高梨 健吉(たかなし けんきち、1919年(大正8年)11月… 高梨 健吉(たかなし けんきち、1919年(大正8年)11月24日 - 2010年(平成22年)3月20日)は、日本の英語学者。慶應義塾大学名誉教授。日本英学史学会第4代会長。 山形県生まれ。昭和18年東京文理科大学英文科卒業。戦後の1950年(昭和25年)にコロンビア大学留学。 慶應大教授を長年務め、美誠社から出版された高校生向けの英語学習参考書を始め、多くの著訳書を著した。バジル・ホール・チェンバレン『日本事物誌』を初めて訳し、日本英学史を研究紹介した。1984年(昭和59年)に定年退職し名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
桃野作次郎(ももの さくじろう、1919年11月20日 - … 桃野作次郎(ももの さくじろう、1919年11月20日 - 2014年9月26日)は、日本の農学者、農業経済学者、元技官官僚。学位は、農学博士(北海道大学)。専門は、テンサイ農業の経営および経済活動についての研究。北海道大学名誉教授。元北海学園北見大学学長・北海学園北見短期大学学長。渡邊侃門下。弟子は大谷俊昭。北海道生まれ。
友松諦道(ともまつ あきみち・たいどう、1919年11月20… 友松諦道(ともまつ あきみち・たいどう、1919年11月20日 - 2001年1月28日)は、日本の僧侶・幼児教育者。 友松円諦の長男として東京に生まれる。1942年慶応義塾大学文学部卒。神田寺住職。東京神田寺幼稚園園長。真理学園理事長。 1987年に藍綬褒章、1994年に勲四等瑞宝章を受章。2001年1月28日、心不全のため死去。
石原 八束(いしはら やつか、1919年(大正8年)11月2… 石原 八束(いしはら やつか、1919年(大正8年)11月20日 - 1998年(平成10年)7月16日)は、日本の俳人。 山梨県錦村二之宮(現・笛吹市御坂町二之宮)に生まれる。父親は俳人の石原舟月(起之郎)。本名は「登」であったが、病弱であったため生後一ヶ月で長命を願い「八束」に改名した。 1937年(昭和12年)、父の師である飯田蛇笏に師事する。飯田蛇笏は現在の笛吹市境川町において俳誌「雲母」を主催していた俳人で、八束も「雲母」に投句を始める。1943年(昭和18年)に中央大学法学部を卒業する。戦後は東京世田谷の石原舟月宅に「雲母」発行所が移転され、八束は1947年(昭和22年)より蛇笏の子息・飯田龍太とともに「雲母」編集に携わる。
みな子(みなこ、1919年〈大正8年〉11月20日 - 20… みな子(みなこ、1919年〈大正8年〉11月20日 - 2010年〈平成22年〉5月31日)は、日本の芸妓。本名、長尾 みつ(ながお みつ)。昭和初期から平成期まで、約80年にわたって芸妓としての活動を続けた。戦後も舞台やイベントでも活躍して、90歳で死去するまで生涯現役を貫き、吉原の文化と芸を世の中に伝え続けたことで、「最後の吉原芸者」と呼ばれた。吉原の伝統芸の継承にも熱心で、晩年は後進の育成や座敷芸の映像保存にも力を注いだ。没後は晩年の5年間の活動を記録したドキュメンタリー映画『最後の吉原芸者 四代目みな子姐さん』が公開され、日本国内外で好評を得た。 北海道當別村(後の当別町)で、6人弟妹(1男5女)の長女として誕生した。
倉橋 良介(くらはし りょうすけ、1919年11月19日 -… 倉橋 良介(くらはし りょうすけ、1919年11月19日 - 1995年5月1日)は、日本の映画監督である。日東テレビ映画常務取締役、プロダクション鷹取締役を歴任。別名に風魔 三郎(ふうま さぶろう)。 1919年(大正8年)高知県香美郡土佐山田町(現香美市)に生まれる。京都府立京都農林学校卒業後、京都市役所の吏員として5年間働く。 その後松竹京都撮影所に入社、『破れ太鼓』(1949年)の木下恵介、『薔薇合戦』(1950年)成瀬巳喜男の助監督を務めた記録がある。1954年(昭和29年)1月27日に公開された、岩井半四郎主演の『とのさま街道』で監督に昇進している。以降、1960年(昭和35年)までの6年間に16作を監督している。
諏訪 彰(すわ あきら、1919年11月18日 - 1999… 諏訪 彰(すわ あきら、1919年11月18日 - 1999年3月12日)は、日本の地震学者・火山学者。長く気象庁に勤務し、地震観測所長などを務めた。 長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)に、諏訪藩主・諏訪氏の分家筋に生まれる。旧制諏訪中学校(長野県諏訪清陵高等学校の前身)で三澤勝衛の教えを受け、三澤が顧問であった理科クラブの部長を務めた。松本高等学校理科甲類を経て、東京帝国大学理学部地質学科に学ぶ。1944年に卒業して兵役に就き、戦時中は技術将校として日本海沿岸の石油探査にあたった。 戦後、1945年12月に中央気象台(気象庁の前身)に採用されて藤原咲平の薫陶を受け、松代大本営跡に地震観測施設を設けた中央気象台松代分室の開設などに関わった。
