藤井 繁克(ふじい しげかつ、1926年1月28日 - 20… 藤井 繁克(ふじい しげかつ、1926年1月28日 - 2011年6月17日)は、日本の実業家。大手釣具メーカー「がまかつ」の創業者、元社長、元会長。 1926年1月28日、兵庫県西脇市に生まれる。 1955年、がまかつの前身である「蒲克釣本舗」を創業。当初は他メーカーから鈎を仕入れて商売をしていたが、強度に不満があり鈎の自社開発を始めた。 1968年、株式会社に改組して「株式会社がまかつ」を設立。釣り針の素材や加工法の研究に拘り、海外にも拠点を置くなど、日本を代表する業界大手釣具メーカーに築き上げた。 2011年6月17日、脳出血のため西脇市の病院で死去。85歳没。2011年7月20日に「社葬・お別れの会」が執り行われた。
長谷川 孝之(はせがわ たかゆき、1926年(大正15年)1… 長谷川 孝之(はせがわ たかゆき、1926年(大正15年)1月27日 - 2010年(平成22年)10月18日)は、日本の政治家。静岡県焼津市長(3期)。 静岡県志太郡焼津町出身。1945年、彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)卒。焼津市議会議員を3期務め、1971年、静岡県議会議員に当選。5期務め、副議長と議長も務めた。1991年、焼津市長に初当選。3期務める。3期目途中の2000年に公職選挙法違反(特定寄付の禁止)の容疑で逮捕され、市長を辞職した。2010年に死去した。
高城 申一郎(たかぎ しんいちろう、1926年(大正15年)… 高城 申一郎(たかぎ しんいちろう、1926年(大正15年)1月27日 - 2009年(平成21年)4月19日)は、日本の実業家。住友不動産社長・会長を務めた。愛媛県松山市出身。
佐竹 明夫(さたけ あきお、1926年1月27日 - 200… 佐竹 明夫(さたけ あきお、1926年1月27日 - 2009年2月26日)は、日本の俳優。本名は、中山 賢雄(なかやま としお)。東京府豊多摩郡戸塚町(現在の東京都新宿区)出身。最終所属はエ・ネスト。娘は歌手の中山圭以子。 早稲田大学理工学部建築科卒業後、三菱電機大船工場に勤務していたが、バスの中で谷口千吉監督にスカウトされ、1951年東宝に入社し、映画『死の断崖』で俳優デビューを果たした。当時の芸名は片桐余四郎だった。その後、演技の勉強をし直すため劇団俳優座養成所に第2期生として入団した。同期には土屋嘉男、小林昭二、滝田裕介、横森久などがいる。 劇団俳優座、松竹を経てフリーになり、以後は時代劇などテレビドラマを中心に活動した。
荒川 克郎(あらかわ かつろう、1926年1月26日 - 2… 荒川 克郎(あらかわ かつろう、1926年1月26日 - 2021年6月6日)は、日本の経営者。神戸新聞社社長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1948年に関西学院大学経済学部を卒業し、1949年に神戸新聞社に入社した。1976年に監査役に就任し、1979年に取締役、1982年に専務を経て、1987年に社長に就任。1997年に会長を経て、1999年に相談役に就任。社長在任時には、1995年の阪神淡路大震災の際には、本社屋に大きな被害が出ている中でも、京都新聞社の協力を得た上で新聞の発行を継続した。1998年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2021年6月6日老衰のために死去。95歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
友田 好文(ともだ よしぶみ、1926年1月26日 - 20… 友田 好文(ともだ よしぶみ、1926年1月26日 - 2007年12月17日)は、日本の地球科学者(地球物理学)。勲等は勲二等。学位は理学博士(東京大学・1961年)。東京大学名誉教授、日本学士院会員。 東京大学海洋研究所教授、東海大学海洋学部教授などを歴任した。 ヴァイオリニストの友田啓明は弟。イェール大学教授の唐戸俊一郎は娘婿にあたる。 東京府出身の地球物理学を専攻する地球科学者である。動揺の激しい海況でも使用できる船上重力計を開発するとともに、プレート沈み込み地域における地下構造の解明に貢献するなど、日本の海底物理学を国際水準にまで高めたことで知られている。東京大学、東海大学で教鞭を執った。
