商業高校卒業後の1958年9月、数有る質流れ品の中で自分が着用し理解できる洋服の販売を決意、弟 青木寶久とともに個人商店「洋服の青木」を創業。
出原 洋三(いずはら ようぞう、1938年9月23日 - )… 出原 洋三(いずはら ようぞう、1938年9月23日 - )は、日本の経営者。日本板硝子社長、会長を務めた。 大阪府出身。1962年に京都大学法学部を卒業し、同年に日本板硝子に入社した。1996年6月に常務に就任し、1998年6月には社長に就任。2004年6月には会長に就任し、2010年6月には相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岡部 正英(おかべ まさひで、1938年〈昭和13年〉9月2… 岡部 正英(おかべ まさひで、1938年〈昭和13年〉9月22日 - 2025年〈令和7年〉10月9日)は、日本の政治家。元栃木県佐野市長(4期)、元栃木県議会議員、元佐野市議会議員。 栃木県佐野市生まれ。学生時代陸上競技中長距離走者として活躍、1500メートル競走高校日本記録を樹立。佐野市立城東中学校、栃木県立佐野高等学校卒業。佐野市議会議員、栃木県議会議員を歴任。 2005年(平成17年)2月28日、旧佐野市と安蘇郡田沼町・葛生町が新設合併し、新市制の佐野市が誕生。合併に伴い同年4月17日に行われた市長選挙に立候補し、旧佐野市長の飯塚昭吉、元市議の金子裕を破り初当選した。 全国生涯学習市町村協議会会長、栃木県市長会副会長、社団法人栃木県水道協会会長、栃木陸上競技協会副会長などを務めた。
栗 葉子(くり ようこ、1938年9月21日 - )は、日本… 栗 葉子(くり ようこ、1938年9月21日 - )は、日本の声優、女優。東京都出身。本名及び旧芸名は村田 豊子(むらた とよこ)。 代表作に『ど根性ガエル』の吉沢京子役、『みなしごハッチ』のハッチ役、『小さなバイキングビッケ』のビッケ役などがある。 子供の頃から芸能が好きだったという。 1958年に東京都立富士高等学校を卒業後、NHK俳優養成所へ入所。1960年、同養成所卒業生により立ち上げられた劇団三十人会のメンバーの一人に加わり、後に河の会(劇団河)に移籍。 1960年、NHK総合テレビで放送されたアメリカドラマ『走れチェス』の主人公、ベルベット役で声優デビュー。 声種はソプラノ。NHKの学校放送や幼児番組、テレビアニメに多く出演し活動。
小辻 梅子(こつじ うめこ、1938年9月21日 - 201… 小辻 梅子(こつじ うめこ、1938年9月21日 - 2014年)は、日本の英文学者。熊本県立大学名誉教授。専門はイギリス文学。 長崎県生まれ。1961年、九州大学文学部英文学科。長崎造船大学助教授、長崎総合科学大学助教授、教授を経て、熊本県立大学教授。2002年、名誉教授。2014年逝去。 小辻梅子の遺志により、九州大学文学部で2015(平成27)年度より小辻梅子成績優秀者奨学金が創設された。成績優秀な文学部3年生、4年生各4名に年24万円が給付され、卒業後返還の義務はない。基金がなくなるまで10年間続けられ、2025年度で終了した。熊本県立大学でも、文学部英語英米文学科又は文学研究科英語英米文学専攻の在籍者で一定期間以上の海外留学・研修を行う者に1回5万円から10万円を支給する小辻梅子奨学金が設けられている。
熊沢 誠(くまざわ まこと、1938年9月21日 - )は、… 熊沢 誠(くまざわ まこと、1938年9月21日 - )は、日本の経済学者。専攻は、労使関係論・社会政策論。甲南大学名誉教授。 息子の熊沢透も経済学者で福島大学教授。 三重県四日市市出身。1961年、京都大学経済学部経済学科卒業、1966年、京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。 1966年甲南大学経済学部講師、1969年助教授、1974年教授、1986年経済学部長。2006年退職。 1970年から中岡哲郎、大森誠人らと「労働分析研究会」を開始。労働のなかでの人間復権を追求し、1999年より研究会「職場の人権」を創設、代表を務める。NPO法人「労働と人権 サポートセンター・大阪」共同代表理事。
