河村 元雄(かわむら もとお、1928年8月20日 - 20… 河村 元雄(かわむら もとお、1928年8月20日 - 2017年3月31日)は、日本の経営者。住友倉庫社長、会長を務めた。 愛媛県出身。1954年に東京大学法学部を卒業し、同年に住友倉庫に入社した。1982年6月に取締役に就任し、1983年12月に常務を経て、1987年6月に社長に就任し、1994年6月には会長に就任した。2004年6月に取締役相談役に就任し、2005年6月には相談役に就任した。 1992年11月に藍綬褒章を受章し、1998年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2017年3月31日、老衰のために死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
太田 愛人(おおた あいと、1928年8月20日 - )は、… 太田 愛人(おおた あいと、1928年8月20日 - )は、日本の牧師。 岩手県盛岡市生まれ。盛岡中学を経て、東京神学大学大学院修士課程修了。日本キリスト教団大町教会牧師、柏原信濃村伝道所牧師を経て、横浜上星川教会牧師。月刊通信誌「辺境通信」発行人。1980年『羊飼の食卓』で日本エッセイストクラブ賞受賞。
後藤 幸男(ごとう ゆきお、1928年8月20日 - 202… 後藤 幸男(ごとう ゆきお、1928年8月20日 - 2024年1月15日)は、日本の経営学者。経営学博士(神戸大学・論文博士・1968年)。神戸商科大学名誉教授・元学長。2006年瑞宝中綬章受章。 愛知県一宮市生まれ。名古屋大学経済学部卒業。1954年同大学院修了、名古屋大学助手、1957年神戸商科大学講師、1959年助教授、1965年教授、1968年「企業の投資決定論」で経営学博士(神戸大学)の学位を取得。1986年学長。1990年定年退任、名誉教授、追手門学院大学経営学部教授。2001年日本経営財務研究学会会長。2006年瑞宝中綬章受章。
岡部 英男(おかべ ひでお、1928年8月20日 - 202… 岡部 英男(おかべ ひでお、1928年8月20日 - 2020年2月4日)は、日本の政治家。位階は正五位。 茨城県議会議員(7期)、茨城県議会議長、衆議院議員(1期)を歴任。自由民主党所属。 茨城県出身。1951年に法政大学工学部卒業。茨城県議を7期務め、1985年に議長に就任した。1998年2月、塚原俊平の死去に伴う衆議院茨城5区の補欠選挙で当選した。2000年の第42回衆議院議員総選挙では、民主党の大畠章宏に敗れて落選した。2014年、旭日中綬章受章。 2020年2月4日、肺炎のため死去。91歳没。死没日をもって正五位に叙される。
島田 修二(しまだ しゅうじ、昭和3年(1928年)8月19… 島田 修二(しまだ しゅうじ、昭和3年(1928年)8月19日 - 平成16年(2004年)9月12日)は、日本の歌人。洋画家で文化功労者の島田章三は実弟。 神奈川県横須賀市大津出身。父英之は浦賀船渠の客船インテリアデザイナー。母敏子は斎藤茂吉に師事した「アララギ」の歌人。四男一女の次男。 旧制横須賀中学校(34期)を卒業。国語教師は小田切秀雄であった。旧制静岡高等学校在学中の1943年に、北原白秋主宰の「多磨」に入会。小川国夫は高校の同級生である。1944年、兄・陽一(横中30期、海兵73期、海軍中尉、敷波乗組)を戦災で亡くす。江田島の海軍兵学校(77期)在学中には広島原爆を目撃した。 1948年の「コスモス」創刊に参加し、宮柊二に師事する。
森川 壽(もりかわ ひさし、1928年8月19日 - 200… 森川 壽(もりかわ ひさし、1928年8月19日 - 2005年5月29日)は、日本の数学者。専門は代数幾何。学位は、理学博士(名古屋大学・1957年)(学位論文「アーベル多様体について」)。名古屋大学名誉教授。 1928年愛知県名古屋市生まれ。東海高等学校卒。1951年名古屋大学理学部数学科を卒業。1954年まで名古屋大学大学院に在学。1954年名古屋大学理学部助手。1957年名古屋大学講師。1959年名古屋大学助教授を経て、1964年名古屋大学理学部教授。1992年名古屋大学名誉教授。日本学術会議において数学研究連絡委員会を勤めた。1993年4月から1998年9月まで会津大学コンピュータ理工学部総合数理科学センター教授。
