杉田 豊(すぎた ゆたか、1930年7月13日 - 2017… 杉田 豊(すぎた ゆたか、1930年7月13日 - 2017年5月19日)は、グラフィック・デザイナー、絵本作家。筑波大学名誉教授(平成6年度付与)。
1930年(昭和5年)生まれ:1,252人
杉田 豊(すぎた ゆたか、1930年7月13日 - 2017… 杉田 豊(すぎた ゆたか、1930年7月13日 - 2017年5月19日)は、グラフィック・デザイナー、絵本作家。筑波大学名誉教授(平成6年度付与)。
山本 雄二郎(やまもと ゆうじろう、1930年7月13日 -… 山本 雄二郎(やまもと ゆうじろう、1930年7月13日 - 2010年1月1日)は、成田空港地域共生委員会元代表委員、高千穂商科大学教員。 1930年、愛知県福江町(現・田原市)に生まれる。 1950年、早稲田大学第一法学部卒業後、産経新聞東京本社へ入社。 1970年より産経新聞論説委員として交通・物流問題を担当した。 1984年、観光政策審議会委員。 1985年、航空政策研究会理事に就任、1988年から事務局長、1999年より会長補佐。 1986年、高千穂商科大学教授、2001年より客員教授。 1991年、成田空港問題収束に一定の貢献を果たした隅谷調査団に参加。成田空港問題円卓会議終了後は成田空港地域共生委員会の代表委員を務めた。
大隅 清治(おおすみ せいじ、1930年7月12日 - 20… 大隅 清治(おおすみ せいじ、1930年7月12日 - 2019年11月2日)は、日本の水産動物研究者。特に鯨類の権威。 学位は、農学博士(東京大学・1964年)。日本鯨類研究所理事長等を歴任。 妻は電子顕微鏡学者の大隅正子。長女は神経科学者の大隅典子。 群馬県伊勢崎市出身。旧制群馬県立前橋中学校、東京陸軍幼年学校(49期)、旧制新潟高等学校を経て、東京大学農学部卒業。1964年、農学博士(東京大学)(学位論文:「A study on age determination of the fin whale(ナガスクジラの年令査定法に関する研究) 」)取得。 日本鯨類研究所・水産庁などで鯨の研究に従事。
小玉 晃一(こだま こういち、1930年7月12日 -202… 小玉 晃一(こだま こういち、1930年7月12日 -2026年(令和8年)1月18日)は、比較文学者。 東京生まれ。青山学院大学英文科卒、同大学教授を務め、現在名誉教授。日本比較文学会代表理事、日本ホイットマン協会幹事を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
卯木 肇(うのき はじめ、1930年7月11日 - )は、日… 卯木 肇(うのき はじめ、1930年7月11日 - )は、日本の実業家。アイワ代表取締役社長、同会長や、スカイパーフェクト・コミュニケーションズ(現スカパーJSAT)代表取締役会長、同社長を務めた。 福岡県出身。一橋大学商学部卒業後、1954年4月ゼネラル物産株式会社(現三井物産株式会社)入社。1959年10月、海外貿易要員第1期としてソニー株式会社に入社し、外国部配属。 ソニー入社数ヶ月でアフリカ出張を行い、エジプトからアフリカ大陸に入り、南アフリカ、西アフリカと、半年間アフリカ大陸を周って代理店契約の相手方候補の調査を行い、海外販路の開拓を行った。ソニー・アメリカ駐在やソニー外国部長株式会社などを経て、1977年10月ソニー株式会社取締役、1984年1月ソニー株式会社専務取締役。
藤永 幸治(ふじなが ゆきはる、1930年7月11日 - 2… 藤永 幸治(ふじなが ゆきはる、1930年7月11日 - 2001年5月5日)は京都府出身の検察官。 1945年8月15日の敗戦を大阪陸軍幼年学校で過ごし、1946年旧制京都府立桃山中学校に復学。旧制第三高等学校を経て、1953年京都大学法学部卒業。司法修習8期を経て、東京地方検察庁検事に任官。海外のロースクールへ留学。東京地方検察庁特別捜査部長、最高検察庁刑事部長、次長検事、東京高等検察庁検事長などを歴任。退官後帝京大学法学部教授。 2001年5月5日、急性多臓器不全のため死去。71歳没。叙正三位、叙勲一等授瑞宝章。 1990年代後半の司法試験制度について、あまりにも単純に法律知識に偏り過ぎており、経済や歴史、文学、一般社会を幅広く知る人間を司法界は求めるべきだとの考えを持っていた。
