大石 慎三郎(おおいし しんざぶろう、1923年9月6日 -… 大石 慎三郎(おおいし しんざぶろう、1923年9月6日 - 2004年5月10日)は、日本の歴史学者。専門は近世日本史。学習院大学名誉教授。 近世農村史の研究から歴史研究に入り、その後享保の改革を生涯の研究テーマとした。また、江戸時代が舞台となったNHK大河ドラマの時代考証を数多く担当した。 愛媛県温泉郡正岡村(現松山市)出身で、1949年東京大学文学部国史学科を卒業。東京大学より文学博士の学位を取得。 文部省史料館(現国文学研究資料館)、 高崎短期大学、神奈川大学を経て、1963年学習院大学経済学部教授となり、1975年から1984年まで学習院大学史料館長を兼ね、1983年から1987年まで学習院大学経済学部学部長を2期務めた。
もっと読む
木口衛(きぐち まもる、1923年9月6日 - 2006年1… 木口衛(きぐち まもる、1923年9月6日 - 2006年12月22日)は、神戸市を拠点とするアパレルメーカーワールドの創業者。岡山県総社市出身。 名前の漢字は、正しくは「衞」。 1959年、ニット問屋の光商会(のちのエンパイヤー)を退社。光商会の後輩であった畑崎廣敏との二人三脚で、裸一貫からワールドを起こし、同社を有数の大企業に育て上げた立志伝中の人物として知られる。同社の初代社長を務め(このとき畑崎は専務となる)、1972年からは社長を畑崎に譲り自身は会長となった。長らくこの体制が続いたこともあり、「畑崎社長・木口会長」として知られることとなった。 1995年には相談役に就任し経営の第一線から退く一方で、1998年には私財を投じて『財団法人木口ひょうご地域振興財団』を設立し、同財団の理事長としても活躍した。
もっと読む
畑田 重夫(はただ しげお、1923年〈大正12年〉9月5日… 畑田 重夫(はただ しげお、1923年〈大正12年〉9月5日 - 2022年〈令和4年〉11月22日)は、日本の国際政治学者、政治評論家、平和運動家。平和・民主・革新の日本をめざす全国の会代表世話人。1980年代から1990年代にかけて東京都知事選挙に出馬したことでも知られる。 京都府生まれ。東京帝国大学に入学し、在学中20歳で学徒出陣となるが、その際学友の乗っていた船が撃沈され全員が死亡した。1945年9月、東京大学法学部に復学し卒業。 内務省を経て1962年まで名古屋大学助教授を務め、以後は労働者教育協会会長や勤労者通信大学学長などを歴任。 1987年、1991年の各東京都知事選挙に無所属(日本共産党推薦)で出馬するも落選。
もっと読む
有賀 潤(あるが じゅん、1923年(大正12年)9月5日 … 有賀 潤(あるが じゅん、1923年(大正12年)9月5日 - 2013年(平成25年)1月2日)は日本の洋画家である。 風景、人物、静物など画材は広範。1970年頃から日本の伝統家屋(藁葺屋根)を取材した農村風景画の創作に力を注ぎ、日本列島全域を探訪した。現在では消失した伝統家屋を写実的手法で描かれた作品群は、日本人の心の故郷そのもであり、同時に民俗学史料としても国内外で高く評価されている。 長野県上田市出身。旧制小県蚕業学校(長野県上田東高等学校)卒業。太平洋戦争に従軍し、復員後の1945年から東京在住。1948年東京育英高等学校教諭、1950年東京美術学校卒業後、数年間、阿佐ヶ谷美術専門学校にて教師を務める。
もっと読む
平井 三郎(ひらい さぶろう、旧姓:生田、1923年9月4日… 平井 三郎(ひらい さぶろう、旧姓:生田、1923年9月4日 - 1969年7月23日)は、徳島県徳島市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。
もっと読む
長倉 保(ながくら たもつ、1923年9月4日 - 1996… 長倉 保(ながくら たもつ、1923年9月4日 - 1996年5月10日)は、日本の経済史学者。日本各地の村落史、地方史、農業史の調査研究。 1923年静岡県伊豆市生まれ。1943年水戸高校、1948年卒業。1949年東京大学文学部国史学科入学日本近世史専行、1952年神戸大学日本史学研究室にて日本近世史研究、1964年神奈川大学経済学部助教授、1967年教授、その後学部長、学長代行、理事長。
もっと読む
