井田 恵子(いだ けいこ、1931年(昭和6年)6月21日 … 井田 恵子(いだ けいこ、1931年(昭和6年)6月21日 - 1993年(平成5年)12月1日)は日本の弁護士。元日本弁護士連合会事務総長。北海道釧路市生まれ。 1954年北海道大学法学部卒。1956年同大学院法学研究科民法学専攻修了。1958年(昭和33年)弁護士登録。1968年(昭和43年)独立して弁護士事務所を開く。1970年専修大学法学部非常勤講師( - 1973年)。1975年日本弁護士連合会女性の権利委員会委員。1977年東京女子大学文理学部非常勤講師( - 1980年)。1982年(昭和57年)拘禁二法案反対運動組織を立ち上げる。1984年北海道大学法学部非常勤講師( - 1985年)。
獅騎 一郎(しき いちろう、1931年6月20日 - 200… 獅騎 一郎(しき いちろう、1931年6月20日 - 2008年11月3日)は、東京府出身のシナリオライター、クイズ作家。スパイや暗号の専門家。本名である松村基生の名義による作品もある。 東京市中野区江古田生まれ。東京府立第五中学校(現・東京都立小石川高等学校)卒業。衆議院速記者養成所在学中からシナリオを執筆。卒業後は毎日新聞社に入り、メディア情報部副部長などを歴任(退社後は嘱託となる)。 シナリオライターとしては石原裕次郎主演の『ジャズ娘誕生』(日活、1957年)などアクション・ミステリーものが10本映画化されている。 神奈川県鎌倉市に住んでいた。2008年肺梗塞で死去。
岡田 功(おかだ いさお、旧名:和也(かずや)、1931年6… 岡田 功(おかだ いさお、旧名:和也(かずや)、1931年6月20日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(外野手)、プロ野球審判員。元セントラル・リーグ審判副部長。 兵庫県立尼崎工業高等学校から1950年に大阪タイガース に入団。1952年に一軍に上がり、1954年、1955年には各1試合に中堅手として先発出場。しかし活躍の場には恵まれず、1956年に審判員へ転身。以後着実に力を発揮し、プロ野球審判員現役37年、一軍実働36年、13年連続日本シリーズ出場、日本シリーズ通算94試合出場、日本シリーズ通算21回出場(1963年~1967年、1969年~1981年、1983年、1991年)、レギュラーシーズン通算3902試合出場は日本プロ野球記録。
高野 泰明(たかの やすあき、1931年(昭和6年)6月20… 高野 泰明(たかの やすあき、1931年(昭和6年)6月20日 - )は、日本の経営者。三洋電機社長を務めた。鳥取県出身。 1954年に早稲田大学第一法学部を卒業し、三洋電機に入社。 早くから将来を嘱望され、社長の井植歳男から姪を紹介され結婚する。27歳で商品開発を任され、冷蔵庫、扇風機、ミキサーなど当時最先端の電化製品の開発に取り組んだ。また、冷凍流通網を実現するために業務用アイスストッカーを開発して食品問屋に売り込み、大成功を収めた。 1967年7月、36歳で取締役に選任され、1975年1月に常務、1986年2月に専務、同年12月に副社長となる。 1992年12月、井植敏が業績悪化の責任を取って、会長に退いたことを受け、社長に就任する。
黒柳 明(くろやなぎ あきら、1931年〈昭和6年〉6月19… 黒柳 明(くろやなぎ あきら、1931年〈昭和6年〉6月19日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(5期)、公明党参議院議員団長、公明党副委員長、新進党参議院議員代表、公明党常任顧問などを歴任した。 東京都出身。東京都立新宿高等学校を経て、早稲田大学英文科卒業。聖教新聞編集局長や潮出版社の編集主幹を歴任する。 1965年(昭和40年)の第7回参議院議員通常選挙に全国区から公明党公認で立候補し、初当選(連続5期当選)。 1971年(昭和46年)の第9回参議院議員通常選挙からは東京地方区で立候補し、当選を重ねる。 1992年(平成4年)、公明党副委員長に就任。1994年(平成6年)12月10日、新進党の結成に参加し、新進党参議院議員代表に就任。
