森野 宗明(もりの むねあき、1930年(昭和5年) - 2… 森野 宗明(もりの むねあき、1930年(昭和5年) - 2022年(令和4年)[要出典])は、日本の国語学者、筑波大学名誉教授。 東京生まれ。1953年東京教育大学国文科卒、同大学院博士課程単位取得退学。金沢大学教養部助教授、1968年青山学院女子短期大学助教授、筑波大学教授、1994年定年退官、名誉教授。旺文社の大学受験ラジオ講座を担当した。
1930年(昭和5年)生まれ:1,252人
森野 宗明(もりの むねあき、1930年(昭和5年) - 2… 森野 宗明(もりの むねあき、1930年(昭和5年) - 2022年(令和4年)[要出典])は、日本の国語学者、筑波大学名誉教授。 東京生まれ。1953年東京教育大学国文科卒、同大学院博士課程単位取得退学。金沢大学教養部助教授、1968年青山学院女子短期大学助教授、筑波大学教授、1994年定年退官、名誉教授。旺文社の大学受験ラジオ講座を担当した。
坂井洲二(さかい しゅうじ、1930年-) 日本の民俗学者… 坂井洲二(さかい しゅうじ、1930年-) 日本の民俗学者 、ドイツ民俗学研究者、現在関西医科大学名誉教授。 新潟県生まれ、北海道大学卒業、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。1970年頃ドイツへ留学し、民俗学の改革者として知られるヘルマン・バウジンガーの活動に間近に接して、その研究方法を日本へ紹介した。ドイツ民俗学の手法を実地に試みる研究を行っている。
肥田 晧三(ひだ こうぞう、1930年(昭和5年) - )は… 肥田 晧三(ひだ こうぞう、1930年(昭和5年) - )は、日本の書誌学者、日本文学者。
兼平 慶一郎(かねひら けいいちろう、1930年 - 198… 兼平 慶一郎(かねひら けいいちろう、1930年 - 1985年10月6日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。岩手県盛岡市生まれ。 盛岡中学校から陸軍幼年学校へ入るが、終戦。盛岡中学校へ戻って、1948年、第二高等学校(仙台)へ進むが、1949年、学制改革となり、東京大学理学部地質学科へ進学。1953年、東京大学理学部地学科(地質学課程)卒業。鉱床学の渡辺武男教授の指導を受けて大学院へ進学し、1958年、博士課程を修了(理学博士)、理学部地質学教室助手となる。1962年、千葉大学文理学部地学科へ移り、1978年、教授となる。1985年、病に倒れ、死去。 研究のテーマは、卒業論文以来一貫して、日本の別子型と呼ばれる塊状硫化物鉱床の成因であった。
白鳥 三郎(しらとり さぶろう、1930年 - 2018年1… 白鳥 三郎(しらとり さぶろう、1930年 - 2018年10月22日)は、日本生まれの画家であり、独立美術協会の審査員を務めた経歴を持つ。宮城県古川市(現:大崎市古川)出身。戦後の日本美術界において独自の画風を確立し、数々の展覧会で評価された。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)の出身、宮城県古川高等学校を卒業後東京芸術大学(旧東京美術学校)に進学。大学では日本画と洋画の基礎を学びながら、美術史に関心を深めた。在学中に樋口加六、海老原喜之助ら日本の美術界の著名な画家に師事。これにより白鳥は、フランスの巨匠アンリ・ルソーや藤田嗣治(レオナール・フジタ)の影響を受けた芸術潮流を間接的に受け継ぐこととなった。
榊原 陽(さかきばら よう、1930年 - 2016年5月2… 榊原 陽(さかきばら よう、1930年 - 2016年5月25日(享年85歳))は、日本の実業家。 父は経済学者の榊原巌。母は衆議院議員の榊原千代。 福島県生まれ。福島高等学校を卒業。東京神学大学中退。 1962年、父母とテック(東京イングリッシュ・センター)を創業。1963年、東京言語研究所を創立(初代所長は服部四郎)。ロマーン・ヤーコブソンやノーム・チョムスキーら言語学者を招待し、講演、セミナーを行う。 1966年、谷川雁(山口健二を介して知合っていた)らと株式会社テックの一部門として、ラボ教育センター発足。のち、社長となる。1980年、谷川の退社とほぼ同じく、ラボ教育センターを退社。 1981年言語交流研究所創立に参加。
