木塚 忠助(きづか ただすけ、1924年4月23日 - 19… 木塚 忠助(きづか ただすけ、1924年4月23日 - 1987年12月16日)は、佐賀県唐津市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。 昭和20年代を代表する遊撃手。1948年に南海に入団すると、長らく不動の一番・遊撃手を務め、ベストナイン遊撃手を7回獲得した。強肩・俊足でバカ肩、イダ天とも称された。通算盗塁数479個は歴代4位(引退当時はプロ野球最多記録)。 唐津中学(現・佐賀県立唐津東高校)出身。野球を始めたのは3年からと遅かったが、5年次には佐賀県大会で1試合16奪三振を記録する好投手となり、職業野球からも誘いを受けた。しかし警察官の父親の勧めで、鉄道省門司鉄道局に進む。 門鉄では三塁手を務め、俊足・強肩・強打の三拍子揃った活躍を見せた。
川上 宗薫(かわかみ そうくん、1924年4月23日 - 1… 川上 宗薫(かわかみ そうくん、1924年4月23日 - 1985年10月13日)は、日本の小説家。本名はむねしげと読み、筆名もむねしげと読ませていた時期がある。愛媛県生まれ。 日本基督教団メソジスト派の牧師、川上平三の子として愛媛県東宇和郡宇和町卯之町(現在の西予市)に生まれる。大分県と長崎県で小学校時代を送り、1937年、鎮西学院中等部(現・鎮西学院高等学校)に首席入学。第七高等学校や長崎高等商業学校の入試に失敗し、1943年、西南学院高等学部商科に入学。1944年秋、長崎県大村の陸軍連隊に入隊。しかし肋膜炎を意図的に悪化させ、敗戦までの約1年間を入院患者として過ごす。 1945年8月9日、母と2人の妹を長崎原爆で喪う。
山田 清市(やまだ せいいち、1924年4月23日 - 20… 山田 清市(やまだ せいいち、1924年4月23日 - 2000年12月1日)は、日本の国文学者。 福井県勝山生まれ。1954年早稲田大学大学院文学研究科博士課程中退。1956年亜細亜大学・日本経済短期大学専任講師、57年助教授、63年教授、75-81年日本経済短期大学長。82年「伊勢物語の成立と伝本の研究 伊勢物語校本と研究 伊勢物語成立論補説」で早大文学博士。83年亜細亜大図書館長。95年定年退任、名誉教授。
谷田 比呂美(たにだ ひろみ、1924年4月22日 - )は… 谷田 比呂美(たにだ ひろみ、1924年4月22日 - )は、昭和中期(1940年代後半~1950年代)に活躍したプロ野球選手。
上山 直武(うえやま なおたけ、旧姓・島崎、1924年〈大正… 上山 直武(うえやま なおたけ、旧姓・島崎、1924年〈大正13年〉4月22日 - 1997年〈平成9年〉9月4日)は、日本の実業家。元大日本除虫菊会長。元大日本除虫菊会長十六代上山勘太郎(前名英夫)の養子。大日本除虫菊社長上山直英の実父。妻は元大日本除虫菊会長上山英介の姉。 高知県人で、澁澤倉庫専務・島崎直幹の三男。祖父の島崎直敬は高知県安芸郡田野村の初代村長をつとめた。和歌山県有田郡保田村山田原(現・有田市)出身、上山勘太郎の養子となる。 1948年、京都大学経済学部卒業。大日本除虫菊に入社する。常務にあげられ、尼崎企業社長を兼ねた。1996年、大日本除虫菊会長に就任した。住所は大阪府豊中市岡町北3丁目。
村井 範子(むらいのりこ、旧姓長田、1924年4月22日 -… 村井 範子(むらいのりこ、旧姓長田、1924年4月22日 - 2020年12月17日 )は、日本の音楽学者。フェリス女学院大学名誉教授。 元広島文理科大学学長で教育学者、長田新の長女。夫は教育学者、慶應義塾大学名誉教授の村井実。次男は情報工学者、慶應義塾大学名誉教授の村井純。 広島県広島市生まれ。広島高等師範学校附属小学校、広島県立第一高等女学校(現:広島県立広島皆実高等学校)を経て、津田塾専門学校英文科(現:津田塾大学)1945年9月卒業、1950年 東京藝術大学音楽学部楽理科入学、1954年同大学楽理科第2回卒その後専攻科修了。1956年東京藝術大学音楽学部副手就任、1956年東京藝術大学音楽学部講師(音楽史担当)、1958年~1960年米ハーヴァード大学音楽学部大学院にて音楽史研究(ロックフェラー財団奨学金による)、東海大学短期大学部教授、フェリス女学院大学音楽学部教授(音楽学部4年制創設)(音楽学特殊講義、教会音楽研究、器楽特殊講義、日本音楽文化) 1993年 同大学名誉教授。