阿部 洋(あべ ひろし、1931年6月19日 - 2025年… 阿部 洋(あべ ひろし、1931年6月19日 - 2025年1月 )は、教育学者、国立教育研究所名誉所員、福岡県立大学名誉教授。 北九州市出身。1954年九州大学教育学部卒、1959年同大学院教育史専攻博士課程満期退学、九大助手、福岡工業大学助教授、国立教育研究所に入り、アジア教育研究室長、名誉所員。福岡県立大学教授、2000年退官、名誉教授。南京師範大学名誉教授。1992年、「清末中国における近代学校制度の成立過程に関する研究」で九州大学より教育学博士を授与された。
加藤 昭(かとう あきら、1931年6月19日 - )は、日… 加藤 昭(かとう あきら、1931年6月19日 - )は、日本の地球科学者。専門は鉱物学(記載鉱物学)。理学博士(東京大学)。東京府生まれ。 1954年、東京大学理学部地学科卒業。1959年、東京大学大学院数物系博士課程修了、理学博士。同年、東京大学理学部地質学教室助手。1964年、国立科学博物館地学課勤務。東京大学理学部講師。1971年、国立科学博物館地学研究部地学第二研究室長。1975年 - 1982年、国際鉱物学連合の新鉱物・鉱物名委員会 (IMA-CNMMN) 委員長。1995年、国立科学博物館地学研究部長。1996年:、国立科学博物館定年退職、名誉研究員。 1985年、イタリアで発見された新鉱物が加藤柘榴石(katoite)と命名された。
小山 昭夫(こやま あきお、1931年6月19日 - )は、… 小山 昭夫(こやま あきお、1931年6月19日 - )は、日本の精神科医、学校法人経営者。藍野グループ代表、学校法人東北文化学園大学元理事長。 長男は健康科学大学元理事長で学校法人藍野大学理事長の小山英夫。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
本田 欣二郎(ほんだ きんじろう、1931年(昭和6年)6月… 本田 欣二郎(ほんだ きんじろう、1931年(昭和6年)6月18日 - )は、日本の政治家。元新潟県十日町市長(2期)。 現在の新潟県十日町市出身。新潟県立十日町高等学校卒。卒業後は十日町役場に入り、総務部長、助役などを務める。1989年の十日町市長選挙に立候補するが落選。1993年の市長選挙に立候補し、初当選。1997年の市長選挙では元十日町市議会議員の滝沢信一を破って再選する。市長を2期務め、2001年の市長選挙で三選を目指したが、再び立候補した滝沢信一に敗れた。
上田 利男(うえだ としお、1931年6月18日 - )は、… 上田 利男(うえだ としお、1931年6月18日 - )は、日本の社会学者。 京都市生まれ。1962年関西大学文学部卒。1964年立教大学大学院応用社会学研究科修士課程修了。日本専売公社(現JT)京都工場、本社勤務を経て、1977年小集団研究所を創立。小集団活動について国内外多くの企業で実践指導を行うとともに、1977-95年関西大学講師として小集団理論を講義。
齋藤 正彦(さいとう まさひこ、1931年6月18日 - 2… 齋藤 正彦(さいとう まさひこ、1931年6月18日 - 2020年12月31日)は、日本の数学者。東京大学名誉教授。 警視総監、台湾総督府総務長官等を歴任した斎藤樹の二男。母禎子は司法大臣、鉄道大臣等を歴任した小川平吉の三女。元駐米大使、元外務事務次官斎藤邦彦は実弟。元大蔵事務次官谷村裕の義弟。宮澤喜一元首相の従弟。パリ大学理学博士。
浅野 八郎(あさの はちろう、1931年6月18日 - 20… 浅野 八郎(あさの はちろう、1931年6月18日 - 2022年1月26日)は、日本の占い師、作家。 愛知県名古屋市出身。1954年早稲田大学文学部仏文科を卒業。翌年、同大学院よりフランスに留学。ソルボンヌ大学などで学ぶ。帰国後、1962年に『手相術』を発表し、大ベストセラーとなる。日本占術協会会長、国際予想科学協会会長、アメリカ人間心理学会会員、ニューヨーク科学アカデミー国際会員。 1969年、日本万国博覧会の住友童話館において、コンピュータによる人相のパターン認識を用い性格判断を行った。 1974年11月22日、日本占術協会を創立し会長に就任。2014年12月22日、一般社団法人日本占術協会の名誉会長に就任。
赤羽 淑(あかはね しゅく、1931年6月18日 - 202… 赤羽 淑(あかはね しゅく、1931年6月18日 - 2021年)は、国文学者。学位は、文学博士(早稲田大学・論文博士・1981年)(学位論文「藤原定家の歌風」)。ノートルダム清心女子大学名誉教授。 宮城県仙台市生まれ。東北大学大学院博士課程中退。1981年「藤原定家の歌風」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。ノートルダム清心女子大学助教授、教授、2005年定年退任。
