米川 信夫(よねかわ のぶお、1918年(大正7年) - 2… 米川 信夫(よねかわ のぶお、1918年(大正7年) - 2008年(平成20年))は、日本の翻訳家。
1918年(大正7年)生まれ:572人
米川 信夫(よねかわ のぶお、1918年(大正7年) - 2… 米川 信夫(よねかわ のぶお、1918年(大正7年) - 2008年(平成20年))は、日本の翻訳家。
山田 實(やまだ みのる、1918年 - )は、日本の写真家… 山田 實(やまだ みのる、1918年 - )は、日本の写真家。1977年、沖縄タイムス芸術選賞大賞受賞。2000年、沖縄県文化功労者として表彰。兄は、詩人の山田有勝。
岡田 利弘(おかだ としひろ、1918年 - 2003年)は… 岡田 利弘(おかだ としひろ、1918年 - 2003年)は、日本の物理学者。東京府生まれ。
西川 博夫(にしかわ ひろお、1918年 - 1944年7月… 西川 博夫(にしかわ ひろお、1918年 - 1944年7月3日)は、日本の元アマチュア野球選手。埼玉県出身。ポジションは外野手。 浦和中学(現・埼玉県立浦和高等学校)在学中は、甲子園に2回(春2回〈1935年、1937年〉)出場した。浦和中は1935年春には、初出場(埼玉県内では川越中学〈現・埼玉県立川越高等学校〉に次いで2番目の出場)ながらベスト8に入る活躍を見せたが、1937年春の大会では初戦(3月29日)の対・滝川中学〈現・滝川中学校・高等学校〉戦で0-27という大敗を喫した。 1938年早稲田大学に入学、東京六大学リーグ戦にも出場した。しかし早大卒業後応召され、1944年7月3日、中国北支・石門の陸軍病院にて戦病死した。
椋本 伊三郎(むくもと いさぶろう、1918年 - 2002… 椋本 伊三郎(むくもと いさぶろう、1918年 - 2002年11月28日)は、日本の外交官。駐エチオピア特命全権大使や、駐ウルグアイ特命全権大使を務めた。金大中第15代大韓民国大統領の恩師。 福岡県築上郡椎田町(現築上町)生まれ。中津商業学校(現岐阜県立中津商業高等学校)を経て、1939年長崎高等商業学校(現長崎大学)本科卒業。 朝鮮総督府木浦公立商業学校教諭などを経て、1944年東京商科大学(現一橋大学)卒業。1948年九州連絡調整地方事務局小倉連調事務所長代理。 在シドニー日本国総領事館領事、在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官等を経て、1964年外務省欧亜局中近東アフリカ部中近東課長。
井戸田 きよ子(いとだ きよこ、1918年(大正7年)- )… 井戸田 きよ子(いとだ きよこ、1918年(大正7年)- )とは、日本の陸上競技選手。 1918年、愛知県に生まれる。愛知淑徳高等女学校(現在の愛知淑徳中学校・高等学校)在学中は愛知県春日井郡山田村(現在の名古屋市西区)に暮らした。1934年4月9日に行われた国際女子競技大会予選で800メートル競走に出場し、日本代表となった。5月31日に国際女子競技大会が行われるロンドンに向けて神戸港を出港した。大会では800メートル競走で2分24秒1という記録を叩き出し、当時の日本記録を更新した。同年11月24日並びに1935年の全日本女子東西対抗陸上競技大会では800メートル競走と走幅跳で優勝した。1935年に名古屋市の鶴舞公園で開かれた大会では400メートル競走を1分2秒6でゴールし日本新記録を達成した他、200メートル競走で27秒3、三段跳で10メートル39を記録した。
小松 暢(こまつ のぶ、1918年 - 1993年11月22… 小松 暢(こまつ のぶ、1918年 - 1993年11月22日)は20世紀の日本の女性。漫画家・やなせたかしの妻で、結婚前は編集者を務めた。「小松」は1度目の結婚以降、やなせとの再婚までの間に名乗った姓で出生時の姓は「池田」。 大阪府大阪市に生まれる。父は現在の高知県安芸市出身で、鈴木商店に勤務していた。幼い頃は釧路市を経て高知市で暮らしており、高知県女子師範学校附属小学校(現:高知大学教育学部附属小学校)、高知県立第二高等女学校(現:高知県立高知丸の内高等学校)に通っていた。大阪で旧制阿部野高等女学校(現:大阪府立阿倍野高等学校)を卒業した。女学校時代は「韋駄天おのぶ」の異名を持つ短距離ランナーとして知られたという。
