金井 圓(かない まどか、1927年6月5日 - 2001年… 金井 圓(かない まどか、1927年6月5日 - 2001年7月7日)は、日本の歴史学者。専攻は日本近世史。特に近世から近代にかけての対外交流史関係の著作が多い。 長野県東筑摩郡里山辺村(松本市)出身。旧制岡谷市立中学(現在の長野県岡谷南高等学校)を経て、1948年旧制松本高等学校文科乙類卒業、1951年東京大学文学部国史学科卒業。1956年同大学院人文科学研究科中退。1951年東京大学史料編纂所に入所、1962年助手、1971年助教授、1976年教授、1987年「日蘭交渉史の研究」で東大文学博士。1988年定年退官、名誉教授。 『神奈川の写真誌』全5巻、石井光太郎 共編 有隣堂 1970-1971年。
金井 圓(かない まどか、1927年6月5日 - 2001年… 金井 圓(かない まどか、1927年6月5日 - 2001年7月7日)は、日本の歴史学者。専攻は日本近世史。特に近世から近代にかけての対外交流史関係の著作が多い。
安東 仁兵衛(あんどう じんべえ、1927年6月5日 - 1… 安東 仁兵衛(あんどう じんべえ、1927年6月5日 - 1998年4月24日)は、日本の社会主義者。構造改革派の論客。筆名は笹田 繁(ささだ しげる)。 旧制水戸高校在学中の1948年に日本共産党に入党。東京大学在学中は、沖浦和光とともに東大細胞や学生運動のリーダーとして活躍。イールズ闘争に関与し、東京大学戦後初の退学処分を受ける。 その後、主に日本共産党の文京地区委員会の常任活動家として類いまれな行動力で党活動に献身。50年問題などを克服する過程では国際派の宮本顕治に期待を託し、日本共産党第7回大会での宮本書記長の実現に現場の活動家として貢献。 その後、日本共産党内の構造改革派の論客となり、1959年5月、長洲一二らとともに雑誌『現代の理論』創刊に参加(同年9月終刊)。
相原 巨典(あいはら きょすけ、1927年6月5日 - 19… 相原 巨典(あいはら きょすけ、1927年6月5日 - 1990年3月2日)は、日本の俳優。本名は相原 巨介。 東京府東京市蒲田区出身。日本大学芸術学部映画学科中退。東宝、日活 を経て、東京俳優生活協同組合に所属していた。 1946年、東宝ニューフェイス第1期に合格。1955年に日活へ移籍。映画やテレビドラマなどで脇役として活躍した。 1990年3月2日、狭心症のため死去。62歳没。 特技は柔道、乗馬、殺陣。
室木 洋一(むろき よういち、1927年6月4日 - 200… 室木 洋一(むろき よういち、1927年6月4日 - 2003年12月8日)は日本の武道家であり、教育者。戦後、北海道に空手を普及した先駆者。 1980年(昭和55年)の和道流、和道会の分裂騒動においては全日本空手道連盟和道会へ所属。北海道大学退官後は、空手道関連の役職から退き、後任に道を譲る。生涯個人の道場を持たず、流派を問わずして空手振興に尽力した。晩年は、合気柔術の大東流合気柔術幸道会の顧問を務め、空手道では全日本清心会(清心流空手道)技術顧問も務めた。
赤羽 太郎(あかばね たろう、1927年6月3日 - 199… 赤羽 太郎(あかばね たろう、1927年6月3日 - 1995年9月23日)は、日本の医学者(小児科学)。 長野県出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校理科を経て、昭和27年(1952年)旧制松本医科大学医学部卒業。同28年米国留学、同30年(1955年)信州大学助手、同38年(1963年)医学部助教授、同44年(1969年)教授、同63年(1988年)信州大学医学部附属病院長、平成元年(1989年)学長。
高木 禮二(たかぎ れいじ、1927年(昭和2年)6月2日 … 高木 禮二(たかぎ れいじ、1927年(昭和2年)6月2日 - 2007年(平成19年)5月3日)は、日本の実業家である。明光商会の創業者として知られた。 兵庫県神戸市にて、横浜正金銀行に勤務するエリートの父と油問屋の家庭の母の間に7人きょうだいの次男として生まれる。少年時代は父の赴任先の青島やパリで過ごし、絵本に描かれた世界の風景に憧れどうすれば世界の名所や美味しいものを食べられるのかと聞いたところ元陸軍大佐の祖父から「外交官になれ、外交官になるなら帝大に入れ、帝大に入るため英語と数学を勉強し学校一番の成績を取れ」と檄を飛ばされるも、少年時代は勉強を好まず作文と図画は高評価だったものの素行や算術では低評価となり、小学5年生になり東京から神戸に転校して以降には成績表を偽造することもあった。
