三城 満禧(みしろ みつよし、1934年4月27日 - )は… 三城 満禧(みしろ みつよし、1934年4月27日 - )は、日本の言語学者、ドイツ語学者、東京大学名誉教授。 現在の北朝鮮会寧市に生まれる。東京都立戸山高等学校卒、1958年東大独文科卒、同大学院修士課程修了、一橋大学助教授を経て、1972年東大教養学部助教授、1988年教授、1995年定年退官、名誉教授。『小学館独和大辞典』(1985)の共編で日本翻訳出版文化賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小島 俊明(こじま としはる、1934年4月27日 - )は… 小島 俊明(こじま としはる、1934年4月27日 - )は、日本のフランス文学者、詩人、翻訳家。日本文芸家協会会員。 岐阜県各務原市生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒、同大学院文学修士。東京家政学院大学教授、2005年定年、名誉教授。早稲田大学政治経済学部非常勤講師(定年まで30年間)。フランスの20世紀詩などを翻訳紹介、自身も詩を書いた。
佐藤 欣子(さとう きんこ、1934年4月26日 - 200… 佐藤 欣子(さとう きんこ、1934年4月26日 - 2008年12月24日)は、日本の弁護士、法学者、評論家、秀明大学元教授。東京生まれ。旧姓斎藤。夫は政治学者の佐藤誠三郎、息子は評論家の佐藤健志。 父駒之助は郵政省に勤め、杉並郵便局長、鶴見郵便局長などを務めた。1948年母ツネ子が死去。欣子は、 東京地方検察庁、横浜地方検察庁を経て東京高等検察庁勤務。ハーバード大学研究員、国連アジア犯罪防止研修所次長、内閣総理大臣官房参事官、1981年退官し弁護士となる。
大島 宏彦(おおしま ひろひこ、1934年4月26日 - 2… 大島 宏彦(おおしま ひろひこ、1934年4月26日 - 2023年8月23日)は、日本の実業家。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。中日新聞社最高顧問。愛知県名古屋市出身。 愛知県立旭丘高等学校を経て、1957年に東京大学法学部卒業。同年に中日新聞社に入社。 1968年にはワシントン特派員、1979年6月には取締役、1981年6月には常務、1983年6月には専務、1984年6月には副社長を歴任し、1987年6月から社長に就任し。1997年5月からは会長に就任し、2003年6月からは取締役最高顧問に就任した。 1995年から2000年までは株式会社中日ドラゴンズ代表取締役オーナーを務めた。第2次星野仙一政権をバックアップし、球団の黄金期を作った一人といわれる。
鵜飼 昭雪(うかい あきゆき、1934年4月25日 - )は… 鵜飼 昭雪(うかい あきゆき、1934年4月25日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。
古川 啓三(ふるかわ けいぞう、1934年4月25日 - 1… 古川 啓三(ふるかわ けいぞう、1934年4月25日 - 1984年10月6日)は岡山県倉敷市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。
本庄 正則(ほんじょう まさのり、1934年4月25日 - … 本庄 正則(ほんじょう まさのり、1934年4月25日 - 2002年7月22日)は、日本の実業家。伊藤園の創業者。 兵庫県神戸市出身。1959年早稲田大学第一法学部を卒業して東都日産モーターで自動車セールスマンをしていたが、脱サラし日用品の訪問販売会社「日本ファミリーサービス株式会社」を1964年に埼玉県で起業した。同社取扱商品の中の一つであった茶葉製品に注力するかたちで、1966年6月に産地直送の販売手法による「フロンティア製茶株式会社」を静岡県静岡市神明町(現・静岡市葵区神明町)に設立。茶葉製品市場に参入した。その後、東京・上野にあった茶問屋「釜邦」より「伊藤園」の商号を200万円で譲り受け、1969年5月より現社名の「株式会社伊藤園」に商号を変更している。
