林 泰義(はやし やすよし、1936年7月13日 - 202… 林 泰義(はやし やすよし、1936年7月13日 - 2023年12月8日)は、日本の都市計画家、まちづくりプランナー。東京都生まれ。千葉大学客員教授。 東京大学工学部建築学科卒業、同大学大学院数物系研究科博士課程修了。1969年、都市コンサルタントの計画技術研究所を設立。 現在では特定非営利活動法人玉川まちづくりハウスの運営委員をつとめ、1990年以降はNPO法とNPO法人の実現に参画、NPOセクターの確立に取り組む。また市民参加のワークショップにより住民の活気を引き出すまちづくりを提唱し全国に広めることに尽力する。 「NPOとまちづくりの一連の研究及び活動」により、1997年、日本都市計画学会賞(石川賞)を受賞する。
広田 正敏(ひろた まさとし、1936年7月12日 - 20… 広田 正敏(ひろた まさとし、1936年7月12日 - 2016年3月12日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 兵庫県生まれ。1959年京都大学文学部仏文科卒。1963年同大学院博士課程中退。鹿児島大学教養部助教授。1969年9月京都産業大学助教授。1982年静岡大学人文学部助教授、教授、神戸大学国際文化学部教授。2000年定年退官、名誉教授。 叙正五位、瑞宝小綬章追贈。
森 章(もり あきら、1936年(昭和11年)7月12日 -… 森 章(もり あきら、1936年(昭和11年)7月12日 - )は、日本の実業家。森トラスト会長。 東京生まれ。父は森泰吉郎、兄に経済学者の森敬と森ビル(森トラストと資本関係は無い)社長の森稔がいる。 慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部を卒業後、安田信託銀行(現:みずほ信託銀行)を経て森ビルに入社。1987年森ビル観光(森トラスト・ホテルズ&リゾーツ)を創業。1993年、森トラスト社長。2016年に娘の伊達美和子に社長を譲り、会長職に就く。 原則100メートル以上のビルは建設すべきでないとしている。一方、森トラストは丸の内トラストシティのように100メートル以上の高層ビル建設を含む都市開発を行っている。
鍋島 高明(なべしま たかはる、1936年〈昭和11年〉7月… 鍋島 高明(なべしま たかはる、1936年〈昭和11年〉7月12日 - 2021年〈令和3年〉7月18日)日本の相場師研究家。日本経済新聞社社友。 高知県出身。1959年(昭和34年)、早稲田大学政治経済学部卒業、日本経済新聞社に入社。商品部次長、編集委員、日経産業消費研究所出向。日経総合販売取締役を務めた。 1997年(平成9年)、定年後に友人5人で市場経済研究所を設立。 日本経済新聞電子版のコラム「相場師列伝」を執筆していた。 2021年(令和3年)7月18日、胃癌のため死去。85歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
阿久津 義雄(あくつ よしお、1936年7月11日 - )は… 阿久津 義雄(あくつ よしお、1936年7月11日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手(投手)。 宇都宮工業高校から1955年に中日ドラゴンズに入団。在籍4年間で2試合のみの登板に終わり、1958年に引退。
福島 郁夫(ふくしま いくお、1936年7月11日 - )は… 福島 郁夫(ふくしま いくお、1936年7月11日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 埼玉県立熊谷高等学校から1955年に東映フライヤーズへ入団。1年目は1勝しか挙げられなかったものの、2年目の1956年に35試合登板し、13勝を挙げた。1957年からは登板数が一桁に減り、勝利を挙げることができず1960年に引退した。引退後は帰郷して、地元の百貨店に勤務した。 長嶋茂雄が高校時代に唯一打った本塁打が福島からである(埼玉県営大宮公園野球場で行われた全国高等学校野球選手権の南関東大会1回戦・当時千葉県立佐倉第一高等学校(現千葉県立佐倉高等学校)対熊谷高校戦)。 選手でありながら、スコアラーも務めており、昼は練習に励み、夜になるとスコアラーの業務を務めていた。
岩國 哲人(いわくに てつんど、1936年(昭和11年)7月… 岩國 哲人(いわくに てつんど、1936年(昭和11年)7月11日 - 2023年(令和5年)10月6日)は、日本の政治家。 衆議院議員(4期)、島根県出雲市長(2期)、民主党副代表、同国際局長、衆議院懲罰委員長、自由民主党政務調査会顧問などを歴任。 大阪府大阪市生まれ。大阪市立曽根崎小学校(後の大阪市立大阪北小学校。現在廃校)1年生の時に父が他界し、母の故郷である島根県簸川郡西浜村(後の湖陵町、現出雲市)に転居。小学校、中学校の頃は野球部に入っていた。長男の岩國は母を助けて、高校3年の春まで畑仕事を手伝った。島根県立出雲高等学校を経て1959年、東京大学法学部卒業。大学時代は政治学を学んだ。 1959年、日興證券入社。
