山田 康之(やまだ やすゆき、1931年〈昭和6年〉10月3… 山田 康之(やまだ やすゆき、1931年〈昭和6年〉10月31日 - 2021年〈令和3年〉8月15日)は、日本の農学者。京都大学名誉教授。植物分子細胞生物学の研究を行った。 大阪府生まれ。1957年、京都大学農学部卒業。同大学大学院農学研究科修士課程修了。1963年、京都大学農学博士。数十年にわたり、京都大学を研究の拠点とし活動。植物分子細胞生物学研究の権威。細胞を大量培養する実験系を確立。これらの培養細胞系を用いて、次々に新しい研究分野を開拓し、植物分子細胞生物学の基礎とその応用に大きく貢献。特にアルカロイドを高産生する培養細胞を用い、その生合成系の解析とその生合成系を遺伝子工学的に改変した分子育種学の新しい道を開く。
新城 長有(しんじょう ちょうゆう、1931年〈昭和6年〉1… 新城 長有(しんじょう ちょうゆう、1931年〈昭和6年〉10月31日 - 2019年〈平成31年〉3月26日)は、日本の育種学者。琉球大学名誉教授。 世界各地のイネ品種が持つ遺伝様式のメカニズムを解明し、超多収米(ハイブリッド米)を開発した日本における先駆者である。 沖縄県石垣市石垣出身。1957年に琉球大学農家政学部(現在の農学部)を卒業後、1960年に九州大学大学院農学研究科農学専攻修士課程修了。琉球大学講師となり、イネの育種研究に打ち込む。その間、1958年(昭和33年)に雄性不稔性のあるイネ品種をインドの野生種から発見している。そこから研究を重ね、通常の栽培種では1つの花の中に雄しべと雌しべが同有しており、交配による雑種強勢を困難としてきたイネにおいて、雄性不稔性を持つジャポニカ米の一代雑種イネを開発。
平井 一正(ひらい かずまさ、1931年10月31日 - 2… 平井 一正(ひらい かずまさ、1931年10月31日 - 2021年2月15日)は、日本の工学者。神戸大学名誉教授。専門はシステム制御工学。京都大学工学博士。 登山家としても知られており、1958年に、チョゴリザ北東峰(7,654m)の初登頂者となったほか、隊長として数次にわたるヒマラヤ遠征を無事故で成功させた。岐阜県出身。 京都大学工学部を卒業して、大学院に進み、1963年に「非線形要素を持つサーボ機構の振動現象に関する研究」により、京都大学から工学博士を取得した。 1964年、神戸大学工学部に助教授として赴任し、その後、ドイツのシュトゥットガルトに2年間留学した。その後、教授として、日本初のカタカナ学科として1972年に新設されたシステム工学科の開設と運営に携わった。
青空 たのし(あおぞら たのし、1931年10月30日 - … 青空 たのし(あおぞら たのし、1931年10月30日 - 2021年8月24日)は、ハーモニカ漫談家、元漫才師、司会者、ラジオパーソナリティ。東京都台東区浅草出身。本名:北川 要。旧芸名:神田 一郎、青空 田の志。 コロムビア・トップ・ライト門下で「青空たのし」を名乗った人物は3人いる。 1949年9月、双葉バラエティー団で初舞台を踏んだ。その後浅草松竹楽劇団員、1955年からは岡晴夫歌謡ショー専属司会者を経て、1958年に中野四郎(元『ハッピーボーイズ』の瓶九郎)と立体司会コンビを組み、松山恵子歌謡ショー専属司会者として巡業した。 1960年6月にコロムビア・トップ・ライト同門の司会者・島田寿三(青空うれし)と、漫才コンビ青空うれし・たのしを結成した。
羽佐間 正雄(はざま まさお、1931年10月29日 - )… 羽佐間 正雄(はざま まさお、1931年10月29日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元NHKアナウンサー。
並河 萬里(なみかわ ばんり、1931年10月29日 - 2… 並河 萬里(なみかわ ばんり、1931年10月29日 - 2006年5月7日)は、日本の写真家。並河亮の子。