峰 隆一郎(みね りゅういちろう、1931年6月17日 - … 峰 隆一郎(みね りゅういちろう、1931年6月17日 - 2000年5月9日)は、日本の小説家。本名は峰松 隆(みねまつ たかし)。 長崎県佐世保市で誕生。日本大学理工学部入学、その後日本大学芸術学部へ転部するが中退。出版社勤務を経てフリーライターになる。 1979年に『流れ灌頂』で第5回問題小説新人賞を受賞。ハードボイルドタッチの時代小説、旅行ミステリーを多く手掛ける。鬼気迫る剣術描写や官能シーンにより、独自の世界を築いたと評される。代表作は「人斬り弥介」シリーズ、「柳生十兵衛」シリーズ。 1964年に東京都町田市に転居しており、全作品が町田市で書かれた。2000年5月9日、肺炎で死去。享年68。
児玉 彰三郎(こだま しょうざぶろう、1931年6月16日 … 児玉 彰三郎(こだま しょうざぶろう、1931年6月16日 - 1969年11月19日)は、日本の歴史学者。元新潟大学助教授。専門は郷土史、新潟史、上杉氏。 1931年東京生まれ。1955年東京大学文学部国史学科卒業後、1959年に東京大学大学院人文科学研究科国史学専門課程修士課程を修了する。都立高校教諭を経て、1963年に新潟大学人文学部講師となる。1967年に助教授に昇格するも、1969年に交通事故により38歳で死去した。墓所は青山霊園。 この間、小千谷市史編修委員、新井市史編纂委員、栃尾市史編輯委員、市島家文書取扱委員などを務めた。また著書『上杉景勝』が2010年に復刊された。
酒井 健三(さかい けんぞう、1931年6月16日 - )は… 酒井 健三(さかい けんぞう、1931年6月16日 - )は日本の大蔵官僚。理財局次長(理財担当)、国税庁次長、国際金融局長、商工組合中央金庫副理事長、ニコス生命保険取締役会長などを歴任。 富山県出身。第四高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東大法学部第1類在学中の1952年10月 国家公務員6級職試験を合格。1953年 大蔵省入省。大臣官房秘書課配属。1968年6月 大蔵大臣秘書官(事務担当)。1969年8月 大臣官房文書課長補佐(総括・審査)。1977年6月 国際金融局総務課長。1978年6月17日 福岡国税局長。1979年7月10日 大臣官房審議官(理財局担当)。1981年6月26日 理財局次長(理財担当)。
高杉 玄(たかすぎ げん、1931年6月16日 - 2001… 高杉 玄(たかすぎ げん、1931年6月16日 - 2001年4月6日)は、日本の俳優。本名:須藤 東三郎。 東京都出身。特技は乗馬、殺陣。 早稲田大学卒業。大学在学中に劇団ひよこ座に参加。1958年に劇団が解散した後はフリーで活動し、1959年にアクタープロに所属。その後、加藤事務所、エヌ・エー・シーに所属していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
永井 憲一(ながい けんいち、1931年〈昭和6年〉6月15… 永井 憲一(ながい けんいち、1931年〈昭和6年〉6月15日 - 2024年〈令和6年〉10月10日)は、日本の法学者。専門は憲法・教育法。学位は、法学博士(早稲田大学・1978年)(学位論文「教育法学の目的と任務」)。法政大学名誉教授。日本スポーツ学会代表理事、子どもの人権連代表理事。 1931年、群馬県群馬郡車郷村(箕郷町を経て現・高崎市)生まれ。群馬県立高崎中学校を経て、1953年早稲田大学法学部卒業。1956年、同大学院修士課程修了。 1956年玉川大学文学部講師。1961年立正大学経済学部助教授、1966年同教授。1979年法政大学教授。2002年、定年退職、法政大学名誉教授、国士舘大学大学院法学研究科客員教授、愛知学院大学大学院法学研究科教授。
津坂 治男(つさか はるお、1931年6月15日 - 201… 津坂 治男(つさか はるお、1931年6月15日 - 2019年9月22日)は、日本の詩人、伝記作家。 三重県生まれ。伊賀上野の儒者・津坂東陽の子孫。東洋大学国文科卒。1976年、詩集『石の歌』で小熊秀雄賞を受賞。津坂東陽、本居宣長門下の文人などの伝記も書いた。