平吉 毅州(ひらよし たけくに、1936年(昭和11年)7月… 平吉 毅州(ひらよし たけくに、1936年(昭和11年)7月10日 - 1998年(平成10年)5月28日)は、日本の作曲家。 独唱曲や合唱曲など児童へ向けた作品も数多く残し、そのいくつかは教科書へ採用されるなど音楽教育へ大きく貢献した。 兵庫県神戸市出身。兵庫県立兵庫高等学校を卒業。1961年(昭和36年)、東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業し、1967年(昭和42年)には芸大大学院を修了する。 在学中は長谷川良夫、伊熊良穂に師事。大学卒業後「管弦楽のためのコンポジション」を発表、第31回日本音楽コンクールにて第1位入賞。1969年(昭和44年)には「交響変奏曲」で尾高賞を受賞。1999年には第9回日本吹奏楽アカデミー賞(作・編曲部門)を受賞している。
西大立目 永(にしおおたちめ ひさし、1936年7月10日 … 西大立目 永(にしおおたちめ ひさし、1936年7月10日 - 2002年12月16日)は、東京都武蔵野市出身のアマチュア野球選手、審判員、早稲田大学名誉教授。
笹川 ひろし(ささがわ ひろし、本名・笹川浩、1936年7月… 笹川 ひろし(ささがわ ひろし、本名・笹川浩、1936年7月9日 - )は、日本の男性アニメ監督、漫画家、作家。タツノコプロ顧問。福島県会津若松市出身。 手塚治虫のアシスタントから漫画家を経て、タツノコプロの創立時から演出家として活躍。1970年代から1980年代にかけてのタツノコ黄金時代の立役者の一人。代表作は『タイムボカンシリーズ』など。ギャグ作品を多く手がけており、マンネリを生かしたギャグの演出を得意とする。「ギャグアニメの帝王」「アニメ界の欽ちゃん」とも言われた。しかし、当人は『新造人間キャシャーン』のようなシリアスなストーリーが好みであるという。タツノコプロを退社していた80〜90年代前半にかけては『忍者ハットリくん』『パーマン』『オバケのQ太郎』『ポコニャン!』など藤子不二雄作品を多く手掛けていた。
加村 和夫(かむら かずお、1936年7月9日 - )は、日… 加村 和夫(かむら かずお、1936年7月9日 - )は、日本の経営者。神戸屋社長、会長を務めた。 広島県出身。1958年に尾道短期大学経済学科を卒業し、同年に神戸屋に入社。1971年に取締役に就任し、1978年に常務、1987年に副社長を経て、1991年3月に社長に就任し、2002年3月には会長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
金井 勝(かない かつ、本名読み:まさる、1936年7月9日… 金井 勝(かない かつ、本名読み:まさる、1936年7月9日 - 2026年4月22日)は、日本の映画監督、映像作家。神奈川県出身。 日本大学芸術学部映画学科を卒業後、大映東京撮影所を経てフリーランサーとなり、テレビドキュメンタリーの演出などをしながら「かない勝丸プロダクション」を結成して前衛作品を発表する。 受賞作は、『無人列島』がニヨン国際ドキュメンタリー映画祭:グランプリ、『夢走る』がメルボルン映画祭:最優秀短篇劇映画賞、『スーパードキュメンタリー前衛仙術』がオーバーハウゼン国際短篇映画祭:国際批評家連盟賞。 『無人列島』、『Good-bye』、『王国』の<微笑う銀河系・三部作>発表当初から、『無人列島』を中心に海外での上映も少なからずあったが、オーバーハウゼン国際短編映画祭での<回顧展>を皮切りに映画祭や学会などで<選集や全集>が組まれ、そのトークショーにドイツ、アメリカ、イギリス、ベルギー、スイス、フランスに招待されている。
佐久間 賢司(さくま けんじ、1936年(昭和11年)7月8… 佐久間 賢司(さくま けんじ、1936年(昭和11年)7月8日 - 1984年(昭和59年)7月17日)とは、栃木県芳賀郡益子町の益子焼の陶芸家である。 濱田庄司の同志として「民芸品としての益子焼」の発展普及に貢献した陶芸家・佐久間藤太郎の4男であり、藤太郎亡き後の「佐久間窯」を継ぎ3代目となり、窯元の名称を「佐久間藤太郎窯」と改称した人物である。 1936年(昭和11年)7月8日、益子焼の陶芸家である佐久間藤太郎の4男として益子町に生まれる。 藤太郎の窯元である「佐久間窯」の生まれのため、生まれた時から陶土に囲まれていた。賢司の生まれた頃の佐久間窯は、藤太郎を中心として16人もの陶工とその家族が陶器作りに働いていた。
