福井 宏(ふくい ひろし、1938年4月12日 - )は、プ… 福井 宏(ふくい ひろし、1938年4月12日 - )は、プロ野球審判員で、元セントラル・リーグ審判副部長。審判員袖番号は24(1988年初採用から1997年退職まで、台湾出向→審判指導員時代もつけていたが退職と同時に返上(引退はしていない)。24は1999年以降嶋田哲也がつけている)。佐賀県伊万里市出身。 佐賀県立伊万里商業高等学校を卒業、親和銀行勤務を経て、1962年に一般公募にてセ・リーグ審判部に入局(1968年には審判員交流制度により1年間パ・リーグ審判部に在籍)、1990年から副部長をつとめ、1994年まで日本プロ野球で活躍した後、翌1995年には台湾にわたり、1996年からは審判指導員を務めた。
四ツ柳 隆夫(よつやなぎ たかお、1938年4月11日 - … 四ツ柳 隆夫(よつやなぎ たかお、1938年4月11日 - )は、日本の化学工学者。東北大学名誉教授。元宮城工業高等専門学校校長。元日本分析化学会会長。元日本化学会副会長。父は四ツ柳高茂。 北海道函館市生まれ。北海道函館中部高等学校を経て、1961年北海道大学工学部応用化学科卒業。1966年北海道大学大学院工学研究科応用化学専攻博士課程修了、工学博士。1971年日本分析化学会奨励賞受賞。北海道大学助教授を経て、1978年東北大学教授。1991年環境科学会評議員。1992年日本微量元素学会評議員。同年日本化学会学術賞受賞。1996年日本分析化学会学会賞受賞。1997年東北大学大学院工学研究科研究科長・工学部学部長。
藤本 正一(ふじもと しょういち 1938年4月11日 - … 藤本 正一(ふじもと しょういち 1938年4月11日 - 没年不明)は、岐阜県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
猪俣 公章(いのまた こうしょう(本名: きみあき)、193… 猪俣 公章(いのまた こうしょう(本名: きみあき)、1938年4月11日 - 1993年6月10日)は、日本の作曲家、作詞家。
村田 元一(むらた げんいち、1938年4月10日 - )は… 村田 元一(むらた げんいち、1938年4月10日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(投手)。 明治高校では2年生の時、エースとして1955年春季関東大会準々決勝に進むが、水戸商の生田目貢(明大)に完封を喫する。翌1956年夏の甲子園都予選準決勝に進出、早実高の王貞治と投げ合うが1-2で惜敗し、甲子園出場を逃した。 1957年に国鉄スワローズに入団。1958年には開幕2戦目から先発として起用されるも、開幕から3連敗を喫する。4月26日に大洋ホエールズを相手に先発、9三振を奪い中島執の1安打のみに抑え初勝利を完封で飾る。同年はリーグ最多の62試合に登板し、5連勝を含む15勝を記録した。1960年には18勝をマークするなど、金田正一に次ぐ第2エースとして長くスワローズの投手陣を支えた。
坂本 春生(さかもと はるみ、1938年(昭和13年)4月1… 坂本 春生(さかもと はるみ、1938年(昭和13年)4月10日 - )は、東京都大田区生まれの日本の官僚。女性通産官僚の草分け。
矢野 憲一(やの けんいち、1938年4月10日 - )は、… 矢野 憲一(やの けんいち、1938年4月10日 - )は、日本の神職、民俗学者、鮫研究家。矢野高陽は子息。 「サメ博士」のあだ名がある。 現在の三重県伊勢市に生まれる(矢野の生誕当時は「伊勢市」は存在しない)。國學院大學文学部国史学科を卒業し、1962年から神宮に奉職する。神宮禰宜、神宮司庁広報課長、奉賽部長、文化部長、総務部副部長、神宮徴古館農業館館長を歴任した。2002年に退職して、特定非営利活動法人の五十鈴塾塾長となる。[要出典] 1977年に『ぼくは小さなサメ博士』で毎日児童小説賞を、1979年に日本旅行記賞を受賞[要出典]。1980年に『鮫の世界』『ぼくは小さなサメ博士』『鮫 ものと人間の文化史』で樋口清之博士記念賞を受賞。
