重渕 雅敏(しげふち まさとし、1935年7月4日 - 20… 重渕 雅敏(しげふち まさとし、1935年7月4日 - 2017年5月3日)は、日本の技術者、実業家。東陶機器(現TOTO)代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本セラミックス協会会長、北九州商工会議所会頭などを務めた。正四位旭日重光章。 福岡県田川郡添田町生まれ。福岡県立田川高等学校を経て、1958年九州大学工学部卒業、東洋陶器(現TOTO)入社。1983年取締役。1987年常務取締役。1992年専務取締役。1994年代表取締役副社長。 1998年から東陶機器代表取締役社長を務め、人員削減などの経営改革にあたり、また、大建工業やYKK APと業務提携しリフォーム事業の確立を行った。2003年代表取締役会長。
榎枝 慶之輔(えのえだ けいのすけ、1935年7月4日 – … 榎枝 慶之輔(えのえだ けいのすけ、1935年7月4日 – 2003年3月29日)は、日本の松濤館流空手家。英国空手連合師範代、松濤館空手八段で、死後には九段位に認定された。 1935年7月4日に日本の九州生まれ。若いころは剣道と柔道の訓練を受け、野球もしていた 榎枝は16歳で柔道二段に達していた。 その後拓殖大学に進学し、そこで空手のデモンストレーションに感銘を受け、その武道を始めた。 大学卒業後、 日本空手道協会 (JKA) 本部道場 ( 中山正敏 )に師事。 また、 加瀬泰治の指導の下、組手修行を積んだ 。 1961年に顕著なトーナメントの試合を戦い、決勝で6回の延長の末に阿部圭吾を破る 。
梶村 秀樹(かじむら ひでき、1935年(昭和10年)7月4… 梶村 秀樹(かじむら ひでき、1935年(昭和10年)7月4日 - 1989年(平成元年)5月29日)は、日本の歴史学者。元神奈川大学経済学部教授。専攻は朝鮮近現代史。東京出身。 戦時司法特別法 (1943年)の著者の1人である梶村敏樹は実父。なお、母方の曽祖父は大久保春野である。 1959年東京大学文学部東洋史学科卒業。1963年同大学院人文科学研究科博士課程退学、以後1969年まで東京大学東洋文化研究所助手。1961年から1979年まで日本朝鮮研究所で研究活動を行う。1973年神奈川大学助教授、1979年同教授。1989年(平成元年)5月29日に癌のため53歳で死去した。 下條正男は、韓国の主張に同調する日本人を「良心的日本人」として韓国の民間団体「独島を日本に知らせる運動連帯」が2013年5月2日中央日報に「朴槿恵大統領に捧げる公開請願」という2面の「極右学者」を非難する意見広告を掲載した際、「日本にも正しい学者が多数いる」として「良心的日本人」の一人に梶村を挙げたと述べている。
皆川 睦雄(みながわ むつお、1935年7月3日 - 200… 皆川 睦雄(みながわ むつお、1935年7月3日 - 2005年2月6日)は、山形県南置賜郡山上村大字関根(現・米沢市)出身のプロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・解説者・評論家。 現役当時は同期入団の野村克也と共に南海ホークス黄金期の主力選手であり、同じくアンダースロー投手の杉浦忠と共に南海黄金時代のエースとして活躍した。通算成績は759試合登板、221勝139敗、防御率2.42。通算221勝はホークス(南海、ダイエー、ソフトバンク)の球団記録であり、1983年に山田久志に更新されるまでアンダースロー投手としてのNPB記録でもあった。なお、南海の大エースとして名高い杉浦(通算187勝)よりも通算勝利数は上回っており、200勝がラインとなる日本プロ野球名球会にも入会している。
長谷 景治(はせ けいじ、1935年7月3日- 2024年1… 長谷 景治(はせ けいじ、1935年7月3日- 2024年11月13日)は、日本の競泳選手。早稲田大学商学部卒業。日本マスターズ水泳協会の副会長を務めている。 大阪市立高倉中学校、大阪市立都島工業高等学校普通科卒業。早稲田大学商学部在学中の1956年のメルボルンオリンピックの100m背泳ぎに出場、準決勝で敗退した。 1954年、1958年のアジア競技大会の100m背泳ぎでともに金メダルを獲得している。 1954年9月17日、田中守・長沢二郎・谷訯との400mメドレーリレーで4分17秒2の世界新記録、1955年8月13日、古川勝・石本隆・古賀学との400mメドレーリレーで4分15秒7の世界新記録をつくり、1954年度、1955年度の朝日スポーツ賞に選ばれている。