興津 要(おきつ かなめ、1924年〈大正13年〉4月21日… 興津 要(おきつ かなめ、1924年〈大正13年〉4月21日 - 1999年〈平成11年〉10月20日)は、日本の近世文学研究家・落語研究家。早稲田大学名誉教授。専門は近世後期の滑稽本と明治期の落語、戯作、ジャーナリズム。位階は正五位。 栃木県足利市生まれ。栃木県立足利高等学校を経て、1949年早稲田大学文学部国文学科卒業。当時の同級生に立原正秋がいた。1951年まで大学院に在籍、教育学部助手。1956年同専任講師、1959年助教授、1968年早稲田大学教育学部国語国文学科教授、1995年定年退任、名誉教授。1999年死去。死没日付をもって正五位に叙された。 1972年から1974年にかけて講談社文庫として刊行した『古典落語』シリーズ全6巻は200万部を超すロングセラーとなり、現在は一部が講談社学術文庫で刊行されている。
宇野 晃司(、1924年〈大正13年〉4月21日 - 200… 宇野 晃司(、1924年〈大正13年〉4月21日 - 2003年〈平成15年〉7月28日)は、日本の俳優、ダンス講師である。本名は鵜野 満雄(うの みつお)。福岡県出身。 1924年(大正13年)4月21日、福岡県大牟田市に生まれる。 福岡県立三池中学校(現在の福岡県立三池高等学校)を経て、1944年(昭和19年)に日本映画学校を卒業。同年、東宝演技課へ映画学校より派遣入社する。そして戦後、1948年(昭和23年)に公開された黒澤明監督映画『醉いどれ天使』でやくざ役として映画デビューし、以後も東宝を中心に数多くの作品に出演した。また、ウルトラシリーズ第1作目『ウルトラQ』(TBSテレビ、1966年)では、杉本カメラマン役として準レギュラー出演していた。
市川 信愛(いちかわ のぶちか、1924年4月21日 ‐ 2… 市川 信愛(いちかわ のぶちか、1924年4月21日 ‐ 2002年4月2日)は日本の商学者(華僑論)。元九州国際大学教授。元宮崎大学教授。文学博士。長崎県出身。 1944年東亜同文書院大学入学。その後、九州大学法文学部を卒業し、GHQ経済科局農水産省総合研究所、長崎県経済研究所、長崎大学商業短期大学、宮崎大学教育学部教授を経て1989年九州国際大学国際商学部教授に就任。 華僑社会経済、金門華僑関係の研究活動が顕著である。2000年8月には中華民国福建省の金門島に調査に入り現地でシンポジウムも開催した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
雨海 博洋(あまがい ひろよし、1924年〈大正13年〉4月… 雨海 博洋(あまがい ひろよし、1924年〈大正13年〉4月21日 - 2023年〈令和5年〉6月10日)は、日本の国文学者。二松学舎大学名誉教授。 1924年、茨城県に生まれる。二松学舎専門学校を経て、1951年(昭和26年)早稲田大学文学部国文学科を卒業する。 卒業後は東京都立大森高等学校、東京都立富士高等学校教諭を経て、1969年より二松学舎大学文学部助教授となり、1973年より教授。1988年、二松学舎理事、1989年(平成元年)文学部長。1993~1997年には学長を務める。長年、代々木ゼミナールの古文講師として親しまれた。 2023年6月10日に死去。99歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
長塚 隆二(ながつか りゅうじ、1924年4月20日 - 2… 長塚 隆二(ながつか りゅうじ、1924年4月20日 - 2020年7月8日)は、日本のフランス文学者。 愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。読売新聞記者をへて日本大学教授。フランス・リヨン大学客員教授。フランス政府より芸術文化勲章一等章。1973年セネガルのサンゴール賞を受賞。1985年芸術文化勲章コマンドゥール受賞。Académie des siences d’outre「フランス海外学士院」会員。 ジョルジュ・サンドのほか、ナポレオン評伝などを執筆、翻訳も多い。 