小野 茂夫(おの しげお、1931年10月29日- )は、日… 小野 茂夫(おの しげお、1931年10月29日- )は、日本の経営者。ニコン社長、会長を務めた。 東京都出身。1954年に東京大学工学部精密工学科を卒業し、同年に日本光学工業(のちのニコン)に入社。1983年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1989年6月に専務を経て、1993年6月に社長に就任。1997年6月に会長に就任し、2001年6月から相談役を務めた。 1991年11月に藍綬褒章を受章し、2001年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 東京工芸大学理事長も務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
丸山 義行(まるやま よしゆき、1931年10月28日 - … 丸山 義行(まるやま よしゆき、1931年10月28日 - 2024年1月15日)は、栃木県今市市出身の元サッカー選手、サッカー審判員・指導者。日本人として初めてFIFAワールドカップ審判に選出されるなどの実績から日本のサッカー審判員の第一人者と呼ばれる人物である。 栃木県立今市高等学校時代にはアイスホッケー部とサッカー部に所属。1950年に中央大学へ進学しサッカー部へ加入し小野卓爾の指導を受けた。1954年に大学卒業後は小野の下でコーチとして同サッカー部の指導を補佐する一方で、当時のサッカー協会では「各大学から一名ずつ審判員を派遣する」との方針があった事情から審判員を務めることになった。個人の意に反して審判員としての道へ進んだ丸山だったが、試合の中で重要な役割を担う審判の面白さに引きこまれると、1956年から日本サッカー協会 (JFA) の1級審判員になり、1961年からは国際サッカー連盟 (FIFA) の国際審判員となった。
平山 城児(ひらやま じょうじ、1931年10月28日 - … 平山 城児(ひらやま じょうじ、1931年10月28日 - 2023年9月16日)は、日本文学研究者。専門は上代文学・近代文学。立教大学名誉教授。 京都生まれ。鎌倉育ち。作家・平山蘆江の孫。父は非凡閣の編集者などをしていた平山清郎。母は宝塚歌劇団に在籍した元タカラジェンヌで、戦後は同じ鎌倉市在住であった川端康成の『歌劇学校』の代筆をしていた平山宮子(旧姓:森下。芸名:近江ひさ子、宝塚歌劇団14期生)。 湘南高等学校卒、1954年立教大学英文科卒、1957年同大学院修士課程修了、1960年立教大学日本文学科卒、1965年同大学院博士課程中退。 立教大学一般教育部講師、1967年同助教授、1974年教授、1995年同文学部教授、1997年定年退任、名誉教授。
豊長みのる(とよなが みのる、1931年10月28日- )は… 豊長みのる(とよなが みのる、1931年10月28日- )は、日本の俳人。 神戸生れ。本名・稔。兵庫県立尼崎工業高等学校卒。山口草堂に師事、1966年「南風」新人賞受賞。南風編集同人。1986年1月「風樹」創刊主宰。日本詩歌句協会会長、現代俳句協会理事、関西現代俳句協会副会長、大阪俳人クラブ常任理事、日本ペンクラブ会員、日本現代詩歌文学館振興会評議員、「俳句四季」四季吟詠選者、朝日カルチャーサロン俳句講師ほか。
山下 佐英(やました すけひで、1931年10月28日 -)… 山下 佐英(やました すけひで、1931年10月28日 -)は、日本の医師、歯科医師、歯学者、鹿児島大学名誉教授、鹿児島医療技術専門学校学長、元鹿児島大学歯学部附属病院長。医学博士。 鹿児島県日置郡伊集院町(後の日置市)出身。1949年旧制鹿児島県立伊集院中学校卒業、1950年新制鹿児島県立伊集院高等学校卒業。1957年鹿児島大学医学部卒業。日本赤十字社中央病院インターン、鹿児島大学副手を経て、1960年鹿児島大学医学部助手、1962年鹿児島大学医学部講師、1964年鹿児島大学医学部助教授。1967年大阪大学歯学部に編入学。1970年に大阪大学歯学部を卒業し、鹿児島大学医学部助教授に復職。1977年、鹿児島大学歯学部教授に就任。
岡田 光雄(おかだ みつお、1931年(昭和6年)10月28… 岡田 光雄(おかだ みつお、1931年(昭和6年)10月28日 - 2021年(令和3年)8月21日)は、日本のクイズ・パズル作家。筆名に岡田 話史がある。 東京都立青山高等学校を経て、神奈川大学法経学部を卒業。同時にクイズ・パズル作家となり、「楽しくなければクイズでない」を信条に、クロスワードパズル・漢字パズル・数学パズル・なぞなぞなど様々な分野の問題を作成している。 2021年8月21日、89歳で死去。