瀬戸口 正昭(せとぐち まさあき、1927年6月2日 - 1… 瀬戸口 正昭(せとぐち まさあき、1927年6月2日 - 1998年4月15日)は、日本の実業家。名古屋テレビ放送社長を務めた。 大阪府出身。1951年に東京大学文学部仏文科を卒業し、同年に朝日新聞社に入社。名古屋本社編集局長、名古屋本社代表、取締役、西部本社代表などを歴任した。1987年に名古屋テレビ放送常務に就任し、1989年6月に専務を経て、1993年6月から1998年3月までに社長を務めた。 1996年から1998年までに日本民間放送連盟副会長を務めた。 1998年4月15日、肺線維症のために死去。70歳没。
丹宗 暁信(たんそう あきのぶ、1927年6月2日 - 20… 丹宗 暁信(たんそう あきのぶ、1927年6月2日 - 2014年1月31日)は、日本の法学者(経済法)、弁護士。法学博士(九州大学)。北海道大学教授、千葉大学教授を歴任。「丹宗昭信」とも表記される。佐賀県出身。 1952年(昭和27年)東京大学法学部卒業。1957年(昭和32年)同大学院(旧制)特別研究生修了(指導教授:田中二郎)。 1958年(昭和33年)九州大学法学部助教授(経済法ほか担当)。1960年(昭和35年)フルブライト奨学金でコロンビア大学ロースクール(コロンビア・ロー・スクール)等に留学。1962年(昭和37年)2月「経済法学の体系化のための基礎理論の考察」で九州大学より法学博士の学位を取得。
小川 進(おがわ すすむ、1927年〈昭和2年〉6月2日 -… 小川 進(おがわ すすむ、1927年〈昭和2年〉6月2日 - 1996年〈平成8年〉9月11日)は、日本の政治家、千葉県四街道市長(2期)。 千葉県出身。明治大学政治経済学部卒。印旛郡千代田町(のち四街道町を経て、四街道市)役場に入り、教育長、収入役を務めた。1992年の四街道市長選挙に立候補し、初当選する。1996年に再選。当選後の9月に死去した。
安堂 信也(あんどう しんや、1927年6月1日 - 200… 安堂 信也(あんどう しんや、1927年6月1日 - 2000年10月18日)は、日本のフランス文学者・翻訳家。早稲田大学名誉教授。 東京出身。京城で敗戦を迎える。1951年早稲田大学仏文科卒、大学院に進み、1952年パリ第3大学に留学。留学時代にはなだいなだと過ごすこともあった 。1954年帰国し、文学座で演劇の実践に携わる。1956年博士課程進学、1959年中退、1962年早稲田大学文学部専任講師、1965年助教授、1970年教授。演劇博物館副館長などを務め、1995年定年退任。 マイムやダンス・バレエに貢献した及川廣信のマイム研究所では大野一雄らと共に指導し門下から舞踏の大野慶人,マイムの佐々木博康らを輩出した。
蔵原 惟繕(くらはら これよし、1927年5月31日 - 2… 蔵原 惟繕(くらはら これよし、1927年5月31日 - 2002年12月28日)は、日本の映画監督。文芸評論家・蔵原惟人はいとこおじ、映画監督・蔵原惟二は実弟にあたる。 父親は鈴木商店の傍系会社・日沙商会の農業技師で、ボルネオ島のサラワク王国クチン市(現・マレーシアのサラワク州クチン)のゴム園で働いているとき、当地で出生。小学時に日本に戻り東京の田園調布小学校に入学。小学4年のとき、兵庫県神戸市に移り、御影第三小学校に転校。関西学院中等部終了後、海軍特別幹部練習生となる。入隊して広島県賀茂郡郷原村(現呉市郷原)で陸戦訓練中に広島原爆を目撃。 戦後復員し、家族の疎開先、徳島県海部郡川上村で農作業をした後、日本大学三島予科に入学、のち日本大学芸術学部映画科に進んだ。
宮錦 浩(みやにしき ひろし、1927年5月30日 - 19… 宮錦 浩(みやにしき ひろし、1927年5月30日 - 1992年7月6日)は、岩手県宮古市出身で高砂部屋(入門時は芝田山部屋)に所属した大相撲力士。本名は野澤 浩(のざわ ひろし)。最高位は西小結(1955年1月場所)。得意手は左四つ、寄り。現役時代の体格は171cm、119kg。 実家は、酒や米を売る商店を営んでいた。 1942年(昭和17年)5月、元横綱・宮城山福松が率いる芝田山部屋に入門した(同年1月場所初土俵説もある)が、程なく親方が逝去。それにより宮城山の師匠・早瀬川(元関脇)の高田川部屋に預けられ、その後、彼の死去に伴って高砂部屋に移った。 序ノ口に付いた時の四股名は、出身地・岩手県の名峰(早池峰山)に因んだ「早地峯」。
