長谷川 滋成(はせがわ しげなり、1938年- )は、日本の… 長谷川 滋成(はせがわ しげなり、1938年- )は、日本の漢文学者、広島大学・尾道大学名誉教授。 1938年、山口県生まれ。広島大学文学部に入学し、中国語学ならびに中国文学を専攻した。同大学大学院修士課程を修了。 卒業後は、広島大学附属中学校・高等学校教諭となった。その後、兵庫教育大学助教授、母校の広島大学教育学部教授をつとめた。2002年、広島大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は尾道大学教授として教鞭をとったが、2009年に退職し、名誉教授となった。
三階 徹(さんがい とおる、1938年 - ?)は、日本の社… 三階 徹(さんがい とおる、1938年 - ?)は、日本の社会学者。 法政大学社会学部社会学科、法政大学大学院社会科学研究科博士課程出身。中京女子大学生涯学習研究所教授。芝田進午の一番弟子。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
吉田 敬一(よしだ けいいち、1938年 - )は日本の工学… 吉田 敬一(よしだ けいいち、1938年 - )は日本の工学者。元静岡大学・日本大学・浜松学院大学教授。専門は情報科学。 1938年(昭和13年)、北海道増毛町に生まれる。1963年(昭和38年)に法政大学工学部電気工学科を卒業し、日本電気(NEC)勤務を経て、静岡大学教授、日本大学教授、浜松学院大学教授を歴任する。1990年(平成2年)に『文脈保存を利用したコンパイラ構文解析部の自動生成の研究』で工学博士(慶應義塾大学)を取得する 。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鶴蒔 靖夫(つるまき やすお、1938年 - )は日本の実業… 鶴蒔 靖夫(つるまき やすお、1938年 - )は日本の実業家、ラジオパーソナリティ。 樺太(現サハリン州)生まれ、北海学園大学経済学部中退。フリーライターとして独立。大宅壮一に師事。雑誌「人物評論」の編集主幹を経て、評論家、ラジオパーソナリティとして活動した。株式会社IN通信社(アイエヌ通信社、「IN」はインターナショナル・ニュースの略、1964年3月創立、2023年2月破産手続開始、2023年6月清算終了)の代表を務めていた。 1984年7月から2022年8月末までアール・エフ・ラジオ日本で冠番組『こんにちは!鶴蒔靖夫です』(2020年4月から『話のキャッチボール』に改題)を担当した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
澤岡 昭(さわおか あきら、1938年 - )は日本の学者。… 澤岡 昭(さわおか あきら、1938年 - )は日本の学者。 1938年、北海道帯広市生まれ。 小・中・高校時代を札幌で過ごし、1958年北海道大学理類に入学、1963年物理学科卒業、1965年修士課程を修了、その年の秋、博士課程を中退して大阪大学基礎工学部に助手として採用され、1969年に東京工業大学に転勤した。 工業材料研究所と応用セラミックス研究所(現・フロンティア材料研究所)の助手、助教授、教授、所長を経て、1999年大同工業大学(現:大同大学)学長、2017年大同大学名誉学長。 その間、宇宙開発事業団(当時)嘱託やスペースシャトルを利用した宇宙実験、国際宇宙ステーション計画に参画した。
中垣 信夫(なかがき のぶお、1938年 - )は、日本のグ… 中垣 信夫(なかがき のぶお、1938年 - )は、日本のグラフィックデザイナー・エディトリアルデザイナー。神奈川県出身。 武蔵野美術大学卒業。1964~73年杉浦康平デザイン事務所勤務。ウルム造形大学(en:Ulm_School_of_Design)に招致された杉浦康平に同行し、オトル・アイヒャーに師事する。1973年、中垣デザイン事務所設立。2008年4月、杉浦康平、勝井三雄などのグラフィックデザイナーが講師を務める、社会人のためのデザイン学校「ミームデザイン学校」を設立。 実家はワイナリー(皇國葡萄酒)。母方の祖父は、1935年東京大学駒場に移転した、当時の第一高等学校校長森巻吉。