柴田 一(しばた はじめ、1930年7月11日 - 2017… 柴田 一(しばた はじめ、1930年7月11日 - 2017年9月18日)は、日本地方史学者、就実大学名誉教授。 岡山県岡山市生まれ。岡山大学教育学部社会科卒業。その後岡山県職員の教員となり岡山県立林野高等学校、岡山県立倉敷天城高等学校、岡山県立倉敷青陵高等学校、岡山市立商業高等学校教員、岡山県教育庁文化課主幹、岡山県立博物館主任学芸員を経て退職後、兵庫教育大学教授、1996年定年退任、就実大学教授、就実大学・就実短期大学学長、名誉教授。1993年「近世大名領国経営の研究」で広島大学より文学博士の学位を取得。宇喜多史談会会長、岡山歴史研究会顧問を務める。 2017年9月18日、肺炎のため死去、87歳。
阿部 龍蔵(あべ りゅうぞう、1930年7月11日 - 20… 阿部 龍蔵(あべ りゅうぞう、1930年7月11日 - 2013年11月1日)は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。 東京都出身。旧制第一高等学校を経て、1953年東京大学理学部物理学科卒業。1959年東京教育大学理学博士。東京工業大学助手、1961年東京大学物性研究所助教授、1966年東京大学教養学部教授。1991年定年退官、名誉教授、放送大学教授、副学長。
松原 治郎(まつばら はるお、1930年7月11日 - 19… 松原 治郎(まつばら はるお、1930年7月11日 - 1984年4月20日)は、日本の教育社会学者。 東京出身。東京大学卒。東京学芸大学助教授、東京大学教育学部助教授、78年教授。家族、青年問題などで積極的に発言。農村の実地調査など積極的に行い、地域社会学(コミュニティ社会学)に関して広く研究成果を発表していた。
小坂 伊佐夫(こさか いさお、1930年7月11日 - )は… 小坂 伊佐夫(こさか いさお、1930年7月11日 - )は、日本の経営者。大東京火災海上保険社長を務めた。 東京都出身。1953年に東北大学法学部を卒業し、同年に大東京火災海上保険に入社した。1970年6月に取締役に就任し、1972年6月に常務、1974年6月に専務を経て、1982年7月に副社長に就任し、1988年6月には社長に昇格。1995年6月に会長を経て、1998年6月には相談役に退いた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
左右田 一平(そうだ いっぺい、1930年7月10日 - 2… 左右田 一平(そうだ いっぺい、1930年7月10日 - 2012年2月10日)は、日本の俳優。北海道札幌市出身。血液型はA型。本名は廣田 信夫(ひろた のぶお)。劇団中芸、東京芸術座、東京俳優生活協同組合を経て、最終所属はたむらプロ。舞台芸術学院卒業。 高校卒業後に兄を頼って上京。1955年に劇団中芸入団。1959年に東京芸術座が誕生すると団員の一人となる。東京芸術座の舞台やテレビ、映画で活躍した。1979年に京都市民映画祭でテレビ部門男優賞を受賞。 結束信二作品の常連的存在で、『忍びの者』から『燃えよ剣』までの全ての作品に出演していた。特にテレビ時代劇『用心棒』シリーズは、左右田のみ同じ品田万平役でシリーズ4作全て出演した。
加東 康一(かとう こういち、1930年7月10日 - 19… 加東 康一(かとう こういち、1930年7月10日 - 1990年5月13日)は、日本の芸能評論家。 千葉県市川市出身。『国際タイムス』の社会部記者などを経て1960年、フリーの芸能評論家となり新聞・雑誌で健筆を振るう一方、『テレビ三面記事』、『アフタヌーンショー』、『こんにちは2時』、『やじうまワイド』などテレビに出演。ラジオ・テレビ同時放送だったKBS京都「山崎弘士のお昼は天国」にも電話出演していた。 父も映画記者で、いわゆる芸能レポーターの先駆け的存在である。当時、芸能界の独占的存在だったナベプロ体制を批判するなど権威に屈さない反骨の人であった。 しかし1989年7月、舌癌のため舌・咽頭の全摘出手術を受け、声を失う。
川瀬 宏之(かわせ ひろゆき、1930年7月10日 - )は… 川瀬 宏之(かわせ ひろゆき、1930年7月10日 - )は、静岡県出身のプロ野球選手(捕手)。 興誠商業(現・浜松学院中学校・高等学校),ノンプロの小口製作所を経て、1950年に大洋ホエールズに入団。しかし正捕手の門前眞佐人の壁は厚く、2試合しか出場できず、同年末に引退した。 川口芳弘とは、興誠商業、小口製作所、大洋全てでチームメイトであった(高校、ノンプロ時代にはバッテリーを組んでいた)。