金城 清子(きんじょう きよこ、1938年4月10日 - )… 金城 清子(きんじょう きよこ、1938年4月10日 - )は、日本の弁護士、法学者、フェミニスト。津田塾大学教授、龍谷大学法科大学院教授を歴任。 東京出身。1961年東京大学法学部卒、東京大学法学部助手。1968年夫の金城睦(ちかし、1937-2014、1995年離婚)とともに沖縄で弁護士を開業。1983年東京家政大学教授となり、1989年津田塾大学教授、のち龍谷大学法科大学院教授。2011年退職。男女平等論の視点から法女性学を提唱。生命倫理の問題にもとりくむ。
田代 守彦(たしろ もりひこ、1938年4月10日 - )は… 田代 守彦(たしろ もりひこ、1938年4月10日 - )は、日本の経営者。トーメン社長、会長を務めた。 愛知県名古屋市出身。1961年に名古屋大学経済学部を卒業し、同年に東洋綿花(のちのトーメン)に入社。1991年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1997年6月に専務を経て、2000年4月には社長に就任し、2004年6月までに務めた。2004年6月から2008年6月までに富士重工業監査役を務めた。
大蛇川 覚(おろちがわ さとる、1938年4月10日 - 1… 大蛇川 覚(おろちがわ さとる、1938年4月10日 - 1985年12月2日)は、福岡県柳川市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は岡 覚(おか さとる)。183cm、124kg。最高位は西十両4枚目。得意技は左四つ、寄り。 1955年5月場所に初土俵。右肘関節を手術したり膝の怪我もあって三段目で苦戦するなど、出世は早いほうではなかったが、本来の右四つ相撲から左四つで右上手を浅く取って前に出る取り口にモデルチェンジしてからは、幕下へ定着していき、1963年3月場所に十両昇進。十両を25場所務めるも入幕はならず、1967年9月場所に廃業した。
倉田 寛之(くらた ひろゆき、1938年〈昭和13年〉4月9… 倉田 寛之(くらた ひろゆき、1938年〈昭和13年〉4月9日 - 2020年〈令和2年〉4月7日)は、日本の政治家。位階・勲章は従二位桐花大綬章。 参議院議長(第25代)、自治大臣(第49代)、国家公安委員会委員長(第58代)、参議院議員(4期)、参議院予算委員長、参議院国会対策委員長、千葉県議会議員(4期)等を歴任した。 千葉県東葛飾郡(現松戸市)生まれ。東京学芸大学附属高等学校、成城大学経済学部卒業。 1967年、千葉県議会議員選挙に立候補し、初当選した。以後4期連続当選し、当時最年少で千葉県議会議長も務めた。 1983年、第13回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で千葉県選挙区から立候補し、当選。
岡田 明重(おかだ あきしげ、1938年(昭和13年)4月9… 岡田 明重(おかだ あきしげ、1938年(昭和13年)4月9日 - )は、日本の経営者。三井住友銀行名誉顧問。三井住友銀行会長やさくら銀行頭取などを歴任した。現在は、一般財団法人交詢社理事、公益財団法人東芝国際交流財団理事を務める。
小堀 暉男(こぼり てるお、1938年4月9日 - )は、日… 小堀 暉男(こぼり てるお、1938年4月9日 - )は、日本の実業家。三菱化成(現・三菱ケミカル)取締役副社長や、三菱ウェルファーマ(現・田辺ファーマ)2代目代表取締役社長を務めた。
守谷 史男(もりや ふみお、1938年4月8日 - )は、日… 守谷 史男(もりや ふみお、1938年4月8日 - )は、日本の画家。行動美術協会会員、大阪芸術大学教授。大阪府茨木市在住。放送作家の守谷武己は実子。
藤原 信(ふじわら まこと、1938年4月8日 - 2019… 藤原 信(ふじわら まこと、1938年4月8日 - 2019年6月3日)は、ドイツ(ハノーファー)とノルウェー(ラルヴィク)を拠点とする日本の彫刻家。岐阜県出身。 出典: 石の彫刻家として、1967年より数々の国際彫刻シンポジウムに参加。