由井 常彦(ゆい つねひこ、1931年〈昭和6年〉6月14日… 由井 常彦(ゆい つねひこ、1931年〈昭和6年〉6月14日 - )は、日本の経営史学者。学位は、経済学博士。明治大学名誉教授。専門は日本経営史・日本経済史。 長野県南佐久郡青沼村(現・佐久穂町)生まれ。与志本代表・由井七郎右衛門の息子、由井定右衛門の甥。 旧制武蔵高等学校を経て、東京大学経済学部卒業。1960年、東京大学大学院社会科学研究科経済史学博士課程修了。明治大学経済学部講師。1963年、助教授。1965年、「中小工業政策の史的研究」で東京大学より経済学博士の学位を取得。1968年、明治大学経営学部教授、日本経営史研究所専務理事に就任し、文部省大学設置審議会委員を務める。1998年に退官、名誉教授。
稲名 嘉男(いなな よしお、1931年(昭和6年)6月14日… 稲名 嘉男(いなな よしお、1931年(昭和6年)6月14日 - 2014年(平成26年)10月24日)は、昭和から平成時代の政治家。実業家。静岡県清水市長。位階は正五位。勲四等旭日小綬章。 清水市出身。1952年(昭和27年)法政大学経済学部卒業。1960年(昭和35年)稲名製材社長となる。 1963年(昭和38年)4月、静岡県議会議員に初当選後、1974年(昭和49年)7月から1975年(昭和50年)5月まで同副議長、同年9月から1976年(昭和51年)6月まで同議長。その後、1977年(昭和52年)8月から1985年(昭和60年)8月まで清水市長を2期務めた。ほか、自由民主党静岡県連副会長を歴任した。
我孫子 健一(あびこ けんいち、1931年6月13日 - )… 我孫子 健一(あびこ けんいち、1931年6月13日 - )は、日本の地方公務員、航空実業家。北海道副知事、北海道住宅供給公社理事長、北海道空港代表取締役社長、北海道国際航空会長、北海道経済連合会副会長などを歴任した。日本棋院普及功労賞受賞。瑞宝中綬章受章。 北海道札幌南高等学校を経て、1954年北海道大学経済学部卒業、北海道庁入庁。1972年開発調整部参事。1977年開発調整部次長。1980年上川支庁長。1983年開発調整部長。1987年北海道副知事。1991年北海道住宅供給公社理事長。1994年北海道空港代表取締役社長。2000年北海道国際航空会長、北海道経済連合会副会長、北海道観光連盟会長。
鹽野 宏(しおの ひろし、1931年6月13日 - 2026… 鹽野 宏(しおの ひろし、1931年6月13日 - 2026年4月15日)は、日本の法学者(行政法)。勲等は文化勲章。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。姓の「鹽」は「塩」の旧字体のため、新字体で塩野 宏(しおの ひろし)とも表記される。 東京大学法学部教授、成蹊大学法学部教授、東亜大学大学院教授、公益財団法人放送文化基金理事長、日本学士院院長などを歴任した。 行政法を専攻する東京府出身の法学者である。東京大学法学部を卒業し、東京大学、成蹊大学、東亜大学で教鞭を執った。東京大学より名誉教授の称号を授与された。そのほか、放送文化基金では理事長に就任した。日本学士院会員に選任され、のちに院長に就任した。
大亀 孝裕(おおがめ たかひろ、1931年6月13日 - 2… 大亀 孝裕(おおがめ たかひろ、1931年6月13日 - 2021年3月14日)は、日本の実業家。 ホームセンターを展開するダイキ(現:DCM)の創業者である。 1931年に愛媛県丹原町(現:西条市丹原町)において生誕。 愛媛県立西条南高等学校(愛媛県立西条農業高等学校)卒業後、1952年に愛媛県庁に入庁。1958年に愛媛県庁を退職し、大亀商事を創業。1962年には株式会社大亀商事を設立し、水まわり商品群の卸販売業タイルと衛生陶器の施工・改修工事を手掛けた。 大亀は住環境の中でもトイレの環境改善に強いこだわりを持っており、コンクリート便槽、無臭便槽などの販売を開始。その後浄化槽の開発・製造に乗り出し、1963年には業界初のFRP製浄化槽の開発に成功し、翌1964年に旧ダイキの前身である「ダイキ株式会社(元ダイキ)」を設立。
西原 邦子(にしはら くにこ、1931年(昭和6年)6月12… 西原 邦子(にしはら くにこ、1931年(昭和6年)6月12日 - 2024年(令和6年)9月23日)は、日本の詩人。 香川県丸亀市に生まれる。丸亀高等女学校(現・香川県立丸亀高等学校)を経て、食糧学校(現・東京栄養食糧専門学校)栄養科卒。北川冬彦および深尾須磨子に師事する。1957年、第4回「時間」新人賞受賞。1973年より翌年まで、フランスに滞在。1975年、町田志津子・小川アンナ・芹澤加寿子とともに詩誌『塩』を創刊。