2020年7月8日、死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中川 正男(なかがわ まさお、1924年 <大正13年> 4… 中川 正男(なかがわ まさお、1924年 <大正13年> 4月20日 - 1999年 <平成11年> 3月14日)は、日本の経営者。北海道文化放送社長、会長を務めた。位階は従五位。 北海道出身。1948年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に北海道新聞社に入社。1981年に取締役、1985年に常務、1987年に専務を経て、1988年6月から1992年6月までに北海道文化放送社長を務めた。 1999年3月14日に心不全のために死去。74歳没。死没日付をもって従五位に叙され、勲四等旭日小綬章を追贈された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宇野 亨(うの とおる、1924年(大正13年)4月19日 … 宇野 亨(うの とおる、1924年(大正13年)4月19日 - 1995年(平成7年)11月11日)は、昭和期の政治家、実業家。衆議院議員(2期)、千葉県議会議員(3期)などを務めた。旧姓・佐藤。 千葉県匝瑳郡共興村(八日市場町、八日市場市を経て現匝瑳市)で佐藤久衛、つぎ の四男として生まれた。共興小学校、匝瑳中学校(現千葉県立匝瑳高等学校)を経て、1942年(昭和17年)早稲田大学文学部に入学。1944年(昭和19年)前橋陸軍予備士官学校に入校し、見習士官となり陸軍少尉で終戦を迎えた。その後、復学して1947年(昭和22年)早稲田大学文学部を卒業した。大学在学中に、親類筋、八日市場市の酒造業・宇野儀助の長女・満子と結婚して宇野姓となる。
日高 啓(ひだか ひろし、1924年4月19日 - 2018… 日高 啓(ひだか ひろし、1924年4月19日 - 2018年9月9日)は、日本の経営者。髙島屋社長を務めた。宮崎県宮崎市出身。 1948年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に髙島屋に入社した。1976年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1986年2月に副社長に就任し、1987年4月には社長に昇格。1996年7月に取締役相談役に就任し、1997年2月に相談役、2000年5月に特別顧問を経て、2001年5月から顧問を務めた。 2018年9月9日に脳梗塞のために死去。94歳没。
時野谷 滋(ときのや しげる、1924年(大正13年)4月1… 時野谷 滋(ときのや しげる、1924年(大正13年)4月19日 - 2006年(平成18年)5月3日)は、日本の日本史学者。 専門は日本制度史。1979年(昭和54年)に東京大学から「律令封禄制度史の研究」(主査土田直鎮)に対して文学博士の学位を授与されたのをはじめ、律令財政史が中心であるが、論文は古代・上代に限らず、中世・近世・近代に亘っている。また、1973年(昭和48年)から1985年(昭和60年)まで文部省で教科書調査官および主任教科書調査官を務めた。いわゆる家永教科書裁判の第三次訴訟の対象となった検定時の主査を務めたことから、教科書裁判に証人として出廷した。 東京に生まれる。本籍は茨城県真壁郡河間村(下館市を経て、現在の筑西市)。
粕谷 照美(かすや てるみ、1924年〈大正13年〉4月19… 粕谷 照美(かすや てるみ、1924年〈大正13年〉4月19日 - 2023年(令和5年)12月9日)は、日本の教育者、政治家。参議院議員(3期、日本社会党)。 新潟県佐渡郡(現・佐渡市)出身。1943年東京府女子師範学校(現東京学芸大学)卒。新潟県内の小中学校の教員を務め、新潟県教職員組合執行委員、日本教職員組合中央執行委員を経て、1974年の第10回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で立候補して当選。3期務める。国会内では逓信委員長、環境対策特別委員長などを歴任、党内では中央執行委員、教育文化局長などを務めた。芸大事件の追及などを行った。1992年の第16回参議院議員通常選挙に出馬せず引退した。