藤田 三男(ふじた みつお、1938年4月8日 - )は、日… 藤田 三男(ふじた みつお、1938年4月8日 - )は、日本の文筆家。装丁家。元編集者。 東京市木挽町(現:中央区)生まれ。1961年早稲田大学文学部国文専修卒業、河出書房新社入社後、取締役編集部長等を務め1979年退社、木挽社を設立。榛地和の名で装本も手がける。ゆまに書房編集顧問。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
河内 十郎(かわち じゅうろう、1938年4月7日 - )は… 河内 十郎(かわち じゅうろう、1938年4月7日 - )は、日本の心理学者。東京大学名誉教授。 高知県生まれ。栄光学園高等学校から、1961年東大文学部心理学科卒、1967年同大学院博士課程中退、1975年東大教養学部助教授(心理学)、1981年「左半側空間無視患者の認知空間の構造に関する心理学的研究」で文学博士、1988年教授、1999年定年退官、名誉教授、日本女子大学教授。2009年退職。 脳の損傷を研究する。神経心理学が専門。
鈴木 日出男(すずき ひでお、1938年〈昭和13年〉4月7… 鈴木 日出男(すずき ひでお、1938年〈昭和13年〉4月7日 - 2013年〈平成25年〉10月3日)は、日本の国文学者。東京大学名誉教授。中古文学専攻。
池田 瑛子(いけだ えいこ、1938年4月7日 - )は、日… 池田 瑛子(いけだ えいこ、1938年4月7日 - )は、日本の詩人。 富山県生まれ。射水市在住。旧姓・浜谷(はまたに)。青山学院大学文学部英米文学科卒。2009年11月~2019年11月、富山県詩人協会会長。現在、同会顧問。『祷』同人。2006年~2023年9月、北日本新聞「北日本文芸」詩壇選者。2015年、第67回北日本新聞文化功労賞受賞。2021年、『星表の地図』で第15回北陸現代詩人賞受賞。日本ペンクラブ会員。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
菅 博(すが ひろし、1938年4月7日 - )は、兵庫県出… 菅 博(すが ひろし、1938年4月7日 - )は、兵庫県出身の日本の電気・電子工学者。大阪工業大学名誉教授、工学博士(大阪府立大学)。電子情報通信学会関西支部元評議員。情報処理学会関西支部元幹事。瑞宝中綬章受章。 専門は、電気・電子回路、電子ビーム・電子顕微鏡、情報処理・プログラミング(特にC)など。 1960年大阪工業大学工学部電気工学科卒業。1970年大阪府立大学(現在の大阪公立大学)大学院工学研究科電子工学専攻博士課程修了、工学博士(大阪府立大学)。同年、大阪工業大学工学部電子工学科講師として着任し、助教授を経て、1977年同学科教授。1998年同大学情報科学部教授。大阪工業大学教授(工学部・情報科学部)として長きに渡り教鞭を執り、2009年大阪工業大学名誉教授。
天野 宏(あまの ひろし、1938年4月7日 - 2022年… 天野 宏(あまの ひろし、1938年4月7日 - 2022年2月26日)は、日本の実業家、呉羽化学工業株式会社(現・株式会社クレハ)元代表取締役会長・元社長。 1938年4月7日生まれ。立教大学卒業。 呉羽化学工業株式会社(現・株式会社クレハ)に入社。生活関連事業部長など、商品畑を歩んだ。 1997年、同社代表取締役社長就任。2003年6月、代表取締役会長就任。 経営者として、つくれば売れる時代が終焉を迎え、モノ余りの時代になる中で、これまで"技術のクレハ"と言われメーカーオリエンテッドの文化があった企業風土をマーケット・イン志向、利益志向とする考え方に変革し、ニーズにあった高付加価値商品に注力する開発・販売体制を構築した。
津野 海太郎(つの かいたろう、1938年4月6日 - )は… 津野 海太郎(つの かいたろう、1938年4月6日 - )は、日本の演出家・編集者・評論家。元晶文社取締役、和光大学名誉教授。NPO法人共同保存図書館・多摩、顧問。 福岡県生まれで、川崎に育つ。本姓・鈴木。東京都新宿区立落合中学校から東京都立戸山高等学校を経て早稲田大学第一文学部国文科卒。 大学時代は「演劇研究会」に所属していた。在学中の1961年に、中学時代からの仲間の草間暉雄の劇団「独立劇場」に参加する。だが、草間は設立後に持病を悪化させて25歳で亡くなる。 大学卒業後の1962年に、アルバイト生活を経て、『新日本文学』編集部員に補欠で採用される編集者となる。その直前、新日本文学会を支配していた共産党との関係が崩れメディアも大きく報じた時代だった。