千田 次郎(ちだ じろう、1938年 - )は日本の牧師、説… 千田 次郎(ちだ じろう、1938年 - )は日本の牧師、説教家、伝道者、神学校教師。山形県米沢市を拠点にして日本中で活躍している牧師である。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
佐々木 謙介(ささき けんすけ、1938年 - )は、日本の… 佐々木 謙介(ささき けんすけ、1938年 - )は、日本のフリーアナウンサー、ラジオパーソナリティー。現在は福岡県福岡市に在住している。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
生駒 孝彰(いこま こうしょう、1938年 - 2022年)… 生駒 孝彰(いこま こうしょう、1938年 - 2022年)は、日本の宗教学者、浄土真宗本願寺派の僧侶。日米現代宗教論を専門とし、龍谷大学教授などを歴任した。 北海道旭川市に生まれる。 龍谷大学文学部仏教学科を卒業した。その後、浄土真宗本願寺派の開教使となってアメリカ合衆国に渡り、ブリガム・ヤング大学で歴史学を専攻して修士号を取得した。 帰国後、京都文教短期大学の教員となり、1996年には京都文教大学人間学部教授となった。後に2000年代半ばには、龍谷大学国際文化学部教授を務めた。 宗教の観点からアメリカ合衆国の社会を検討し、「米国のカルト宗教に詳しい」人物とされている。 呉智英は、生駒の1981年の著書『アメリカ生れのキリスト教』を「モルモン教、エホバの証人、クリスチャンサイエンスについて、歴史・教義を要領よく紹介している」と評した。
角谷 優(かくたに まさる、1938年(昭和13年) - )… 角谷 優(かくたに まさる、1938年(昭和13年) - )は、日本の映画プロデューサー。フジテレビジョン映画部長、ロサンゼルス支社長、フジサンケイ・コミュニケーションズ・インターナショナル副社長などを務めた。 高校生から大学までを、池袋の名画座・人世坐系の文芸地下で働く。 1961年4月、早稲田大学卒業後、フジテレビにアナウンサーとして入社。報道担当アナウンサーとして『FNNテレビ朝刊』などを担当。映画好きを活かして自ら志願して、同年10月から映画劇場の『テレビ名画座』で同僚の辻川一徳アナウンサーとともに資料集めと原稿執筆、選曲をしてテレビ初の映画解説者を行った。他に『話題の映画』という映画情報番組も制作。
小林 保治(こばやし やすはる、1938年 - )は、日本の… 小林 保治(こばやし やすはる、1938年 - )は、日本の国文学者。学位は、文学博士。専門は、中世の説話文学・仏教文学・能・狂言など。 青森県青森市出身。早稲田大学教育学部卒、同大学院文学研究科博士課程修了。その後、早稲田大学教育学部・大学院文学研究科兼担教授、浙江大学客員教授。2008年3月、早稲田大学を定年退職。 津軽弁を大切にしていて、さまざまな高校で地域の言葉に眼差しを向ける授業を展開してきた。 中学生の時に石器を発見してから、化石や石の収集を趣味としている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
高村 寿一(たかむら じゅいち、1938年??月??日 - … 高村 寿一(たかむら じゅいち、1938年??月??日 - )は、日本の経済学者。武蔵野大学現代社会学部教授。 東京都出身。1961年、早稲田大学政治経済学部卒業。同年日本経済新聞社入社。産業部記者、論説委員論説副主幹などを経て現職。 著書に『日本産業史』(共編・日本経済新聞社)、『証言戦後経済史』(同)、『ベーシック日本経済の新課題』(日本経済新聞社)他がある。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです https://nikkeibook.nikkeibp.co.jp/author/68195 『ベーシック 経営入門 日経文庫』より) この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