川邊 一外(かわべ かずと、1931年 〈昭和6年〉10月2… 川邊 一外(かわべ かずと、1931年 〈昭和6年〉10月28日 - )は日本の脚本家、ゲームシナリオライター。 松竹シナリオ研究所所長や、立命館大学映像学部客員教授などを務めた。日本地方新聞協会ブロンズ賞秀作賞受賞。 東京府出身。1954年に一橋大学社会学部を卒業し、松竹大船撮影所に入所。演出助手室に所属。堀内真直に師事。 映画『007は二度死ぬ』チーフ助監督を経て、1981年から松竹シナリオ研究所専任講師を務めるとともに、映画『生徒諸君!』の脚本などを執筆。 1987年松竹シナリオ研究所所長。1995年日本地方新聞協会ブロンズ賞秀作賞受賞。1999年日本大学芸術学部映画学科講師、2007年立命館大学映像学部客員教授。
山田 重雄(やまだ しげお、1931年10月26日 - 19… 山田 重雄(やまだ しげお、1931年10月26日 - 1998年2月5日)は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身のバレーボール指導者。バレーボール日本女子代表監督を務めた。旧姓は中村。 静岡県立藤枝東高等学校、東京教育大学卒業。大学在学中、八王子市で「山田の森」と言われる広大な土地を所有するも子供がいなかった山田義治・三枝子夫妻の養子となる。 大学卒業後に教員として赴任した東京都立三鷹高等学校の女子バレーボール部監督として生沼スミエ等を指導し、1963年の全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会で優勝。1964年、東京五輪の女子バレーボールで日本が優勝し、バレーボール人気が高まる中、1965年に日立武蔵の監督に転身。
木暮 治一(こぐれ じいち、1931年(昭和6年)10月26… 木暮 治一(こぐれ じいち、1931年(昭和6年)10月26日 - 2009年(平成21年)7月28日)は、日本の政治家。群馬県渋川市長。 群馬県渋川市出身。農業の傍ら、推されて渋川市議会議員選挙に出馬し当選。6期務め、渋川市議会議長などを歴任。 2001年(平成13年)、渋川市長選挙に登坂秀の後継候補として出馬。自民党・公明党・社民党の推薦を得て、石北怜らを破って初当選を果たした。 2006年(平成18年)2月20日、渋川市長として渋川市、伊香保町、小野上村、子持村、赤城村、北橘村の6市町村を巻き込んだ新設合併を成功させた。それに伴って同年4月9日に執行された新・渋川市長選挙に無所属で出馬。星名建市ら2人の候補者を破って当選した。
岡村 喬生(おかむら たかお、1931年10月25日 - )… 岡村 喬生(おかむら たかお、1931年10月25日 - )は、東京都出身のバス歌手。NPOみんなのオペラ・芸術総監督。
薗頭 健吉(そのがしら けんきち、1931年10月25日 -… 薗頭 健吉(そのがしら けんきち、1931年10月25日 - )は、日本の化学者である。大阪市立大学工学部名誉教授。 鹿児島県生まれ。 ハロゲン化合物とアルキン間のクロスカップリング反応の開発。(薗頭カップリング) 1975年にCassarと Heckらにより独立して同時期にPd触媒を用いたアリールハライドとアルキンのカップリング反応が報告された。その時点で論文を投稿準備をしていた薗頭らは自分たちのCuIを共存させた条件の方が数段優れていると判断し(Pd触媒のみでは100℃、Pd/CuIでは室温)、Tetrahedron Lettに報告した。現在では薗頭-萩原クロスカップリング反応と呼ばれる人名反応となっている。
菊井禮次(きくい れいじ、1931年10月25日 - )は、… 菊井禮次(きくい れいじ、1931年10月25日 - )は、日本の政治学者。専門は、国際政治学、ソ連外交。 滋賀県生まれ。京都大学法学部卒業。岡山大学法文学部助手・講師・助教授・教授、立命館大学法学部教授を務める。
富島 健夫(とみしま たけお、冨島は本名、1931年10月2… 富島 健夫(とみしま たけお、冨島は本名、1931年10月25日 - 1998年2月5日)は、日本の小説家。 当時日本領だった朝鮮の京城に生まれる。1945年敗戦とともに引揚げ、福岡県立豊津高等学校に学ぶ。1951年早稲田大学第一文学部仏文科入学。在学中に丹羽文雄の『文学者』同人となり、1952年同人誌第二次『街』を創刊、創作活動に入った。 1953年12月、『街』の代表として応募した『新潮』同人雑誌推薦特集に「喪家の狗」が掲載され、文壇にデビューする。同作は芥川賞の候補になった。卒業後、河出書房に勤務の傍ら、1956年に処女長編『黒い河』を同社より刊行する。1957年、河出書房の倒産を機会に、作家生活に入る。