山内 敕靖(やまうち ただやす、1918年〈大正7年〉 - … 山内 敕靖(やまうち ただやす、1918年〈大正7年〉 - 1983年〈昭和58年〉8月28日)は、日本の実業家。元広島ガス社長、元広島商工会議所会頭。 広島市出身。広島県立広島第一中学校を経て旧制広島高等学校に入学。旧制高校では松谷健一郎元中国電力社長、山本朗元中国新聞社社長、永野厳雄元広島県知事らと同期で、友人だった。旧制高校では寮委員を務め留年したが、非常に人望があった。 旧制高校を卒業後は九州帝国大学工学部に進学、卒業後は住友金属工業に入社するも間もなく海軍に応召。終戦により復員するも、財閥解体により復職できず、四国ガスに勤務した後、1947年(昭和22年)、実父が重役をしていた広島ガスに入社。
塚崎進(つかさきすすむ、1918年 - 2007年9月27日… 塚崎進(つかさきすすむ、1918年 - 2007年9月27日)は、日本の国文学者、民俗学者、歌人。筆号は東籬男(とう りお)。 1941年慶應義塾大学文学部国文学科卒業。折口信夫から国文学、民俗学、短歌作法を学び、折口春洋より短歌実作の指導を受ける。同時に柳田國男にもつき日本民俗学会に属す。
広瀬 謙次郎(ひろせ けんじろう、1918年〈大正7年〉 -… 広瀬 謙次郎(ひろせ けんじろう、1918年〈大正7年〉 - 2004年〈平成16年〉6月1日)は、日本の予知能力者。東京銀座生まれ。父は、日本の実業家。日本商工会議所初代会頭、貴族院議員を務めた藤田謙一(1873年 - 1946年)。この父の「謙」の字を継ぎ命名された。学生時代に広瀬家の養子となる。 1918年、実業家の藤田謙一の息子として東京市京橋区銀座に生まれる。慶應幼稚舎(小学校)に入学し、附属学校を経て、慶應義塾大学 経済学部へ進学。裕福な時代の藤田家で暮らすが、父藤田謙一の賞勲局疑獄による失脚で、没落した藤田家を離れ、広瀬家の養子となる。1941年、同大学を卒業し、徴兵で中国大陸へ派兵され、蕪湖・蘇州・上海など4年間転戦し、1945年、上海から復員・帰国。
貴志 正造(きし しょうぞう、1918年〈大正7年〉 - 1… 貴志 正造(きし しょうぞう、1918年〈大正7年〉 - 1980年〈昭和55年〉8月27日)は、日本の国文学者。中世日本文学・説話文学専攻。二松学舎専門学校・國學院大學文学部国文科卒業。二松学舎大学文学部国文学科教授を歴任。和歌山県生まれ。
本間 信治(ほんま のぶはる、1918年 - 1995年4月… 本間 信治(ほんま のぶはる、1918年 - 1995年4月28日)は、日本の地名研究家。本名は本間 信治(のぶじ)。 東京生まれ。中央大学専門部商学科卒。第二次大戦のとき沖縄戦に参加。 戦後、測量会社に勤務のかたわら、地名を研究。地名研究協議会、地名文化研究会主宰。楠原佑介の師にあたる。
梅原 成四(うめはら なるし、1918年 - 1957年)は… 梅原 成四(うめはら なるし、1918年 - 1957年)は、日本のフランス文学者。 画家・梅原龍三郎の長男。妹は嶋田紅良。妻の昭子は小坂善之助と田中隆三の孫。 1918年、生まれる。東京帝国大学仏文科卒。 戦後東京大学教養学部助教授となりいくつかのフランス文学の翻訳を行う。 助教授在職中の1957年7月26日午前5時半、急性肺炎により新宿区の自宅で死去。享年39。墓所は多磨霊園。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
小川 超(おがわ ちょう、1918年 - 1982年11月3… 小川 超(おがわ ちょう、1918年 - 1982年11月30日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。 勲三等旭日中綬章 愛媛県生まれ。浦和高等学校(旧制)卒、1948年東京帝国大学文学部独文科卒。立教大学教授、横浜市立大学教授、東京大学教養学部教授、1979年定年、名誉教授、お茶の水女子大学教授、図書館情報大学教授を務め、在任中に死去した。ドイツ文学の子供向け翻訳を多くした。
重兼 暢夫(しげかね のぶお、1918年〈大正7年〉 - … 重兼 暢夫(しげかね のぶお、1918年〈大正7年〉 - 1991年〈平成3年〉4月27日)は、日本の建設技官。東北地方建設局長、国土地理院長を務めた。 1941年東京帝国大学工学部土木工学科卒業、朝鮮総督府技師に任官。1967年東北地方建設局長。1968年国土地理院長。1969年度から1970年度まで日本地図学会会長を務めた。