田中史(たなか ふびと、1936年7月8日 - 2001年7… 田中史(たなか ふびと、1936年7月8日 - 2001年7月11日)は日本の大蔵官僚。 大阪府出身。京都大学法学部卒業。1960年 大蔵省に入省(大臣官房文書課)。1967年7月 豊橋税務署長。1982年6月 東京国税局総務部長。1984年9月7日 仙台国税局長。1986年6月 総務庁人事局次長。1988年6月21日 大臣官房審議官(大臣官房担当)。同年8月20日 退官。同年9月 石油公団理事。1992年6月 池田銀行顧問、同行常務取締役。1993年7月 同行専務取締役。
大塚 弘介(おおつか ひろすけ、1936年7月8日 - )と… 大塚 弘介(おおつか ひろすけ、1936年7月8日 - )とは日本の歯学者、歯学博士、教育者、東京歯科大学出身(昭和36年卒)、歯科医師。 日本政府派遣(旧厚生省)で、当時 米国施政権下の琉球政府の要請による沖縄地区第二回(昭和38年)無医村巡回診療班に従事。 大塚歯科医院開設開業(昭和48年 現住所・東京都品川区西五反田1丁目27-1 ニュー大塚ビル2001)。 日本歯科保存学会認定医(平成4年3月1日登録263号)、同指導医(平成14年7月1日登録158号)。 医療法人社団豊仁会理事長。東京歯科技工専門学校開校(昭和47年4月10日) 校長・代表者(昭和47年4月~平成22年3月)。 東京歯科大学非常勤講師 37年間(昭和47年4月~平成21年3月)。
大城 美佐子(おおしろ みさこ、1936年7月8日 - 20… 大城 美佐子(おおしろ みさこ、1936年7月8日 - 2021年1月17日)は、沖縄民謡の歌手、女優。 「沖縄民謡の重鎮」、「沖縄民謡の偉大なる唄い手」、「民謡界のベテラン」、「沖縄民謡のレジェンド」などと称された。 大阪市大正区に生まれ、沖縄県名護市辺野古で育つ 。10代半ばから料亭で働き、当時人気があった沖縄民謡の唄者、嘉手苅林昌(かでかる・りんしょう)と小浜守栄(こはま・しゅえい)の熱烈なファンになる。当時は女性が三線を弾くことが良しとされなかった時代だったが、自らの耳で唄と三線を覚える。 知名定繁(知名定男の父)に弟子入りして民謡の道に進む。1962年にシングル『片思い』でデビュー。その後、三線を抱えて東京、神奈川、大阪など長らく彷徨し、沖縄に戻ってくる。
阿部 勤(あべ つとむ、1936年7月7日 - 2023年1… 阿部 勤(あべ つとむ、1936年7月7日 - 2023年1月10日)は、日本の建築家。日本大学芸術学部非常勤講師。 1960年 早稲田大学理工学部建築学科卒業後、坂倉準三建築研究所勤務。その間にタイにて、農業工業学校25校の設計管理でタイ国中を歩き廻り東南アジアや南の島の風土がすっかり好きになる。1975年にアルテック設立。1995年から屋久島に手造りで小屋を建て始め、現在まだ完成していない。時々行って少しずつ造ることを楽しんでいる。 2004年 「私の家」第5回日本建築家協会25年賞受賞。 2008年「賀川豊彦記念松澤資料館」第8回日本建築家協会25年賞受賞。 2011年「スタンレー電気技術研究所本棟」第11回日本建築家協会25年賞受賞。
荒川 修作(あらかわ しゅうさく、1936年〈昭和11年〉7… 荒川 修作(あらかわ しゅうさく、1936年〈昭和11年〉7月6日 - 2010年〈平成22年〉5月19日)は、日本の美術家である。愛知県名古屋市出身。 1936年、名古屋市に生まれる。生家はうどん屋。愛知県立旭丘高等学校美術科卒業で元ロサンゼルス在住の現代石彫家、国島征二と同窓だった。武蔵野美術学校中退。1957年、読売アンデパンダン展に初出品し、1960年、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズの結成に参加。1961年、渡米し、滝口修造の仲介でマルセル・デュシャンに会い以後ニューヨークを拠点に活動を続けた。渡米後、マドリン・ギンズと知り合い1962年頃から共同制作を始める。1970年、ヴェネツィア・ビエンナーレで代表作となる『意味のメカニズム』を発表。
大下 龍介(おおしも りゅうすけ、1936年(昭和11年)7… 大下 龍介(おおしも りゅうすけ、1936年(昭和11年)7月5日 - )は、広島県広島市出身の実業家。福屋社長、広島経済同友会代表幹事などを務めた。
藤川 吉美(ふじかわ よしみ、男性、1936年7月5日 - … 藤川 吉美(ふじかわ よしみ、男性、1936年7月5日 - 2014年7月5日)は、日本の科学哲学者。愛媛県出身。科学哲学、ロールズの『正義論』などを専門とする。福原学園元理事。