吉川 芳男(よしかわ よしお、1931年〈昭和6年〉10月2… 吉川 芳男(よしかわ よしお、1931年〈昭和6年〉10月25日 - 2018年〈平成30年〉4月6日)は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(3期)、労働大臣(68代)、参議院農林水産委員長などを務めた。 新潟県新潟市出身。父の平一は元新潟市議。 早稲田大学第一政治経済学部卒業。新潟県議会議員を5期務め、副議長(第59代)にも就任した。1983年の参議院議員選挙に出馬し初当選。 自民党内では田中派に所属。1987年7月に竹下登らが経世会を結成した際は残留し、二階堂進らの二階堂グループに属した。1990年の衆院選で二階堂グループは解散状態に追い込まれるが、選挙翌日の同年2月19日、吉川の宏池会(宮澤喜一派)入りが内定した。
川西 進(かわにし すすむ、1931年10月24日 - )は… 川西 進(かわにし すすむ、1931年10月24日 - )は、日本の英文学者、東京大学名誉教授。
宇津井 健(うつい けん、1931年(昭和6年)10月24日… 宇津井 健(うつい けん、1931年(昭和6年)10月24日 - 2014年(平成26年)3月14日)は、日本の俳優である。身長173cm、血液型はA型。東京府東京市深川区出身。(現在の東京都江東区出身)
丸地 守(まるち まもる、1931年10月24日 - 202… 丸地 守(まるち まもる、1931年10月24日 - 2025年10月17日)は、日本の詩人。 愛知県豊橋市生まれ。中央大学法学部卒。2001年現代詩人会理事長を務めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
伊藤 成彦(いとう なりひこ、1931年10月24日 - 2… 伊藤 成彦(いとう なりひこ、1931年10月24日 - 2017年11月29日)は、日本の政治学者、文芸評論家。中央大学名誉教授。 1931年10月24日、石川県金沢市に生まれる。東京大学文学部ドイツ文学科卒業。在学中は東京大学新聞の編集長を務めていた。東京大学大学院で国際関係論、社会運動・思想史を専攻する。修士・博士課程修了。1973年中央大学商学部教授。1980年9月ローザ・ルクセンブルク研究国際協会を設立(1985年、「ローザ・ルクセンブルク国際協会」に改称)。2002年中央大学名誉教授。 2017年11月29日、死去。
青野 照雄(あおの てるお、1931年(昭和6年)10月24… 青野 照雄(あおの てるお、1931年(昭和6年)10月24日 - 2014年(平成26年)6月26日)は、平成時代の政治家。愛媛県東予市長。 東予市出身。1949年(昭和24年)愛媛県立西条農業高等学校卒業。愛媛県庁に入庁し、1979年(昭和54年)愛媛県人事課長、1982年(昭和57年)調整監、1983年(昭和58年)総務部次長、1984年(昭和59年)議会事務局長を経て、1986年(昭和61年)公営企業管理局長、1987年(昭和62年)出納長に就任した。 1989年(平成元年)3月に退職し、1991年(平成3年)東予市長に当選。1期務めた。
大蔵 雄之助(おおくら ゆうのすけ、1931年10月23日 … 大蔵 雄之助(おおくら ゆうのすけ、1931年10月23日 -2020年1月8日)は、日本のジャーナリスト、コメンテーター。 福岡県生まれ。東京都立戸山高等学校、一橋大学法学部卒業。1957年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。1957年東京放送入社。1962年-1966年英国放送協会出向、1976年-1978年モスクワ支局長、1986年-1987年報道局長を経て、1987年退社。 退社後も、TBSラジオ『森本毅郎・スタンバイ!』の「ニュースズームアップ」などにコメンテーターとして出演していた。1987年、東洋大学社会学部教授に就任。異文化研究所代表を務める。 2000年11月、杉並区教育委員会の教育委員に杉並幼稚園(私立)園長の宮坂公夫とともに任命された。