神田 啓治(かんだ けいじ、1938年4月6日 - ) は、… 神田 啓治(かんだ けいじ、1938年4月6日 - ) は、日本の原子力工学者。京都大学名誉教授。電力中央研究所名誉研究顧問。フランス共和国国家功労勲章受章。内閣総理大臣賞等受賞。 山口生まれ。1961年国際基督教大学教養学部卒業。1966年東京工業大学大学院工学研究科原子核工学専攻博士課程修了、工学博士。京都大学原子炉実験所助手、京都大学原子炉実験所講師、京都大学原子炉実験所助教授、京都大学原子炉実験所教授を経て、2002年停年退官、京都大学名誉教授。武蔵工業大学教授、エネルギー政策研究所長、電力中央研究所名誉研究顧問、国際中性子捕捉療法学会会長、新長期計画策定会議委員、国際中性子ラジオグラフィ会長、国際ガンの中性子療法学会会長、原子力委員会専門委員、原子力安全委員会専門委員等も歴任。
木村 圭市郎(きむら けいいちろう、1938年4月5日 - … 木村 圭市郎(きむら けいいちろう、1938年4月5日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。群馬県出身。息子はイラストレーターの木村タカヒロ。
田苅子 進(たかりこ すすむ、1938年〈昭和13年〉4月5… 田苅子 進(たかりこ すすむ、1938年〈昭和13年〉4月5日 - 2022年〈令和4年〉1月17日)は、日本の政治家。元北海道士別市長。 北海道上川郡士別町(現士別市)出身。北海道名寄農業高等学校卒業。1959年(昭和34年)3月、北海道自治講習所を修了後、士別市役所に奉職する。総務部税務課、総務部財政課長、総務部企画財政課長、市立士別総合病院事務局長、士別市教育委員、士別市教育委員会教育長を経て、1998年(平成10年)5月、士別市長に就任した。2009年の市長選に出馬せず退任した。2010年、旭日小綬章受章。 2022年(令和4年)1月17日7時52分、肺炎のため死去。83歳没。死没日をもって従五位に叙された。
安達 貞至(あだち さだゆき、1938年4月4日 - )は、… 安達 貞至(あだち さだゆき、1938年4月4日 - )は、日本の兵庫県出身のサッカー選手、サッカークラブスタッフ。選手時代のポジションはゴールキーパー。次男の安達亮もサッカー選手および指導者 関西学院大学から1961年にヤンマーディーゼルに入社、ヤンマーディーゼルサッカー部でプレーした。大学の後輩にあたる加茂周は、安達に誘われる形でヤンマー入りした。釜本邦茂がヤンマーに加入すると、安達はマネージャーに身を転じて裏方としてチームを支えるようになった。社業においては1986年から1995年までヤンマー東日本の代表取締役社長を務めた。 1995年から1996年まで地元兵庫県のヴィッセル神戸(当時JFL)の強化部長、ゼネラルマネージャーを歴任。
細木 数子(ほそき かずこ、1938年(昭和13年)4月4日… 細木 数子(ほそき かずこ、1938年(昭和13年)4月4日 - )は、日本の作家・タレント・占術家。テレビ出演の際の肩書きは心照学研究家・人間学研究家などと称する場合もある。下記のようにかつては実業家でもあった。東京府東京市渋谷区(現:東京都渋谷区)出身。寅年、八白土星、牡羊座。
野澤 正平(のざわ しょうへい、1938年(昭和13年)4月… 野澤 正平(のざわ しょうへい、1938年(昭和13年)4月3日 - )は、日本の実業家。1997年(平成9年)に廃業した山一證券の最後の社長として知られる。 長野県出身。長野県屋代東高等学校を経て、法政大学経済学部卒業後、山一證券に入社。 1997年(平成9年)7月に山一證券の社長に就任したが、その僅か4ヵ月後の同年11月に廃業に追い込まれた。その記者会見の席で「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから!」と号泣する野澤の姿は繰り返し報じられた。 山一證券の清算後には日産センチュリー証券社長およびユニコムグループホールディングス取締役副会長を歴任。その後は営業や経営の経験に基づき山一證券出身の企業家等の指導・教育をしているほか、ピーアールコンビナート株式会社が主催する「評判づくり研究会」の運営顧問およびブレーン(マーケティング分野担当)を務めている。