柳川 啓一(やながわ けいいち、1926年(大正15年)1月… 柳川 啓一(やながわ けいいち、1926年(大正15年)1月26日 - 1990年(平成2年)4月3日)は、日本の宗教学者。東京大学名誉教授。正四位勲三等旭日中綬章。[いつ?] 兵庫県出身。1948年(昭和23年)、東京帝国大学宗教学科卒業。1952年(昭和27年)、東京大学大学院修了。 1973年(昭和48年)から1986年(昭和61年)まで東京大学文学部教授を務め、1987年(昭和62年)、定年退官後は、國學院大學文学部神道学科教授。1980年(昭和55年)から1982年(昭和57年)まで日本宗教学会会長を務めた。 東京大学では中沢新一、植島啓司、中原俊、島田裕巳、渡辺直樹、石井研士、四方田犬彦、鶴岡賀雄、林淳、竹沢尚一郎、島薗進、中牧弘允らを教えた。
佐々木 紫郎(ささき しろう、1926年1月26日 - 20… 佐々木 紫郎(ささき しろう、1926年1月26日 - 2025年1月2日[要出典])は、日本の自動車技術者。トヨタ自動車取締役副社長や、自動車技術会会長、豊田中央研究所代表取締役を務めた。 山梨県甲府市生まれ。1949年旧制北海道大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業入社、技術部設計課配属。1969年から製品企画室主査を務め、2代目・3代目トヨタ・カローラの開発責任者などを務めた。1977年製品企画室副室長(参与)。1982年製品企画室室長。1984年常務取締役。1986年専務取締役監査改良室室長。1988年取締役副社長。1990年自動車技術会会長。1992年相談役、豊田中央研究所代表取締役。
足立 正夫(あだち まさお、1926年(大正15年)1月25… 足立 正夫(あだち まさお、1926年(大正15年)1月25日 - 2000年(平成12年)2月6日)は、昭和から平成時代の政治家。兵庫県高砂市長。位階は従五位。 兵庫県出身。1942年(昭和17年)兵庫県立農学校卒業。 高砂市に奉職し、1968年(昭和43年)市経済社会部長、1973年(昭和48年)総務部長を経て、1974年(昭和49年)以来、高砂市長に5選した。1994年(平成6年)引退。2000年2月死去。死没日付をもって従五位に叙された。
浜野 剛(はまの たけし、1926年1月25日 - 2004… 浜野 剛(はまの たけし、1926年1月25日 - 2004年8月24日)は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員(6期)。
西村 亨(にしむら とおる、1926年1月25日- )は、国… 西村 亨(にしむら とおる、1926年1月25日- )は、国文学・民俗学者、慶應義塾大学名誉教授。
樋口 廣太郎(ひぐち ひろたろう、1926年(大正15年)1… 樋口 廣太郎(ひぐち ひろたろう、1926年(大正15年)1月25日 - 2012年(平成24年)9月16日)は、日本の実業家。アサヒビール中興の祖。位階は従三位。 京都市出身。京都市立第二商業学校(のちの京都市立西陣商業高等学校、廃校)、彦根経済専門学校(現:滋賀大学経済学部)を経て野村證券に就職。京都支店から祇園支店に転勤後、上司の紹介で野村銀行(後の大和銀行、現:りそな銀行)に転職。同行では大阪本店(現・りそな銀行大阪営業部)に配属されたが数日で退社し、1946年(昭和21年)に京都大学経済学部に再入学。同大学卒業後、1949年(昭和24年)4月に住友銀行(現:三井住友銀行)に入行。代表取締役副頭取まで昇進したが、当時の磯田一郎頭取と対立し、大阪建物社長職や新大阪ホテル(現・ロイヤルホテル)社長職への出向を打診されるも断り、辞職を決意する。
竹内 外史(たけうち がいし、1926年1月25日 - 20… 竹内 外史(たけうち がいし、1926年1月25日 - 2017年5月10日)は、日本の数学者、論理学者。専門は数学基礎論(数理論理学・公理的集合論、証明論など)。イリノイ大学名誉教授。 解析学の基礎付けなど、数学基礎論の研究で世界的に知られる。昭和57年(1982年)朝日賞(昭和56年度)受賞。主な著作に「集合とはなにか」「現代集合論入門」「証明論と計算量」「層・圏・トポス」など。1966年以来、長くイリノイ大学で教鞭を執っていた。その間、実数論の無矛盾性の証明を試みる。 石川県出身。(旧制)第四高等学校を経て、1947年東京大学理学部数学科卒業。東京大学教養学部講師、東京教育大学助教授を経て、1962年東京教育大学教授。
