曽根 中生(そね ちゅうせい、1937年〈昭和12年〉10月… 曽根 中生(そね ちゅうせい、1937年〈昭和12年〉10月1日 - 2014年〈平成26年〉8月26日)は、日本の映画監督、脚本家。本名:曽根 義忠(よしただ)。 群馬県北群馬郡子持村(現在の渋川市)出身。群馬県立渋川高等学校を経て、東北大学文学部を卒業した1962年に日活に入社。蔵原惟繕、牛原陽一らに師事する。 若松孝二監督の問題作『壁の中の秘事』(1965年)の脚本を担当して注目を集める。 また脚本家集団具流八郎の中心的メンバーとして、鈴木清順監督の日活最後の作品『殺しの烙印』(1967年)の脚本を手がける。 その後、監督デビューと時を同じくして日活がロマンポルノ路線に転じたため、多くのロマンポルノ作品を監督することとなった。
水谷文彦(みずたに ふみひこ、1937年10月1日 - )は… 水谷文彦(みずたに ふみひこ、1937年10月1日 - )は日本の大蔵官僚。血液型はA型。沖縄開発事務次官、住宅・都市整備公団副総裁、(株)新都市情報システム社長、独立行政法人通関情報処理センター理事長などを歴任。神奈川県横浜市青葉区美しが丘西3丁目在住。 岐阜県本巣郡出身。岐阜県立本巣高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。東大法学部第2類在学中に国家公務員上級甲種試験(法律)を合格。1960年 大蔵省入省(主計局総務課)。入省同期に伊吹文明、篠沢恭助、千野忠男ら。 1966年 武雄税務署長。1975年7月 熊本県企画開発部長。1983年6月 理財局資金第一課長。1984年6月 理財局総務課長。
江頭 邦雄(えがしら くにお、1937年10月1日 - 20… 江頭 邦雄(えがしら くにお、1937年10月1日 - 2008年4月7日)は、日本の実業家。味の素代表取締役社長・会長、経団連副会長、日本冷凍食品協会会長等を務めた。 長崎県佐世保市出身。長崎県立佐世保北高等学校卒業後、2年間の大学浪人生活を経て、一橋大学に入学。1962年同大学卒業。同年に味の素に入社。 1987年味の素取締役に就任、1997年に社長に就任、2005年に会長就任。味の素冷凍食品の分社化、油事業の分社化及びホーネンコーポレーションとの経営統合によるJ-オイルミルズ設立などを行う一方、ネスレやユニリーバなどと伍していくため世界中で積極的にM&Aを進めた。2003年欧州味の素食品設立。
定松 正(さだまつ ただし、1937年10月1日 - )は、… 定松 正(さだまつ ただし、1937年10月1日 - )は、英語児童文学研究者。共立女子大学名誉教授。 佐賀県生まれ。1960年青山学院大学文学部英文科卒、エクセター大学教育学部大学院ディプロマ・コース留学。玉川大学助教授、教授、共立女子大学学芸学部教授、2008年定年退任、名誉教授。英米児童文学、英国文化専攻。
松行 康夫(まつゆき やすお、1937年10月1日 - )は… 松行 康夫(まつゆき やすお、1937年10月1日 - )は、日本の経営学者。学術博士(慶應義塾大学・論文博士・1985年)。東洋大学名誉教授。 福岡県北九州市出身。1962年電気通信大学通信経営学科卒、1967年国際基督教大学大学院修士課程修了、1985年「地域計量経済モデルによる地方自治経営制御政策に関する研究 近郊都市としての三鷹市の事例研究」で学術博士(慶應義塾大学)の学位を取得。1967年国際基督教大学助手、1969年東京農工大学講師、1970年助教授、1990年教授、1991年東洋大学経営学部教授。2008年定年、名誉教授。
五木田 武信(ごきた たけのぶ、1937年10月1日 - 2… 五木田 武信(ごきた たけのぶ、1937年10月1日 - 2008年8月)は、日本のアナウンサー。NHKを経て民放でフリーアナウンサーとして活動した。TBSによる大物アナウンサーの引き抜きの草分け的存在である。 東京府(現在の東京都)出身。明治大学商学部卒業後の1960年、NHKにアナウンサーとして入職した。報道番組を中心に出演したが、NHKのど自慢の司会者を担当していたこともあった。 1972年にNHKを退職し、フリーアナウンサーに転向すると共に自らの事務所であるオフィスキャラバンを立ち上げる。 1970年代後半に一世を風靡したTBSの朝番組「おはよう720」・「おはよう700」でキャスターを務め、見城美枝子とともに人気を博す。
