永野 為武(ながの ためたけ、1910年12月12日 - 1… 永野 為武(ながの ためたけ、1910年12月12日 - 1994年12月14日)は、日本の生物学者。俳人としても活動した。東北大学名誉教授。 1910年、愛媛県松山市で生まれた。東北帝国大学理学部生物学教室で学び、1933年に卒業。同年、同大学大学院に進学し、動物生理学を専攻した。 1936年3月、大学院を退学し、東北帝国大学理学部副手に採用された。後、講師昇格。 戦後、東北大学教養部、農学部助教授に昇格。1948年、学位論文『Physiological studies on the pigmentary system of Crustacea (甲殻類色素系の生理学的研究)』を東北大学に提出して理学博士号を取得。
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天野 幸一(あまの こういち、1910年(明治43年)12月… 天野 幸一(あまの こういち、1910年(明治43年)12月12日 - 1986年(昭和61年)12月11日)は、日本の政治家。元東京都大田区長。 宮城県伊具郡丸森町生まれ。大田区予算係長、財政課長、総務課長、教育委員会学務課長、総務部長などを歴任。1966年、助役に就任。 1973年8月5日、区長準公選条例に基づき区長候補選出の区民投票が実施され、天野が最高得票を集める。同年8月20日、区議会で区長に選任される。 1975年4月27日に行われた区長選挙に自民党の推薦を受けて立候補し初当選。 1986年12月11日、虚血性心不全のため75歳で死去。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
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四至本 愛子(ししもと あいこ、1910年12月11日 - … 四至本 愛子(ししもと あいこ、1910年12月11日 - 2013年1月25日)は、日本のジャーナリスト。四至本八郎の妻。大伴昌司の母。戸籍名は四至本アイ。 福島県東白川郡塙町生まれ。宇都宮女学校(現:栃木県立宇都宮女子高等学校)を卒業し、進学のため上京。その後、幼時から関心のあった社会運動に参加するようになり、婦女通信社に記者として勤務するかたわら、社会民衆党の本部に出入りするようになる。1931年には、吉野作造の長女の赤松明子に提唱された社会民衆党の婦人同盟の結成に参加し、広報担当者として機関紙を受け持つ。また、鐘紡本社に鐘紡女工学校を作り、女工たちに社会運動への自覚を促す講義をおこなった。
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野田 又夫(のだ またお、1910年12月10日 - 200… 野田 又夫(のだ またお、1910年12月10日 - 2004年4月22日)は、日本の哲学者。京都大学名誉教授、甲南女子大学名誉教授。 1910年(明治3年)、大阪府で生まれた。旧制大阪府立高津中学校(大阪府立高津高等学校の前身)で学び、この時の同期生には森三樹三郎(大阪大学名誉教授)がいた。1927年(昭和2年)、同中学校を卒業し、旧制大阪高等学校へ進学。3年間を過ごしたのち、京都帝国大学文学部哲学科へ進学した。 大学では、旧制大阪高等学校時代から同窓の保田與重郎(日本浪曼派で知られる)らと共に雑誌を発行し、それを西田幾多郎に持っていくなどして西田と交流していた。野田が京都帝国大学に在学した時期は「京都学派」が興隆した時期であり、西洋哲学の研究評伝集・弘文堂「西哲叢書」で最年少の執筆者としてデカルトを担当した。
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正坊地 隆美(しょうぼうじ たかみ、1910年12月9日 -… 正坊地 隆美(しょうぼうじ たかみ、1910年12月9日 - 2004年12月10日)は、日本の実業家。日本コロムビア元代表取締役社長。最大で64億円の累積赤字を出し、1970年前後に経営危機にあったレコード界の名門・日本コロムビアに日立製作所から送り込まれ、経営立て直しに成功させた。また日本レコード協会会長を二度にわたり務めた。 広島県高田郡白木町(現・広島市安佐北区)出身。白木小学校を経て、広島県立職工学校(広島県立広島工業高等学校)電気工学科を卒業後、日立製作所に入社。1960年代後半の日本コロムビアは、神崎丈二社長以下経営陣が内紛を繰り返し、バックアップしていた野村證券の奥村綱雄相談役(当時)と横田郁日本勧業銀行頭取(当時)は、たまりかねて日立製作所の駒井健一郎社長(当時)に駆け込み、1969年5月、日立製作所の西清専務が日本コロムビアに会長として送り込まれ、続いて1970年5月、正坊地が副社長として送り込まれた。
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中屋 健一(なかや けんいち、1910年12月9日 - 19… 中屋 健一(なかや けんいち、1910年12月9日 - 1987年3月28日)は、日本のアメリカ史研究家。