中村 粲(なかむら あきら、1934年4月24日 - 201… 中村 粲(なかむら あきら、1934年4月24日 - 2010年6月23日)は、日本の英文学者、近代史研究家、獨協大学名誉教授。 1934年、東京都生まれ。海軍主計少佐の父・春男の下に生まれる。鎌倉市立御成小学校、栄光学園中学校・高等学校卒業。1959年、東京大学文学部英文学科を卒業。 都立高校教員を経て、1964年より獨協大学に勤務する。所属は外国語学部英語学科。専任講師、助教授(1971年)を経て1987年より教授。1991年からは英語学科長を務めた。2005年3月に定年退職し、名誉教授となった。2010年6月23日、肺癌のため死去。76歳没。 なお、「昭和史研究所」「NHK報道を考へる会」は、中村の死去により同年末解散した。
相澤 嘉久治(あいざわ かくじ、1934年(昭和9年)4月2… 相澤 嘉久治(あいざわ かくじ、1934年(昭和9年)4月22日- )は、日本の劇作家、放送作家。放送作家名は山形三吉。 山形県東村山郡山辺町出身。山形県立山形南高等学校卒、早稲田大学第一文学部中退。 劇団中央芸術劇場を経て1959年、東京芸術座結成に参加。1969年に同劇団退団。以後フリーの劇作家、放送作家として活動した後、1976年に出身地の山形県に帰郷。創刊した総合芸術誌月刊『場』が廃刊となったのを機に、マスコミの集中独占の排除を訴える運動を始める。山形県下の山形新聞・山形放送(YBC)によるマスコミ独占状況に批判的な立場から、「マスコミの集中排除運動」の機関誌としての月刊『V』を創刊。 相澤が発行人をつとめた『うぃずY』は、1987年に「NTT全国タウン誌フェスティバル」(現在終了)で大賞を受賞した。
北沢 恒彦(きたざわ つねひこ、1934年4月22日 - 1… 北沢 恒彦(きたざわ つねひこ、1934年4月22日 - 1999年11月22日)は、日本の社会運動家。文筆家。元京都市役所職員。 京都市出身。黒川創は息子。北沢街子は娘。秦恒平は弟。 1952年京都府立鴨沂高等学校在学中、朝鮮戦争への反戦運動に加わり、逮捕。1960年同志社大学法学部卒業。また大学卒業後に製パン業の老舗・進々堂に勤め労働争議を経験。 その後、雑誌『思想の科学』の編集、執筆に関わる。1962年京都市役所勤務。66年京都市中小企業指導所に勤務、診断士となる。 京都ベ平連に参加し、67年まで事務局長を務める。 1984年大阪市立大学大学院経済学研究科修士課程修了。1995年京都市役所を定年退職。
乾 正雄(いぬい まさお、1934年4月22日-2020年8… 乾 正雄(いぬい まさお、1934年4月22日-2020年8月20日 )は、日本の建築学者。照明と色彩の専門家。東京工業大学名誉教授。 東京生まれ。東京大学工学部建築学科卒業。1964年同大学院博士課程修了、「色彩計画理論に関する研究」で東大にて工学博士。東京工業大学助教授、教授、95年定年退官、名誉教授、武蔵工業大学教授。2005年退任。建築における色彩、照明などの心理を研究する。人が主に視覚によって受け止める空間の大きさの感じを評価する指標として、「開放感」を提案した。
内野 正雄(うちの まさお、1934年4月21日 - 201… 内野 正雄(うちの まさお、1934年4月21日 - 2013年以前)は、神奈川県出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW(インサイドライト)。 神奈川県立小田原高等学校を1953年に卒業。中央大学ではサッカー部に所属。卒業後は古河電工サッカー部に入団。1960年度天皇杯にて、実業団チームとして初となる天皇杯優勝に貢献した。翌1961年度、1964年度にも天皇杯優勝。 学生時代から日本代表に選出され、1956年のメルボルンオリンピック予選では韓国代表との1戦目で貴重な先制点を挙げた。2戦目は韓国に敗れたものの、抽選で本大会出場が決定。本大会でのオーストラリア代表戦にも出場した。
佐々木 重徳(ささき しげのり、1934年4月21日 - )… 佐々木 重徳(ささき しげのり、1934年4月21日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは二塁手。