牧田 実夫(まきた じつお、別表記 : 牧田 實夫、1919… 牧田 実夫(まきた じつお、別表記 : 牧田 實夫、1919年(大正8年)11月18日 - 2011年(平成23年)7月23日)は、昭和から平成時代の政治家。鳥取県倉吉市長。位階は正五位。 鳥取県久米郡倉吉町(現・倉吉市)出身。1937年、鳥取県立倉吉農学校(現・鳥取県立倉吉農業高等学校)を卒業。 1951年、倉吉町議会議員に初当選。町議会議員1期、市議会議員5期、鳥取県議会議員3期を務めた。1982年、倉吉市長に当選。1983年、市制施行30周年にあたり第5次総合開発計画、新広域市町村圏計画およびモデル定住圏計画を基本に「中部中核都市づくり」「活力と潤いのあるまちづくり」を目指し、「水と緑と文化のまちづくり」を目標に掲げる。
武市 一夫(たけいち かずお、1919年〈大正8年〉11月1… 武市 一夫(たけいち かずお、1919年〈大正8年〉11月17日 - 1999年〈平成11年〉12月14日)は、日本の政治家。徳島市長。徳島県徳島市出身。勲三等瑞宝章受章。位階は従五位。 旧制徳島県立徳島中学校、旧制第三高等学校卒業。1941年、東京帝国大学法学部卒業。大学卒業後、満州国総務庁高等官の試補となる。終戦後は徳島に戻り、徳島県庁の秘書課長や副知事などを歴任。 1967年に徳島市長に就任。2期に渡って市長を務める。就任中はポルトガルレイリアと姉妹都市の協定を結んだり、市内の下水道や排水場の整備に貢献する等の業績を残している。 また徳島県信用保証協会の会長や日本下水道協会の副会長などを歴任。
天野 房三(あまの ふさぞう、1919年(大正8年)11月1… 天野 房三(あまの ふさぞう、1919年(大正8年)11月17日 - 2020年(令和2年)3月24日)は、昭和から平成時代の政治家。東京都渋谷区長。 東京府東京市神田区(現千代田区西神田)出身。1944年、明治大学専門部文科卒業。 1949年、渋谷区役所に入庁。1966年、渋谷区区民部長。1968年、総務部長。1970年、助役。 1975年、東京都の特別区において区長の公選選挙が復活。4月27日に行われた渋谷区長選挙に、自民党の推薦を得た天野、社会党・民社党の推薦と公明党の支持を得た北田繁、共産党公認の羽渕三良の3人が立候補し、天野が次点の北田を70票差で下し、初当選した(天野:38,966票、北田:38,896票、羽渕:8,863票)。
石山 四郎(いしやま しろう、1919年11月16日 - 1… 石山 四郎(いしやま しろう、1919年11月16日 - 1992年5月3日)は、日本の経済評論家、実業家。元ダイヤモンド社社長。 東京・赤坂にて、石山賢吉の長男として生まれる。1943年早稲田大学卒。1948年早稲田大学大学院特別研究生修了。ダイヤモンド社入社。編集局長、副社長、社長を経て、1973年退社。1976年新しい経営者像の会(AKK)を設立。
渡辺 健三(わたなべ けんぞう、1919年11月15日 - … 渡辺 健三(わたなべ けんぞう、1919年11月15日 - 2011年3月5日)は、日本の経営者、銀行家。北越銀行頭取を務めた。 新潟県出身。1943年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年10月に横浜正金銀行に入行した。1946年3月に長岡中学校に奉職し、1949年8月に北越銀行に転じ、1968年11月に取締役に就任し、1970年5月に常務、1976年10月に専務を経て、1981年6月には頭取に就任。1987年6月に会長、1993年6月に取締役相談役を経て、1995年6月には相談役に就任。 1986年11月に藍綬褒章を受章し、1991年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2011年3月5日、心不全のために死去。
松下 秀雄(まつした ひでお、1919年11月14日 - 2… 松下 秀雄(まつした ひでお、1919年11月14日 - 2013年3月5日)は、日本の実業家。オーディオテクニカ創業者。 福井県南条郡武生町(現越前市)出身。福井市立商業学校(現福井県立福井商業高等学校)卒業。高松高等商業学校(現香川大学経済学部)卒業。1951年ブリヂストン美術館入社。やがて石橋幹一郎の助言を得て、館内レコードコンサートを開催するようになった。 1962年オーディオテクニカ創業、同社代表取締役社長に就任。1973年製造会社のテクニカフクイを設立。1993年オーディオテクニカ取締役会長及びテクニカフクイ取締役会長に就任。2005年オーディオテクニカ代表取締役相談役及びテクニカフクイ代表取締役相談役に就任。
