伊藤 勲(いとう いさお、1917年1月20日 - 2012… 伊藤 勲(いとう いさお、1917年1月20日 - 2012年11月15日)は、日本の政治学者、上智大学名誉教授。 山形県山形市生まれ。1938年中央大学専門部法律科卒、1939年内閣情報局勤務、1941年中央大学法学部卒、中央気象台勤務、1949年運輸省へ出向。1957年上智大学法学部助教授、1963年教授、1966年「明治政党史の研究」で中大法学博士。1983年上智大学を定年、名誉教授、松阪大学教授。
渡辺 弥栄司(わたなべ やえじ、1917年(大正6年)1月2… 渡辺 弥栄司(わたなべ やえじ、1917年(大正6年)1月20日 - 2011年(平成23年)は、通商産業省官僚、弁護士。退官後、日中経済協会、国際ビジネスコミュニケーション協会(IIBC)、ビューティフルエージング協会(BAA)の設立のほか、通産省に関係する多くの公益法人の理事などを務めたが、財団私物化疑惑が2009年に週刊誌に報じられ、92歳で理事長などの重職から退いた。 新潟県北蒲原郡中条町(現・胎内市)で10人兄弟姉妹の5番目として生まれる(実家は新潟県関川村の豪農・渡辺家の一族)。新発田の中学を卒業後、姫路高等学校 (旧制)へ進学。1939年に東京帝国大学法学部法律学科卒業後、商工省(現・経済産業省)入省。
田中 志津(たなか しづ、1917年〈大正6年〉1月20日 … 田中 志津(たなか しづ、1917年〈大正6年〉1月20日 - 2024年〈令和6年〉11月3日)は、日本の女性作家。日本文藝家協会会員。本名は田中 シヅ。 次男の田中佑季明も同じく作家である。 新潟県北魚沼郡小千谷町に生まれる。1966年(昭和41年)に随筆日記「雑草の息吹」が「今日の佳き日は」としてNHKで放送される。長女の佐知がFM放送で2001年(平成13年)に『佐渡金山を彩った人々』を全編朗読し、2003年(平成15年)には『冬吠え』を全編朗読した。 2005年(平成17年)、佐渡金山に「田中志津文学碑」(佐渡金山顕彰碑)が建立され、2010年(平成22年)には新潟県小千谷市船岡公園に「田中志津生誕之碑」が建立された。
稲村 佐近四郎(いなむら さこんしろう、1917年1月20日… 稲村 佐近四郎(いなむら さこんしろう、1917年1月20日 - 1990年7月29日)は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員(8期)。 石川県羽咋市大町出身。安田商工専門学校卒業。建設会社社長を経て、1963年の第30回衆議院議員総選挙に旧石川2区から立候補し初当選。連続当選8回(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・田中六助・伊東正義・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮・三原朝雄など)。自民党内では中間派の大野伴睦→村上勇→水田三喜男派に所属したが消滅後は中曽根康弘派に合流。1977年福田改造内閣の総理府総務長官兼沖縄開発庁長官として初入閣。1983年第2次中曽根内閣で国土庁長官兼北海道開発庁長官として再度入閣を果たす。
深田 金之助(ふかだ きんのすけ、1917年1月19日 - … 深田 金之助(ふかだ きんのすけ、1917年1月19日 - 1986年11月27日)は、日本の映画監督、映画製作者、元撮影技師である。 1917年(大正6年)1月19日、島根県八束郡揖屋村(現在の松江市東出雲町揖屋)に生まれる。松江商工学校(現在の学校法人島根学園)を卒業後、松江高等簿記学校(現在の松江西高等学校)に進学したが、中途退学した。 1935年(昭和10年)、日活に入社し、日活京都撮影所撮影部で撮影助手になる。1941年(昭和16年)、技師に昇進、同年5月11日に公開された『天兵童子 第一話 幼き英雄』(監督組田彰造)で撮影技師としてデビューするとともに、『天兵童子』4部作すべてを手がける。
田中 次郎 (たなか じろう、1917年〈大正6年〉1月19… 田中 次郎 (たなか じろう、1917年〈大正6年〉1月19日 - 2017年〈平成29年〉9月28日[要出典])は、日本の航空機・自動車技術者。 立川飛行機入社後、陸軍に入隊し、陸軍機の各種エンジン評価を担当。1944年(昭和19年)から、軍籍のまま元の勤務先の立川飛行機にて、試作遠距離偵察爆撃機キ74の与圧室装備等の設計仕上げを担当。戦後、米軍にキ74とキ77を引き渡すための修理・整備を行う。 その後、立川飛行機から分離した東京電気自動車(後のたま電気自動車→たま自動車→プリンス自動車工業)にて電気自動車、そしてガソリン自動車の開発に従事する。 日産自動車と合併後、同社役員を経て、日産ディーゼル工業副社長を歴任し、1986年(昭和61年)、同社を顧問で退社。