金谷 宰(かなや おさむ、1934年4月21日 - 2020… 金谷 宰(かなや おさむ、1934年4月21日 - 2020年4月16日)は、日本の経営者。ミノルタ(現在のコニカミノルタ)社長を務めた。 兵庫県出身。1957年に関西学院大学法学部を卒業し、同年に千代田工学精工(のちのミノルタ)に入社。1985年6月に取締役に就任し、1995年4月には社長に昇格。1999年6月に取締役相談役を経て、2001年6月に相談役に就任。 2020年4月16日に癌のために死去。85歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
佐々木 正丞(ささき まさつぐ、1934年4月21日 - 2… 佐々木 正丞(ささき まさつぐ、1934年4月21日 - 2025年8月7日)は、日本の経営者。北海道ガス社長、会長を務めた。 島根県出身。1957年に横浜国立大学経済学部を卒業し、同年に北海道ガスに入社した。1974年8月に取締役に就任し、1977年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1990年6月に社長に就任。同社では、初の生え抜き社長であった。2002年6月に会長に就任し、2008年6月に取締役相談役に就任。 1996年4月に藍綬褒章を受章。 2025年8月7日、病気のため死去。91歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
木山 英雄(きやま ひでお、1934年4月20日 - )は、… 木山 英雄(きやま ひでお、1934年4月20日 - )は、日本の中国文学者、一橋大学名誉教授。東京市荒川区日暮里生まれ。東京都立上野高等学校卒。1957年、東京大学文学部中国文学科卒。1960年、同大学院修士課程修了、同助手。1966年埼玉大学教養部講師、1967年助教授。1969年一橋大学商学部助教授、1977年教授、1981年一橋大学社会学部教授。1991年から1993年まで社会学部長。1998年定年退官、名誉教授、神奈川大学外国語学部教授、2005年同退職。近現代中国文学、特に周作人が専門。指導学生に加藤栄など。
吉田 二郎(よしだ じろう、1934年4月20日 - )は、… 吉田 二郎(よしだ じろう、1934年4月20日 - )は、南海電気鉄道(南海電鉄)社長、会長、日本民営鉄道協会会長、東京地下鉄第2代会長などを務めた日本の鉄道事業経営者。 大阪府出身。大阪府立三国丘高等学校を経て、大阪大学経済学部卒業。 1957年大阪大学経済学部を卒業して南海電鉄に入社。 南海電鉄では、鉄道、バス、人事・労務を経験した。人事部長、取締役、常務、鉄道事業本部長、和歌山支社長、専務、副社長、を経て、1999年に社長に就任した。 2001年には、社長の座を山中諄に譲り、自らは代表権を持つ会長となって、もっぱらグループ企業の経営を担当するようになった。 その後は、日本民営鉄道協会会長を務めたり、帝都高速度交通営団の民営化による東京地下鉄の設立委員会委員長となり、同社の設立後には第2代会長となった。
橘田 規(きった ただし、1934年4月20日 - 2003… 橘田 規(きった ただし、1934年4月20日 - 2003年3月22日)は、兵庫県三木市(旧美嚢郡志染村)出身の元プロゴルファー。実弟の橘田光弘もプロゴルファーで、1970年の日本オープンの優勝者である。 農家の長男として産まれ、子供の頃から当たり前のようにやっていた田圃仕事などの手伝いで自然と下半身が鍛えられていた。 現役当時の体格は167cm、52kgと非常に細身で、胃腸が弱い上に食が細く、肝臓の状態も良くなかった。そんな体力的な弱点を補ったのが下半身の粘りとバネであり、この頃に培われた。 志染小学校→志染中学校を経て、小野工業高校卒業後の1954年に19歳でプロ入りし、23歳になった1957年に関西プロで初優勝を飾る。
小曽根 実(おぞね みのる 1934年4月20日 - 201… 小曽根 実(おぞね みのる 1934年4月20日 - 2018年2月15日)は、日本のジャズピアニストおよびハモンドオルガン奏者。兵庫県神戸市出身。滝川高等学校卒業。 小学校のころからピアノに親しみ、関西大学生のころからジャズ演奏ユニットを立ち上げ演奏活動をするとともに、テレビの音楽番組での演奏を担当するようになる。中でも讀賣テレビ放送製作の「11PM」では9年間にわたりピアノ演奏を担当していた。そのほかにも、東京12チャンネル(現・テレビ東京)・近畿放送(現・KBS京都)・サンテレビジョン3社共同制作のワイドショー番組「こんにちは!奥さん2時です」のサンテレビジョン制作分の司会、ラジオパーソナリティ等多彩な活動をしていた。