和久 峻三(わく しゅんぞう、1930年7月10日 - 20… 和久 峻三(わく しゅんぞう、1930年7月10日 - 2018年10月10日)は、日本の推理作家・弁護士。本名は古屋峻三。別名として夏目 大介(なつめ だいすけ)。写真家としての顔も持ち、日本図書館協会選定図書の写真集『日本の原風景』(1993年)も発表している。 大阪府大阪市出身。1955年(昭和30年)に京都大学法学部を卒業し中部日本新聞の記者となるが、友人から月刊文芸誌『宝石』を見せられ推理小説の魅力にとりつかれる。1960年(昭和35年)に同誌の宝石賞に応募し候補作に選ばれる。応募作『紅い月』は本名の滝井峻三名義で『宝石』に掲載され作家としてデビューした。「生まれて初めて書いた小説が雑誌に掲載されたときの私の感動は、一生涯、忘れることができないものとなりました」と和久は語っている。
石黒 忠(いしぐろ ただし、1930年7月10日 - )は、… 石黒 忠(いしぐろ ただし、1930年7月10日 - )は、愛媛県伊予三島市出身の元プロ野球選手(投手)。 三島高校から1951年に広島カープへ入団。1952年に引退。
宮崎 秀樹(みやざき ひでき、1930年7月9日 - )は、… 宮崎 秀樹(みやざき ひでき、1930年7月9日 - )は、日本の医師・医学博士、政治家。元参議院議員、元自由民主党副幹事長。2004年から2006年まで日本医師会副会長を務めた。
八木 敏雄(やぎ としお、1930年7月8日 - 2012年… 八木 敏雄(やぎ としお、1930年7月8日 - 2012年2月22日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。成城大学名誉教授。 福井県敦賀市出身。10歳ころ、天津日本芙蓉小学校に編入、天津日本中学校在学中に敗戦を迎え、1946年帰国、福井県立福井中学校に編入。学制改革により福井県立藤島高等学校卒、1953年東京外国語大学英米語学科卒業後に母校の藤島高等学校教諭を務め、1956年成城学園高等学校教諭。1969年より成城大学に勤務し、のち教授。2001年停年退職し名誉教授。 2010年瑞宝中綬章受章。 エドガー・アラン・ポー、ハーマン・メルヴィルを専門とし、多数の著書、翻訳を刊行。 2012年2月22日に心筋梗塞で死去。
山岡 景一郎(やまおか けいいちろう、1930年7月8日 -… 山岡 景一郎(やまおか けいいちろう、1930年7月8日 - )は、京都府を本拠とする経営コンサルタント。平安女学院理事長・学院長・大学学長。白川プロジェクト株式会社代表取締役。株式会社白川書院代表取締役社長。愛称、やまけい。 1930年、京都府生まれ。1953年、立命館大学二部経済学部(夜間)卒業。1957年、結婚。国家公務員、地方公務員を経て、経営コンサルタントを開業。2003年に平安女学院理事長・学院長に就任し、2005年より、平安女学院大学学長・短期大学部学長を兼任。破綻寸前と言われていた学校法人を財政健全化し、大きく立て直した。一方で、理事長・学院長在任時の2004年に守山市のキャンパスを高槻市に移転する方針をめぐって学生から裁判を起こされたり、自身が執筆した大学のミッション宣言を教職員に毎日唱和させたり、附属高校の教職員の解雇騒動が起きたりするなど、強権的な側面も目立った。
小林 忠生(こばやし ただお、旧姓:早川、1930年7月7日… 小林 忠生(こばやし ただお、旧姓:早川、1930年7月7日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。父親は日本海軍中将の早川幹夫、実兄の早川純生もサッカー選手で、東京大学、日本鋼管で活躍した。 神奈川県立湘南中学校時代の1948年に第3回国民体育大会で準優勝。卒業後は慶應義塾大学経済学部に進学しソッカー部に所属。在学中の1953年には鈴木徳衛と共に日本学生選抜に選出され、1953年国際大学スポーツ週間(英語版)(ユニバーシアードの前身)に出場した。1954年3月に大学を卒業。卒業後は東京海上火災保険に入社した(勤務先でサッカー部活動を行ったかは不明)。 卒業後も慶應BRB(現役、OBで構成された混成チーム)の一員として1954年、1956年の全日本サッカー選手権大会優勝に貢献。