李 廷煥(イ・ジョンファン、朝鮮語: 이정환、1919年11… 李 廷煥(イ・ジョンファン、朝鮮語: 이정환、1919年11月13日 - 2008年8月13日)は、大韓民国の経済学者、銀行家、実業家、政治家。 本貫は星州李氏(朝鮮語版)[要出典]。日本名星山 正雄。延世大学校教授などを経て、韓国銀行総裁や、大韓民国財務部長官、韓国産業銀行総裁、錦湖石油化学会長等を歴任した。金塔産業勲章受章。 慶尚南道東萊郡(のちの釜山広域市)出身。東萊中学校(のちの東萊高等学校(朝鮮語版))を経て、1941年東京商科大学(のちの一橋大学)予科修了。1944年同大学卒業。 釜山大学校教授、延世大学校教授を経て、1961年大韓民国財務部長官顧問。1962年農業協同組合中央会会長。
山崎 安治(やまざき やすじ、1919年11月13日 - 1… 山崎 安治(やまざき やすじ、1919年11月13日 - 1985年3月11日)は、日本の登山家。 神奈川県小田原生まれ。1942年早稲田大学法学部卒、日刊スポーツ新聞社に入り、文化部長、整理部長を務めた。日本の積雪期登山の先駆者の一人で、昭和10年代に早大山岳部の主力メンバーとして、穂高岳や冠帽峰(北朝鮮)に極地法登山を展開、初登攀記録も作った。のち登山史研究に専念。日本山岳協会常任理事。
宇野 義方(うの よしかた、1919年11月12日 - 20… 宇野 義方(うの よしかた、1919年11月12日 - 2009年8月12日)は、日本の国語学者。立教大学名誉教授。 1919年、宇野哲人の四男として東京に生まれた。東京帝国大学文学部国語学科で学び、1947年に卒業。卒業後は、日本女子大学助教授。1956年、立教大学文学部助教授となり、1963年に教授昇進。1985年に立教大学を定年退職して名誉教授となった。共立女子短期大学客員教授、特任教授を務めた。 2009年8月12日、肺炎のため死去。
飯野 利夫(いいの としお、1919年 <大正8年> 11月… 飯野 利夫(いいの としお、1919年 <大正8年> 11月12日 - 2007年 <平成19年> 8月8日)は、日本の会計学者。専攻は財務会計。一橋大学名誉教授、中央大学名誉教授、駿河台大学名誉教授。第2代駿河台大学学長。元日本会計研究学会理事長。1995年勲三等瑞宝章受章。位階は正五位。 富山県出身。高岡高等商業学校(現富山大学経済学部)を経て、1942年、東京商科大学(現一橋大学)を卒業する。大学では太田哲三に師事した。その後、一橋大学教授となるが、大学紛争で同大学を退職し、門下は残らなかった。指導学生に内山力(元中央大学教授)、吉野賢治(元太田昭和監査法人副理事長、学校法人中央学院理事長)などがいる。
中村 菊男(なかむら きくお、1919年11月11日 - 1… 中村 菊男(なかむら きくお、1919年11月11日 - 1977年5月17日)は、日本の政治学者、政治家。慶應義塾大学名誉教授。 三重県鳥羽町(現・鳥羽市)出身。慶應義塾大学予科時代に高畠基之門下である井原糺の薫陶を受け、1943年に慶大法学部を卒業。板倉卓造と米山桂三の推薦で助手となり、同時に文部省の特別研究生。1946年に助教授、1952年教授。 民主社会主義を唱え、1952年民主社会主義連盟の結成に参加。1955年左右社会党の統一に際しては右派代表として統一綱領を作成し、社会党右派が脱党して民主社会党を結成するとそのブレーン的存在となる。1958年にはワシントン大学のジャパン・セミナーで講師を務めた。
渡辺 仁(わたなべ ひとし、1919年11月11日 - 19… 渡辺 仁(わたなべ ひとし、1919年11月11日 - 1998年5月25日)は、日本の考古学者。 三重県宇治山田市(現伊勢市)出身。松本高等学校卒、1946年東京帝国大学理学部人類学科卒、1960年「ヒトの生態並びにヒトとその棲息地との社会的結合関係の群構造との関連における研究」で理学博士。1967年東京大学理学部助教授、1972年文学部考古学科教授。1980年定年退官、名誉教授となり、北海道大学教授、麗澤大学教授を務めた。
竹内勇太郎(たけうち ゆうたろう、1919年11月10日 -… 竹内勇太郎(たけうち ゆうたろう、1919年11月10日 - 1993年2月14日)は、日本の脚本家、小説家。 山梨県塩山市(現甲州市)出身、1926年七里小学校(現・塩山南小学校)入学、甲府市貢川尋常小学校に転校、山梨師範学校(現・山梨大学)、日本大学卒業。山梨県北都留郡沢松国民学校、中巨摩郡竜王町の村立竜王小学校など県内の学校で教師となる。この頃、児童劇『桂川』の脚本を手がけNHKラジオで放送される。 時事新聞社山梨支社に事業部長兼文化部長として入社。芸術や文化活動の分野を担当する。演劇雑誌テアトロに戯曲を投稿。1955年頃上京し、東芸に所属し本格的に脚本を書きはじめる。 1956年5月28日、山梨県甲府市朝気で開業していた眼科医の雨宮一枝と結婚。