神山 恵三(かみやま けいぞう、1917年〈大正6年〉1月1… 神山 恵三(かみやま けいぞう、1917年〈大正6年〉1月18日 - 1988年〈昭和63年〉12月22日)は、日本の生気象学者。東京農工大学教授、共立女子大学教授を歴任。医学博士。日本環境学会会長。 1917年(大正6年)、群馬県桐生市に生まれる。旧制桐生中学校を経て、1949年(昭和24年)気象大学校を卒業。 1949年(昭和24年)から気象研究所に勤務し、1950年(昭和25年)研究室長となった。1951年(昭和26年)東京医科歯科大学講師を兼務。1959年(昭和34年)「寒冷刺戟によるプレチスモグラムの変動について」で東京医科歯科大学医学博士。1976年(昭和51年)東京農工大学農学部教授となり、1980年(昭和55年)まで勤務。
河合 良一(かわい りょういち、1917年1月18日 - 2… 河合 良一(かわい りょういち、1917年1月18日 - 2008年11月3日)は、日本の経営者。小松製作所社長を務めた。 東京都で実業家河合良成の長男として生まれた。1939年に東京帝国大学経済学部を卒業。同年、短期現役海軍主計科士官(3期)を志願。同年10月、海軍経理学校に入学し海軍主計中尉に任官。1940年3月に経理学校を卒業。東京監督官事務所に配属。1944年11月、海軍主計少佐に進み、軍需省航空兵器総局勤務で終戦を迎えた。 日産自動車、商工省、農林省、通商産業省での勤務を経て、1954年に小松製作所に入社。1955年に取締役に就任し、1958年に常務、1960年に専務、1963年に副社長を経て、1964年に社長に就任。
天草 四郎(あまくさ しろう、1917年1月18日 - 19… 天草 四郎(あまくさ しろう、1917年1月18日 - 1986年7月25日)は、日本の俳優。熊本県熊本市出身。 芸名は同郷の天草四郎からとった。舞台俳優の天草浪子は従姉妹。義父(妻の父)は新国劇の俳優だった根岸若之助。 横浜戸部商業学校中退後。満州に渡り、ハルピン放送局のラジオドラマに出演。従姉妹の天草浪子から影響を受けたことから、1938年に新劇俳優に転向し、満州劇団ハルピンに入団。1939年(昭和14年)満映作品『私のうぐいす』で映画俳優としてデビュー。1944年に応召を受け、慰問活動に参加。1945年に復員し、日本に帰国。1946年に京都府にて劇団銀星座を立ち上げる。1948年、函館NHK放送劇団入団。
三浦 光子(みうら みつこ、1917年1月17日 - 196… 三浦 光子(みうら みつこ、1917年1月17日 - 1969年6月14日)は、日本の女優であり、生前は戦後の国際結婚の「第1号」と称されて注目を集めたこともあった。 東京市牛込出身。牛込区の余丁町小学校を卒業後に三崎英語学校を経て、大妻高等女学校(現・大妻中学校・高等学校)に進学した[要出典]。 1935年(昭和10年)日劇に入団、日劇ダンシングチームでの活躍が松竹の目に留まりスカウトされる。1938年(昭和13年)松竹大船撮影所に入社する。桑野通子・高杉早苗・高峰三枝子らが主演した音楽映画『蛍の光』(1938年)が第1回出演作品となり、デビューを果たした。以後松竹大船の映画作品に出演し、スター女優の一人に成長する。
武市 恭信(たけいち やすのぶ、1917年(大正6年)1月1… 武市 恭信(たけいち やすのぶ、1917年(大正6年)1月17日 - 2005年(平成17年)7月28日)は、日本の政治家。貞光町長(3期)、衆議院議員(1期)、徳島県知事(4期)を歴任した。 1917年1月17日、徳島県美馬郡貞光町(現在の同郡つるぎ町)に生まれる。旧制池田中学校、姫路高等学校を経て、京都帝国大学法学部卒業。 1947年より貞光町長を三期務めた後、1963年に衆議院議員に当選、1965年には徳島県知事に当選した。1965年10月9日から1981年10月4日の16年間、徳島県知事を務めた。1981年9月27日の第10回徳島県知事選挙には現職として立候補したが新人に敗れて徳島県知事を退任した。
中村 亦夫(なかむら またお、1917年〈大正6年〉1月16… 中村 亦夫(なかむら またお、1917年〈大正6年〉1月16日 - 1994年〈平成6年〉11月24日)は、日本の工業化学者、高分子化学者。工学博士(東京大学・1964年)。東京大学名誉教授。 新潟県新潟市(現 新潟市中央区)の新潟医学専門学校精神病学教室初代教授・中村隆治の三男として出生。 1934年(昭和9年)3月に新潟中学校を卒業、1939年(昭和14年)3月に新潟高等学校を卒業、1941年(昭和16年)12月に東京帝国大学工学部応用化学科を卒業。 1942年(昭和17年)1月に東京帝国大学工学部講師に就任、太平洋戦争で陸軍に入隊、最終階級は陸軍大尉、戦後、東京帝国大学第二工学部応用化学科主任教授・友田冝孝の指導下で研究。
中村 民雄(なかむら たみお、1917年1月16日 - 20… 中村 民雄(なかむら たみお、1917年1月16日 - 2003年5月20日)は、熊本県熊本市出身のプロ野球選手。