大石 悦子(おおいし えつこ、1938年(昭和13年)4月3… 大石 悦子(おおいし えつこ、1938年(昭和13年)4月3日 - 2023年(令和5年) 4月28日)は、日本の俳人。京都府出身。 舞鶴町(現舞鶴市)生まれ。1954年、府立西舞鶴高校に入学、「鶴」門の工藤雄仙が主宰する「飛翔」に誘われ句作を開始。1956年ごろ「鶴」に入会。石田波郷、石塚友二、星野麦丘人に師事する。1957年、和歌山大学に入学。学生サークルの俳句研究会に所属し、一時「天狼」にも投句した。子育てのために句作を一時中断後、1981年に鶴俳句賞を受賞、「鶴」同人。 1984年、「遊ぶ子の」50句により第30回角川俳句賞を受賞。1986年、句集『群萌』により第10回俳人協会新人賞を受賞。
中村 良夫(なかむら よしお、1938年4月3日 - )は、… 中村 良夫(なかむら よしお、1938年4月3日 - )は、日本の景観学者(景観工学、国土史)。東京工業大学名誉教授。 東京府東京市赤坂区青山南町(現在の東京都港区青山)生まれ。東京都立日比谷高等学校を経て、1963年東京大学工学部土木工学科卒、日本道路公団入社、1965年東京大学工学部助手、1968年講師。1973年、工学博士(東京大学)。論文の題は「A theoretical approach to perspective image of highway alignment (道路線形の透視形態に関する理論的研究)」。1975年助教授、1976年東京工業大学助教授、1982年教授、1998年同名誉教授、京都大学大学院工学研究科教授。
指田 豊(さしだ ゆたか、1938年(昭和13年)4月3日~… 指田 豊(さしだ ゆたか、1938年(昭和13年)4月3日~)は東京薬科大学名誉教授。薬学博士。 専門は薬用植物学、生薬学。薬用植物の成分の化学構造と生理活性を研究している。 また、一般市民向けの講演や執筆活動、植物観察会などで、身近な薬草の活用法などを指導している。 日本植物園協会名誉会員。東京都出身。 東京薬科大学卒業、東京薬科大学大学院修了。その後、出身大学の名誉教授となる。 1988年にイスクラ厚生事業財団漢方研究奨励賞を受賞。1993年、和漢医薬学会評議員。1997年から1999年まで日本生薬学会関東支部長、幹事に就任。 東京都八王子市南陽台在住。
菊地 武和(きくち たけかず、1938年4月2日 - )は、… 菊地 武和(きくち たけかず、1938年4月2日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手。 宮崎大淀高校から1957年に広島カープへ入団。1958年に退団。
青木 昌彦(あおき まさひこ、1938年〈昭和13年〉4月1… 青木 昌彦(あおき まさひこ、1938年〈昭和13年〉4月1日 - 2015年〈平成27年〉7月15日)は、日本の経済学者。専門は比較制度分析。スタンフォード大学名誉教授、京都大学名誉教授、中国人民大学名誉客員教授、東京財団特別上席研究員、VCASI(東京財団仮想制度研究所)主宰。 1938年、愛知県名古屋市に生まれる。湘南学園中学校、東京都立小山台高等学校を経て、1956年東京大学に入学。学生時代は共産主義者同盟(ブント)の指導部の一人であり、東大在学中に姫岡玲治の筆名で執筆した論文「民主主義的言辞による資本主義への忠勤-国家独占資本主義段階における改良主義批判」は、共産主義者同盟の理論的支柱となり、「姫岡国独資」と略称された。
国松 善次(國松 善次、くにまつ よしつぐ、1938年 4月… 国松 善次(國松 善次、くにまつ よしつぐ、1938年 4月1日 ‐ )は、日本の元政治家。元滋賀県知事(公選14・15代)。