薮崎 昭(やぶざき あきら、1928年(昭和3年)8月19日… 薮崎 昭(やぶざき あきら、1928年(昭和3年)8月19日 - )は日本の油彩画家。本来の表記は藪崎。 1928年8月、福岡県久留米市で生まれる。本籍は静岡県焼津市。3歳の時、静岡市に移り、1941年、静岡市立城内尋常小学校卒業。1945年3月、静岡県立静岡中学校(61回)卒業。五年制の中学を戦争の激化で四年で繰り上げ卒業となり、1年上級の60回と同時に卒業した。終戦後間もなく父を亡くしたが、医者の兄が復員し生活できるようになると「公立なら美術学校に入ってもよい」と言われた。東京美術学校は当時、新制大学への移行の為募集せず、翌年受験規則書を取り寄せると、受験資格が学歴11年となっており、旧制中学繰り上げ卒業のため、受験に必要な学歴が一年足りず、新制となっていた母校に三年次編入した。
伊達 宗克(だて むねかつ、1928年(昭和3年)8月18日… 伊達 宗克(だて むねかつ、1928年(昭和3年)8月18日 - 1988年(昭和63年)1月15日)は日本のジャーナリスト。 旧宇和島藩主伊達宗城の七男(八男とも)伊達宗倫を祖とする伊達男爵家の伊達宗光の長男として愛媛県に生まれる。宗光が昭和3年11月に隠居した後に男爵位を継承。旧制松山中学校、日本大学芸術科を経て同大法学部新聞学科を卒業。1954年8月、東京日日新聞社会部からNHKに移り放送記者となる。 1970年(昭和45年)11月25日に、交流のあった三島由紀夫から徳岡孝夫(当時:サンデー毎日の記者)と共に、遺書と檄文を受け取り、三島事件の目撃者となった。事件裁判を傍聴し、編著『裁判記録「三島由紀夫事件」』を刊行。
高木 豊(たかぎ ゆたか、1928年8月18日 - 1999… 高木 豊(たかぎ ゆたか、1928年8月18日 - 1999年5月10日)は、日本の歴史学者。立正大学名誉教授。専攻は日本中世仏教史。日蓮宗の信徒。 静岡県清水市(現・静岡市清水区)生まれ。1951年東京文理科大学史学科(国史)卒業。1952年立正大学仏教学部宗学科助手。1956年立正大学仏教学部講師。1959年同助教授、日蓮教学研究所所員。1966年立正大学短期大学部教授、法華経文化研究所資料部副部長。1967年立正大学教養部教授。1970年「日蓮の宗教の社会的展開に関する研究」で文学博士(東京教育大学)。この間、東京教育大学・日本女子大学・東北大学・千葉大学の非常勤講師を兼務。1972年立正大学学長補佐(1980年まで)。
西沢 舜一(にしざわ しゅんいち、1928年8月17日 - … 西沢 舜一(にしざわ しゅんいち、1928年8月17日 - 2008年12月10日)は、日本の評論家、日本共産党員。勝山俊介(かつやま しゅんすけ)名義による、戯曲や小説も知られている。 東京出身。装身具を扱う商店に育つ。旧制東京高等学校に入学。在学中の1946年12月12日、日本共産党に入党。のち東京大学に進学する。 1958年6月より5年間、世界民主青年連盟本部書記局員として日本民主青年同盟からブダペストに派遣された。1963年3月帰国、日本共産党中央委員会に勤務。 1967年に戯曲「回転軸」を「勝山俊介」のペンネームで書き、日本共産党創立45周年記念文芸作品に入賞。これを機に文筆活動を開始する。
大内 初夫(おおうち はつお、1928年(昭和3年)8月16… 大内 初夫(おおうち はつお、1928年(昭和3年)8月16日 - 2003年(平成15年)9月13日)は、日本の国文学者。鹿児島大学名誉教授。専門は俳文学。 大分県日田市生まれ。九州大学国文科卒業。同大学院、佐賀龍谷短期大学(現・九州龍谷短期大学)助教授を経て、1958年、鹿児島大学教養部助教授、のちに教授。1982年、「近世九州俳壇史の研究」で、九州大学より文学博士の学位を取得。1994年、定年退官、名誉教授、ノートルダム清心女子大学教授。1999年、退職。 2003年9月13日、脳出血のため死去。75歳没。没後正四位勲三等旭日中綬章受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
猪熊 葉子(いのくま ようこ、1928年〈昭和3年〉8月16… 猪熊 葉子(いのくま ようこ、1928年〈昭和3年〉8月16日 - 2024年〈令和6年〉11月19日)は、日本の近代文学研究者・イギリス近代文学研究者、児童文学者、翻訳家。聖心女子大学名誉教授。 千葉県千葉市生まれ。旧姓・葛原()。父は外科医の葛原輝、母は歌人の葛原妙子。夫は明電舎社長・猪熊時久。 聖心専門学校をへて、1952年、聖心女子大学文学部国語国文学科卒業、須賀敦子とは大学時代からの友人。1954年、同大学院文学研究科国文学専攻修士課程修了。同年、同大学文学部助手、1956年専任講師、1957年から1年間オックスフォード大学に留学、J・R・R・トールキンに師事した。1972年聖心女子大学助教授を経て、1978年教授、1990年白百合女子大学文学部教授、1999年定年退職。