花形 敬(はながた けい、1930年 - 1963年9月27… 花形 敬(はながた けい、1930年 - 1963年9月27日)は、日本のヤクザ。安藤組大幹部。「大江戸の鬼」と呼ばれていた。本名は花形敬 (はながた たかし)。 身長は当時の朝日新聞に174cmであると記載されているが、安藤組幹部や対峙した相手からは180cmは超えていたとの証言があり正確なところは不明である。 安藤組組長・安藤昇にもっとも可愛がられた人物。前科7犯、22回の逮捕歴を持った。その喧嘩は「素手喧嘩(ステゴロ)」と呼ばれ、喧嘩に武器は一切持たない主義であったという話がある。白のスーツがトレードマークであった。 世田谷区船橋町(現・船橋)の旧家の子として生まれる。東京府立千歳中学校を自主退学後、移籍先の国士舘中学校において後の住吉会住吉一家石井会会長・石井福造と番長争いを演じた。
小倉 寛太郎(おぐら ひろたろう、1930年〈昭和5年〉 -… 小倉 寛太郎(おぐら ひろたろう、1930年〈昭和5年〉 - 2002年〈平成14年〉10月9日)は、日本航空の労働組合の元委員長である。通称かんたろう。山崎豊子の著書『沈まぬ太陽』の主人公・恩地元のモデルとなった人物とされる。 台北州台北市生まれ。湘南中学校を経て東京大学法学部卒。東京大学教養学部の大学祭である駒場祭創設に実行委員会初代委員長として携わった。卒業後にAIU(のちのAIG損害保険)入社、4年後に退職し日本航空へ入社した。 湘南中学校時代に終戦を迎え、校長、教頭等の辞職を求めてストライキを実施。大学時代は自治会活動に没頭し、レッドパージ反対のストライキを実施。AIU入社後には、労働組合を結成し、役員に就任したが、所属部署が消滅し、退職。
土屋 淳(つちや あつし、 1930年 - 2011年)は、… 土屋 淳(つちや あつし、 1930年 - 2011年)は、日本の天文学者。 神奈川県出身、1930年生まれ。1945年旧制鎌倉中学校(現鎌倉学園中学校・高等学校)卒業。1953年東京大学理学部天文学科卒業。専門は電波天文学と測地学。学生時代から東京天文台(現在の国立天文台)の10m太陽電波望遠鏡の建設などにかかわり、その後東京天文台に就職、電波天文学の研究でオハイオ州立大学に留学した。学位論文は1977年「位置天文学の新技術の測地的利用の可能性」、東京大学理学博士。電波を利用する測地学の研究に初期の時代から携わり、GPS(全地球測位システム)に関する著書・論文も多い。また、人工衛星・月のレーザー測距や光干渉計の実験にも従事した。
井口 健一郎(いぐち けんいちろう、1930年 - 2002… 井口 健一郎(いぐち けんいちろう、1930年 - 2002年3月21日)は、日本の企業家。太陽神戸銀行元常務。ジェーシービー元専務。 長野県松本市生まれ。1948年(昭和23年)旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。1953年(昭和28年)東京大学法学部卒業。 1953年(昭和28年)、太陽神戸銀行の前身である神戸銀行入行。太陽神戸銀行(現三井住友銀行)元常務。1986年(昭和61年)、ジェーシービー入社。専務取締役を務めた。1997年(平成9年)6月退任。 退任後は、2005年第8回日経アニュアルリポート・アウォード審査員などを務めた。
松林 尚志(まつばやし しょうし、1930年 – 2022年… 松林 尚志(まつばやし しょうし、1930年 – 2022年10月16日)は、日本の詩人、俳人。 長野県松本市出身。松本県ヶ丘高校、慶應義塾大学経済学部卒業。現代俳句協会、現代詩人会の各会員。俳句雑誌「木魂」代表、「海原」同人。 1985年、第4回現代俳句評論賞受賞。1998年–2018年[要出典]、現代俳句協会現代俳句評論賞選考委員。
