山本 順之(やまもと のぶゆき、YAMAMOTO Nobuy… 山本 順之(やまもと のぶゆき、YAMAMOTO Nobuyuki 1938年(昭和13年)7月19日 - 2024年(令和6年)7月8日)は、観世流能楽師(シテ方)。重要無形文化財保持者(総合認定)。公益社団法人「銕仙会」理事。能楽協会会員。「山本順之の会」「順扇会」主宰。 大阪府大阪市生まれ、東京都在住。大阪府立清水谷高等学校卒業。早稲田大学文学部卒業。父である山本博之(観世流能楽師、山本能楽堂創立者)および八世観世銕之亟(人間国宝)に師事。1942年(昭和17年)4歳の時、仕舞「老松」で初舞台。1945年「花月」で初シテ。 2024年7月8日、肝細胞癌のため死去。85歳没。 曲趣を正確に捉え観客の想像力に訴えかける、幅の広い地謡作りの「地頭(リーダー)」として定評があり、銕仙会の地謡を支える重鎮だが、若手や斬新な作品にも数多く出演している。
高木 仁三郎(たかぎ じんざぶろう、1938年7月18日 -… 高木 仁三郎(たかぎ じんざぶろう、1938年7月18日 - 2000年10月8日)は、日本の物理学者。専門は核化学。理学博士(東京大学)。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋高等学校、東京大学理学部化学科卒業。 父は開業医。幼少時の仇名は「ジンザ」でエスペラントに関心を持っていた。 宮沢賢治文学を愛好した。群馬大学学芸学部附属小・中学校時代の同級生には、日本銀行で要職を務めたあとOECD経済総局長、ついでOECD副事務総長に栄進した重原久美春、SF作家の豊田有恒、がいる。 『高木仁三郎著作集』(全12巻)など多数の著書を七つ森書館より刊行。同社の中里英章社長(当時)は高木に師事した。 政府の原子力政策について自由な見地からの分析・提言を行う為、原子力業界から独立したシンクタンク・原子力資料情報室を設立して代表を務めた。
内藤 武宣(ないとう たけのぶ、1938年7月17日 - )… 内藤 武宣(ないとう たけのぶ、1938年7月17日 - )は、日本の政治家秘書、新聞記者。福岡県出身。
井原 まなみ(いはら まなみ、1938年7月17日 -)は日… 井原 まなみ(いはら まなみ、1938年7月17日 -)は日本の推理作家。夫は同じく推理作家の石井竜生。 満洲国新京出身。中学1年で終戦を迎え、引き揚げ後、広島県などで育った[要出典]。中央大学法学部卒業後、文部省事務官として東京大学に勤務。7年間の結婚生活と離婚の後、1971年8月に裁判所事務官上級職の試験場で石井竜生と出会い、1972年に再婚。主婦のかたわら文筆活動を行う。宅地建物取引士(当時は宅地建物取引主任者)として不動産会社に勤務したこともある。[要出典] 1976年、石井竜生との夫婦合作「アルハンブラの想い出」で第15回オール讀物推理小説新人賞。1985年、同じく石井との合作「見返り美人を消せ」で第5回横溝正史賞受賞。
柘植 光彦(つげ てるひこ、1938年7月17日 - 201… 柘植 光彦(つげ てるひこ、1938年7月17日 - 2011年11月15日)は、日本の文芸評論家。専修大学名誉教授。 東京府出身。東京大学仏文科在学中の1960年、小説『大きな赤い太陽』を『文學界』に発表。1961年第16次『新思潮』創刊。1964年第17次『新思潮』創刊(第17次『新思潮』同人郷正文小説集『愛の家族』(審美社刊)の<あとがき>に「郷正文作品の現代的意味 ― 解説に代えて」を書く)。 東京大学大学院人文科学研究科国語国文学専攻修士課程修了。専修大学助教授、1981年教授、2009年定年退職、名誉教授。 大学院博士課程在学中に東大闘争に遭遇し、ノンセクトの思想に共鳴した。以後、学問論や研究者論を展開するとともに、現代日本文学研究者として活動。
二瓶 剛男(にへい たけお、1938年7月17日 - 200… 二瓶 剛男(にへい たけお、1938年7月17日 - 2009年9月10日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授・元北海学園大学教授。専門は理論経済学、経済政策。東京都出身。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