大橋 敦子(おおはし あつこ、1924年4月18日 - 20… 大橋 敦子(おおはし あつこ、1924年4月18日 - 2014年2月21日)は、日本の俳人。 俳人大橋櫻坡子の長女として、母の生地福井県敦賀に生まれる。大阪府立清水谷高等女学校(現・大阪府立清水谷高等学校)卒。父に師事し、父没後の1972年、『雨月』の主宰を継承する。1979年句集『勾玉』で現代俳句女流賞受賞。『雨月』名誉主宰。俳人協会名誉会員。 2014年2月21日、心不全のため死去。89歳没。
藤城 清治(ふじしろ せいじ、1924年〈大正13年〉4月1… 藤城 清治(ふじしろ せいじ、1924年〈大正13年〉4月17日 - )は、日本の影絵作家。キャラクター「ケロヨン」の原作者としても知られる。東京府(東京都)出身・目黒区在住。ホリプロ(同社も目黒区に所在)とマネジメント契約を結んでいる。 ※パルナス製菓 CM(1960年代 - 1990年頃)の原画が藤城清治のものであるという情報がネットにあるが、間違いであるとのこと。 ※参考:その他の作品の展示施設[リンク切れ] ※SNSはスタッフが運営 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
新田 大作(にった だいさく、1924年4月17日 - 19… 新田 大作(にった だいさく、1924年4月17日 - 1986年8月17日)は、漢文学者。 東京生まれ。1948年東京帝国大学文学部中国哲学科卒業。実践女子大学文学部助教授、教授。
佐藤 泰三(さとう たいぞう、1924年(大正13年)4月1… 佐藤 泰三(さとう たいぞう、1924年(大正13年)4月15日 - 2013年(平成25年)1月21日)は、日本の政治家。自由民主党元参議院議員(3期。津島派)。医師(産婦人科)。位階は正四位。
荒川 昇治(あらかわ しょうじ、1924年4月15日 - 1… 荒川 昇治(あらかわ しょうじ、1924年4月15日 - 1997年1月28日)は、滋賀県出身の元プロ野球選手。現役時代のポジションは捕手。
長谷川 薫(はせがわ かおる、1924年4月15日- 200… 長谷川 薫(はせがわ かおる、1924年4月15日- 2004年1月9日 )は、日本の経営者。レンゴー社長、会長を務めた。 愛知県名古屋市出身。1945年5月25日、長谷川薫大尉は特攻機に乗り沖縄で被弾する。米駆逐艦キャラハンに救助される。1952年に学習院大学政経学部を卒業し、同年に聯合紙器(のちのレンゴー)に入社した。1961年に監査役に就任し、1962年5月に常務、1970年5月に専務を経て、1973年2月に副社長に就任し、1984年6月には社長に昇格した。包装機械や紙器などの関連分野に進出し、業務内容を拡大し、東南アジアや中国にも事業を拡げた。コンピューターを使った管理システムを導入し、1999年にはセッツとの合併を主導した。
石原 舜介(いしはら しゅんすけ、1924年4月15日 - … 石原 舜介(いしはら しゅんすけ、1924年4月15日 - 1996年4月16日)は、日本の都市計画家、工学博士。 1949年、東京工業大学建築学科卒業。東京都建設局都市計画課に勤務後、東工大助教授を経て同教授。田辺平学の都市防災論に学び、都市経営の視点から都市計画・社会工学研究を発展させた。門下に熊田禎宣、深海隆恒、梶秀樹、中井検裕、石見利勝ら。国民生活審議会委員、国民生活向上対策審議会委員、国土利用計画審議会委員、中央公害対策審議会委員、資源調査会委員、国土利用計画審議会委員、国会等移転調査会委員、土地政策審議会委員、日本都市計画学会会長、日本不動産学会会長、東京理科大学教授、明海大学不動産学部長等を歴任。
松島 茂雄(まつしま しげお、1924年(大正13年)4月1… 松島 茂雄(まつしま しげお、1924年(大正13年)4月14日 -1982年(昭和57年)11月2日)は、日本の実業家、美容指導者、和装教育者、ヨガ指導者、文学士、美容師、僧侶。本名 松嶌茂雄。 関西学院大学卒業後、東宝撮影所・美粧部に勤務。退職後、美容研究会・日本尚美会を発会、会長に就任。和装教育団体・全日本和装協会、ヨガ健康法普及団体・国際ヨガ協会を創立。連合会会長として各会の指導・運営に当たる。株式会社尚美会・代表取締役。宗教法人神通山千光院・院主。 1924年〈大正13年〉4月14日、大阪府豊中市に松嶌伊左衛門の長男として誕生。旧制豊中中学・剣道部で全国制覇するなど活躍。関西学院大学・文学部在学中からスポーツ新聞や美術写真集、雑誌 「文芸復興」などの出版事業を手掛ける。