鈴木 孝之(すずき たかゆき、1937年10月1日 - 20… 鈴木 孝之(すずき たかゆき、1937年10月1日 - 2014年3月13日)は日本の実業家、薬剤師。ウエルシアホールディングス株式会社創業者で、同社初代代表取締役会長を務めた。 茨城県猿島郡境町出身。明治薬科大学を卒業した。 1965年(昭和40年)に埼玉県春日部市で1号店「一の割薬局」を開業した。続いて2号店「鈴木ファーマスィ」を出店し、1968年10月には有限会社鈴木ファーマスィに改組した。当時は薬局の新規出店を規制する「適正配置条例」があり自由に出店できなかった時代であった。 1995年にグリーンクロスを設立した。調剤併設の薬局として成功し、M&Aを繰り返して業容を拡大した。 2002年には池野隆光率いるトップと合併し、店舗名をウエルシアに改称した。
山田政美(やまだ まさよし、1937年10月- )は、日本の… 山田政美(やまだ まさよし、1937年10月- )は、日本の英語学者、島根大学名誉教授。1959年島根大学教育学部英語科卒業、78年カンザス大学大学院教育学研究科修士課程修了。島根大学教育学部助教授、教授、2000年定年退官、名誉教授、島根県立大学教授、07年退職。
松浦 晃一郎(まつうら こういちろう、1937年9月29日 … 松浦 晃一郎(まつうら こういちろう、1937年9月29日 - )は、日本の外交官、国連職員。公益財団法人日仏会館理事長、一般社団法人アフリカ協会会長、一般財団法人日本ウズベキスタン・シルクロード財団評議員、株式会社パソナグループ監査役、中国人民大学名誉教授、東邦音楽大学パフォーマンス総合芸術文化専攻客員教授。 過去に、駐フランス共和国特命全権大使やユネスコ(国際連合教育科学文化機関)第8代事務局長を務めた。山口県佐波郡島地村(後の徳地町、今の山口市)出身。 三井生命保険(現大樹生命保険)勤務の父親誠一と山口市の造り酒屋「松屋」の娘だった母清子の子として東京府荏原区(現東京都品川区)で生まれ、父の生地である島地村で幼少を過ごす。
杉原 一昭(すぎはら かずあき、1937年9月29日 - 2… 杉原 一昭(すぎはら かずあき、1937年9月29日 - 2008年6月9日)は、日本の教育心理学者。 福島県生まれ。1961年東京教育大学心理学科卒業、1966年には同大学院博士課程教育心理学専攻単位取得退学、横浜国立大学教育学部講師、助教授。1977年筑波大学心理学系助教授、1984年「論理的思考における構造の発達に関する研究」で教育学博士、同年教授。2001年定年退官、名誉教授、東京成徳大学心理学研究科科長。現代の子供は現実感覚を失っているとしてこれを「不思議の国のアリス」になぞらえ「アリス・シンドローム」と名づけた。 2008年6月9日、癌のため死去。
不破 孝一(ふわ こういち、1937年(昭和12年)9月29… 不破 孝一(ふわ こういち、1937年(昭和12年)9月29日 - 2012年(平成24年)2月6日)は日本の新聞記者、実業家。元BS日本社長。 1937年(昭和12年)9月29日、東京都に生まれる。法政大学経済学部を卒業後、1964年(昭和37年)に読売新聞社に入社する。1990年(平成2年)に世論調査部長、1992年(平成4年)に政治部長、1993年(平成5年)に編集局次長、1995年(平成7年)にメディア企画局長、1998年(平成10年)に取締役BS放送担当を経て、BS日本専務に就任し、2009年(平成21年)に社長に就任する。
小岸 昭(こぎし あきら、1937年9月28日 - 2022… 小岸 昭(こぎし あきら、1937年9月28日 - 2022年8月23日)は、ドイツ文学者、京都大学名誉教授。 北海道生まれ。1963年京都大学大学院独文科修士課程修了。京都大学教養部助教授、同総合人間学部教授、2001年に定年退官、名誉教授。 1965年、日本ゲーテ賞受賞。1966年 - 1968年にフランクフルト大学へ留学。ユダヤ思想研究を軸として、スペイン、ポルトガル、インド、イスラエル、ブラジル、中国などを旅し、ディアスポラ・ユダヤ人の足跡を追究した。1995年、「日本・ユダヤ文化研究会」創設(神戸市)。京大を退官後は故郷の北海道に帰り、「ブレーメン館」を創設して、雑誌を発行し、講演の会と映画の上演をプロモートして、地域文化のために活動した。