山田 良市(やまだ りょういち、1923年(大正12年)9月… 山田 良市(やまだ りょういち、1923年(大正12年)9月3日 - 2013年(平成25年)2月27日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。第15代航空幕僚長。海兵71期。海軍での最終階級は海軍大尉。航空自衛隊での最終階級は航空幕僚長たる空将。 1923年(大正12年)9月3日、福岡県に生まれる。戸畑中学を経て1939年(昭和14年)海軍兵学校第71期生として入校。1942年(昭和17年)11月14日、卒業、少尉候補生。戦艦「武蔵」、敷設艦「津軽」乗組を経て1943年(昭和18年)6月、少尉任官、霞ヶ浦海軍航空隊40期飛行学生に入隊。大分空・筑波空で戦闘機操縦訓練を受けた。 1944年(昭和19年)6月末「紫電」装備の341空戦闘第402飛行隊に配属。
もっと読む
溪内 謙(たにうち ゆずる、1923年9月2日 - 2004… 溪内 謙(たにうち ゆずる、1923年9月2日 - 2004年2月13日)は、日本の歴史学者、政治学者。専門はロシア/ソ連政治史。東京大学名誉教授。 石川県生まれ。金沢一中、四高を経て、1942年、東京帝国大学入学。約1年在学後の1943年12月、学徒出陣により、徴兵検査を受け、合格。大学を休学し、海軍の舞鶴海兵団へ入営し海軍二等水兵任官。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、同年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業。同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進む。同年10月に予備役編入・復員。その後、東京大学へ復学する。 復学から1年半後、1947年春に東京大学法学部を卒業し、大学院へ入学。
もっと読む
前川 道介(まえかわ みちすけ、1923年9月2日 - 20… 前川 道介(まえかわ みちすけ、1923年9月2日 - 2010年6月11日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。同志社大学名誉教授。 京都市出身。京都大学文学部卒業。同大学院中退、1954年天理大学助教授、1956年西京大学助教授(1958年、京都府立大学に改称)、1967年同志社大学教授、1989年定年退任し名誉教授。 国書刊行会「ドイツ・ロマン派全集」責任編集を務めた。ドイツ文学の怪奇・幻想文学を多く翻訳し、評論を刊行した。 2001年春、勲三等瑞宝章を受章。2010年、呼吸不全により死去(没年86歳)。
もっと読む
尾藤 正英(びとう まさひで、1923年9月1日 - 201… 尾藤 正英(びとう まさひで、1923年9月1日 - 2013年5月4日)は、日本の歴史学者。文学博士(名古屋大学・論文博士・1962年)(学位論文「幕藩体制の政治的原理と朱子学との関係に関する研究」)。東京大学名誉教授。 大阪府大阪市生まれ。幼少期は旧満州(中国東北部)に移住。第三高等学校を経て1943年東京帝国大学文学部国史学科入学するも同年12月に学徒出陣。1945年8月の終戦は第二航空軍(満州)教官。翌年に復員。 1949年、東京大学文学部国史学科卒業。1958年、名古屋大学文学部講師、1962年1月、名古屋大学文学部助教授。同年4月、東京大学文学部助教授を経て、1970年、東京大学文学部教授。
もっと読む
大北 一夫(おおきた かずお、1923年9月1日 - 200… 大北 一夫(おおきた かずお、1923年9月1日 - 2001年9月10日)は、日本の経営者。昭和シェル石油社長を務めた。京都府京都市出身。 1947年に同志社大学文学部社会学科を卒業し、函館ドックでの勤務を経て、1949年にシエル石油に入社。1969年に取締役に就任し、1975年に常務、1978年に専務、1981年に副社長を経て、1982年には社長に就任。昭和石油との合併を取り仕切り、1985年に昭和シェル石油社長に就任。1989年3月に副会長に就任し、1991年3月に取締役相談役を経て、1993年3月に相談役に就任。 1985年11月に藍綬褒章を受章し、1996年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2001年9月10日に肺炎のために神奈川県横浜市の病院で死去。
もっと読む
藤田 雄五(ふじた ゆうご、1923年(大正12年)9月1日… 藤田 雄五(ふじた ゆうご、1923年(大正12年)9月1日 - 2014年(平成26年)1月19日)は日本の実業家、元アンリツ社長。東京都出身。
もっと読む