大塚 達雄(おおつか たつお、1924年4月14日 - 19… 大塚 達雄(おおつか たつお、1924年4月14日 - 1999年7月26日)は、日本の労働経済学者、福祉事業家。 1949年に同志社大学法経学部経済学科卒、1948年-1954年に京都社会福祉研究所、京都府社会福祉協議会、京都市民生局などで社会福祉事業に携わる。1954年に同志社大学文学部社会学科助手、講師、助教授、1964年に教授、1990年に名誉教授。1955年、京都YMCAによって第一回肢体不自由児療育キャンプが琵琶湖畔の佐波江で行われた際に関わった事をきっかけとして、障害児の療育キャンプ(きゅうそキャンプ)を実施。のちに京都障害児福祉協会を設立し、理事長を務めた。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
星野 平壽(ほしの へいじゅ、1924年(大正13年)4月1… 星野 平壽(ほしの へいじゅ、1924年(大正13年)4月14日 - 2005年(平成17年)5月2日)は、第3代東京都小金井市長。 東京府北多摩郡小金井村(小金井町を経て、現在の東京都小金井市)生まれ。1958年(昭和33年)日本大学法学部を卒業。卒業後は小金井町役場に入り、小金井市建設部長、ロータリークラブ役員などを務めた。 1979年(昭和54年)自民党・公明党・民社党・新自由クラブ推薦で市長に初当選。1981年(昭和56年)女性同伴出張問題で市議会の激しい追及を浴びて、同年2月17日市長の星野に対する不信任決議が可決。27日に市議会を解散したが、改選後の市議会でも再度不信任されることが確実になったことから4月15日に辞任を表明、同年5月8日付で市長を辞職した。
吉行 淳之介(よしゆき じゅんのすけ、1924年(大正13年… 吉行 淳之介(よしゆき じゅんのすけ、1924年(大正13年)4月13日 - 1994年(平成6年)7月26日)は、日本の小説家。代表作に『驟雨』『砂の上の植物群』など。対談やエッセイの名手としても知られた。
伊達 功(だて いさお、1924年4月12日 - )は、思想… 伊達 功(だて いさお、1924年4月12日 - )は、思想史学者、松山大学名誉教授。 愛媛県喜多郡内子町出身。1949年京都帝国大学経済学部卒。1952年同大学院(旧制)修了、1967年「トマス・モアユートピア研究」で京大経済学博士。1953年島根大学助手、1961年松山商科大学経済学部講師、助教授、1971年教授、松山大学教授。1990年退任、名誉教授。2001年勲四等旭日小綬章受勲。
三木 のり平(みき のりへい、1924年4月11日 - 19… 三木 のり平(みき のりへい、1924年4月11日 - 1999年1月25日)は、日本の俳優・演出家・コメディアン。日本喜劇人協会第5代会長。本名は田沼 則子()。長男は、コメディアンの小林のり一。 東京市日本橋区浜町(現:東京都中央区日本橋浜町)生まれ。母は待合「芳柳」を営んでいた。 1942年、旧制日本大学第一中学校を卒業。日本大学法文学部芸術学科に入学し、同期生には映画科に小沢茂弘・沼田曜一がいた。大学には当初画家を目指して入学したが、その後舞台美術に興味を持ったことで演劇学科に転籍し、1947年に同学科を卒業。 その後慰問公演の俳優に欠員が出てその穴埋めとして出演を頼まれたのを機に、新劇の世界に入ることになった。
中西 勝(なかにし まさる、1924年4月11日 - 201… 中西 勝(なかにし まさる、1924年4月11日 - 2015年5月22日)は日本の画家。洋画家。 画風は、第二次世界大戦後の人々の暮らしなどを抒情的、詩的に描き出す、時には戦争体験も踏まえたものが中心であったが、1965年(昭和40年)から妻とともに自動車で世界一周をすると人間の逞しさや生命の根源を窺うものへと変化した。 1924年(大正13年)、現在の大阪府大阪市城東区に生まれる。大阪府立四條畷中学校在学時から油絵を描き始め、保田龍門のアトリエなどでデッサンを学ぶ。帝国美術学校西洋画科へ入学するとともに川端画学校へも通った。1944年(昭和19年)学徒動員にて出征。中支那派遣軍の部隊に配属するも、逃走を試みるなど軍人としては問題があった。