垂水 悟郎(たるみ ごろう、本名:垂水 五郎、1927年〈昭… 垂水 悟郎(たるみ ごろう、本名:垂水 五郎、1927年〈昭和2年〉5月29日 - 1999年〈平成11年〉1月21日)は、日本の俳優。岡山県新見市出身。岡山県立新見高等学校卒。 長男は俳優・モデルの垂水藤太。 劇団民藝で演劇をしていたが、退団後は映画やテレビドラマに出演していた。 1999年(平成11年)1月21日午後5時55分、くも膜下出血のため東京都内の病院で死去、71歳没。
盛田 正明(もりた まさあき、1927年5月29日 - )は… 盛田 正明(もりた まさあき、1927年5月29日 - )は、日本の実業家。ソニー副社長、ソニー・アメリカ会長、ソニー生命保険社長・会長を歴任した。 愛知県名古屋市出身。実家は江戸時代創業の老舗造り酒屋『盛田』。三人兄弟の末子で、長兄にはソニー創業者のひとりである盛田昭夫、次兄には盛田を引き継いだ盛田和昭(和昭の妻は大日本紡績常務田代重三の四女)がいる。義兄(姉の夫)はソニー元社長の岩間和夫。母方の祖父は旧大垣藩家老家で大垣共立銀行頭取の戸田鋭之助で、母方の伯父には実業家の戸田直温・戸田良直兄弟がおり、早川種三は母の従兄弟にあたる。 愛知県立第一中學校(旧制愛知一中・現 愛知県立旭丘高等学校)時代はバレーボール部に入り、セッターとしてプレーしていた。
佐藤 誼(さとう よしみ、1927年5月28日 - 2021… 佐藤 誼(さとう よしみ、1927年5月28日 - 2021年3月2日)は、日本の政治家、教諭。山形県高校教職員組合執行委員長を経て、衆議院議員を3期務めた。1998年勲三等旭日中綬章受章。 山形県鶴岡市出身。山形師範学校、東北大学を卒業。山形県立鶴岡工業高等学校教諭、県高校教職員組合執行委員長等を歴任。1971年・1974年・1977年の参院選落選を経て、1979年の第35回衆議院選挙で旧山形2区から、安宅常彦の引退を受け日本社会党公認で立候補。トップ当選した自由民主党の加藤紘一に400票弱に迫る僅差で、初当選。以後当選3回。 旧山形2区は、1967年の第31回衆議院選挙以降、定数4議席を自由民主党と野党(日本社会党、社会民主連合)とで2議席ずつ分け合ってきたが、1986年の公職選挙法の部分改正による8増7減で減員区となった。
筧 栄一(かけい えいいち、1927年5月27日 - 201… 筧 栄一(かけい えいいち、1927年5月27日 - 2013年5月15日)は、日本の弁護士(登録番号:22838)。検事総長。位階は正三位。 島根県隠岐郡西郷町(現・隠岐の島町)出身。1940年 東京府立第一中学校入学。同期に山口光秀(大蔵事務次官)、杉山和男(通産事務次官)、手島冷志(外務審議官)、柳健一(駐韓大使)ら官界を中心に活躍した者のほかに出光昭介(出光興産会長)などがいる。その後一高を経て、1951年に東京大学法学部政治学科卒業。1953年に検察官となる。 1975年に法務省人事課長となり、以後、1978年に佐賀地方検察庁検事正、1979年に法務省大臣官房長、1982年、最高検検事、1983年、法務省刑事局長、1985年に法務事務次官に。
岩村 昇(いわむら のぼる、1927年5月26日 - 200… 岩村 昇(いわむら のぼる、1927年5月26日 - 2005年11月27日)は、日本の医学者、医師。愛媛県宇和島市出身。
藤沢良一(ふじさわ りょういち、1927年5月25日 - )… 藤沢良一(ふじさわ りょういち、1927年5月25日 - )は、北海道小樽市出身で1950年代に活躍した日本の元クロスカントリースキー、ノルディック複合、スキージャンプ選手。小樽水産高校から明治大学を経て松尾鉱山。1998年の長野オリンピックでは、聖火リレーの走者を務めた。