朝見山 峻一郎(あさみやま しゅんいちろう、1923年9月1… 朝見山 峻一郎(あさみやま しゅんいちろう、1923年9月1日 - 2001年12月)は、現在の愛媛県西予市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は水野 元幸。180cm、86kg。最高位は東十両13枚目。得意技は右四つ、寄り。 1940年5月場所初土俵、1946年11月場所十両昇進。以後3場所務める。1949年1月場所限りで廃業した。
もっと読む
内藤 謙(ないとう けん、1923年9月 - 2016年1月… 内藤 謙(ないとう けん、1923年9月 - 2016年1月17日)は、日本の法学者。専門は刑法。東京大学名誉教授、創価大学名誉教授。東京都出身。 行為無価値論の立場に立つ藤木英雄の夭折後、その後継教授として東京大学法学部に赴任。 学者は研究書で評価されるというが、教科書で評価された数少ない学者。雑誌「法学教室」の連載を単行本化した『刑法講義総論』シリーズが2002年に11年ぶりに刊行された『刑法講義総論(下)II』により完結した時は学界から喝采された。 刑法改正草案に対して、平野龍一、中山研一らと共に強力な反対の論陣を張ったことでも有名。 行為無価値論の立場にたつ団藤重光の門下生だが、行為無価値論ではなく平野龍一が主張した結果無価値論の立場に立ち、その理論をむしろ徹底させて主観的違法要素を否定する。
もっと読む
小杉 信光(こすぎ のぶみつ、1923年8月31日 - 20… 小杉 信光(こすぎ のぶみつ、1923年8月31日 - 2004年4月12日)は、日本の経営者。沖電気工業社長を務めた。 東京都出身。1943年に早稲田大学政経学科を卒業し、同年に沖電気(のちの沖電気工業)に入社。1974年に取締役に就任し、1979年5月に常務、1982年5月に専務、1984年6月に副社長を経て、1988年6月に社長に就任。1992年10月に会長に就任し、1993年6月から相談役を務めた。 1986年4月に藍綬褒章を受章し、1996年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2004年4月12日心不全のために死去。80歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
もっと読む
中村 啓一(なかむら けいいち、1923年(大正12年)8月… 中村 啓一(なかむら けいいち、1923年(大正12年)8月30日 - 1987年(昭和62年)7月7日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。 北海道出身。1946年東北帝国大学法文学部法律学科卒。香川県財政課長、秋田県、北海道各総務部長、自治省選挙課長、同選挙部長、北海道副知事などを歴任する。1977年の第11回参議院議員通常選挙において北海道選挙区から自由民主党で立候補して当選した。鈴木善幸内閣北海道開発政務次官、自民党都市局次長などを務めた。1983年の参院選には出馬しなかった。1987年7月7日死去、63歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、正八位から従四位に叙される。
もっと読む
野長瀬 三摩地(のながせ さまじ、1923年8月30日 - … 野長瀬 三摩地(のながせ さまじ、1923年8月30日 - 1996年5月23日)は、日本のテレビ監督、脚本家。京都府京都市出身。別名:南川 竜、南川 龍。 父は大正画壇で活躍した野長瀬晩花。伯父はトピー工業創業者の一人である野長瀬忠男。 野長瀬氏の末裔で、本名の三摩地は仏教用語のサマディー(三昧)にちなんで名付けられた。 幼少より父に連れられてよく映画を観に行き、映画制作の道を志す。 1946年に日本大学芸術学部映画学科を卒業し、東宝に入社。渡辺邦男、青柳信雄、本多猪四郎らの助監督を務め、主に杉江敏男監督作品に従事。黒澤明監督の『蜘蛛巣城』『どん底』(1957年)、『隠し砦の三悪人』(1958年)ではチーフ助監督を務めた。
もっと読む