崔 容根(チェ・ヨングン、朝鮮語: 최용근、1919年11月… 崔 容根(チェ・ヨングン、朝鮮語: 최용근、1919年11月9日 - 1969年8月25日または1973年1月29日)は、大韓民国の教育者、政治家。第3・4代韓国国会議員。本貫は江陵崔氏(朝鮮語版)。 日本統治時代の江原道江陵郡出身。江陵公立農業学校(現・江陵中央高等学校(朝鮮語版))、春川公立農業学校農林科、盛岡高等農林学校林学科卒。 江陵農高教員、水原農科大学(現・ソウル大学校農科大学)講師、江陵公立農業学校校長、東国大学校講師、大韓教育連合会(現・韓国教員団体総連合会)中央代議員を経て、1954年の第3代総選挙と1958年の第4代総選挙で自由党の候補として2回連続当選し、自由党江陵甲区党委員長、国会財政経済委員長・予算決算委員長を歴任した。
横山 正治(よこやま まさはる、1919年(大正8年)11月… 横山 正治(よこやま まさはる、1919年(大正8年)11月8日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争劈頭の真珠湾攻撃において特殊潜航艇「甲標的」搭乗員として戦死した九軍神の一人。二階級特進により最終階級は海軍少佐。岩田豊雄(獅子文六)の小説「海軍」及びこれを原作とした映画「海軍」の主人公・谷真人のモデル。
木下 和夫(きのした かずお、1919年〈大正8年〉11月7… 木下 和夫(きのした かずお、1919年〈大正8年〉11月7日 - 1999年〈平成11年〉2月13日)は、日本の経済学者。大阪大学名誉教授。財政政策、国民所得などの研究で知られる。位階は正四位。 福岡県大牟田市生まれ、八女市出身。1942年京都帝国大学経済学部卒。1958年「租税の経済理論」で関西学院大学経済学博士。 1948年大阪帝国大学経済学部助教授、1954年大阪大学教授。同大財政研究所長、経済学部長、1983年定年退官、名誉教授。1983年紫綬褒章、1990年前島賞、勲二等瑞宝章受勲。地方財政審議会会長など各種審議会の委員を務めた。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙された。
窪田 正八(くぼた しょうはち、1919年11月7日 - 1… 窪田 正八(くぼた しょうはち、1919年11月7日 - 1997年9月20日)は、日本の国土交通技官。気象庁長官を務めた。 山梨県出身。旧制第一高等学校を経て、1943年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業し、後に気象庁に入庁した。1978年4月から1980年4月までに長官を務めた。気象大学校で非常勤講師も務めた 1997年9月20日に肺炎のために死去。77歳没。
岡田 実(おかだ みのる、1919年11月5日 - 1989… 岡田 実(おかだ みのる、1919年11月5日 - 1989年3月11日)はNHKの元アナウンサー。 ミュージシャンの岡田徹は息子。 神奈川県横浜市出身。早稲田大学政治経済学部卒業。1944年、NHKにアナウンサーとして入局。スポーツアナウンサーの大御所であった志村正順のもとでスポーツ実況の訓練を受ける。当時、志村のもとで訓練を受けた若手アナウンサーに宮田輝、高橋圭三、鈴木文彌、北出清五郎、斎藤正男、松本憲夫らがいる。岡田自身もその後、若手アナウンサー育成に寄与した。 主にプロ野球中継で活躍したほか、ラグビー、テニス、大相撲、オリンピック中継も担当している。明朗な声で歯切れもよく、正確な描写、試合の確信を突く分析力が受け、アナウンサー志望者に多大な影響を与えた。
錦織 登美夫(にしきおり とみお、1919年〈大正8年〉11… 錦織 登美夫(にしきおり とみお、1919年〈大正8年〉11月3日 - 2008年〈平成20年〉1月22日)は、日本の出版人、実業家。東洋館出版社創業者・初代社長。 新潟県中蒲原郡新津町大字新津字三之町(現 新潟市秋葉区新津本町3丁目)の東洋館書店・東洋館印刷所の錦織豊松の長男として出生。 1937年(昭和12年)3月に新潟中学校を卒業、1940年(昭和15年)3月に慶應義塾大学予科経済学部を修了、1942年(昭和17年)9月に慶應義塾大学経済学部を半年繰り上げ卒業。 第二次世界大戦で兵役に服し、1948年(昭和23年)にシベリア抑留から帰還、同年6月に東洋館出版社を設立して社長に就任、のちに会長に就任。