山田 尚勇(やまだ ひさお、1930年 - 2008年5月2… 山田 尚勇(やまだ ひさお、1930年 - 2008年5月21日)は、日本の情報処理学者、東京大学名誉教授。東京府出身、日本統治下の台湾育ち。米国ペンシルベニア大学電気工学部準教授、東京大学理学部教授、学術情報センター副所長(現・国立情報学研究所)などを務めた。キーボードの無連想式漢字直接入力(T-Code)の発案者として知られる。 1945年(昭和20年)8月、日本統治下の台湾の台北で敗戦を迎えた。昭和21年春、長野県東筑摩郡中山村(現松本市大字中山)に引揚げ、旧制松本二中4年に転入。昭和22年3月旧制松本二中21回・4年修了。4月旧制松本高校に入学。昭和25年4月旧制東京大学工学部電気科に入学。
安田 栄作(やすだ えいさく、1930年 - )は日本の大蔵… 安田 栄作(やすだ えいさく、1930年 - )は日本の大蔵官僚。 静岡県興誠商業学校卒業。1947年10月 浜松税務署に入署。1949年12月より大蔵省主計局で勤務。1960年7月1日 医療金融公庫へ出向。 1971年7月 主計局総務課長補佐(予算総括係主査)。1976年7月 主計局主計官補佐(大蔵係主査)。1977年7月4日 主計局総務課予算分析管理室長。1978年7月1日 主計局主計監査官。1980年3月31日 退官。退官後は医療金融公庫経理部長となった。
木村 光久(きむら みつひさ、1930年 京都市 - 199… 木村 光久(きむら みつひさ、1930年 京都市 - 1996年9月10日 京都市)は、日本の漫画家。のちに剪紙作家となり木村 祥刀(きむら しょうとう)を名乗る。本名:木村 祥一(きむら しょういち)、漫画家としてのペンネームはほかに木村 ただし(きむら ただし)、京 さゆり(きょう さゆり)などがあり、近年再評価の気運にある劇画作家木村 仁(きむら じん)と同一人物である。 以下に筆名を整理する。 1930年(昭和5年)、京都市東山区五条坂に生まれる。祖父は陶芸家6代目木村清山(木村仙之助)、父は同7代目木村清山であり歌人の木村二瓶子、母は華道家であり茶道家の木村宗良、同志社大学教授の稲本健二は従弟、映画プロデューサーでエッセイストの木村立哉は甥である。
樽谷 恵三(たるや けいぞう、1930年 - 2015年7月… 樽谷 恵三(たるや けいぞう、1930年 - 2015年7月6日)は、広島県出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード(FW)。 長沼健、木村現は、広島高等師範附属小学校(現広島大学附属小学校)からのチームメイト。広島高等師範附属中学(現広島大学附属高校)、樽谷はセンターフォワードとして、右インナーFW長沼、右ウイングFW木村との超強力布陣で全国中等学校選手権(現・全国高等学校サッカー選手権大会)の戦後初優勝に貢献。3人のスピードは、当時の中学生レベルでは止められなかったと言われ、4試合で計21得点をたたき出した。決勝戦7-1のスコアは、戦後最多得点、及び大会最多得点差記録として現在も残っている。
重松 良典(しげまつ よしのり、1930年 - 2018年)… 重松 良典(しげまつ よしのり、1930年 - 2018年)は、日本の実業家。広島県広島市出身。 元サッカー日本代表。1965年日本サッカーリーグ(JSL)創設に尽力した人物の一人。のちに日本プロ野球界に転じ1970年代の赤ヘル旋風時の広島東洋カープ球団代表。Jリーグ・ベルマーレ平塚における最後の社長であり、湘南ベルマーレ創設に尽力した人物の一人。 1945年8月6日、広島市への原子爆弾投下により被爆した。 重松ら旧制広島県立第一中学校(現国泰寺高校)3年生60人は、爆心地から2.2キロメートルに位置した舟入川口町の軍需工場に学徒勤労動員で来ており、ちょうど8時の朝礼が終わった後のことだった。倒れてきた設備機械により級友の一人が亡くなり、多数の怪我人を出した。
辻 奎子(つじ けいこ、1930年〈昭和5年〉 - 1985… 辻 奎子(つじ けいこ、1930年〈昭和5年〉 - 1985年〈昭和60年〉8月2日)は、日本の平和運動家。広島市への原子爆弾投下での被爆者の1人であり、国際平和運動の10フィート運動にボランティアで参加した後、同運動による映画を世界各国へ送る運動を続け、大きな反響を呼んだ。 1930年に広島県で誕生した。広島県立第一高等女学校に在学中の1945年(昭和20年)8月6日、広島原爆により自宅で被爆した。自身の被爆に加えて、実父を喪った。それまでは平凡な主婦であったが、このことで反核に対する強い思いを抱くようになった。 1980年(昭和55年)に10フィート運動が開始されると、ボランティアとして参加。