多田 真鋤(ただ ますき、1927年5月25日 - 2015… 多田 真鋤(ただ ますき、1927年5月25日 - 2015年7月12日)は、日本の政治学者。専門は、西洋政治思想史。法学博士。慶應義塾大学名誉教授。 福岡県生まれ。1950年慶應義塾大学法学部政治学科卒業、1950年同法学部助手・同法学部通信教育課程インストラクター、1956年同法学部助教授、1963年同法学部教授、1968年同通信教育部長、88年慶應義塾大学早期退職、同名誉教授、「近代ドイツ政治思想研究」で法学博士の学位を取得、横浜商科大学商学部教授。1998年横浜商科大学定年退職。日本文化大学法学部客員教授。2003年日本文化大学退職。この他に、旧司法試験第一次試験考査委員や維新政党・新風講師も務めた。
磯 博(いそ ひろし、1927年5月24日 - 2006年1… 磯 博(いそ ひろし、1927年5月24日 - 2006年1月26日)は、日本の美術史学者。関西学院大学名誉教授。専攻は日本美術史。 夫人は松蔭中学校・高等学校校長の磯由美子。
吉峯 良二(よしみね りょうじ、1927年 <昭和2年> 5… 吉峯 良二(よしみね りょうじ、1927年 <昭和2年> 5月24日 - 2022年 <令和4年> 5月7日)は日本の政治家。鹿児島県加世田市長(2期)。加世田市名誉市民、南さつま市名誉市民。位階は正六位。 鹿児島県出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、陸軍士官学校61期入校(赤崎義則鹿児島市長、久保亘参議院議員らと士官学校同期で、1945年に予科生で終戦し士官学校解散となり終業)。1951年大阪大学経済学部卒業。会社役員を経て、1962年12月から6期22年にわたり加世田市助役を務める。1985年11月10日第3代加世田市長に就任し、1993年11月9日まで2期務めた。
遠藤 進之助(えんどう しんのすけ、1927年5月24日 –… 遠藤 進之助(えんどう しんのすけ、1927年5月24日 – 1955年8月31日)は、日本の歴史家。 岩手県岩手郡寺田村(西根村、西根町を経て、現在の八幡平市)に生まれる。岩手師範学校本科に進学し、森嘉兵衛に学ぶ。1948年に同校を卒業し、東北大学法文学部に進学。古田良一、豊田武に師事し、日本史を専攻する。1951年に同大学を卒業し、大学院特別奨学生となり、1955年に東北大学文学部東北文化研究室員となる。幕末維新期の東北史を中心に、幕藩体制の成立と変質崩壊過程の研究に取り組むも、急逝した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
笠原 芳光(かさはら よしみつ、1927年5月23日 - 2… 笠原 芳光(かさはら よしみつ、1927年5月23日 - 2018年11月10日)は、日本の宗教学者、京都精華大学名誉教授。宗教思想史専攻。評論家として『思想の科学』などに執筆。文芸評論も行う。 大阪府生まれ。同志社大学卒業、同志社大学大学院神学研究科修士課程修了。同大宗教主事、1969年京都精華大学教授。83年から92年まで学長を三期務めた。1998年定年、名誉教授。
小尾 恵一郎(おび けいいちろう、1927年〈昭和2年〉5月… 小尾 恵一郎(おび けいいちろう、1927年〈昭和2年〉5月22日 - 1997年〈平成9年〉10月16日)は、日本の経済学者。慶應義塾大学経済学部名誉教授。専門は計量経済学。労働供給に関する理論・実証研究で知られる. 1940年慶應義塾幼稚舎卒業、1944年慶應義塾普通部(旧制)卒業、1947年慶應義塾大学(旧制)予科卒業、1950年慶應義塾大学(旧制)経済学部卒業、1966年慶應義塾大学経済学博士(慶應義塾大学第220号)。 慶應義塾大学経済学部副手(1950年4月 - 1953年3月)・助手(1953年4月 - 1957年3月)・助教授(1957年4月 - 1967年3月)を経て、1967年4月同教授となり、その後、1993年3月定年退職、同年4月獨協大学経済学部教授となった。
田邊 英蔵(たなべ えいぞう、1927年5月22日 - 20… 田邊 英蔵(たなべ えいぞう、1927年5月22日 - 2019年1月22日)は、日本の実業家。元後楽園スタヂアム(現・東京ドーム)副社長、熱海後楽園社長、文教大学国際学部教授。 父の田邊 宗英は帝国拳闘協会会長、株式会社後楽園スタヂアム(現・東京ドーム)第4代社長、日本ボクシングコミッション(JBC)初代コミッショナー。株式会社よみうりランド初代社長。新東宝社長。 1927年(昭和2年)東京で生まれる。東北大学卒業。スキューバダイビングの草分け的存在で、ダイビングへ行くための「母艦」として1963年、日本初のダイビング用ヨット「蒼竜」を建造。その活動の日々を「きゃびん夜話」としてヨット、モーターボートの専門誌「舵(KAZI)」に21年間連載。