衆樹 資宏(もろき すけひろ、1934年4月19日 - 19… 衆樹 資宏(もろき すけひろ、1934年4月19日 - 1999年6月25日)は、神奈川県藤沢市出身のプロ野球選手(外野手)。 湘南高校では2年生の時、エースとして1951年春の選抜に出場したが、1回戦で長崎西高に0-1で敗れた。1年上のチームメートには、遊撃手の佐々木信也がいた。翌1952年春季関東大会では準々決勝から3試合連続延長戦でサヨナラ勝ち、決勝で宇都宮高を下し優勝を飾った。同年夏の甲子園県予選でもエース、4番打者として決勝に進出するが小坂佳隆らのいた法政二高に敗れた。 卒業後は慶應義塾大学に入学し、野手に転向する。東京六大学野球リーグでは1955年春季リーグで戦後初の三冠王となり、同年の第2回アジア野球選手権大会日本代表(東京六大学リーグ選抜チーム)に選出された。
新高 恵子(にいたか けいこ、本名:工藤 琳子(くどう たま… 新高 恵子(にいたか けいこ、本名:工藤 琳子(くどう たまこ)、1934年4月18日 - )は、日本の元女優。 青森県青森市出身。名門・青森高校時代は、寺山修司の一年上級生だったが、お互いに面識はなかったという。 やがて彼女は上京、新藤孝衛監督にすすめられ、当初はピンク映画の人気女優として活躍した。しかし、やがて同じセットで2本の映画を同時に撮影するというような現場に遭遇し、虚しさを感じるようになった。同郷の寺山修司と会った際には彼は、あの映画の演技はこうだったよね、と詳細に新高を演技について語ったため、彼女は感動したという。彼女は、寺山の主宰する劇団、「天井桟敷」に参加し看板女優になっていった。
山本 邦彦(やまもと くにひこ、1934年4月18日 - )… 山本 邦彦(やまもと くにひこ、1934年4月18日 - )は日本の映画監督、脚本家。
佐々木 良夫(ささき よしお、1934年4月18日 - 20… 佐々木 良夫(ささき よしお、1934年4月18日 - 2011年10月19日)は、日本の経営者。関西ペイント社長を務めた。 大阪府出身。1957年に京都大学工学部を卒業し、同年に関西ペイントに入社。1988年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務を経て、1995年6月に社長に就任。1999年6月から相談役を務めた。 1999年11月に藍綬褒章を受章。 2011年10月19日に心筋梗塞のために死去。77歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
加美 宏(かみ ひろし、1934年4月18日 - )は、日本… 加美 宏(かみ ひろし、1934年4月18日 - )は、日本の国文学者。専門は日本中世文学、特に軍記物語、『太平記』の受容史。同志社大学名誉教授。 徳島県那賀郡生まれ。1958年、早稲田大学第一文学部国文学科卒業、1964年、同大学大学院文学研究科博士課程修了。1998年「太平記享受史研究」で博士(文学)(早稲田大学)の学位を取得。 1964年、昭和女子大学付属高等部教諭、1969年、昭和女子大学短期大学部助教授(非常勤)、1972年、同助教授(専任)。1976年、甲南女子大学助教授、1979年、同教授。1983年、同志社大学文学部教授。2006年、定年退職、名誉教授。
新堀 寛己(にいぼり ひろき、1934年4月17日 - )は… 新堀 寛己(にいぼり ひろき、1934年4月17日 - )は、ギター演奏家、新堀ギター音楽院創業者。東京都港区麻布出身。
今井 邦彦(いまい くにひこ、1934年4月17日 - 20… 今井 邦彦(いまい くにひこ、1934年4月17日 - 2025年2月8日)は、日本の言語学者・英語学者、東京都立大学名誉教授。 東京生まれ。1957年東京大学文学部英文科卒業。59年までロンドン大学音声学科に学び、英語発音技能第一級証明書を、国際音声学協会(IPA)から音声学技能第一級証明書を授与される。85年「英語抑揚の諸相」で東京都立大学より文学博士の学位を取得。東京都立大学助教授、教授、98年定年退官、名誉教授、学習院大学教授。2006年退職。専門は音声学、統語論、語用論。 2017年4月に瑞宝小綬章を受章した。