大川 悦生(おおかわ えっせい、1930年7月6日 - 19… 大川 悦生(おおかわ えっせい、1930年7月6日 - 1998年3月27日)は、日本の児童文学作家。本名の読みは「よしお」。 長野県更級郡村上村(現埴科郡坂城町網掛)生まれ。父大川豊市(長野県上水内郡三水村・現飯綱町出身)、母やすの長男として生まれる。幼少期は東京で生活していたが、太平洋戦争でそのまま暮らし続けることが困難になり、母の実家に疎開した。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、早稲田大学文学部仏文科卒。在学中から早大童話会に属した。のち木下順二の影響で民話の再生に力を入れた。 1980年『たなばたむかし』で産経児童出版文化賞受賞。原爆についての作品もある。
鍛治 壮一(かじ そういち、1930年(昭和5年)7月6日 … 鍛治 壮一(かじ そういち、1930年(昭和5年)7月6日 - 2022年(令和4年)3月5日)は、日本のジャーナリスト、作家、航空評論家。 東京府東京市出身。1956年(昭和31年)東京大学教養学部卒業後、毎日新聞社に入社。東京社会部記者として1965年(昭和40年)から航空担当となる。その後、サンデー毎日編集次長に就任。社会部編集委員などを歴任した。 1985年(昭和60年)に同社を退社し、ジャパンタイムズ編集委員を経て独立。航空に関連する記事執筆を専業とするライターとなり、防衛・航空問題を専門とする。ほか、通産省委員など歴任した
鈴木 常司(すずき つねし、1930年7月6日 - 2000… 鈴木 常司(すずき つねし、1930年7月6日 - 2000年11月15日)は、日本の実業家、ポーラ化粧品元会長。 1930年7月6日、静岡県生まれ。立教大学卒業。1953年8月経営学を学ぶため、アメリカへ留学。ウィリアムズ・カレッジに学ぶ。1954年創業者である父鈴木忍の急死により留学先のアメリカから帰国。24歳でポーラ化成工業とポーラ化粧品本舗の社長となる。セールスレディーによる高級化粧品の訪問販売「ポーラ商法」で業績をのばした。1996年会長。2000年11月15日死去。 美術品の収集家でもあったが、特定のアドバイザーを持たず、美術の専門書によって独学で美術史を学び、その知識を収集に活かすことで19~20世紀の西洋・日本美術の歴史を追うことのできる体系的な西洋絵画コレクションを作り上げた。
橋本 俊作(はしもと しゅんさく、1930年(昭和5年)7月… 橋本 俊作(はしもと しゅんさく、1930年(昭和5年)7月5日 - )は、日本の経営者。元さくら銀行頭取。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
牧野 由多可(まきの ゆたか、1930年7月5日 - 200… 牧野 由多可(まきの ゆたか、1930年7月5日 - 2005年1月29日)は、日本の作曲家。 東京都出身。作曲を山田耕筰に、ピアノを豊増昇、井口基成、レオ・シロタに師事。主に現代邦楽の分野で活躍した。1960年に芸術祭大賞を受賞、1961年に芸術祭奨励賞を受賞、1995年には国際エミー賞および紫綬褒章を受章、2004年4月には旭日小綬章を受章。彼の功績をたたえ、「牧野由多可の会」が設立されている。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
岩崎 寛弥(いわさき ひろや、1930年7月4日 - 200… 岩崎 寛弥(いわさき ひろや、1930年7月4日 - 2008年7月23日)は、日本の実業家。三菱銀行取締役・東山農事社長を歴任した。 岩崎彦弥太・操子夫妻の長男として東京府(現・東京都)に生まれた。父・彦弥太は三菱財閥の3代目総帥・岩崎久弥の長男すなわち三菱の創業者・岩崎弥太郎の嫡孫にあたり、戦前は三菱本社副社長、戦後は三菱地所取締役を務めた人物。従って寛弥は久弥の嫡孫すなわち弥太郎の曾孫にあたる。母・操子は佐竹東家第17代当主・佐竹義準の三女。父方の叔父に元三菱製紙会長の岩崎隆弥と元東京海上火災保険常務の岩崎恒弥がおり、父方の叔母にエリザベス・サンダースホームの創設者・沢田美喜がいる。また母方の伯父に元東洋製作所社長の佐竹義利がいる。
寺島 尚彦(てらしま なおひこ、1930年7月4日 - 20… 寺島 尚彦(てらしま なおひこ、1930年7月4日 - 2004年3月23日)は、日本の作詞家、作曲家。洗足学園音楽大学教授。娘はソプラノ歌手の寺島夕紗子。