清水谷 孝尚(しみずたに こうしょう、旧姓:半田、1919年… 清水谷 孝尚(しみずたに こうしょう、旧姓:半田、1919年11月3日 - 2014年10月28日)は、日本の聖観音宗の僧侶。浅草寺27世貫首。
徳大寺 公英(とくだいじ きんひで、1919年(大正8年)1… 徳大寺 公英(とくだいじ きんひで、1919年(大正8年)11月2日 - 没年不詳)は、日本の美術評論家。旧公爵・徳大寺家32代当主。戸籍上の表記は德大寺。 徳大寺実厚の長男。母は松平直之の娘・米子。子に徳大寺実啓。東京府東京市(現:東京都)出身。 1945年東京帝国大学法学部政治学科卒。学習院大学講師、ブリヂストン美術館嘱託。 美術評論家。「原色版美術ライブラリー(世界美術)」(みすず書房)第18巻解説を執筆。 文芸春秋1968年4月号(46巻4号)に「藤田嗣治--その愛の履歴」を執筆するなど、美術評論を多数執筆する。 武蔵野美術大学名誉教授の藤枝晃雄は、徳大寺公英が中野に住んでいた頃、「美術だけではなくて、いろいろなものを若いときから勉強しなさい」と言われたことを記憶していると述べた。
広池 秋子(ひろいけ あきこ、1919年(大正8年)11月1… 広池 秋子(ひろいけ あきこ、1919年(大正8年)11月1日 - 2007年(平成19年)11月25日)は、日本の小説家、評論家、ヨーガ研究家。埼玉県出身。本名は増田秋子。東京府立第七高等女学校(現・東京都立小松川高等学校)卒。丹羽文雄に師事し、1953年「オンリー達」で芥川賞候補となる。以後は評論家として活動。 「オンリー達」は、『現代の女流文学 第1巻』(毎日新聞社、1974)、『女性作家シリーズ 現代秀作集』(角川書店、1999)、『戦後の出発と女性文学 第8巻 (昭和28年)』(ゆまに書房、2003)所収。
佐治 敬三(さじ けいぞう、1919年 <大正8年> 11月… 佐治 敬三(さじ けいぞう、1919年 <大正8年> 11月1日 - 1999年 <平成11年> 11月3日)は、日本の実業家。サントリー第2代社長、元会長。基礎科学研究を熱心にサポートした実業家としても知られる。位階は正三位。 1919年(大正8年)11月1日、サントリー創業者の鳥井信治郎の次男として大阪府大阪市東区住吉町(現:中央区松屋町住吉)に生まれる。 1932年(昭和7年)頃に母方の縁者と養子縁組をして「佐治」姓となったが、そのまま大阪の実父母のもとで暮らした。 1940年に、実兄が死去。 大阪府池田師範学校附属小学校、旧制浪速高等学校卒業。 1942年4月、大阪帝国大学理学部化学科卒業。
沖田 守(おきた まもる、1919年11月 - 2012年1… 沖田 守(おきた まもる、1919年11月 - 2012年1月14日)は、日本の通産官僚。通商産業省国際経済部長、中小企業庁次長を経て、東邦亜鉛代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。 広島県生まれ。1941年高等試験行政科合格。1942年東京商科大学(現一橋大学)卒業、商工省入省。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。第23特別根拠地隊に配属。1944年5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。 戦後、商工省に復帰。通商産業省通商局参事官、経済企画庁調整局調整課長、通商産業大臣官房審議官等を経て、1964年福岡通商産業局長。
加藤 道子(かとう みちこ、1919年10月31日 - 20… 加藤 道子(かとう みちこ、1919年10月31日 - 2004年1月31日)は、日本の女優、声優。東京府東京市(現・東京都)出身。俳優・加藤精一の長女。 東京府立第五高等女学校(現東京都立富士高等学校)卒業。 1941年、東京放送劇団第1期生として入団。 1957年から森繁久彌と共に『日曜名作座』に出演していた。 2004年1月31日、膵臓がんのため、東京都港区の病院で死去。84歳没。
木村 實(きむら みのる、1919年10月31日 - 200… 木村 實(きむら みのる、1919年10月31日 - 2001年6月20日)は、日本の実業家。総合商社の住友商事の元常務取締役。 1919年10月31日生まれ。彦根高等商業学校(現:滋賀大学経済学部)を1940年に卒業し、同年に住友化学工業(現:住友化学)へ入社した。 その後、1958年に住友商事へ移り、化学品・化成品分野で昇進した。1959年に化成品部樹脂課長、1965年に大阪合成樹脂部次長、1967年にソウル事務所長、1969年に大阪化成品部長を歴任した。1973年には香港事務所長を務めた。 1976年6月に取締役に就任。その後、事務管理室長、開発本部副本部長、総務本部長、化学品本部長を歴任した。