新垣 雄久(あらかき たけひさ、1930年<昭和5年> - … 新垣 雄久(あらかき たけひさ、1930年<昭和5年> - 2021年 <令和3年> 7月21日)は、日本の地方公務員。沖縄県教育長、同出納長、同副知事、沖縄県平和祈念財団会長を歴任。勲三等瑞宝章受章。 本部町出身。沖縄戦で父母、弟妹の家族4人を失った。沖縄県立知念高等学校卒業。1957年 琉球政府職員となり、本土復帰後は沖縄県庁で総務部長、沖縄県教育委員会教育長を経て、1984年10月 出納長、1987年1月 副知事。沖縄国体では皇太子時代の上皇明仁・上皇后美智子夫妻の案内役を務めた。1989年1月 副知事退任。 退任後、沖縄県社会福祉協議会会長、同県平和祈念財団会長。2021年7月21日午後8時39分、那覇市の病院で死去。
崎田 文二(さきた ぶんじ、1930年 - 2002年8月3… 崎田 文二(さきた ぶんじ、1930年 - 2002年8月31日)は、日本の物理学者。専門は素粒子物理学。富山県東礪波郡井波町(現在の南砺市) 出身。
木村 碩志(きむら ひろし、1930年〈昭和5年〉 - 20… 木村 碩志(きむら ひろし、1930年〈昭和5年〉 - 2012年〈平成24年〉5月10日)は、日本の企業家、薬学者。アース製薬の元常務取締役で、同社の大ヒット商品「ごきぶりホイホイ」開発の中心人物。同社の前身である株式会社木村製薬所の創業者・木村秀蔵を祖父に持つ。兵庫県赤穂市出身。
春田 宣(はるた あきら、1930年 - 1999年4月6日… 春田 宣(はるた あきら、1930年 - 1999年4月6日)は、国文学者。
福岡 克也(ふくおか かつや、1930年 - )は、日本の林… 福岡 克也(ふくおか かつや、1930年 - )は、日本の林業経済学者、環境学者、立正大学名誉教授。
西澤 信正(にしざわ のぶまさ、1930年 - 2009年8… 西澤 信正(にしざわ のぶまさ、1930年 - 2009年8月14日)は、名古屋を中心に活動したジャーナリスト、評論家、大学教授。
垂水公正(たるみず きみまさ、1930年 - 2009年2月… 垂水公正(たるみず きみまさ、1930年 - 2009年2月21日)は日本の官僚。
武藤 和子(むとう かずこ、1930年 ‐ 2010年12月… 武藤 和子(むとう かずこ、1930年 ‐ 2010年12月3日)は、日本のアナウンサーである。キリスト教信者であり、洗礼名は「ルチア」。 日本の民放局女性アナウンサーの草分けの一人であり、後年、濱口浩三(TBS社長、マスコミ・ソフィア会会長)と結婚し「濱口 和子」(はまぐち かずこ)となった。 青山学院大学卒業後、1951年(昭和26年)10月に、同年12月25日の開局を控えていたラジオ東京(現TBS)へアナウンサー第1期生として入社。音楽番組『歌のない歌謡曲』初代担当や、婦人向けニュース番組などを担当。 1960年(昭和35年)7月に退社。退職から1年間は嘱託アナウンサーの後、完全にフリーに。
大河内 了義(おおこうち りょうぎ、1930年 - 2016… 大河内 了義(おおこうち りょうぎ、1930年 - 2016年5月6日)は、日本のドイツ文学者、比較思想学者、神戸大学名誉教授。 現在の愛知県西尾市生まれ。1953年大谷大学独文科卒。1956年京都大学大学院文学研究科独文専攻修士課程修了。1957年、愛知大学講師。1959年から1961年まで西独ハイデルベルク大学留学。1962年、神戸大学教養部助教授。1969年から1972年までハイデルベルク大学。1975年から1976年までレーゲンスブルク大学で、それぞれ客員研究員。1993年、定年退官、名誉教授。大谷大学教授。1995年、大谷大文学博士。2016年5月6日、死去。満85歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
早川 斉(はやかわ ひとし、1930年 - 2008年8月3… 早川 斉(はやかわ ひとし、1930年 - 2008年8月30日)は、国産オーディオにおいて音楽性と卓越性を確立させた功労者で国産高級オーディオブランドの魁となったラックス株式会社(現ラックスマン)の元会長。