上條 逸雄(かみじょう いつお、1931年10月23日 - … 上條 逸雄(かみじょう いつお、1931年10月23日 - 2002年8月14日)は、脚本家・作家。長野県上水内郡中条村(現長野市)出身。長野県長野北高等学校を経て、早稲田大学第一文学部卒。 『サインはV』『アテンションプリーズ』『積木くずし』といった高視聴率のテレビ番組や、日本テレビの『これが青春だ』『でっかい青春』『進め!青春』『おれは男だ!』『飛び出せ!青春』『われら青春!』といった一連の青春学園シリーズを執筆。他、数多くの人気テレビドラマの脚本を書く。晩年は舞台の脚本も手がける。(新橋演舞場『都おどり』など) 叔父の阿木翁助の影響で大学時代からラジオドラマを書き始める。大学の同級生に監督の高瀬昌弘がおり、彼がメイン監督となった『これが青春だ』の折に「君の青春を提供してくれ」と依頼を受け、その後も一連のシリーズに執筆しつづけた。
野﨑 健輔(のざき けんすけ、1931年10月23日 - 2… 野﨑 健輔(のざき けんすけ、1931年10月23日 - 2020年9月25日 )は、日本の記録映像作家。 島根県安来市伯太町出身。 1952年より新理研映画で劇場用ニュース映画「毎日世界ニュース」、1956年には中日映画社に移り「中日ニュース」のそれぞれ企画、取材に従事する。 1960年、『泥海の悲劇 - 伊勢湾台風の記録』を初演出。中日映画社ではニュース部長、短編部長をつとめながら監督、その後三和映画社の代表取締役を経て、1975年よりフリー。 フリーとなってからはRKB映画社、山陽映画などと契約して秀作を生み、受賞も数多い。『鬼すべ』(1983年)と『架ける』(1987年)でキネマ旬報文化映画ベスト・ワン、前者は芸術祭大賞を受賞。
大野 正雄(おおの まさお、 1931年10月23日 - 2… 大野 正雄(おおの まさお、 1931年10月23日 - 2019年3月12日)は日本の作曲家。 1931年(昭和6年)大阪府に生まれる。1953年(昭和28年)大阪音楽大学短期学部作曲学科を卒業。後に日本ビクターの専属作曲家となる。 戦後復興期の歌謡曲を多数作曲したほか、朝日放送・テレビ朝日系列ほかの長寿番組『新婚さんいらっしゃい!』のテーマソングの作曲など大衆的なもの知られているが、交響曲『大阪』、交声曲『蔵王絶唱』、協奏曲などを手掛けるなど、幅広いジャンルに携わった。 2019年(平成31年)3月12日、肺炎のため死去、87歳没。
水田 栄久(みずた しげひさ、1931年10月23日 - )… 水田 栄久(みずた しげひさ、1931年10月23日 - )は、日本の経営者。井関農機社長を務めた。熊本県出身。 1955年に熊本大学理学部を卒業し、同年4月に井関農機に入社。1976年2月に取締役に就任し、1978年2月に常務、1986年3月に専務を経て、1988年2月には社長に就任。1992年12月から相談役を務めた。 1994年4月に藍綬褒章を受章。
河越 重任(かわごえ しげとう、1931年10月23日 - … 河越 重任(かわごえ しげとう、1931年10月23日 - 2008年12月10日)は、日本の労働法学者。専門は労働法・社会保障法。岩手大学名誉教授。港湾労働や労災補償制度の研究で知られる。 東京府荏原郡目黒町上目黒に生まれる。 1951年、早稲田大学第二政治政経学部経済学科に入学し、1955年卒業。 在学中より国立国会図書館調査及び立法考査局に勤務し、労働課主査を務めた。 1968年、中央大学商学部非常勤講師。 1976年、岩手大学人文社会学部教授。1997年5月、岩手大学名誉教授。 日本社会保障法学会理事、社会政策学会幹事を務めた。 労働開発研究会『季刊労働法』誌に名誉教授として数多く寄稿し、また日本交通学会『創立60年のあゆみ』でも研究者として言及されている。
千田 謙蔵(ちだ けんぞう、1931年(昭和6年)10月22… 千田 謙蔵(ちだ けんぞう、1931年(昭和6年)10月22日 - 2024年(令和6年)12月20日)は、日本の政治家。秋田県横手市長(5期)、横手市議会議員(3期)、横手市観光協会会長などを歴任した。 秋田県横手市生まれ。旧制横手中学校、旧制弘前高等学校を経て、1953年に東京大学経済学部を卒業する。1952年に発生した東大ポポロ事件の被告人として有罪判決を受ける。 卒業後数年間は地元で茶舗を経営する傍ら、1959年、当時27歳にして横手市議会議員に当選。3期12年務める。 1971年、市長選に社会党から出馬し、自民党公認の元助役を119票差で破り、初当選を果たした。 市政では「市民総参加で明るい市政」「東北の夜明けにふさわしいまちづくり」「くらしと健康を守る市政」「積極はつらつの市民性」を基本方針に掲げ、議会においては少数与党(社会党、公明党、民社党、共産党)ではあったが、市民の根強い人気に支えられながら5期20年の任期を終える。