国塚 一乗(くにづか かずのり、1917年1月16日 - 没… 国塚 一乗(くにづか かずのり、1917年1月16日 - 没年不明)は、日本の軍人、事業家。 太平洋戦争において通訳将校として活躍。杉田一次に評価され、その部下でインド国民軍の編成やインド独立に影響を与えた藤原岩市の通訳として従事。以後モーハン・シンやスバス・チャンドラ・ボースからの信任を得る。 山口高等商業学校卒。戦前は神戸の貿易会社に勤務。1939年1月、広島第二電信連隊入営。半年後に陸軍通信学校に入学。英語で修養日記を書くことが注目され、第5師団司令部付を命じられ参謀付将校へ昇進する。 太平洋戦争開戦時の1941年12月8日早朝、タイ最南端のシンゴラに上陸。日泰軍事協定直前の上陸であり、激しい抵抗に遭遇する。
野津 克巳(のづ かつみ、1917年〈大正6年〉1月16日 … 野津 克巳(のづ かつみ、1917年〈大正6年〉1月16日 - 2002年〈平成14年〉9月13日)は、日本の実業家。野津総業代表取締役会長、カバヤ食品会長、オハヨー乳業社長、会長を務めた。長男は野津喬(日本カバヤ・オハヨーホールディングス会長)、孫は池田基煕(喬の長男、旧岡山藩主池田家第16代当主池田隆政の妻で昭和天皇第4皇女池田厚子の養子、日本カバヤ・オハヨーホールディングスCEO)。 岡山県総社市真壁出身。1941年、ハルビン学院出身、満鉄に入社し、奉天鉄道局総務部での勤務を経て、1946年に林原に入社。 1948年12月にカバヤ食品に転じた。常務、専務を経て、1979年に会長に就任した。
牧野 潔(まきの きよし、1917年1月15日 - 没年不明… 牧野 潔(まきの きよし、1917年1月15日 - 没年不明)は、愛知県出身の元プロ野球選手。 旧名古屋第二商業学校(現名古屋市立西陵高等学校)卒業後、名古屋軍(現中日ドラゴンズ)に所属した。 1936年4月29日にプロ野球初めてリーグ戦の試合、名古屋軍対大東京軍が甲子園球場で行われ、その試合にて、先発を務めた投手である。しかし、1安打1四球1犠打で1点を失い、1死も取れないまま降板した(試合は8対5で名古屋軍が勝利している。牧野の後を投げたハーバート・ノースが勝利投手になっている。)およそ1年間の所属後、審判や社会人野球の監督などを務めた。また親戚に元近鉄バファローズの伊藤栄祐(現北海道日本ハムファイターズ打撃投手)と明治安田生命の鈴木亮がいる。
山田 耕三郎(やまだ こうざぶろう、1917年(大正6年)1… 山田 耕三郎(やまだ こうざぶろう、1917年(大正6年)1月15日 ‐ 2012年(平成24年)9月22日)は、日本の政治家。滋賀県下阪本村長、大津市議会議員、滋賀県議会議員を歴任。第20代大津市長(2期)となり、革新派の市長として福祉事業などを推進、「福祉の山耕」と呼ばれた。その後参議院議員を2期務め、一の会や連合参議院に加わった。大津市名誉市民。 1934年、滋賀県立膳所中学校(現・滋賀県立膳所高等学校)を卒業、1935年4月に島津製作所に入社。 1949年4月に下坂本村長となり、村長として大津市との合併に反対したが、在任中の1950年に合併した。1951年4月から1959年4月まで大津市議会議員を務め、在日米軍の大津キャンプ返還運動を主導した。
小田野 柏(おだの かしわ、1917年1月14日 - 201… 小田野 柏(おだの かしわ、1917年1月14日 - 2013年9月)は、岩手県二戸郡一戸町出身のプロ野球選手(外野手)。1938年から1942年まで投手も兼任した。 岩手県二戸郡一戸町の生まれ。小学校時代に少年野球の全国大会に出場し、その活躍が認められて福岡中学に進学。 福岡中学時代に第17回全国中等学校優勝野球大会に出場した。その後、青森営林局、仙台鉄道局を経て、1938年に阪急軍へ投手として入団。同年に応召され、1942年にプロに復帰し外野手へ転向。青森営林局時代に、東京ジャイアンツの沢村栄治と対戦した(三球三振)。肩を壊す前の全盛期の沢村と対戦した貴重な証人である。ちなみに川上哲治がプロ入りして最初に対戦した投手が小田野柏である(結果はライトフライ)。
上林 繁次郎(かんばやし しげじろう、1917年〈大正6年〉… 上林 繁次郎(かんばやし しげじろう、1917年〈大正6年〉1月13日 - 2002年〈平成14年〉2月8日)は、日本のプロ野球選手、政治家。 日大三中から明治大学へ進学。卒業後に満洲電電へ進み、1947年に中部日本ドラゴンズへ入団。 1949年に東急フライヤーズへ移籍。この年は93試合に出場し、翌年も73試合に出場した。東急時代にバッテリーを組んでいた白木義一郎(池田大作の妻・香峯子の従兄弟)に折伏されて創価学会に入信。 1952年に毎日オリオンズへ移籍し、1953年に現役引退。1954年から2年間、高橋ユニオンズでコーチを務めた。 1955年のシーズン中に創価学会を支持母体として船橋市市議会議員選挙に立候補して当選。