松尾 稔(まつお みのる、1936年(昭和11年)7月4日 … 松尾 稔(まつお みのる、1936年(昭和11年)7月4日 - 2015年5月9日)は、日本の工学者。名古屋大学名誉教授、元総長。工学博士(京都大学)。専門は土質工学。京都市出身。 1960年京都大学工学部土木工学科卒業、1962年同大学院工学研究科修士課程修了、1964年京都大学講師、65年助教授。1969年「引揚力を受ける基礎と複合地盤の支持力に関する研究」で工学博士(京都大学)、1972年名古屋大学工学部助教授、1978年教授、1989年工学部長、1995年名古屋大学理工科学総合研究センター長、1998年名古屋大学総長、2004年退任、名誉教授、財団法人科学技術交流財団理事長、なごや環境大学(これは正式な大学ではない)学長、2004年6月中部電力株式会社社外監査役、2006年財団法人名古屋都市センター理事長。
上野 政夫(うえの まさお、1936年〈昭和11年〉7月4日… 上野 政夫(うえの まさお、1936年〈昭和11年〉7月4日 - 2005年〈平成17年〉12月2日)は、日本の政治家。愛知県西春日井郡西春町長(5期)、西春町議会議員(2期)、大阪府枚方市議会議員(2期)を歴任した。 愛知県西春日井郡西春町(現:北名古屋市)にて、五人兄弟の末っ子として生まれる。愛知県立名古屋西高等学校1年の時、肺結核と診断され、「会社勤めは無理。弁護士や医師、政治家しかないと思った」という。アルバイトをしながら勉強し、三度目の挑戦で名古屋大学法学部に合格。 卒業後、工作機械メーカーに就職したのち、1971年(昭和46年)から大阪府枚方市議会議員を2期務めた。その後、実家の母が独居となり帰郷。
小山 健一(こやま けんいち、1936年(昭和11年)7月4… 小山 健一(こやま けんいち、1936年(昭和11年)7月4日 - 2017年(平成29年)2月24日)は、日本の政治家、地方公務員。北海道北見市出身。1959年(昭和34年) 北海道大学農学部卒。北海道北見市長(1995年 - 1999年)。 1959年(昭和34年)北見市役所に入り、総務部総務課に配属。1985年(昭和60年)同市衛生部長。1987年(昭和62年)同市農務部長、1991年(平成3年)同市都市住宅部長に就任。北見市役所を退職し、1995年(平成7年)北見市長選挙に出馬し現職市長の久島正を破って初当選するも1999年(平成11年)に新人の神田孝次に敗れ落選した。2000年北海学園北見大学商学部客員教授(地方自治論、農業政策)。
戸田 奈津子(とだ なつこ、1936年7月3日 - )は、日… 戸田 奈津子(とだ なつこ、1936年7月3日 - )は、日本の映画字幕翻訳家、通訳者、映画翻訳家協会元会長。神田外語大学客員教授・神田外語学院アカデミックアドバイザー。 福岡県戸畑市(現:北九州市戸畑区)に生まれる。戸田が1歳のときに銀行員であった父が日中戦争下の上海で戦死し、母の実家のある東京・世田谷に転居した。このため、出身地は東京都としている。第二次世界大戦中で娯楽の無かった子供時代を過ごしたため、終戦の翌年から解禁された外国映画を見て衝撃を受ける。中学生の後半からは一人で映画を見にいくようになり、高校生の頃から名画座などに通い詰める。 母が東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大学)卒業後、高校教諭をしていた関係でお茶の水女子大学附属幼稚園に入園。
つのだ じろう(本名:角田 次朗〈読み同じ〉、1936年〈昭… つのだ じろう(本名:角田 次朗〈読み同じ〉、1936年〈昭和11年〉7月3日 - )は、日本の漫画家・心霊研究家。東京府東京市下谷区豊住町(現:東京都台東区下谷1丁目)出身。血液型O型。八人兄弟の次男であり、次弟のつのだたかしはリュート奏者、末弟のつのだ☆ひろはミュージシャン。漫画原作者・ゲームクリエイターのビトウゴウは息子である。 当時の下谷区豊住町で床屋を営む家に生まれ育つ。小学2年生のころ空襲を避けるため一家で福島県に疎開、戦争が終わった中学2年生の時に東京に戻る。新宿区立淀橋中学校(現:新宿区立西新宿中学校)、東京都立青山高等学校卒業。 高校在学中に自宅近くのグラウンドで草野球を観戦していたところ、一方のチームの監督が漫画家の島田啓三であることに気づく。
黛 哲郎(まゆずみ てつろう、1936年7月2日 - 199… 黛 哲郎(まゆずみ てつろう、1936年7月2日 - 1993年7月21日)は、日本の文学・音楽・映画・演劇評論家、元朝日新聞東京本社学芸部編集委員。 神奈川県横浜市出身。東京都立豊多摩高等学校、早稲田大学文学部卒業後、朝日新聞社入社。学芸部に所属し、文学・音楽・映画・演劇に関する評論を執筆した。その後は学芸部編集委員を務めた。 没後、朝日新聞などに掲載された評論を集成した『学芸記者〈哲〉コレクション文学と音楽のあいだ』が河出書房新社より刊行された。 安部公房をはじめ、安岡章太郎、丸谷才一、武満徹、大江健三郎、山崎正和などの作家・作曲家との親交があった。 作曲家の黛敏郎は兄であり、NHKエンタープライズ所属のドラマ番組ディレクターの黛りんたろうは甥である。