山田 晃睦(やまだ てるよし、1934年4月16日 - 20… 山田 晃睦(やまだ てるよし、1934年4月16日 - 2006年10月30日)は、元札幌テレビアナウンサー、元栗沢町の町長。
利光 功(としみつ いさお、1934年4月16日 - 202… 利光 功(としみつ いさお、1934年4月16日 - 2023年6月13日)は、日本の美学者。 東京生まれ。1958年東京大学文学部美学美術史学科卒、同大学院美学専攻修士課程修了。東京大学助手、玉川大学助教授、教授、1998年東京工芸大学教授。2004-08年大分県立芸術文化短期大学学長を務めた。
宇佐美 寛(うさみ ひろし、1934年4月16日 - 202… 宇佐美 寛(うさみ ひろし、1934年4月16日 - 2023年8月25日)は、日本の教育学者。千葉大学名誉教授。 神奈川県横須賀市出身。1960年、東京教育大学教育学部卒業、同大学助手。1961 - 62年、ミネソタ州立大学に留学する。1965年、東京教育大学大学院博士課程修了。「ブロンスン・オルコットの教育思想」で教育学博士。1967年、千葉大学教育学部講師、1968年助教授、1977年教授、1993 - 97年教育学部長。2000年定年退官、名誉教授。
飯山 恵巳子(いいやま えみこ、1934年〈昭和9年〉4月1… 飯山 恵巳子(いいやま えみこ、1934年〈昭和9年〉4月16日 - )は日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。東京都港区[要出典]出身。 (ヤマハ新人演奏会) (神奈川県立音楽堂) ピアノ伴奏:小池ふさ (銀座ヤマハホール) ピアノ伴奏:小池ふさ “Ah,lo previdi” K272 ピアノ伴奏:小池ふさ (オーストリア放送局) ピアノ伴奏:Walter Moore (コンツエルトハウス定期演奏会) (Konzerthaus) オーケストラ:ウイーン室内管弦楽団合唱:ウイーン室内合唱団指揮:Hanns Gillesberger (コンツエルトハウス定期演奏会) (Konzerthaus) (ソプラノソロと室内楽) アンサンブル:die reihe 指揮:Friedrich Cerha (20世紀美術館ホール) アンサンブル:die reihe指揮:F.Cerha (オーストリア放送局) (クラーゲンフルト) Drei Lieder Op.23 Rudenaue: Lieder “Tanka” ピアノ伴奏:Walter Moore ↓ 29日 Russe(1/23)Stara Zagola(1/25,1/30,2/1)Bourgas(1/29) 蝶々夫人役で5回の客演 (Musikverein grober Saal) オーケストラと合唱:Wiener Kluturgesellschaft-Orchester u.Chor 指揮:Josef.M.Muller (20世紀美術館ホール) B.Dimov:“Incantaziones Ⅱ”M.Rudenauer:Lieder “Tanka”アンサンブル:die reiheピアノ:K.Wittlich指揮:F.Cerha アムステルダム(コンセルトヘボウ) ブリュッセル(フィルハーモニーホール) マインツアクイラ(テアトロ・オリンピコ)
田原 総一朗(たはら そういちろう、1934年〈昭和9年〉4… 田原 総一朗(たはら そういちろう、1934年〈昭和9年〉4月15日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家、ニュースキャスター。元ドリームインキュベータ社外取締役。元東京12チャンネル(現:テレビ東京)ディレクター、元映画監督。日本国際フォーラム参与、政策委員。公益財団法人日印協会顧問、一般社団法人外国人雇用協議会顧問、NPO法人万年野党会長。芸能事務所のブルーミングエージェンシーと業務協力。 滋賀県彦根市出身。田原節子は2番目の妻、その妹に古賀さと子がいる。田原は2人の妻をいずれも癌で亡くしている。 近江商人の末裔。第二次世界大戦中は人並みな軍国少年で、「海軍兵学校を経て海軍に入り、特攻隊員として戦闘機に乗り敵の軍艦にぶつかって死ぬ」のが夢だった。