秋山 ちえ子(あきやま ちえこ、1917年1月12日 - 2… 秋山 ちえ子(あきやま ちえこ、1917年1月12日 - 2016年4月6日)は、日本のラジオパーソナリティ、エッセイスト、時事評論家。本名、橘川ちゑ(きっかわ ちえ)。 宮城県仙台市出身。1935年に東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大学)を卒業後、聾唖学校の教師となる。この時、取材に訪れた川端康成と知り合い、北条誠を川端に紹介する。結婚後、中華民国に4年滞在。1948年(昭和23年)から1956年(昭和31年)まで、NHKラジオ番組『私の見たこと、聞いたこと』のレポーターを担当し、主婦の視点から見た日本の現状をわかりやすく説明した。1954年(昭和29年)にラジオ番組「私の見たこと聞いたこと」で第2回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞(書籍ではなく、ラジオ番組に対しての授与)。
津島 道子(つしま みちこ、1917年〈大正6年〉1月11日… 津島 道子(つしま みちこ、1917年〈大正6年〉1月11日 - 生死不明)は、日本の女優、声優である。本名は河原 道子(旧姓:津島)。旧芸名は草加 マキ(くさか まき)。 1917年(大正6年)1月11日、岡山県岡山市に生まれる。 大阪府立市岡高等女学校(現在の大阪府立港高等学校)を卒業後、女優を志し、1935年(昭和10年)9月に組織された大阪協同劇団の研究生となる。芸名を「草加 マキ」と名乗り、翌1936年(昭和11年)6月に北陽演舞場で初舞台を踏む。同劇団には、他に海老江寛、瀬良明、谷晃、木下ゆず子らが所属していた。1940年(昭和15年)、大阪協同劇団は強制的に解散を余儀なくされ、津島は1942年(昭和17年)にNHK大阪放送劇団に加入する。
日高 六郎(ひだか ろくろう、1917年〈大正6年〉1月11… 日高 六郎(ひだか ろくろう、1917年〈大正6年〉1月11日 - 2018年〈平成30年〉6月7日)は、日本の社会学者。戦後の進歩的文化人の一人。英文学者日高八郎の兄。 1917年に中国の青島市に生まれる。東京高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学文学部社会学科に進学し、1941年、卒業論文「個人と社会」をまとめ、卒業。尾高邦雄の教え子。 陸軍に召集されるが肺炎のため4か月で除隊。その後、東京帝国大学文学部助手になり、1944年の秋から海軍技術研究所の嘱託として政治情勢の調査研究に携わった。 戦後は東京大学新聞研究所助教授になり文学部社会学科の兼任を経て、1960年に新聞研究所教授となる。ベトナム戦争に反対し脱走米兵を援助する運動に参加して自宅で脱走兵を匿った。
加藤 清政(かとう きよまさ、1917年(大正6年)1月10… 加藤 清政(かとう きよまさ、1917年(大正6年)1月10日 - 1995年(平成7年)12月7日)は、日本の政治家。千代田区長(2期)、衆議院議員(1期)、東京都議会議員(4期)、千代田区議会議員(3期)。 本籍地の長野県上水内郡安茂里村(現長野市)で出生、生後間もなく東京市で育つ。父の加藤六之助は警視庁小松川警察署亀戸分署署長。旧制安田工業学校を経て、1940年法政大学法文学部卒業。東京市に入庁し城東区役所や神田区役所に勤め、第二次世界大戦終戦後、千代田区役所主事を経て、東京都庁職員労働組合(都職労)青年部長を務める。1947年から千代田区議会議員を3期務めた後、東京都議会議員に転じて4期務める。
森山 欽司(もりやま きんじ、1917年1月10日 - 19… 森山 欽司(もりやま きんじ、1917年1月10日 - 1987年5月2日)は、日本の政治家、外務官僚。科学技術庁長官・運輸大臣。元法務大臣の森山眞弓は妻。没後に正三位を追賜。愛称はモリキン。保守合同で自由民主党が誕生してからは三木派に所属し、後身の河本派では代表世話人を務める。2度の衆議院社会労働委員長、同建設委員長、第2次池田内閣で郵政政務次官等を経て、1973年 第2次田中角榮内閣第1次改造内閣で科学技術庁長官、1978年第1次大平内閣で運輸大臣として入閣した。長年、自民党の労働問題調査会の事務局長、会長を務め、政府、3公社5現業、公社公団、特殊法人の労働問題にかかわった。1987年4月29日勲一等旭日大綬章受章。
北田 正典(きただ まさのり、大正6年(1917年)1月10… 北田 正典(きただ まさのり、大正6年(1917年)1月10日 - 平成22年(2010年)8月28日 )は、日本の実業家。石油通信社社長。外交官北田正元は叔父。 代言人北田正董の子・正寅の長男。昭和9年(1934年)東京府立一中卒業。早稲田大学専門部修了、昭和16年(1941年)早稲田大学法科、昭和26年(1951年)明治大学政治科各卒業。日本精工会社などに勤め、昭和34年(1959年)米国に於ける世界石油会議に出席。米英独仏伊、スイス、ギリシャ、エジプト、レバノン、クウェート、印度、パキスタン、タイ等欧米中東の石油事情を視察す。 宗教は神道。東京都港区在籍。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