松岡 修(まつおか おさむ、1926年1月25日 - 199… 松岡 修(まつおか おさむ、1926年1月25日 - 1996年10月17日 )は、日本の経営者、銀行家。千葉興業銀行頭取を務めた。 山形県出身。1949年に東北大学法文学部を卒業し、同年に富士銀行に入行した。1974年11月に取締役に就任し、1975年5月に千葉興業銀行専務を経て、同年12月に副頭取に就任し、1986年6月には頭取に昇格し、1991年6月までに務めた。 1990年11月に藍綬褒章を受章。 1996年10月17日、循環器系疾患のために死去。70歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
楊 燦宇(ヤン・チャヌ、朝鮮語: 양찬우、1926年1月25… 楊 燦宇(ヤン・チャヌ、朝鮮語: 양찬우、1926年1月25日 - 2011年2月14日)は、 大韓民国の陸軍軍人、政治家。元慶尚南道知事、第29代内務部長官。第7・8・9・10代韓国国会議員。本貫は清州楊氏。号は東人(トンイン、동인)。 日本統治時代の釜山府(現・釜山広域市釜山鎮区)に生まれた。志願兵として日本軍に入隊。終戦直後、満州国軍出身者によって組織された新京保安司令部に所属。 陸軍士官学校第3期、アメリカ合衆国陸軍歩兵学校、陸軍大学、慶熙大学校政治外交学科を経て同校経営大学院卒業。早稲田大学大学院国際政治学科修了。 将校に任官(軍番10385番)後、陸軍歩兵第3連隊中隊長・大隊長、第11師団第20連隊長、第15師団副師団長を経て、1955年に陸軍准将、1956年に陸軍教育総本部作戦教育処処長、1959年4月に第32師団長、同年8月に陸軍少将、12月に第21師団長、東南アジア地域軍事使節を歴任した。
志鳥 栄八郎(しどり えいはちろう、1926年1月24日 -… 志鳥 栄八郎(しどり えいはちろう、1926年1月24日 - 2001年9月5日)は日本の音楽評論家。 1926年、東京府北豊島郡日暮里町(現・東京都荒川区日暮里)で毛筆製造業者の八男として生まれる。旧制駒込中学校(現・駒込中学校・高等学校)在学中の同級生に大滝秀治がいる。文学と音楽に熱中して第一高等学校 (旧制)と慶應義塾大学予科の入試に失敗し、予備校生活を経て、1944年から旭電化工業に勤務。1945年3月10日の東京大空襲で実家が焼失したため、福島県石川郡石川町に疎開。1945年5月、召集令状を受け、二等兵として相模原の通信第一連隊に入営。敗戦後に復員し、1946年1月から日本造船に勤務。
京谷 好泰(きょうたに よしひろ、1926年1月24日 - … 京谷 好泰(きょうたに よしひろ、1926年1月24日 - )は、鉄道技術者、元日本国有鉄道浮上式鉄道技術開発推進本部長。リニアモーターカーの開発者で、リニア技術の今日的な基礎を築いた技術者、「リニアの父」。 広島県福山市生まれ。子供の頃から家族の時計をばらしてはまた組み立てたり、理科の実験に熱中した。戦時中は高校生ながら学業を休み、三井造船の艦艇電気工場で潜水艦に関する仕事に従事した。第六高等学校を経て1948年、京都大学工学部(旧制)卒業。最初は船の仕事を希望したが、母親に「船に乗ったらどこかへ行ってしまう」と泣きつかれ運輸省に入省。1年後国鉄が出来たので国鉄に移籍。戦争でやられた機関車を日本の復興のためにと徹夜で修理した。
白橋 宏一郎(しらはし こういちろう、1926年1月23日 … 白橋 宏一郎(しらはし こういちろう、1926年1月23日 - 2009年2月3日)は、日本の医学者、精神科医。専門は児童精神医学。元東北福祉大学教授。医学博士(東北大学・1959年)。 東北児童青年精神医学会を発足し、精神科医として初めて国立総合病院長に就任した。日本における児童精神医学の権威の一人として多くの後輩を教えた。 1926年生まれ。1951年東北大学医学部卒業。1958年国立仙台病院精神科医長。東北大学医学部講師。1959年医学博士(東北大学)。後に東北福祉大学教授。国立仙台病院名誉院長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
榎原 猛(えはら たける、1926年(大正15年)1月22日… 榎原 猛(えはら たける、1926年(大正15年)1月22日 - 2004年(平成16年)6月28日)は、日本の憲法学者。大阪大学名誉教授。元甲子園短期大学長。法学博士。大阪府吹田市出身。