諫山 正(いさやま ただし、1935年7月3日 - 2021… 諫山 正(いさやま ただし、1935年7月3日 - 2021年9月3日)は、日本のマルクス経済学者。新潟大学名誉教授。元新潟青陵大学学長。元新潟市都市計画審議会会長。 新潟県新潟市出身。1959年九州大学経済学部経済学科卒業。1963年東京教育大学大学院文学研究科社会学専攻修士課程修了、文学修士。1967年同博士課程単位取得退学。1980年新潟大学経済学部教授。1990年新潟大学経済学部長、新潟大学大学院経済学研究科長。2001年定年退職、新潟大学名誉教授、新潟青陵女子短期大学教授。2004年新潟青陵大学短期大学部教授、新潟青陵大学短期大学部学長代行。2005年学校法人新潟青陵学園評議員、学校法人新潟青陵学園理事。
安田 寿明 (やすだ としあき、1935年(昭和10年)7月… 安田 寿明 (やすだ としあき、1935年(昭和10年)7月3日 - )は、日本の情報工学者である。 1935年に兵庫県に生まれる。1959年に電気通信大学を卒業後、読売新聞社で勤務した後に東京電機大学で研究職に就いた。 1975年、コンピュートピア誌上で、個人用コンピュータに関する連載を持ち、その中で、現在の一人1台の情報端末を所有してネットワークで有機的に結合された情報化時代の到来を早くも予言していた。Intel 8008を使用したコンピュータの製作法を紹介し、一連の著書シリーズを上梓した。 当時のシリーズは当時のマイコン少年達に感銘を与え、かつての読者の中には情報通信産業で活躍することになった者も多数いる。
寺嶋 潔(てらしま きよし、1935年7月2日 - )は、日… 寺嶋 潔(てらしま きよし、1935年7月2日 - )は、日本の運輸官僚。帝都高速度交通営団総裁を務めた。 愛知県出身。1960年に東京大学法学部公法学科を卒業し、同年に運輸省に入省した。1985年6月に大臣官房審議官、1989年6月に貨物流通局長、1990年6月に国際運輸・観光局長、1991年7月に運輸審議官を歴任した。1993年7月に帝都高速度交通営団副総裁に就任し、1996年7月に総裁に昇格し、2000年に日比谷線事故で責任を取る形で辞任した。 2002年2月に海事産業研究所の理事長兼所長に就任。 営団最後の総裁土坂泰敏が2022年に死去して以来、営団総裁経験者最後の存命者となっている。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
沢本 忠雄(さわもと ただお、1935年7月2日 - 202… 沢本 忠雄(さわもと ただお、1935年7月2日 - 2022年6月5日)は、日本の俳優。三重県松阪市出身。白木万理は元妻にあたる。 1958年、日本大学芸術学部(映画科・演出/シナリオ)卒業。日活に入社。公式のデビュー作は南田洋子主演で、南田の弟役を演じた『雌花』(1957年、阿部豊監督作品)であるが、その前に同じ南田主演の『素足の娘』でエキストラ出演している。そのエキストラ出演で阿部に認められて『雌花』に起用されたという。 1958年に『十代の恋よさようなら』(小林桂三郎監督作品)にて初主演。以後は『嵐を呼ぶ友情』、『群衆の中の太陽』、『青春蛮歌』、『祈るひと』等、数々の作品に出演し、日活映画の顔となる。
大矢根 博臣(おおやね ひろおみ、1935年〈昭和10年〉7… 大矢根 博臣(おおやね ひろおみ、1935年〈昭和10年〉7月1日 - )は、香川県三豊郡仁尾町(現:三豊市仁尾町)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 現役時代はNPB(セントラル・リーグ)の中日ドラゴンズで先発投手として活躍し、在籍7年間(1954年 - 1960年)で84勝52敗を記録した。特に1956年には中日のエースとして20勝を挙げ、1958年には自己最多の24勝を挙げた。 中日時代の通算防御率は1.99、通算勝率は0.618。2020年シーズン終了時点で、前者は中日の球団記録であり、後者も杉下茂・服部受弘・吉見一起に次ぐ球団史上4位(いずれも通算投球回1000イニング以上の投手に限る)である。
村崎 芙蓉子(むらさき ふよこ、1935年7月 - )は、日… 村崎 芙蓉子(むらさき ふよこ、1935年7月 - )は、日本の医師・文筆家。東京都出身。循環器内科医。 東京都立西高等学校を経て、東京女子医科大学を卒業後、同大学の附属研究機関である日本心臓血圧研究所にて循環器医学を学ぶ。 その後、新宿三井ビルクリニック副院長を経て、1992年に「女性成人病クリニック」を開設し、同クリニック院長となる。診療の傍ら執筆や講演活動を行なっていたが、著書「カイワレ族の偏差値日記(鎌倉書房)」がTVドラマ化され話題となり、「カイワレ族(土ではなく、ウレタンの苗床で完全管理の下に育てられるカイワレに例え、管理社会でしか生きられない成績が普通の中学生・高校生)」が流行語となるなどして広くその名を知られるようになった。