長尾 三郎(ながお さぶろう、1938年 - 2006年)は… 長尾 三郎(ながお さぶろう、1938年 - 2006年)は、日本のノンフィクション作家。 福島県生まれ。福島県立福島高等学校を経て[要出典]、早稲田大学第一文学部演劇科中退。 大学在学中より著述業に入る。講談社系の週刊誌『女性自身』『週刊現代』等で記者として活動。当時の経験については、後に『週刊誌血風録』(2004年)にまとめられている。 1985年、加藤保男の評伝『エベレストに死す』が第7回講談社ノンフィクション賞の候補作に挙げられる。1986年、植村直己の評伝『マッキンリーに死す』で第8回講談社ノンフィクション賞を受賞。 2006年、がんのために死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
藤崎 和男(ふじさき かずお、1938年 - )は、日本の小… 藤崎 和男(ふじさき かずお、1938年 - )は、日本の小説家。福岡県八幡市(現北九州市)生まれ、早稲田大学第一文学部卒。 出版社勤務後、予備校の非常勤講師等を経て、65歳で退職後から小説を書き始める。2012年に第55回群像新人文学賞を「グッバイ、こおろぎ君」で受賞。74歳という非常に高齢での新人賞受賞となった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
本田 康典(ほんだ やすのり、1938年 - )は日本の英米… 本田 康典(ほんだ やすのり、1938年 - )は日本の英米文学者、翻訳家。宮城学院女子大学名誉教授。 熊本市出身。1961年早稲田大学教育大学英語英文学科卒、1964年同大学院文学研究科修士課程修了。宮城学院女子大学助教授、1980年教授、2002年退職、名誉教授。20世紀英米小説専攻。 1994年から「日本ヘンリー・ミラー協会」会長として、ヘンリー・ミラーやアナイス・ニンに関する日本での再評価にむけて執筆活動を続けている。 ミラーに関する多くの論文、著書、翻訳、エッセーがある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
宮原 照夫(みやはら てるお、1938年 - 2018年)は… 宮原 照夫(みやはら てるお、1938年 - 2018年)は、日本の雑誌編集者。長野県伊那市出身。 講談社発行の漫画雑誌、『週刊少年マガジン』第4代編集長、ならびに『週刊ヤングマガジン』、『月刊少年マガジン』初代編集長。 高校卒業後の1956年に講談社に入社、『少年倶楽部』配属となる。1959年、『週刊少年マガジン』編集部に創刊スタッフとして異動、ちばてつやの担当編集者として「ちかいの魔球」、「紫電改のタカ」、「ハリスの旋風」の連載に携わる。その後、梶原一騎の担当編集者として「巨人の星」、「あしたのジョー」の連載を立ち上げ、1971年に『週刊少年マガジン』第4代編集長となる。1974年に『月刊少年マガジン』、1980年には『週刊ヤングマガジン』を創刊、初代編集長となる。
遠藤證圓(えんどう しょうえん、1938年(昭和13年) -… 遠藤證圓(えんどう しょうえん、1938年(昭和13年) - )は、律宗の僧侶。第82世唐招提寺長老、律宗管長。神奈川県川崎市生まれ。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中澤 優子(なかざわ ゆうこ、1938年〈昭和13年〉 - … 中澤 優子(なかざわ ゆうこ、1938年〈昭和13年〉 - )は、日本の画家。 長野県諏訪市出身。 春陽会正会員。 20歳で故郷の諏訪市を離れ、絵画に精進し、現在は春陽会を中心に活動を展開している。 作品のテーマとして女性像を選ぶことを好み、画面にしばしば絹糸や絹布を描画して独特な色面を用い、人生を示すアレゴリーとして、あるいは繊細な女性の表情の演出として表現する画風である。 これは、中澤が絹糸・絹布産業が盛んであった諏訪市内で育ったため、幼少時から身近に絹糸や絹布に親しんだことによる。 2007年(平成19年)11月には諏訪市美術館において、大作を中心に約30点を展示して、諏訪離郷以来50年ぶりとなる大規模な個展を開催した。