角田 光男(かくた みつお、1924年4月11日 - )は、… 角田 光男(かくた みつお、1924年4月11日 - )は、日本の児童文学作家。 新潟県新津市(現:新潟市秋葉区)出身。高等小学校卒。独学で小学校教員となり、1964年上京、文筆生活にはいる。1972年地すべりの町に生きる人々を描いた『よみがえれ大地』(で注目される。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
中山 義崇(なかやま よしたか、1924年(大正13年)4月… 中山 義崇(なかやま よしたか、1924年(大正13年)4月10日 - 2003年(平成15年)11月24日)は、日本の教育者。崇城大学元学長、君が淵学園理事長。娘婿は崇城大学現学長の中山峰男(旧姓:佐々、長女・郷子の夫)。1981年(昭和56年)11月藍綬褒章受章。 熊本県下益城郡小川町に生まれる。1945年(昭和20年)、官立熊本工業専門学校教員養成電気工学科(現・熊本大学)を卒業する。1949年(昭和24年)、私塾君が淵電波塾を創立。1961年(昭和36年)、学校法人君が淵学園を設立し理事長に。同年君が淵電波工業高等学校を開校し、初代校長に就任する。以降同校を発展させ、1967年(昭和42年)、熊本工業大学を設立、学長に就任する。
村山 定男(むらやま さだお、1924年〈大正13年〉4月9… 村山 定男(むらやま さだお、1924年〈大正13年〉4月9日 - 2013年〈平成25年〉8月13日)は、日本の天文学者。国立科学博物館に長く奉職し、生涯を通じて天文普及活動に尽力した。 東京府東京市本郷区(現:東京都文京区本郷)で出生。父は村山達三(医師、東京都立駒込病院院長)、母方の祖父は宮入慶之助(寄生虫学者、九州帝国大学医学部名誉教授)。 幼少時から天文学に親しみ、5歳の時に望遠鏡で観望した火星をスケッチした。小尾信彌(天文学者)は、誠之小学校(現:文京区立誠之小学校)の同級生であった。 武蔵高等学校(旧制)を経て東京帝国大学理学部化学科を卒業した。村山自身は東京帝大天文学科への進学を希望していたものの、父の「天文学では食って行けない」という意見に従って化学科に進んだ。
宮間 満寿雄(みやま ますお、1924年〈大正13年〉4月8… 宮間 満寿雄(みやま ますお、1924年〈大正13年〉4月8日 - 1994年〈平成6年〉5月15日)は、日本の政治家、千葉県松戸市長(6期)。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 千葉県出身。旧制千葉県立東葛飾中学校(現千葉県立東葛飾中学校・高等学校)卒。卒業後は松戸市雇となる。その後書記、教育、建設、企画調査、企画財政の各課長を歴任し、松戸市長松本清の下で助役に就任する。 1973年、松戸市長松本清が死去し、松本の後継者として松戸市長選挙に立候補し、初当選する。市長を6期務め、在任中は「計画行政」を推進した。6期目途中の1994年に死去した。死没日付をもって従四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。
中村 政美(なかむら まさみ、1924年4月8日 - 194… 中村 政美(なかむら まさみ、1924年4月8日 - 1945年1月29日)は長崎県出身のプロ野球選手。
團 伊玖磨(だん いくま、1924年4月7日 - 2001年… 團 伊玖磨(だん いくま、1924年4月7日 - 2001年5月17日)は、日本の作曲家、エッセイスト。日本を代表するクラシック音楽の作曲家の一人である。作曲家としてはオペラ、交響曲、歌曲などのいわゆるクラシック音楽のほか、童謡、映画音楽、放送音楽と幅広いジャンルを手がけた。「團伊玖麿」は誤表記。
藤島 宇内(ふじしま うだい、1924年4月7日 - 199… 藤島 宇内(ふじしま うだい、1924年4月7日 - 1997年12月2日)は、日本の詩人、評論家。 兵庫県出身。慶應義塾大学卒。在学中から「三田文学」「歴程」に参加。1951年詩集「谷間より」を発表。ルポライターとして沖縄、在日朝鮮人、被差別部落などを扱う。 藤岡信勝は、藤島が「朝鮮人強制連行」という造語の生みの親であると主張している。
