木屋 隆安(きや たかやす、1921年6月1日 - 1992… 木屋 隆安(きや たかやす、1921年6月1日 - 1992年3月11日)は、日本の作家、ジャーナリスト。 東京市芝白金三光町に生まれる。本籍・福岡県。1942年大東文化学院本科卒業、広島文理科大学文学部史学科入学。43年11月学徒動員、福岡歩兵24連隊入隊。45年満洲でソ連に捕えられ抑留、1950年に帰国、時事通信社入社、松山支社、本社政治部、地方部、外信部員、香港特派員、前橋支部長(モスクワ特派員の内示を受けるが入国拒否に遭う)。社会部次長、文化部長、社会部長、72年退社、1973年内外ニュース主筆、78年退社、中外ニュース社取締役主筆・編集主幹、専務。吉川晋に師事して小説も書いた。
末永 俊郎(すえなが としろう、1921年5月31日 - 2… 末永 俊郎(すえなが としろう、1921年5月31日 - 2007年7月8日)は、日本の心理学者。東京大学名誉教授。 浪速高等学校を経て、1943年東京帝国大学心理学科卒、東大文学部助教授、教授、1982年定年退官、日本大学教授。1989年帝京大学教授、1997年定年。1994年 日本心理学会名誉会員。2007年、肺炎による呼吸器不全のため86歳で死去した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
岡 義達(おか よしさと、1921年5月28日 - 1999… 岡 義達(おか よしさと、1921年5月28日 - 1999年6月2日)は、日本の政治学者。専門は、政治学。東京大学名誉教授。 東京都生まれ。旧制府立高等学校、1946年東京帝国大学法学部政治学科卒業。1951年同大学院特別研究生中退。堀豊彦に師事。一橋大学社会学部助教授(1954-1964年)、東京大学法学部教授(1964-1982年)、大東文化大学法学部教授(1982-94年)を歴任。1999年、食道癌のため死去。
横山 保(よこやま たもつ、1921年5月28日 - 199… 横山 保(よこやま たもつ、1921年5月28日 - 1996年7月30日)は、日本の経済学者・統計学者。大阪大学名誉教授、高岡短期大学初代学長・名誉教授。博士。数理経済学者として日本の戦後初期の経済学発展に大きく貢献した。 神奈川県生まれ。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を卒業。第七高等学校造士館 (旧制)理科甲類に1940年4月入学、1942年9月卒業。東京帝国大学理学部数学科に1942年10月入学、1945年9月卒業。1946年2月1日に関東学院中学部講師嘱託となり、6月1日に関東学院工業専門学校講師に転任、12月1日に同校教授に昇任し1949年3月31日まで務める。1949年度は新制静岡県立富士高等学校に教諭として勤務。
片山 伍一(かたやま ごいち、1921年5月27日 - 20… 片山 伍一(かたやま ごいち、1921年5月27日 - 2001年1月28日)は、日本の経営学者。九州大学名誉教授。日本経営財務研究学会会長や、日本学術会議会員を務めた。勲二等瑞宝章受章。 熊本県生まれ。1953年九州大学経済学部卒業。馬場克三門下。同年九州大学経済学部助手。1958年九州大学経済学部助教授(経営学講座)。1960年九州大学経済学部助教授(経営財務論講座(新設))。1968年九州大学経済学部教授(経営財務論講座)。1977年日本学術会議会員(第3部)。1986年日本経営財務研究学会会長。退官後、福岡大学教授、九州大学名誉教授。1995年勲二等瑞宝章受章。指導学生に丑山優九州大学名誉教授など。
原 五郎(はら ごろう、1921年5月26日- 2012年6… 原 五郎(はら ごろう、1921年5月26日- 2012年6月16日 )は、日本の経営者。三井倉庫社長、会長を務めた。 岐阜県出身。1946年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に三井倉庫に入社した。1973年に取締役に就任し、1974年5月に常務、1977年3月に専務を経て、1979年6月に副社長に就任し、1981年6月には社長に昇格した。1993年6月に会長に就任し、2001年6月には相談役に就任。 1985年11月に藍綬褒章を受章し、1991年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2012年6月16日、呼吸不全のために死去。91歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