福富 節男(ふくとみ せつお、1919年10月31日 - 2… 福富 節男(ふくとみ せつお、1919年10月31日 - 2017年12月18日)は、日本の数学者・社会運動家。元東京農工大学教授。専攻は、位相幾何学。 1919年、樺太に生まれる。第一高等学校理科を卒業後、東京帝国大学理学部数学科に進学。卒業間際に、1942年9月、樺太の砲兵連隊へ入営。1943年から陸軍特殊情報部で暗号解読作業に従事する。マニラに派遣された際、太平洋戦争におけるフィリピン戦線のさなか、ルソン島を逃げ回り、辛うじて生還。1945年、東京大学に戻り、助手として数学研究に従事する。「日本数学会」の設立にも参加し、岩波書店の『数学辞典』の編集に携わる。 1962年11月、日本大学文理学部数学科助教授であった福富節男ら四人は、秋葉安太郎学部長から、「日大の思想にあわぬ」との理由で、辞職を迫られる。
川上 紀一(かわかみ きいち、1919年(大正8年)10月3… 川上 紀一(かわかみ きいち、1919年(大正8年)10月30日 - 2009年(平成21年)8月14日)は、日本の政治家、内務官僚。千葉県知事(公選第9・10代)。 千葉県安房郡富浦町(現南房総市)生まれ。出生時の姓は羽山であり、後年市川市の川上家へ婿入りして以降は川上姓を名乗る。旧制安房中学、旧制一高を経て、1944年(昭和19年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、内務省に入省した。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し海軍主計見習尉官。1945年4月に経理学校を卒業し豊川海軍工廠に配属。同年6月、主計少尉に任官され海軍艦政本部に転じ終戦を迎えた。1945年9月、予備役に編入。
不忍 鏡子(しのばず きょうこ、1919年10月29日 - … 不忍 鏡子(しのばず きょうこ、1919年10月29日 - 2008年5月23日[要出典])は、日本の女優である。戦後、不忍 郷子(しのばず きょうこ)とクレジットされた時期もあり、末期には本名の進藤 幸(しんどう こう)を名乗った。本名の読みを「さち」とするのは誤り。 1919年(大正8年)10月29日、北海道夕張郡夕張町(現在の夕張市)に生まれる。父の進藤誠三郎が鉄道省の技師であり、小学校時代だけでも、道内の釧路市、樺太庁豊原支庁豊栄郡落合町(現在のロシア連邦サハリン州ドリンスク)、東京府豊多摩郡大久保町(現在の東京都新宿区)と転校を繰り返した。1932年(昭和7年)3月、同町の大久保尋常高等小学校(現在の新宿区立大久保小学校)を卒業し、同年4月、当時角筈(現在の新宿区西新宿1丁目6番)にあった精華高等女学校(現在の東海大学付属市原望洋高等学校)に進学する。
松野 純孝(まつの じゅんこう、1919年10月28日-20… 松野 純孝(まつの じゅんこう、1919年10月28日-2014年11月11日)は、仏教学者。 新潟県生まれ。1943年東京帝国大学文学部印度哲学梵文学科卒。1962年「鎌倉時代における専修念仏の研究」で東北大学文学博士。1961年文化庁宗務課専門職。1975年鶴見大学文学部教授、1983年上越教育大学教授、1987年副学長、1989年学長、1993年退任、名誉教授。1985年『新宗教辞典』で新潟日報文化賞受賞。1993年勲三等旭日中綬章受勲。
吉村 博次(よしむら ひろつぐ、1919年10月28日 - … 吉村 博次(よしむら ひろつぐ、1919年10月28日 - 1999年4月14日)は、日本のドイツ文学者。同志社大学名誉教授。 山梨県出身。1944年東京帝国大学文学部卒。戦後同志社大学経済学部教授、1985年定年、名誉教授。専攻は、ドイツ文学・哲学。1999年、肺炎のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
島岡 達三(しまおか たつぞう、1919年(大正8年)10月… 島岡 達三(しまおか たつぞう、1919年(大正8年)10月27日 - 2007年(平成19年)12月11日)は、栃木県芳賀郡益子町の益子焼の陶芸家である。 「益子焼の中興の祖」である濱田庄司に師事し、「縄文象嵌技法」を考案し、陶芸:民芸陶器の重要無形文化財技術保持者(人間国宝)となった。 1919年(大正8年)10月27日、三代続いた組紐師の父・島岡米吉と母・かうの長男として、東京市芝区愛宕町(現・東京都港区愛宕)に生まれた。 1936年(昭和11年)、もともとは文系が志望であったが、技術者を優遇していたその当時の時代の風潮を懸念した父に工業系を勧められたため、東京府立高等学校高等科理科に入学し、そして1939年(昭和14年)には東京工業大学窯業学科に入学した。