柏原 ヤス(かしわばら やす、1917年〈大正6年〉1月10… 柏原 ヤス(かしわばら やす、1917年〈大正6年〉1月10日 - 2006年〈平成18年〉11月10日)は、日本の政治家。 参議院議員(4期)、公明党副書記長、公明党婦人局長などを歴任した。 1956年7月8日、第4回参議院議員通常選挙に東京地方区から創価学会系無所属で立候補するも、落選する。 1959年6月2日、第5回参議院議員通常選挙に東京地方区から立候補し、初当選を果たす。第7回参議院議員通常選挙より全国区に移り、以降、参議院議員として通算4期を連続で務めることとなる。 公明政治連盟への所属を経て、1964年11月17日、公明党の結党に参加。公明党副書記長に就任する。 1967年、公明党委員長の竹入義勝の下で公明党婦人局長に就任し、以降16年に渡って在任する。
東 龍子(東 竜子、あずま りゅうこ、1917年1月10日 … 東 龍子(東 竜子、あずま りゅうこ、1917年1月10日 - 2004年頃)は、日本の女優である。本名は出生名は今出 りう子(いまで りゅうこ)、俳優の阿部九洲男と結婚して伊東 りう子(いとう りゅうこ)となる。 1917年(大正6年)1月10日(水曜日)、 東京府南葛飾郡吾嬬町に今出 りう子として生まれる。 1931年(昭和6年)、満14歳のときに東京・巣鴨の河合映画製作社に入社する。同年、『夜明け』に出演し、映画界にデビューした。最初の主演作は、1933年(昭和8年)の『マラソン令嬢』 であった。同年、河合と配給提携を行っている市川百々之助プロダクションが製作した市川百々之助主演映画に3作出演、『開化異聞 落花の曲』では百々之助の相手役を務めた。
大塚 武(おおつか たけし、1917年(大正6年)1月9日 … 大塚 武(おおつか たけし、1917年(大正6年)1月9日 - 1983年(昭和58年)8月30日頃)は、日本の銀行家。北洋相互銀行取締役社長、日本銀行事務管理部長、北海道経営者協会会長などを歴任した。 静岡県静岡市出身。静岡県立静岡中学校を経て、1941年東京商科大学(現・一橋大学)を卒業。卒業と同年に日本銀行に入行する。学生時代は年間百日以上も山登りに費やしたが、高橋泰蔵ゼミナールでは抜群の成績で、入行後も、2度ぐらい大学に戻らぬかといわれた逸材であった。 1953年に通商産業省に出向する。日銀に戻って外国為替局次長、新潟支店長を歴任後、1964年から札幌支店長を務め、大学同窓の森鼻武芳(のちに北海道銀行頭取)とゴルフや囲碁を嗜み、交遊を持つようになる。
岡本 彰祐(おかもと しょうすけ、1917年(大正6年)1月… 岡本 彰祐(おかもと しょうすけ、1917年(大正6年)1月9日 - 2004年(平成16年)11月1日)は日本の医学者。止血剤:ε-アミノカプロン酸とトラネキサム酸、抗血栓薬:アルガトロバンの開発者として知られている。 東京生まれ。22歳で結核のために亡くなった長兄の「病気を治す薬の研究」の願いもあり、麻布中学卒業後、慶應義塾大学医学部へ進学。医学の真理を究めることが第一で、応用は邪道と考える当時の風潮の中、学問の真理の探究を通じて治療法を研究すべく、自由なテーマで研究のできる生理学教室を選ぶ。 1941年(昭和16年)6月、慶應義塾大学医学部を卒業、10月より生理学教室助手として、加藤元一、林髞の指導の下、神経・筋生理学の研究に従事。
長瀬 恒雄(ながせ つねお、1917年1月9日 - 2006… 長瀬 恒雄(ながせ つねお、1917年1月9日 - 2006年6月29日 )は、日本の経営者。 岐阜県高山市出身。1941年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に鉄道省に入省した。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進し終戦を迎えた。 国鉄で常務理事などを歴任し、1970年5月に日本交通公社(現在のJTB)常務に就任し、専務を経て、1976年6月に社長に就任。1982年6月に会長に就任し、1990年6月から相談役を務めた。 2006年6月29日、死去。89歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