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中屋 健一(なかや けんいち、1910年12月9日 - 19… 中屋 健一(なかや けんいち、1910年12月9日 - 1987年3月28日)は、日本のアメリカ史研究家。 福岡市生まれ。本名は健弌。1933年、東京帝国大学西洋史学科卒。大学院では高木八尺の研究室にいたが、助手時代の松本重治とは入れ替わりだった。大学院時代に趣味である登山を始め松方三郎の指導を受けた。同盟通信社の岩永裕吉は高木とは同じ新渡戸稲造門下で、松本と松方の兄貴分であった。1936年2月に同盟入社。社会部、ついで外信部にうつって日中戦争で華北戦線に従軍した。当時の前線記者は携帯用無線機の技師、それと連絡員の三人で行動し定時に支局と連絡、記事をモールスで送ったり支局からの指令を受け取っていた。
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小田 仁二郎(おだ じんじろう、1910年12月8日 - 1… 小田 仁二郎(おだ じんじろう、1910年12月8日 - 1979年5月21日)は、日本の小説家。 山形県南陽市生まれ。旧制長井中学在学時に大竹俊雄らと同人雑誌『火花』を創刊。早稲田文学仏文科に進み、在学中は野田誠三らと「ヴァリエテ」を刊行、中原中也や山沢民喜等の同人「紀元」に参加。卒業後は都新聞に勤め、文化部文芸欄を担当するが、1941年退社。戦後になって丹羽文雄の『文学者』に参加。1948年に真善美社の「アプレゲール叢書」の一冊として刊行された「触手」で文壇の一部からは評価されたが、その難解さから商業誌には迎えられなかった。1952年「昆虫系」で芥川賞候補、53年「からかさ神」で芥川賞候補、54年「塔の沢」で直木賞候補。
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池ノ上 容(いけのうえ ひろし、1910年(明治43年)12… 池ノ上 容(いけのうえ ひろし、1910年(明治43年)12月7日 - 2003年(平成15年)4月18日)は、日本の造園研究者。国立公園行政家。千葉大学園芸学部教授を歴任。国立公園創設期から国立公園行政に携わり終生自然公園と共に歩んだ先覚者。鹿児島県生まれ。台湾育ち。 旧制台北高等学校を経て1933年(昭和8年) 東京帝国大学農学部林学科を卒業。1933年(昭和8年) 内務省嘱託となり、衛生局保健課国立公園係に就任。当時内務省に入ったころはまだ国立公園の指定準備が進められている時期で、入省後間もなく中部山岳地域の現地調査に赴き何カ月も北アルプスの山々を歩き回り、5万分の1地形図に記載されている歩道は全て歩いたという。
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山本 藤枝(やまもと ふじえ、1910年〈明治43年〉12月… 山本 藤枝(やまもと ふじえ、1910年〈明治43年〉12月7日 - 2003年〈平成15年〉7月7日)は、日本の児童文学作家、翻訳家、女性史研究家。 本名・フジヱ(旧姓・岡村)。筆名に露木 陽子(著書節、再話・翻訳節参照)。夫は児童文学作家、詩人の山本和夫。ロシア児童文学の翻訳・研究家の松谷さやかはその子にあたる。 和歌山県伊都郡笠田村(現・かつらぎ町)生まれ。高等女学校を経て東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)を卒業。卒業後は神奈川高等女学校(現・神奈川学園中学校・高等学校)の教諭を務め、のちに結婚退職した。 1977年『細川ガラシャ夫人』で産経児童出版文化賞受賞。 子ども向けの伝記、海外作品の再話・翻訳した著作を多く物するとともに、とりわけ日本史上の女性の生涯の執筆に意を注いだ。
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宇野 精一(うの せいいち、1910年〈明治43年〉12月5… 宇野 精一(うの せいいち、1910年〈明治43年〉12月5日 - 2008年〈平成20年〉1月7日)は、日本の儒学者・中国哲学研究者・国語学者。 学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1955年)。東京大学名誉教授。尚絅大学名誉学長。國語問題協議會名誉会長。斯文会理事長、日本中国学会理事長、日本会議顧問、スパイ防止法制定促進国民会議議長、世界平和教授アカデミー常任理事、国際勝共連合代表世話人、全国勝共教授団副会長などを歴任。 1910年(明治43年)、宇野哲人の長男として東京に生まれる。1923年(大正12年)に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。1928年(昭和3年)に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。
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降旗 憲二郎(ふりはた のりじろう、1910年12月5日 -… 降旗 憲二郎(ふりはた のりじろう、1910年12月5日 - 2002年6月2日)は、日本の企業家。三菱銀行元常務。 長野県北安曇郡常盤村(現大町市)生まれ。1928年(昭和3年)旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。1934年(昭和9年)慶応義塾大学経済学部卒業。 同年、三菱銀行の前身である千代田銀行入行。三菱銀行代表取締常務、富士紡績監査役を務めた。 1950年(昭和25年)の第7回通常国会において、商法改正に関する小委員会の設置に際し、財界より広く意見を聴取することを目的として以下の参考人メンバーが決定されたが、その中に降旗の名前も挙げられている。