篠原 三代平(しのはら みよへい、1919年10月26日 -… 篠原 三代平(しのはら みよへい、1919年10月26日 - 2012年12月7日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。専門は経済理論。位階は従三位。勲二等瑞宝章受章、紫綬褒章受章、文化功労者、文化勲章受章、日本学士院賞受賞。 富山県高岡市末広町に雑貨商の家に長男として生まれた。父は雑貨店篠原商店を経営し、母は明治の女性としては珍しく女学校を銀時計を受領し卒業し、篠原商店の経営を助けた。 高岡商業学校卒業後は高岡高等商業学校に進学した。大熊信行の講義を、大熊の著書『マルクスのロビンソン物語』や『経済本質論』を読み返しながら、熱心に聴講したが、卒業論文「経済構造と金融:理論経済学と金融理論」の指導教官は長尾義三(金融論・景気論・銀行論)であった。
松平 乗武(まつだいら のりたけ、1919年(大正8年)10… 松平 乗武(まつだいら のりたけ、1919年(大正8年)10月26日 - 1945年(昭和20年)5月29日)は、日本の海軍軍人(海軍大尉)。岩村松平家9代当主・子爵松平乗長の次男。10代当主・松平乗文の弟。鷹司家28代当主・鷹司尚武の父。妻は鷹司信輔の次女・章子(ふみこ)。 学習院高等科、京都帝国大学経済学部卒業。1942年(昭和17年)9月、海軍予備学生となり、東港海軍航空隊に入隊。1943年(昭和18年)4月、海軍機雷学校に入校。1945年(昭和20年)2月20日、海軍対潜学校特修科学生となり、5月29日、総合実習のため附属艇第一敷設艇(曳船公称第七七六号)に乗船し、千葉県安房郡富崎村(現・館山市)布良沖を航行中、アメリカ軍のB-24機と交戦し、左舷に至近弾を受けて沈没、戦死。
原田 彰俊(はらだ としあき、1919年(大正8年)10月2… 原田 彰俊(はらだ としあき、1919年(大正8年)10月25日 - 没年不明)は、日本の医師、政治家。東京都保谷市(現・西東京市)長(3期)。 広島県出身。1945年金沢医科大学を卒業。卒業後は福島県伊達郡霊山村(のち霊山町、現在の伊達市)にある大東学園霊山村分園に勤務し、同村で開業を始めた。1950年東京都北多摩郡保谷町に移り、開業した。1952年保谷町教育委員に当選。1957年に保谷町長に当選した。町長時代には町の人口増加に伴い、中原地区に出張所や小学校を設置、上水道の建設、保育園の増設などに尽力した。1967年に保谷町は市制施行により保谷市となり、都市計画の決定、市役所新庁舎の落成があった。
小関 博(こせき ひろし、1919年〈大正8年〉10月24日… 小関 博(こせき ひろし、1919年〈大正8年〉10月24日 - 2013年〈平成25年〉6月15日)は、日本の実業家。群馬銀行代表取締役頭取。 東京都豊島区巣鴨に生まれる。旧制府立五中を経て、1942年(昭和17年)旧制東京商科大学(一橋大学の前身)卒業。同年高等試験行政科に合格し、日本銀行入行。 短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業し、館山海軍航空隊付となる。同年5月、海軍省経理局第三課に転じ国防献金受付に従事。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進み、同年6月、第四南遣艦隊付に転じ第1次糧食生産隊長(アンボン)に着任。
島尾 ミホ(しまお ミホ、1919年(大正8年)10月24日… 島尾 ミホ(しまお ミホ、1919年(大正8年)10月24日 - 2007年3月25日)は、日本の小説家。 奄美群島に属する加計呂麻島出身。太平洋戦争中、加計呂麻島に駐屯していた第十八震洋特攻隊隊長の島尾敏雄と出会い、戦後に結婚した。敏雄の代表作『死の棘』に登場する「妻」のモデルとなった。自身の小説では、『海辺の生と死』で第15回田村俊子賞(1975年度)を受賞したほか、『祭り裏』、短編「その夜」など、故郷に題材を取った作品が多い。島尾敏雄との間には2子がおり、長男は写真家の島尾伸三で、その娘(ミホの孫)は漫画家のしまおまほである。 ミホは1919年(大正8年)10月24日に、長田實之(おさだ さねゆき)・マス夫妻の長女として、警察官だった父の任地、鹿児島県鹿児島市で生まれた。
石川 吉右衛門(いしかわ きちえもん、1919年10月23日… 石川 吉右衛門(いしかわ きちえもん、1919年10月23日 - 2005年8月12日)は、日本の法学者。 専門は労働法。東京大学名誉教授。末弘厳太郎門下。「労働法の権威」と呼ばれた。 労働行政の場においても、公共企業体等労働委員会会長や中央労働委員会会長を歴任するなど活躍。中央労働委員会会長在任中(1984年11月~1992年10月)には、パンアメリカン航空の労働争議仲裁や、いわゆるJR不採用問題でJRと国鉄労働組合の両者に対し和解を促す「最終解決案」の提示などを行った。 千葉県木更津市にて誕生。1937年、東京府立第四中學校卒業。1940年、第一高等学校卒業。1943年、東京帝国大学法学部卒業。