藤原 富男(冨男、ふじわら とみお、1926年 <大正15年… 藤原 富男(冨男、ふじわら とみお、1926年 <大正15年> 1月22日 - 2004年 <平成16年> 4月22日)は、日本の経営者。大日本製薬社長を務めた。位階は正五位。 京都府出身。1948年に大阪商科大学を卒業し、同年に大日本製薬に入社。 1970年1月に取締役に就任し、1974年1月に常務、1975年8月に専務を経て、1977年8月に副社長に就任し、1981年8月には社長に昇格。 1993年6月に会長、1999年6月に取締役相談役を経て、2001年6月に名誉相談役に就任。 1991年11月に藍綬褒章を受章し、1999年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2004年4月22日呼吸不全のために死去。
龍野 富雄(たつの とみお、1926年1月22日 - 199… 龍野 富雄(たつの とみお、1926年1月22日 - 1998年2月8日)は、日本の経営者。兵庫県神戸市出身。 1948年に神戸経済大学を卒業し、同年に大建産業に入社。 1974年5月に取締役に就任し、1978年6月に丸紅常務に就任し、専務、副社長を経て、1987年6月に社長に就任した。1992年に副会長に就任した。 1998年2月8日心筋梗塞のために死去。72歳没。
黒田 俊雄(くろだ としお、 1926年1月21日 - 19… 黒田 俊雄(くろだ としお、 1926年1月21日 - 1993年1月26日)は、日本の歴史学者。大阪大学名誉教授。専門は日本中世史。文学博士。『黒田俊雄著作集』全8巻(法藏館)がある。 1926年、富山県生まれ。第四高等学校文科甲類卒業。1948年、京都大学文学部史学科を卒業。 1955年、神戸大学教育学部専任講師に着任。1961年、大阪大学文学部助教授となった。1975年、同大教授に昇進。1981年から3期学術会議会員を務めた。1983年、学位論文『日本中世の国家と宗教』を大阪大学に提出して文学博士号を取得。1989年、大阪大学を定年退任し、名誉教授となった。その後は同年より大谷大学教授として教鞭をとった。
小島 恒久(こじま つねひさ、1926年〈大正15年〉1月2… 小島 恒久(こじま つねひさ、1926年〈大正15年〉1月20日 - 2019年〈平成31年〉3月2日 )は、日本の経済学者、社会運動家、歌人。九州大学名誉教授、元社会主義協会代表・顧問、元労働者運動資料室理事長。正四位。 1926年佐賀県生まれ。1945年長崎経済専門学校在学中に原爆に被爆。1950年九州大学経済学部卒業、続いて大学院特別研究生となり向坂逸郎に師事。1955年より九州大学教養部に勤務、経済学を講じる。講師、助教授、教授を務め、1989年に定年で退官。続いて熊本学園大学教授となり、1996年まで勤務し再度の定年で退職。 九州大学在職中、三井三池炭鉱・四山鉱の労働者教育に関わるなど、研究、社会活動の両面で向坂逸郎の志を積極的に継承する。
水谷 力(みずたに つとむ、1926年(大正15年)1月19… 水谷 力(みずたに つとむ、1926年(大正15年)1月19日 - 1994年(平成6年)8月6日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。 三重県桑名市出身。1951年(昭和26年)早稲田大学政治経済学部卒業。桑名市議会議員、三重県議会議員、第64代三重県議会議長(1971年(昭和46年)5月 - 1972年(昭和47年)5月)、全国都道府県議長会副会長、自由民主党三重県支部連合会幹事長を歴任した。1982年(昭和57年)春の褒章で藍綬褒章受章。 1983年(昭和58年)の第13回参議院議員通常選挙の三重県選挙区で日本社会党所属の坂倉藤吾を破り当選した。自由民主党に所属して、予算委員会理事、農林水産委員、国会対策委員、商工局次長、出版局次長を務めた。
巖本 眞理(いわもと まり、1926年1月19日 - 197… 巖本 眞理(いわもと まり、1926年1月19日 - 1979年5月11日)は、日本の女性ヴァイオリニスト。 日本初の室内楽定期演奏会94回の偉業を達成した。 教育者巌本善治と若松賤子の長男である巌本荘民(まさひと)とアメリカ人巌本マーグリートの間の長女として東京西巣鴨に生まれた。出生時の戸籍名は巖本メリー・エステル。6歳からヴァイオリンを小野アンナに学ぶ。 ハーフとして差別を受け、病弱だったためもあり、1935年に私立帝国小学校を4年生で中退。自宅でヴァイオリンの英才教育を受け、1938年4月、13歳にして第6回日本音楽コンクールで一位となり、天才少女と呼ばれる。1939年11月11日、レオ・シロタの伴奏で第一回独奏会を開く。