浅田 高明(あさだ たかあき、1930年 - 2020年2月… 浅田 高明(あさだ たかあき、1930年 - 2020年2月11日)は医師、医学博士(京都大学)。太宰治研究者。 富山市生まれ。旧制富山高等学校理科乙類を経て、1954年京都大学医学部医学科卒業。京都大学結核胸部疾患研究所において結核および呼吸器学を専攻する。1960年京都大学医学博士。論文の題は「ツベルクリン過敏性の局所性受身感作に関する実験的研究」。(財)近江サナトリウム、京都府立洛東病院、国立療養所宇多野病院勤務のあと1988年現在、ダイハツ工業株式会社 京都工場診療所長を務めた。 その傍ら太宰治の人と文学に関する実証的研究に長年携わってきた。 その中で『パンドラの匣』 のモデルとなった木村庄助の実家の取材を通じて、この面における太宰治研究の第一人者として知られる。
池田 敬正(いけだ よしまさ、1930年 - 2015年5月… 池田 敬正(いけだ よしまさ、1930年 - 2015年5月2日)は、日本史学者、福祉学者。京都府立大学名誉教授。 京都で育つ。1953年京都大学文学部史学科卒業。1958年同大学院博士課程満期退学、1962年「明治維新政治史序説」で文学博士。1962年大阪社会事業短期大学講師、助教授、教授、1977年京都府立大学文学部教授、1992年定年退官、名誉教授、佛教大学社会学部教授。2003年四天王寺国際仏教大学教授、2006年退職。
井本 三夫(いもと みつお、1930年 - 2024年4月1… 井本 三夫(いもと みつお、1930年 - 2024年4月10日)は、日本の歴史家。元茨城大学理学部教授。理学博士。米騒動史研究会世話人。 富山県婦負郡四方町(現在の富山市四方)出身。1954年、京都大学理学部物理学科を卒業(理論物理学専攻)した。1959年、同大学大学院理学研究科博士課程を修了(理論物理学専攻)した。学位論文は「自立核融合系に対する基本的制限とT-Nt図表」。1970年、茨城大学教授に就任した。1980年より著述活動に入った。1988年時点で富山大学講師(日本近代史、科学史、物理学)を務めていた。 京都大学で理論物理学を専攻し、湯川秀樹の門下生だった。「唯物論哲学を学ぶような意識で大学理学部に入」り、「素粒子・宇宙進化論を専攻しつつ、民主主義科学者協会などで近代史を学」んだという。
上原 陽一(うえはら よういち、1930年 - 2009年(… 上原 陽一(うえはら よういち、1930年 - 2009年(平成21年)8月8日)は、日本の安全工学者。横浜国立大学名誉教授。安全工学協会会長、横浜安全工学研究所所長。 1957年(昭和32年)京都大学工学部燃料工学科卒業後、大阪市消防局、京都大学、自治省消防研究所(現:総務省消防研究センター)を経て、1971年(昭和46年)横浜国立大学へ移り、教授となる。1996年(平成8年)定年退官、同大名誉教授。 学術分野ではほか安全工学会理事・副会長・会長を歴任、日本学術会議の安全工学研究連絡委員会の発足に尽力するなど活躍した。防災行政の分野では、消防の危険物行政や高圧ガス事業の保安に関する各種審議会や委員会の委員長・委員を務めた。
宮永 好道(みやなが よしみち、1930年 - 1999年1… 宮永 好道(みやなが よしみち、1930年 - 1999年1月23日)は、元シャープ顧問、コラムニスト。兵庫県神戸市生まれ。 「パソコンは、ソフトが無ければただの箱」の名言を残した人物としても知られる。また、「Dr.パソコン」、秋葉原界隈の「パソコン仙人」の異名を持つ。 京都大学で応用数学を学び、各地の研究機関を渡り歩いたのち、コンピュータエンジニアへ転向。東芝の委嘱としてミニコンピュータ、TOSBACシリーズのコンサルティングとして務める。 やがてパソコンが台頭し始めた頃、シャープの顧問となる。シャープ初期のパソコン、MZシリーズやX1シリーズ、X68000シリーズの開発に係わるようになる。 1982年、テレビ東京系の番組「パソコンサンデー」に、『Dr.パソコン』の愛称で、主席講師として6年間レギュラー出演。