上野 瞭(うえの りょう、1928年8月16日 - 2002… 上野 瞭(うえの りょう、1928年8月16日 - 2002年1月27日)は、日本の児童文学作家。 息子の上野宏介はイラストレーター。 京都府京都市生まれ。本名は瞭(あきら)。父は炭や米を扱う商人で、戦後は食糧公団に勤め、京都米穀株式会社の役員となるが、晩年は不遇だった。母は眼を病んでいた。6人兄弟の長男。第二錦林尋常小学校時代から「少年倶楽部」を愛読するが、「よい子」「頑張る子」「できる子」への反発から佐藤紅緑と佐々木邦だけは読まなかった。 京都市立第二商業学校時代に太平洋戦争が開戦し、舞鶴へ学徒動員に送られる。立命館専門学校二部在学中から「木馬」「子ども・詩の国」に童話を発表し始める。同志社大学文学部文化学科に編入し、哲学を専攻して卒業。
安井 昌二(やすい しょうじ、1928年8月16日 - 20… 安井 昌二(やすい しょうじ、1928年8月16日 - 2014年3月3日)は、日本の俳優。本名:四方 正雄(よも まさお)。旧芸名は四方正夫。「劇団新派」所属。 東京府出身。日本大学法文学部中退。長谷川一夫主宰の劇団・新演伎座、俳優座養成所(3期)を経て、活動再開まもない日活映画の専属俳優となり『月は上りぬ』(1955年、田中絹代監督)で映画デビューを果たす。これを機に芸名を四方正夫から、役名の「安井昌二」へと改名した。1956年に市川崑監督の映画『ビルマの竪琴』の主役・水島上等兵を演じたことで一躍人気を得る。1960年代以降はテレビや舞台へと活動拠点を移し、妻・小田切みきと二人の娘四方正美、四方晴美と夫婦親子役で出演した『パパの育児手帳』『チャコちゃん』などでお茶の間においても人気者となった。
稲村 稔夫(いなむら としお、1928年(昭和3年)8月16… 稲村 稔夫(いなむら としお、1928年(昭和3年)8月16日 - 2000年(平成12年)3月12日)は、日本の教育者、政治家。参議院議員、新潟県三条市長。 東京都出身。1948年(昭和23年)北海道大学農林専門部を卒業。同年5月、北海道虻田郡倶知安町立倶知安中学校教諭、1950年(昭和25年)北海道歌志内高等学校教諭を歴任し、日本教職員組合でも活動した[要出典]。 その後、日本社会党本部書記に転じ、同党中央本部農民部副部長などを務め、沖縄返還要求運動、原水爆禁止運動、農民運動などを担当。1969年(昭和44年)父の出身地の三条市に移り、新潟県本部書記次長、日本農民組合新潟県連役員などに在任。
太田 經子(おおた きょうこ、1928年8月15日 - 20… 太田 經子(おおた きょうこ、1928年8月15日 - 2008年12月2日)は、日本の小説家、官能小説家。一般に太田 経子と表記される。 静岡県生まれ。東京府立第五高等女学校(現東京都立富士高等学校)卒。 長与善郎、石川利光に師事、丹羽文雄の『文学者』や『女流』といった同人誌で小説を書く。1957年「渇き」が室生犀星に認められてデビュー。その後『小説宝石』などに官能小説を書く。1996年の『青眉の女』は高く評価された。
出口 裕弘(でぐち ゆうこう、1928年8月15日 - 20… 出口 裕弘(でぐち ゆうこう、1928年8月15日 - 2015年8月2日)は、昭和・平成期の日本の作家、翻訳家、フランス文学者。元一橋大学教授。 東京府北豊島郡日暮里町(現在の東京都荒川区東日暮里)の生まれ。ただし『北海道名士録 昭和35年度版』(1頁には千葉県松戸市出身とある。本名の訓みはヤスヒロといい、葛飾区立堀切小学校から東京府立第十一中学校(東京都立江北高等学校)を経て1945年4月、旧制浦和高等学校理科1組入学、1945年7月1日、武原寮(ぶげんりょう)に入寮しここで敗戦を迎えた。寮で1級下の野沢協と相識る。 1945年10月、文科甲類に転科する。在学中は文芸部に所属し、短歌や俳句、詩や小説などの創作活動に熱中した。
久保 重男(くぼ しげお、1928年8月15日 - )は、京… 久保 重男(くぼ しげお、1928年8月15日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。 烏丸商業、立命館大学を経て1950年に大洋ホエールズへ入団。同年退団。