栗山 昌良(くりやま まさよし、1926年(大正15年)1月… 栗山 昌良(くりやま まさよし、1926年(大正15年)1月18日 - 2023年(令和5年)6月23日)は、日本の演出家、オペラ演出家、教育者。国立音楽大学名誉教授。劇団青年座座友。妻は声楽家(メゾソプラノ)の松内和子。 東京出まれ。獨逸学協会学校中学部卒業。 1946年(昭和21年)千田是也、伊藤道郎主宰の舞台芸術アカデミーに入所、舞台芸術への道を歩み始める。舞台芸術アカデミー卒。1949年(昭和24年)劇団俳優座に入り、1950年(昭和25年) - 1965年(昭和40年)俳優座演劇研究所所員として近代リアリズム演劇の表現手法を研究。同時に附属俳優養成所発足に伴い、講師として演劇映画界の俳優養成にあたる。
上田 閑照(うえだ しずてる、1926年1月17日 - 20… 上田 閑照(うえだ しずてる、1926年1月17日 - 2019年6月28日)は、日本の哲学者。専門はドイツ哲学・宗教哲学。京都大学名誉教授。京都学派を継承し、禅、東西神秘主義、エックハルト、ハイデッガー、京都学派思想などの研究を行った。 1926年、高野山真言宗僧侶の父・上田天瑞の長男として東京都で生まれた。横浜市立間門小学校、神奈川県立横浜第一中学校で学んだ。1943年に中学を卒業し、第一高等学校に入学。太平洋戦争の戦局悪化により就学期間が2年短縮され、1945年3月に卒業。京都帝国大学文学部に進学したが、4月中に召集し、本土防衛の任に就いた。戦後、1946年に京都帝国大学文学部に復学。哲学科で宗教学を専攻した。
森 一久(もり かずひさ、1926年1月17日 - 2010… 森 一久(もり かずひさ、1926年1月17日 - 2010年2月3日)は元日本原子力産業会議副会長、ジャーナリスト。日本で原子力研究開発の推進に貢献した。中央公論の編集者をしながら、1955年から毎日新聞出版の『エコノミスト』に間弘明(はざまひろあき)の筆名で記事を書き、『自然』や岩波書店『世界』で匿名記事を書いた。 京都大学物理学科で素粒子論を専攻し湯川秀樹のもとで理論物理を学んだ。中央公論社に9年間記者として在籍し、東京12チャンネル(現テレビ東京)、電源開発を経て日本原子力産業会議に入社。同会議の設立にも関与しており、電源開発からの出向の形で事務方として同会議に入社し、後に専務理事を務め、1996年から2004年まで副会長を務めた。
藤井 義弘(ふじい よしひろ、1926年1月16日 - 20… 藤井 義弘(ふじい よしひろ、1926年1月16日 - 2016年6月1日)は、日本の経営者。日立造船社長、会長を務めた。香川県高松市出身。 旧制高松中学校を経て、1948年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に三和銀行に入行。1971年11月に取締役に就任し、1974年7月に常務、1977年12月に専務を経て、1982年4月には副頭取に就任し、1985年6月には副会長に就任。1988年6月には日立造船社長に就任し、今日の主力事業である環境事業の祖を築き、経営の再建に尽力し、「中興の祖」として活躍した。また、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが大阪市に進出する計画が浮上した際には、新宮康男の要請に応じ、桜島工場を閉鎖し、土地を提供し、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの開業に後押しした。
石渡 信一郎(いしわたり しんいちろう、1926年1月16日… 石渡 信一郎(いしわたり しんいちろう、1926年1月16日 - 2017年1月8日)は、日本古代史研究家。東京都出身。 1953年、東京文理科大学(現筑波大学)文学部英文科卒業。1953年~1977年、東京都立千歳高等学校教諭。 主に以下のような説を主張している。
柳沢 孝(柳澤 孝、やなぎさわ たか、女性、1926年1月1… 柳沢 孝(柳澤 孝、やなぎさわ たか、女性、1926年1月16日 - 2003年9月6日)は、日本の美術史家。専門は仏教絵画史。東京文化財研究所名誉研究員。 1926年1月16日、長野県上田市に生まれる。1943年3月、長野県立上田高等女学校を卒業。1945年9月、日本女子大学校国文科卒業。1946年に帝国美術院付属美術研究所(現・東京文化財研究所)に入り、美術部長などを務めた後、東京芸術大学客員教授に就任する。 1960年「醍醐寺五重塔の壁画」(共同研究)で学士院恩賜賞を受賞。上野アキとともに、女性として初めての受賞者となった。 1987年3月、東京文化財研究所を定年退職する。1996年勲四等宝冠章を受章。