秋本 祐作(あきもと ゆうさく、1935年6月30日 - 2… 秋本 祐作(あきもと ゆうさく、1935年6月30日 - 2016年5月9日)は、神奈川県中郡大磯町出身のプロ野球選手(投手)、プロゴルファー。 横須賀工業高校では1952年の秋季関東大会県予選準決勝に進むが、慶應高に敗退。1953年秋に知人の紹介で巨人の入団テストを受けるが、身長が基準に満たなかったため不合格となった。 卒業後は京都大丸を経て、1956年に阪急ブレーブスへ入団。3年目の1958年には48試合に登板して13連勝を含む14勝4敗、リーグ3位の防御率1.89を記録し、最優秀勝率のタイトルを獲得。同年に記録した200投球回以上で被本塁打3本は、半世紀後の2008年に岩隈久志が記録している。
伊藤 聚(いとう あつむ、1935年6月30日 - 1999… 伊藤 聚(いとう あつむ、1935年6月30日 - 1999年1月6日)は、日本の詩人。東京都出身。 1935年、東京阿佐ヶ谷に生まれる。少年時代を静岡県で過ごした。1945年5月、磐田空襲の直撃を受け、多くの友人を失っている。1954年、静岡県立静岡高等学校卒業。早稲田大学文学部独文科を卒業後、松竹に入社。長く助監督・松竹シナリオ研究所校長を務めた。1951年頃から詩作を発表し始める。後、「氾」「鷭」「壱拾壱」「淼」「アサザ属」「飾粽」「NEW感情」などに所属した。美術への関心も強く、コラージュ・イラスト・オブジェ・写真など、言葉によらない作品も多く残している。
野村 克也(のむら かつや、1935年6月29日 ‐ 20… 野村 克也(のむら かつや、1935年6月29日 ‐ 2020年2月11日)は、京都府竹野郡網野町(現:京丹後市)出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、野球解説者・野球評論家。プロ野球史において唯一、選手と監督の両方で通算3000試合を達成。捕手でありながら当時歴代最多のシーズン52本塁打、戦後初の三冠王などの記録を打ち立て、歴代最多のベストナイン19回選出。監督としても数多の人材と名言を遺し、評論家時代を通じて野球の理論・技術の発展と普及に尽力した。京丹後市名誉市民。後妻にタレントの野村沙知代。 NPB戦後初(史上2人目)の三冠王を達成(世界のプロ野球史上初の捕手による三冠王)。実働26年で本塁打王9回、打点王7回、最優秀選手5回は歴代2位かつパ・リーグ最多記録(歴代1位はいずれも王貞治)。
櫻井 規順(さくらい きじゅん、1935年6月29日 - )… 櫻井 規順(さくらい きじゅん、1935年6月29日 - )は、日本の政治家。社会民主党静岡県連合常任顧問。報道などでは新字体で桜井 規順(さくらい きじゅん)とも表記される。
峰岸 明(みねぎし あきら、1935年6月29日 - 201… 峰岸 明(みねぎし あきら、1935年6月29日 - 2012年6月23日)は、日本の国語学者。横浜国立大学名誉教授。 埼玉県出身。東京教育大学卒。妻は児童文学作家の安房直子。東洋大学助教授を経て、1984年、横浜国立大学教授。「平安時代古記録の国語学的研究」で、1986年、新村出賞、1987年、角川源義賞を受賞。1999年、定年退官、名誉教授。2012年6月23日、死去。
安藤 順三(あんどう じゅんぞう、1935年6月28日 - … 安藤 順三(あんどう じゅんぞう、1935年6月28日 - )は、岐阜県多治見市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督。
小島 又雄(こじま またお、1935年6月28日 - 201… 小島 又雄(こじま またお、1935年6月28日 - 2015年6月4日)は、日本の実業家。住友金属工業社長を務めた。 東京都出身。1954年 東京大学教育学部附属高等学校(現在の東京大学教育学部附属中等教育学校)卒業。1958年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に住友金属工業に入社。 経理部長、支配人、取締役、常務を経て、1992年6月に副社長に就任し、1996年6月から2000年6月までに社長を務め、2000年6月から2001年6月までに会長を務めた。社長在任時には、住友シチックスとの合併やシームレスパイプの設備更新などの事業拡大に取り組んだ。 1999年5月から2001年5月までに関西経済連合会副会長を務め、住友特殊金属取締役も務めた。