高橋 光子(たかはし みつこ、1928年8月15日 - 20… 高橋 光子(たかはし みつこ、1928年8月15日 - 2026年1月24日)は、日本の小説家。上条由紀名義で70年代から80年代にかけて少女小説も手掛けた。東京都武蔵野市在住。日本文藝家協会会員。 愛媛県川之江町(現・四国中央市)生まれ。川之江高等女学校在学中は勤労動員で日本陸軍の秘密兵器「風船爆弾」を作っていた。 卒業後はテレビ、ラジオの脚本の仕事を経て、1965年「蝶の季節」で文學界新人賞受賞、同作で芥川賞候補、1972年「遺る罪は在らじと」で二度目の候補。また上条由紀の名で 集英社コバルト文庫を中心に少女小説を執筆、1993年『高畠華宵とその兄』で潮賞ノンフィクション部門優秀賞受賞。 日本文藝家協会会員、「群青」同人。
久世 公堯(くぜ きみたか、1928年8月15日 - )は、… 久世 公堯(くぜ きみたか、1928年8月15日 - )は、日本の自治官僚、政治家。
池田 龍雄(いけだ たつお、1928年(昭和3年)8月15日… 池田 龍雄(いけだ たつお、1928年(昭和3年)8月15日 - 2020年11月30日)は、日本の画家。 佐賀県西松浦郡二里村(現伊万里市二里町)に生まれる。父は清、母はチサ、五男二女の長男。 1935年(昭和10年)4月には佐賀県二里尋常高等小学校に入学する。同年秋には福岡日々新聞社(現在の西日本新聞社)主催の児童スケッチ大会において三等銅メダルを受賞している。幼少期には『子供の科学』に親しみ、自然科学に関心を持ったという。 1941年(昭和16年)4月には佐賀県立伊万里商業学校へ入学する。1943年(昭和15年)には海軍航空隊に入隊し、第13期海軍飛行予科練習生として鹿児島海軍航空隊に配属される。
鹿取 広人(鹿取廣人、かとり ひろと、1928年8月15日 … 鹿取 広人(鹿取廣人、かとり ひろと、1928年8月15日 - 2018年11月26日)は、日本の心理学者、東京大学名誉教授。 埼玉県生まれ。1954年東京大学文学部心理学科卒業。同大学院博士課程満期退学。東京女子大学講師、1965年東京大学教養学部助教授、1967年「認知過程成立の条件 幾何学図形の同視と構成を支える諸条件の分析」で文学博士、のち教授、1989年定年退官、名誉教授、帝京大学教授、放送大学教授。専攻は知覚・認知心理学、発達心理学。
藤富 保男(ふじとみ やすお、1928年8月15日 - 20… 藤富 保男(ふじとみ やすお、1928年8月15日 - 2017年9月1日)は、東京府小石川区(現・文京区)生まれの詩人。 詩誌『gui』同人。獨逸学協会中学(現・獨協高等学校)、東京外国語大学モンゴル語学科卒。日本現代詩人会、日本文藝家協会会員。 1950年、北川冬彦の詩会「時間」に参加。またカミングス研究会で新国誠一と知り合い、新国と共に詩的実験を試みるグループ、芸術研究協会(ASA)を設立。視覚と音律から日常の言語を再構築する独特の詩法をもち、ユーモラスな作風を得意とする。代表的な詩集に『コルクの皿』『正確な曖昧』『新聞紙とトマト』など。詩集は30冊を超えるほか、翻訳書、編著書も多数。 サッカーが得意であり、アマチュアチームの指導者や、実業団や関東大学リーグの審判を務めていた経験を持つ。
阿部 猛(あべ たけし、1928年8月15日 - 2016年… 阿部 猛(あべ たけし、1928年8月15日 - 2016年5月27日)は、日本の歴史学者。東京学芸大学名誉教授・元学長。 山形県生まれ。1951年東京文理科大学史学科卒業。1966年「律令国家経済の解体過程に関する研究」で東京教育大学より文学博士の学位を授与される。北海道学芸大学講師、助教授、北海道教育大学助教授、東京学芸大学教授、1979~1985年同学長、1992年定年退官、名誉教授、帝京大学教授、1999年退職。 平安時代史が専門だが、近代まではばひろく執筆活動を行った。また、1989年には父親の阿部萬蔵との共編による『枕詞辞典』を出版した。2003年11月瑞宝中綬章受章。
青木 國太郎(あおき くにたろう、1928年8月15日 - … 青木 國太郎(あおき くにたろう、1928年8月15日 - 2020年12月2日)は、日本の政治家。東京都日の出町の元町長(5期)。日本初の75歳以上の医療費無料化など、福祉政策を積極的に推し進めたことで知られる。 東京府西多摩郡大久野村(現・東京都日の出町)に生まれる。1943年7月、海軍特別年少兵として第二次世界大戦に参戦。 1948年5月、大久野村役場に入庁。1982年10月、日の出町助役に就任。 1990年、日の出町長選挙に立候補し初当選。4月16日、町長就任。 バブル崩壊後、日の出町は大型開発の頓挫で税収が伸び悩み、合計特殊出生率も0.79と落ち込んでしまう。青木は、2005年から15歳以下の医療費無料化、町で使える1万円のクーポン支給を開始した。