堯天 義久(ぎょうてん よしひさ、1921年5月24日 - … 堯天 義久(ぎょうてん よしひさ、1921年5月24日 - 2013年1月20日)は、日本の建築学者。専門は建築構造学。第8代神戸大学学長、第3代大学入試センター所長を務めた。 香川県観音寺市出身。1939年、愛媛県立三島中学校(現・愛媛県立三島高等学校)卒業。1941年、徳島高等工業学校(現・徳島大学工学部)機械工学科卒業。 1942年に東京工業大学(のちの東京科学大学)附属高等工業教員養成所建築学科に入学。1944年に卒業し、同年9月に神戸工業専門学校(現・神戸大学工学部)に着任する。 1947年、神戸工業専門学校教授。1951年、神戸大学助教授。1959年、東京工業大学工学博士。 神戸大学教授を経て、1981年から1985年まで神戸大学学長を務め、神戸大学名誉教授の称号を受けた。
山中 鉄夫(やまなか てつお、1921年5月24日 - 没… 山中 鉄夫(やまなか てつお、1921年5月24日 - 没年不明)は、日本の経営者、銀行家。協和銀行頭取を務めた。 長崎県出身。1943年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に日本銀行に入行した。1975年4月から1979年4月までに理事を務め、同年6月に副頭取に就任し、1980年9月には協和銀行頭取に昇格。1986年9月に会長に就任し、1991年4月に協和埼玉銀行(のちのあさひ銀行)を経て、1998年4月から名誉顧問を務めた。 1987年11月に藍綬褒章を受章。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
相良 亨(さがら とおる、1921年 <大正10年> 5月2… 相良 亨(さがら とおる、1921年 <大正10年> 5月23日 - 2000年 <平成12年> 10月14日)は、日本の学者。専門は日本思想史(日本倫理思想史)。東京大学名誉教授。日本学士院会員。位階は従四位。 1921年、石川県金沢市に生まれる。旧制水戸中学、旧制水戸高等学校を経て、1944年東京帝国大学文学部倫理学科卒業。和辻哲郎に師事。茨城大学助教授、1965年東京大学文学部助教授、1971年教授。1982年定年退官、名誉教授、共立女子大学教授。1996年春、勲三等旭日中綬章受勲。2000年、逝去。死没日付をもって従四位に叙された。 師・和辻哲郎の和辻倫理学を継承し、日本文化での「美と倫理」を考究した。
堀 古蝶(ほり こちょう、1921年5月23日 - 1997… 堀 古蝶(ほり こちょう、1921年5月23日 - 1997年10月6日)は、ジャーナリスト、俳人。 愛知県名古屋市生まれ。本名・堀健三。名古屋高等商業学校卒、神戸大学卒。1948年中部日本新聞に入社、ニューデリー特派員、モスクワ特派員、論説委員、1972年「東京新聞」の「筆洗」欄を担当。モスクワ滞在の際「フルシチョフ」をもじって古蝶(ふるしてふ)の俳号をつける。東京新聞客員論説委員。1993年『俳人松瀬青々』で俳人協会評論賞受賞。
稲田 陽一(いなだ よういち、1921年5月21日 - 20… 稲田 陽一(いなだ よういち、1921年5月21日 - 2006年5月20日)は、日本の法学者(憲法)・弁護士。岡山大学名誉教授。 香川県高松市出身。第六高等学校卒、1947年東京帝国大学法学部政治学科卒、香川大学経済学部助教授、岡山大学法学部助教授、教授を務め、1987年定年退官、名誉教授となり、高岡法科大学法学部教授を務めた。弁護士。
鈴木 雅洲(すずき まさくに、1921年(大正10年)5月2… 鈴木 雅洲(すずき まさくに、1921年(大正10年)5月21日 - 2015年(平成27年)11月23日)は、日本の産婦人科医、東北大学名誉教授。仙台市青葉区出身。 東京帝国大学医学部卒。1955年東北大学より医学博士の学位を取得。東北大学医学部産婦人科教室、1964年新潟大学医学部教授、1970年東北大学医学部教授。1983年日本で初めて体外受精児の誕生に成功、1992年顕微鏡下での授精による出産を成功させる。1985年東北大退官、名誉教授、小山市民病院院長、1986年スズキ病院(現・スズキ記念病院)院長。 2015年、「ヒト体外受精・胚移植の確立と普及に関する研究」により日本学士院賞を受賞。