田村 三郎(たむら さぶろう、1917年〈大正6年〉1月8日… 田村 三郎(たむら さぶろう、1917年〈大正6年〉1月8日 - 2015年〈平成27年〉12月4日)は、日本の農芸化学者(生物有機化学)。位階は従三位。勲等は文化勲章。学位は農学博士(東京大学・1954年)。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。 満州国大陸科学院での勤務を経て、東京帝国大学農学部副手、東京大学農学部教授、富山県立技術短期大学学長、東京農業大学教授などを歴任した。 1917年(大正6年)、群馬県吾妻郡沢田村(現・中之条町)四万温泉で旅館業を営む田村茂三郎の三男として生まれる。1929年(昭和4年)上京し、旧制武蔵高等学校を卒業。1939年(昭和14年)東京帝国大学農学部農芸化学科を卒業。
吉光 久(よしみつ ひさし、1917年1月8日 - 1996… 吉光 久(よしみつ ひさし、1917年1月8日 - 1996年10月24日)は、日本の経営者。日本合成ゴム(現在のJSR)社長を務めた。広島県出身。 1941年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、高文行政科にも合格し、1942年に商工省に入省。1966年に通商産業省化学工学長、1968年に重工業局長、1969年に中小企業庁長官を経て、1971年に日本開発銀行理事に就任。1974年11月に日本合成ゴム専務に就任し、1975年5月に副社長を経て、1982年6月に社長に就任。1987年6月には相談役に就任。 1988年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1996年10月24日呼吸不全のために死去。79歳没。
吉川 泰雄(よしかわ やすお、1917年〈大正6年〉1月7日… 吉川 泰雄(よしかわ やすお、1917年〈大正6年〉1月7日 - 2000年〈平成12年〉1月31日)は、日本の言語学者、国語学者、歌人。國學院大學名誉学長。 東京生まれ。1940年(昭和15年)に國學院大學文学部国文学科を卒業し、同国史学科へ編入学、翌年1941年(昭和16年)に退学して東京帝国大学史料編纂掛雇(のち史料編纂所雇)、1952年(昭和27年)に同事務官、1953年(昭和28年)から國學院大學文学部専任講師、1958年(昭和33年)に同助教授、1963年(昭和38年)に同教授となり、1973年(昭和48年)からは文学部長、1975年(昭和50年)の佐藤謙三学長の死去にともなって学長代理、ついで学長をつとめ、1987年(昭和62年)まで在任、退任後に名誉教授・名誉学長となる。
山田 六一(やまだ ろくいち、1917年1月7日 - 201… 山田 六一(やまだ ろくいち、1917年1月7日 - 2013年1月16日)は、日本の実業家。三協精機製作所(現・ニデックインスツルメンツ)創業者であり、代表取締役社長を務めた。 長野県諏訪郡長地村(現・岡谷市)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、山梨高等工業学校(現・山梨大学)機械工学科卒業。北澤工業(現・東洋バルヴ)入社。1946年に兄の山田正彦と戦時中に第二精工舎諏訪工場(現・セイコーエプソン)から北澤工業に出向した小川憲二郎の3人で、三協精機製作所(現・ニデックインスツルメンツ)を創業。同社代表取締役社長、会長、名誉会長を歴任し、のちに長野県スケート連盟の副会長を務めた。
辜 振甫(こ しんぽ、1917年1月6日 - 2005年1月… 辜 振甫(こ しんぽ、1917年1月6日 - 2005年1月3日)は、中華民国(台湾)の財界人。台湾工商協進会(中国語版)理事長、台湾証券取引所初代理事長、海峡交流基金会初代理事長などを歴任した。字は公亮。祖籍は福建省恵安県。台湾の五大家族といわれる名家出身。 日本統治時代の台湾で一代で財閥を築き上げた辜顕栄の五男として生まれる。1941年(昭和16年)、台北帝国大学法学部卒業後、東京帝国大学でビジネス管理などを学ぶ。日本降伏時に日本軍の中宮悟郎や牧沢義夫らと台湾独立を画策、台湾総督の安藤利吉に協力を持ちかけたが拒否され、1946年に逮捕、国土不法占拠共謀罪で2年2か月の禁固刑を受ける。 その後台湾に戻り、中国国民党政権による土地改革などに協力、土地の供出の見返りとして得た台湾セメントなどの事業で、父の辜顕栄から引き継いだ事業を発展させた。
菅井 栄一郎(榮一郎、すがい えいいちろう、1917年〈大正… 菅井 栄一郎(榮一郎、すがい えいいちろう、1917年〈大正6年〉1月6日 - 1989年〈平成元年〉8月1日)は、日本の地方公務員、経営者。神奈川県教育長。東京都出身。位階は正五位。 1950年に東京大学法学部政治学科を卒業。神奈川県で農政部長、教育長などを経て、1971年にテレビ神奈川副社長に就任し、同年12月から1982年6月までに社長を務めた。 1977年から1983年までに神奈川県公安委員を務め、1979年には鎌倉女学院理事長、同中学校・高校校長に就任。 1987年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1989年8月1日心不全のために横浜市の自宅で死去。72歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