濱本 英輔(はまもと えいすけ、1936年7月2日 - )は… 濱本 英輔(はまもと えいすけ、1936年7月2日 - )は、日本の経営者。国税庁長官、北海道東北開発公庫総裁、ロッテ副社長を務めた。 兵庫県出身。1961年に東京大学法学部を卒業し、同年に大蔵省に入省した(為替局総務課)。近畿財務局長、大臣官房審議官などを歴任し、1989年6月23日に大臣官房総務審議官に就任。1991年6月11日に主税局長に就任。1993年6月25日に国税庁長官に就任。 1994年に退官し、日本損害保険協会副会長に就任。その後、1997年7月には北海道東北開発公庫(北東公庫)総裁に就任した。1999年10月に北東公庫と日本開発銀行が統合し、日本政策投資銀行が誕生した結果、同行副総裁となった。
浅越 桂一(あさごえ けいいち、1936年7月2日 - 20… 浅越 桂一(あさごえ けいいち、1936年7月2日 - 2011年8月6日)は、岡山県都窪郡妹尾町(現・岡山市南区)出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。 関西高等学校では1954年夏の甲子園予選東中国大会決勝に進むが、米子東高のエース義原武敏に抑えられ、延長10回0-1xでサヨナラ負け、甲子園出場を逸する。高校の1年上に吉岡史郎がいた。 1955年に大阪タイガースに入団。小柄ながら体格がよく期待された。背番号を3に変更した1958年には、開幕からレギュラー二塁手として起用される。シーズン後半は辰市邦輔に定位置を譲るが48試合に先発出場を果たした。翌年も70試合に出場するが、鎌田実が台頭し1960年には出場機会が激減。
藤田弘志(ふじた ひろし、1936年7月1日 - )は日本の… 藤田弘志(ふじた ひろし、1936年7月1日 - )は日本の大蔵官僚。血液型はA型。 京都府福知山市出身(父母も京都府出身)。京都府立福知山高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1960年 大蔵省入省(主計局総務課)。1966年7月 大阪国税局富田林税務署長。その後は経済企画庁総合計画局、証券局で勤務し、主計局の主計官補佐(主査)としては1〜2年目には司法、警察予算、3年目には防衛予算の係に着いた。関税局総務課長の後、1985年7月1日に富山県副知事となり、1987年7月1日 理財局次長(国有担当)。1988年6月15日 理財局次長(国有担当)を兼ねたうえで関東財務局長に就任。1989年6月23日 退官。
中野 道雄(なかの みちお、1936年7月 - )は、日本の… 中野 道雄(なかの みちお、1936年7月 - )は、日本の英語学者、神戸市外国語大学名誉教授。 1960年、神戸市外国語大学英語科卒。1970年、同大学院修士課程修了。同大学助手、講師、助教授を経て、教授。2001年、「動作と行動の意味論」で神戸市外国語大学文学博士。2002年、定年退官、名誉教授、就実大学教授。2003年、退職。日英語比較論が専門。2015年春の叙勲で瑞宝中綬章受章。
岩倉 壽(いわくら ひさし、1936年6月30日 - 201… 岩倉 壽(いわくら ひさし、1936年6月30日 - 2018年10月11日)は、日本画家。元日本藝術院会員。元日展常務理事。京都市立芸術大学名誉教授。 香川県三豊郡山本町(現 三豊市山本町)出身。香川県立観音寺第一高等学校、京都市立美術大学(現 京都市立芸術大学)日本画科卒業。同大学専攻科修了。 風景や花鳥などの題材を淡い色彩で描く。京都市立美術大学在学中に日展への初入選を果たす。1959年(昭和34年)同大学卒業後、晨鳥社に入り、山口華楊に師事。日展を中心に活躍する一方、大学に残り、後進の指導に当たってきた。1961年(昭和36年)同大学専攻科修了。1962年(昭和37年)同大学教授に就任。
冬柴 鐵三(ふゆしば てつぞう、1936年〈昭和11年〉6月… 冬柴 鐵三(ふゆしば てつぞう、1936年〈昭和11年〉6月29日 - 2011年〈平成23年〉12月5日)は、日本の弁護士、政治家。