田主 智彦(たぬし としひこ、1938年〈昭和13年〉7月1… 田主 智彦(たぬし としひこ、1938年〈昭和13年〉7月17日 - 2019年〈令和元年〉10月29日)は、日本の政治家、元岡山県浅口市長(1期)。位階は従五位。旭日小綬章受章。 岡山県出身。早稲田大学教育学部卒業、同大学院商学研究科中退。1994年鴨方町長に初当選、4期務める。2006年、鴨方町・金光町・寄島町が合併し、浅口市が発足。合併後の市長選挙に立候補し、元岡山県議会議員の栗山康彦を破って当選した。浅口市長を1期務め、2010年に市長を退任した。2017年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。2019年10月29日死去。死没日付をもって従五位に叙された。
大野 慶人(おおの よしと、1938年〈昭和13年〉7月15… 大野 慶人(おおの よしと、1938年〈昭和13年〉7月15日 - 2020年〈令和2年〉1月8日)は、舞踏家、演出家、ダンスセラピスト、教育者。大野一雄の次男。1986年以降、大野一雄の全作品を演出している。 ソロ作品「花と鳥」(2013年)はヨーロッパ(2014年)ブラジル(2015年)中国 (2016年2017年)を巡演。
金田 晉(かなた すすむ、1938年7月15日 - )は、日… 金田 晉(かなた すすむ、1938年7月15日 - )は、日本の美学者。広島大学名誉教授。蘭島閣美術館名誉館長。専門は現象学的美学、造形美学の現象学。元広島県博物館協議会会長。 大阪府出身。大阪府立三国丘高等学校を経て、1962年東京大学文学部美学美術史学科卒業。1969年同大学院美学専攻博士課程単位修得退学。2004年「形態と価値の現象学-フッセルの美学思想を弾機として-」で東京大学文学博士。1969年広島大学教養部講師、1974年同総合科学部助教授、1983年教授。2000年定年退官、名誉教授、東亜大学総合人間・文化学部教授・同学部長、特任教授、広島大学監事。ひろしま美術館理事。財団法人蘭島文化振興財団顧問。
平光 清(ひらこう きよし、1938年7月15日 - 201… 平光 清(ひらこう きよし、1938年7月15日 - 2011年8月9日)は、東京都大田区出身の元プロ野球審判員、野球解説者。大学野球、プロ野球選手経験は無い。通称「先生」「審判先生」。
茅原 郁生(かやはら いくお、1938年7月14日 - )は… 茅原 郁生(かやはら いくお、1938年7月14日 - )は陸上自衛官、拓殖大学名誉教授。専門は、中国の安全保障。山口県出身。
棟方 宏一(むなかた こういち、1938年7月13日 - 2… 棟方 宏一(むなかた こういち、1938年7月13日 - 2019年2月11日)は、日本のアナウンサー(NETテレビ・テレビ朝日→フリー)。またテレビ朝日アスクの講師を歴任した。秋田県大曲市出身。 報道・ワイドショー番組
石岡 瑛子(いしおか えいこ、1938年7月12日 - 20… 石岡 瑛子(いしおか えいこ、1938年7月12日 - 2012年1月21日)は、東京府出身のアートディレクター、テキスタイルデザイナー。 妹は同じくアートディレクター、イラストレーターの石岡怜子。米国映画芸術科学アカデミー協会 (Academy of Motion Picture Arts and Sciences) 会員。 お茶の水女子大学附属中学校・ お茶の水女子大学附属高等学校を経て、東京藝術大学美術学部図案計画科を卒業後、資生堂宣伝部に入社。村瀬秀明、中村誠らとともにグラフィックデザイナー、アートディレクターとして活動した。 1970年、石岡瑛子デザイン室として独立し、パルコや角川書店などの広告で1970年代の日本で活躍。