浜 征彦(はま まさひこ、旧字体:濱 征彦、1938年 - … 浜 征彦(はま まさひこ、旧字体:濱 征彦、1938年 - 2018年)は、長野県諏訪市出身の洋画家。二科会長野県支部長。銀座の老舗画廊、「薔薇画廊」の専属画家だったため、作品は多くの政財界の応接間等に飾られた。明るく柔らかな色使いと、筆遣いが特徴。題材はフランス.イタリア.故郷の諏訪等の風景画が多く、薔薇の花と共に描かれた裸婦画は希少。晩年の作品はデフォルメされた道化師等の作風。美術名典、号125,000円 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
アンネット・一恵・ストゥルナート(アンネット・かずえ・ストゥ… アンネット・一恵・ストゥルナート(アンネット・かずえ・ストゥルナート、1938年 - )は、兵庫県西宮市生まれの日本のオペラ歌手・声楽家。旧姓は高島。 現在は日本国内各地でコンサートの舞台に立ちながら、後進の声楽指導に当たるなどの活動を行っている。
兵本 達吉(ひょうもと たつきち、1938年(昭和13年) … 兵本 達吉(ひょうもと たつきち、1938年(昭和13年) - )は、日本の政治評論家。元国会議員秘書。なお兵本自身は「共産主義研究家」を自称している。 奈良市生まれ。横田めぐみ失踪事件について、彼女の父横田滋に石高健次リポート(1996年11月発売『現代コリア』収載)に記された「元北朝鮮工作員」の目撃証言を伝えた人物で、これにより日本人拉致問題が一挙に国民的関心事となって拉致被害者に対する救援活動が活発化した。1988年(昭和63年)、日本人拉致問題で初めて北朝鮮の関与を認めた答弁(「梶山答弁」)を引き出した国会質問の作成に関与したが、1998年(平成10年)日本共産党から「“公安警察のスパイ”として一方的に除名された」。
来住 しげ樹(きし しげき、1938年 - )は、日本の画家… 来住 しげ樹(きし しげき、1938年 - )は、日本の画家。西脇市岡之山美術館名誉館長・美術家・日本美術家連盟会員・湊川短期大学名誉教授。兵庫県西脇市生まれ。「来住しげ樹/子どものアトリエ」主宰。現在は、土曜日夜19時ー21時まで・大人と子供の教室として10人程度の教室を続けています。「一生の仕事」として…。息子を溺愛。 1955年頃から画家活動。1973新構造社絵画部会員のち1983年審査会員、2008年退会、現在無所属。日本美術家連盟会員。現在美術家として活動。公的コレクション多数。壁画、モニュメントなど多数。横尾忠則の作品収蔵と展示を行う「西脇市岡之山美術館」の館長を務め、2013年3月退任。
天野 守信(あまの もりのぶ、昭和13年〈1938年〉 - … 天野 守信(あまの もりのぶ、昭和13年〈1938年〉 - 平成16年〈2004年〉7月16日)は、日本の合唱指揮者。広島県廿日市町(現廿日市市)出身。崇徳高校グリークラブの創立者、初代指揮者・音楽監督を務めた。 広島県立国泰寺高校在学中に合唱をはじめ、同志社大学ではグリークラブに所属。当時同志社グリークラブ常任指揮者だった福永陽一郎に師事。多田武彦とも親交が生まれた。 卒業後、旧丸善石油に就職。この頃から母校国泰寺高校合唱部で合唱を教え始め、その後、山陽女子高校音楽部や九州産業大学グリークラブでも合唱指導を行う。昭和43年(1968年)に崇徳学園の英語教師として就職。すぐにグリークラブを創立し、その指導に当たる。
こずかた 治(こずかた おさむ、1938年 - 2025年)… こずかた 治(こずかた おさむ、1938年 - 2025年)は、日本の小説家、コピーライター、演出家。岩手県出身。岩手県立大東高等学校、法政大学法学部卒業。作家としては経済小説を主に執筆する。
高橋 文二(たかはし ぶんじ、1938年 - )は、日本の国… 高橋 文二(たかはし ぶんじ、1938年 - )は、日本の国文学者、博士。駒澤大学名誉教授。 東京都生まれ。福島県立福島高等学校、1962年に駒澤大学文学部国文学科卒業。京都大学大学院文学研究科国語国文学専攻修士課程修了。1970年、京都大学大学院博士課程満期退学。 1972年より駒澤大学文学部国文学科講師。助教授を経て、1982年教授に就任。 1986年、学位論文「王朝文学論 自然描写と情念の働きから見た王朝仮名文学の特質」で博士(文学、駒澤大学)の学位を取得。 駒澤大学図書館長、文学部長。歴史文化学会理事、日本文学協会委員、全国大学理事など歴任。2009年、定年退職し名誉教授。 「国立国会図書館」を参照