古畑 和孝(ふるはた かずたか、1931年(昭和6年)6月9… 古畑 和孝(ふるはた かずたか、1931年(昭和6年)6月9日 - )は、日本の社会心理学者、東京大学名誉教授。父は、法医学者・医学博士・東京大学名誉教授・日本学士院会員の古畑種基。 石川県金沢市出身。三重県人・古畑種基の四男。金沢医科大学教授を務めていた父・種基は1936年、東京帝国大学教授に任ぜられ医学部に勤務した。 1954年、東京大学教育学部教育心理学科卒業。同大学院人文科学研究科修士課程、同博士課程を経て、1960年~64年米国イリノイ大学留学。国際基督教大学、東京大学文学部、帝京大学文学部の各教授を歴任。
篠原 央憲(しのはら ひさのり、1931年6月9日 - )は… 篠原 央憲(しのはら ひさのり、1931年6月9日 - )は、日本の詩人、評論家。本名は篠原 啓介。また作家活動も行っており日本ペンクラブ会員である。 徳島県徳島市生まれ。徳島県立工業学校(現・徳島県立徳島工業高等学校→徳島県立徳島科学技術高等学校)在学中から少年詩人として活躍。卒業後は、徳島民報社(現・徳島新聞)、大阪読売新聞、産経新聞の記者を経て出版社の編集長、社長を歴任する。その後作家活動を始める。
國弘 威雄(くにひろ たけお、1931年6月8日 - 200… 國弘 威雄(くにひろ たけお、1931年6月8日 - 2002年10月21日)は、日本の脚本家。中華民国吉林省長春県(現:中華人民共和国吉林省長春市)生れ。出版している本や、脚本家としての映画などでは「国弘」と表記されているが、本名は「國弘」の表記である。 中学途中まで満洲で育ち、戦後父の郷里の山口県に引き揚げる。少年時代から映画好きだったことから、脚本家を志すようになる。山口県立柳井高等学校中退後、公務員となるが後に上京、雑誌社・東芝労組書記局などに勤務しながら投稿を続ける。 1957年に日本シナリオ作家協会主催のコンクールで1位となり、同年同協会主宰のシナリオ研修所に入所。修了後橋本忍門下となり、1959年に橋本との共作『空港の魔女』(東映・佐伯清監督)でデビュー。
渡辺 和也(わたなべ かずや、正字体:渡邊和也、1931年6… 渡辺 和也(わたなべ かずや、正字体:渡邊和也、1931年6月8日 - 2021年10月17日)は、日本のコンピュータ技術者。日本電気(NEC)在職当時に、マイコンキット「TK-80」やパーソナルコンピュータ「PC-8001」の開発販売を中心になって手がけたことで知られる。 1931年、長野県に生まれる。 山梨大学工学部電気工学科を卒業する。その後、国際電気(現・日立国際電気)で真空管式無線機の設計を約10年担当した。トランジスタなどのマイクロエレクトロニクスに惹かれ、1965年、それらを手がけていたNECに入社する。当初「半導体応用技術部」に所属した。 マイクロプロセッサが開発されてNECでも生産されるようになり、ICの検査システム担当だったところで販売部門の部長を命じられて拡販に当たる。
紅谷 愃一(べにたに けんいち、1931年6月7日 - )は… 紅谷 愃一(べにたに けんいち、1931年6月7日 - )は、日本の録音技師である。日本映画・テレビ録音協会代表理事。 1931年(昭和6年)6月7日、京都府京都市中京区で、代々「近江屋藤兵衛」の屋号で染物屋を営む家の5人きょうだいの末っ子として出生。1944年、旧制中学の京都市立第一工業学校電気科に入学。1948年の学制改革で京都市立洛陽高等学校(現・京都市立洛陽工業高等学校)となる。同級生には大島渚がいた。1949年3月に卒業し、電気工事のアルバイトをして就職浪人しているときに級友の紹介で大映京都撮影所に臨時雇用され、同撮影所の録音課に配属された。1951年、吉村公三郎監督の『源氏物語』の撮影終了後に正社員となる。
川尻 徹(かわじり とおる、1931年〈昭和6年〉6月7日 … 川尻 徹(かわじり とおる、1931年〈昭和6年〉6月7日 - 1993年〈平成5年〉9月)は、日本の精神科医(医学博士、東京慈恵会医科大学、1981年)、予言研究家。 東京慈恵会医科大学卒業。国立精神衛生研究所所員、青梅成木台病院院長等を経て、病院コンサルタントなどを手がけた。精神科医としての研究もあるが(「慢性精神分裂病症候群の病態推移と脳波パターンとの関連について」『東京慈恵会医科大学雑誌』第94巻第5号、1979年、本論は後に博士論文として大学に提出されている)、むしろ独特の予言解釈で知られる。 トンデモ本などを主に収集すると学会の前会長山本弘は著書『トンデモ本の世界』の中で、川尻徹の著書を見てトンデモ本にはまったと書いている。