井上 哲夫(いのうえ てつお、1938年(昭和13年)7月1… 井上 哲夫(いのうえ てつお、1938年(昭和13年)7月12日 - 2019年(平成31年)2月21日)は、日本の政治家。三重県出身で、参議院議員(1期、三重県選挙区)、第15代四日市市長(3期)を務めた。 三重県四日市市海蔵地区生まれ。三重県立四日市高等学校、名古屋大学法学部卒業。 民間企業で働きながら司法試験に26歳で合格。司法修習20期を経て、弁護士登録。司法修習の同期には高村正彦(元外務大臣)、江田五月(参議院議長)、横路孝弘(衆議院議長)、神崎武法(元公明党代表)、松尾邦弘(元検事総長)らがいる。四日市市ぜんそく公害訴訟の原告弁護団の一員を務める。 その後三重県弁護士会会長も務める。
本多 弘之(ほんだ ひろゆき、1938年〈昭和13年〉7月1… 本多 弘之(ほんだ ひろゆき、1938年〈昭和13年〉7月12日 - )は、真宗大谷派僧侶・仏教学者。専攻は真宗学。元大谷大学助教授。真宗大谷派講師。2017年現在、真宗大谷派東京教区第一組臨川山本龍寺住職、親鸞仏教センター所長、真宗大谷派董理、学仏道場相応学舎講師、朝日カルチャーセンター新宿教室講師、中村元東方研究所講師。
安藤 賢(あんどう まさる、1938年7月12日 - )は、… 安藤 賢(あんどう まさる、1938年7月12日 - )は、日本の銀行家。 鳥取県出身。1961年に京都大学法学部を卒業し、同年4月に三和銀行に入行。1988年6月に専務に就任し、1991年6月に大京専務、1996年6月に鳥取銀行専務を経て、1997年6月に副頭取に就任し、同年12月には頭取に昇格。2005年5月に会長を経て、2010年6月には相談役に退いた。
近藤 康夫(こんどう やすお、1938年(昭和13年)7月1… 近藤 康夫(こんどう やすお、1938年(昭和13年)7月11日 - )は、日本の工学者。元徳島工業短期大学学長。新居浜工業高等専門学校名誉教授。 徳島県出身。1963年(昭和38年)に徳島大学工学部を卒業。2002年(平成14年)に同大学工学研究科システム工学専攻博士課程を修了し博士(工学)を授与。 大学卒業後は新居浜工業高等専門学校の助教授・教授を経て退官後に名誉教授となる。また徳島工業短期大学の学長も務めた。これまでに電気学会・計測自動制御学会などに所属。 近藤安次郎 1943-1990 | 近藤吉克 1990-2009 | 近藤孝造 2009-2022 | 和田博文 2022-現在 近藤安次郎 | 濱田實 | 宮本俊助 | 近藤康夫 | 山本哲彦 2007-2013 | 宮城勢治 2013-2021 | 多田博夫 2021-現職 徳島工業短期大学の人物一覧 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
荒嶋 龍一(あらしま りょういち、1938年〈昭和13年〉7… 荒嶋 龍一(あらしま りょういち、1938年〈昭和13年〉7月10日 - )は、日本の政治家、元岡山県赤磐市長(1期)。旭日双光章受章。 岡山県出身。岡山県立瀬戸高等学校卒。吉井町農業共済組合に就職後、吉井町役場に勤務し、収入役など各役職を歴任する。1998年 吉井町長に当選し、2期務める。2005年、吉井町は合併により、赤磐市が発足。合併後の赤磐市長の市長選挙に立候補し、2人を破って当選した。赤磐市長を1期務め、2009年の市長選挙に立候補し、再選を目指したが、元赤磐市議の井上稔朗に敗れて落選した。
斎藤 良雄(さいとう よしお、1938年7月9日 - )は、… 斎藤 良雄(さいとう よしお、1938年7月9日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手(投手→外野手)。左投左打。 宮城県白石高等学校から1957年に国鉄スワローズへ入団。同期に村田元一がいた。1年目から一軍で投げたが投手としては力量不足で勝星を挙げたことも先発したこともなかった。武器はシュート、カーブ、ドロップを武器とした。左ということもあり1961年に打者に転向したが、元投手なのに肩が弱く、打撃も非力でさしたる活躍もないまま1963年限りで引退した。なお、高校の先輩である佐藤孝夫も同年で引退している。