吉野 弘(よしの ひろし、1926年〈大正15年〉1月16日… 吉野 弘(よしの ひろし、1926年〈大正15年〉1月16日 - 2014年〈平成26年〉1月15日)は、日本の詩人。 山形県酒田市生まれ。1938年(昭和13年)酒田市琢成第二尋常小学校を総代として卒業し、1942年(昭和17年)12月、山形県酒田市立酒田商業学校を戦時繰り上げ卒業した。若いころ高村光太郎の「道程」を読んで感銘を受ける。商業学校卒業後、1943年(昭和18年)1月に帝国石油に就職した。1944年(昭和19年)に徴兵検査に合格するが、入隊5日前に終戦を迎えた。戦後は労働組合運動に専念していたが、1949年(昭和24年)に過労で倒れ、肺結核のため3年間療養した。入院中に詩人の富岡啓二と親しくなっている。
鬼頭 梓(きとう あずさ、1926年1月15日 - 2008… 鬼頭 梓(きとう あずさ、1926年1月15日 - 2008年8月20日)は日本の建築家。男性。
牧野 隆守(まきの たかもり、1926年〈大正15年〉1月1… 牧野 隆守(まきの たかもり、1926年〈大正15年〉1月14日 - 2008年〈平成20年〉1月11日)は、日本の政治家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 衆議院議員(6期)、政務担当官房副長官(宇野内閣)、労働大臣(第2次小渕改造内閣・第1次森内閣)を歴任。 福井県坂井郡丸岡町(現・坂井市)出身。福井中学などを経て東京大学法学部入学。東大在学中に高等文官試験司法科(現在の司法試験)合格。卒業後、1949年に旧商工省(のちの通産省)に入省。同期には藤原一郎(通産事務次官)、村上信二郎(衆議院議員)、平松守彦 (大分県知事)、大永勇作(中小企業信用保険公庫総裁)、井川博(経済企画事務次官)、織田季明(官房審議官)、小泉孝夫(通産省工業検査所所長)などがいた。
稲畑 勝雄(いなばた かつお、1926年1月14日 - 20… 稲畑 勝雄(いなばた かつお、1926年1月14日 - 2021年4月19日)は、日本の経営者。稲畑産業社長、会長を務めた。京都府京都市出身。 1947年に京都大学法学部を卒業。住友商事での勤務を経て、1955年に稲畑産業に転じ、1958年4月に取締役に就任し、1961年3月に常務、1966年4月に専務、1969年5月に副社長を経て、1972年12月には社長に就任。1998年6月から2009年6月までに会長を務めた。1984年10月から1986年2月までに住友製薬会長も務めた。 1973年からポルトガル大阪駐在名誉領事を務めた。 2021年4月19日、誤嚥性肺炎のために死去。95歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
田中 郁三(たなか いくぞう、1926年1月13日 - 20… 田中 郁三(たなか いくぞう、1926年1月13日 - 2015年2月16日)は日本の化学者、理学博士。東京工業大学名誉教授。文化功労者。専門は光化学。 東京工業大学教授、学長などを歴任。光イオン化質量分析法の開発や、分子の電子状態を精密に測定する分子光化学の先駆的な手法開発などで知られる、光化学のパイオニア。
長野 規(ながの ただす 1926年1月13日 - 2001… 長野 規(ながの ただす 1926年1月13日 - 2001年11月24日)は編集者、詩人。『週刊少年ジャンプ』初代編集長。
近藤 健次(こんどう けんじ、1926年1月13日 - 20… 近藤 健次(こんどう けんじ、1926年1月13日 - 2017年2月17日)は、日本の実業家。株式会社ビー・エム・エル創業者・元代表取締役社長。 静岡県磐田郡幸浦村大野(現袋井市大野)で万屋の四男として生まれる。幸浦尋常小学校(現袋井市立浅羽南小学校)、陸軍少年通信兵学校を経て、1954年専修大学商経学部卒業。 1955年相互ブラッド・バンク(のちのビー・エム・エル)を設立し、代表取締役社長に就任。1986年同社代表取締役会長。1997年勲五等瑞宝章受章。 2005年浅羽町善行表彰受賞。2007年ビー・エム・エル代表取締役最高顧問。同年袋井市に3億円を寄付し、2008年に袋井市市政功労賞受賞。