藤田 高敏(ふじた たかとし、1923年8月30日 - 20… 藤田 高敏(ふじた たかとし、1923年8月30日 - 2016年2月15日)は、日本の政治家。元衆議院議員(通算8期)。元社会民主党愛媛県連顧問。元愛媛県議会議員(通算4期)。 愛媛県西条市出身。1938年に住友重機械工業に入社。その後、出征。復員後、復職、労組に加入し労働運動に携わる。 1951年、愛媛県議会議員選挙に立候補し初当選。以後4期連続当選。1963年に行われた第30回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧愛媛県第2区より立候補し当選。以後落選を挟んで8期の当選を果たす。 篤実な人柄で知られ、都市部では常に一定の支持層を持っていた。また、住友グループ労組の支援を受けていたものの保守系が圧倒的に強い地域ということもあり決して選挙に強いわけではなかった。
もっと読む
中原 宏(なかはら ひろし、1923年8月29日 - 198… 中原 宏(なかはら ひろし、1923年8月29日 - 1986年9月27日)は、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。
もっと読む
田中 完一(たなか さだかず、1923年(大正12年)8月2… 田中 完一(たなか さだかず、1923年(大正12年)8月29日 - 1985年(昭和60年)7月8日)は、日本の自然保護運動家、医師である。 宮城県志津川町(現在の南三陸町)に生まれる。実家は個人経営の病院であり日本大学医学部に入学し、卒業後は故郷に帰省し家業を継ぐため当病院の医師として活動した。 その後独立して田中自身が開業した病院を建てた後に、1953年(昭和28年)に医師として勤務す傍らに子供たちを中心に愛鳥教育を行う目的で私有財産を投資して「志津川愛鳥会」の設立に携わる。その後は野鳥の保護活動やその業績を描いた著書の執筆も行った。 この項目は、環境に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:環境)。
もっと読む
蔦 文也(つた ふみや、1923年(大正12年) 8月28日… 蔦 文也(つた ふみや、1923年(大正12年) 8月28日 - 2001年(平成13年) 4月28日)は、プロ野球選手(投手)、徳島県立池田高等学校野球部元監督。「攻めダルマ」の異名を持ち、「さわやかイレブン」「やまびこ打線」として知られる池田高校野球部を40年間指導。選抜高等学校野球大会、全国高等学校野球選手権大会において、優勝3回(夏春連覇1回)、準優勝2回の実績をあげた。池田町名誉町民第1号。
もっと読む
津軽 芳三郎(つがる よしさぶろう、1923年8月26日 -… 津軽 芳三郎(つがる よしさぶろう、1923年8月26日 - 2021年1月28日)は、日本の地方公務員。宮城県副知事。 1923年、宮城県栗原郡金田村(現・栗原市)に生まれる。旧制宮城県築館中学、第二高等学校、東北帝国大学法文学部(法)卒。大学卒業後宮城県庁入り。企画、財政、人事の各部門を歴任し、教育長、総務部長を務めた。その後宮城県副知事、宮城県美術館館長を歴任。1994年、勲三等旭日中綬章を受章。2021年1月28日死去。従七位から従四位に進階。
もっと読む
鷹司 平通(たかつかさ としみち、1923年(大正12年)8… 鷹司 平通(たかつかさ としみち、1923年(大正12年)8月26日 - 1966年(昭和41年)1月27日)は鉄道研究家。日本交通公社交通博物館調査役。五摂家の一つだった鷹司家の27代目当主。
もっと読む
高橋 アキラ(たかはし あきら、本名:高橋 燎(あきら)、1… 高橋 アキラ(たかはし あきら、本名:高橋 燎(あきら)、1923年8月23日 - 2007年1月8日)は、日本の政治家。豊橋市長(4期)、愛知県議会議員(3期)、同議長(第62代)、豊橋市議会議員(2期)。 愛知県豊橋市菰口町出身。1941年(昭和16年)愛知県豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)卒業。1943年(昭和18年)12月、学徒出陣。1947年(昭和22年)3月、早稲田大学法学部卒業。同年10月、大同製鋼株式会社入社。1948年5月、有限会社高橋製糸場入社。 1963年(昭和38年)4月30日に行われた豊橋市議会議員に無所属で立候補し、トップで初当選を果たした。1967年の市議選は自由民主党公認で立候補し再選。
もっと読む
高野 よしてる(たかの よしてる、本名:高野義輝、1923年… 高野 よしてる(たかの よしてる、本名:高野義輝、1923年8月22日 - 2008年11月15日)は、日本の雑誌編集者・漫画家である。九州生まれ。関東商業学校(現・関東第一高等学校)、法政大学出身。漫画家としては1950 - 1970年(昭和25 - 45年)頃まで月刊・週刊の漫画雑誌で活躍した。代表作は『赤ん坊帝国』『黒帯くん』『13号発進せよ』など。 1923年(大正12年)、九州に生まれる。4歳の頃に家族ともども東京に移り、以後東京で育つ。 中学の頃から漫画家を目指し、志を同じくする友人たちと共に「新世紀漫画集団」という名のグループを結成。日曜日になっては漫画について討論や研究、デッサンをしていた。