佐藤 重雄(さとう しげお、1931年10月22日-)は、日… 佐藤 重雄(さとう しげお、1931年10月22日-)は、日本のプロ野球選手。内野手(主に一塁手)。右投げ右打ち。鹿児島県出身。 鹿児島県立甲南高等学校から社会人野球の鹿児島鉄道管理局野球部を経て、1955年から1956年にプロ野球南海ホークス選手。プロ1年目は16試合で一塁を守るなど計30試合に出場したが、2年目で出番は減りプロ野球引退。
石田 満(いしだ みつる、1931年10月22日 - 201… 石田 満(いしだ みつる、1931年10月22日 - 2019年6月19日)、日本の法学者・弁護士。専門は商法・保険法。学位は、法学博士(北海道大学・論文博士・1967年)(学位論文「保険の目的物の譲渡 」)。上智大学名誉教授。北海道札幌市生まれ。鴻常夫門下。 主に保険法が専門。特に、損害保険・自動車保険を研究。 『商法・保険法の現代的課題 : 石田満先生還暦記念論文集』(文眞堂 1992年) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
五十嵐 幸雄(いがらし さちお、1931年10月22日 - … 五十嵐 幸雄(いがらし さちお、1931年10月22日 - )は、日本の経営者。新潟日報社社長を務めた。 新潟県出身。1954年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に新潟日報社に入社した。1988年に取締役に就任し、1992年に常務、1994年に専務を経て、1995年1月には社長に就任。2003年1月に取締役相談役、2004年1月から相談役を務めた。新潟放送で取締役と監査役も務めた。 2005年11月に旭日中綬章を受章。
大橋 國一(おおはし くにかず、1931年(昭和6年)10月… 大橋 國一(おおはし くにかず、1931年(昭和6年)10月21日 - 1974年(昭和49年)3月21日)は、日本の声楽家(バス、バリトン)、オペラ歌手。ヨーロッパの歌劇場と専属契約を結んだ最初の日本人歌手であり、日本人歌手の海外進出の嚆矢となった。しばしば新字体で大橋国一と表記される。1973年11月に再発した結腸がんが肝臓に転移し、闘病の末、1974年3月21日に42歳の若さで亡くなりました。ヨーロッパで活躍し、将来を嘱望されながらも病によってその才能を断たれました。 東京府出身。東京都立新宿高等学校時代にコーラス部に入ったのがきっかけで、声の良さを認められ1951年(昭和26年)に東京藝術大学に入学。
山辺 道彦(やまべ みちひこ、1931年10月21日 - )… 山辺 道彦(やまべ みちひこ、1931年10月21日 - )は、日本の実業家。元富士機工会長・社長。富士機工の東証一部上場に尽力した。東京都出身。横浜国立大学経済学部卒業。 1931年東京都生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1954年に横浜国立大学経済学部卒業後、富士紡績入社。1983年同社大阪営業部長、1984年企画管理部長、1986年取締役企画管理部長を経て、1990年6月に富士機工常務取締役となり、1991年6月同社社長に就任。在任中の1996年9月に富士機工は東証一部指定を受けた。1998年6月に同社会長に就任し、1999年6月まで務めた。
福田 善之(ふくだ よしゆき、1931年〈昭和6年〉10月2… 福田 善之(ふくだ よしゆき、1931年〈昭和6年〉10月21日 - )は、日本の劇作家、脚本家、演出家、俳優。本名、鴻巣 泰三。