久米 豊(くめ ゆたか、1921年(大正10年)5月20日 … 久米 豊(くめ ゆたか、1921年(大正10年)5月20日 - 2014年(平成26年)9月10日)は、日本の実業家、元日産自動車社長、元日本自動車工業会会長。東京都出身。位階は従三位。
宮坂 宥勝(みやさか ゆうしょう、1921年5月20日 - … 宮坂 宥勝(みやさか ゆうしょう、1921年5月20日 - 2011年1月11日)は、日本の仏教学者・インド哲学研究者。名古屋大学名誉教授。真言宗智山派管長、総本山智積院化主。 1921年、長野県岡谷市で生まれた。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)、旧制智山専門学校(現・大正大学)を経て、東北大学法文学部印度科に進学。1948年に卒業し、同大学大学院に進んだ。1954年、博士課程を中退。 1954年、高野山大学助教授に就いた。1957年、学位論文『インド仏教の認識論:とくにPramanavarttika(英語版)を中心として』を東北大学に提出して文学博士の学位を取得。1965年、高野山大学教授に昇格。
田淵 安一(たぶち やすかず、1921年5月20日 - 20… 田淵 安一(たぶち やすかず、1921年5月20日 - 2009年11月24日)は、福岡県小倉市(現・北九州市)出身の抽象画家。 1921年に福岡県小倉市(現・北九州市)に生まれ、母親の影響で幼少時からオーブリー・ビアズリーやラファエル前派などに親しんだ。1941年に第三高等学校(現・京都大学)文科丙類に入学。中学時代から絵画制作を行っており、三高在学中の1942年と1943年には京都市美術展に入選している。1943年には学徒動員で日本国海軍に入隊し、米子海軍航空基地で太平洋戦争終戦を迎えた。 終戦直後の1945年には東京大学文学部美術史学科に入学して猪熊弦一郎に師事し、1948年には東京大学大学院に進学した。
相田 暢一(あいだ ちょういち、1921年5月19日 - 2… 相田 暢一(あいだ ちょういち、1921年5月19日 - 2012年4月17日)は、日本の元大学野球選手、アマチュア野球指導者、アマチュア野球審判員。1940年代から2010年代にかけてアマチュア野球の振興に尽力し、その功績が評価され野球殿堂入り(特別表彰)を果たした。 北海道小樽市出身。旧制小樽中学校(現在の北海道小樽潮陵高等学校)で投手としてマウンドに立ち、旧制中学校卒業後に早稲田大学に入学する。法学部で学ぶ傍ら、部活に打ち込んだが、肩を負傷したことをきっかけにマネジャーに転身する。 早稲田大学在学中の1943年、学徒出陣前に早大戸塚球場で行われた出陣学徒壮行早慶戦(いわゆる最後の早慶戦)の実現に奔走、当時の早稲田大学総長だった田中穂積など早大関係者を説得して回った。
山口 武平(やまぐち ぶへい、1921年〈大正10年〉5月1… 山口 武平(やまぐち ぶへい、1921年〈大正10年〉5月19日 - 2018年〈平成30年〉7月27日)は、日本の政治家。位階は正五位。 茨城県猿島郡神大実村助役、茨城県議会議員(14期)、茨城県議会議長(第64・97代)、全国都道府県議会議長会長、自由民主党茨城県支部連合会会長、同連合会最高顧問などを歴任した。 茨城県猿島郡神大実村(現在の坂東市)出身。茨城県立水海道中学校を経て、秋田鉱山専門学校卒業。 神大実村の助役を経て、1955年に茨城県議会議員選挙に初当選を果たした。同期には梶山静六(のちの内閣官房長官)がおり、梶山が国政に転出した後も盟友の関係であり続ける。1966年に茨城県議会議長選出をめぐる茨城県議会黒い霧事件で起訴され、最高裁判所まで争うが1989年1月に懲役8月執行猶予3年・追徴金20万円の有罪判決が確定した。
伊江 朝雄(いえ ともお、1921年5月17日 - 2007… 伊江 朝雄(いえ ともお、1921年5月17日 - 2007年5月14日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員。北海道開発庁長官、沖縄開発庁長官。沖縄県出身者初の国務大臣として知られる。
小澤 正明(おざわ せいめい、1921年(大正10年)5月1… 小澤 正明(おざわ せいめい、1921年(大正10年)5月14日 - 2012年(平成24年)6月14日)は、日本の国文学者。元八幡大学学長、名誉教授、文学博士(関西学院大学・論文博士・1979年)。九州近代文学会理事。静岡県沼津市出身。 台北帝大時代、海軍予備学生として学徒出陣、長崎相浦海軍基地で出陣を待ったが終戦となる。1947年(昭和22年)戸畑専門学校で発足したサークル文芸部では戸専文学を発行。他に単行詩集、文学雑誌などを相次いで発行し文学啓蒙運動に力を注いだ。川端康成の研究でも知られており「川端康成文芸の世界」で文学博士号を取得している。