もっと読む
臼淵 磐(うすぶち いわお、1923年(大正12年)8月22… 臼淵 磐(うすぶち いわお、1923年(大正12年)8月22日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少佐。 海兵71期。太平洋戦争末期の天一号作戦(坊ノ岬沖海戦)に参加して戦死。個人的に親交があり、同作戦に参加して生還した作家の吉田満(当時・海軍少尉)の著書『戦艦大和ノ最期』や、その列伝作品『臼淵大尉の場合――進歩への願い』で取り上げられたことによって、戦後、広く知られるようになった。 なお、吉田満『戦艦大和ノ最期』を出典として広く知られている臼淵の発言 は、吉田満の創作である(→人物/エピソード/戦艦大和出撃時の挿話〈吉田満の創作〉)。 1923年(大正12年)8月22日、臼淵清忠・海軍機関中佐の長男として東京府東京市青山(現:東京都青山)に生まれる。
もっと読む
木川 かえる(きがわ かえる、本名:木皮 一夫〈きがわ かず… 木川 かえる(きがわ かえる、本名:木皮 一夫〈きがわ かずお〉、1923年〈大正12年〉8月22日 - 2005年〈平成17年〉3月4日)は、日本の元漫画家、ジャズ漫画家。滋賀県近江八幡市出身。日本漫画家協会参与 京都支部長。1992年から1999年まで京都精華大学芸術学部漫画学科の講師を務めていた。 父は銀行員でヴァイオリン、尺八を演奏するなど風流人であった。自身もそんな縁で演芸などに興味を持つ。子供の頃から絵を描く事も好きで学生時代から新聞等に投稿をしていた。滋賀県立八幡商業高等学校卒業後、父の勧めで銀行員になる。戦時中は従軍、終戦を中国で迎え、復員。戦後は進駐軍でジャズや映画音楽をBGMに米軍相手に絵を描く漫画ショウを始める。
もっと読む
北沢 郁子(きたざわ いくこ、1923年8月22日- )は、… 北沢 郁子(きたざわ いくこ、1923年8月22日- )は、歌人。
もっと読む
印東 太郎(いんどう たろう、英: Tarow Indow、… 印東 太郎(いんどう たろう、英: Tarow Indow、大正12年(1923年)8月22日 - 平成19年(2007年)9月22日)は、日本またはアメリカの数理心理学者、計量心理学者、実験心理学者、文学博士。慶應義塾大学及びカリフォルニア大学アーバイン校名誉教授。国際色彩学会(AIC) の会長も務めた。
もっと読む
徳永 功(とくなが いさお、1923年8月22日 - 200… 徳永 功(とくなが いさお、1923年8月22日 - 2005年6月25日)は、日本の検察官、弁護士。熊本県生まれ。 短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
もっと読む
山辺 英彦(やまべ ひでひこ、1923年8月22日 - 19… 山辺 英彦(やまべ ひでひこ、1923年8月22日 - 1960年11月20日)は、日本の数学者である。 位相群、リー群の構造を研究しヒルベルトの第5問題の解決に貢献したことで知られる。その後、偏微分方程式、力学系、微分幾何学の研究に移る。微分幾何学では共形幾何学における変分問題である「山辺の問題」が有名である。また山辺不変量、山辺フロー、山辺定数などに名を残す。 山辺は1923年8月22日に兵庫県芦屋市で山辺武彦、レイの六男として生まれた。芦屋市立山手小学校、神戸第一中学校を経て、1944年9月に第三高等学校を卒業後、東京帝国大学数学科に入学した。1947年9月に東京大学を卒業して理学士の学位を得た。
もっと読む
石橋 秀雄(いしばし ひでお、1923年8月21日 – 20… 石橋 秀雄(いしばし ひでお、1923年8月21日 – 2002年1月27日 )は、日本の東洋史学者。 島根県に生まれる。1941年に関東州立旅順中学校から旅順高等学校文科乙類に進学し、1943年9月に卒業。同年10月に東京帝国大学文学部東洋史学科に入学し、1949年に東京大学文学部東洋史学科を卒業。同大学大学院に進学する傍ら、城北学園で教員を務め、1954年9月に東京大学文学部助手となる。1957年に日本女子大学助教授に転じ、同大学教授となったのち、1967年に立教大学文学部に移る。1989年に同大学を定年退職した後は、1994年までフェリス女学院大学教授。立教大学名誉教授、フェリス女子大学名誉教授。