久保山 誠(くぼやま まこと、1934年4月15日 - 20… 久保山 誠(くぼやま まこと、1934年4月15日 - 2022年7月17日)は、佐賀県三養基郡基山町出身のプロ野球選手(捕手)・監督。 鳥栖工業高校卒業後の1953年に西鉄ライオンズへ入団し、2年目の1954年に初出場。リーグ優勝した1956年には自己最多の59試合出場で4本塁打を放ち、巨人との日本シリーズでは7戦中2戦に3番手としてマスクを被る。三原脩監督のポスト日比野強化の構想により、和田博実・田辺義三と正捕手の座を競い合ったが、結局は同年がキャリアハイとなった。1960年には阪急ブレーブスへ移籍するが、1年で退団。 退団後は阪急のチームメイトであった藤木孝二と共に電気化学工業へ入社し、引退後は監督に就任。
平山 正剛(ひらやま せいごう、1934年4月15日 - )… 平山 正剛(ひらやま せいごう、1934年4月15日 - )は、日本の弁護士、元日本弁護士連合会会長(2006年4月1日 - 2008年3月31日)。一般財団法人防災教育推進協会監事 2006年4月1日から日本弁護士連合会会長に就任した(任期2年)。会長選挙では、高山俊吉・久保利英明の両候補を破って当選している。 早稲田大学年金をめぐって、大学理事会に対して独立性が求められる大学監事でありながら、年金減額をめぐる裁判で一時、大学側代理人弁護士をつとめていたこと、また大学年金基金に関する監査責任はないと主張していることについて強い批判を受けている。(出所:早稲田大学の年金を知る会)
菊池 嘉人(きくち よしと、1934年4月15日 - 202… 菊池 嘉人(きくち よしと、1934年4月15日 - 2020年8月15日)は、日本の経営者。タイガー魔法瓶社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1957年に甲南大学経済学部を卒業し、同年にタイガー魔法瓶に入社。専務、副社長を経て、1968年4月に社長に就任し、1987年2月には社長に昇格。1999年4月に相談役に就任。 1989年11月に藍綬褒章を受章。 2020年8月15日に多臓器不全のために死去。86歳没。
獏 不次男 (ばく ふじお、1934年4月14日 - 201… 獏 不次男 (ばく ふじお、1934年4月14日 - 2011年12月19日)は、日本の小説家、詩人。本名は阿部次男。 青森県弘前市百石町九番地「文化堂阿部煎餅店」店主の長男として生まれた。父は阿部幸一、母はいわ。養生幼稚園、弘前市立時敏国民学校へ入学した。病弱な幼少期を送り、若くして母が死去したことから、母への追慕の念がたびたび作品に現れる。弘前市立第一中学校に入学後、当時の国鉄・NHK・東奥日報共催の作文コンクールで入賞し、NHKラジオで朗読放送をした。この時、長部日出雄(後の直木賞作家、当時弘前市立第三中学校在校)も入賞している。高校に入ると長部日出雄も青森県立弘前高等学校に入学しており、後々まで親交が続いた。
野村 文英(のむら ふみひで、1934年4月13日 - 20… 野村 文英(のむら ふみひで、1934年4月13日 - 2011年3月24日)は、日本の実業家。野村財閥を一代で築き上げた2代目野村徳七の孫で、野村家当主だった。野村殖産社長、野村ホールディングス取締役、太洋物産監査役。財団法人野村文華財団理事長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
神立 春樹(かんだつはるき、1934年4月12日 -2025… 神立 春樹(かんだつはるき、1934年4月12日 -2025年2月9日 )は日本の歴史学者。専門は近代日本経済史、近世農村・農書研究。農学博士、博士(学術)、博士(文学)。岡山大学名誉教授。二松学舎名誉舍友。瑞宝中綬章受章。 東京都生れ。父親の仕事により、南洋群島パラオ・アンガウル、朝鮮咸興などの海外を含め一家各地を転々、長野県小諸高等学校入学・二松学舎大学附属高等学校卒、東京教育大学農学部卒業・農学士、東京大学大学院社会科学研究科農業経済学専攻修士課程修了・農学修士、同農学系研究科農業経済学専攻博士課程修了・農学博士。博士学位論文「近代農村工業史の基礎過程」、指導教授東京大学古島敏雄。 大学院在学中1966年白梅学園短期大学講師、助教授の後、1970年岡山大学法文学部助教授、1977年教授、1992年経済学部長・大学院経済学研究科長、1995年大学院博士課程文化科学研究科長、1998年附属図書館長歴任。