戸張東夫(とばり はるお、1938年7月9日 -2022年1… 戸張東夫(とばり はるお、1938年7月9日 -2022年1月9日、享年83 )は、日本の中国映画・社会・政治・外交評論家。 東京生まれ。東京外国語大学中国語科卒業。読売新聞入社、香港特派員。帰国後、東京本社編集局勤務。産業能率大学経営情報学部教授を務めた。 中国語圏の映画に関する活動は最初は愛好家としてスタートしたが、やがて評論をするようになり、最終的に山田辰雄らの理解もあり学術・研究までもっていった。
今津 光男(いまづ みつお、1938年7月8日 - 2005… 今津 光男(いまづ みつお、1938年7月8日 - 2005年11月7日)は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。
小沢 さとし(おざわ さとし、1938年7月8日 - )は、… 小沢 さとし(おざわ さとし、1938年7月8日 - )は、日本の児童文学作家、小説家。本名・聰。箕輪町の資料館「美空ひばり歌の里」館長。 長野県上伊那郡箕輪町出身。立教大学文学部卒。 1983年、『黒潮物語』で第6回塚原健二郎文学賞受賞。「絵本伊那谷ものがたり」シリーズを刊行している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
宮沢 重雄(みやざわ しげお、1938年7月7日 - )は、… 宮沢 重雄(みやざわ しげお、1938年7月7日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 日大三高では、2年生の時エース並木輝男を擁し、外野手として1955年に夏の甲子園に出場。準々決勝に進むが坂出商に大敗。翌1956年には春の選抜にも出場。準々決勝に進出するが渡海昇二らのいた芦屋高に完封負けを喫する。同年夏は都予選準決勝で成蹊高に敗退した。 1957年に大洋ホエールズに入団、1年目から一軍で起用される。しかしあまり活躍の場はなく1958年限りで引退した。
星山 晋徳(ほしやま しんとく、1938年7月7日 - )は… 星山 晋徳(ほしやま しんとく、1938年7月7日 - )は愛知県豊橋市出身の元プロ野球選手。
木村 軍治(きむら ぐんじ、1938年7月7日 - )は、愛… 木村 軍治(きむら ぐんじ、1938年7月7日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは遊撃手。
中島 孝夫(なかじま たかお、1938年(昭和13年)7月7… 中島 孝夫(なかじま たかお、1938年(昭和13年)7月7日 - )は、日本の官僚。元会計検査院事務総長。
黒井 和男(くろい かずお、1938年7月7日 - )は、日… 黒井 和男(くろい かずお、1938年7月7日 - )は、日本の映画プロデューサー。キネマ旬報社、角川映画の元社長、シネマ・インヴェストメントの元会長。黒井オフィス代表。 本名は土橋寿男。父親の土橋治重は、ジャーナリスト、詩人、作家。 日本大学藝術学部映画学科卒業後、株式会社興行通信社に入社した。映画の配給・興行に精通し、映画プロデューサー・コーディネーターなどで数多くの映画製作に携わる。 また、白井佳夫時代の『キネマ旬報』に業界記事の執筆を依頼され、本名では問題があると、白井の妻の名前にちなんで「黒井和男」というペンネームをつける。のち1973年ごろから、白井とのコンビ「ビアンコ・エ・ネーレ」で海外に行き、現地の映画情報を伝える記事を作る。
中平 卓馬(なかひら たくま、1938年7月6日 - 201… 中平 卓馬(なかひら たくま、1938年7月6日 - 2015年9月1日)は、日本の写真家、写真評論家。 東京の原宿に生まれる。父は、書道家の中平南谿(本名:恵)。 東京都立小山台高等学校を経て、東京外国語大学スペイン語学科卒業。 『現代の眼』編集者時代には、柚木明の名前で作品を発表。1970年発表の写真集『来たるべき言葉のために』までは森山大道とともに「アレ、ブレ、ボケ(荒い画面、手ブレや被写体ブレ、ピント外れの意)」の作風で知られたが、1973年発表の『なぜ、植物図鑑か』では一転して「アレ、ブレ、ボケ」の作風を否定し、撮り手の情緒を排したカタログ写真や図鑑の写真のような写真を目指した。 作家の辺見庸は、2002年に出版した「永遠の不服従のために」で、「私の長く敬愛する写真家」と述べ、中平の『来たるべき言葉のために』について「その比類ない映像はほぼ三十年近くも私の胸の中に着床したままだ」と書き、自作品への影響を認めた。