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伏水 修(ふしみず おさむ、1910年12月5日 - 194… 伏水 修(ふしみず おさむ、1910年12月5日 - 1942年7月9日)は、日本の映画監督。本名、伏水次男。 関西学院大学卒業。1932年1月に日活現代劇監督部入社、1934年3月にP. C. L.(東宝の前身)演出課に移る。1942年、病気のため死去。
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清水 保雄(しみず やすお、1910年12月5日-1980年… 清水 保雄(しみず やすお、1910年12月5日-1980年3月10日)は昭和期の作曲家。 東京市京橋区(現:東京都中央区)生まれ。明治大学卒業。明大ではマンドリン部に所属していた。 在学中に作曲家古賀政男に師事し、大学卒業後の1940年にビクターレコードの専属作曲家となる。 南方メロディにヒントを得て作った「マニラの街角で」、「バダビアの夜は更けて」がヒット。 小畑実と藤原亮子の東宝映画「婦系図」主題歌「婦系図の歌(湯島の白梅)」、同じく東宝「伊那の勘太郎」主題歌「勘太郎月夜唄」が戦時下の中大ヒットし、一躍人気作曲家となる。楽曲のほとんどを佐伯孝夫が作詞し、数々の作品を世に送り出した。 1980年3月10日、死去。
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望月 衛(もちづき まもる、1910年12月4日 - 199… 望月 衛(もちづき まもる、1910年12月4日 - 1993年12月28日)は、日本の心理学者、千葉大学名誉教授。本名は「衞」だが、著書等では「衛」も使用した。 東京出身。1933年東京帝国大学文学部心理学科卒。陸軍航空本部に勤務。戦後は東宝に入社。思想の科学研究会に参加。東洋大学教授、1954年千葉大学教授。1976年定年退官、名誉教授、国際商科大学(現・東京国際大学)教授。1955年の『欲望』がベストセラーとなり、一般向け雑誌で盛んに発言した。1983年4月勲三等旭日中綬章を受章。 同性愛に関し、戦後初期の日本におけるパイオニア的オピニオンリーダーであり、三島由紀夫とも交流があり、論文「性的成熟と社会的成熟―三島由紀夫「仮面の告白」を検討しつゝ」(「思索」1949年11月)においては、自著『性と生活』で詳論した「仮性同性性愛(男性ジェンダーをもった男によるホモセクシュアリティ)」の生き生きとした例として『仮面の告白』の分析を行なっている。
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木村 栄(きむら さかえ、1910年(明治43年)12月4日… 木村 栄(きむら さかえ、1910年(明治43年)12月4日 – 1991年(平成3年)12月31日)は、昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員。 島根県八束郡古江村(現松江市)で生まれた。松江中学校(現島根県立松江北高等学校)を3年で中退し、1929年(昭和4年)に文学を志して上京したが半年で帰郷。農民運動に加わり、全国農民組合島根県連青年部書記を務めた。1931年(昭和6年)治安維持法違反容疑で起訴された。また、若松汽船大阪出張所、山陰道産業にも勤め、のち陸上小運搬業も経営した。 戦後、日農島根県連の結成に参与し書記長に就任し、県農地委員となり農地改革を推進した。日本共産党に入党し、1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で島根県全県区から共産党公認で出馬して初当選。
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松沢 雄蔵(松澤 雄藏、まつざわ ゆうぞう、1910年12月… 松沢 雄蔵(松澤 雄藏、まつざわ ゆうぞう、1910年12月3日 - 1983年6月12日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(9期)、第39代行政管理庁長官。真室川村村長。1981年勲一等旭日大綬章。1983年正三位。 山形県最上郡真室川村(現在の真室川町)に、300年以上続く庄屋の三男として生まれる。旧制新荘中学校(現在の山形県立新庄北高等学校)を経て、満蒙学校本科を卒業。1935年南満州鉄道の系列会社である同和自動車工業に入社、1940年に昭和通商に転じる。1941年より同社の支那代表部に勤務、大戦中は中国大陸で過ごした。 戦後の1947年、真室川村長に当選。当時は豪雨による河川の氾濫が相次ぎ、水害克服のため奮闘、県庁や中央官庁にも度々陳情を行った。