もっと読む
小野田 隆(おのだ たかし、1923年8月20日 - 200… 小野田 隆(おのだ たかし、1923年8月20日 - 2009年7月25日)は、元東京都新宿区長。
もっと読む
内藤 則邦(ないとう のりくに、1923年8月20日 - )… 内藤 則邦(ないとう のりくに、1923年8月20日 - )は、日本の社会政策学者。立教大学名誉教授。 福島県田村郡三春町生まれ。実家の家業は味噌醤油の醸造業。1941年福島県立田村中学校卒業。1943年立教大学経済学部予科入学。在学中に学徒出陣で海軍に入隊するが、病気のため半年ほどで除隊。1945年立教大学経済学部本科入学。立教でも教鞭を執っていた東京大学教授の大河内一男と出会い、東大の大河内ゼミに参加。1947年に大河内に代わって隅谷三喜男が立教で社会政策を担当するようになり、隅谷ゼミに参加し、引き続き東大の大河内ゼミにも参加。1948年立教大学経済学部卒業、同研究科入学。籍は立教にあったが、実際は東大で大河内・隅谷の指導を受けた。
もっと読む
福井 崇時(ふくい しゅうじ、1923年(大正12年)8月1… 福井 崇時(ふくい しゅうじ、1923年(大正12年)8月19日 - 2018年(平成30年)5月4日)は、日本の物理学者。名古屋大学名誉教授。1957年、高エネルギー荷電粒子の飛跡を観測する「放電箱」(ディスチャージチェンバー、後のスパークチェンバー)を開発、1961年仁科記念賞、1962年朝日賞(文化賞部門)を、いずれも宮本重徳とともに受賞。1985年紫綬褒章、1993年勲三等旭日中綬章、2001年イタリア共和国功労賞コメンダトーレ三等騎士勲章。著書に『身近な物理の世界』(1991年)、『粒子物理計測学入門』(1992年)がある。 また1966年のノーベル物理学賞の候補に挙がっていたことが判明している 。
もっと読む
池谷 三郎(、1923年〈大正12年〉8月19日 - 200… 池谷 三郎(、1923年〈大正12年〉8月19日 - 2002年〈平成14年〉10月19日)は、日本のアナウンサー、俳優。 東京都中央区日本橋出身。青山学院専門部を経て慶應義塾大学文学部卒業。 1951年10月、開局を控えたラジオ東京(KRT。後のTBS)にアナウンサー第1期生として入社。入社1年目に駅伝中継を担当。 『浪曲天狗道場』では1954年10月の第1回から司会を担当。ラジオ番組においてトップレベルの聴収率を上げる功績を残す。池谷も『浪曲天狗道場』を始めるまでは、浪曲のことは全く何も知らず、「広沢虎造の『次郎長伝』といっても、大政も知らなければ小政も知らなかった」という。 1966年1月、ラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部。
もっと読む
髙野 鎮雄(たかの しずお、1923年8月18日 - 199… 髙野 鎮雄(たかの しずお、1923年8月18日 - 1992年1月19日)は、日本ビクターの元副社長。事業部長だった頃にVHSの開発を指揮し、「VHSの父」「ミスターVHS」と呼ばれる。1986年に副社長に就任した。 愛知県碧海郡依佐美村(現・安城市)出身。旧制刈谷中学校(現・愛知県立刈谷高等学校)、浜松高等工業学校精密機械科(現・静岡大学工学部)を卒業。 日本光学工業(現・ニコン)に入社後、応召。1946年、日本ビクターに入社。 1986年6月、副社長に就任。エミー賞受賞。1989年、藍綬褒章受章。 1992年1月19日、死去。68歳没。墓は刈谷市の昌福寺にある。 VHS開発の経緯はNHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」で2000年4月4日に放送された「窓際族が世界規格を作った~VHS・執念の逆転劇~」で紹介され、大きな反響を呼んだ。
もっと読む
松本 和雄(まつもと かずお、1923年8月18日 - )は… 松本 和雄(まつもと かずお、1923年8月18日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。ポジションは遊撃手。
もっと読む