金城 哲夫(きんじょう てつお、1938年〈昭和13年〉7月… 金城 哲夫(きんじょう てつお、1938年〈昭和13年〉7月5日 - 1976年〈昭和51年〉2月26日)は、日本の脚本家。沖縄県島尻郡南風原町出身。第一期ウルトラシリーズを企画し、文芸部長としてシリーズの基礎を作り上げた一人である。 1938年に東京で生まれたが、中学までを沖縄で過ごした。中学卒業後の1955年、小原国芳の玉川学園の教育方針を信頼した母親の勧めで上京して玉川学園高等部へ入学、玉川大学文学部教育学科へ進学し卒業。高校時代は金星の研究をするSFクラブ「日金友好協会」を結成したり、友人たちと結成した「沖縄慰問隊」当時の玉川学園の高等部に於ける修学旅行として、パスポートが必要なアメリカ統治時代の沖縄を訪問するなど、リーダーシップを少年時代から発揮していた。
伊吹 迪人(いぶき みちと、1938年7月5日 - 2006… 伊吹 迪人(いぶき みちと、1938年7月5日 - 2006年1月14日)は、日本の官僚。
蔦 行雄(つた ゆきお、1938年7月5日 - 2007年7… 蔦 行雄(つた ゆきお、1938年7月5日 - 2007年7月6日)は、兵庫県出身のプロ野球選手(投手)。 洲本高校では、エースとして1955年秋季近畿大会県予選準決勝に進むが、渡海昇二らのいた芦屋高に9回裏サヨナラ負け。1956年夏の甲子園県予選では決勝に進出。県尼崎高の今津光男と投げ合うが、9回裏またも1-2でサヨナラ負けを喫し、甲子園出場を逸する。高校同期に遊撃手の鎌田実がいる。 1957年に近鉄パールスへ入団。1959年にはチーム最多の50試合に登板、先発陣の一角としても起用された。翌1960年はミケンズに次ぐ23試合に先発し、7勝を記録した。1961年には開幕投手を経験。1963年に広島カープに移籍し、同年限りで引退。
平野 甲賀(ひらの こうが、1938年7月5日 - 2021… 平野 甲賀(ひらの こうが、1938年7月5日 - 2021年3月22日)は、日本のブックデザイナー。 妻の平野公子はスタジオイワト・プロデューサー。長男は写真家の平野太呂。 1938年 朝鮮・京城(現・ソウル)生まれ。 1945年 終戦を迎え、静岡に移住。 1957年 武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)デザイン学科入学。 1960年 武蔵野美術学校在学中に、グラフィックデザイナーの登竜門であった「日宣美」展で、大江健三郎『見るまえに跳べ』にて特賞受賞。 1961年 髙島屋の宣伝部入社。 1963年 高島屋退社、フリーランスとなる。 1964年以降、晶文社のほぼ全ての本の装幀に携わる。また、サイをあしらった同社の書籍のロゴマークも彼の手による。
宮本 征勝(みやもと まさかつ、1938年7月4日 - 20… 宮本 征勝(みやもと まさかつ、1938年7月4日 - 2002年5月7日)は、茨城県日立市出身のサッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー。サッカー日本代表として44試合に出場し、1968年のメキシコシティオリンピックで銅メダルを獲得した。 茨城県立日立第一高等学校でサッカーを始め、1956年の第35回全国高等学校サッカー選手権大会で準優勝し、得点王および最優秀選手に選出された。 1957年、早稲田大学第二商学部に入学。在学中は早稲田大学ア式蹴球部に所属し、在学中の1958年にサッカー日本代表に選出され、同年12月の香港代表戦で初出場した。 大学卒業後、1961年から長沼健や大学の先輩・八重樫茂生ら代表選手の揃った古河電気工業サッカー部(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)に入団した。