黒田 淳之助(くろだ じゅんのすけ、1938年 - )は、日… 黒田 淳之助(くろだ じゅんのすけ、1938年 - )は、日本の政治家。勲等は旭日双光章。大井川右岸土地改良区理事長。静岡県小笠郡小笠町町長、静岡県菊川市市長職務執行者を歴任した。 静岡県立掛川西高等学校を経て、東京農業大学農学部を卒業した。 1989年、静岡県小笠郡小笠町の町長に就任し、デイサービス事業の拡充など、主に福祉施策に重点をおいて活動した。 隣の菊川町との合併交渉をまとめ、発足した菊川市では市長職が決まるまでの間の市長職務執行者を務めた。しかし、菊川町対小笠町という対立を避けたいとの意向を示し、市長選挙では菊川町の町長太田順一を推し、自らは身を引いた。2005年からは、大井川右岸土地改良区理事長を務めている。
鈴木 正一郎(すずき しょういちろう 1938年 - )は、… 鈴木 正一郎(すずき しょういちろう 1938年 - )は、日本の実業家。王子製紙(現・王子ホールディングス)代表取締役社長・会長、日本経団連評議員会副議長、日本製紙連合会会長を歴任。 愛知県出身。愛知県立旭丘高等学校を経て、1961年東京工業大学理工学部機械工学科卒業、王子製紙入社。春日井工場施設部長、技術本部副本部長等を経て、1993年取締役、96年常務、99年専務、2000年副社長と進み、2001年代表取締役社長に就任。 2006年から代表取締役会長。同年篠田和久社長とともに、北越製紙株の株式公開買付けを行い、日本初の大企業同士の敵対的TOBとして注目された。2012年会長を退任し取締役。
平敷 安常(ひらしき やすつね、1938年〈昭和13年〉 -… 平敷 安常(ひらしき やすつね、1938年〈昭和13年〉 - )は、日本のノンフィクション作家。元米国ABCニュース所属の戦場カメラマン。著書『キャパになれなかったカメラマン ベトナム戦争の語り部たち』で大宅壮一ノンフィクション賞。米国ニュージャージー州在住で国籍もアメリカ。ベトナム人の夫人との間に一女一男がいる。 沖縄県出身。幼少年期を九州で過ごし、中学3年生の終わりに大阪府に転居した。大阪府立寝屋川高等学校を卒業し、大阪で初の民間放送テレビ局「大阪テレビ放送」に就職。毎日放送(MBS)に移り、ニュース番組カメラマンとして勤務。1965年(昭和40年)ベトナム戦争取材班として現地に赴いた。 任期の終了で日本に帰国となるが、現地で取材を継続することを望み、毎日放送を依願退職。
中西 元男(なかにし もとお、1938年 - )は、日本の大… 中西 元男(なかにし もとお、1938年 - )は、日本の大学教員。東方設計大学栄誉教授。 兵庫県神戸市長田区生まれ。神戸市立西代中学校、兵庫県立長田高等学校、桑沢デザイン研究所を経て、早稲田大学第一文学部美術専修を卒業。早稲田大学大学院文学研究科修士課程中退。 在学中に、総合大学にこそデザイン教育の拠点を設けるべきと「早稲田大学デザイン学部設置への試案」を発表。また、浜口隆一とわが国最初の経営戦略デザイン書「デザイン・ポリシー/企業イメージの形成」を共著。大学時代は、デザインとマーケティング、経営学などの境界領域の研究に注力する。 1968年 株式会社PAOS設立。経営者に理解されるデザイン理論の確立とデザイン手法の開発をテーマに研究と実践を重ね、現在までに約100社のCI・ブランド、事業戦略デザインなどを手掛け、多くの成功例と代表事例を世に送り出す。
大国 和江(おおくに かずえ、1938年 - )は、日本の法… 大国 和江(おおくに かずえ、1938年 - )は、日本の法律家、弁護士。和法律総合事務所代表。 1938年生まれ。広島女学院中学校・高等学校、中央大学卒業。1968年弁護士登録。広島弁護士会所属。1986年から1987年広島弁護士会副会長、1996年から1997年には広島弁護士会会長、中国地方弁護士連合会理事長を歴任。2003年から2004年には日本弁護士連合会副会長をつとめた。女性で同会副会長に選任されたのは1949年発足以来初。法務局人権擁護委員会、広島県人権擁護委員連合会会長、中国人権擁護委員連合会会長、全国人権擁護委員連合会副会長、財団法人広島市母子寡婦福祉連合会顧問など委員も歴任。ひろしま女性大学、エソールひろしま大学法律講座講師。