湯浅 赳男(ゆあさ たけお、1930年7月4日 - 2019… 湯浅 赳男(ゆあさ たけお、1930年7月4日 - 2019年8月4日)は、日本の経済学者、新潟大学名誉教授。比較文明史、環境経済学、経済人類学、コミュニティ論など。 山口県岩国市生まれ。1953年東京大学文学部仏文学科卒業、サラリーマンとなるが約9年後に大学院に入り、東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。新潟大学人文学部助教授、経済学部教授。96年定年退官、名誉教授、常磐大学コミュニティ振興学部教授を経て客員教授。 2016年4月に瑞宝中綬章を受章した。 [増補新版]『世界史の想像力-文明の歴史人類学をめざして』/新評論1996
西沢 脩(西澤 脩、にしざわ おさむ、1930年〈昭和5年〉… 西沢 脩(西澤 脩、にしざわ おさむ、1930年〈昭和5年〉7月4日 - 2025年〈令和7年〉4月28日)は、日本の会計学者。位階は正五位。 専門は管理会計。商学博士(早稲田大学・論文博士・1968年)。早稲田大学名誉教授。位階勲等は正五位瑞宝中綬章。紫綬褒章受章者。 1953年(昭和27年)早稲田大学商学部卒業。1958年(昭和33年)同大学院商学研究科博士課程満期退学。1968年(昭和43年)「研究開発費管理の研究」で早稲田大学より商学博士の学位を取得。1958年(昭和33年)ミシガン大学研究員。1959年(昭和34年)早稲田大学商学部専任講師。助教授。1966年(昭和41年)教授。2001年(平成13年)定年退職。
深作 欣二(ふかさく きんじ、1930年7月3日 - 200… 深作 欣二(ふかさく きんじ、1930年7月3日 - 2003年1月12日)は、日本の映画監督・脚本家。愛称はサクさん。茨城県緑岡村出身。 6人兄弟姉妹の次男(第5子)として生まれる。茨城大学教育学部附属中学校、水戸第一高等学校、日本大学芸術学部卒業。1953年(昭和28年)に東映へ入社。 1961年(昭和36年)、千葉真一の初主演作品となる『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』で監督デビュー。千葉とはこののち23作品でコンビを組み、ヒットを連発していく。千葉を主演に据え置き演出した『風来坊探偵シリーズ』『ファンキーハットの快男児シリーズ』、1966年(昭和41年)の『カミカゼ野郎 真昼の決斗』は、『キイハンター』(1968年 - 1973年)の土台となった作品で、『キイハンター』の企画にも関わり、第1,2,157,158,178話を演出した。
原 卓也(はら たくや、1930年 <昭和5年> 7月3日 … 原 卓也(はら たくや、1930年 <昭和5年> 7月3日 - 2004年 <平成16年> 10月26日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。東京外国語大学名誉教授。位階は従三位。瑞宝中綬章。 1930年、東京に生まれ。東京都立北園高等学校を経て、1953年東京外国語大学ロシヤ語卒業。卒業後は文筆活動に入る。1966年、母校である東京外国語大学助教授に着任。1973年に教授昇進。1989年から1995年まで東京外国語大学学長を務めた。学界では、1993年より日本ロシア文学会会長を務めた。2004年死去。死没日付をもって従三位に叙され、瑞宝中綬章を追贈された。
森下 研(もりした けん、1930年7月3日- )は、日本の… 森下 研(もりした けん、1930年7月3日- )は、日本の児童文学作家。福岡県門司(現・北九州市)出身。九州大学卒。広告会社勤務、放送作家を経て、児童文学の創作を開始する。 少年小説やノンフィクションを中心に執筆。遠洋マグロ延縄漁の体験から書いた『男たちの海』で第15回児童福祉文化奨励賞(昭和48年 1973年)を受賞。
中島 誠(なかじま まこと、1930年7月2日 - 2012… 中島 誠(なかじま まこと、1930年7月2日 - 2012年1月14日)は、日本の文芸評論家。 東京生まれ。戦時中は両親の郷里である群馬県の安中へ疎開し、群馬県立高崎高等学校を卒業(48回生)。1955年、早稲田大学英文科卒業。当初社会評論を書いたがのち時代・歴史小説を主として論じた。第17回大衆文学研究賞受賞。 2012年1月14日、肺炎のため死去。81歳没。