佐藤 勇(さとう いさむ、1935年6月28日 - 2019… 佐藤 勇(さとう いさむ、1935年6月28日 - 2019年5月23日)は、日本の物理学者。高エネルギー粒子加速器の専門家。大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、日本大学教授を歴任し、電子、陽電子の線形加速器の開発研究ならびに建設に多くの業績を残した。 1960 – 1966年 東北大学 東北大学北垣敏男教授のもとで、素粒子物理学の研究とその実験的研究のための高エネルギー加速器の開発、デザインについて薫陶を受けた。当時、素粒子物理学の研究に使える高エネルギー加速器は、欧米が先進的であり、日本では、東京大学原子核研究所の750MeV電子シンクロトロンのみであった。
荒井 良雄(あらい よしお、1935年6月27日 - 201… 荒井 良雄(あらい よしお、1935年6月27日 - 2015年4月8日)は、日本のイギリス文学者、翻訳家。駒澤大学名誉教授。 1970年代前後には、NHK教育テレビの『英語講座』、文化放送ラジオ『百万人の英語』の講師としても活躍した。 学生時代から永く、シェイクスピア作品の上演に打ち込み、研究者としてイギリス文学に関する著作を発表する傍ら、シェイクスピア劇の演出や朗読も手がけた。 禅についても関心を寄せ、レジナルド・ブライスに関する研究や、英米の映画を題材にした著作、英語教科書なども発表していた。 映画監督荒井良平の息子として、京都市に生まれる。 京都府立嵯峨野高等学校から学習院大学文学部へ進み、1961年に文学修士を取得後、学習院大学に助手として採用され、講師、助教授、教授となる。
レオナルド 熊(レオナルドくま、本名:井上 千蔵 <い… レオナルド 熊(レオナルドくま、本名:井上 千蔵 <いのうえ せんぞう>、1935年6月27日 - 1994年12月11日)は、日本のコメディアン。 石倉三郎と組んだコントコンビ『ラッキーパンチ』『コント・レオナルド』で一世を風靡した。
塩川 喜信(しおかわ よしのぶ、1935年〈昭和10年〉6月… 塩川 喜信(しおかわ よしのぶ、1935年〈昭和10年〉6月27日 - 2016年〈平成28年〉7月30日)は、日本の左翼活動家、トロツキー研究所所長、神奈川大学非常勤講師。 東京大学生時代に全日本学生自治会総連合(全学連)委員長を務める。60年安保闘争や砂川闘争に加わり、60年代末、東大農学部助手時代に全共闘運動に参加。2016年7月30日、肺炎で死去。 北海道拓殖銀行副頭取、藝備銀行(現在の広島銀行)頭取等を務めた塩川三四郎の孫。父・塩川三千勝は三井銀行員。母・妙子は王子製紙社長足立正の長女。 妻・桂子(啓子)は馬越種苗農芸社長馬越恭一の長女で、三井物産理事、日本麦酒社長等を務めた曽祖父・馬越恭平が帝国商業銀行頭取の当時、大学院生だった塩川三四郎に同行への就職を世話している。
鳥井 実(とりい みのる、1935年6月27日 - 2018… 鳥井 実(とりい みのる、1935年6月27日 - 2018年8月30日)は、北海道三石郡三石町(現日高郡新ひだか町)出身の作詞家。 20歳で上京した後、作詞家の高橋掬太郎に師事。その後は故郷の北海道に戻り、バーを経営しながら作詞家活動を行い、1964年に「すすきのブルース」でデビュー。再び東京へ戻ると、1967年の「命かれても」(森進一)が100万枚を超すヒット曲になる。 その後も「だんな様」(三船和子)、「娘よ」(芦屋雁之助)などコンスタントにヒット曲を飛ばす。 2012年に病気療養のため札幌に戻り、その後は帯広市に移住し、当地を中心に作詞活動を行っていた。 2018年8月30日午前4時13分、肝細胞癌のため死去。
岡崎 光治(おかざき みつはる、1935年6月26日 - 2… 岡崎 光治(おかざき みつはる、1935年6月26日 - 2018年12月6日)は、日本の作曲家・指揮者。日本作曲家協議会会員、日本電子音楽協会理事、仙台電子音楽協会代表、仙台作曲家集団所属、宮城県芸術協会参事、NHK仙台放送局合唱団音楽監督。常盤木学園高等学校音楽科講師。
白川 澄子(しらかわ すみこ、1935年6月26日 - 20… 白川 澄子(しらかわ すみこ、1935年6月26日 - 2015年11月25日)は、日本の声優、女優。 『サザエさん』の中島弘役、『ドラえもん(テレビ朝日版第1期)』の出木杉英才役など、アニメ黎明期より端正な少年役を演じて長期レギュラー出演していた。 東京府(現東京都)出身。放送劇が好きであり、慶應義塾大学文学部卒業後、TBS放送劇団に入団。その後、青年工房、富士放送プロ、土の会、七の会、劇団河に所属していた。 2015年11月25日午後10時頃、クモ膜下出血のため東京都杉並区内の自宅で死去、80歳没。11月26日、『サザエさん』12月6日放送分の収録に出演する予定であったが、集合時間を過ぎても現場に姿を見せず、連絡も取れなかったことから、アニメスタッフがマネージャーや白川の実弟と一緒に自宅アパートを訪れたところ、風呂場の浴槽で顔が水に浸かった状態で倒れ亡くなっているのが発見された。