原口 隆行(はらぐち たかゆき、1938年9月21日 - )… 原口 隆行(はらぐち たかゆき、1938年9月21日 - )は、日本の鉄道・旅行ライター。 東京生まれ。上智大学経済学部経済学科を卒業。その後凸版印刷のアイデンセンターとして一時勤めるが、1982年以降はフリーとなっている。「鉄道ジャーナル」・「旅と鉄道」などによく寄稿を行い、現在に至る。 元々は蒸気機関車専門のファンであったが、1975年の国鉄における全廃後は各方面に興味対象を広げた。1994年から約1年、JR東海の発行する年史『新幹線の30年-栄光の軌跡』(ISBN 4808305011)の編集に携わった後、新幹線には強い関心を抱くようになり、『新幹線がわかる事典』(ISBN 4534039158)などといった関連書籍をだすようになった。
宗国 旨英(むねくに よしひで、1938年(昭和13年)9月… 宗国 旨英(むねくに よしひで、1938年(昭和13年)9月21日 - )は、日本の実業家。元本田技研工業会長、元日本自動車工業会会長。 広島県庄原市出身。1961年に法政大学経済学部を卒業し、1966年に本田技研工業に入社する。米国法人アメリカンホンダモーター社長などを経て、1984年に取締役、1987年に常務、1989年に代表取締役専務、1990年に代表取締役副社長に就任する。1997年6月から代表取締役会長に就任し、退任後、特別顧問を務める。2002年5月、ホンダ出身者で初めて日本自動車工業会会長に就任する。同年、日本自動車研究所理事長。 北米におけるホンダブランドを確立し、また早くから中国市場開拓を強力に推進した。
吉田 英司(よしだ えいじ、1938年9月20日 - )は、… 吉田 英司(よしだ えいじ、1938年9月20日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手、外野手。 高崎商業高校から、投手として1957年に中日ドラゴンズへ入団するが、一軍での登板はなく1958年限りで退団。その後は社会人野球の東京鉄道管理局に入社し捕手に転向。1960年の都市対抗に熊谷組の補強選手として出場、優勝を経験する。 1961年に大毎オリオンズに入団しプロ復帰。1962年には一軍に上がり、谷本稔の控えながら3試合に先発マスクを被る。翌1963年は外野手も兼ね10試合に先発出場。翌年以降は捕手に専念するが、出場機会が漸減し1966年限りで引退。
鷲尾 悦也(わしお えつや、1938年(昭和13年)9月20… 鷲尾 悦也(わしお えつや、1938年(昭和13年)9月20日 - 2012年(平成24年)2月26日)は、日本の労働運動家。日本社会事業大学理事長。従三位。旭日大綬章(2009年)。 日本労働組合総連合会会長(第3代)、日本鉄鋼産業労働組合連合会会長を歴任。2010年、日本社会事業大学理事長に就任。 東京都生まれ。東京大学経済学部卒業。弟は講談社の取締役も務めた歌人の小高賢(本名・鷲尾賢也)。 八幡製鐵(現在の新日本製鐵)入社。新日鉄労働組合連合会書記長を経て、鉄鋼労連書記長、委員長を歴任。1993年(平成5年)より連合事務局長を務め、1997年(平成9年)から連合会長に就任する。 東大時代には旅行研究会に在籍しており、1961年には現在知られている限り初めて最長片道切符による旅行を試みた4人のうちの1人でもある。
守屋 浩(もりや ひろし、本名:守屋 邦彦(もりや くにひこ… 守屋 浩(もりや ひろし、本名:守屋 邦彦(もりや くにひこ)、1938年9月20日 - 2020年9月19日)は、日本の歌手、俳優である。千葉県市川市出身。安田学園中学校・高等学校卒業。女優、歌手の本間千代子は元夫人。 所属事務所は1960年より堀プロダクション(現在のホリプロ)、所属レコード会社は日本コロムビア→日本クラウンであった。ホリプロ所属タレントでヒットした第1号である。亡くなるまで同社の所属であった。 1957年、スイングウェストのバンドボーイとして芸能界入りし、1958年に日劇ウエスタンカーニバルでデビューする。ほぼ同時に堀プロダクションを設立した堀威夫の提案により芸名を「守屋浩」とする。
飯沼 信義(いいぬま のぶよし、1938年9月20日 - )… 飯沼 信義(いいぬま のぶよし、1938年9月20日 - )は、日本の作曲家。 長野県南安曇郡豊科町(現在の安曇野市)出身。長野県松本深志高等学校を卒業後、東京芸術大学音楽学部作曲科に進学、同専攻科修了。作曲を石桁眞禮生、ピアノを安藤仁一郎、小田雪江、遠山ゆや、指揮法を山田一雄にそれぞれ師事。 第32回日本音楽コンクール入賞。1964年より桐朋学園大学にて教鞭をとる。現在、桐朋学園大学名誉教授。日本現代音楽協会、日本作曲家協議会、作曲家の会《環》各会員。 学校向けの合唱作品が多い。