西平 直喜(にしひら なおき、1926年1月13日 - )は… 西平 直喜(にしひら なおき、1926年1月13日 - )は、日本の教育心理学者、創価大学名誉教授。 東京生まれ。東京高等師範学校国語漢文専攻卒、東京文理科大学心理学科卒業。1950年財団法人野間教育研究所勤務、1953年山梨大学講師、助教授、教授、保健管理センター所長・付属中学校校長兼職、1980年「青年心理学の方法論的研究」で九州大学より教育学博士の学位を取得。1988年創価大学教育学部教授。特任教授、名誉教授。日本青年心理学会名誉会員。財団法人野間教育研究所評議員。京大教授の西平直は子。
島岡 譲(しまおか ゆずる、1926年〈大正15年〉1月13… 島岡 譲(しまおか ゆずる、1926年〈大正15年〉1月13日 - 2021年〈令和3年〉9月30日)は、日本の作曲家、音楽学者、音楽理論家。国立音楽大学名誉教授、元東京藝術大学教授。娘は法学者の島岡まな。 1926年、群馬県前橋市に生まれる。桃井小学校に入り群馬師範学校の岩上行忍からオルガンと和声学を習う。1935年に上京し忍岡小学校へ編入。1936年から平井康三郎にピアノと作曲を師事する。1938年田端に転居し聖学院中学に入学。1942年に東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)に入学し、橋本國彦、下総皖一に師事した。1945年、東京音楽学校本科作曲部卒業。池内友次郎に師事し、1947年に同学研究科を修了。
三浦 朱門(みうら しゅもん、1926年〈大正15年〉1月1… 三浦 朱門(みうら しゅもん、1926年〈大正15年〉1月12日 - 2017年〈平成29年〉2月3日)は、日本の作家。 日本大学芸術学部教授、文化庁長官(第7代)、社団法人日本文藝家協会理事長(第7代)、日本芸術院院長(第4代)などを歴任した。 東京府豊多摩郡(現:東京都中野区)東中野生まれ。父はイタリア文学者の三浦逸雄。野方第五尋常小学校(現:中野区立啓明小学校)、東京府立第二中学校(現:東京都立立川高等学校)から旧制高知高等学校を経る。同校在学中には禁じられている煙草を吸い、さらに厭戦的態度を示して無期停学になった。旧制高知高等学校3年生の時に勤労動員され、1945年7月21日、陸軍二等兵として千葉県我孫子で入隊、千葉県の仮兵舎で敗戦を迎える。
喜多 迅鷹(きた としたか、1926年1月11日 - 201… 喜多 迅鷹(きた としたか、1926年1月11日 - 2015年9月12日)は、日本の翻訳家、画家。 長崎市生まれ。埼玉県立浦和中学校、第一高等学校を経て、1948年東京大学法学部卒。埼玉県立浦和高等学校、東京都立大学附属高等学校教諭のほか、東京都立大学 、横浜市立大学講師を務めたが、1971年、学園紛争を機に画業に転向。 1992年「東京を描く市民の会」創立に参加。1994年「彩の国を描く会」を創立、主宰。2001年読売・日本テレビ文化センターで「ペン水彩」講座開講。2002年読売・日本テレビ文化センターで「模写による西洋美術史」講座開講。
鈴木 喜一(すずき よしかず、1926年1月11日- )は、… 鈴木 喜一(すずき よしかず、1926年1月11日- )は、中国哲学者、信州大学名誉教授。 京都市出身。1948年九州帝国大学文学部支那哲学科卒。信州大学教養部助教授、教授。1990年「東洋における自然の思想」で九州大学文学博士。91年信州大学を定年退官、名誉教授。2006年瑞宝中綬章受勲。
稲川 誠一(いながわ せいいち、1926年1月11日 - 1… 稲川 誠一(いながわ せいいち、1926年1月11日 - 1985年3月20日)は、日本の歴史学者である。元聖徳学園岐阜教育大学教授。 愛知県名古屋市出身。第七高等学校造士館を経て、1948年に東京帝国大学文学部国史学科卒業、同大学院に進学。健康診断の結果、公立高校に就職できず、はじめ鶯谷女子高等学校に赴任し、後に健康が回復してから岐阜県立大垣北高等学校の教諭などをつとめる。その後、1980年に高山短期大学助教授、1982年に聖徳学園岐阜教育大学講師。1984年に助教授、1985年に教授に昇進。 七高で久保田収、東大で平泉澄に師事。日本中世史を専門とし、『新修大垣市史』の中世の部分を担当し、また岐阜県内の東大寺領荘園の研究に従事。