大塚 清六(おおつか せいろく、1923年8月18日 - 1… 大塚 清六(おおつか せいろく、1923年8月18日 - 1974年6月5日)は、日本の画家、イラストレーター、装幀家、グラフィックデザイナー。先駆的なミニマリストとしても知られる。 1950年代から1970年代前半にかけて、小説の挿絵や装幀、油彩画などを手がける一方、商業デザインでも活躍。1962年(昭和37年)からは広瀬鎌二設計の自邸「SH-60」に居住した。 1923年(大正12年)8月18日、福島県喜多方町(現:喜多方市)に生まれる。女手ひとつで育てられ、町立喜多方幼稚園、喜多方小学校を経て、1941年(昭和16年)に喜多方商業学校を卒業する。1943年(昭和18年)、父親の位牌を鉈で割って上京し、東京美術学校に入学。
もっと読む
川村 忠男(かわむら ただお、1923年8月17日 - 20… 川村 忠男(かわむら ただお、1923年8月17日 - 2018年9月8日)は、日本の経営者。千代田火災海上保険社長を務めた。北海道出身。 1950年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に千代田火災海上保険に入社。 1974年6月に取締役に就任し、1977年6月に常務を経て、1980年7月には社長に昇格した。1988年6月から取締役相談役に就任した。 1986年11月に藍綬褒章を受章。 2018年9月8日肺癌のために死去。95歳没。
もっと読む
星野 眞吾(ほしの しんご、1923年〈大正12年〉8月15… 星野 眞吾(ほしの しんご、1923年〈大正12年〉8月15日 - 1997年〈平成9年〉12月29日)は、昭和期から平成期にかけて活動した日本の画家である。妻は、同じく画家の高畑郁子(創画会会員)。 愛知県豊橋市魚町に生まれ、同県豊川市牛久保町で育った。豊橋第二中学校(現・豊橋東高等学校)在学中から、水彩画・油彩画を描くようになった。また、この時期に中村正義と出会った。 1944年(昭和19年)に京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)図案科を、1948年(昭和23年)に京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)日本画科を卒業。同窓生11人と「グループ・パンリアル」(翌年、「パンリアル美術協会」に改称)の設立に参画した。
もっと読む
彭 明敏(ほう めいびん、1923年8月15日 - 2022… 彭 明敏(ほう めいびん、1923年8月15日 - 2022年4月8日)は、台湾の国際法学者。総統府資政(中国語版)(上級顧問)。元台湾大学教授・政治学系主任。台湾独立運動の代表人物で、李登輝と総統選を争ったこともある。 台中市大甲で高雄市鳳山区客家の家系に生まれる。建成小学校、高雄中学、関西学院、第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部入学。第三高校でフランスの自由思想を学び、またフランス文学に興味を持ち、東大では政治学を専攻した。 東京帝国大学在学中に日本政府に徴兵され、長崎に向かう途中の船上で米軍の爆撃を受け左腕を失った。長崎到着後は兄宅で療養していたが、原爆投下に遭った。終戦後、台湾に戻り、1948年に台湾大学政治系を卒業した。
もっと読む
鈴木 修次(すずき しゅうじ、1923年8月13日- 198… 鈴木 修次(すずき しゅうじ、1923年8月13日- 1989年6月11日)は、日本の漢文学者。広島大学名誉教授。 1923年、東京府に生まれ、埼玉県に育った。東京文理科大学漢文学科を卒業。卒業後は、北海道教育大学講師に就いた。当初は詩経の研究をテーマとし、その後中国古典詩の研究を進めた。 1968年、学位論文『漢魏詩の研究』を東京教育大学に提出して文学博士号を取得。東京教育大学助教授。1976年、広島大学総合科学部教授となった。それまでの「文学部」から「総合科学部」勤務となったことから、より広い視点で中国文学をとらえ、中国詩学を考察するようになった。1987年に広島大学を定年退官し、名誉教授となった。
もっと読む
高橋 良平(たかはし りょうへい、1923年8月10日-19… 高橋 良平(たかはし りょうへい、1923年8月10日-1997年6月15日)は、日本の地球科学者。専門は石炭地質学。福岡県太宰府市生まれ。 旧制福岡県立福岡中学校をへて、1946年に九州帝国大学理学部地質学科を卒業。同年、麻生鉱業株式会社に入社。1952年に九州大学理学部地質学教室石炭地質学講座の講師になり、翌年同助教授に昇任し、松下久道教授を補佐して石炭地質学の教育と研究の発展につくした。1960年九州大学より理学博士の学位を取得。論文の表題は「Die Beziehung zwischen der Inkohlung und der geologischen Struktur in Nord-Kyushu Kohlenbecken.」。