小沢 正(おざわ ただし、1937年9月27日 - 2008… 小沢 正(おざわ ただし、1937年9月27日 - 2008年4月)は、日本の児童文学作家。 東京府出身。早稲田大学教育学部卒業。在学中に早大童話会から改名したばかりの少年文学会に所属。同会の山元護久と同人団体「ぷぅの会」を立ち上げる。 1965年に7本のシリーズ読み切りを収録した初書籍『目をさませトラゴロウ』を出版。パワーあふれるブラックユーモアで出世作となり、翌1966年のNHK児童文学奨励賞を受賞。 享年70歳。2008年8月、調布市文化会館たづくりにて「小沢正さんを偲ぶ会」が開かれた。 擬人化された動物を描いた作品、特に動物でありながら洋服を着て、家やビルの建つ現代社会で人間のように生活している設定の作品が多い。
みや こうせい(1937年9月26日 - )は、日本の写真家… みや こうせい(1937年9月26日 - )は、日本の写真家、エッセイスト。 岩手県盛岡市出身。本名は宮暠成。岩手県立盛岡第一高等学校卒業。ルーマニアを題材とした批評、ルポ、ノンフィクション、翻訳など幅広く活動する。 1998年、ルーマニア文化功労賞受賞。
前田 一郎(まえだ いちろう、1937年9月26日 - )は… 前田 一郎(まえだ いちろう、1937年9月26日 - )は、政治評論家・元NHK解説委員。 和歌山県和歌山市出身。和歌山県立向陽高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。 1960年NHK入局。政治部次長、解説委員を経て、1996年退職に伴い部外解説委員に就任。その後部外解説委員を外れ、政治評論家となる。
合馬 敬(おうま けい、1937年9月26日 - )は、日本… 合馬 敬(おうま けい、1937年9月26日 - )は、日本の官僚・政治家、元自由民主党参議院議員(1期)。 福岡県出身。1960年、東京大学法学部第2類(公法コース)卒。同年農林省(現在の農林水産省)入省。1988年、農水省構造改善局計画部長を最後に退官。1989年には、福田幸弘の死去に伴い実施された参院福岡補選に自民党から立候補したが、リクルート事件や消費税導入による逆風を受け、社会党の渕上貞雄に敗れて落選。同年の第15回参議院議員通常選挙で当選した。1995年の第17回参議院議員通常選挙では、福岡県選挙区の改選数が3から2に削減されたため自民党は公認候補を合馬1人に絞ったものの、無所属として立候補した元自民党の重富吉之助と支持層を食い合い、2人とも落選した(重富が3位、合馬が4位)。
上野 矗(うえの ひとし、1937年9月26日 - 2022… 上野 矗(うえの ひとし、1937年9月26日 - 2022年6月13日)は、日本の心理学者。大阪教育大学名誉教授。 長野県長野市出身。東北大学文学部心理学科卒業、1967年、同大学院文学研究科心理学専攻博士課程単位取得退学、白梅学園短期大学講師。1969年、弘前大学養護教諭養成所助教授。1973年、大阪教育大学助教授。1983年、教授。1992年「病気との和解実現の方途を探って-体験学習におけるグループ受容体験をモデルとして」で久留米大学医学博士。2003年定年退官、名誉教授、大阪樟蔭女子大学教授。2008年退職。2017年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
江口 一雄(えぐち かずお、1937年(昭和12年)9月25… 江口 一雄(えぐち かずお、1937年(昭和12年)9月25日 - 2014年(平成26年)11月27日)は、日本の政治家、教育者。衆議院議員(当選3回)。自民党副幹事長、防衛政務次官、運輸政務次官、衆議院厚生委員長、自民党商工部会長、学校法人八千代松陰学園理事長(事実上の創立者、創業者)、千葉県神社総代会長、日本会議千葉会長などを歴任。 千葉県印旛郡阿蘇村字村上(現・八千代市)出身。1945年4月1日父の義勇が太平洋戦争でフィリピンのルソン島にて戦死。千葉県立佐倉第一高等学校卒業。千葉大学園芸別科修了。 1974年5月、千葉県議会議員補欠選挙に立候補して初当選し、その後4期務める。 1978年、山口久太に約1万5千坪の土地を無償提供し、八千代松陰高等学校創立に尽力。