徳岡 昌克(とくおか まさかつ、1930年 - 2019年6… 徳岡 昌克(とくおか まさかつ、1930年 - 2019年6月26日)は、日本の建築家、徳岡昌克建築設計事務所主宰。 横浜市生まれ。1951年(昭和26年)、京都工業専門学校(現 京都工芸繊維大学)建築科卒。同年、竹中工務店大阪本店設計部入社。1965年(昭和40年)から1967年(昭和42年)、同社を休職し、ワシントンD.C.ムーマ建築事務所・シカゴ C.F.マーフィー建築事務所(現 マーフィー・ヤーン建築事務所)勤務。1967年(昭和42年)から竹中工務店大阪本店設計部に復職。1968年(昭和43年)から1983年(昭和58年)まで同社の大阪本店設計課長・副部長・九州支店設計部長・大阪本店設計部副部長のほか、京都工芸繊維大学の非常勤講師を歴任。
池田宏之助(いけだ ひろのすけ、1930年-2024年9月6… 池田宏之助(いけだ ひろのすけ、1930年-2024年9月6日)は、日本の工学者・研究者。工学博士(大阪大学)。元燃料電池・水素基盤技術懇談会会長。 奈良県出身、旧制大阪理工科大学卒業、1953年三洋電機株式会社入社。その後は中央研究所副所長、塩屋研究所所長、三洋デュラセル株式会社社長、三洋電機(香港)有限公司薫事長、キングレコード株式会社常務取締役などを歴任する。その間、旧通産省サンシャイン計画推進委員、電池技術委員会幹事、日本蓄電池工業会ニカド技術委員長、日本乾電池工業会理事、神戸大学・東北大学・信州大学・京都産業大学等で非常勤講師を歴任。 燃料電池・水素基盤技術懇談会の会長を務めた。燃料電池等に関する著書が多数ある。
片岡 政義(かたおか まさよし、1930年 - 2021年8… 片岡 政義(かたおか まさよし、1930年 - 2021年8月21日)は、日本のテレビプロデューサー、元テレビ朝日社員。 東京電機大学卒業(1951年)、群馬大学工学部電機部門卒業(1953年)。大学卒業後、多くの職業を経て1960年に東映テレビ・プロダクションにプロデューサーとして入社、1962年に日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)に入社、同じくプロデューサーを務める。 東映制作のテレビドラマを主とした数多くの番組の企画・プロデュースを手掛ける。そのような中で、1967年のテレビドラマ『白い巨塔』のロケでドイツのベルリン、フランクフルト、ハイデルベルクを回った時に、将来の海外移住を初めて考えるようになる。
林 峻一郎(はやし しゅんいちろう、1930年 - 2008… 林 峻一郎(はやし しゅんいちろう、1930年 - 2008年4月9日)は、日本の精神科医。 大脳生理学者で直木賞作家の木々高太郎(本名:林 髞)の長男として、東京に生まれる。1954年慶應義塾大学医学部卒。精神科医となり、1974年「日本における機能性精神障害の診断ステレオタイプ考究 計量精神病理学の立場より」で神戸大学医学博士。『三田文学』編集主任、創作活動ののち慶大医学部精神科助手、パリ大学医学部精神神経科助手、北里大学教授。1980-82年国際協力でペルーのリマに滞在した。墓所は多磨霊園。
牧野 信也(まきの しんや、1930年 - 2014年9月6… 牧野 信也(まきの しんや、1930年 - 2014年9月6日)は、日本のイスラム学者、井筒俊彦の直弟子。イスラム教の重要な聖典、ハディースの日本語完訳を成し遂げた。 1930年、千葉県千葉市で生まれた。慶應義塾大学、慶応大学大学院文学研究科で学び、1960年に博士課程を修了。 1961年、東京外国語大学専任講師に就任。1969年、学位論文『創造と終末 : コーラン的世界像の構造』を慶應義塾大学に提出して文学博士号を取得した。東京外国語大学助教授、教授に昇格し、1993年に退官。東京外国語大学名誉教授となった。その後は1993年4月より杏林大学教授として教鞭をとった(2001年まで)。2014年に死去した。
伊吹 一(いぶき はじめ、1930年 - 1986年6月5日… 伊吹 一(いぶき はじめ、1930年 - 1986年6月5日)は、言語心理学者。 北海道生まれ。1959年國學院大學大学院博士課程満期退学。國學院大學・工学院大学講師、NHK「じょうずな話し方講座」講師等を経て、NHK学園「美しい日本語講座」担当。学際教育センター理事長・学長。電話応対コンクール東京大会審査員。1986年死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