もっと読む
上野 英信(うえの えいしん、本名:上野鋭之進、1923年(… 上野 英信(うえの えいしん、本名:上野鋭之進、1923年(大正12年)8月7日 - 1987年(昭和62年)11月21日)記録文学作家。「時間を惜しむな、金を惜しむな、命を惜しむな」という姿勢を貫き、炭鉱労働者の生きざまを描き続けた。 山口県吉敷郡井関村(阿知須町)で、父彦一、母ミチの7人兄弟の長男として生まれる。小学校に上がる年に、父の転職により北九州の黒崎に移る。1940年、旧制八幡中学を卒業して満州国建国大学へ進学する。1943年12月1日、学徒出陣により関東軍山砲兵第二十八連隊第五中隊へ入営。1945年8月6日、見習士官として船舶砲兵教導隊第一中隊付の時、広島市宇品において原爆投下に遭遇、被爆する。
もっと読む
司馬 遼太郎(しば りょうたろう、1923年(大正12年)8… 司馬 遼太郎(しば りょうたろう、1923年(大正12年)8月7日 - 1996年(平成8年)2月12日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。
もっと読む
田島 宏(たじま ひろし、1923年8月7日 - 2004年… 田島 宏(たじま ひろし、1923年8月7日 - 2004年2月4日)は、日本のフランス語学者。 東京浅草生まれ。東京外事専門学校卒、1949年京都帝国大学文学部仏文科卒。1951年東京大学大学院(旧制)修了、東京外国語大学講師、助教授、教授。84年定年退官、名誉教授、明治大学教授。1985-89年日本フランス語フランス文学会会長。2000年、勲三等旭日中綬章受章。墓所は多磨霊園。
もっと読む
池田 敏雄(いけだ としお、1923年8月7日 - 1974… 池田 敏雄(いけだ としお、1923年8月7日 - 1974年11月14日)は、日本のエンジニアで、日本のコンピュータ開発のパイオニア。1970年から富士通役員を務め、死後に専務を贈られた。正五位勲三等。 日本の汎用機黄金期を築いた業績から、没後に“富士通の池田敏雄・NECの水野幸男”と双璧として譬えられることも多い。日本のコンピュータ産業の父である。 1923年8月7日、東京の東両国にある薬種商の長男として生まれた。小学校の頃から算数に秀でており、成績は上位だった。近くにあった国技館に通い、相撲も得意としていた。1936年に池田が東京市立第一中学(後の東京都立九段高等学校)に入学すると、背が高かったためバスケットボール部に勧誘された。
もっと読む
宮澤 泰(みやざわ やすし、1923年〈大正12年〉8月5日… 宮澤 泰(みやざわ やすし、1923年〈大正12年〉8月5日 - 2010年〈平成22年〉9月10日)は、日本の外交官。駐西ドイツ大使。位階は従三位。 宮澤裕の三男として生まれる。東京高師附属小(現・筑波大附属小)、武蔵高等学校を経て東京大学法学部政治学科卒業。外務省に入り、西ドイツ公使、1977年2月から欧亜局長、外務省大臣官房審議官を経て、1980年12月から駐アルジェリア大使、1983年4月から駐オーストリア大使、1986年1月から駐西ドイツ大使を歴任。1993年11月、勲二等旭日重光章受勲。2010年死去。死没日付をもって従三位に叙された。 宮澤三兄弟の幼少の頃を知るいとこの和田貞子は「三人はいずれも2歳違いで、とても仲の良い兄弟だった。
もっと読む
平澤 彌一郎(ひらさわ やいちろう、1923年(大正12年)… 平澤 彌一郎(ひらさわ やいちろう、1923年(大正12年)8月5日 - 2002年(平成14年)6月28日)は、日本の運動生理学者(医学博士)。専門は、神経生理学。 長野県諏訪郡下諏訪町生まれ、同県飯田市出身。長野師範学校、旧制東京体育専門学校を経て、東京大学で解剖学、名古屋大学で生理学を学び、1961年に三重県立大学で医学博士の学位を取得。学位論文名は 「接地足蹠面積と直立姿勢の安定についての研究 」。 1949年青山学院大学講師、1956年静岡大学教授、1977年東京工業大学教授/名誉教授、1984年放送大学教授を歴任。 50年間の長きに渡り足の裏について研究を行い、人間のすべての動作基本である直立能力を足の裏から解析する装置・ピドスコープ(「ピド」はラテン語で「足」の意)を開発、スタシオロジー(身体静止学)理論を確立し「足の裏博士」(あしのうらはかせ)として知られる人物である。
もっと読む