森川 敬介(もりかわ けいすけ、1921年5月14日 - 1… 森川 敬介(もりかわ けいすけ、1921年5月14日 - 1990年6月12日)は、日本の経営者。センコー社長を務めた。 東京都出身。1942年に鹿児島高等商業学校を卒業。肥料配給公団宮崎支所での勤務を経て、1949年9月に扇興運輸(現在のセンコー)に転じ、1969年11月に取締役に就任し、1971年4月に常務を経て、1976年10月に社長に就任。 1990年6月12日、肝不全のために死去。69歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
由利 徹(ゆり とおる、1921年〈大正10年〉5月13日 … 由利 徹(ゆり とおる、1921年〈大正10年〉5月13日 - 1999年〈平成11年〉5月20日)は、日本の喜劇俳優。本名:奥田 清治(おくだ きよはる)。1950年代半ばからお笑いユニット“脱線トリオ”の一人として有名になり、解散後は喜劇役者、またコメディアンとして東北弁を駆使した言い回しや持ちギャグを用いてお茶の間を沸かせた。 宮城県石巻市にて、大工の親方である佐々木庄治と母きよの子として生まれる(3男3女の6人兄弟の長男)。父は腕のいい大工として知られていた。幼少期から茶目っ気があり、父の宴会で芸を披露するなどしていた。現在の石巻市立門脇小学校へ入学すると、学芸会で毎年主役を演じた。1930年小学3年次にレビュー劇団を見て感動し、後日東京に行くため、家出して入団を希望するが父親に連れ戻されたため断念したことがある。
竹内 浩三(たけうち こうぞう、1921年(大正10年)5月… 竹内 浩三(たけうち こうぞう、1921年(大正10年)5月12日 - 1945年(昭和20年)4月9日)は、日本の詩人。 三重県宇治山田市吹上町(現・伊勢市吹上)に生まれた。 明倫小学校を卒業後、宇治山田中学校(現・三重県立宇治山田高等学校)に進学、中学在学中より友人と回覧雑誌を製作。1940年(昭和15年)に日本大学専門部映画科に入学し、伊丹万作の知遇を得る。1942年(昭和17年)6月、宇治山田中学校時代の友人中井利亮・野村一雄・土屋陽一と同人誌『伊勢文学』を創刊。同年9月に日本大学を繰り上げで卒業し、入営。久居(現・津市)で初年兵として1年の訓練の後、吉沼(現・茨城県つくば市)で落下傘兵として厳しい訓練を課される。
大崎 順彦(おおさき よりひこ、1921年〈大正10年〉5月… 大崎 順彦(おおさき よりひこ、1921年〈大正10年〉5月10日 - 1999年〈平成11年〉8月25日)(享年78才) は、日本の耐震工学者。地震自体と地盤、構造物を一体で捉える研究手法で地震工学に大きな業績を残し、後進も多数育てた。建設省建築研究所と東京大学などで研究した後に民間へ転じ、清水建設副社長などを務めた。 京都府出身。第三高等学校(現在の京都大学総合人間学部)、東京帝国大学第一工学部航空学科を卒業。航空用エンジンの振動を研究した。 太平洋戦争後の1949年(昭和24年)、建設省建築研究所に勤務。アメリカ合衆国に留学して1953年(昭和28年)にノースウェスタン大学大学院を修了した。
時岡 弘(ときおか ひろむ、1921年5月9日 - 2009… 時岡 弘(ときおか ひろむ、1921年5月9日 - 2009年11月27日) は、日本の法学者。専門は憲法。早稲田大学名誉教授。福井県出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
杉浦 守邦(すぎうら もりくに、1921年5月8日 - 20… 杉浦 守邦(すぎうら もりくに、1921年5月8日 - 2015年12月4日)は、日本の医師、医学史家、山形大学名誉教授。位階は従四位。 1945年、京都府立医科大学卒。1955年、「教職員結核の疫学的研究」で同大医学博士。同大学助手、滋賀県教育委員会学校衛生技師、山形県教育委員会学校保健課長。1965年、山形大学教育学部教授。1969年から1981年まで、同大学保健管理センター所長。1987年、定年退官、名誉教授、京都蘇生会総合病院副院長、2004年、同名誉院長。 1996年に勲三等旭日中綬章を受けた。 『江戸期文化人の死因』で、間宮林蔵の死因を梅毒と推定した。