鈴木 政志(すずき まさし、1935年6月26日- 2005… 鈴木 政志(すずき まさし、1935年6月26日- 2005年5月13日 )は、日本の経営者。野村證券社長、会長を務めた。 千葉県出身。1958年に東京大学法学部を卒業し、同年に野村證券に入社した。1981年12月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1972年4月に副社長に就任し、1993年6月には副会長に就任し、翌年6月に会長に就任した。 しかしその後総会屋への利益供与事件で酒巻英雄社長が引責辞任したことにより、1997年3月に暫定的に社長を兼務し、経営を刷新したが、わずか2ヶ月後の5月に社長を氏家純一に譲り、会長に専任する。1998年6月から顧問を務めた。 日本証券業協会会長も務めた。 2005年5月13日、腎不全のために死去。
森下 郁子(もりした いくこ、1935年6月26日 - )は… 森下 郁子(もりした いくこ、1935年6月26日 - )は、日本の河川学者、社団法人淡水生物研究所所長。 台北生まれ。奈良女子大学理学部動物学科卒。兵庫県河川審議委員、応用生態工学研究会副会長、環境技術学会副会長、日本河川協会理事、国土技術研究センター理事、大阪産業大学教授などを経て現職。1977年『川の健康診断』で毎日出版文化賞受賞。2002年「魚類群集による河川環境評価手法の開発に関する研究」で芝浦工業大学工学博士。 専門は、陸水生態学、比較河川学、ダム湖学。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
森村 道美(もりむら みちよし、1935年〈昭和10年〉6月… 森村 道美(もりむら みちよし、1935年〈昭和10年〉6月25日 - 2012年〈平成24年〉10月29日)は、日本の都市計画家。都市研究者。東京大学、長岡技術科学大学教授を歴任。工学博士(1987年)。ケーススタディを駆使した都市計画の策定や研究で知られる。 群馬県伊勢崎市出身。群馬県立前橋高等学校を経て、1959年(昭和34年)東京大学工学部建築学科を卒業。1964年(昭和39年)同大学院博士課程単位取得退学。同助手となり、1971年(昭和46年)同助教授を経て1987年(昭和62年)教授に就任。 1987年(昭和62年)度日本都市計画学会学会賞受賞。1995年(平成7年)、東京大学大学院工学系研究科教授。
小川 紳介(おがわ しんすけ、1935年6月25日 - 19… 小川 紳介(おがわ しんすけ、1935年6月25日 - 1992年2月7日)は、日本のドキュメンタリー映画監督。山形国際ドキュメンタリー映画祭創設の提唱者。東京市芝区横新町(現在の東京都港区芝)出身。
早川 恒雄(はやかわ つねお、1935年(昭和10年)6月2… 早川 恒雄(はやかわ つねお、1935年(昭和10年)6月25日 - )は、日本の銀行家。千葉銀行頭取、会長を歴任した。 千葉銀行レインボー事件以来、実に約40年ぶりにプロパーとして頭取に就任した。 頭取在任時は、3度の最終赤字を計上するなど不良債権処理に追われた。その処理を2003年(平成15年)3月期で完了させ、翌期には過去最高の当期純利益である257億円を達成した。それを期に、自身は相談役に退き、会長には石井俊昭副頭取をあて、頭取には一貫して営業畑を歩んできた竹山正取締役・専務執行役員を昇格させた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
渡辺 修渡舟(わたなべ おさむとしゅう、1935年6月25日… 渡辺 修渡舟(わたなべ おさむとしゅう、1935年6月25日 - 2007年3月2日)は、日本の画家、彫刻家。 武者小路実篤が「人間らしく生きる」「自己を生かす」ことができる社会を目指して提唱し、その同志が建設した理想郷「新しき村」で義務労働の傍ら、絵画や彫刻の制作に励む。村で毎日絵筆をとる生活をし、絵画教室も開いていた。渡辺登州(わたなべ としゅう)と名乗ることもあった。本名、渡辺修(わたなべ おさむ)。武者小路実篤や高田博厚に師事した。 鳥取県東伯郡中山村(現・西伯郡大山町)で生まれ、中学生の頃から絵を描きたいという思いを持ち、武者小路実篤の作品も熱心に読んでいた。将来は教員でもやりながら絵を描こうと思っていたが、高校教師だった兄の話を聞いて教師との両立に疑問を抱く。