岡本 康男(おかもと やすお、1938年9月20日 - )は… 岡本 康男(おかもと やすお、1938年9月20日 - )は、日本の経営者。住友製薬社長を務めた。 京都府出身。1962年に京都大学経済学部を卒業し、同年に住友化学工業に入社。1993年3月に取締役に就任し、1997年6月に常務、2000年6月に専務を経て、2002年6月に住友製薬副社長に就任し、2003年6月には社長に昇格。2005年10月に大日本住友製薬会長に就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
堀田 凱樹(ほった よしき、1938年9月20日 - )は、… 堀田 凱樹(ほった よしき、1938年9月20日 - )は、日本の生物学者。東京大学、国立遺伝学研究所名誉教授。学位は、医学博士(東京大学・1968年)。 1963年、東京大学医学部卒業。1968年、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。博士論文「モルモット輸精管における接合部受容体および非接合部受容体の性質の若干の差について」で医学博士を取得。1972年、東京大学理学部物理学科講師。1973年、助教授。1986年、教授。1997年に退官。退官後は同年から2004年まで国立遺伝学研究所所長。2004年から2011年まで、情報・システム研究機構長を務めた。
島田 三蔵(しまだ さんぞう、1938年9月20日 - 20… 島田 三蔵(しまだ さんぞう、1938年9月20日 - 2007年9月19日)は、日本の翻訳家(朝日新聞人物データベースには「作家・翻訳家」として登録されている)。本名は前島勝義(まえじま・かつよし)。 東京の向島(現墨田区向島)生まれ。1957年東京教育大学文学部日本史学科に入学。在学中に父親が死去したため留年し、大濱書店で働く。1963年卒業。 卒業後、偕成社に入社し編集者となる。1968年に退社し学習研究社に入社。1972年に退社。島田三蔵の筆名で翻訳を始める(退社は社の方針に合わなかった為)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
菊地 昌実(きくち まさみ、1938年(昭和13年)9月20… 菊地 昌実(きくち まさみ、1938年(昭和13年)9月20日 - 2020年(令和2年)5月27日)は、日本のフランス文学・比較文学者、北海道大学名誉教授。 北海道札幌市生まれ。1961年東京大学教養学部教養学科フランス分科卒、1966年東京大学大学院比較文学比較文化修士課程修了。北海道大学教養部助教授、言語文化部教授、2002年名誉教授。肝炎訴訟を支える会世話人代表。 2020年5月27日、胃癌のため死去。
山崎 一穎(やまざき かずひで、1938年9月20日 - 2… 山崎 一穎(やまざき かずひで、1938年9月20日 - 2024年9月14日)は、日本の近代文学研究者。専門は森鷗外。跡見学園女子大学名誉教授。元学校法人跡見学園理事長。森鷗外記念会会長、森鷗外記念館(津和野町)館長。 長野県中野市生まれ。中学校以降は千葉県で育つ。1957年、千葉県立千葉第一高等学校、1962年早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。千葉県立高校の定時制教諭の傍ら、1970年、同大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。同年、跡見学園女子大学文学部国文学科専任講師、1974年助教授、1978年教授。同年から跡見学園女子大学学長、1989年に学長を退任。1998年学長に再任、2008年定年退職。
藤本 和貴夫(ふじもと わきお、1938年9月19日 - 2… 藤本 和貴夫(ふじもと わきお、1938年9月19日 - 2025年4月22日)は、日本の歴史学者。専門は西洋近現代史、ロシア史。文学博士(大阪大学)。大阪大学名誉教授。元大阪経済法科大学学長。 1938年、京都市で生まれた。大阪外国語大学ロシア語科で学び、1964年に卒業。東京大学大学院社会学研究科国際関係論専攻に進み、1973年に博士課程を中退。 同1973年、大阪大学教養部講師に就いた。1976年に同言語文化部助教授、1986年に同教授昇格。1989年、学位論文『ソヴェト国家形成期の研究:1917-1921』を大阪大学に提出して文学博士号を取得。1998年からは大阪大学大学院言語文化研究科教授。