山田 修(やまだ おさむ、1921年〈大正10年〉5月8日 … 山田 修(やまだ おさむ、1921年〈大正10年〉5月8日 - 2017年[要出典])は、日本の教育者、教育評論家。 群馬県多野郡藤岡町(現:藤岡市)出身。農家の二男として生まれる。 美土里小学校尋常高等小学校卒業後、高津仲次郎の設立した多野実業公民学校に入学し農業や養蚕を学ぶも月謝が払えず2年で中退、月謝が不要な熊谷陸軍飛行学校に入り、1938年卒業後は教官を打診されていたが、中国戦線を志願し、41年まで北京の南苑飛行班に属した。整備班長はのちに東大野球部監督となる神田順治中尉だった。乗機は九七式軽爆撃機や九七式重爆撃機で、上海や南京とを行き来して内地から送られてきた機体の回送を任務としており、南寧作戦では物資輸送に従事したこともある。
荒 松雄(あら まつお、1921年(大正10年)5月7日 -… 荒 松雄(あら まつお、1921年(大正10年)5月7日 - 2008年(平成20年)11月8日)は、日本の歴史学者(インド史・南アジア史)、小説家。位階は従四位。勲等は瑞宝重光章。学位は博士(史学)(専修大学・2001年)。筆名は「新谷 識」(しんたに しき)。東京大学名誉教授、恵泉女学園大学名誉教授、日本学士院会員。 東京大学東洋文化研究所教授、東京大学東洋文化研究所所長、津田塾大学学芸学部教授、恵泉女学園大学人文学部教授、財団法人東洋文庫研究員などを歴任した。 1921年、東京府東京市浅草区浅草材木町(現在の東京都台東区雷門二丁目)の裕福な商家、材木問屋に生まれた。5人きょうだいの末っ子であった。
川崎 徳次(かわさき とくじ、1921年5月7日 - 200… 川崎 徳次(かわさき とくじ、1921年5月7日 - 2006年4月25日)は、プロ野球選手(投手、外野手)・監督。
星野 安三郎(ほしの やすさぶろう、1921年5月6日 - … 星野 安三郎(ほしの やすさぶろう、1921年5月6日 - 2010年3月13日)は、日本の法学者。専門は、憲法学・教育法。東京学芸大学名誉教授、立正大学名誉教授。 1921年、栃木県日光市に生まれる。旧制第二高等学校を経て、1943年に東北帝国大学法文学部法学科入学。入学直後に入営することとなり、戦後復員後に復学。1947年に同校を卒業し、東北大学特設研究科に進学して1948年に修了。同年、東京第三師範学校長の田中保房に誘われて同校の講師に就任。学制改革に伴い、東京学芸大学講師、助教授、教授として研究・教育活動を継続。1975年に日本学術会議中央選挙管理委員長、1981年に定年まで1年残して退任。
成田壽一郎(なりた じゅいちろう、1921年(大正10年)5… 成田壽一郎(なりた じゅいちろう、1921年(大正10年)5月6日 - 2001年(平成13年)4月15日)は秋田県能代市出身の木工家、著述家、教育者。 秋田県立能代工業学校木材工芸科を卒業後、海軍省艦政本部に就職。その後東京高等工芸学校卒業ののち、日本楽器に就職。大日本帝国陸軍航空技術予備役少尉。 軍隊からの復員を果たした後、故郷へ戻り1953年(昭和28年)3月まで秋田県立能代工業高等学校木材工芸科教師を努める。1958年(昭和33年)4月より千葉大学工業短期大学部木材工芸科講師に就任した。その後1978年(昭和53年)に千葉大学建築工学科講師を経て、1985年(昭和60年)2月14日工学博士を取得し、教授に昇格。
香川 保一(かがわ やすかず、1921年(大正10年)5月5… 香川 保一(かがわ やすかず、1921年(大正10年)5月5日 - 2014年(平成26年)6月13日)は、日本の裁判官、弁護士。位階は正三位。勲等は勲一等。社団法人民事法情報センター(解散済み)理事長。 札幌高等裁判所長官、名古屋高等裁判所長官、最高裁判所判事などを歴任した。 大阪府南河内郡三日市村(現在の河内長野市)の出身。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 1947年に東京大学法学部を卒業するとともに、司法試験へ合格。
高柳 信一(たかやなぎ しんいち、1921年5月5日 - 2… 高柳 信一(たかやなぎ しんいち、1921年5月5日 - 2004年12月16日)は、日本の法学者。専門は憲法・行政法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)。東京大学名誉教授。宮澤俊義門下。弟子に宮崎良夫、大浜啓吉など。 東京都出身。指導教官は田中二郎、宮沢俊義に師事。1960年に渡辺洋三とともに公法私法研究会を設立し、公法私法一元論を唱えた。憲法分野では特に学問の自由、大学の自治の研究で知られる。大学の自治については、制度的保障説ではなく機能的自由説を、親の教育権については、憲法的自由説をとっている。また家永教科書裁判についての発言も多い。 2004年12月16日午後11時54分、肺炎により東京都練馬区内の病院で逝去。