三田 勝茂(みた かつしげ、1924年(大正13年)4月6日… 三田 勝茂(みた かつしげ、1924年(大正13年)4月6日 - 2007年(平成19年)7月28日)は、日本の実業家、元日立製作所社長・会長。元経済団体連合会副会長。東京都出身。
飯田 徳治(いいだ とくじ、1924年4月6日 - 2000… 飯田 徳治(いいだ とくじ、1924年4月6日 - 2000年6月19日)は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手(内野手、外野手、投手)・コーチ・監督、解説者。 シーズン154試合出場は杉山光平と 佐々木信也と共に日本タイ記録。パ・リーグ初のベストナイン(一塁手部門)も受賞している。 温厚な性格で「仏の徳さん」と呼ばれ親しまれた。 浅野綜合中学校では1939年の第16回選抜中等学校野球大会に出場し、2回戦(初戦)で北神商業中学校に敗退する。卒業後は東京鉄道管理局に就職して野球部に入部し、エースで4番打者だったが社会人では一塁手へ転向し、同じく4番打者として活躍した。1942年の第16回都市対抗野球大会では2回戦で全京城に敗退するが、打率.556を記録して打撃賞を獲得した。
渡辺 六郎(わたなべ ろくろう、1924年4月6日 - 20… 渡辺 六郎(わたなべ ろくろう、1924年4月6日 - 2015年10月14日)は、日本の経営者。タカラスタンダード社長、会長を務めた。 東京都出身。1950年に慶應義塾大学文学部を卒業し、同年に日本製鉄に入社。1964年に日本エナメル(のちのタカラスタンダード)に転じ、取締役に就任し、1967年に常務、1971年に専務を経て、1983年に社長に就任。1998年に会長に就任。 2015年10月14日心不全のために死去。91歳没。
金森 久雄(かなもり ひさお、1924年4月5日 - 201… 金森 久雄(かなもり ひさお、1924年4月5日 - 2018年9月15日)は、日本の経済官僚・経済評論家。 1924年 、岡田内閣の法制局長官、第1次吉田内閣の憲法担当国務大臣を務めた 金森徳次郎の子として東京都に生まれる。弟金森博雄は地震学者。1937年、東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業、同級生に柳谷謙介(外務事務次官)がいた。1942年、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業する。昆虫採集に夢中になり、水泳、剣道、相撲もやったが上達しないので、将棋に没頭した。大川周明の『日本二千六百年史』、福澤諭吉の『福翁自伝』、斎藤茂吉『万葉秀歌』に感銘、張遷碑の書を習う。
石井 聖光(いしい きよてる、1924年(大正13年)4月5… 石井 聖光(いしい きよてる、1924年(大正13年)4月5日 - 2025年(令和7年)5月30日)は、日本の学者。専門は建築音響工学ならびに騒音。東京大学名誉教授。 ※日本音響学会 「私と音との関わり」 1924年4月5日生まれ。 1947年9月、東京大学工学部建築学科卒業。 1954年12月、同大学助手。 1960年4月、工学博士(東京大学)。 1961年8月、東京大学生産技術研究所助教授。 1970年6月から1985年3月まで、同大学教授。 1985年5月、同大学名誉教授。 1979年から1981年まで、日本音響学会会長を務めた。 2025年5月30日死去。101歳没。
青野 茂行(あおの しげゆき、1924年4月4日 - 201… 青野 茂行(あおの しげゆき、1924年4月4日 - 2012年7月23日)は、日本の化学者。第7代金沢大学学長。従三位勲二等旭日重光章。 千葉県銚子町(現・銚子市)生まれ。1947年東北大学理学部化学科卒業、千葉県立国府台高等学校着任。千葉県立千葉第一高等学校、千葉大学文理学部助教授、金沢大学大学院自然科学研究科長を経て、1989年学長。1993年に退任後、帰郷し船橋市に定住。1999年勲二等旭日重光章。2012年7月23日、肺炎のため死去し、叙従三位。
鳥羽 欽一郎(とば きんいちろう、1924年4月3日 - )… 鳥羽 欽一郎(とば きんいちろう、1924年4月3日 - )は、日本の経営学者、早稲田大学名誉教授。