山田 直(やまだ ただし、1928年〈昭和3年〉8月14日 … 山田 直(やまだ ただし、1928年〈昭和3年〉8月14日 - 2015年〈平成27年〉10月20日)は、日本のフランス文学者、詩人。慶應義塾大学名誉教授。 1928年(昭和3年)群馬県前橋市に生まれる。1941年(昭和16年)に上京し、旧制大泉中学校(現・東京都立大泉高等学校)を卒業。1954年(昭和29年)慶應義塾大学文学部仏文科卒、1956年(昭和31年)文学修士、1962年(昭和37年)同大学院博士課程修了。 1963年(昭和38年)千葉商科大学専任講師、1967年(昭和42年)助教授。1968年(昭和43年)フランスに留学する。1969年(昭和44年)慶應義塾大法学部助教授、1974年(昭和49年)教授。
椿 寿夫(つばき としお、1928年8月14日 - 2023… 椿 寿夫(つばき としお、1928年8月14日 - 2023年8月9日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は、法学博士(京都大学・論文博士・1977年)。大阪府立大学・関西学院大学・大阪市立大学教授・筑波大学教授・明治大学教授を経て、大宮法科大学院大学教授。香川県丸亀市出身。正字で椿 壽夫と表記されることもある。 1952年京都大学法学部卒業。1972年から1979年まで法制審議会民法部会委員。1977年法学博士(京都大学、学位論文「代物弁済予約の研究」)。大阪府立大学・関西学院大学・大阪市立大学教授・筑波大学教授・明治大学教授を経て、大宮法科大学院大学教授。妻は同じく民法学者の椿久美子。 日本民法の研究の他にドイツ法に関する研究も行い、学界や実務に大きな影響を与えている。
稲葉 右二(いなば ゆうじ、1928年8月13日 - 201… 稲葉 右二(いなば ゆうじ、1928年8月13日 - 2017年1月8日)は、日本の獣医師。学位は医学博士(順天堂大学・1961年)。元日本大学教授。 畜産農家に恐れられていた牛の伝染病「牛流行熱」「イバラキ病」「アカバネ病」の原因がアルボウイルスであることを突き詰め、診断法やワクチンを開発した。家畜衛生試験場製剤研究部長、日本ウイルス学会理事、日本大学生物資源科学部教授、獣医師免許審議会委員などを歴任した。 1971年、「牛の流行熱の研究」により日本獣医学会賞を受賞。1977年、「牛流行熱及び牛伝染性鼻気管炎の予防液の開発」により農林水産省職員功績者。1994年、「各種牛のウイルス病の防除技術の開発及び実用化に関する研究」により日本農業研究所賞を受賞。
速川 和男(はやかわ かずお、1928年8月13日 - )は… 速川 和男(はやかわ かずお、1928年8月13日 - )は、日本の比較文学者・英語学者。立正大学名誉教授。日本英学史学会第6代会長。 東京市有楽町生まれ。青山学院大学中退後、高校教師をしながら研究、のち再入学して卒業。英語雑誌編集などをへて1974年立正大学教養部教授、97年文学部教授、99年定年、名誉教授。
飯野 徹雄(いいの てつお、1928年8月12日 - 200… 飯野 徹雄(いいの てつお、1928年8月12日 - 2008年2月22日)は、日本の遺伝学者、ふくろう研究家。東京大学名誉教授。 東京府生まれ。1951年東京大学理学部植物学科卒業、1962年理学博士。国立遺伝学研究所研究員、微生物遺伝部部長を経て、1971年東京大学理学部教授。小石川植物園園長等を務める。1989年定年退官、東京大学名誉教授。同年より,早稲田大学人間科学部教授,1998年退職。 久美子夫人と共にふくろうに関する資料を蒐集し、自宅に「ふくろうギャラリー」を開設。1962年日本遺伝学会賞受賞。1991年紫綬褒章受勲。
松谷 健二(まつたに けんじ、1928年8月12日 - 19… 松谷 健二(まつたに けんじ、1928年8月12日 - 1998年2月9日)は、日本のドイツ文学研究家、翻訳家、作家。元山形大学教授。 1928年、東京市(現大田区)に生まれ、幼少年時代をここで過ごす。東京外国語大学を経て1953年に東北大学文学部ドイツ文学科卒業。 1959年、初出版は『文学における彼岸表現の研究』内の論文「北歐の彼岸表象」。 1971年、「宇宙英雄ペリー・ローダン」シリーズの第1巻『スターダスト計画』が刊行される。1974年に山形大学を退職。 1998年、肝硬変のため山形県の病院で死去。享年69。