安田 修三(やすだ しゅうぞう、1927年5月21日 - 1… 安田 修三(やすだ しゅうぞう、1927年5月21日 - 1994年2月2日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(4期)。 富山県富山市出身。中央大学法学部卒。1948年富山重工労組書記長、1951年富山県労協オルグ、1961年富山県労協組織部長、1966年全国一般富山地本委員長、翌年全国一般中執、1972年同副委員長を経て、1979年の総選挙で旧富山1区から立候補して初当選、4期務めた。1993年の総選挙で落選し、政界から引退する。 1994年2月2日。死去。66歳没。同月18日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で従四位勲二等に叙され、瑞宝章を追贈された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
石井 泰之助(いしい やすのすけ、1927年5月21日 - … 石井 泰之助(いしい やすのすけ、1927年5月21日 - 2004年4月3日)は、日本の経営者。三井造船社長を務めた。岡山県岡山市出身。 1950年に東京大学工学部機械学科を卒業し、同年に三井造船に入社。1979年6月に取締役に就任し、1982年6月に常務、1984年6月に専務を経て、1988年6月に社長に就任。1993年6月には会長に就任し、1996年6月には相談役に就任。 2004年4月3日、心室性不整脈のために死去。76歳没。
二所錦 照生(にしょにしき てるお、1927年5月21日 -… 二所錦 照生(にしょにしき てるお、1927年5月21日 - 没年不明 )は、現在の島根県出雲市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は大野 輝雄(おおの てるお)。176cm、83kg。最高位は西十両13枚目。得意技は左四つ、下手投げ、掬い投げ。 1947年11月場所に初土俵。1951年1月場所に大見山 輝雄の四股名で十両昇進。新十両の場所は8勝7敗と勝ち越すが、その後3場所連続で負け越し、1952年5月場所で幕下に陥落。幕下に陥落してからしばらくの間は低迷していたが、1954年9月場所に十両に復帰した。1955年5月場所に28歳で廃業した。
板橋 興宗 (いたばし こうしゅう、1927年(昭和2年)5… 板橋 興宗 (いたばし こうしゅう、1927年(昭和2年)5月20日 - 2020年(令和2年)7月5日)は、日本の曹洞宗の僧侶。大本山總持寺貫首(獨住第二十三世、閑月即眞禅師、雲海興宗大和尚)、曹洞宗管長。總持寺祖院住職。大乗寺七十世。瑞洞院二十六世。御誕生寺三世中興。宮城県多賀城市出身。 1927年(昭和2年)、宮城県多賀城市の農家の長男に生まれる。海軍による買い上げに遭い、塩竈市に移住。旧制仙台第一中学校を経て1944年(昭和19年)に海軍兵学校76期舞鶴分校機関科に入校。敗戦後、栄養失調により肋膜炎で入院。退院後、仙台工業専門学校に入るも退学し、1949年(昭和24年)に新制東北大学文学部宗教学科に第1期生として進学、石津照璽に師事。
太田 敏郎(おおた としろう、1927年5月20日 - 20… 太田 敏郎(おおた としろう、1927年5月20日 - 2020年1月15日)は、日本の実業家。ノーリツ創業者で、同社代表取締役社長や、神戸商工会議所副会頭などを務めた。 兵庫県姫路市出身。1945年海軍兵学校卒業。同期に平松一朗(元京浜急行電鉄社長)、小林公平(元阪急電鉄社長)、志村文一郎(元電気化学工業社長)等。 タイル職人植松清次の風呂を事業化するため、1950年に神戸市で能率風呂商会を設立したが連鎖倒産の憂き目に合う。 1951年能率風呂工業(現ノーリツ)設立、同社取締役就任。ガス給湯器の開発で成功し、プロパンガスの普及もあり家庭への浴室普及が促進されるという大きな社会的影響を与えた。 1964年に取締役会で代表取締役社長を解任される。