西 三雄(にし みつお、1938年9月19日 - 2017年… 西 三雄(にし みつお、1938年9月19日 - 2017年4月5日)は、和歌山県海南市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ。 元プロ野球選手の西五十六は実兄、西俊児は甥。 実家はみかん園で、三人兄弟の末っ子として生まれる。大成高校卒業後の1957年に丸善石油へ入社し、業務課資材係で勤務する傍ら、兄の五十六と共に主戦投手として活躍。入社1年目から4年連続で都市対抗に出場し、1957年の大会は2回戦の日鉄二瀬戦で初勝利を挙げる。2年目の1958年には肋間神経痛で不調に終わったが、3年目の1959年には四国予選準決勝の東レ愛媛戦でノーヒットノーランを達成。本大会ではエースとして3勝を挙げ、富士製鐵釜石との決勝では相手を6回途中まで1点に抑え、勝ち越しの三塁打も放つなど、チームの初優勝に貢献したと共に橋戸賞を獲得。
岡村 甫(おかむら はじめ、1938年9月18日 - )は、… 岡村 甫(おかむら はじめ、1938年9月18日 - )は、日本の工学者。工学博士。専門はコンクリート工学。高知工科大学理事長。東京大学名誉教授。 高知県出身。東京大学大学院工学系研究科土木工学専攻博士課程修了。東京大学工学部学部長、高知工科大学第2代学長を経て高知工科大学理事長。 学生時代は東京大学運動会硬式野球部の投手として、東京六大学リーグ通算71試合登板、17勝35敗、防御率2.82、120奪三振。アンダースローから17勝を挙げるが、東京大学の投手として通算最多勝利記録となっている。のちに同大で野球部監督・部長も務めた。 東京六大学野球連盟元理事長。土木学会名誉会員、ACI名誉会員。土木学会論文賞、コンクリート工学協会論文賞、日系BP技術賞、紫綬褒章、土木学会功績賞など。
大山 道広(おおやま みちひろ、1938年9月18日 - 2… 大山 道広(おおやま みちひろ、1938年9月18日 - 2017年5月2日)は、日本の経済学者。慶應義塾大学名誉教授。大山道廣とも書く。 1938年に東京都に生まれる。1961年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1967年に同大学経済学研究科博士課程を単位取得退学する。1968年にフルブライト奨学金によりロチェスター大学に留学。1972年に同大学より博士号を授与される。同年に慶應義塾大学経済学部に助教授として着任し、1980年に教授に昇任する。2004年に同大学を定年退職し、名誉教授となる。その後移籍した東洋大学も2009年に定年退職となる。1998年から1999年まで日本経済学会の会長を、2002年から2004年までは日本国際経済学会の会長を務めた。
西尾 勝(にしお まさる、1938年9月18日 - 2022… 西尾 勝(にしお まさる、1938年9月18日 - 2022年3月22日)は、日本の行政学者(行政学)。東京大学名誉教授、日本学士院会員。 東京大学法学部教授、東京大学法学部学部長、国際基督教大学教養学部教授、財団法人東京市政調査会理事長、公益財団法人後藤・安田記念東京都市研究所理事長、地方公共団体情報システム機構理事長などを歴任した。 東京府出身の行政学者、政治学者であり、行政学、地方自治論、都市行政論を専攻する。東京大学にて辻清明に師事。東京大学、国際基督教大学で教鞭を執り、東京大学より名誉教授の称号を授与された。また、1994年から1998年にかけて、日本行政学会の理事長を兼任していた。その後、東京市政調査会、および、後身の後藤・安田記念東京都市研究所の理事長を経て、地方公共団体情報システム機構の理事長に就任した。
小田 真弓 (おだ まゆみ、1938年9月17日 - )は、… 小田 真弓 (おだ まゆみ、1938年9月17日 - )は、日本の実業家、和倉温泉・加賀屋女将、「現代の名工」受賞者。 1938年、東京都生まれ。1961年3月、立教大学文学部卒業後、加賀屋の小田禎彦(現・相談役)と結婚し、1962年加賀屋に入社。1963年同社取締役、1979年に常務取締役就任。女将として現在に至る。2018年、「現代の名工」を受賞。