蝋山 道雄(ろうやま みちお、1928年8月11日 - 20… 蝋山 道雄(ろうやま みちお、1928年8月11日 - 2009年10月18日)は、日本の国際政治学者、上智大学名誉教授。
田口 耕三(たぐち こうぞう、1928年8月11日 - )は… 田口 耕三(たぐち こうぞう、1928年8月11日 - )は日本の脚本家。東京都中央区京橋出身。 生家は、祖父が当時京橋にあった大根河岸と呼ばれる青果市場に構えていた問屋を経営していた。子供の頃からその祖父に連れられて歌舞伎や新派の芝居を観に行き、その舞台裏までも見聞き出来たという。暁星中学校に在学した後、海軍兵学校舞鶴校に77期として入学。海軍兵学校入学後約半年で太平洋戦争の終戦を迎える。慶應義塾大学文学部仏文科卒業後1951年に大映に入社しプロデューサーや脚本を担当。大映倒産前にフリーとなりテレビドラマを中心に活躍。その後逸見稔が立ち上げた創作作家集団SHP・葉村彰子を柴英三郎、大西信行、櫻井康裕らと担当。
阿部 昭吾(あべ しょうご、1928年〈昭和3年〉8月10日… 阿部 昭吾(あべ しょうご、1928年〈昭和3年〉8月10日 - 2015年〈平成27年〉1月4日)は、日本の政治家。位階は正四位、勲等は勲一等。衆議院議員(10期)、社会民主連合書記長(第2代)・国会対策委員長、衆議院環境委員長、山形県議会議員(2期)を務めた。 山形県飽海郡一条村(現酒田市)の農家に生まれる。法政大学法学部在学中から左派社会党所属の上林与市郎衆議院議員の秘書を務める。1951年、法政大学法学部卒業。1954年、全日本農民組合連合会青年部長をするなど農民運動に携わり、1959年、山形県議会議員選挙に立候補し当選。2期務める。 1967年、上林の地盤を引き継ぎ、第31回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧山形2区(定数4)から立候補。
平井 久(ひらい ひさし、1928年8月10日 - 1993… 平井 久(ひらい ひさし、1928年8月10日 - 1993年3月12日)は、日本の心理学者。元上智大学教授。 1953年、早稲田大学第一文学部心理学専修卒。同大学院文学研究科博士課程満期退学。1965年、「回避行動の実験的分析」にて文学博士(早稲田大学)号を取得。行動病理学、バイオフィードバック法などを専門領域とし、この領域の最新動向を日本に紹介し続けた。1993年3月、上智大学教授在職中に急死。平井信義(児童精神科医、小児科医、大妻女子大学名誉教授)は実兄。
速見 魁(はやみ いさお、1928年(昭和3年)8月10日 … 速見 魁(はやみ いさお、1928年(昭和3年)8月10日 - 1991年(平成3年)3月8日)は日本の政治家。 長崎県佐世保市出身。旧制長崎県立佐世保中学校卒業。全日本港湾労働組合九州地方本部副委員長、佐世保地区労働組合会議(佐世保地区労)書記長・議長、長崎県議会議員を経て1986年(昭和61年)7月の第14回参議院議員通常選挙(長崎県選挙区)に日本社会党公認で立候補したが次点落選。1990年(平成2年)2月、第39回衆議院議員総選挙で引退した石橋政嗣前社会党委員長の後継として長崎2区より立候補し当選。衆議院運輸委員会に所属した。 任期在職中の1991年3月8日、入院先の国立がんセンターで死去した。
山口 哲夫(、1928年8月9日 - 2020年8月25日)… 山口 哲夫(、1928年8月9日 - 2020年8月25日)は、日本の政治家。釧路市長・参議院議員(2期)・新社会党書記長を歴任した。 電気技師の子として樺太の真岡町に生まれる。旧制樺太庁立豊原中学校卒業後、大泊町役場に勤務していた時に日本の敗戦を経験した。ソ連軍進駐下で町役場は民政局と改称され、山口はそのままソ連軍に民政局勤務を命じられた。父親が大泊町の電気事業の責任者だったため、山口一家はなかなか日本への復員が許されず、1947年にようやく日本に復員することが出来た。その後、釧路市役所に勤務となり、市役所勤務のかたわら北海道釧路湖陵高等学校の定時制に通い、戦争のために満足に受けられなかった中等教育をやり直した。
有地 亨(ありち とおる、1928年(昭和3年)8月9日 -… 有地 亨(ありち とおる、1928年(昭和3年)8月9日 - 2006年(平成18年)7月22日)は、日本の法学者。専門は家族法。学位は、法学博士(九州大学・論文博士・1962年)。九州大学名誉教授、聖心女子大学名誉教授。弁護士。鳥取県鳥取市出身。 日本法社会学会理事、比較家族史学会副会長、日本家族(法と社会)学会理事、福岡家庭裁判所家事調停委員、同参与員、九州地方鉱業協議会委員、RKB番組審議会委員長、福岡国税局土地評価審議会委員、九州大学出版会常任理事等を歴任。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