松井 康成(まつい こうせい、1927年(昭和2年)5月20… 松井 康成(まつい こうせい、1927年(昭和2年)5月20日 - 2003年(平成15年)4月11日)は、日本の陶芸家。国の重要無形文化財「練上手(ねりあげで)」保持者(人間国宝)。本名、美明。 練上手という技法を集大成し、伝統技術を基盤にした現代の個性豊かな陶芸のあり方を提示した。
三島 耕(、1927年〈昭和2年〉5月20日 - )は、日本… 三島 耕(、1927年〈昭和2年〉5月20日 - )は、日本の俳優。東京府北豊島郡日暮里町出身。本名は長谷 勝博。 1947年、東京都立第四高等学校理科卒業。1950年、太泉映画のニューフェイスとなり、翌年『我が一高時代の犯罪』でデビュー。引き締まった男性的な風貌と堅実な演技を見せた。その後、松竹、日活、綜芸プロを経て、1958年に東宝と契約を結ぶ、多くの作品で主に脇役として活躍した。東宝特撮映画の出演も多い。1962年にフリーランスとなり、太平洋テレビジョン、さち子プロに所属していた。 また、1950年代後半から1970年代にかけてテレビドラマにも出演していたが、後に芸能界を引退した。
狩野 陽(かのう みなみ、1927年5月19日 - 2013… 狩野 陽(かのう みなみ、1927年5月19日 - 2013年11月8日)は日本の心理学者。北海道大学名誉教授、札幌学院大学名誉教授。専門分野は、社会心理学、精神神経科学。北海道小樽市出身。 1984年北海道心理学会会長(1985年まで)などを歴任 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
尾崎 巌(おざき いわお、1927年5月18日 - 2008… 尾崎 巌(おざき いわお、1927年5月18日 - 2008年5月11日)は、日本の経済学者。慶応義塾大学経済学部名誉教授。専門は計量経済学。環太平洋産業連関分析学会の初代会長(1998-1999年)を務めた。 慶応義塾大学経済学部副手・助手・助教授を経て、1968年慶応義塾大学経済学部教授,1965年-1966年にロックフェラー財団訪問研究員としてハーバード大学に滞在,慶応義塾大学産業研究所所長(1981-1987年)、日本経済データ開発センター研究所所長兼任(1970年-1972年)、早稲田大学大学院経済学研究科講師兼任(1972年-1989年)、京都大学経済研究所講師兼任(1980年-81年)、慶應義塾大学名誉教授(1992年-)。
土屋 嘉男(つちや よしお、1927年5月18日 - )は、… 土屋 嘉男(つちや よしお、1927年5月18日 - )は、日本の俳優。本名同じ。身長173cm、体重72kg。
子安 勝(こやす まさる、1927年(昭和2年)5月18日 … 子安 勝(こやす まさる、1927年(昭和2年)5月18日 - 2008年(平成20年)4月8日)は、日本の学者。専門は騒音。 1927年5月18日、岐阜県大垣市生まれ。1947年、静岡高等学校理科卒業。1950年3月、東京大学第二工学部物理工学科卒業。同年4月、小林理学研究所入所。1952年4月、東京大学理工学研究所助手。1956年7月、再び小林理学研究所に入所。1965年8月、同所主任研究員。1971年10月、同所所長。1983年10月、音響工学研究所代表取締役。1992年4月から1998年3月まで、千葉工業大学教授。 1984年から1986年まで日本騒音制御工学会会長を、1987年から1989年まで日本音響学会会長を、それぞれ務めた。
小池 和夫(こいけ かずお、1927年5月17日 - 200… 小池 和夫(こいけ かずお、1927年5月17日 - 2009年5月3日)は、日本の実業家。湖池屋の創業者。長野県諏訪市出身。 高校卒業後に上京し、職業を転々とし、1958年には湖池屋を設立し、社長に就任。1995年にフレンテ会長に就任し、2006年には名誉会長に就任。1994年3月には会長に就任。 2009年5月3日肺炎のために死去。81歳没。
武内 亨(たけうち とおる、1927年5月16日 - 200… 武内 亨(たけうち とおる、1927年5月16日 - 2006年8月4日)は、日本の俳優。本名:武内 享。 愛媛県今治市出身。明治大学予科中退。劇団俳優座養成所第2期生を経て、劇団俳優座に所属していた。 テレビ時代劇『水戸黄門』では、徳川綱吉・大名・商人・梅小路大納言などを演じた。 2006年8月4日、肝内胆管癌のため神奈川県川崎市の病院で死去。79歳没。