谷口 清超(たにぐち せいちょう、1919年10月23日 -… 谷口 清超(たにぐち せいちょう、1919年10月23日 - 2008年10月28日)は、日本の宗教家。生長の家第2代総裁。生長の家創始者・谷口雅春の娘婿。実父はかつて裁判官をしていた荒地清介、実母は荒地多加代。 広島県広島市出身。東京帝国大学文学部心理学科卒業後、戦争の激化で軍役に就くものの、すぐ肺を病み療養のため病院に入院。そこで相部屋の上等兵より谷口雅春の『生命の實相』を見せられ、その教えに感動する。 終戦後、「万教帰一」を唱える雅春は、GHQの厳しい思想統制に対して西洋の光明思想を翻訳・紹介する文筆活動を開始、その翻訳助手を募集する広告を新聞に掲載。それを見た荒地清超はすぐに上京し、谷口宅を訪問。
鴛淵 孝(おしぶち たかし、1919年(大正8年)10月22… 鴛淵 孝(おしぶち たかし、1919年(大正8年)10月22日 - 1945年(昭和20年)7月25日戦死認定)は日本の海軍軍人。海兵68期。戦闘機搭乗員である。戦死による一階級進級で最終階級は海軍少佐。 1919年(大正8年)10月22日、長崎県長崎市で医者の家に生まれる。妹思いの兄であり、妹の光子にメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のレコードをプレゼントしたり、妹思いな手紙も送っている。 旧制長崎中学校を経て、1937年(昭和12年)4月、海軍兵学校68期に入校。同期の豊田穣は鴛淵の戦記『蒼空の器―撃墜王鴛淵孝大尉』を執筆している。1940年(昭和15年)8月7日卒業、鴛淵は香取乗組となり、練習航海を行う。
芹沢 長介(せりざわ ちょうすけ、1919年10月21日 -… 芹沢 長介(せりざわ ちょうすけ、1919年10月21日 - 2006年3月16日)は日本の考古学者。東北大学名誉教授、東北福祉大学名誉教授。日本の旧石器時代研究の第一人者。 戦前のわが国では、縄文時代以前の日本列島に人類は居住していなかったと考えられていた。これを疑問視して、日本に旧石器時代の文化を発見し、その研究において学会をリードしてきた。日本の始源文化の解明に一生を捧げ、特に、1949年には群馬県岩宿遺跡の発掘に携わり、日本に旧石器時代の文化があったことを初めて確信した。その後、1963年に東北大学日本文化研究所助教授に着任すると、大分県の早水台(そうずだい)遺跡、栃木県の星野遺跡などの発掘調査で、前期旧石器時代の存在を確信した。 また、後期旧石器時代から縄文時代への移行を示す証拠を発見して、日本だけでなく、極東アジア地域全体を含めたスケールの中で、始源文化の関連性を明らかにしようとした。
新村 源雄(しんむら げんゆう、1919年10月21日 - … 新村 源雄(しんむら げんゆう、1919年10月21日 - 1995年3月22日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。上士幌町名誉町民。 富山県婦負郡杉原村(のちの八尾町、現富山市)出身。杉原尋常高等小学校卒業。 1933年北海道河東郡上士幌町に移住し開拓に従事。戦後農民運動のリーダーとなり、上士幌町議会議員を2期、十勝農業協同組合監事を歴任した。1954年から1972年まで上士幌町農協組合長を務め、その間1967年から北海道議会議員を3期務めた。 1979年の第35回衆議院議員総選挙で、美濃政市の後継者として北海道5区から日本社会党公認で立候補し初当選。翌年の第36回衆議院議員総選挙では落選したものの、1983年の第37回衆議院議員総選挙返り咲いた。
金澤 忠雄(かなざわ ただお、1919年(大正8年)10月2… 金澤 忠雄(かなざわ ただお、1919年(大正8年)10月21日 - 2003年(平成15年)9月12日)は、日本の政治家。元山形市長(第14代)。東北芸術工科大学名誉学長。 山形県南沼原村(のち山形市)生まれ。柏倉門伝青年学校卒業。戦後農民運動に身を投じ、南沼原村に農業協同組合を設立するため奔走。初代組合長に就任した。また一時期、共産党に身を置いたこともあった。 1951年(昭和26年)、社会党に参加し山形県議会議員選挙に出馬。初当選を果たす。任期中には県本部書記長を務めた。4期目の半ばとなる1965年(昭和40年)の第7回参議院議員通常選挙に山形地方区から社会党公認で出馬したが、落選。翌1966年(昭和41年)の山形市長選挙に出馬し当選。