水谷 碩之(みずや ひろゆき、1938年- )は、日本の建築… 水谷 碩之(みずや ひろゆき、1938年- )は、日本の建築家。
青柳 陽一(あおやぎ よういち、1938年(昭和13年) -… 青柳 陽一(あおやぎ よういち、1938年(昭和13年) - )は日本の写真家。
豊島 輝彦(とよしま てるひこ、1938年 - 2014年1… 豊島 輝彦(とよしま てるひこ、1938年 - 2014年12月14日)は、日本の洋画家。北海道小樽市出身。北海道学芸大学(現北海道教育大学)特設美術課程卒業。元札幌大谷大学短期大学部教授。元北海道美術協会事務局長。日本美術家連盟会員。風景画を中心とした写実絵画で知られる。 1959年、学生時代に北海道美術協会展協会賞を受賞。大学卒業後、1962年から1969年まで母校の北海道札幌東高等学校に赴任し美術教師をつとめた。この時代、阿部典英、米谷雄平らとともに美術グループに参加し創作活動を行った。1967年には、一水会賞を受賞。その後、一水会会員として一水会会員賞を多数受賞した。1972年からヨーロッパに滞在し作品を制作、画集も出版している。
全田 浩(ぜんだ ひろし、1938年 - 2009年6月7日… 全田 浩(ぜんだ ひろし、1938年 - 2009年6月7日)は、日本の薬学者、薬剤師、薬学博士。福島県出身。1999年 - 2006年まで日本病院薬剤師会会長を勤め、薬学教育6年制の実現や病院薬剤師の配置問題に尽力し、2006年には厚生労働大臣表彰を受けた。 病院薬剤師としての評価が高いが、薬剤師として活躍する前には実は天然有機科学研究者として将来を嘱望されていた。有機化学者としても頭角を現したのは東京大学大学院時代。当時、日本の有機化学会で最もレベルの高い研究をしていた東大薬学部の薬化学教室、ここは近藤平三郎、落合英二、岡本敏彦と当代超一級の有機化学者が歴代の教授を務め、窒素を含む天然有機化合物(アルカロイド)の研究で世界的な成果を次々と発表した。
鈴木 瑞之(すずき ずいし、1938年(昭和13年) - 2… 鈴木 瑞之(すずき ずいし、1938年(昭和13年) - 2016年(平成28年)7月30日)は日本の書家。日展会員、特選2回。書道教室「瑞清会」、月刊競書誌「瑞清」主幹。 1938年(昭和13年)福島県郡山市に生まれる。福島県立郡山商業高等学校を卒業。殿村藍田に書と篆刻を学び、師事した。1983年(昭和58年)第15回日展で特選を受賞した。1989年(平成元年)第21回日展で特選を受賞した。第40回日展(平成20年)審査員を務めた。日展会員となる。 謙慎書道会常任理事(審査員)。読売書法会(漢)常任理事(審査員)
パロ 穂積(ぱろ ほづみ、本名:穂積 勝義(ほづみ かつよし… パロ 穂積(ぱろ ほづみ、本名:穂積 勝義(ほづみ かつよし)、1938年 - )は、元日本のアニメーター、アメリカのアニメーター。 日本の福島県泉崎村出身。福島県立白河高等学校卒業後、桑沢デザイン研究所に入り、絵画について学ぶ。 1960年に東映動画(現東映アニメーション)に入社。『狼少年ケン』をはじめ多くのアニメ作品の背景を描く。 独立し1974年に渡米。ハンナ・バーベラ・プロダクションなど複数のアニメ制作会社と契約し、『ザ・パックマンショー』や『小さな森の精あいあむ!スマーフ(森のスマーフ)』など多数のアニメ作品に参加。 1984年にディズニートゥーン・スタジオズと契約し、『ダックテイル(わんぱくダック夢冒険)』、『新くまのプーさん』などテレビアニメーションシリーズの背景のチーフ、美術を務める。
岩永嘉弘(いわなが よしひろ、1938年 - )は、日本のコ… 岩永嘉弘(いわなが よしひろ、1938年 - )は、日本のコピーライター。広島県呉市出身。 1938年、広島県呉市に生まれる。父は海軍大尉(終戦退役時)。 少年時代を山口県宇部市で過ごし、東京渋谷の松濤中学校、東京都立新宿高等学校を経て、早稲田大学第一政治経済学部新聞学科に入学。高校時代の同級生に作家の安土敏と朝日新聞元論説委員の早房長治、早稲田大学同学部の同級生に写真家の浅井慎平、脚本家の鎌田敏夫、作家の尾高修也、朝日新聞元論説委員の高山智がいた。大学卒業後、光文社に編集記者として務めたのち、明治製菓宣伝部でコピーライターとなる。その後、広告作家の土屋耕一に師事。一番弟子を自称している。 1971年、独立して株式会社岩永事務所(現・株式会社ロックスカンパニー)を設立。