塚本 利明(つかもと としあき、1930年 - 2023年7… 塚本 利明(つかもと としあき、1930年 - 2023年7月2日)は、日本の英文学・比較文学者、専修大学名誉教授。 東京府生まれ。1954年に東京大学文学部英文科卒業。1963年東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程修了。東京都立商科短期大学講師、同助教授、同教授等を経て、1974年4月に専修大学文学部助教授となる(翌年に教授へ昇任)。英国における夏目漱石の研究を行ったほか、哲学や心理学領域の翻訳も手がけた。また専修大学の在職中は文学部の英米文学科の学科長、そして文学部長にも就任、2001年3月の定年退職後、専修大学名誉教授となる。
寺尾 壽夫(てらお としお、1930年(昭和5年) - 20… 寺尾 壽夫(てらお としお、1930年(昭和5年) - 2026年〈令和8年〉3月30日)は、日本の医学者。専門は脳神経内科学。帝京大学名誉教授。静岡県出身。 1930年1月、静岡県生まれ。1946年、静岡県立静岡中学校卒業。1949年、静岡高等学校 (旧制)卒業。1953年3月、東京大学医学部卒業。1954年6月、東京大学医学部冲中内科入局。1955年4月、東京大学大学院修了。1968年2月、西ドイツ留学(ヴッパータール)。1970年6月、メイヨー・クリニック(アメリカ)Research Associate。1977年11月、東京大学医学部第三内科講師、外来医長。1980年4月、帝京大学医学部第1内科教授。
中野里 皓史(なかのり こうし、1930年 - 1986年1… 中野里 皓史(なかのり こうし、1930年 - 1986年12月18日)は、日本の英文学者。元東京大学文学部英文科教授。シェイクスピア学者。 東京の老舗寿司店「築地玉寿司」(1924年創業)の長男として生まれる。東京大学英文科卒、同大学院修了、文学部助手、1965年より東京大学教養学部専任講師、1967年助教授、1979年教授、1982年文学部教授となる。在職中に急逝。
西沢 祥平(にしざわ しょうへい、1930年〈昭和5年〉 -… 西沢 祥平(にしざわ しょうへい、1930年〈昭和5年〉 - 2016年〈平成28年〉7月7日)は、日本のアナウンサー、ニュースキャスター。元CICカナダ国際大学副学長。 松本高等学校 (旧制)から学制改革により信州大学卒業後[要出典]、東京大学に学士入学、教育学部を卒業。 1954年(昭和29年)、NHKに後期入局。札幌放送局に配属。1960年代から1980年代にかけ、ニュースや選挙開票速報番組などで活躍した。後にチーフアナウンサーを歴任し 1970年入局の新人研修の講師を務め、その後も多くの後輩の指導にも全力を注いだ。 1987年(昭和62年)10月、NHKを退職。CICカナダ国際大学副学長に就任。
正木 健雄(まさき たけお、1930年 - 2015年7月1… 正木 健雄(まさき たけお、1930年 - 2015年7月19日)は、日本の体育学者。日本体育大学大学院名誉教授。和歌山県新宮市生まれ。
中上史行(なかがみ しこう、本名:なかがみ ふみゆき、193… 中上史行(なかがみ しこう、本名:なかがみ ふみゆき、1930年(昭和5年) - 1997年(平成9年)5月5日)は、日本の歴史研究家、元勝本町立勝本小学校校長、長崎県文化財保護指導委員。栄典は正六位・勲五等瑞宝章。長崎県壱岐市出身。
佐藤 道子(さとう みちこ、1930年(昭和5年) - 20… 佐藤 道子(さとう みちこ、1930年(昭和5年) - 2022年(令和4年)1月17日 )は、元東京国立文化財研究所芸能部長、博士(文学)。仏教芸能を専攻し、特に東大寺二月堂修二会の研究で著名である。東京文化財研究所名誉研究員。日本統治時代の台湾台中州生まれ。 東京女子大学専門部国語科卒業。1955年(昭和30年)東京国立文化財研究所芸能部の臨時筆生となる。1959年(昭和34年)4月に職員となり、以後は行政職、研究職、芸能部長となる。1967年(昭和42年)から東京国立文化財研究所芸能部による東大寺二月堂修二会の研究を担当し、6年間にわたり集中的な調査を実施。行事の次第や内容、所作、声明を手書き図を入れて詳しくまとめ、平凡社「芸能の科学」シリーズ6・7・12・13の4冊『東大寺修二会の構成と所作』1975年から1982年刊行したほか、修二会のうち観音悔過(お水取り)を録音して日本ビクターから1971年に発売されたレコードに付いた解説を横道萬里雄とともに執筆した。