小田 基(おだ もとい、1931年〈昭和6年〉6月7日 - … 小田 基(おだ もとい、1931年〈昭和6年〉6月7日 - 2000年〈平成12年〉11月29日)は、日本の英文学・比較文学者。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 樺太生まれ。東北大学文学部英文科卒、同大学院中退、北星学園大学助教授、東北大学教養部助教授、教授を務め、1995年定年退官、名誉教授、宮城学院女子大学教授。ジェイムズ・ジョイスを専門とした。2000年死去。死没日付をもって正四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。
瀬川 昌男(せがわ まさお、1931年6月6日 - 2011… 瀬川 昌男(せがわ まさお、1931年6月6日 - 2011年7月10日)は、日本のSF作家、科学解説の書き手、児童読物作家。 東京生まれ。山主敏子は姉。東京教育大学教育学部心理学科卒。 大学卒業後、自宅で脳波および心理学研究を手がけるかたわら、文筆活動に従事。1956年、処女作『火星にさく花』を発表。子供向けの宇宙解説やSFのほか、伝記、海外小説の再話、精神宇宙研究など多彩な執筆活動をおこなった。 『火星にさく花』を読んだ柴野拓美は感激し、瀬川へ送った手紙の中で自らが立ち上げようとしていた同人(当時の名称は「科学創作クラブ」)への参加を打診。こうして瀬川はSF同人誌『宇宙塵』の創刊メンバーとなった。
後藤 鉄男(ごとう てつお、1931年6月5日- 1982年… 後藤 鉄男(ごとう てつお、1931年6月5日- 1982年12月16日)は、日本の物理学者(素粒子論・場の量子論)。1970年に南部陽一郎が弦理論を提唱した後、南部と独立に南部-後藤のラグランジアン(南部=後藤作用)を提案した。 新潟県出身。旧制佐渡中学(現・新潟県立佐渡高等学校)、旧制新潟高等学校を経て新潟大学医学部に入学。後に理学部に転科した。 1958年大阪大学博士課程修了、日本大学理工学部教授となった。肺癌のため51歳で死去。
中原 道夫(なかはら みちお、1931年6月5日 - 202… 中原 道夫(なかはら みちお、1931年6月5日 - 2025年9月18日[要出典])は、日本の詩人。 埼玉県所沢市生まれ。1952年東京学芸大学学芸学部国語科に入学。日本電信電話公社東京中央電信局に勤務しながら通学し、1954年に詩誌「棘」創刊。1956年板橋区立桜川小学校に着任。同年処女詩集『石の歌』を上辞。同年「埼玉詩人クラブ」結成に参加。1992年教職を退き、都立中央図書館に非常勤の嘱託として勤務。 所属「棘」「光線」「花粉」「閃」同人を経て、現在「柵」「日本未来派」同人。「金沢文学」特別同人。「い」編集発行人。 日本ペンクラブ、日本文芸家協会、日本現代詩人会会員、日本詩人クラブ常任理事、日本現代詩歌文学館評議員、埼玉文芸家集団刊行委員長など。
熊本 哲之(くまもと のりゆき、1931年(昭和6年)6月4… 熊本 哲之(くまもと のりゆき、1931年(昭和6年)6月4日 - 2018年(平成30年)5月2日)は、日本の政治家。東京都世田谷区長(2期)、東京都議会議長(第35代)、東京都議会議員(6期)を務めた。 広島県呉市生まれ。中央大学法学部卒業。衆議院議員秘書を経て、1977年東京都議会議員選挙に立候補し、初当選。6期24年にわたって都議を務める。1988年、当時の鈴木俊一東京都知事の下で都庁舎の新宿への移転が行われるにあたり設置された新都庁舎建設特別委員会の委員長に就任。1995年、青島幸男都政下では地方分権推進特別委員長に就任し、同年9月には東京都議会議長に就任(1997年7月まで)。 1999年、都議を任期途中で辞職し、世田谷区長選挙に自民党・自由党推薦で立候補したが、現職の大場啓二に敗れた。