安藤 達己(あんどう たつみ、1938年 - 2013年2月… 安藤 達己(あんどう たつみ、1938年 - 2013年2月7日)は、映画監督。本名は安藤 達久。東京都出身。 シャープなカット構成による演出が特徴である。娘に元コスミック・インベンションの安藤聖己がいる。
田中 美一(たなか よしかず、1938年 - 2012年2月… 田中 美一(たなか よしかず、1938年 - 2012年2月23日)は、神奈川県横浜市出身のアマチュア野球審判員。六大学野球、都市対抗野球大会、春夏の甲子園などの大試合で球審を任され、「ミスター球審」と呼ばれた。 小学4年生の時から野球を始め、中学、神奈川県立希望ケ丘高等学校時代は投手だった。高校時代は投手・4番で2年次と3年次に県ベスト4という活躍を見せる。 立教大学に進むも、1年から2年に上がる春のキャンプで他の選手の打球を右足首に受けて骨折。その後は伸び悩み、リーグ戦で投げることはできなかった。日本通運浦和に就職後、捕手に転向し、4年で社会人野球を辞めた後は横浜市にある実家の材木店を継いだ。
松任谷 國子(まつとうや くにこ、1938年 - 2010年… 松任谷 國子(まつとうや くにこ、1938年 - 2010年7月26日)は、日本の画家。1960年代には、タレントとしてラジオやテレビで活躍した。 頭山満の孫娘・尋子と、松任谷健太郎の娘として、東京に生まれる。 少女時代は「幼稚園の先生になりたかった」という。 1959年に森村学園を卒業した後、フジテレビのオーディションに合格して『バースデークイズ』のアシスタントとしてタレント活動を始めた。以降、司会者、俳優、インタビュアーなどとして活躍したが、当時から本業は画家としていた。 二科展では、1961年に初入選し、その後も1965年にローマ賞、1969年に金賞を受賞した。ローマ賞でイタリアへ留学した後もベルギーやアメリカ合衆国で画業を続け、またアフリカ諸国にも滞在した。
桑沢 清明(くわさわ きよあき、1938年 - 2014年6… 桑沢 清明(くわさわ きよあき、1938年 - 2014年6月27日)は、日本の生物学者。専門は、神経生物学。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1962年東京教育大学(現・筑波大学)理学部生物学科卒業。1967年同大学大学院理学研究科博士課程修了。東京都立大学理学部助手を経て、1975年同大学理学部助教授。1983年同大学理学部教授。同大学大学院理学研究科長。2001年同大学定年退官後、同大学大学院名誉教授。2003年岡山理科大学理学部教授。
高橋 靖夫(たかはし やすお、1938年 - 2021年4月… 高橋 靖夫(たかはし やすお、1938年 - 2021年4月29日)は、日本の洋画家。女子美術大学名誉教授。国画会会員。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京芸術大学美術学部油画科卒業。1962年国展初入選。女子美術大学教授。2004年定年退官後、同大学名誉教授。大学で後進の育成に尽力した。故郷の岡谷市にアトリエがあり、絵画教室を主宰した。
袖井 孝子(そでい たかこ、1938年 - )は、日本の社会… 袖井 孝子(そでい たかこ、1938年 - )は、日本の社会学者。お茶の水女子大学名誉教授。シニア社会学会会長、NPO法人高齢社会をよくする女性の会副理事長。 愛知県名古屋市出身。愛知県立旭丘高等学校、国際基督教大学卒業。同大大学院修士課程修了。東京都立大学大学院博士課程修了。大学院修了後、淑徳短期大学専任講師、東京都老人総合研究所の主任研究員を務める。1975年よりお茶の水女子大学家政学部助教授、1990年より同学部教授、1992年から同大学生活科学部教授を務め、同大名誉教授。 男女共同参画会議議員、厚生労働省「女性と年金検討会」座長等を務め、専門である家族社会学・女性学・老年学の立場から実際の社会福祉政策に対し多くの提言を行っている。
平澤 茂一(ひらさわ しげいち、1938年 - )は、日本の… 平澤 茂一(ひらさわ しげいち、1938年 - )は、日本のコンピュータ科学者。早稲田大学名誉教授。 IEEE,電子情報通信学会,情報処理学会,情報理論とその応用学会,ACM,他