牧口 雄二 (まきぐち ゆうじ、1936年6月29日 - 2… 牧口 雄二 (まきぐち ゆうじ、1936年6月29日 - 2021年12月5日) は、日本のテレビ・映画監督、プロデューサー。東京都板橋区出身。 東京都立九段高等学校を経て慶應義塾大学文学部を卒業後、1960年(昭和35年)に東映株式会社に入社。以来、京都に在住し、東映京都で山下耕作・中島貞夫作品の助監督を経る。 1975年(昭和50年)に東映ポルノ『玉割り人ゆき』で監督デビュー。『玉割り人ゆき』を当時の東映社長・岡田茂から、叙情とエログロの合わせ、その技を高く評価され、以降『五月みどりのかまきり夫人の告白』などの監督作品を発表した。 1977年の鰐淵晴子主演の話題作『らしゃめん』を最後に劇場映画を離れ、テレビドラマ「暴れん坊将軍」シリーズ、「柳生一族の陰謀」「影の軍団」シリーズ、「長七郎江戸日記」などのプロデューサー・監督業を中心に活動。
滝沢 荘一(たきざわ しょういち、1936年6月29日 - … 滝沢 荘一(たきざわ しょういち、1936年6月29日 - )は、日本のジャーナリスト、国際政治学者。専攻は国際政治論・米国現代政治。 東京生まれ。滝沢修の長男。1960年東京大学教養学部教養学科アメリカ分科卒業。東京大学新聞研究所(現社会情報研究所)修了。毎日新聞に入り、外信部副部長、読者室委員兼編集委員、熊本大学法学部教授、1998年富山国際大学教授。2007年退職。 2004年『名優・滝沢修と激動昭和』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。九条の会会員。
及川 甲子男(おいかわ きねお、1936年6月29日 - 2… 及川 甲子男(おいかわ きねお、1936年6月29日 - 2012年6月9日 )は、日本のアナウンサー。元NHKアナウンサー。1970年代の初頭、当時まだ日本国内で知る人が少なかったオーストラリアについて紹介した『メルボルン・ノート』の著者としても知られる。 千葉県香取市(旧佐原市)生まれ。野球と真空管ラジオ製作に夢中で、お祭りが大好きな子供だった。高校時代には、当時英語の教師であった猿谷要(東京女子大名誉教授・アメリカ史)と出会い、生涯交流を続けた。 1959年3月早稲田大学政治経済学部卒、早稲田大学大学院商学研究科中退の後、1959年7月にNHK(日本放送協会)に入局し、以後、鳥取(1959年11月〜62年8月)、福岡(1962年8月〜66年2月)、東京(1966年2月〜71年2月)において、報道、ドキュメンタリー、科学の番組に出演した。
川田 幸夫(かわだ ゆきお、1936年6月27日 - 201… 川田 幸夫(かわだ ゆきお、1936年6月27日 - 2011年5月28日)は、栃木県出身のプロ野球選手。 足利工業高から1955年にトンボユニオンズへ入団。 1956年に退団し、1959年から社会人野球の全足利クラブへ入団。現役引退後も同チームで監督を1968年から1973年まで務めた。 その後も栃木県野球連盟理事長、足利野球協会会長を長年務めた。 2011年5月28日、病気のため74歳で死去。
横尾 忠則(よこお ただのり、1936年6月27日 - )は… 横尾 忠則(よこお ただのり、1936年6月27日 - )は、日本の美術家、グラフィックデザイナー、版画家、作家。 実弟の成瀬政博は画家・イラストレーター。長女の横尾美美も美術家。日本芸術院会員。 兵庫県西脇市出身。20歳までを西脇で過ごす。幼少期に西脇でさまざまな超常現象を経験。死の世界に憧れを抱く。 神戸新聞社にてグラフィックデザイナーとして活動後、独立。三島由紀夫に出会い三島の「聖俗一体」的言動に触発される。1970年の三島の死をきっかけにその後の15年間をオカルティズムや神秘主義まで包括した精神世界に傾斜してゆくが、それらが大いなる錯覚だったと気づき「私」の探求の延長線上で絵画に出会う。
津久井 督六(つくい すけろく、1936年6月26日 - 2… 津久井 督六(つくい すけろく、1936年6月26日 - 2024年6月28日)は、日本の実業家。ツクイの代表取締役会長や社会福祉法人ひまわり福祉会理事長を勤めた。 山梨県竜王町出身。山梨県立甲府工業高等学校卒業。1955年に大同建設入社。1969年、津久井土木(現・ツクイ)設立。家族が患った認知症をきっかけに、1973年に福祉事業部を設立。訪問入浴サービスを開始した。2002年土木業から撤退する。 2012年に代表取締役社長を退任して代表取締役会長に就任し、2015年にツクイの代表取締役会長を退任した。 2024年6月28日、88歳で死去。
深尾 道典(ふかお どうてん、1936年6月26日 - 20… 深尾 道典(ふかお どうてん、1936年6月26日 - 2023年9月22日)は、日本の映画監督、脚本家。本名:ふかお みちのり。滋賀県神崎郡五個荘町(現東近江市)出身。 六人兄弟の三男として五個荘町(現東近江市)に生まれる。両親とも小学校教師。家は貧しかった。滋賀県立八日市高校野球部でサードを守り、二年の夏、京滋代表として第35回夏の甲子園に出場した。レギュラーとして甲子園の土を踏んだ映画監督は深尾ただ一人とされる。早稲田大学第一文学部文学科美術専攻に進学し、20世紀美術史を専攻。実家からの仕送りを米だけで、学費と生活費を東ハトの工場のアルバイトで凌ぐ。学生運動にも活発に参加、警職法反対闘争や60年安保闘争では機動隊に何度も殴打された。