小野 直広(おの なおひろ、1931年10月20日 - 20… 小野 直広(おの なおひろ、1931年10月20日 - 2001年10月4日)は、日本の心理学者。 北海道上磯郡知内町出身。東北大学文学部卒。元法務省職員。東北福祉大学教授(福祉心理学科長;臨床心理・人格心理担当)。旭日章勲四等受勲。※死後追贈 日本でまだ広まっていなかった心理療法である短期療法を研究し、広めていった第一人者。なお、小野が作った地域の短期療法を学ぶ会は、日本ブリーフセラピー協会が下部組織として引き継ぐ形で発展している。 大学での教授、研究、各教育機関などでの講演活動の傍ら、週末に来る孫達の世話も惜しむことなくしたという。 甥に元西武ライオンズ投手の石井貴がいる。 2001年9月に体調を崩し、宮城県仙台市太白区の宮城社会保険病院に入院。
宮城 淳(みやぎ あつし、1931年10月19日 - 202… 宮城 淳(みやぎ あつし、1931年10月19日 - 2021年2月24日)は、東京都大田区出身の男子テニス選手。早稲田大学卒業。身長172cm、体重61kg。早大卒業後はゼネラル物産に勤務。 1955年の全米選手権男子ダブルスで加茂公成とペアを組んで優勝し、日本人のテニス選手として唯一の4大大会男子ダブルス優勝者になった名選手である。 姉の宮城黎子もテニス選手。 芝浦製作所(のち東京芝浦電機)の技術者・宮城喜三郎の長男として大田区田園調布に生まれる。先祖に梅素亭玄魚がいる。父親がテニスを趣味とし、宮城家は有名なテニス一家であったが、淳がテニスを始めたのは早稲田大学入学後であった。早大のテニス部で福田雅之助に師事した宮城は、1952年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップの日本代表選手に選ばれた。
塩井 末幸(しおい すえゆき、1931年10月19日 - 2… 塩井 末幸(しおい すえゆき、1931年10月19日 - 2016年12月7日)は、日本の経営者。プレナスの創業者。長男は塩井賢一、次男は塩井辰男。 長崎県佐世保市出身。塩井家は江戸時代は御家人の家柄であった。祖父の民次郎は上野精養軒の厨士長(料理長)を経て、日本橋区南茅場町に西洋料理店「彌生軒」を開業した。やよい軒の店名は祖父の開いた店に由来する。父の和助は巡洋艦「出雲」や鎮海水交社のレストランでの料理人を経て、戦後は佐世保将校クラブの料理長を務めた。 1948年に西海学園高等学校を卒業し、1960年3月に太陽事務機(のちのプレナス)を設立し、社長に就任。1998年5月には会長に就任。 2016年12月7日、心不全のために死去。
寺内 小春(てらうち こはる、1931年10月18日 - 2… 寺内 小春(てらうち こはる、1931年10月18日 - 2010年5月12日)は、日本の作家、脚本家。女性。 京城府生まれ。その後、福島県に引き揚げ、福島県立安達高等学校卒業。 22歳で結婚し、子育てを経て35歳からシナリオ研究所を受講。TBSの大山勝美プロデューサーに認められ、1972年に田宮二郎主演の「知らない同志」を執筆。 その後、「華岡青洲の妻」で脚本家として本格デビューを果たす。「麗子の足」・「イキのいい奴」で第5回向田邦子賞(1985年度)を受賞。 「はね駒」(昭和61年放送NHK連続テレビ小説)ではギャラクシー賞を受賞。 2010年5月12日、心筋梗塞の為に死去。78歳没。
桜井 信夫(さくらい のぶお、1931年10月18日 - 2… 桜井 信夫(さくらい のぶお、1931年10月18日 - 2010年8月18日)は、日本の詩人、児童文学作家。日本民話の会会員。 東京出身。國學院大學文学部国文学科卒業。 1999年に長編叙事詩集『ハテルマシキナ よみがえりの島・波照間』で第29回赤い鳥文学賞、第39回日本児童文学者協会賞、第3回三越左千夫少年詩賞特別賞受賞。 妻は児童文学作家の中島信子。
濱田 篤哉(はまだ あつや、1931年〈昭和6年〉10月17… 濱田 篤哉(はまだ あつや、1931年〈昭和6年〉10月17日 - 1986年〈昭和61年〉5月18日)は、栃木県芳賀郡益子町の益子焼の陶芸家である。 「益子焼の中興の祖」である濱田庄司の三男であり、兄の濱田晋作、その息子で甥の濱田友緒も陶芸家である。 1931年(昭和6年)10月17日、陶芸家・濱田庄司の三男として栃木県益子町に生まれる。 1948年(昭和23年)、栃木県立真岡高等学校を卒業後、父・庄司の弟子となる。 1956年(昭和31年)に英国に渡り、約2年間イギリスのセント・アイヴスにあるバーナード・リーチの工房「リーチ・ポタリー(英語: Leach Pottery)」に在籍し、リーチに師事し共に働き、陶芸家としての足場を固めた。