園部 一成(そのべ いっせい、1938年(昭和13年)4月1… 園部 一成(そのべ いっせい、1938年(昭和13年)4月1日 - 2016年(平成28年)6月7日)は、日本の政治家。大阪府門真市長(3期)。大阪府議会議員(自由民主党、4期) 大阪府出身。関西学院大学法学部卒。証券会社勤務を経て、24歳の時医療機器メーカーを設立し、社長となる。その後、門真市議会議員を経て、大阪府議会議員(門真市選出)となり、4期務める。2005年門真市長選挙に立候補し、当選。同年、7月10日に就任。 2009年に大差で再選を果たした。※当日有権者数:103,572人 最終投票率:33.4%(前回比:-pts) 2013年に前回と同じ相手を大差で破り三選を果たした。※当日有権者数:101,679人 最終投票率:27.77%(前回比:-5.63pts) 3期目途中の2016年、肺がんのため京都市内の病院で死去した。
宮武 頼夫(みやたけ よりお、1938年4月1日 - )は、… 宮武 頼夫(みやたけ よりお、1938年4月1日 - )は、日本の昆虫学者、大阪市立自然史博物館元館長。
伏見 勝(ふしみ まさる、1938年(昭和13年)4月1日 … 伏見 勝(ふしみ まさる、1938年(昭和13年)4月1日 - )は、日本の実業家。元報知新聞会長・最高顧問。元遊技産業健全化推進機構代表理事。 1956年(昭和31年)、静岡県立静岡高等学校卒業。慶應義塾大学文学部卒業。1961年(昭和36年)、読売新聞社入社。社会部次長(部長待遇)を経て、1987年(昭和62年)、写真部長、1992年(平成4年)、出版部次長兼「週刊読売」編集部長。1994年(平成6年)、出版局長。1995年(平成7年)、役員待遇。1996年(平成8年)、取締役。1998年(平成10年)、報知新聞社兼報知印刷社長。 2006年(平成18年)、遊技産業健全化推進機構設立と同時に、専務理事就任。
大 公一郎(だい こういちろう、1938年4月1日 - 20… 大 公一郎(だい こういちろう、1938年4月1日 - 2021年6月22日)は、日本の実業家。あらた代表取締役会長や、生活協同組合コープさっぽろ生協会会長、全国化粧品日用品卸連合会会長、札幌市社会福祉協議会会長などを歴任した。 北海道函館市生まれ。1957年北海道函館東高等学校卒業。1961年一橋大学商学部卒業、レナウン商事入社。1963年に父・總一郎が経営する生活雑貨・化粧品卸の大加十全堂入社。1967年大加十全堂取締役営業部長に昇格。1969年、道内の卸売他社と合併して発足したダイカの専務取締役。1979年ダイカの代表取締役社長に就任、物流強化により業容の拡大を進めた。 1980年北海道卸粧業連合会副理事長。
近藤 昭仁(こんどう あきひと、1938年4月1日 - 20… 近藤 昭仁(こんどう あきひと、1938年4月1日 - 2019年3月27日)は、香川県高松市出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 妻は元女優の北沢典子。一男二女の子がおり、次女は女優の近藤典子。プロレスラーの中西学は次女の元夫で、長女が結婚した際にはタモリ夫妻が媒酌人を務めた。 近藤の登録上の誕生日は1938年4月1日であるが、実際は4月10日が誕生日である。9日の違いがあるのは父親が「1年得するから」という理由で誕生日を繰り上げて役所に届け出たためである。 近所の遊び友達に4学年上の中西太がおり、1953年に中西と同じ高松一高へ進学。3年次の1955年には春季四国大会に進むが、準決勝となった1回戦で鳴門高に敗れる。
牧内 良平(まきうち りょうへい、1938年4月 - )は、… 牧内 良平(まきうち りょうへい、1938年4月 - )は、日本の新聞記者、実業家。元テレビ神奈川社長。前学校法人神奈川大学理事長。神奈川県海老名市在住。 長野県飯田市出身。飯田高校卒業後2年間浪人したのち、早稲田大学政治経済学部に入学。1965年、神奈川新聞社に入社。 1985年、社会部長に就任。1986年6月1日付の神奈川新聞に霊感商法の被害状況を取材した記事が掲載されると、その日の夕方から神奈川新聞社本社には、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の信者からの無言電話および抗議の電話が殺到。電話は3日夜までに8,400件を超え、会社の通信機能は麻痺した。牧内は6月4日付の同紙のコラムに実名で「暴力は、どんな形にしろ絶対に容認できない。