横川 新(よこかわ あらた、1936年6月25日 - 200… 横川 新(よこかわ あらた、1936年6月25日 - 2009年1月4日)は、日本の法学者。専門は国際法。第12代成城大学学長。学位は法学博士。成城大学名誉教授。法務省難民審査参与員等も務めた。 福岡県久留米市生まれ。東京都立西高等学校を経て、1962年一橋大学法学部を卒業。1965年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、1968年同博士課程単位習得退学。指導教官は大平善梧。1985年、『国際投資法序説』により、一橋大学法学博士の学位を取得。審査員は皆川洸、細谷千博、秌場準一。 1968年成城大学法学部助手。同助教授、ロンドン大学留学を経て、1977年、成城大学法学部教授に昇格。法学部長を経て、1999年から南博方の後任として第12代成城大学学長を務めた。
浦上 浩(うらかみ ひろし、1936年6月24日 - )は、… 浦上 浩(うらかみ ひろし、1936年6月24日 - )は、日本の経営者。リョービ相談役。同社社長、会長を務めた。 広島県出身。東京で生まれ育ち、小学2年生だった1944年に父の郷里である広島県芦品郡岩谷村(現在の府中市目崎町)へ家族で移り住む。1955年広島県立府中高等学校を卒業、1959年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、広島市にある大学の工学部の工業経営学科で学び、1960年1月、に菱備製作所(のちのリョービ)に入社した。1969年に取締役に就任し、1972年に父で創業者の浦上豊社長が急逝したことから二代目社長に就任。1980年から仕事の都合により再び東京に住む。1998年11月に藍綬褒章を受章。
福田 耕治(ふくだ こうじ、1936年6月24日 - )は、… 福田 耕治(ふくだ こうじ、1936年6月24日 - )は、日本の経営者。千代田火災海上保険社長を務めた。 鹿児島県出身。1959年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に千代田火災海上保険に入社。1985年に取締役に就任し、1987年6月に常務、1987年6月に専務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1997年6月には社長に昇格。2001年4月にはあいおい損害保険会長に就任。
野々村 勅夫(ののむら ただお、1936年〈昭和11年〉6月… 野々村 勅夫(ののむら ただお、1936年〈昭和11年〉6月23日 - )は、日本の経営者。清水銀行頭取を務めた。 静岡県清水市出身。1960年に小樽商科大学を卒業し、同年に清水銀行に入行した。1985年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務、1989年6月に専務を経て、1993年6月には頭取に就任。1995年2月には取締役相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岸部 陞(きしべ すすむ、1936年(昭和11年)6月23日… 岸部 陞(きしべ すすむ、1936年(昭和11年)6月23日 - 2025年5月15日)は、日本の政治家、医師。元秋田県北秋田市長(1期)。 弘前大学大学院医学研究科博士課程修了後、北秋中央病院勤務。院長を務めた。2003年の鷹巣町長選挙に出馬、高福祉・合併反対を掲げる3期目の現職岩川徹を破り、初当選。 2005年3月22日、鷹巣町は、北秋田郡の森吉町・合川町・阿仁町の3町と合併し北秋田市となり廃止された。これに伴い行われた北秋田市長選挙で旧鷹巣町議との一騎討ちを制し、初代市長に当選した。 2012年(平成24年)11月22日、医師退職による無医村問題に揺れる上小阿仁村に赴き、上小阿仁村国保診療所所長に就任、診療を開始した。
待田 京介(まちだ きょうすけ、1936年6月22日 - )… 待田 京介(まちだ きょうすけ、1936年6月22日 - )は、日本の俳優、空手指導家。千葉県館山市出身。 都立大泉高校卒業後、さまざまな職業に就くが俳優を志し、「俳優座養成所」「東宝芸能」を経て1958年(昭和33年)に日活へ入社する。1956年の映画『ドラムと恋と夢』では脚本を担当した。同年、井上梅次監督により『素晴らしき男性』で石原裕次郎の弟役にキャスティングされてデビュー。続いて小杉勇監督の『船方さんよ』の主役に起用された。小林旭、川地民夫らと共に売り出され、多くの作品に主演する。1959年(昭和34年)『らぶれたあ』に主演した。1961年に日活を退社してフリーランスへ。 テレビドラマでは、1961年(昭和36年)7月17日より3年間にわたって放送された『月曜日の男』(月曜日夜9時半から10時まで、TBS系列で放送)に主演しブレイク。