小谷 誠(こたに まこと、1937年9月25日 - ) は、… 小谷 誠(こたに まこと、1937年9月25日 - ) は、日本の医用生体工学者。元東京電機大学学長。元日本生体磁気学会会長。元日本生体医工学会副会長。 高知県で農家の次男として生まれる。1956年高知県立中村高等学校卒業。1961年東京電機大学工学部電気通信科卒業。1964年東京電機大学大学院工学研究科修士課程修了。1973年東京電機大学工学博士。1975年マサチューセッツ工科大学客員研究員。1977年東京電機大学工学部教授。1995年東京電機大学工学部第一部長、学校法人東京電機大学理事。1997年日本生体磁気学会会長。 1998年東京電機大学学長。2005年理研計器株式会社監査役。2007年学校法人東京電機大学理事。
反畑 誠一(たんばた せいいち、1937年9月24日 - )… 反畑 誠一(たんばた せいいち、1937年9月24日 - )は、日本の音楽評論家。上智大学文学部新聞学科卒業。「週刊女性」副編集長を経て、1983年より音楽評論活動に専従。歌謡曲を中心にジャンルを超えて幅広い視野で、新聞や雑誌、ラジオを通じて評論活動を展開。また40年余間、日本人アーティストのアジア公演に同行取材を続ける傍ら、(財)音楽産業・文化振興財団(PROMIC)の調査団員として、アジア各国の音楽産業事情の研究・分析も継続中。2014年、それら音楽文化活動の集大成とも言える、JASRAC創立75周年記念として出版された「うたのチカラ」(2014年11月刊:集英社)では、昭和から平成に至るまでの日本の「うた」を生み出してきた人・時代・現場を400ページに渡ってまとめあげ、その編纂、監修を務めている。
若三杉 彰晃(わかみすぎ あきてる、1937年(昭和12年)… 若三杉 彰晃(わかみすぎ あきてる、1937年(昭和12年)9月24日 - 1983年(昭和58年)11月2日)は、香川県丸亀市土居町出身で花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は杉山 昇(すぎやま のぼる)。最高位は東関脇(1963年(昭和38年)5月場所、同年7月場所など)。現役時代の体格は188cm、133kg。得意手は左四つ、寄り、上手投げ。若乃花幹士 (初代)の義弟であり、貴ノ花利彰の義兄である。 香川県立丸亀高等学校では柔道部に所属していたが、花籠親方(元前頭3・大ノ海)に勧誘され、高校を2年で中退して花籠部屋へ入門。1955年(昭和30年)3月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名と同じ「杉山」。
宮城 公子(みやぎ きみこ、1937年(昭和12年)9月23… 宮城 公子(みやぎ きみこ、1937年(昭和12年)9月23日 - )は、日本の歴史学者。元甲南大学教授。専門は日本史・近世近代の日本思想史。史学研究会、日本史研究会、歴史学研究会などに所属した。大塩平八郎の研究で知られる。 なお、沖縄大学名誉教授の宮城公子(比較文学・日本近代文学・沖縄文学)は同名異人である。 京都市右京区生まれ。1956年京都府立桂高等学校卒業。1960年京都大学文学部(史学科国史学専攻)卒業。1966年同大学院文学研究科国史学専攻博士課程単位取得満期退学。同年京都府立総合資料館勤務。1972年より京都大学文学部助手、四天王寺女子大学文学部助教授、甲南大学文学部助教授を経て、1984年に同大教授。
柘植 元一(つげ げんいち、1937年9月23日 - )は、… 柘植 元一(つげ げんいち、1937年9月23日 - )は、日本の音楽学者、東京藝術大学名誉教授。東洋音楽学会会長、国際伝統音楽学会(ICTM)理事。 愛知県生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、1963年同専攻科修了、ウェズリアン大学大学院民族音楽学博士課程修了、音楽学博士。ウェズリアン大学助教授、国立音楽大学助教授、教授、東京藝術大学教授、2001年名誉教授。
本所 次郎(ほんしょ じろう、1937年(昭和12年)9月2… 本所 次郎(ほんしょ じろう、1937年(昭和12年)9月23日 - 2012年(平成24年)11月2日)は、日本の小説家、ジャーナリスト。 東京・下町の本所生まれ。ペンネームはそれに由来する。明治学院大学英文科卒。 中学、高校、大学に進んでからも新聞配達を続けたのは、苦学生だったせいもあるが、新聞が好きだったことも理由の一つだった。 大学卒業後、日刊工業新聞社に入社。経済部記者、とくに運輸省記者クラブの担当が長く、その経験がジャパンラインを扱った『転覆』(1982年、講談社文庫)やロッキード事件を主題とした『暴かれた航空機商戦』(1983年、講談社)などの作品を生んだ。記者時代には、多くの企業人の知己を得たが、中でも有吉義弥(日本郵船)、若狭得治(全日空)、田中勇(東急)の3人にぞっこんに惚れ込んだという。