麻田 鷹司(あさだ たかし、1928年(昭和3年)8月8日 … 麻田 鷹司(あさだ たかし、1928年(昭和3年)8月8日 - 1987年(昭和62年)7月1日)は、昭和時代の日本画家。父は日本画家の麻田辨自、弟は洋画家の麻田浩。義弟は、国文学者・万葉学者の佐竹昭広、本名は麻田 昂(読み同じ)。風景画を描き、晩年には出身地の京都を主に描く。
太田 浩兒(おおた こうじ、1928年8月8日 - 1988… 太田 浩兒(おおた こうじ、1928年8月8日 - 1988年10月13日)は、日本の映画プロデューサー、映画監督、脚本家である。 1928年(昭和3年)8月8日、神奈川県横浜市に生まれる。 東京市大森区調布嶺町(現在の東京都大田区鵜の木)の旧制・東京中学校(現在の東京高等学校)を卒業して旧制・東京高等師範学校に進学、同校は1949年(昭和24年)5月に設立された新制・東京教育大学(現在の筑波大学の母体)に包括されたため、同学哲学科に在籍、1953年(昭和28年)3月に同学を卒業した。「好きな映画で生活していこう」と考え、同年4月2日、定期採用第2期生として東映に入社した。企画本部に配属され、東京撮影所演出部に配転された。
神谷 宏治(かみや こうじ、1928年8月7日 - 2014… 神谷 宏治(かみや こうじ、1928年8月7日 - 2014年10月2日)は日本の建築家、都市計画家。丹下健三の下で浅田孝、大谷幸夫、磯崎新らと共に都市と建築の設計に従事し、丹下が主宰したURTEC((株)都市・建築設計研究所)の初代代表取締役(1961-1971)として活躍。丹下の最高傑作と目される国立代々木競技場(1964)の設計チーフを務めた。退社後、日本大学教授としてコーポラティブハウスを発展させたコープタウンの普及に尽力し、丹下の建築哲学の継承という難題に貴重な手がかりを与えた。日本建築学会特別賞(国立代々木競技場)、建築業協会賞(香川県立体育館)、科学技術庁長官賞(万国博大屋根の巨大架構)。
横山 昭市(よこやま しよういち、1928年8月7日 - 2… 横山 昭市(よこやま しよういち、1928年8月7日 - 2023年11月10日)は、日本の地理学者(専攻は人文地理学なかんずく政治地理学)。愛媛大学名誉教授。 1928年(昭和3年)東京都渋谷区生まれ。東京高等師範学校文科(地理・歴史専攻)3年修了、東京文理科大学(後の筑波大学)地理学専攻卒。1965年(昭和40年)『香港工業化の研究』にて理学博士(東京教育大学)。 愛媛大学文理学部助教授、同法文学部教授に就く。 この間、米国ワシントン大学客員研究教授、総理府事務官・国土庁国土審議会特別委員、愛媛県文化の里整備委員長、県史編纂部会長、しまなみ海道イベント企画委員長、愛媛県文化振興財団評議員、愛媛県美術館運営委員などを歴任。
友國 八郎(ともくに はちろう、1928年8月7日 - 20… 友國 八郎(ともくに はちろう、1928年8月7日 - 2022年10月27日)は、日本の実業家。大阪商船三井船舶(現商船三井)元代表取締役会長、同社代表取締役相談役、商船三井最高顧問、社団法人日本海難防止協会会長、一般財団法人海技振興センター会長、一般社団法人日本アルゼンチン協会会長等を歴任した。アルゼンチンコメンダドール勲章受章。 1953年一橋大学商学部卒業、三井船舶(現商船三井)入社。1981年大阪商船三井船舶(現商船三井)取締役。1985年常務取締役。1988年代表取締役専務取締役。1989年代表取締役副社長。1991年代表取締役会長。1994年代表取締役相談役。1996年相談役。1997年小池酸素工業監査役。
伊野上 のぼる(いのうえ のぼる、1928年8月7日 - 2… 伊野上 のぼる(いのうえ のぼる、1928年8月7日 - 2011年7月9日)は、昭和時代後期日本の作詞家。本名は井上 三夫(いのうえ みつお)。 別名義に乗田 まさみ (正美)、井上 浩志ほか。 1928年(昭和3年)、宮城県刈田郡宮村(現在の蔵王町遠刈田温泉)に7人兄弟の末子として生まれる。少年の頃より本が好きで、文芸雑誌に「井上蔵王」という名で投稿することもあったという。 のちに作詞家の石本美由起に師事。代表作に北原謙二『ふるさとのはなしをしよう』やCMソング『かに道楽』がある。『ふるさとのはなしをしよう』は落語家の立川談志が最も好んだ歌のひとつとされ、談志一門の集まりでは最後にこの歌をみんなで合唱したという。