宅見 勝(たくみ まさる、1936年〈昭和11年〉6月22日… 宅見 勝(たくみ まさる、1936年〈昭和11年〉6月22日 - 1997年〈平成9年〉8月28日)は、20世紀に活動した日本のヤクザ。指定暴力団・五代目山口組若頭であり、山口組有力団体・宅見組の創設者。神戸出身。 バブル期を通して金融や不動産などのフロント企業を通じ蓄財した2,000億円とも言われる豊富な資金を背景に、渡辺芳則を首領に据えた五代目山口組の発足(1989年)に立役者として関与。以後、山口組のナンバー2にあたる若頭として構成員3万6千名を擁する山口組の事実上の仕切り役として活動し、山口組を近代的な組織に創り上げる他、“山口組の金庫番”とも呼ばれた。また政治家の安倍晋太郎とは親友であった。
小町谷 照彦(こまちや てるひこ、1936年6月22日 - … 小町谷 照彦(こまちや てるひこ、1936年6月22日 - 2014年10月31日)は、日本の国文学者。東京学芸大学名誉教授。中古文学、特に和歌を専攻。叙従四位、瑞宝中綬章受章。 長野県駒ヶ根市生まれ。東京大学文学部国文学科卒業、同大学院博士課程単位取得退学。東京都立高等学校教諭を経て、成城大学短期大学助教授、東京学芸大学教授、2000年定年退官。東京経済大学教授。2014年、胃癌で死去。叙従四位、瑞宝中綬章受章。 妻・新子(1936-)は、瀧井孝作の娘で版画家、著書に『一生の春 父・瀧井孝作』(蝸牛社 1990)などがある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小山勉(おやま つとむ、1936年6月20日-2006年12… 小山勉(おやま つとむ、1936年6月20日-2006年12月29日)は、日本の政治学者。法学博士、九州大学名誉教授。特にトクヴィルを中軸とするフランス政治思想を専門とした。 鹿児島県熊毛郡南種子町生まれ・出身(種子島生まれ)。1967年3月早稲田大学第一政治経済学部卒業。同年4月早稲田大学大学院政治学研究科修士課程へ進学し、堀豊彦教授に師事。1970年3月に修了し、政治学修士号取得。同年4月東京都立大学大学院社会科学研究科(政治学専攻)博士課程へ進学し、半澤孝麿教授の下でフランス政治思想研究に従事。研究対象をそれまでのディドロからトクヴィルに変える。1973年3月博士課程満期。1973年4月新潟大学人文学部講師に就職。
楠本 捷一朗(くすもと しょういちろう、1936年6月20日… 楠本 捷一朗(くすもと しょういちろう、1936年6月20日 - 2011年5月1日)は、日本の経済学者。専門は数理経済学、ミクロ経済学、厚生経済学。筑波大学名誉教授。経済学博士(ロチェスター大学)。 京都府生まれ。1965年横浜国立大学経済学部経済学科卒業。1969年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。指導教官荒憲治郎。1973年ロチェスター大学大学院博士課程修了、経済学博士(Ph.D(Economics))。 1974年千葉大学人文学部助教授。1979年筑波大学社会工学系助教授。1989年同教授。1993年同社会工学類長。1995年同大学院社会工学研究科長。1996年からは同博士課程長として、斯波恒正とともに、社会工学研究科博士課程計量ファイナンス・マネジメント専攻の開設にあたった。
木村 汎(きむら ひろし、1936年6月19日 - 2019… 木村 汎(きむら ひろし、1936年6月19日 - 2019年11月14日)は、日本の政治学者。拓殖大学海外事情研究所客員教授。北海道大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。専門はロシア政治、日露関係。 朝鮮・京城(現ソウル)生まれ。父は民法学者で京都大学名誉教授の木村常信。推理小説家の山村美紗は実姉、女優の山村紅葉は姪。 1960年京都大学法学部卒業、1962年同大学院政治学修士課程修了(指導教員は猪木正道)、同博士後期課程進学。1968年Ph.D.(アメリカ・コロンビア大学、政治学)。 1970年北海道大学法学部助教授、1977年教授、1978年同大学スラブ研究センター(現・北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター)教授、1991年北海道大学退官、名誉教授、国際日本文化研究センター教授、2002年同退官、名誉教授、拓殖大学海外事情研究所教授(のち客員教授)。