廣瀬 貞雄(ひろせ さだお、1918年(大正7年) - 20… 廣瀬 貞雄(ひろせ さだお、1918年(大正7年) - 2007年(平成19年)6月9日)は、日本の精神科医、ロボトミスト、日本医科大学教授。同大名誉教授にも。 1918年大阪生まれ。 産婦人科医の養子になる。中学時代から歌舞伎を愛し、演劇論をやるために美学者を志したが、父の反対で断念。 1938年東京帝大医学部に入学。 その後も歌舞伎を愛好し続け、16代目市村羽左衛門宅を訪ねたりしていた。 1946年に派遣された松沢病院では、市村から教わった「切られ与三郎」の所作を披露したことから、「与三さん」との異名をとった。 1951年に学会に発表され、1971年に石川清に告発された、いわゆる「臺実験」で実際に執刀したのは、臺弘ではなく、廣瀬であった。
高山 正喜久(たかやま まさぎく、1918年 - 2017年… 高山 正喜久(たかやま まさぎく、1918年 - 2017年2月10日)は、日本のデザイン学者。筑波大学名誉教授。 岡山県生まれ。1937年岡山県師範学校卒、東京高等師範学校卒、1951年東京文理科大学文学部卒、1955年早稲田大学第二理工学部卒、1972年東京教育大学助教授、1974年筑波大学教授、1982年定年退官、名誉教授、1981年~1986年桑沢デザイン研究所所長。2001年日本デザイン学会特別賞。日本デザイン学会名誉会員。
林 重男(はやし しげお、英語: Shigeo Hayash… 林 重男(はやし しげお、英語: Shigeo Hayashi、1918年 - 2002年9月1日)は、日本の写真家。東京写真専門学校(現 東京工芸大学)を卒業。陸軍傘下の東方社で『FRONT』をはじめとする対外向けの写真を撮影。敗戦直後に文部省学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会に参加し、広島・長崎を撮影した。 戦後は、商業写真家のかたわら、「反核・写真活動」の代表委員・運営委員長を務めるなど反戦平和活動を続けた。 1918年、東京府荏原郡大崎町(現:東京都品川区上大崎)生まれ。東京写真専門学校(現 東京工芸大学)を卒業。横浜シネマ現像所(横浜シネマ商会)に入社。1940年1月19日に徴兵され野戦工兵として満州(中国東北部)に渡る。
小沢 知雄(おざわともお、1918年 - 2016年7月21… 小沢 知雄(おざわともお、1918年 - 2016年7月21日)は、日本の造園学者、緑化工学者。造園地被学などを専門とした。 東京農業大学名誉顧問・同大名誉教授。東京農業大学緑友会名誉会長。造園学科長、日本造園学会会長を歴任。日本造園学会や日本芝草学会名誉会員。東京農業大学総合研究所芝草部会会長。農学博士。 東京農業大学を1941年12月に繰り上げ卒業。日産農林工業株式会社に研究職として就職、農園部企画課に配属後も軍の応召を繰り返すが、健康診断により結局兵隊にはいかずじまいであった。 戦後の1947年から母校農大の園芸研究室に無給の副手として在籍の傍ら、国本女学校で週2日の非常勤講師を務める。同年9月から助手に採用された。
宮崎清隆(みやざき きよたか、1918年 - 2001年5月… 宮崎清隆(みやざき きよたか、1918年 - 2001年5月25日)は、日本の小説家、陸軍軍人。最終階級は陸軍憲兵曹長、作詞家。 新潟県刈羽郡田尻村(現・柏崎市)生まれ。日本大学法学部、経済学部卒。柔道四段、剣道三段。日中戦争では陸軍憲兵曹長として、大陸で転戦し多くの戦傷を負う。戦後は戦争犯罪人として指名され「東洋の魔王」と呼ばれるが連合軍の追跡を逃れ中国を脱出し、6ヵ月の逃避行を行った。1951年日本独立に際し追及を解かれ、後にその体験などを著作としベストセラーとなった。鉄道弘済会本部会長室秘書課勤務。 また、三島由紀夫に惚れられて、15万円のスーツをプレゼントされることや唯一の弟子とも見られていた。
永丘智郎(ながおか ちろう、1918年-1986年7月6日)… 永丘智郎(ながおか ちろう、1918年-1986年7月6日)は、日本の心理学者。 早稲田大学文学部心理学科卒、同大学院修了、関東学院大学助教授、甲南大学文学部教授をへて、聖徳栄養短期大学教授を務めた。
大塚 全教(おおつか ぜんきょう、1918年 - 2007年… 大塚 全教(おおつか ぜんきょう、1918年 - 2007年10月29日)は、真言宗の尼僧、身体障害者。 広島県福山市出身。4歳でポリオ(小児まひ)となり、右腕と左肩から肘にかけて不自由となった。1939年大石順教に師事して1943年に出家得度、勧修寺境内で大石と暮らした。大石の設立した身体障害者自立支援団体「この花会」を引き継いだほか、自らも左足で書や絵画の創作活動を続けた。世界身体障害者芸術家協会名誉会員。 2007年10月29日、局所性腹膜炎のため死去。