堀田 力(ほった つとむ、1934年4月12日 - 2024… 堀田 力(ほった つとむ、1934年4月12日 - 2024年11月24日)は、日本の検察官、弁護士、福祉事業家。さわやか法律事務所所長、第一東京弁護士会所属、公益財団法人さわやか福祉財団会長、全日本社会貢献団体機構名誉顧問。 法務省大臣官房人事課課長、甲府地方検察庁検事正、法務省官房長、さわやか福祉推進センター所長などを歴任した。 京都府出身の弁護士である。京都大学を卒業後、検察官として任官し、東京地方検察庁では特別捜査部の検事としてロッキード事件の捜査に従事した。その後、甲府地方検察庁の検事正や法務省の官房長などを歴任した。退官後は弁護士として活動するとともに、さわやか福祉推進センターを開設するなど福祉事業家として活動した。
吉岡 康暢(よしおか やすのぶ、1934年4月12日 - )… 吉岡 康暢(よしおか やすのぶ、1934年4月12日 - )は、日本の考古学者、文学博士(明治大学)。国立歴史民俗博物館名誉教授・元石川県立歴史博物館館長。 石川県金沢市生まれ。古代~中世にかけての日本海域における土器・陶磁器研究の先駆者である。第5回小山富士夫記念賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
松井 やより(まつい やより、1934年4月12日 - 20… 松井 やより(まつい やより、1934年4月12日 - 2002年12月27日)は、日本のジャーナリスト、フェミニスト、元朝日新聞編集委員。本名は松井耶依。 京都府出身。父の平山照次、母の秋子はともに牧師で、東京都渋谷区に東京山手教会を創立した。本名の「耶依」もキリスト教に由来する。父親の平山照次は反核団体原水爆禁止日本協議会(原水協)がまだ共産党の影響力が強くなかった頃に、その常任理事を務め、日本キリスト教婦人矯風会に禁酒運動から平和運動へ活動範囲を広げるよう提言した。松井やよりの弟である平山基生は、平山照次とは逆に無神論者となる日本共産党員で、反米軍基地活動家。 青山学院中等部・高等部を経て、1961年に東京外国語大学外国語学部英米科を卒業し、朝日新聞社に入社。
斎田 忠利(さいだ ただとし、1934年4月11日 - )は… 斎田 忠利(さいだ ただとし、1934年4月11日 - )は、プロ野球選手、審判人。元パシフィック・リーグ審判部長。東京都出身。
小林 一喜(こばやし かずよし、1934年(昭和9年)4月1… 小林 一喜(こばやし かずよし、1934年(昭和9年)4月10日 - 1991年(平成3年)2月19日)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞編集委員、ニュースステーションコメンテーター。栃木県出身。 ニュースステーションのスタートに際し、小林にコメンテーターの白羽の矢を立てたのはテレビ朝日の小田久栄門だった。コメンテーター役を選ぶにあたって、まず朝日新聞社長の中江利忠から経歴や写真、当人の書いたものなどを見せてもらい、数十人の候補者のなかから5人に絞ったが、そこから先がなかなか進まなかった。そこで、小田は中江に本物の人物を見せてくださいと頼んで、論説室や編集委員室にさりげなく足を運び、狙いをつけたのが小林だった。
塩島 大(しおじま だい、1934年4月9日 - 1985年… 塩島 大(しおじま だい、1934年4月9日 - 1985年9月20日)は、日本の造園家、建設(都市計画)官僚、政治家である。位階は正五位勲四等、勲章は旭日小綬章。衆議院議員(1期)。日本造園学会常務理事、日本都市計画学会評議員。 長野県北安曇郡池田町生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、東京大学農学部入学。1959年(昭和34年)、 大学卒業とともに建設省入省(同期に望月薫雄元建設事務次官)。計画施設課、大阪府土木部、総理府近畿圏整備本部、首都圏整備委員会を経て、1981年(昭和56年)に建設省公園緑地課長を務め、1982年(昭和57年)8月、退官。公園緑地課長の時に、国営アルプスあづみの公園を考案したほか、東京大学・明治大学で講師を務めた。