久保 守(くぼ まもる、1928年8月6日 - 1992年3… 久保 守(くぼ まもる、1928年8月6日 - 1992年3月10日)は、奈良県出身のプロ野球選手。 母校の五條中学校で教諭を勤めていたが1950年に阪急ブレーブスへ入団。1952年退団。
会田 長栄(會田 長榮、あいた ちょうえい、1928年8月5… 会田 長栄(會田 長榮、あいた ちょうえい、1928年8月5日 - 2016年2月2日)は、日本の政治家、参議院議員。 福島県出身。旧制石川中卒。福島県労協議長、福島県教組委員長を経て、1989年の第15回参議院議員通常選挙に日本社会党から福島県選挙区に立候補して当選。1995年の第17回参議院議員通常選挙で落選し、政界から引退する。 2003年4月の春の叙勲で勲三等に叙され、旭日中綬章を受章した。 2016年2月2日、肺炎のため、死去した。87歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
佐藤 昭子(さとう あきこ、旧名:佐藤 昭〈さとう あき〉、… 佐藤 昭子(さとう あきこ、旧名:佐藤 昭〈さとう あき〉、1928年〈昭和3年〉8月5日 - 2010年〈平成22年〉3月11日、女性)は、日本の政治家秘書、政治運動家。33年間にわたって田中角栄の秘書を務め、その愛人であったといわれ「越山会の女王」と称された。後に「政経調査会」を主宰した。 新潟県刈羽郡枇杷島村(現・柏崎市)に生まれる。両親は雑貨店を営んでいた。6人きょうだいの末っ子であったが、1人の姉は昭の出生前に死亡しており、1944年(昭和19年)までに父母、2人の兄、2人の姉と死別した。枇杷島小学校3年からそろばん塾に通って1級を取得し、数学・習字・体育が得意であった。1941年(昭和16年)小学校卒業後に進学した新潟県立柏崎高等女学校(5年制、のち4年制に変更。
山口 宗之(やまぐち むねゆき、1928年〈昭和3年〉8月5… 山口 宗之(やまぐち むねゆき、1928年〈昭和3年〉8月5日 - 2012年〈平成24年〉3月21日)は、日本の歴史学者。従四位瑞宝中綬章。学位は文学博士(九州大学・1980年・論文博士)。九州大学名誉教授。専門は幕末政治思想史。陸海軍将校に関する著書もある。 佐賀県藤津郡多良村(現・太良町大字多良)生まれ。1935年(昭和10年)、村立多良尋常小学校入学。1941年(昭和16年)、佐賀県立鹿島中学校(現・佐賀県立鹿島高等学校)入学。1945年(昭和20年)3月、佐賀県立鹿島中学校卒業(4年繰上げ)。同年4月、第七高等学校造士館文科一類(のち文科乙類となる)入学。1948年(昭和23年)3月、第七高等学校造士館文科乙類卒業。
傳田 功(でんだ いさお、1928年8月4日 -2011年)… 傳田 功(でんだ いさお、1928年8月4日 -2011年)は、日本の農学者。滋賀大学名誉教授・京都学園大学名誉教授。瑞宝中綬章受章。 長野県生まれ。1953年、旧制京都大学農学部農林経済学科卒。大学院研究奨学生。1956年、農学部助手。1960年、講師。1965年、滋賀大学農学部助教授。1966年、「近代日本農業思想史研究」で京都大学より農学博士の学位を取得。1971年7月、教授。1993年、定年退官、滋賀大学名誉教授、京都学園大学経済学部教授。1996年、学長。2002年、定年。2007年、瑞宝中綬章受賞。
川上 哲郎(かわかみ てつろう、1928年8月3日 - 20… 川上 哲郎(かわかみ てつろう、1928年8月3日 - 2021年1月9日) は日本の実業家。住友電気工業代表取締役社長、同会長、関西経済連合会会長、日本電線工業会会長等を歴任。位階は従三位。勲一等瑞宝章受章。 東京都吉祥寺出身。父は厚生省官僚。東京府立二中、海軍兵学校第77期を経て、1952年東京商科大学(現・一橋大学)卒業。古川栄一ゼミ出身。 商社志望だったが、大学卒業後は、健康診断で落ちた内定者の代わりとして、ゼミの教授の勧めで住友電気工業に入社。1975年同社取締役、1978年常務取締役、1980年代表取締役専務、1982年代表取締役社長、1991年代表取締役会長、1999年相談役。2008年8月名誉顧問 財団法人関西情報センター会長などを経て、1994年から1997年まで関西経済連合会会長を務め、関西国際空港第二期事業の取りまとめ等や、阪神・淡路大震災への対応にあたり、総理府阪神・淡路復興委員会委員も務めた。