石川 芳雲(いしかわ ほううん、1930年 - 2020年8… 石川 芳雲(いしかわ ほううん、1930年 - 2020年8月13日)は、日本の書家である。日本書道学院学院長。蛟龍会主宰。山梨県出身。 松本芳翠ならびに中平南谿に師事。第5回東方書道院展特別賞、神奈川県美術展美術賞、第25回書海社展芳翠大賞、日展入選7回、その他受賞多数。何紹基に心頭し、「くずし」の妙による甘美な線が彼の書法のベースとなっている。東北大学工学部卒業。
福島 次郎(ふくしま じろう、1930年(昭和5年) - 2… 福島 次郎(ふくしま じろう、1930年(昭和5年) - 2006年(平成18年)2月22日)は、熊本県出身の小説家。高校の国語教師。雑誌『詩と眞實』同人。その同人誌に掲載した短編小説『バスタオル』(1996年)で第115回芥川賞候補になったほか、三島由紀夫との同性愛関係を取り混ぜた自伝的な実名小説『三島由紀夫――剣と寒紅』(1998年)を刊行したことで一時ジャーナリズムを騒がせ、三島関連界隈で名を知られるようになった人物である。 1930年(昭和5年)、私生児として熊本県熊本市に生まれた。次郎の祖父は人力車夫、祖母は屋台で行商をし、その行商を手伝いながら貧乏に育った母は、20代になると庶民相手の青空賭博の元締めになり、下町の盛り場の姐御として派手な風体になった。
谷口 博(たにぐち ひろし、1930年(昭和5年) - 20… 谷口 博(たにぐち ひろし、1930年(昭和5年) - 2021年(令和3年)6月8日)は、日本の工学者。工学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授。中国・浙江大学名誉教授、米国・カリフォルニア大学訪問教授、ミシガン大学訪問教授、日本統合医療美容学会共同代表理事、北海道平和大使協議会議長、日韓トンネル推進北海道民会議議長などを歴任した。 東京都出身。1953年北海道大学工学部機械工学科卒業。三菱重工業に入社し、同横浜造船所勤務。1963年北海道大学工学部機械工学科助教授(担当・燃焼工学講座)。1967年北海道大学工学部機械工学科助教授(担当・熱機関学第一講座)。 1973年北海道大学工学博士。論文の題は「火炎を含む放射ガスの熱伝達の解析」。
山田 喜志夫(やまだ きしお、1930年 - 2013年1月… 山田 喜志夫(やまだ きしお、1930年 - 2013年1月14日)は、マルクス経済学者。國學院大學名誉教授。専門は理論経済学、経済統計論。 北海道生まれ。1957年北海道大学経済学部卒業。1962年北海道大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。1962年國学院大學経済学部専任講師、1965年助教授、1971年教授。2000年國学院大學退職。 もともとは経済統計学を起点にした国民所得論を研究していたが、國学院大學経済学部の酒井一夫の影響もあって貨幣論や信用論の研究に移行した。
小長井 信昌(こながい のぶまさ、1930年 - 2025年… 小長井 信昌(こながい のぶまさ、1930年 - 2025年2月2日)は、日本の漫画編集者。集英社時代から一貫して少女マンガ家の育成指導にあたり、白泉社の立ち上げメンバーとして多くの少女マンガ雑誌の創刊を行い、現在の隆盛をつくった。 静岡県静岡市に生まれ、東京陸軍幼年学校時代に終戦を迎えた。横浜国立大学経済学部を卒業後、1955年に集英社に入社、『おもしろブック』、『りぼん』編集部を経て、『別冊マーガレット』編集長として1970年代初頭は15万部であった別冊マーガレットの発行部数を150万部まで増やした。1973年白泉社創立に参加。その後は編集担当役員として『花とゆめ』『LaLa』『ヤングアニマル』『MOE』などを編集長として創刊。