千葉 乗隆(ちば じょうりゅう、1921年5月4日 - 20… 千葉 乗隆(ちば じょうりゅう、1921年5月4日 - 2008年4月12日)は、浄土真宗の僧侶、仏教学者・歴史学者。学位は、文学博士(論文博士・1977年)。龍谷大学名誉教授・元学長、元相愛学園長・理事長。 真宗史、真宗教団史他の研究において数多くの研究、業績を残した。浄土真宗本願寺派安楽寺第26世住職。徳島県生まれ。
村田 秀三(むらた ひでぞう、1921年5月4日 - 198… 村田 秀三(むらた ひでぞう、1921年5月4日 - 1985年1月5日)は、日本の労働運動家、政治家、参議院議員(4期、日本社会党)。 福島県白河市出身。1939年仙台逓信講習所卒、白河郵便局に勤務する。第二次世界大戦中に召集され南方作戦を経験、多くの戦友を失ったことが戦後、労働運動に携わる動機となる。1956年全逓福島地区委員長、福島県労組協議会議長などを経て、1965年の第7回参議院議員通常選挙で福島県選挙区から日本社会党公認で立候補して初当選。4期連続当選した。この間、社会労働委員長、災害対策特別委員長、参議院国会対策副委員長、社会党県委員長などを歴任した。 議員在職中の1985年1月5日、心筋梗塞のため、福島県白河市で死去した。
吉田 善哉(よしだ ぜんや、1921年5月3日 - 1993… 吉田 善哉(よしだ ぜんや、1921年5月3日 - 1993年8月13日)は、競走馬の生産者。北海道札幌市出身。社台グループの創業者。 1921年、北海道月寒の畜産家・吉田善助(善助の父・善太郎の項を参照)の三男として生まれる。善助は酪農家として日本に初めてホルスタイン種の乳牛を導入した人物でもあり、1928年から白老町社台地区に2000haの土地を購入して社台牧場を開設し、サラブレッド生産に着手していた。善哉は1940年、空知農業学校畜産科を卒業後、社台牧場千葉富里分場の場長を任された。しかし同年より始まった太平洋戦争の戦況悪化と共に、従業員が次々と徴兵され、善哉はひとりで牧場を切り盛りすることを余儀なくされた。
朝香 千賀子(あさか ちかこ、1921年〈大正10年〉5月3… 朝香 千賀子(あさか ちかこ、1921年〈大正10年〉5月3日 - 1952年〈昭和27年〉12月6日)は、日本の旧皇族。元華族。朝香宮鳩彦王の第1王子・孚彦王の妃。旧名は、藤堂 千賀子(とうどう ちかこ)。父は、伯爵藤堂高紹。母は、真田幸民伯爵令嬢・信子。皇籍離脱前の身位は王妃で、皇室典範における敬称は殿下。皇族時代の名は、孚彦王妃 千賀子(たかひこおうひ ちかこ)であった。 1938年(昭和13年)12月16日、朝香宮鳩彦王の長男・孚彦王と結婚。その後、冨久子女王、誠彦王、美仍子女王の1男2女をもうける。1947年(昭和22年)10月14日、皇室典範第11条1項により夫・孚彦王や家族と共に皇籍を離脱し、以後は「朝香 千賀子(あさか ちかこ)」と名乗る。
福島 新吾(ふくしま しんご、1921年〈大正10年〉5月2… 福島 新吾(ふくしま しんご、1921年〈大正10年〉5月2日 - 2013年〈平成25年〉5月1日)は、日本の政治学者。専修大学名誉教授。政治学原論専攻。 1921年、福島喜三次の四男として東京に生まれる(母〈1893-1981〉は明治期の外交官杉村濬の長女)。 太平洋戦争中に学徒出陣を経験した後、1947年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。東京大学社会科学研究所助手(1947-54年)を経て専修大学に移り、1960年より専修大学法学部教授。同法学部長を務めた。 「九条科学者の会」呼びかけ人を務めていた。 従兄(母の妹の長男)に作曲家・音楽評論家の柴田南雄がいる。 2013年5月1日に肺炎のため死去。