福井 爽人 (ふくい さわと、1937年9月20日 - )は… 福井 爽人 (ふくい さわと、1937年9月20日 - )は、日本画家。平山郁夫門下。北海道旭川市生まれ、小樽市育ち。 旭川市新町で福井貞一・チエの長男として生まれる。1939年より小樽市潮見台、1954年より琴似町字東牧場に住む。 北海道小樽潮陵高等学校から北海道札幌北高等学校に転入して卒業後、日本大学芸術学部に進学するが、東京芸術大学助手だった平山郁夫との出会いから芸大進学を決意。1961年に東京芸術大学美術学部日本画専攻に進学。芸大時代はボクシング部に所属するなどスポーツマンだった。同大学院修士課程修了後、芸大助手となり法隆寺金堂壁画再現模写に参加。1973年、イタリア初期ルネサンス壁画調査団員として初渡欧。
野呂 邦暢(のろ くにのぶ、1937年9月20日 - 198… 野呂 邦暢(のろ くにのぶ、1937年9月20日 - 1980年5月7日)は、日本の小説家。芥川賞作家。長崎県長崎市出身。本名は納所邦暢(のうしょ くにのぶ)。自らの自衛隊体験や、戦後住んだ諫早市を舞台にした小説・随筆を数多く残した。 長崎市岩川町に土建業を営む両親のもとに、6人兄弟の次男として生まれる。1945年銭座国民学校2年の時に父が応召したため、母の実家で祖母と叔父の住む諫早市に疎開。長崎の原爆投下を目撃、この被害により長崎市に残した家財一切を失い、戦後も諫早に住む。1950年北諫早中学校に入学。1952年15歳の頃から太平洋戦争の戦記を蒐集し始める。1953年諫早高校に入学し、美術部に入部、文学や芸術一般に興味を持つ。
山本 文男(やまもと ふみお、1937年9月20日 - )は… 山本 文男(やまもと ふみお、1937年9月20日 - )は、広島県広島市観音(現西区観音)出身のプロ野球選手、プロ野球審判員で、元セントラル・リーグ審判部長。審判員袖番号は28(1988年初採用から1996年引退まで、2001年以降牧田匡平がつけている。)。
成井 惠子(なるい しげこ、1937年9月20日 - )は、… 成井 惠子(なるい しげこ、1937年9月20日 - )は、日本の俳人、図書館学者、文芸評論家。 茨城県生まれ。文部省図書館職員養成所卒。日本原子力研究所技術情報部勤務。1988年茨城女子短期大学助教授、2007年准教授。2008年定年退職。1987年現代俳句評論賞受賞。長塚節文学賞選考委員。
木戸 美摸(きど よしのり、1937年9月18日 - 202… 木戸 美摸(きど よしのり、1937年9月18日 - 2023年12月25日)は、兵庫県加古川市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督。 兵庫農業短期大学附属高等学校を経て、1955年に読売ジャイアンツへ入団。 2年目の1956年に一軍初登板で3勝を挙げるが、5月20日にで開催された広島戦(広島総合)で巨人に3連敗してイライラしていた熱狂的な広島ファンがスタンドからビール瓶などを投げ込み、マウンドからベンチへ引き上げようとしていた木戸の右足にビール瓶が命中し、膝下を2針縫う負傷をした。 3年目の1957年には17勝7敗で新人の藤田元司と並んでチームの勝ち頭になると共に勝率.708で最高勝率のタイトルを獲得し、防御率2.36でリーグ6位に入った。
富盛 菊枝(とみもり きくえ、1937年9月18日- )は、… 富盛 菊枝(とみもり きくえ、1937年9月18日- )は、日本の児童文学作家。 北海道室蘭市生まれ。本姓・杉山。日本女子大学家政学部児童学科卒。20代から創作を始める。吉行淳之介『暗室』のモデルの一人・高山勝美とは同級生。
与 勇輝(あたえ ゆうき、1937年9月17日 - )は、日… 与 勇輝(あたえ ゆうき、1937年9月17日 - )は、日本の人形作家。神奈川県川崎市出身。両親は奄美群島に属する与路島の出身。黒柳徹子の番組「徹子の部屋」のセットに使われている妖精の人形で知られる。 人形創作を始めた当初より、着物や洋服の襞にこだわり、木綿の古布を主に使用している。人形の持ち物、付属品に至るまで全て、本人自身の手で作られている。 日本の原風景を思わせるようなノスタルジックな雰囲気を持ち、表情豊かな、柔らかみのある表現が特徴。