大谷 治男(おおたに はるお、1938年7月4日 - )は、… 大谷 治男(おおたに はるお、1938年7月4日 - )は、日本の元陸上競技選手。千葉県印旛郡酒々井町出身。専修大学商経学部商業学科卒業。 酒々井町立酒々井小学校、酒々井町立酒々井中学校、成田高等学校、専修大学出身。 東京都墨田区向島で生まれたが、1945年3月10日に東京大空襲があり、父の実家のある千葉県酒々井町に移り住んだ。 中学卒業後はパン屋に就職することになっていたが印旛郡の中学生ロードレース大会で優勝し、成田高等学校に進学した。高校時代には全国高校駅伝に出場した。 高校卒業後は佐倉郵便局に就職することになっていたが、長嶋茂雄の兄である長嶋武彦との縁もあり、専修大学の補欠試験を受けて合格した。
杉本 公孝(すぎもと きみたか、1938年7月4日 - )は… 杉本 公孝(すぎもと きみたか、1938年7月4日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 岩国高校ではエース金沢宏を擁し、1955年秋季中国大会県予選準決勝に進むが山口高に敗退。翌1956年春季山陽大会では決勝に進出するが、岡山東商に大敗を喫する。同年夏は県予選で敗れ、甲子園には出場できなかった。 卒業後は立教大学へ進学。東京六大学野球リーグでは長嶋茂雄の後継三塁手として立大黄金期後半を支え、在学中5回優勝、全日本大学野球選手権大会2回優勝。1959年春季リーグではリーグ史上初の5連覇が期待されたが、高校同期の金沢を主戦投手とする早大に競り負け2位に終わる。リーグ通算79試合出場、283打数72安打、打率.254、3本塁打。
雲仙山 尚敏(うんぜんやま なおとし、1938年7月3日 -… 雲仙山 尚敏(うんぜんやま なおとし、1938年7月3日 - 没年不明 )は、長崎県南高来郡加津佐町(現在の南島原市)出身で二所ノ関部屋所属の1960年代に活躍した元大相撲力士。本名は、岩永 尚敏(いわなが なおとし)。現役時代の体格は身長174cm、体重98kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は西十両7枚目。血液型はB型。 1955年1月場所に初土俵を踏む。初土俵から負け越すことなく1958年1月場所で幕下へ昇進、幕下でも2度負け越したのみで順調に番付を上げ、1960年5月場所に21歳で新十両に昇進。その場所は3勝12敗と大きく負け越し1場所で幕下へ陥落。1962年3月場所で再度十両へ復帰し、その場所で10勝5敗と二桁勝利を挙げると以降十両へ定着する。
青木 太一郎(あおき たいちろう、1938年〈昭和13年〉7… 青木 太一郎(あおき たいちろう、1938年〈昭和13年〉7月2日 - )は、新潟県新潟市西区出身の政治家。新潟県立新潟南高等学校卒業、東京農業大学修了。新潟県議会議員(7期)、黒埼町長(1期)、黒埼町議会議員を歴任した。勲等は旭日中綬章。 新潟県立新潟南高等学校を卒業後、家業の農業に従事する傍ら、村の青年団に入り、後に団長を務める。1958年(昭和33年)に東京農業大学農学部を通信制で修了。1971年(昭和46年)から黒埼町議会議員を務め、3期目途中で辞任し、1981年(昭和56年)に行われた黒埼町長選に出馬。当時の浅妻茂一郎町長に挑んだが、落選。4年後の町長選では同じ顔合わせになり、7443票を集めて当選する。
岩田 昌征(いわた まさゆき、1938年7月2日 - )は、… 岩田 昌征(いわた まさゆき、1938年7月2日 - )は、日本の経済学者、千葉大学名誉教授。
三林 輝夫(さんばやし てるお、1938年〈昭和13年〉7月… 三林 輝夫(さんばやし てるお、1938年〈昭和13年〉7月2日 - 2025年〈令和7年〉11月14日)は、日本の声楽家(テノール)、音楽教育者、合唱指揮者、公演監督。 新潟県出身。1961年(昭和36年)東京芸術大学音楽学部声楽科卒業、1963年(昭和38年)同校声楽専攻科修了。木下保、渡邊高之助、古沢淑子に師事。デビューは1963年の東京労音のオペラ『フィガロの結婚』でのバジリオ役で、これ以降二期会や東京室内歌劇場他で数多くのオペラ、オペレッタ、創作歌劇に活躍している。 また、日本におけるフランス歌曲の第一人者として十数回にわたるリサイタルで高い評価を得ている。日本歌曲の演奏でも、その明瞭なディクションと深い表現には定評があり「ビロードのような」と定評のある美しい声を披露してきた。