村越 末男(むらこし すえお、1930年7月2日 - 200… 村越 末男(むらこし すえお、1930年7月2日 - 2008年4月11日)は、日本の部落問題研究家。大阪市立大学名誉教授。高知県出身。 高知県幡多郡大方町(現・黒潮町)の被差別部落に生まれ育つ。1953年、龍谷大学文学部哲学科社会学専攻卒業。高知県立中村高校教諭、高知大学教育学部非常勤講師などを勤めながら、解放団体高知県連合会の創立に参加した。1968年4月、大阪府同和教育指導員となり、同年8月大阪部落解放研究所の設立に参加し、事務局長と理事を兼任する。1970年9月、大阪市立大学助教授、1980年4月、同教授。1983年、全国大学同和教育研究協議会事務局長(1992年、同副会長)。1984年、部落解放研究所第2代理事長に就任、大阪市立大学同和問題研究室室長。
二木 秀夫(ふたつぎ ひでお、1930年〈昭和5年〉7月1日… 二木 秀夫(ふたつぎ ひでお、1930年〈昭和5年〉7月1日 - 2019年〈令和元年〉7月27日)は、山口県宇部市出身の教育者・政治家。学校法人宇部学園学園長。元参議院議員、元科学技術政務次官、元山口県宇部市長。 1930年(昭和5年)7月1日、山口県宇部市で二木謙吾の次男として生まれる。山口県立宇部高等学校を経て山口大学工学部を卒業したのち、学校法人宇部学園で勤務。 1977年(昭和52年)、宇部曹達工業労働組合(現・セントラル硝子労働組合)等からなる「明日の宇部市をよくする会」や宇部市議会保守系議員団から宇部市長選挙への立候補要請を、また、当時の宇部市長である新田圭二からも後継指名を受け、二木は同年2月28日に同市長選挙への立候補を表明した。
井原 國芳(いはら くによし、1930年7月1日 - 201… 井原 國芳(いはら くによし、1930年7月1日 - 2019年9月7日)は、日本の経営者。東急建設社長を務めた。 東京都出身。1955年に青山学院大学経済学部商業科を卒業し、同年5月に東急電鉄に入社。1985年6月に取締役、1989年6月に常務、1992年6月に専務を経て、1995年4月に副社長に就任し、1998年12月には東急建設社長に就任。2001年4月には会長に就任。2002年4月から同年5月までには社長も兼任した。東急不動産取締役も務めた。 1999年11月に藍綬褒章を受章。 2019年9月7日に肺炎のために死去。89歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
片山 貞雄(かたやま さだお、1930年7月 - )は、日本… 片山 貞雄(かたやま さだお、1930年7月 - )は、日本の経済学者。滋賀大学名誉教授。瑞宝中綬章受章者。 1930年7月京都市生まれ。1948年3月大阪府立生野中学校卒業、同年4月彦根経済専門学校入学。1949年4月学制改革によって滋賀大学経済学部発足にともない同学部に入学し、1953年3月第一期生として卒業。その後神戸大学大学院経済学研究科に進学、1958年3月同研究科博士課程単位取得退学。 1958年滋賀大学経済短期大学部講師、1961年同助教授、1964年1月経済学部助教授、1972年5月同教授。1976年フルブライト上級研究員として米国ジョージア大学にて研究。1986年4月からは経済学部長・経済学研究科長を務めた。
高橋 秀(たかはし しゅう、1930年〈昭和5年〉6月30日… 高橋 秀(たかはし しゅう、1930年〈昭和5年〉6月30日 - )は、日本の画家、版画家、彫刻家。元独立美術協会会員、倉敷芸術科学大学名誉教授、文化功労者。本名は髙橋 秀夫(たかはし ひでお)。本名の姓の「髙」 はいわゆる「はしごだか」であるが、筆名の姓の「高」 はいわゆる「くちだか」である。 広島県立府中中学校(現、広島県立府中高等学校)を卒業後に化粧品の訪問販売をしながら絵を描いていた頃(1948年)、終戦後に府中町(現、広島県府中市)に疎開していた二科会の画家、北川実のアトリエに出入りするようになる。そこで北川の油彩画、およびピカソやマティスの画集を目にして、美術の世界に目覚める。 高橋は1959年の第3回安井賞候補新人展、翌年の第4回展に安井賞候補として出品した後、1961年に3回目の候補となり《月の道》でようやく安井賞を受賞した。
一村 哲也 (いちむら てつや、本名。濱口隆1930年6月3… 一村 哲也 (いちむら てつや、本名。濱口隆1930年6月30日 - )は、日本の写真家。長崎市出身。