滋賀 秀三(しが しゅうぞう、1921年〈大正10年〉5月1… 滋賀 秀三(しが しゅうぞう、1921年〈大正10年〉5月1日 - 2008年〈平成20年〉2月25日)は、日本の法学者(東洋法制史)。東京大学名誉教授、日本学士院会員。 1921年、山口県岩国町で生まれた。東京で育ち、旧制武蔵高等学校を経て、東京帝国大学法学部に入学。中国法制史を専攻し、石井良助に師事。1943年に法学部を卒業した。卒業後は、戦時下であったが大学院特別研究生に採用された。 1948年、東京大学法学部助教授に就任し、東洋法制史の授業を担当。1959年に同教授に昇格。1962年、学位論文『中国家族法の原理』を東京大学に提出して法学博士号を取得。1969年『中国家族法の原理』(1967年)で日本学士院賞受賞。
又吉 康助(またよし こうすけ、1921年〈大正10年〉5月… 又吉 康助(またよし こうすけ、1921年〈大正10年〉5月1日 - 2004年〈平成16年〉4月8日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。最終階級は陸軍大尉(大日本帝国陸軍)、陸将補(陸上自衛隊)。初代自衛隊沖縄地方連絡部長。 初代沖縄県知事屋良朝苗の教え子であり、沖縄返還の際に政府・自衛隊・沖縄県の交渉に関わった。 沖縄県読谷村生まれ。旧制沖縄県立第二中学校(現・沖縄県立那覇高等学校)では陸軍特攻隊の伊舎堂用久中佐と同窓。1941年8月、陸軍士官学校(55期)卒業。歩兵第130連隊(高田)、仙台、得撫島守備を経て、独立混成第101旅団司令部付。 終戦後、知念高校教諭を務める。1955年、陸上自衛隊入隊。
一言 多十(ひとこと たじゅう、1921年5月1日 - 20… 一言 多十(ひとこと たじゅう、1921年5月1日 - 2010年4月16日)は、静岡県六合村(現:島田市)出身のプロ野球選手(投手、外野手)。
吉田 光邦(よしだ みつくに、1921年5月1日 - 199… 吉田 光邦(よしだ みつくに、1921年5月1日 - 1991年7月30日)は、日本の科学史家。京都大学名誉教授。専門は科学技術史。
松田 毅一(まつだ きいち、1921年(大正10年)5月1日… 松田 毅一(まつだ きいち、1921年(大正10年)5月1日 - 1997年(平成9年)5月18日)は、日本の歴史学者。専門は、戦国時代から江戸時代初期の日欧交渉史、特にポルトガル・スペインとの関係史。京都外国語大学名誉教授。香川県高松市出身、大阪市育ち。 ヨーロッパ各地(ポルトガル・スペイン・バチカン等)やフィリピン、マカオ等の文書館に保存されている日本関係史料の発見・翻訳・紹介に取り組み、また多数の著書・論文を発表して日本における上記分野の研究の進展に貢献する一方、こうした研究成果の一般市民への啓発・普及、関係諸国との学術・文化交流にも尽力した。 清泉女子大学教授時代に、非常勤講師として横浜国立大学でスペイン語の講義をおこない、沢木耕太郎も授業を受けている。
藤崎 章(ふじさき あきら、1921年5月1日 - 2007… 藤崎 章(ふじさき あきら、1921年5月1日 - 2007年9月13日)は、日本の経営者。住友金属鉱山社長、会長、相談役、経済同友会幹事等を歴任。 鹿児島県鹿児島市生まれ、出身。 旧制の東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)を経て、1939年3月第一高等学校卒業。第一高等学校では水泳部主将。1941年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、1942年に住友金属鉱山に入社。1967年5月に取締役に就任し、1970年2月に常務を経て、1973年5月に社長に就任。1983年6月に会長に就任。1988年相談役に就く。 1979年4月に藍綬褒章を受章し、1987年11月に勲一等瑞宝章を受章した。 2007年9月13日老衰のために死去。
島津 一郎(しまづ いちろう、1921年5月 - 2007年… 島津 一郎(しまづ いちろう、1921年5月 - 2007年1月29日)は、日本の法学者。専門は民法、家族法。学位は法学博士(東北大学・1962年)。一橋大学名誉教授。中川善之助門下。弟子に奥山恭子(横浜国立大学名誉教授)、許末恵(青山学院大学教授)など。 横浜市生まれ。1934年3月埼玉県立師範学校附属小学校(埼玉大学教育学部附属小学校の前身)卒業、1941年武蔵高等学校(旧制)(武蔵中学校・高等学校の前身)卒業、1943年東北帝国大学法文学部法科第1類卒業。1962年東北大学より法学博士の学位を取得。 1943年東北大学法文学部助手。1945年召集により富山連隊入隊。1949年助手論文「社会家族と自然家族」を書き、新設の金沢大学法文学部の法科の助教授に就任。