石山 透(いしやま とおる、1927年〈昭和2年〉5月15日… 石山 透(いしやま とおる、1927年〈昭和2年〉5月15日 - 1985年〈昭和60年〉12月3日)は、日本の脚本家。主に1960年代、70年代にNHKテレビの少年少女ドラマで人気を博した。北海道小樽市出身。本名は笹岡幸司。 9歳で神奈川県に移住。科学を志し、東京高等学校理科に学ぶが断念、卒業後は学友の熊倉一雄らとともに劇団「感覚座」を主宰。このころから脚本・演出も手がける。1950年頃から、ラジオ・テレビを中心に脚本家としての活動を開始。 1952年にNHK札幌放送劇団に入団。同局の専属作家となり、1956年にラジオドラマ『パイロット・ファーム』で文部省芸術祭奨励賞受賞。1959年にNHK東京の専属作家となり、同年の『ピエロが泣いた』でテレビのシナリオ作家としてデビュー。
山田 治雄(やまだ はるお、1927年〈昭和2年〉5月15日… 山田 治雄(やまだ はるお、1927年〈昭和2年〉5月15日 - 2022年〈令和4年〉7月1日)は、日本の政治家、行政書士。熱海市議会議員(12期)。日本最年長の市議会議員として知られていた。 1927年(昭和2年)、静岡県田方郡熱海町(現在の熱海市)に生まれる。生家は現在「かんぽの宿 熱海」が建っている場所にあった。熱海町立熱海尋常高等小学校(現在の熱海市立第一小学校)を卒業後、旧制中学校に当たる帝京商業学校(現在の帝京大学中学校高等学校)へ入学する。なお、中日の監督などを務めた杉下茂は山田の2年先輩にあたる。 その後、1943年(昭和18年)8月に役所の兵事課に入隊を申し出て、同年10月に三重海軍航空隊を受験する。
高橋 太郎(たかはし たろう、1927年5月15日 - 20… 高橋 太郎(たかはし たろう、1927年5月15日 - 2006年11月20日)は、日本の言語学者、日本語学者。 京都府京都市下京区の生まれ。1952年京都大学文学部哲学科心理学専攻卒業。国立国語研究所名誉所員。学位は博士(文学)。 1988年に国立国語研究所を定年退職。 長女は翻訳家の高橋さきの。次男は映像作家の高橋洋平。 国立国語研究所を退職後も麗沢大学、立正大学、関西外国語大学などで学生の教育にも力を注ぎ、多くの研究者を育てた。 奥田靖雄・鈴木重幸らの言語学研究会の主要メンバーの一人であり、教育科学研究会・国語部会その他の民間教育研究団体や、日本教職員組合・全日本教職員組合の教育研究全国集会等でも、講師などとして国語教育(主として文法を体系的に教える言語教育)に関する指導・助言を行った。
高橋 忠治(たかはし ちゅうじ、1927年5月15日 - 2… 高橋 忠治(たかはし ちゅうじ、1927年5月15日 - 2020年12月23日)は、日本の児童文学者。民話にも造詣が深い。詩人・童話作家としても知られ、地域に根ざした児童文学の創作を掲げる。 1927年(昭和2年)、長野県飯山市に生まれる。長野師範学校の研究科から法政大学文学部を卒業後教員として故郷に戻り、小学校へ赴任する。教鞭をとりつつ独創性のある教育論を述べ、地元文芸誌「信州白樺」などで連載を行う。民俗学者として特に民話に深く通じ、1955年に日本児童文学者協会に加盟。はまみつをや和田登らとともに信州児童文学会を立ち上げ、1978年から同会会長も務める。1958年から同会発行の文芸誌「とうげの旗」編集委員を務め、数多くの詩や童話を掲載している。
登坂 健児(とさか けんじ、1927年(昭和2年)5月14日… 登坂 健児(とさか けんじ、1927年(昭和2年)5月14日 - )は、日本の政治家。元新潟県燕市長(1期)。 新潟県南蒲原郡燕町(現・燕市)出身。1946年、加茂朝中学校(現・加茂暁星高等学校)卒。1961年、トサカプレスを創業する。1979年に株式会社化し、社長に就任する。1975年、燕市議会議員に初当選し、3期務め、議長も務めた。1990年、燕市長に当選し、1期務めた。1994年に落選した。2002年に母校の加茂暁星学園の理事長に就任した。