田中 礼(たなか ひろし、1931年6月2日 - 2019年… 田中 礼(たなか ひろし、1931年6月2日 - 2019年9月13日)は、英文学者、日本近代文学研究者、京都大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。1960年京都大学文学部英文科卒業。神戸大学助教授、京都大学教養部助教授、教授、1995年定年退官、名誉教授、英知大学教授。日本ホイットマン協会会長、新日本歌人協会全国幹事。1978年『論攷 石川啄木』で新日本歌人協会賞、2011年の『啄木とその系譜』で岩手日報社啄木賞、渡辺順三賞受賞 。 2019年9月13日、肺癌のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
有本 義明(ありもと よしあき、1931年6月1日 - )は… 有本 義明(ありもと よしあき、1931年6月1日 - )は、兵庫県芦屋市出身のスポーツライター・解説者、野球監督。 現在はスポーツニッポン特別編集委員。 父・臣次は育英商から関西大を出て野球に親しみ、西宮市出身で甲陽中にも在籍した天知俊一と一緒の写真もあった。有本が幼い頃にキャッチボールすると「ちゃんと捕れるじゃないか」と喜んでくれた。 1945年8月15日の終戦後、9月に新学期を迎えると、当時芦屋中2年生の有本は剣道部に入部。小学生時代から壁当てや天井投げをして野球に親しんでいたが、野球部はなかった。芦屋中進学は甲南中受験に失敗したからであり、この時も西脇の疎開先で転校手続きに入っていた。そんな折、10月に校内軟式野球大会が芦屋・打出浜の海技専門学校であった。
和田 英一(わだ えいいち、1931年6月1日 - )は、日… 和田 英一(わだ えいいち、1931年6月1日 - )は、日本の計算機科学者。東京大学名誉教授、IIJ技術研究所研究顧問。
高根 正昭(たかね まさあき、1931年6月1日 - 198… 高根 正昭(たかね まさあき、1931年6月1日 - 1982年9月2日)は、日本の社会学者。 東京出身。1954年学習院大学法学部政治学科卒業、1965年スタンフォード大学大学院コミュニケーション専攻修士課程修了、1972年カリフォルニア大学大学院社会学専攻博士課程修了、社会学博士。カリフォルニア州立大学助教授を経て、上智大学教授となった。直腸癌のため51歳で死去した。
木原孝博(きはら たかひろ、1931年6月1日- )は、日本… 木原孝博(きはら たかひろ、1931年6月1日- )は、日本の教育学者。岡山大学名誉教授。 岡山県英田郡英田町(現美作市)出身。1955年東京大学教育学部卒、1957年同大学院人文科学研究科修士課程修了。名古屋大学医学部精神科医局員、1959年岡山大学助手、1962年講師、1968年助教授、1978年教授。1995年定年退官、名誉教授、倉敷市立短期大学学長。
井川 良久(いかわ よしひさ、1931年6月1日 - 200… 井川 良久(いかわ よしひさ、1931年6月1日 - 2009年2月21日)は、元NHKアナウンサー。 陸軍幼年学校と早稲田大学に在籍後に、1955年、NHK入局。落ち着いた低音の語り口は、高度成長期の多くの人々の印象に刻まれた。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
渋谷孝(しぶや たかし、1931年6月− 2019年11月2… 渋谷孝(しぶや たかし、1931年6月− 2019年11月25日)は、日本の文学研究者、国文学・日本語教育学者、宮城教育大学名誉教授。 山形県長井市生まれ。山形師範学校、東北大学文学部国文学科卒業、同大学院国文学国語学専修博士課程中退。新潟大学助教授、教授、79年宮城教育大学教授。1997年定年退官。この間附属小学校長、附属図書館長。東北地区国語教育研究協議会会長。2012年、瑞宝中綬章受章。2019年死去。叙正四位。 はじめ平安朝文学を専攻したが、国語科教育と文学の関係に疑問を抱き、多くの著作を著す。
大石 直正(おおいし なおまさ、1931年5月31日 - 2… 大石 直正(おおいし なおまさ、1931年5月31日 - 2021年6月8日)は、日本史学者。東北学院大学名誉教授。 東京生まれ。東北大学文学部国史学科卒、1960年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学、東北大学助手、香川大学助手、講師、助教授、1968年東北学院大学文学部助教授、1975年教授。2005年定年、名誉教授。 2021年6月8日、老衰のため死去。