上田 格(かんだ かく、1921年 <大正10年> 4月29… 上田 格(かんだ かく、1921年 <大正10年> 4月29日 - 2015年 <平成27年> 2月8日)は、日本の経営者、銀行家。鹿児島銀行頭取を務めた。位階は従五位。 鹿児島県鹿児島市出身。1939年に鹿児島県立第二鹿児島中学校(旧制、現鹿児島県立甲南高等学校)を卒業し、1941年に鹿児島高等商業学校(現鹿児島国際大学)を卒業。1942年11月出征、1945年11月復員。1946年に鹿児島銀行に入行。1948年伊集院支店を振り出しに、串良支店、都城支店と勤務し、1953年本店営業部貸付課長代理に着任して以降、ほぼ一貫して営業畑を歩む。1972年に取締役に就任し、1978年に常務、1980年に専務を経て、1986年に副頭取に就任し、1988年3月には頭取に昇格。
藤田 喬平(ふじた きょうへい、1921年4月28日 - 2… 藤田 喬平(ふじた きょうへい、1921年4月28日 - 2004年9月18日)は、東京府豊多摩郡大久保町(現・東京都新宿区百人町)生まれのガラス工芸家。 東京美術学校で彫金を学ぶが、途中でガラス工芸に転向する。その後、イタリアで学んだ色ガラスと金箔を混ぜた飾筥(かざりばこ)で独自のガラス工芸分野を確立した。 1955年の市川市北方に転居。 1989年(平成元年)日本芸術院会員、1997年(平成9年)文化功労者、1999年(平成11年)、市川市名誉市民、2002年(平成14年)文化勲章受章。 宮城県宮城郡松島町(日本三景・松島)に、藤田喬平ガラス美術館がある。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
小針 春芳(こばり はるよし、1921年4月24日 - 20… 小針 春芳(こばり はるよし、1921年4月24日 - 2019年4月19日)は、栃木県那須郡高林村(現・那須塩原市)の元プロゴルファー。 晩年まで拠点は那須一筋であったため、「那須の神様」「那須の小天狗」の異名を持った。 実家は農業を営んでいたが、生活は苦しく、米飯が食えるのは盆か正月くらいで、後は稗か粟が毎日であった。小針はこうした家庭の実情の中、一念発起して働きに出ることになるが、高等小学校を卒業して国鉄の試験を受けるも色弱で不合格になった。夢破れた時に那須ゴルフ倶楽部がキャディを募集していたため、1936年に入社。色の識別ではゴルフを覚えた頃にも苦労があり、当時はグリーンのマークは赤い毛糸を使用していたが、判別できなかった小針だけ黄色であった。
永原 稔(ながはら みのる、1921年4月21日 - 200… 永原 稔(ながはら みのる、1921年4月21日 - 2006年12月17日)は、日本の政治家。新自由クラブ衆議院議員(1期)。
犬養 道子(いぬかい みちこ、1921年4月20日 - 20… 犬養 道子(いぬかい みちこ、1921年4月20日 - 2017年7月24日)は、日本の慈善家・環境活動家・小説家。 首相を務めた犬養毅の孫にあたる。カトリック信徒。 現在の東京都新宿区四谷に犬養健・仲子夫妻の長女として生まれる。父・健は犬養毅の嗣子で親子2代の政治家であり、母方の曾祖父が長与専斎と後藤象二郎である。母方の祖父は男爵長与称吉。従姉の娘に緒方貞子、異母妹に安藤和津がいる。 女子学習院、津田英学塾で学んだ後、アメリカ合衆国やフランスに留学。 1970年代以降ヨーロッパに在住し、環境破壊抑止を目指した「みどり一本」運動を提唱したり、1979年から世界の飢餓、難民問題に深くかかわった。また欧州滞在中は、ジュネーヴ空港に近いフランスの街フェルネ=ヴォルテールに住み、ライフワークの聖書研究のかたわら、難民支援活動を積極的に展開した。
小野 三嗣(おの みつつぐ、1921年(大正10年)4月19… 小野 三嗣(おの みつつぐ、1921年(大正10年)4月19日 - 2007年(平成19年)3月22日)は、日本の運動生理学者。 秋田県大館生まれ。1942年陸軍航空士官学校(55期)卒、45年大尉に昇進、航空第二師団参謀部付、1950年東京慈恵会医科大学医学部卒業。同名取礼二生理学教室所属、60年 東京慈恵会医科大学医学博士。論文の題は「所謂光力学的作用による骨格筋収縮の機転について」62年慈恵医大講師、1963年東京学芸大学助教授。1964年東京オリンピックで重量挙げのトレーニング-ドクターとなり、全員入賞に貢献した。1966年横浜国立大学教授、1970年東京学芸大学教授。85年定年退官、名誉教授。