洗 建(あらい けん、1935年6月23日 -)は、京城出身… 洗 建(あらい けん、1935年6月23日 -)は、京城出身の日本の宗教学者。駒澤大学名誉教授。専門は宗教と法制度。元文化庁宗務課専門員。 宗教学の立場からの法制度研究を開始し、同分野の第一人者として、国会や各裁判所より参考人として意見を求められている。 1935年、京城生まれ。1954年に東京都立日比谷高等学校卒業後、早稲田大学教育学部国語国文学科に入学。1959年に同卒業後、同大学院文学研究科国文学専攻修士課程に進む。1962年に修了後、東京大学文学部宗教学宗教史学科に学士編入。1964年に同大学院修士課程に進み、脇本平也、柳川啓一に師事、1970年に博士課程を満期退学。 1970年に東京大学助手となり、1974年から文化庁宗務課専門職員に転じ。
筑紫 哲也(ちくし てつや、1935年〈昭和10年〉6月23… 筑紫 哲也(ちくし てつや、1935年〈昭和10年〉6月23日 - 2008年〈平成20年〉11月7日)は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター。長年にわたって新聞・雑誌・テレビ報道の第一線に立ちつづけ、日本のテレビジャーナリズムの確立に多大な貢献をした業績により日本記者クラブ賞を受賞。朝日新聞社政治部記者、ワシントン特派員、テレビ朝日『日曜夕刊!こちらデスク』メインキャスター、朝日ジャーナル編集長などを経て、TBSテレビ『筑紫哲也NEWS23』キャスター編集長を18年あまり務めた。 大分県日田郡小野村(現在:日田市)で筑紫和臣・文子夫妻の長男として生まれた。静岡県立沼津東高等学校、東京都立小山台高等学校を経て、早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業。
浅井 信雄(あさい のぶお、1935年6月23日 - 201… 浅井 信雄(あさい のぶお、1935年6月23日 - 2015年3月6日)は、日本の国際ジャーナリスト。三桂所属。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡高等学校、東京外国語大学インド・パーキスターン語学科卒。 1958年読売新聞社入社。海外特派員としてジャカルタ、ニューデリー、カイロ各特派員を経て、1978年から1981年までワシントン支局長。1981年に読売新聞社を退社。 その後はジョージタウン大学研究員、野村総合研究所在米コンサルタント、1983年に東京大学、東京外国語大学各講師、三菱総合研究所研究員、財団法人中東調査会理事を歴任。 1987年から1998年まで、神戸市外国語大学国際関係学科教授(国際政治学)。
柳澤 信夫(やなぎさわ のぶお、1935年6月22日 - )… 柳澤 信夫(やなぎさわ のぶお、1935年6月22日 - )は日本の医学者、医師、医学博士。信州大学名誉教授。東京工科大学名誉教授。専門は神経学。日本学術会議会員(第17期)。 東京府出身。1960年に東京大学医学部卒業後、同大学大学院を修了する。1965年に東京大学医学部附属病院神経内科の助手となる。同年3月、東京大学医学博士。論文の題は 「Thalamic influences on the gamma motor system(視床外腹側核刺激のガンマ運動系に及ぼす影響)」。1969年にハーバード大学霊長類研究所生理学部門へ留学する。その後、1980年に信州大学教授となり、1993年に信州大学医学部附属病院院長に就任する。
日高 義樹(ひだか よしき、1935年6月22日 - )は、… 日高 義樹(ひだか よしき、1935年6月22日 - )は、日本のジャーナリストである。アメリカ合衆国在住。ハドソン研究所客員上級研究員、全米商工会議所会長首席顧問、ハーバード大学ケネディスクールタウブマンセンター諮問委員。 1935年(昭和10年)名古屋市生まれ。愛知県知多郡東浦町出身。愛知県立刈谷高等学校を経て、東京大学文学部英文科卒業。 親米派の論客として改憲論、特に日本国憲法第9条改訂の立場をとるジャーナリストとして知られる。2010年代後半以降はメディア登場がない。 1959年(昭和34年)、NHK入局。福岡放送局、佐世保放送局(現・支局)、1965年(昭和40年)外信部、1970年(昭和45年)ワシントン特派員、1972年(昭和47年)外信部、1975年(昭和50年)ニューヨーク特派員、1980年(昭和55年)ニューヨーク支局長、1982年(昭和57年)ワシントン支局長、1985年(昭和60年)特報部、1987年(昭和62年)NHKエンタープライズアメリカ会長、理事待遇アメリカ総局長を歴任した。