伊香 輝男(いこう てるお、1934年4月9日 - 2009… 伊香 輝男(いこう てるお、1934年4月9日 - 2009年6月1日)は、大阪府寝屋川市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ。 同志社香里高校ではエースとして活躍。同志社大学に進学し、2年生から一塁手、外野手も兼ねる。関西六大学野球リーグでは、中心打者として1955年春季リーグで優勝を経験。同年の全日本大学野球選手権大会では準決勝で日大に延長10回惜敗。リーグ通算72試合に出場し、243打数73安打、打率.300、1本塁打の成績を残した。大学同期に青木稔、国松彰(いずれも中退)がいる。 1957年に近鉄パールスへ入団。強肩好打の外野手と期待され、1年目から一軍に定着。2年目の1958年には主に中堅手として65試合に先発出場、翌1959年は主に左翼手として71試合に先発する。
金 宰淑(김 재숙、キム・ジェスク、1934年4月9日 - … 金 宰淑(김 재숙、キム・ジェスク、1934年4月9日 - )は、元在日本大韓民国民団中央本部団長。 中央大学法学部、同大学専攻科(刑事法)。 2000年の民団中央団長選挙に出馬し、地方参政権の獲得、信用組合問題への取り組み、「21世紀委員会」の設置、「福祉問題推進委」などの設置、「組織功労者会」の設置を公約に掲げて、同年3月、中央団長に選出された。
向 精七(むかい せいしち、1934年4月8日 - 没年不明… 向 精七(むかい せいしち、1934年4月8日 - 没年不明)は、日本の元俳優。東京都出身(北海道出生)。東京都立小石川工業高等学校卒。 旧芸名・別名:向井 精七、向井 正人、向 正人。東宝株式会社などに所属していた。 俳優引退後は東京調布市でカラオケ専門のスナックバー「カフェ&キッチン ムカイ」のマスターを務めた。 すでに故人であるとされているが、正式な没年月日、没年齢、死因などは判明していない。
黒川 紀章(くろかわ きしょう、本名読み:くろかわ のりあき… 黒川 紀章(くろかわ きしょう、本名読み:くろかわ のりあき、1934年〈昭和9年〉4月8日 - 2007年〈平成19年〉10月12日)は、日本の建築家(一級建築士)、思想家、実業家、政治活動家。株式会社黒川紀章建築都市設計事務所代表取締役社長。日本芸術院会員。1986年にフランス建築アカデミーのゴールドメダルを受賞。日本を代表する建築家の一人。 1934年(昭和9年)に愛知県海部郡蟹江町に生まれた。父親の黒川巳喜も建築家である。 1953年(昭和28年)に東海高等学校を卒業。1957年(昭和32年)に京都大学工学部建築学科卒業。在学中は西山卯三に師事。卒業制作の題目は「A Project for Shopping Center」であった。
小久保 正雄(こくぼ まさお)、1934年4月8日 - 20… 小久保 正雄(こくぼ まさお)、1934年4月8日 - 2010年6月1日)は、兵庫県津名郡北淡町(現淡路市)出身の日本の政治家、アナウンサー。元ロンドンBBCアナウンサー、兵庫県議会議員、北淡町長。 1954年兵庫県立津名高等学校、1958年早稲田大学政治経済学部卒業。ロンドンBBC記者兼アナウンサーとして働く。その後日本航空ローマ支店勤務。 1971年より6期連続兵庫県議会議員に当選。自民党県議団幹事長などを歴任。1994年、津名郡北淡町長に就任。就任後3か月で阪神・淡路大震災に遭遇し、震源地町長として復興に尽力した。 2004年、旭日中綬章受章。2010年死去。叙正五位。
近藤 晃(こんどう あきら、1934年4月8日 - )は、財… 近藤 晃(こんどう あきら、1934年4月8日 - )は、財団法人日中経済協会理事、日本航空システム常任顧問。 岡山県岡山市北区加茂出身。趣味・特技はゴルフ、バードウォッチング。 2009年4月、春の叙勲で旭日重光章を受章した。
田村 美佐子(たむら みさこ、1934年(昭和9年)4月8日… 田村 美佐子(たむら みさこ、1934年(昭和9年)4月8日 - )は、日本の元競泳選手。現姓は斉藤。 和歌山県伊都郡妙寺町(現かつらぎ町)出身。 和歌山県立伊都高等学校在学中、1952年ヘルシンキオリンピックで競泳日本代表として女子400m自由形に出場したが予選落ちに終わった。女子4×100m自由形リレーでは6位に入賞した。1954年アジア競技大会では女子400m自由形に出場し優勝した。 のちに、天理短期大学保健体育科に進学。 現役引退後は、トータル・オリンピック・レディース会の会計監査を務めた。