佐伯 道子(さえき みちこ、1938年4月 - 1974年5… 佐伯 道子(さえき みちこ、1938年4月 - 1974年5月22日)は、日本の歌人・登山家。 大分県南海部郡上野町生まれ。大分県立別府鶴見丘高等学校卒、1960年広島大学教育学部国語科卒、萩原朔太郎で卒論を書く。在学中から登山を始める、1960年10月、増永迪男と結婚し、福井市に住む。短歌を作る。登山中に転落し死亡。 この項目は、探検家や冒険者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
村松 英子(むらまつ えいこ、1938年(昭和13年)3月3… 村松 英子(むらまつ えいこ、1938年(昭和13年)3月31日 - )は、日本の女優・詩人。身長162cm、体重50kg。 東京都出身。本名は南日英子。父は精神医学者の村松常雄、母方の祖父は田部隆次。実兄は文芸評論家の村松剛。兄の友人三島由紀夫の弟子で演劇活動を引き継いでいる。再従兄弟に当たる夫の南日恒夫(日本テレビ勤務の技師)は南日恒太郎(英語教育者)の孫。娘に女優の村松えり。 東京市淀橋区西大久保(現・東京都新宿区大久保)で誕生。学者一家の家庭に生れ、父・村松常雄の書斎で『マザーグース』『ペロー童話集』などを読み聞かされて育つ。芝居好きの祖母は英子を歌舞伎に連れていくこともあった。 日本女子大学附属豊明小学校の10歳の頃、兄・村松剛の影響で詩に親しみ、毎年夏に避暑に行く信濃追分で兄から『立原道造詩集』を買ってもらったのをきっかけに、自身も詩を書いたりするようになる。
藤本 伸(ふじもと しん、1938年3月31日 - )は、山… 藤本 伸(ふじもと しん、1938年3月31日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 山口高校では内野手、控え投手として活躍。1954年秋季中国大会県予選決勝に進むが防府高に敗退。1955年春季中国大会県予選は準決勝で豊浦高を相手にリリーフで登板するが、9回サヨナラ負けを喫する。夏も県予選で敗れ甲子園には出場できなかった。高校同期に投手の舛井真喜人(南海)がいた。 1956年に読売ジャイアンツへ入団。1年目から控え内野手として一軍に定着。1961年には、移籍した土屋正孝の後継二塁手を塩原明、増田浩らと争う。翌1962年も遊撃手、二塁手として起用され64試合に先発出場するが、1963年には出場機会が減り、同年限りで引退。
篠原 重則(しのはら しげのり、1938年3月31日 - 2… 篠原 重則(しのはら しげのり、1938年3月31日 - 2010年7月16日)は、日本の地理学者。香川大学名誉教授。 愛媛県生まれ。1960年愛媛大学教育学部卒、愛媛県立津島高等学校教諭、愛媛県立宇和島南高等学校教諭、1977年愛媛県立松山北高等学校教諭、1988年愛媛県立東温高等学校教諭、1990年香川大学教育学部助教授、91年教授、2001年定年退官、松山大学教授。1990年「四国山地における集落の変貌過程に関する地理学的研究」で筑波大学理学博士。 2010年7月16日、急性腎盂腎炎により死去。72歳没。
豊田 昌倫(とよた まさのり、1938年3月31日 - )は… 豊田 昌倫(とよた まさのり、1938年3月31日 - )は、日本の英語学者、京都大学名誉教授、関西外国語大学名誉教授。専門は、英語文体論。 1938年、岡山県岡山市生まれ。岡山大学法文学部を卒業し、京都大学大学院へ進んだ。1964年、京都大学大学院博士課程を単位修得退学。1974年から1976年までロンドン大学に留学。 帰国後、大阪大学教養部助教授に着任。その後、京都大学教養部助教授となった。同大学文学部助教授となり、1993年に教授昇進。2004年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は、関西外国語大学教授として教鞭をとり、退任後名誉教授となった。関西外国語大学国際文化研究所所長を歴任。