砂田 実(すなだ みのる、1931年10月17日 - )は、… 砂田 実(すなだ みのる、1931年10月17日 - )は、日本のテレビプロデューサー、演出家、音楽プロデューサー。ラジオ東京→東京放送(TBS。後のTBSホールディングス・TBSテレビ・TBSラジオ)、渡辺プロダクションを経てフリーランス。東京都出身。 戦争中は疎開先の石川県で勤労動員され、帰京後、東京都立第二十一中学校(現・東京都立武蔵丘高等学校)で青島幸男やすぎやまこういちと同期になる。同校入学後1年を経て、臨時募集で慶應義塾中等部に転入し慶應義塾高等学校に進学。同高校の同級生に浅利慶太がいた。 1955年に慶應義塾大学文学部仏文学科を卒業し、ラジオ東京へ入社。1956年、前年開局のテレビ局内テレビ製作部に配属。
中山 和子(なかやま かずこ、1931年10月16日 - 没… 中山 和子(なかやま かずこ、1931年10月16日 - 没年不明)は、日本近代文学研究者。明治大学名誉教授。旧姓は永井。 長野県諏訪市生まれ。1950年長野県諏訪二葉高等学校卒業、明治大学文学部国文科卒業、1965年同大学院修士課程修了、同年明治大学文学部助手。1969年専任講師。以後助教授、教授を務め、1997年退職。平野謙に師事し、女性近代文学の大学教授の草分けである。
浜田 文雅(はまだ ふみまさ、1931年10月16日 - )… 浜田 文雅(はまだ ふみまさ、1931年10月16日 - )は、日本の経済学者。学位は、経済学博士(慶應義塾大学・論文博士・1968年)(学位論文「設備投資行動の研究」)。慶應義塾大学名誉教授。 東京生まれ。1950年慶應義塾高等学校卒業、1954年慶應義塾大学経済学部卒業。1956年同大学院経済学研究科修士課程修了。1960年関西大学大学院博士課程満期退学。同年関大専任講師。1962年慶大産業研究所専任講師、1965年助教授、1968年「設備投資行動の研究」で慶應義塾大学より経済学博士の学位を取得。1968年慶大経済学部助教授、1971年教授。1992年定年、名誉教授となり、東京国際大学教授を務めた。
長谷部 稔(はせべ みのる、1931年10月15日 - )は… 長谷部 稔(はせべ みのる、1931年10月15日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。1956年の登録名は長谷部 健(はせべ たけし)。 旧制中学校の広島県立広島工業学校(現在の広島県立広島工業高等学校)時代に広島原爆に遭遇した経験を持つ。その後に学制改革などで広島県立広島工業学校が広島県立広島皆実高等学校になるなどした後に皆実高等学校では捕手で4番打者として活躍、高校3年夏の1949年第31回全国高等学校野球選手権大会予選の西中国大会決勝に駒を進めたが山口県立柳井高等学校に敗れて甲子園大会出場は成らなかった。 卒業後は土木技術者を目指していたが、1949年に翌年から地元初のプロ野球球団として創設される、広島カープの入団テストへ試しに参加した。
片田 哲也(かただ てつや、1931年10月15日 - )は… 片田 哲也(かただ てつや、1931年10月15日 - )は、日本の経営者。小松製作所社長、会長を務めた。大阪府大阪市出身。 旧制四高を経て1953年に京都大学法学部を卒業し、同年に小松製作所に入社。 1978年3月に取締役に就任し、1983年3月に常務、1987年3月に専務、1988年6月に副社長を経て、1989年6月に社長に就任。1995年6月に会長に就任し、2001年6月から取締役相談役を務めた。 日本経済団体連合会副会長を務めた。 1993年11月に藍綬褒章を受章し、2010年4月に旭日大綬章を受章。
広瀬 仁紀(ひろせ よしのり〈にき〉、1931年10月15日… 広瀬 仁紀(ひろせ よしのり〈にき〉、1931年10月15日 - 1995年1月15日)は、日本の小説家。 東京都生まれ。本名・満。成城大学経済学部卒。歌舞伎、映画雑誌の編集、総合雑誌の編集長を経て、フリーのルポライターとなり、1976年『適塾の維新』で作家デビュー、直木賞候補となる。経済小説、時代小説と幅広いジャンルで活躍した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。