比嘉 盛光(ひが せいこう、1938年(昭和13年)7月1日… 比嘉 盛光(ひが せいこう、1938年(昭和13年)7月1日 - )は、日本の政治家。元沖縄県宜野湾市長(2期)。 現在の沖縄県宜野湾市出身。沖縄国際大学法学部卒。宜野湾市役所に入り、経済民生部長、教育次長、市民経済部長、企画部長を歴任し、1997年宜野湾市長選挙に立候補し、当選。2001年も再選した。 2期目の2003年市長選挙をめぐる違法献金事件で、公職選挙法違反と政治資金規正法違反の容疑で逮捕され、3月6日に市長を辞職した。
西 和夫(にし かずお、1938年(昭和13年)7月1日 -… 西 和夫(にし かずお、1938年(昭和13年)7月1日 - 2015年(平成27年)1月3日)は、日本の建築史家。工学博士。神奈川大学名誉教授。元日本建築史学会会長。各地の歴史を活かした町づくりにも関わる。
武田 信照(たけだ のぶてる、1938年(昭和13年)7月 … 武田 信照(たけだ のぶてる、1938年(昭和13年)7月 - )は、日本の経済学者。専門は、経済学史。愛知大学第14代学長、南開大学名誉教授。経済学博士。 株式会社の学説上の発展についてを主な研究対象とする。1969年から2009年まで愛知大学に勤務。1986年に大阪市立大学より経済学博士号を授与。 愛知大学においては、大学院経済学研究科長、法経学部経済学科長、経済学部長、理事を歴任し1999年から2期8年にわたり理事長ならびに学長を務めた。 長崎県佐世保市出身。大阪市立大学では福井孝治、飯田繁の指導を受ける。1969年に専任講師として愛知大学法経学部に着任。のち助教授、教授となる。 1989年に所属する法経学部が法学部、経済学部、経営学部の3学部に分離。
宮﨑 元伸(みやざき もとのぶ 1938年6月30日 - )… 宮﨑 元伸(みやざき もとのぶ 1938年6月30日 - )は、日本の実業家。山田洋行で専務取締役を務めた後、日本ミライズを設立した人物。 福岡県出身。高校卒業後、航空自衛隊に入隊。中央大学経済学部第二部(夜間部)を卒業。除隊後、防衛関連の商社を経て、1969年3月に設立された山田洋行へ航空自衛隊及び防衛関係での人脈を買われて発足時より参画する。守屋武昌を筆頭に防衛庁(現:防衛省)に独自の人脈を形成したこともあって、山田洋行の専務取締役として新参でかつ財閥系でも無い同社が防衛産業での地歩を固めるのに大きく寄与したとされる。 山田洋行オーナーである山田正志は、不動産業にて被った債務弁済のため、宮崎ら他の役員に無断で山田洋行を約百億円で売却しようとした[要出典]。
山根 敬則(やまね よしのり、1938年(昭和13年)6月3… 山根 敬則(やまね よしのり、1938年(昭和13年)6月30日 - )は、日本の政治家、実業家。元岡山県玉野市長(3期)。株式会社NICS(旧:日本情報管理システム)創業者。 大阪府大阪市にて生誕。幼少期に父の仕事の関係で岡山県玉野市へ転入する。岡山県立岡山朝日高等学校を経て、中央大学法学部へ進学した。 大学卒業後は、父が経営する山根船舶工業株式会社に入社。その後、父の死去に伴い同社の代表取締役社長に就任した。社長在任中は若くして玉野青年会議所(玉野JC)の第16代理事長を務めたほか、日本青年会議所岡山ブロック協議会会長、さらには日本青年会議所(日本JC)のアジア委員長、中国地区担当常任理事、監事など数多くの要職を歴任した。