藤田 湘子(ふじた しょうし、1926年1月11日 - 20… 藤田 湘子(ふじた しょうし、1926年1月11日 - 2005年4月15日)は、日本の俳人。水原秋桜子に師事。俳誌「鷹」を創刊・主宰。本名・良久。神奈川県出身。 父源太郎、母ミネの長男として、神奈川県小田原町(現 小田原市)に生まれる。1942年、中学在学中に「馬酔木」に入会し、水原秋桜子に師事。石田波郷に兄事。1945年、工学院工専(現工学院大学)を中退、東部第八七部隊を経て鉄道省に勤務。1947年、「馬酔木」4月号で巻頭。1948年、馬酔木賞を受賞、翌年より「馬酔木」同人。1951年、「馬酔木」第1回新樹賞受賞。1955年、第4回新樹賞受賞。同年「馬酔木」編集次長就任。1957年、「馬酔木」編集長就任、第4回馬酔木賞受賞。
いいだ もも(本名:飯田 桃〈読み同じ〉、男性、1926年〈… いいだ もも(本名:飯田 桃〈読み同じ〉、男性、1926年〈大正15年〉1月10日 - 2011年〈平成23年〉3月31日)は、東京府東京市出身の作家、社会批評・文化批評家。 多元主義的共産主義者。『21世紀への構想』研究会主宰。『近代日本社会運動史人物大事典』編集委員。別名の宮本 治は「宮本百合子と太宰治をアウフヘーベンする」との意図によるという。 現在の東京都港区出身。東京府立第一中学校から第一高等学校を経て、1944年(昭和19年)に東京帝国大学法学部入学。同期に三島由紀夫がいたが、互いに面識はなかった(後に対談を行っており、1969年の『文化防衛論』に収録されている)。戦後まもなく、一高生を中心に全国の大学や高校をつなぐ同人誌『世代』の創刊に参加。
竹入 義勝(たけいり よしかつ、1926年〈大正15年〉1月… 竹入 義勝(たけいり よしかつ、1926年〈大正15年〉1月10日 - 2023年〈令和5年〉12月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(8期)、東京都議会議員(1期)、文京区議会議員(1期)を歴任。位階は正三位。 1967年から1986年まで公明党委員長を務め、言論出版妨害事件では中心となって動いた。1972年7月に独自のルートで中国の周恩来首相と会談し、同年9月の日中国交正常化の橋渡しを行った(竹入メモ)。 のちに、創価学会から除名された。詳細は「創価学会#創価学会に対する批判」を参照。 長野県上伊那郡辰野町に生まれ、北佐久郡軽井沢町で育つ。 陸軍航空士官学校在校中に敗戦を迎えた。旧制伊那中学を経て、国鉄(現:JR東日本)に勤務。
北村 正利(きたむら まさとし、1926年1月10日 - 2… 北村 正利(きたむら まさとし、1926年1月10日 - 2012年7月13日)は、日本の天文学者(天体物理学)。理学博士。東京大学名誉教授。 現在の高知県南国市久礼田に生まれる。旧制高知県立高知城東中学校(現・高知県立高知追手前高等学校)を経て、1950年、東京大学理学部天文学科卒業。東京大学附属東京天文台助手、講師、助教授を経て1971年教授に就任。1986年定年退官し東京大学名誉教授となった。 北村は古畑正秋とズデネク・コパルの弟子であり、門下生には山崎篤磨、中村泰久、岡崎彰、西城恵一らがいる。 戦後、日本では早期に光電測光を古畑正秋と共に開始。ツアイス製65cm屈折望遠鏡に光電測光装置を取付けて天体の測光を行った。
森 亘(もり わたる、1926年1月10日 - 2012年4… 森 亘(もり わたる、1926年1月10日 - 2012年4月1日)は、日本の病理学者、東京大学名誉教授・元総長。元国立大学協会会長。元日本医学会会長。医学博士(1957年)。東京生まれ。2012年4月1日、肺炎のために、東京大学附属病院で死去。86歳没。叙従三位
織井 茂子(おりい しげこ、1926年〈大正15年〉1月10… 織井 茂子(おりい しげこ、1926年〈大正15年〉1月10日 - 1996年〈平成8年〉1月23日)は、日本の歌手。本名は伊東 茂子(いとう しげこ)。東京都目黒区出身。 10代の頃は、童謡歌手として、リーガル(コロムビアの廉価盤)の専属として活躍。東洋音楽学校(現・東京音楽大学)を卒業後、歌謡曲歌手となるべく当時有名であった大村能章歌謡学院の門下となり、大村の紹介により「都 能子(みやこ よしこ)」の芸名で、1947年(昭和22年)にキングレコードからデビュー。芸名の「能子」は、師である大村能章の「能」をいただいたものである。ヒット曲には恵まれなかったものの、木下惠介監督の松竹映画『女』にレビュー歌手として出演し、劇中で『紅バラルンバ』を歌っている。