石原 守一(いしはら もりかず、1930年6月29日 - 2… 石原 守一(いしはら もりかず、1930年6月29日 - 2012年9月18日)は、日本の科学者、歴史情報研究者。専門は理論生物学など。統計遺伝学においての数少ない理論家。理系文系にまたがる幅広い研究領域を持つ研究者。理学博士・農学博士・工学博士。東京生まれ。1984年6月19日より母方の石原姓を名乗る。出生名は志方 守一(しかた もりかず)。 母方の祖父:石原正治(1873 - 1945)は、工科大学(現東京大学工学部)機械科卒。新橋起点の蒸気機関鉄道山陽鉄道等の発展に寄与し、鉄道高速化により日露戦争勝利にも貢献した。旅順工科学堂(旅順工科大学の前身)創設機械科科長教授。偉大な実践的学究といわれ、南満州鉄道超特急アジア号開発に注力し、世界初の冷房設備搭載客車を創設した。
小田切 みき(おだぎり みき、1930年6月29日 - 20… 小田切 みき(おだぎり みき、1930年6月29日 - 2006年11月28日)は、日本の女優。本名:四方 美喜(よも みき)、旧姓:山藤(さんとう)。チャコちゃんこと四方晴美の母としても知られる。 東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町(現在の東京都渋谷区千駄ヶ谷)生まれ。幼時より日本舞踊の英才教育を受け、新協劇団で子役として活躍。1935年、『夜明け前』で初舞台を踏む。 1938年、山本薩夫監督の『田園交響楽』で映画に初出演。この時の芸名は富士山君子。 1948年、跡見高等女学校卒業、1954年、俳優座養成所を第3期生として卒業。 俳優座研究生時代、1952年に黒澤明『生きる』の志村喬の部下役として抜擢され、役名の"小田切とよ"から苗字を取って小田切みきを名乗る。
玉川 信明(たまがわ のぶあき/しんめい、1930年6月29… 玉川 信明(たまがわ のぶあき/しんめい、1930年6月29日 - 2005年7月6日)は、日本の評論家。玉川しんめいの表記も用いた。 富山県富山市旅籠町に生まれる。神通中学校に入学し、学制変更で富山県立富山中部高等学校となり、卒業。 在学中、日本青年共産同盟(青共)に加入。富山市の臨時職員ののち、群馬県の工場で勤務。のち、法政大学第二経済学部に進学し、黒田寛一らを知るが、退学して帰郷する。 文通により竹内好に師事し、29歳で上京して、東京都立大学の中国文学科の特別聴講生として二年半をすごす。雑誌社に二年半勤務したのちに、結婚・退社してふたたび帰郷する。 33歳、34歳のころ、辻潤に熱中してアナーキズムに傾倒し、40歳をすぎてから著作活動をはじめる。
秋本 穣(穰)(あきもと みのる、1930年6月29日 - … 秋本 穣(穰)(あきもと みのる、1930年6月29日 - 2018年9月15日[要出典])は、日本の実業家。伊藤忠商事代表取締役副社長、タイム・ワーナー・エンターテイメント・ジャパン代表取締役社長、アジア太平洋トレードセンター代表取締役社長を歴任。
小島 孝治(こじま こうじ、1930年6月29日 - 201… 小島 孝治(こじま こうじ、1930年6月29日 - 2014年5月27日)は、大阪府出身のバレーボール指導者で、元バレーボール日本女子代表監督。 クラブチームでは日紡貝塚からユニチカ・フェニックスの監督。長男は歯科医師。 関西大学商学部卒業後の1953年、四天王寺高等学校の監督になり、インターハイで3度優勝 して指導者としての名声を高めた。 1965年、大松博文 の後継者として日紡貝塚女子バレーボール部の監督となる。以後、大松監督が築いた日紡貝塚の公式戦175連勝の記録を258まで延ばし、バレーボール日本リーグ(現在のプレミアリーグの前身)では山田重雄監督が率いる日立 との二強を形成し、27回行われたリーグ戦では日立の18回に次ぐ5回の優勝をもたらした。
西村 三郎(にしむら さぶろう、1930年6月29日 - 2… 西村 三郎(にしむら さぶろう、1930年6月29日 - 2001年11月30日)は、生物地理学、生物海洋学、博物学者。京都大学名誉教授。 1930年6月29日青森県弘前市生まれ。1953年京都大学理学部(動物学専攻)卒業後、水産庁日本海区水産研究所(新潟市)に11年間勤務。京都大学理学部附属瀬戸臨海実験所勤務ののち、1977年、京大教養部助教授、1980年、教授、1992年、京都大学総合人間学部教授、1994年、定年退官、名誉教授。 1981年、『地球の海と生命』で毎日出版文化賞{、1989年、『リンネとその使徒たち』で大佛次郎賞、2000年、『文明の中の博物学』で和辻哲郎文化賞受賞。フィールドワークと文献調査の双方を行い、人文系においても博識で鳴らし、文系と理系の壁を超えた碩学であった。