蛇川 忠暉(じゃがわ ただあき、1938年6月29日 - )… 蛇川 忠暉(じゃがわ ただあき、1938年6月29日 - )は日本の技術者、実業家。トヨタ自動車取締役副社長を経て、トヨタ自動車が新たに子会社化した日野自動車で代表取締役社長や代表取締役会長として同社の再建にあたった。日本科学技術連盟理事長、型技術協会会長なども歴任。デミング賞本賞、大倉喜七郎賞受賞。 北海道小樽市生まれ。北海道札幌西高等学校を経て、1961年北海道大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。1988年取締役に昇格。1994年常務。1996年専務。1999年取締役副社長。2001年相談役に退いた。 2001年からトヨタ自動車が子会社化した日野自動車の代表取締役社長を務め、経営危機にあった同社を、外部出身者として改革により再建を行って、赤字からの回復を達成。
佐野 洋子(さの ようこ、1938年〈昭和13年〉6月28日… 佐野 洋子(さの ようこ、1938年〈昭和13年〉6月28日 - 2010年〈平成22年〉11月5日)は、日本の絵本作家、エッセイスト。 代表作として、絵本『100万回生きたねこ』(1977年)。エッセイ、児童文学、脚本、小説、海外絵本の翻訳も手がけた。 1938年、満鉄調査部勤務の父利一、母シズの間に、長女(7人きょうだいの第二子)として北京で生まれる。幼少期を北京で過ごし、1945年(7歳)に大連に転居して小学校に入学、同地で日本の敗戦を迎える。1947年(9歳)に一家は山梨県に引き揚げ、当初は父方伯父のもとに身を寄せた。 1942年に三弟(生後33日)、1947年の引き揚げ後に四弟(4歳)を亡くし、1948年(10歳)には大好きであった兄(11歳)を亡くしている。
小林 俊一(こばやし しゅんいち、1938年6月28日 - … 小林 俊一(こばやし しゅんいち、1938年6月28日 - )は、日本の物理学者、理学博士。理化学研究所理事長を務めた。 奈良県出身。1962年に大阪大学理学部物理学科を経て、1967年に大阪大学院理学部物理学専攻博士課程修了。 1967年4月に大阪大学基礎工学部助手に就任し、1968年11月には東京大学理学部助手に就任し、講師、助教授、教授を経て、1993年4月に理学部部長に就任し、1997年4月には副学長に就任。1998年8月から2003年4月までに理化学研究所理事長を務め、2004年4月に東京農業大学監事を経て、2006年4月に秋田県立大学理事長兼学長に就任。 2018年11月に瑞宝中綬章を受章。
西原 親(にしはら ちかし、1938年(昭和13年)6月28… 西原 親(にしはら ちかし、1938年(昭和13年)6月28日 - 2018年(平成30年)12月27日)は、日本の政治家。位階は従四位。 福岡県みやま市長(3期)、福岡県議会議員(5期)。 1961年(昭和36年)3月、九州大学経済学部卒業。同年4月、江商株式会社(現・兼松株式会社)に就職。1981年(昭和56年)4月から2007年(平成19年)3月まで福岡地方裁判所調停委員を務めた。 1983年(昭和58年)4月の福岡県議会議員選挙に初当選。2003年(平成15年)の県議選において、当時定数2だった山門郡選挙区で自民党公認の候補者に僅差で敗れた。県議時代は全国農政連に所属した。 2007年(平成19年)1月29日、瀬高町・山川町・高田町が合併し、みやま市が誕生。
伊藤 瞭介(いとう りょうすけ、1938年6月28日 - )… 伊藤 瞭介(いとう りょうすけ、1938年6月28日 - )は、日本の実業家。1997年に風力発電メーカーであるゼファーを設立、小型風力発電施設では日本一のシェアを誇る企業に成長させた。
門馬 忠雄(もんま ただお、1938年6月27日 - )は日… 門馬 忠雄(もんま ただお、1938年6月27日 - )は日本のジャーナリスト、プロレス評論家。ニックネームは「ぼやき評論の第一人者」。 福島県相馬市出身。日本大学藝術学部卒業後の1962年、東京スポーツ新聞社に入社(「新日本プロレス12人の怪人」著者紹介より)。以降、プロレス記者として現場に関わり続け、記者時代には取材よりも取材先での飲み歩きに没頭していたことから「ドサ回りのモン」と呼ばれ、多い時には年間約200日も出張取材を行っていた。国際プロレスを主に担当し、国際プロレス所属レスラーやスタッフから「モンちゃん」のあだ名で親しまれた。1970年代には国際プロレス中継「国際プロレスアワー」の、また1980年代には「世界のプロレス」(ともにテレビ東京にて放映)の解説者も務めた。