長谷川 潔(はせがわ きよし、1927年5月14日 - 20… 長谷川 潔(はせがわ きよし、1927年5月14日 - 2009年2月23日)は、日本の英語学者。 神奈川県横浜市出身。立教大学卒。バルパライソ大学卒、カリフォルニア州立大学大学院修士課程修了。お茶の水女子大学助教授、横浜国立大学教育学部教授。93年定年退官、関東学院大学教授を務めた。日本丸名誉船長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
武田 克之(たけだ かつゆき、1927年5月13日 - 20… 武田 克之(たけだ かつゆき、1927年5月13日 - 2016年10月14日)は、日本の医学者、皮膚科医。徳島大学名誉教授、第9代徳島大学学長。 愛媛県出身。1953年徳島医科大学卒業。同大学医学部教授、徳島大学病院院長、医学部長を経て1991年に同大学学長に就任し1997年まで務めた。徳島大学埋蔵文化財委員会委員長、NPO法人F.M.L理事長なども歴任。 1960年 徳島大学 医学博士。論文の題は「皮膚機能と肝機能の関連にかんする臨床的研究」。 2003年春の叙勲で勲二等旭日重光章を受章。2016年10月14日死去。同日付で叙従三位。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
江口 浩司(えぐち ひろし、1927年5月12日 - 201… 江口 浩司(えぐち ひろし、1927年5月12日 - 2010年1月23日)は、日本の作曲家。 海軍軍楽隊出身で流行歌の作曲家として成功していた江口夜詩の長男として、東京府東京市神田区鍛冶町に生まれた。 1944年に海軍兵学校へ76期生として入校するも、在校中に終戦を迎えた。その後は父と同じ作曲家を志し、1947年に武蔵野音楽大学作曲科へ進み、服部正にも師事する。 1955年、作詞・作曲した「さよならのビギン」が松島詩子歌唱で発売され、流行歌の作曲家としてデビュー。 1959年から1984年にフリーになるまで、キングレコードの専属作曲家として「忘れな草をあなたに」、「下町の太陽」などを作曲した。
小尻 源峰(こじり げんぽう、1927年<昭和2年>5月12… 小尻 源峰(こじり げんぽう、1927年<昭和2年>5月12日 - 2011年<平成23年>3月13日)は日本画家である。師は森谷南人子。広島県尾道市出身で現在は岐阜県在住。 白峰会会長。等迦会特別会員。弟子は星月ノ友(旧雅号・小尻紗弘) 1927年(昭和2年)に広島県尾道市で生まれる。幼い頃にリウマチ熱にかかり、心臓弁膜症という重い障害が残る。6歳まで尾道市で過ごすが、父親の転勤のため大阪府島屋町へ転居する。室戸台風の被害に遭い、家が廃屋となった為、一時吹田町に転居する。その後、再び島屋町に戻り、島屋小学校へ転校後、卒業。 西野田工業高校に進学するが、1941年(昭和16年)12月8日太平洋戦争が勃発し、在学中に志願兵として、広島の呉海兵団に入隊。
辻 二郎(つじ じろう、1927年5月11日 - 2022年… 辻 二郎(つじ じろう、1927年5月11日 - 2022年4月1日)は、日本の化学者。Ph.D.(米国コロンビア大学)。東京工業大学栄誉教授。滋賀県出身。 パラジウム触媒を用いた有機合成反応の先駆者。世界で最初にパラジウム化合物を用いる炭素-炭素結合生成反応を発見した。中でも辻・トロスト反応は有名である。有力なノーベル賞候補となっていた。 1927年に、滋賀県蒲生郡近江八幡町(現在の近江八幡市)に生まれた。八幡商業学校、彦根工業専門学校(現滋賀大学)を経て、1951年京都大学理学部卒業。東レ基礎研究所研究主幹、東京工業大学工学部教授、岡山理科大学工学部教授、倉敷芸術科学大学産業科学技術学部教授を歴任。
安良城 盛昭(あらき もりあき、1927年5月10日 - 1… 安良城 盛昭(あらき もりあき、1927年5月10日 - 1993年4月12日)は、昭和期の歴史学者。沖縄大学学長などを歴任する。 東京府の出身であるが、両親はともに沖縄県の出身 であり、そのことが彼の研究にも影響を与えることとなる。 1949年に第一高等学校を卒業後、東京大学経済学部に入る。1953年の大学卒業時に書いた太閤検地に関する卒業論文が雑誌『歴史学研究』に掲載されると、学界に「安良城旋風」(服部之総)と呼ばれる衝撃を与えた(経済学部出身ではあるが、古文書読解は児玉幸多より手ほどきを受け、研究面では永原慶二、所三男、林基、山口啓二らの指導を受けた。)。安良城も石母田正の「中世的世界の形成」の影響を受けた(石母田正著作集第13巻月報13「石母田さんと私」)。