家村 相太郎(いえむら そうたろう、1917年1月5日 - … 家村 相太郎(いえむら そうたろう、1917年1月5日 - 2005年)は、朝鮮京南生まれ、埼玉県川越市出身のプロ野球選手。 小学3年生の時に野球を始め、川越中学校では2年次に一塁手、3年次にはエースピッチャーとなり北関東大会決勝まで進んだが甲子園には出場できなかった。 1936年に東京セネタースへ入団。 1940年に退団し、翌年から社会人野球の全京城でプレーする。 1946年にセネタースへ復帰し、同年引退した。 引退後は天理高校、母校の川越高校、天理大学で野球部コーチと監督、習志野高校でコーチを務めた。
城丸 章夫(しろまる ふみお、1917年1月5日 - 201… 城丸 章夫(しろまる ふみお、1917年1月5日 - 2010年5月26日)は、日本の教育学者、千葉大学名誉教授。専攻は生活指導、教育経営学、体育理論。 石川県出身。1941年東京帝国大学文学部教育学科卒。千葉大学助教授、1969年同大学教授。1980年定年退官、名誉教授、前橋育英学園短期大学教授。平和主義の運動家でもあった。著作集全10巻がある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
清美川 梅之(きよみがわ うめゆき、1917年1月5日 - … 清美川 梅之(きよみがわ うめゆき、1917年1月5日 - 1980年10月13日)は、秋田県平鹿郡十文字町(現在の横手市)出身で伊勢ヶ濱部屋所属の元大相撲力士、旧全日本プロレス所属の元プロレスラー。大相撲時代は、身長182cm、体重94kg。得意手は、左四つ、上手投げ、外掛け。最高位は、東前頭筆頭。 本名:佐藤 梅之助(さとう うめのすけ)。大相撲廃業後に入婿の形で結婚し、大橋 梅之助(おおはし うめのすけ)が本名となったが後に離婚、佐藤姓に戻している。 同郷の幡瀬川を頼って伊勢ヶ濱部屋に入門し、1934年1月場所で初土俵を踏む。当初の四股名は薩摩川。早くから有望視されるとともに順調に出世し、四股名を清美川と改名。
河原田 穣(かわらだ じょう、1917年1月3日 - 198… 河原田 穣(かわらだ じょう、1917年1月3日 - 1985年10月27日)は、日本の政治家。福島市長(2期)。 秋田県角館町(現仙北市)出身。1937年に福島高等商業学校を卒業し、横浜正金銀行に入る。1947年、福島県農地部開墾調査課勤務となり、翌年、福島県信用保証協会に入る。1956年福島市役所に入り、商工課長に就任する。その後、企画商工、厚生、総務の各部長を経て、助役に就任する。1979年から福島市長を2期務める。市長在職中の1985年10月27日死去。
宇治田 省三(うじた しょうぞう、1917年(大正6年)1月… 宇治田 省三(うじた しょうぞう、1917年(大正6年)1月3日 - 1989年(平成元年)6月11日)は、日本の政治家。和歌山市長。長男は県議会議員で2006年(平成18年)の市長選に立候補して落選した宇治田栄蔵。旧制和歌山県立海草中学校、立命館大学卒業。市長としての長年の功績により、1986年(昭和61年)に和歌山市名誉市民として選ばれ、2003年(平成15年)には偉人顕彰が行われている。空手の師範免許を持っており、「カラテ市長」としても有名であった。 和歌山県海草郡湊村(現在の和歌山市)で宇治田増蔵の次男として生まれる。和歌山県立海草中学校(現:和歌山県立向陽高等学校)を経て立命館大学法文学部経済学科を卒業後、1946年(昭和21年)から拳武館空手道場を経営する。
霧立 のぼる(きりたち のぼる、本名:島田キミ、1917年(… 霧立 のぼる(きりたち のぼる、本名:島田キミ、1917年(大正6年)1月3日 - 1972年(昭和47年)3月22日)は元宝塚少女歌劇団娘役で日本の女優。東京都出身。愛称はしまちゃん(本名に由来する。)。
金沢 誠(かなざわ まこと、1917年1月3日 - 1991… 金沢 誠(かなざわ まこと、1917年1月3日 - 1991年12月31日)は、日本の西洋史学者。学習院大学名誉教授。専攻は近代フランス史。 東京出身。1939年東京帝国大学卒、回教圏研究所入所。戦後、評論などを執筆、雑誌『スタイル』編集長。1951年、学習院大学教授。1987年定年退任、名誉教授。
森田 俊夫(もりた としお、1917年1月3日 - 201… 森田 俊夫(もりた としお、1917年1月3日 - 2010年1月9日)は、日本の経営者。光洋精工(現在のジェイテクト)社長を務めた。 東京都出身。1941年に日本大学工学部機械工学科を卒業し、同年4月にトヨタ自動車工業に入社。1968年7月に取締役に就任し、1975年7月に常務、1978年9月に専務、1981年7月に副社長、1982年9月に相談役を経て、1983年6月には光洋精工社長に就任。1987年6月に会長を経て、1989年6月には相談役に就任。 1983年4月に藍綬褒章を受章し、1988年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2010年1月9日心不全により、死去。93歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