久世 敏雄(くぜ としお、1930年6月29日 - 2012… 久世 敏雄(くぜ としお、1930年6月29日 - 2012年1月30日)は、日本の心理学者。専門は青年心理学。学位は、教育学博士(1976年)。名古屋大学名誉教授。 1953年、名古屋大学教育学部卒業、1955年、同大学院教育心理学修士課程修了。 1955年から1959年まで同助手を務め、1967年に宮城教育大学助教授。1970年には名古屋大学助教授、1976年に教授に昇任。同年に「青年心理研究の方法論」で教育学博士の学位を取得。 1994年に定年退官し、名誉教授へ就任。また愛知学院大学では2001年退職まで教授を務めた。専門は青年心理学。 2012年1月30日、愛知県豊明市の病院にて多臓器不全により死去。
加藤 廣(かとう ひろし、1930年6月27日 - 2018… 加藤 廣(かとう ひろし、1930年6月27日 - 2018年4月7日)は、日本の小説家。 東京生まれ。東京都立新宿高等学校、東京大学法学部卒業。1954年に中小企業金融公庫に入庫。 京都支店長、本店調査部長などを歴任後、山一證券に勤務し、同経済研究所顧問、埼玉大学経済学部講師などを経て、中小企業やベンチャー企業のコンサルタントを務める。 2005年に構想15年の作品『信長の棺』で小説家デビュー。デビュー当時75歳という年齢が話題を呼ぶ。 それ以前からビジネス書を著していたが、『信長の棺』は『日本経済新聞』に連載され、ベストセラーとなった。同作は第12回中山義秀文学賞の候補作にも選ばれた。 その後『秀吉の枷』『明智左馬助の恋』と本能寺三部作を発表して大きな話題を呼ぶ。
森本 三男(もりもと みつお、1930年6月26日 - )は… 森本 三男(もりもと みつお、1930年6月26日 - )は、日本の経営学者。青山学院大学名誉教授。経営学博士(1997年、名古屋大学にて取得)。 満州国旅順生まれ。1953年山口大学経済学部を卒業。1955年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了、横浜市立大学助手、1960年同大学講師、1961年同大学助教授、1971年同大学教授を経て、1984年青山学院大学国際政治経済学部教授に就任。1997年「企業社会責任の経営学的研究」で、名古屋大学より経営学博士の学位を取得。1999年退職。同大学名誉教授となる。白鷗大学教授に就任。1993年藍綬褒章受章。1996年横浜市功労者表彰。2010年瑞宝中綬章受勲。
芦沢 俊郎(あしざわ としろう、1930年6月26日 - 2… 芦沢 俊郎(あしざわ としろう、1930年6月26日 - 2020年10月20日)は、日本の脚本家。東京都府中市出身。 1952年に早稲田大学文学部を卒業、松竹大船撮影所脚本部に入部し、斎藤良輔に師事。1959年にフリーの脚本家となる。後に「芦沢俊郎のシナリオ研究塾」を開講した。 2020年10月20日、肺梗塞のため死去。90歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
早坂 茂三(はやさか しげぞう、1930年6月25日 - 2… 早坂 茂三(はやさか しげぞう、1930年6月25日 - 2004年6月20日)は、日本の政治評論家。 田中角栄の政務秘書を23年間務めた。「日本列島改造論」の名付け親でもある。秘書辞任後は、多くの著書を出版した。 北海道函館市恵比須町出身。生家は呉服屋を営み、旧制北海道庁立函館中学校・新制北海道立函館高等学校(現北海道函館中部高等学校)を卒業。浪人生活を経て1950年に早稲田大学政治経済学部新聞学科に入学。早大時代の友人に行天豊雄(後の財務官)がいる。 大学時代は学生運動にのめりこみ、一時日本共産党にも入党した。1955年に同大卒業。学生の頃からいずれは新聞記者になろうと思い、新聞社の入社試験を受けるが、朝日新聞は年齢制限で受けられず、読売新聞では最終面接の13人の中の1人に残るが、前歴が前歴だけに思想調査ではねられ、名も知らぬ新聞社だった東京タイムズに拾われた。
米田 昭(よねだ あきら、1930年 <昭和5年> 6月25… 米田 昭(よねだ あきら、1930年 <昭和5年> 6月25日 - 2000年 <平成12年> 9月3日)は、日本の検察官。位階は正三位。 旧制成蹊高等学校を経て、1953年東京大学法学部卒業。東京大学在学中に司法試験に合格。公安調査庁長官、仙台高等検察庁検事長(1991年12月12日-1993年6月24日)を歴任。2000年9月3日、肝細胞癌のため死去。死没日付をもって正三位に叙された。