守田 志郎(もりた しろう、1924年4月3日 - 1977… 守田 志郎(もりた しろう、1924年4月3日 - 1977年9月6日)は、日本の農業経済学者。 シドニー生まれ。1943年成城学園成城高等学校卒業。1946年東京帝国大学農学部農業経済学科卒業。1950年まで農林技官。1954年東京大学大学院農業経済学科修了。1952年財団法人協同組合経営研究所研究員。1961年「明治期における地主経済の展開と地方資本」で、農学博士(東京大学)の学位を取得。1968年暁星商業短期大学(現・新潟中央短期大学)教授。1972年名城大学商学部教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
堀江 文夫(ほりえ ふみお、1924年〈大正13年〉4月2日… 堀江 文夫(ほりえ ふみお、1924年〈大正13年〉4月2日 - 2016年〈平成28年〉4月22日)は、日本の政治家。群馬県沼田市長(4期)。 群馬県利根郡薄根村(現・沼田市町田町)出身。旧制沼田中学を卒業後、1945年(昭和20年)、桐生工業専門学校(現・群馬大学工学部)機械科卒。1951年(昭和26年)、薄根村議会議員となる。1954年(昭和29年)、薄根村は合併により沼田市となったため、沼田市議会議員となる。沼田市議を5期務めた後、1970年(昭和45年)、沼田市長に当選する。沼田市長を連続4期務め、1986年(昭和61年)に退任した。 1980年(昭和55年)4月藍綬褒章、1994年(平成6年)4月勲三等瑞宝章(地方自治功労)を受章。
竹内 清(たけうち きよし、1924年4月1日 - 2000… 竹内 清(たけうち きよし、1924年4月1日 - 2000年5月22日)は、日本の統計学者。専門は統計学、理論経済学、行政計画など。東北大学名誉教授。元日本統計学会会長。 長野県埴科郡坂城町出身。旧制長野県立上田中学校(現長野県上田高等学校)を経て、1952年東京商科大学(現一橋大学)卒業、同年一橋大学大学院特別研究生。山田雄三ゼミ出身。1955年小樽商科大学専任講師。1959年同助教授。1964年文部省在外研究員及びテキサスA&M大学リサーチ・アシスタント。1986年小樽商科大学教授。1971年東北大学経済学部教授。1973年東北大学評議員。1977年ポーランド科学アカデミー客員教授。1980年東北大学経済学部長・大学院経済学研究科長。
橋本 喜典(はしもと よしのり、1924年4月1日 - 19… 橋本 喜典(はしもと よしのり、1924年4月1日 - 1986年1月23日)は、日本の経営者。近鉄百貨店社長を務めた。和歌山県出身。 1947年に京都大学経済学部を卒業し、1948年に近畿日本鉄道に入社。1972年6月に近鉄百貨店に転じ、1973年4月に取締役に就任し、1977年5月に常務、1980年5月に専務、1983年5月に副社長を経て、1985年5月に社長に就任。 1986年1月23日急性心不全のために在任時に死去。61歳没。
新谷 勝(あらたに まさる、1924年(大正13年)4月1日… 新谷 勝(あらたに まさる、1924年(大正13年)4月1日 - 2006年(平成18年)8月3日)は、日本の経営者。東京証券取引所副理事長、日本証券業協会会長を歴任。位階は従四位。 北海道出身。1947年に東京大学法学部を卒業し、同年に山一證券に入社し、取締役にも就任した。1968年11月に常務に就任し、1971年11月に専務を経て、1975年11月に副社長に就任し、1978年12月には内外証券社長に就任し、1988年12月には会長に退いた。1990年7月に東京証券取引所副理事長、1991年6月に日本証券決済社長、1993年7月に日本証券業協会会長、1994年6月に平和不動産社長、2000年6月に同社相談役を歴任した。
真喜屋 実男(まきや さねお、1924年4月1日 - 198… 真喜屋 実男(まきや さねお、1924年4月1日 - 1980年3月9日)は、日本の経営者、弁護士。沖縄電力社長を務めた。沖縄県出身。 1951年に東京大学法学法律学科を卒業。1953年6月に琉球巡回裁判所判事に就任し、1954年1月に琉球検察庁検事、1955年1月に琉球政府法務局長、1959年1月に琉球上訴裁判所判事、1970年6月に琉球銀行取締役を経て、1972年10月に琉球生命保険社長に就任。1977年6月には沖縄電力社長に就任。 1980年3月9日脳内出血のために在任中に死去。55歳没。