桑原 敏武(くわばら としたけ、1935年(昭和10年)6月… 桑原 敏武(くわばら としたけ、1935年(昭和10年)6月22日 - )は、日本の政治家。元東京都渋谷区長(3期)。元東京都職員。 愛媛県立松山東高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、東京都庁入庁。 渋谷区教育委員会社会教育部長、渋谷区助役などを経て、2003年4月渋谷区長選挙に出馬し初当選。 2003年から2015年までの3期12年、渋谷区長を務めた。 区長就任中の2015年4月に、日本国内の自治体で初となる同性カップルの「パートナーシップ制度」を導入した。
酒井 シヅ(さかい しづ、1935年6月22日- )は、日本… 酒井 シヅ(さかい しづ、1935年6月22日- )は、日本の医史学者である。前日本医史学会理事長。順天堂大学名誉教授。静岡県静岡市出身。 三重県立大学医学部卒業、1967年東京大学大学院医学研究科博士課程修了、「サルの皮質視床線維の終止部位について 中心前回並に中心後回を中心にして」で医学博士。 1969年に順天堂大学助手、75年講師、助教授、第2代医史学教授となる。2001年客員教授となり2008年に同大学の特任・名誉教授となる。2014年に本郷キャンパス内に開館した「日本医学教育歴史館」の館長も併任し、医史学の研究を続けている。 NHK大河ドラマ「花神」「獅子の時代」「八重の桜」等、漫画「JIN-仁-」及びそのドラマ化作品(TBS)等で医学考証を担当した。
小野 興二郎 (おの こうじろう、1935年6月22日 - … 小野 興二郎 (おの こうじろう、1935年6月22日 - 2007年10月28日)は、昭和期から平成期の歌人。歌誌「泰山木」主宰。 愛媛県上浮穴郡面河村(現・久万高原町)の、豊かではない神官の家に生まれる。松山市の「潮音」系短歌結社「にぎたづ」に参加。その後上京し、明治大学文学部に入学するが、結核にかかり帰郷して肺葉切除を受ける。1957年、北原白秋の流れを汲む、木俣修の歌誌「形成」に参加する。大学卒業後、市川学園(千葉県)の国語科教諭となる。1981年に肝生検のショックで入院し、視力障害を患う。以後、入退院を繰り返しながら、歌作を続ける。その作品は、人間存在の根源について鋭く問いかけるものであり、その美しい文語体の歌は多く人々の共感を得た。
内山 安二(うちやま やすじ、1935年6月21日 - 20… 内山 安二(うちやま やすじ、1935年6月21日 - 2002年9月2日)は、日本の漫画家。熊本県葦北郡水俣町(現・水俣市)出身。代表作に『コロ助の科学質問箱』など。 1953年から1954年にかけて『漫画少年』投稿欄の常連で、つげ義春と文通していた。同誌1954年8月号以降は3号続けて『長屋大平記』(出典ママ)などの作品を依頼されている。 1954年、毎日新聞社に入社。西部本社の毎日小学生新聞西部編集部に配属され、大阪本社から電送された手塚治虫の作品の修正を手掛けたのを切っ掛けに、毎日小学生新聞に自ら漫画を描き始める。 毎日新聞社を退社後は、プロの漫画家に転向し、主に学習漫画をメインとした作品を数多く発表した。
日置 達郎(ひおき たつお、1935年6月20日 - )は、… 日置 達郎(ひおき たつお、1935年6月20日 - )は、札幌かに本家代表取締役会長。三重県一志郡美杉村出身。 中学卒業後、製材所勤務を経て板前に道に入る。四日市、大阪、東京などで修行し、1971年に名古屋かに道楽、1974年に札幌かに本家を創業した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
青木 淳一(あおき じゅんいち、1935年6月19日 - 2… 青木 淳一(あおき じゅんいち、1935年6月19日 - 2022年11月11日)は、日本の動物学者、土壌動物学者。横浜国立大学名誉教授。ササラダニ類の分類学および生態学を専門とし、この類の分類学において日本の水準を高いものにした。 父方の祖父は華族(子爵)・政治家の青木信光。母方の祖父は台湾電力社長などを務めた官僚・実業家の松木幹一郎 。叔父(父の末弟)は東京医科歯科大学名誉教授・元学長で衛生動物学者の加納六郎。 ササラダニ類の分類学を手掛け、日本におけるこの分野をほとんど一人で開拓した。非常に精力的であり、日本におけるダニ類の研究発表先である日本蜘蛛学会の雑誌には、青木による新種記載の論文がほぼ毎号に出るという時期があった。