岩崎 勇(いわさき いさむ、1931年〈昭和6年〉5月31日… 岩崎 勇(いわさき いさむ、1931年〈昭和6年〉5月31日 - 2008年〈平成20年〉10月22日)は、日本のオーボエ奏者。京都市立芸術大学名誉教授。徳島文理大学客員教授。 武蔵野音楽大学音楽学部卒業。デトモルト音楽大学卒業。熊本県熊本市出身。 熊本県熊本市出身。1958年(昭和33年)に武蔵野音楽大学音楽学部を卒業し、1965年(昭和40年)にドイツのデトモルト音楽大学を卒業した。 武蔵野音楽大学を卒業後は京都市交響楽団に入団し、1969年(昭和44年)まで在籍した。その後は京都市立芸術大学音楽学部で講師・助教授・教授を経て、1997年(平成9年)に同大学を退任し、同大学の名誉教授に就任する。
望田 幸男(もちだ ゆきお、1931年5月30日 - 202… 望田 幸男(もちだ ゆきお、1931年5月30日 - 2023年1月6日)は、日本の歴史学者、同志社大学名誉教授。専門はドイツ近現代史。 山梨県甲府市生まれ。1974年京都大学大学院文学研究科博士課程修了、「近代ドイツの政治構造 :プロイセン憲法紛争史研究」で文学博士。同志社大学助教授、教授。2002年定年、名誉教授。 非核の政府を求める会・京都 代表世話人を務めるなど、市民運動にも携わった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
荒木 博(あらき ひろし、1931年5月30日 - 1985… 荒木 博(あらき ひろし、1931年5月30日 - 1985年7月10日)は日本の雑誌編集者。週刊現代・週刊ポスト元編集長。 1931年5月30日、東京に生まれる。東京教育大学文学部を卒業し、講談社に入社する。「婦人倶楽部」の編集を振り出しに、「たのしい三年生」・「日本」・「若い女性」を担当する。1964年に「週刊現代」の編集になり、3年後に編集長となる。「週刊現代」の発行部数をトップクラスに伸したが、編集をめぐって幹部と対立し、退社する。1969年に小学館が新しく発行する「週刊ポスト」の初代編集長にスカウトされる。このライバル誌への移籍は出版界の話題となった。 1985年7月10日、千葉県外房の海岸で入水自殺する。
芦屋 雁之助(あしや がんのすけ、1931年5月29日 - … 芦屋 雁之助(あしや がんのすけ、1931年5月29日 - 2004年4月7日)は、日本の俳優、歌手。本名、西部 清(にしべ きよし)。愛称は、雁ちゃん。血液型O型。京都府京都市出身。京都市立朱雀中学校卒業。 実家の家業は京都で友禅染の染物屋を営んでいたが、芸事、道楽事が好きであった父は戦後、「若松家」の亭号を名乗り、芸人として活動し始めるばかりか、一座を組んで巡業の日々となる。清は父について芸をこなしながら、一時、漫才師・五條家弁慶の弟子となり、前座として中国の服を着て手品をしたり師匠と漫才や芝居の舞台に立った。その後、18歳の時に弟・秀郎と当時人気の漫才師、芦の家雁玉・林田十郎に弟子入りし、「雁之助(清)・小雁(秀郎)」の名をもらうが、弟子入りしてまもなく亭号「芦の家」を勝手に「芦屋」に変えたため破門される(後に活躍が認められ破門を解かれる)。
角 光雄(かど みつお、1931年(昭和6年)5月29日 -… 角 光雄(かど みつお、1931年(昭和6年)5月29日 - 2010年(平成22年)10月24日)は、日本の政治家。石川県白山市長(2期)。石川県議会議員(自由民主党、4期)、松任市長(2期)、松任市議会議員を歴任した。 石川県松任町出身。1948年石川県立松任高等学校(旧・石川県農学校、現・石川県立翠星高等学校)中退。1973年松任市議に当選同議長を経て、1983年石川県議に当選。4期務め、議長を務めた。1998年松任市長に当選。2期務め、2005年に松任市は合併で白山市となり、合併後の白山市長に就任した。2009年に再選、翌2010年10月24日午前3時頃、自宅の浴槽で心肺停止状態で倒れているのを家族が発見、同3時46分に公立松任石川中央病院で急性心臓死のため現職のまま死去、79歳。
柳田 美夫(やなぎた よしお、1931年5月27日 - )… 柳田 美夫(やなぎた よしお、1931年5月27日 - )は、日本の経営者、銀行家。足利銀行頭取を務めた。 栃木県出身。1954年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に足利銀行に入行した。1983年6月に取締役に就任し、1988年12月に常務、1990年11月に専務、1992年6月に副頭取を経て、1997年6月には頭取に昇格。2000年6月に会長を経て、2002年6月から2005年2月までに特別顧問を務めた。