内藤 政武(ないとう まさたけ、1938年3月31日 - )… 内藤 政武(ないとう まさたけ、1938年3月31日 - )は、第26代学校法人学習院院長(2014年(平成26年) - 2020年(令和2年))。学習院名誉院長。 旧挙母藩主・子爵内藤家14代当主内藤政恒(旧延岡藩主内藤家の当主内藤政挙の末子)を父に持つ。母は中御門経恭三女の理子。母方の祖父は侯爵中御門経恭。祖母は三井高棟の長女慶子。元外務次官・駐米大使の栗山尚一は従兄弟。 初の学習院大学卒業の学習院長。『勢いのある学習院』を標榜し、国際社会科学部の新設に代表される数々の学習院改革に尽力した。 一般社団法人霞会館常務理事、公益社団法人日本ホッケー協会副会長、公益社団法人日本オリンピック委員会監事、一般財団法人日本スポーツマンクラブ財団理事、公益財団法人日本オリンピック委員会名誉委員などを歴任。
多田 邦雄(ただ くにお、1938年〈昭和13年〉3月31日… 多田 邦雄(ただ くにお、1938年〈昭和13年〉3月31日 - 2017年〈平成29年〉12月30日)は、日本の応用物理学者。専門は電気工学。東京大学名誉教授。応用物理学会会長(1996-1997年度)。工学博士。 1938年3月31日に東京府で生まれた。1960年に東京大学工学部電気工学科を卒業後、1965年に同大学院数物系研究科電子工学専攻の博士課程を修了し、工学博士号を取得した。同年に同大学の専任講師に着任し、翌1966年に助教授に昇任、1972年より1年間ペンシルベニア大学で客員助教授を経て、1981年に東京大学大学院工学研究科電子工学専攻教授に就任した。1998年3月に東京大学を定年退官し、同年4月に横浜国立大学工学部教授に着任し、2003年3月に同大学を定年退官した。
背戸 一登(せと かずと、1938年3月31日 - ) は、… 背戸 一登(せと かずと、1938年3月31日 - ) は、日本の機械工学者・技術士。元日本大学理工学部教授。元日本機械学会機械力学・計測制御部門長。 1962年日本大学理工学部機械工学科卒業、日本大学理工学部精密機械工学科助手。 1968年東京都立大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了。1971年東京都立大学大学院工学研究科機械工学専攻博士課程修了。 その後、防衛大学校講師。1974年防衛大学校助教授。1986年防衛大学校教授。1992年日本機械学会機械力学・計測制御部門部門長、日本学術会議自動制御研究連絡委員会委員。 1993年日本大学理工学部教授。1997年日本機械学会国際交流部会部会長。
島倉 千代子(しまくら ちよこ、1938年〈昭和13年〉3月… 島倉 千代子(しまくら ちよこ、1938年〈昭和13年〉3月30日 - 2013年〈平成25年〉11月8日)は、日本の演歌・歌謡曲歌手。東京府東京市(現在の東京都)品川区北品川出身、日本音楽高等学校卒業。愛称は「お千代さん」。 1938年3月30日(水曜日)、品川区北品川に警察官の父・島倉壽雄()、母・ナカの二男四女の四女として生まれる。島倉家は越前一乗谷城主朝倉義景の末裔。 1945年(7歳)、長野県松本市へ疎開。両親の実家がある群馬県桐生市にも、半年間疎開していたことがある。井戸から水を運ぶ途中に転倒、水の入ったビンを割り、左手首からひじまでを負傷。母・ナカが「女の子だから(腕を)残して欲しい」と医師に懇願し、切断は免れたが47針を縫い、感覚も無く、動かすこともできなくなる(後に不自由ながらも動かすことができるようになる)。
佐藤 喜子(さとう よしこ、現在の氏名:大崎 喜子(おおさき… 佐藤 喜子(さとう よしこ、現在の氏名:大崎 喜子(おおさき よしこ)、1938年3月30日 - )は、日本の元競泳選手(種目は自由形)。アジア競技大会では1958年と1962年に合計7つの金メダルを獲得した。1956年メルボルンオリンピックおよび1960年ローマオリンピックでは短距離で合計5種目に出場し、最上位の成績は4×100mメドレーリレーの第7位であった。 奈良県五條市出身。中学校では当初陸上競技部に所属していたが、3年生の時に県大会にリレー選手として出場し、以後競泳選手となる。 奈良県立五條高等学校から天理大学に進む。 国内では日本選手権水泳競技大会の100mで1958年から1961年まで4年連続、200mで1955年から1961年まで7年連続で優勝した。