森田 稔(もりた みのる、1935年6月19日 - )は、日… 森田 稔(もりた みのる、1935年6月19日 - )は、日本のロシア音楽研究者、宮城教育大学名誉教授。 満州国奉天市(現中国瀋陽市)生まれ。東京外国語大学ロシヤ語科、東京藝術大学楽理科卒業。東京都立高校教諭、弘前大学講師、宮城教育大学助教授、教授を務め2001年定年退官。2015年春の叙勲で瑞宝中綬章受章。
永井 清彦(ながい きよひこ、1935年6月19日 - 20… 永井 清彦(ながい きよひこ、1935年6月19日 - 2017年7月14日)は、日本のジャーナリスト、国際政治学者。 東京府東京市牛込区(現東京都新宿区)出身。1958年東京大学文学部独文科卒、朝日新聞に入り、ドイチェ・ヴェレ、ザ・タイムズ記者ののち、桃山学院大学教授、玉川大学教授、1996年共立女子大学国際文化学部教授を務めた。
山口 明穂(やまぐち あきほ、1935年6月16日 - )は… 山口 明穂(やまぐち あきほ、1935年6月16日 - )は、日本の古典国語学者、東京大学文学部名誉教授。
加地 健太郎(かぢ けんたろう、1935年6月15日 - )… 加地 健太郎(かぢ けんたろう、1935年6月15日 - )は、東京府(現・東京都)出身の俳優。劇団俳優座第8期生、劇団民藝、田中事務所を経て、東京俳優生活協同組合に所属。本名:清水 重男。血液型はA型。 松本染升は義父にあたる。東京都立千歳高等学校卒業。早稲田大学第一文学部哲学科を中退、早大時代には雄弁会に所属しており青木幹雄と同期であり親友でもある。 シャンソン歌手の仲代圭吾は高校の同級生で親友。圭吾の兄である仲代達矢から『七人の侍』の撮影現場の話を聞き、興味を持ったことが俳優になったきっかけのひとつとされる。 劇団民藝と劇団俳優座の入所試験を受け、ともに合格していたが、仲代達矢がいることもあり俳優座の養成所に入所。
横手 文雄(よこて ふみを、1935年6月15日 - 202… 横手 文雄(よこて ふみを、1935年6月15日 - 2021年4月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 鹿児島県国分市(現在の霧島市)で出生。近江高等学校卒業。1962年全国繊維産業労働組合同盟(ゼンセン同盟)愛知支部入り、1970年静岡支部次長、1971年福井支部長を経て1976年、第34回衆議院議員総選挙で福井県全県区から民社党公認で初出馬も落選、1979年、第35回衆議院議員総選挙で初当選し連続3期つとめた。 1986年春、撚糸工連事件で民社党を離党。在宅起訴された。同年の第38回衆議院議員総選挙には無所属で出馬したが落選した(なお、横手の離党記者会見に同席した大内啓伍も現職の書記長ながら、横手の事件の影響を受ける形で落選した)。
松嶋 市平(まつしま いっぺい、1935年6月15日 -没年… 松嶋 市平(まつしま いっぺい、1935年6月15日 -没年不明 )は、東京都西多摩郡奥多摩町出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は松島 市平(まつしま いっぺい)。173cm、112kg。最高位は西十両7枚目。得意技は左四つ、寄り。 1953年5月場所に初土俵。初土俵から1度も負け越すことなく1957年5月場所に立武蔵の四股名で十両昇進するも4勝11敗と大きく負け越し、翌9月場所に幕下陥落。幕下陥落後もしばらく低迷していたが、1959年9月場所に幕下優勝を果たすと、1959年11月場所に松嶋の四股名で十両に復帰した。復帰した場所では11勝4敗の好成績を挙げた。その後は十両中位で相撲を取ることがほとんどであり、1961年7月場所に再度幕下へ陥落。
高橋 幸一(たかはし こういち、1935年6月14日 - )… 高橋 幸一(たかはし こういち、1935年6月14日 - )は、福島県出身の元プロ野球選手。 原町高校から神奈川大学へ進学するも中退し、1955年に毎日オリオンズへ入団。同年退団。
石川 博康(いしかわ ひろやす、1935年6月14日 - )… 石川 博康(いしかわ ひろやす、1935年6月14日 - )は、日本の経営者。サンケイビル社長を務めた。 群馬県出身。1959年に東京大学文学部社会学科を卒業し、同年にフジテレビジョンに入社。1963年にアメリカのニューヨーク大学に留学。1984年にサンケイビル副社長を経て、1986年6月から1990年6月までに社長を務めた。 2011年4月に旭日中綬章を受章。 1フジテレビジョン、ニッポン放送、ポニーキャニオンなどを傘下に持つフジサンケイグループを統括する認定放送持株会社。2フジテレビジョン、産業経済新聞社、ニッポン放送、サンケイビル、ポニーキャニオン、文化放送を中心に構成する日本最大級のメディア・コングロマリット。