中本 逸郎(なかもと いつろう、1937年9月17日 - … 中本 逸郎(なかもと いつろう、1937年9月17日 - 2023年2月24日)は、日本のテレビプロデューサー、実業家。サンケイビル社長を務めた。東京都出身。 1961年に東京大学文学部経済学科を卒業し、同年にフジテレビジョンに入社した。 フジテレビでは制作部門に所属し、『大空港』などの作品を手掛けた。 1991年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務、1999年6月に専務を歴任。 1998年6月にサンケイビル監査役に就任し、2000年6月には社長に就任。 2009年6月から2012年6月までに会長を務めた。2001年6月から2012年6月までに産業経済新聞社監査役も務めた。 1フジテレビジョン、ニッポン放送、ポニーキャニオンなどを傘下に持つフジサンケイグループを統括する認定放送持株会社。
中林 忠良(なかばやし ただよし、1937年(昭和12年)9… 中林 忠良(なかばやし ただよし、1937年(昭和12年)9月17日 - )は、日本版画界を代表する版画家の1人。東京芸術大学名誉教授、紫綬褒章・瑞宝中綬章受章。日本における銅版画の第一人者。 銅版の腐蝕と自分を含めた全てのものの腐蝕を重ね合わせ、「すべて腐ちないものはない」という思想のもとに、白と黒を基調とする銅版腐蝕版画(エッチング)による製作を続けている。 1937年 東京・品川区大井山中町に産まれる。1941年江東区に、1943年品川区に、1944年目黒区に転居。目黒区立中目黒小学校入学直後に、新潟県蒲原郡加茂町(現加茂市に戦時児童疎開。4年間を過ごす。この少年時代の疎開生活は、のちの作品に影響をあたえた。
奈良 明彦(なら あきひこ、1937年(昭和12年)9月16… 奈良 明彦(なら あきひこ、1937年(昭和12年)9月16日 - )は、日本の政治家、元山梨県上野原市長(1期)。 山梨県出身。東京薬科大学薬学部卒。地元で薬局を経営し、その後、大和開発興業を設立し、社長となる。上野原町議会議員を経て、山梨県議会議員(自民党)となり、上野原町長となる。上野原町は隣接の秋山村と合併し、2005年に上野原市が発足、合併後の市長選挙に立候補し、当選する。市長を1期務め、2009年に退任した。
平野 健一郎(ひらの けんいちろう、1937年9月15日 -… 平野 健一郎(ひらの けんいちろう、1937年9月15日 - )は、日本の政治学者、東京大学教養学部名誉教授、元早稲田大学政治経済学部教授。専門は、国際関係論、国際関係史、国際文化論。
西川 祐子(にしかわ ゆうこ、1937年〈昭和12年〉9月1… 西川 祐子(にしかわ ゆうこ、1937年〈昭和12年〉9月15日 - 2024年〈令和6年〉6月12日)は、日本のフランス文学者・女性学者、京都文教大学名誉教授。父は医師・作家・医史学研究家の阿知波五郎。夫は立命館大学名誉教授の西川長夫。 東京生まれ、京都育ち。京都大学大学院仏文科修士課程修了、パリ大学で文学博士の学位を取得、帝塚山学院大学助教授を務めていた1972年、大阪大学教養部のフランス語の公募に応募し、決まったと知らせがあったが、その後2年間放置され、ついに阪大を提訴し、勝訴したが職には就かず、長く非常勤講師をしたのち、京都文教大学文化人類学科教授、人間学研究所所長を2008年まで務めた。
池上 洵一(いけがみ じゅんいち、1937年9月15日 - … 池上 洵一(いけがみ じゅんいち、1937年9月15日 - )は、日本の国文学者。神戸大学名誉教授。 岡山県津山市生まれ。1960年、神戸大学文学部卒業。1966年東京大学大学院博士課程単位修得中退。 同年熊本大学に勤務、1973年静岡女子大学助教授、のち神戸大学文学部教授に就任。2001年同大学を退官し名誉教授となる。2002年に「説話と記録の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。 永積安明の研究を継ぎ、『今昔物語集』『三国伝記』を専門とする。校訂、著作が多数あり、著作集が刊行されている。
中野重人(なかの しげと、1937年9月15日 - )は、日… 中野重人(なかの しげと、1937年9月15日 - )は、日本の文部官僚、教育学者。 鹿児島県生まれ。広島大学教育学部公立小中学校教員養成課程卒。公立中学校教員、1969年広島大大学院修士課程修了、宮崎大学教育学部講師、助教授を経て、1979年文部省教科調査官となる。1989年の学習指導要領の改訂に従事し、小学校低学年に生活科が新設されたことに伴い、初代の生活科担当の教科調査官となる。91年文部省視学官、95年国立教育研究所教科教育研究部長、2000年日本体育大学教授。2008年退任。ゆとり教育の推進・擁護者でもある。