田村 圓澄(たむら えんちょう、1917年1月2日 - 20… 田村 圓澄(たむら えんちょう、1917年1月2日 - 2013年7月10日)は、日本史学者、仏教史学者、九州大学名誉教授。
泉美之松(いずみ みのまつ、1917年1月2日 - 1990… 泉美之松(いずみ みのまつ、1917年1月2日 - 1990年5月15日)は、日本の大蔵官僚。大臣官房財務調査官(主税局担当)、東京国税局長、国税庁次長、主税局長、国税庁長官、日本銀行理事、日本専売公社副総裁、同総裁などを歴任。旧姓は石井。 岡山県鴨方町(現:浅口市)出身。旧制金光中学(現:金光学園高校)、第六高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学法学部法律学科卒業。東京帝大法学部在学中に高等試験行政科と司法科に合格。1939年4月 大蔵省入省。大臣官房財政経済調査課属。1940年8月 宇都宮税務署長。1943年10月 在中華民国大使館三等書記官。1946年3月 北税務署長。1953年9月1日 大臣官房秘書課長。
山根常男(やまね つねお、1917年1月2日-2007年9月… 山根常男(やまね つねお、1917年1月2日-2007年9月24日)は、社会学者。 高知県生まれ。名古屋で育つ。姉は詩人の水野八重子。第一高等学校卒、1940年東京帝国大学文学部社会学科卒、中華民国北京国立新民学院講師。応召し、ニューブリテン島で敗戦を迎える。名古屋市立女子専門学校(のち名古屋市立女子短期大学)教員、1949年岐阜大学講師、1951年南山大学助教授、1959年大阪市立大学助教授、教授、1977年定年退官、名誉教授、駒澤大学教授、91年定年退任。 南山大学時代に名古屋大学の村松常雄のもとでフロイト精神分析を学び、ミシガン大学に学んでイスラエルのキブツを調査した。家族社会学。
池 真理子(いけ まりこ、1917年1月2日 - 2000年… 池 真理子(いけ まりこ、1917年1月2日 - 2000年5月30日)は、ジャズ・ラテン・フォルクローレの歌手。京都府生まれ。宝塚音楽学校卒業。愛称は「アイク」。なお、サインや後年のテレビ出演のテロップでは池眞理子となっている。宝塚歌劇団24期生。宝塚歌劇団在団時の芸名は三日月美夜子である。 1917年(大正6年)1月2日、京都の万寿寺生まれだが、実家は僧ではなく、父親はその婿養子で京都帝国大学の学生だった。生後6か月で父が結核で亡くなり、母は女学校教員となったため、祖父母の手で養育された。 平安女学院に入学したが、友達の家出に付き合ったことから祖父の怒りを買い、京都高等女学校に転校させられる。
若原 雅夫(わかはら まさお、1917年1月1日 - )は、… 若原 雅夫(わかはら まさお、1917年1月1日 - )は、日本の俳優。 1940年代から1950年代前半にかけて、数多くの映画作品に出演し、そのルックスから「和製シャルル・ボワイエ」と称された。 出身地は東京市牛込区。1917年(大正6年)1月1日生まれ。児玉家の姉の次に長男として生まれ、父の「生命長く、男として立派なものになるように」との願いから「稔」と命名される。家業は映画館経営。東京、北海道小樽市、福島県郡山市などで経営。そのため、幼児の時から映画に興味を覚え、父が経営する映画館で、映画を観ることに親しんだ。小樽には4歳まで生活し、そのあと福島県郡山市を経て、7歳の時、学校へ入るため再び上京し、以後、学生時代を東京の学校で過ごした。
藤尾 正行(ふじお まさゆき、1917年〈大正6年〉1月1日… 藤尾 正行(ふじお まさゆき、1917年〈大正6年〉1月1日 - 2006年〈平成18年〉10月22日)は、日本の政治家。位階勲等は正三位勲一等。 衆議院議員(11期)、文部大臣(第109代)、労働大臣(第43代)、自由民主党政務調査会長(第31代)を歴任した。 東京生まれ。関東大震災で家が焼失したことから、移住先の神戸で少年時代を過ごす。教員への暴力事件で旧制神戸第一中学校を放校処分になった後、明治大学予科に進むが、ここでも教員への暴力により中退。応召し、2年間の兵役に従事して病気除隊後、上智大学文学部新聞学科卒業。 読売新聞社記者を経て、河野一郎に見出され1963年の第30回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧栃木2区から出馬し、初当選した(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・中川一郎・三原朝雄・西岡武夫らがいる)。