徳山 一美(とくやま かずみ、1938年 - 2007年8月… 徳山 一美(とくやま かずみ、1938年 - 2007年8月16日)は、元高校野球指導者で、元倉吉北高等学校野球部監督。 岡山県真庭市蒜山生まれ。鳥取県立倉吉農業高等学校に入学し、野球部では捕手を務めた。高校卒業後に進学した駒澤大学では相撲部で活躍した。大学卒業後、東京都内の会社に就職。1965年、創立5年目の倉吉北高等学校に社会科教諭として赴任。1969年に野球部が創部され、監督に就任する。 当時の鳥取県では、県立鳥取西高校・県立米子東高校の両校が強く、「少ない得点を守り抜いて勝つ」野球が主流だった。徳山は「2強と同じことをしていては勝てない」と考え、打力を前面に押し出したチーム作りを進めた。
河内 洋輔(かわうち ようすけ、1938年(昭和13年) -… 河内 洋輔(かわうち ようすけ、1938年(昭和13年) - )は、日本の実業家であり、作家でもある。日本統治下の台湾・高雄市で生れる。戦後台湾から引き揚げて、両親の故郷である岡山県へ帰郷する。東京都荒川区にある町工場の太陽興業社長を務め、現会長となる。岡山県加賀郡吉備中央町出身。 1938年(昭和13年)台湾警察に勤めていた岡山県出身の父・河内極の長男として出生。河内一家は、台湾南部の高雄市に住んでおり、父は特高警察に勤務、他に母と生れて間もない妹のマスミがいた。 第二次世界大戦で日本が負けると、その当日(1945年8月15日)の晩から翌日にかけて日本人への襲撃や暴動が台湾各地で発生する。この時、河内は、父親の勤める台湾警察の官舎に住んでいた。
目黒 依子(めぐろ よりこ、1938年 - )は日本の社会学… 目黒 依子(めぐろ よりこ、1938年 - )は日本の社会学者。専門は家族社会学、ジェンダーの社会学、開発とジェンダー。上智大学名誉教授、ケース・ウェスタン・リザーブ大学博士。元日本家族社会学会会長。 高知県高知市出身。高知県立高知小津高等学校、ブライアクリフ・カレッジ、ウェスタン女子大学を経て、1967年東京大学大学院社会学研究科修士課程修了、1974年ケース・ウェスタン・リザーブ大学大学院社会学専攻博士課程修了、Ph.D.。 1971年4月上智大学文学部社会学科専任講師、同助教授、同教授、上智大学総合人間学部社会学科教授。2009年4月上智大学名誉教授。男女共同参画推進連携会議議員委員、原子力委員会国際関係部会委員、国連婦人の地位委員会日本代表、一般財団法人外務精励会理事なども務める。
古賀 允洋(こが よしひろ、1938年 - 2020年4月1… 古賀 允洋(こが よしひろ、1938年 - 2020年4月13日 )は、日本のドイツ語学者。熊本大学名誉教授。長崎県出身。 1938年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校、1964年東京大学文学部ドイツ文学科卒業、1966年同大学大学院人文科学研究科(現:東京大学大学院人文社会系研究科)独語独文学専門課程修士課程修了。同年4月熊本大学に着任、同大学文学部教授などを歴任し(その間ドイツ学術交流会の奨学金によりザールブリュッケン大学に留学)、2004年に退官、名誉教授。
鬼塚 英昭(おにづか ひであき、1938年〈昭和13年〉 -… 鬼塚 英昭(おにづか ひであき、1938年〈昭和13年〉 - 2016年〈平成28年〉1月25日)は、日本の著作家、竹細工職人、郷土史家。 家業の傍ら、自費出版で歴史書などの執筆を始める。菊タブーや国際金融、国際情勢分野を執筆し、タブーに切り込むことを好むノンフィクション作家として知られる。 大分県別府市生まれ。大分県立別府鶴見丘高等学校卒業。別府鶴見丘高校は地元名門校として知られ、同校出身の著名人の一人としても名前が挙がる。 卒後は、上京して中央大学法学部に入学する。働きながら大学で学んでいたが学費が払えず中退。故郷の別府にて家業の竹細工職人となる。作家デビューは遅く、2002年になってからであった。
瀬下 恵介(せした けいすけ、1938年 -2021年8月9… 瀬下 恵介(せした けいすけ、1938年 -2021年8月9日)は、日本のジャーナリスト。