藤 洋作(ふじ ようさく、1937年〈昭和12年〉9月14日… 藤 洋作(ふじ ようさく、1937年〈昭和12年〉9月14日 - )は、日本の経営者。関西電力元代表取締役社長。電気事業連合会元会長。元原子力発電環境整備機構(NUMO)副理事長。2022年(令和4年)12月現在、株式会社原子力安全システム研究所取締役会長である。 大阪府出身。国立大阪教育大学附属池田小学校・同附属池田中学校を経て、大阪府立北野高等学校卒業。 1960年(昭和35年)3月に京都大学工学部電気工学科を卒業し、同年4月関西電力株式会社に入社。1989年(平成元年)6月に支配人。1993年6月に取締役。1997年6月、専務取締役。1999年6月に代表取締役副社長となり、2001年6月、石川博志の後任の代表取締役社長に就任した。
大囿 純也(おおぞの すみや、1937年9月13日 - )は… 大囿 純也(おおぞの すみや、1937年9月13日 - )は、日本のジャーナリスト、新聞経営者。南日本新聞社社長を務めた。 鹿児島県出身。1960年に九州大学文学部を卒業し、南日本新聞社に入社。1993年12月に取締役に就任し、1995年12月に専務を経て、1999年12月から2003年12月までに社長を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
小中 英之(こなか ひでゆき、1937年9月12日 - 20… 小中 英之(こなか ひでゆき、1937年9月12日 - 2001年11月21日)は、歌人。 海軍士官だった父の勤務地・京都府舞鶴市に生まれる。戦後は海上保安庁に勤めた父に従って小樽市、釧路市、江差町と移り住む。北海道江差高等学校卒業後、上京して文化学院文科に入学するも中退。1955年の春より、詩人・俳人の安東次男に師事。1961年、歌誌「短歌人」に入会。斎藤史を慕っての入会だったが、歌誌「原型」を創刊して脱会した動きには同調しなかった。 若くから結核などの病に苦しみ、死と背中合わせの日常の中で作歌を続けた。生前には二冊の歌集しか残さず、歌壇的な交流も少ない孤高の歌人であった。1997年から2000年まで、角川短歌賞選考委員を務めた。
藤田 博司(ふじた ひろし、1937年9月12日 - 201… 藤田 博司(ふじた ひろし、1937年9月12日 - 2014年10月5日)は、日本のジャーナリスト。 香川県生まれ。1961年東京外国語大学英米科卒、共同通信社入社。 外国駐在特派員としてサイゴン支局(南ベトナム)、ニューヨーク支局(アメリカ合衆国)で取材活動を行い、またニューヨーク支局長とワシントン支局長をそれぞれ務めた。また、共同通信本社では外信部次長、論説委員、論説副委員長を務めている。 1995年に上智大学文学部新聞学科教授に就任し、2005年に退任した。 妻は藤田文子・津田塾大学名誉教授。 2014年10月5日、急性心不全により死去。77歳没。
是枝 伸彦(これえだ のぶひこ、1937年9月11日 - )… 是枝 伸彦(これえだ のぶひこ、1937年9月11日 - )は、日本の実業家。ミロク情報サービス創業者で、同社代表取締役会長取締役会議長。元テレコムサービス協会会長。後任の代表取締役社長に就任した是枝周樹は長男。 鹿児島県甑島列島の薩摩郡下甑村(現薩摩川内市)で万屋の子として生まれる。長浜国民学校、長浜中学校を経て、鹿児島市に下宿し、1956年鹿児島県立甲南高等学校卒業。1960年中央大学法学部政治学科卒業。 映画監督になろうと考え松竹や日活の助監督採用試験を受けたが落ち、大学卒業後は東京オフィスマシンに入社。1977年ミロク情報サービス設立。1980年同社代表取締役社長就任。1992年同社代表取締役会長兼社長。
伊藤 友乃(いとう ともの、1937年9月11日 - )は、… 伊藤 友乃(いとう ともの、1937年9月11日 - )は、巣山プロダクション所属の日本の女優。愛知県豊橋市出身。身長158 cm。趣味はピアノ、旅行、音楽。特技はピアノ、三味線、歌。愛知県立豊橋東高等学校卒業。かつては中部日本放送放送劇団、実プロに所属していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
西條 遊児(さいじょう ゆうじ、1937年〈昭和12年〉9月… 西條 遊児(さいじょう ゆうじ、1937年〈昭和12年〉9月10日 - 2018年〈平成30年〉2月12日)は、日本の漫才師・タレント。本名:河内 武夫(かわち たけお)。漫談家の西条凡児の息子で、弟の西條笑児とコンビを組んだ。自身の出身地・兵庫県の地元放送局であるラジオ関西、サンテレビに多く出演した。 神戸市兵庫区出身。関西学院大学法学部卒業後、父・凡児の「秘書兼見習い」として芸能界に入り、1966年に弟とコンビ「西條遊児・笑児」を結成し漫才師デビュー。漫才のかたわら、弟ともにテレビ司会者、ラジオパーソナリティとして数々の番組に出演し、兵庫県内のお茶の間に親しまれた。 2018年2月12日、レギュラーコメンテーターを務めていたラジオ関西の生番組『三上公也の情報アサイチ!』のスタジオに姿を見せず、関係者と連絡が取れなくなった。
寺澤 晴男(てらさわ はるお、1937年(昭和12年)9月1… 寺澤 晴男(てらさわ はるお、1937年(昭和12年)9月10日 - )は、日本の政治家である。東京都三宅村長を務めた。 三宅島の三宅村に生まれる。國學院大學卒業後に東京都区部内の中学校教師として活動していた。その後は故郷に帰り軽食店の経営を経て、1980年(昭和55年)に三宅村議会議員として活動した。1984年(昭和59年)に開催された村長選挙にて当選し、同年11月28日に就任した。 就任以降は2期務め三宅島にてアメリカ陸軍の艦載機の離発着訓練による飛行場の建設計画がされていたが、1989年(平成元年)に非核平和宣言により反対運動のリーダーにあたった。1990年(平成2年)に辞任後は、2004年(平成16年)に再度村議会議員となった。
小西 秀朗(こにし ひでろう、1937年9月8日 - 202… 小西 秀朗(こにし ひでろう、1937年9月8日 - 2020年1月13日)は、秋田県出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。 秋田高校では1954年、2年生の時にエース青山伍(大映スターズ)を擁し、四番打者、右翼手として第36回全国高等学校野球選手権大会に出場。2回戦(初戦)で恵川康太郎のいた三原高に敗退。青山以外のチームメートに高橋捷郎(慶大-東洋レーヨン)がいた。同年の秋季奥羽大会県予選も決勝に進むが、エース嵯峨健四郎を擁する秋田商に惜敗。翌1955年夏は奥羽大会1回戦で岩手高に敗れ、甲子園には出場できなかった。 高校卒業後は立教大学に進む。東京六大学野球リーグでは5度の優勝を経験。4年時の1959年秋季リーグで優勝に貢献し、自身もベストナイン(外野手)に選ばれている。
木村 操(きむら みさお、1937年(昭和12年)9月7日 … 木村 操(きむら みさお、1937年(昭和12年)9月7日 - 2020年(令和2年)2月8日)は、日本の官僚。元名古屋鉄道会長。香川県出身。
浦井 正明(うらい しょうみょう、1937年9月7日 - 2… 浦井 正明(うらい しょうみょう、1937年9月7日 - 2025年3月6日)は、東叡山寛永寺貫主。天台宗僧侶。 東京生まれ。1961年慶應義塾大学文学部史学科卒業。東叡山現龍院前住職。寛永寺執事長、台東区教育委員会委員長、台東区文化財保護審議会委員等を歴任。2020年第32世東叡山輪王寺門跡門主・寛永寺貫主に就任。 東京大学で東洋史を研究していた年の離れた兄の影響を受け、江戸時代の歴史、特に天海をライフワークにする。 2025年3月6日死去。87歳没。
中島 康典(なかじま やすのり、1937年9月7日 - )日… 中島 康典(なかじま やすのり、1937年9月7日 - )日本の経営学者。専門は不動産学。専門分野は、土地評価論、資産評価論。不動産鑑定士。元明治大学教授。日本不動産研究所顧問。東京出身 1961年、慶應義塾大学経済学部卒業。1963年、慶應義塾大学法学部卒業。財団法人日本不動産研究所入所。1972年、同システム開発部鑑定役。1990年、同システム開発部長。1992年、同理事。1995年、財団法人土地情報センター理事。1998年、財団法人日本不動産研究所理事・研究部長。1999年、同常務理事。1999年11月に日本不動産学会実務著作賞受賞。2001年、日本大学工学部建築学科客員講師(不動産鑑定評価論担当)。