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中田 正子(なかた まさこ、明治43年〈1910年〉12月1… 中田 正子(なかた まさこ、明治43年〈1910年〉12月1日 - 平成14年〈2002年〉10月15日)は、日本の弁護士。日本初の女性弁護士の一人で、鳥取県弁護士会長、日本弁護士連合会理事などを歴任した。夫は中田吉雄元社会党参院議員。旧姓は田中。昭和25年に正子が鳥取市馬場町に開業した法律事務所は、初代鳥取市長となった岡崎平内の屋敷の応接間を使用していた。 明治43年(1910年)、東京市小石川区久堅町(現・東京都文京区小石川)に陸軍将校の父・田中國次郎(国次郎)と母・槙子の次女として生まれる。父の國次郎は憲兵少佐で、職業軍人の傍らシェークスピアを原語で読む好学の士であり、正子はこのような父の影響を受けて育った。
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磯野 誠一(いその せいいち、1910年〈明治43年〉11月… 磯野 誠一(いその せいいち、1910年〈明治43年〉11月29日 - 2004年〈平成16年〉)は、日本の法学者。民法、法社会学を専攻し、東京教育大学文学部教授などを歴任した。 1910年、東京に生まれる。旧制武蔵高校を経て東京帝国大学法学部に進む。1934年に卒業後同大学院に進学し民法を専攻、1939年に修了した。大学院修了後、地租改正資料整備会委員になり、同年10月から、国際文化振興会で、『英文日本百科事典』の編集に携わる。1941年に社会事業研究所に入所し、1943年から日本敗戦まで、北京近郊河北口の西北研究所員として、モンゴルで調査研究をした。敗戦のためウランバートルで抑留生活を送る。
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下村 治(しもむら おさむ、1910年(明治43年)11月2… 下村 治(しもむら おさむ、1910年(明治43年)11月27日 - 1989年(平成元年)6月29日)は、日本の経済学者、大蔵官僚。池田勇人内閣で高度経済成長のプランナーを務めた。 1910年(明治43年)に佐賀県佐賀郡北川副村(現・佐賀市)に生まれる。旧制佐賀中学校、旧制佐賀高等学校文科甲類を経て、1930年に東京帝国大学経済学部へ進学。 1933年、高等試験行政科試験に合格、1934年、東大経済学部を卒業し大蔵省に入省。配属先は専売局。理財局金融課を経て1936年ニューヨーク駐在。1959年退官までの間に経済安定本部物価政策課長、日本銀行政策委員などを歴任したが、病気がちなこともあり大蔵省内ではいわゆる“傍流”にあった。
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長浜 藤夫(ながはま ふじお、1910年11月27日 - 1… 長浜 藤夫(ながはま ふじお、1910年11月27日 - 1983年8月1日)は、日本の俳優。長濱 藤夫と表記されることもある。本名は竹村 時之(たけむら ときゆき)。 1910年(明治43年)11月27日、石川県金沢市千日町に生まれる。旧制麻布中学校を経て東京高等造園学校(1942年消滅、東京農業大学造園学科の前身)を卒業。 1931年(昭和6年)、新興劇協会に入り、久保栄(1900年 - 1958年)が演出を務めた舞台『青酸加里』で初舞台を踏み、新劇俳優として活躍する。1934年(昭和9年)、山田耕筰(1886年 - 1965年)が主宰する楽劇金曜会、1937年(昭和11年)には新築地劇団、1942年(昭和17年)には瑞穂劇団へ転々とした。
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梅沢 伊勢三(うめざわ いせぞう、1910年11月27日 -… 梅沢 伊勢三(うめざわ いせぞう、1910年11月27日 - 1989年10月6日)は、国文学者、俳人。 埼玉県生まれ。本籍宮城県。1943年東北帝国大学法文学部日本思想学科卒。1962年「古事記及び日本書紀の研究 記紀両書の成立過程に関する文献学的並びに思想史的分析」で東北大学文学博士。1945年東北帝大助手、1952年教員となり宮城県立仙台図南高校(現仙台市立仙台大志高等学校)教諭、1963年宮城工業高等専門学校教授、76年定年退官、名誉教授、1978年東北福祉大学教授。83年退職。俳人として号を一栖。1933年「馬酔木」所属、59年「河」同人。1967年「澪」を創刊し、主宰。
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西園寺 不二男(さいおんじ ふじお、1910年11月26日 … 西園寺 不二男(さいおんじ ふじお、1910年11月26日 - 1986年5月31日)は、日本の銀行家。西園寺家第39代当主。 1910年11月26日、東京府にて宮内省の官僚・西園寺八郎の三男として誕生。1935年、東京帝国大学経済学部を卒業し日本銀行に入行。 兄の公一がゾルゲ事件に連座して廃嫡されたことによって新たに西園寺家の相続人となったが、1946年の父・八郎の死後、襲爵手続きは行わなかった。なお、華族制度は翌1947年に廃止された。 第二次世界大戦後は、日銀資金局復興金融課長等を務め、1952年に日銀を退職し、同年8月、義父・鮎川義介が経営権を持っていた中小企業助成銀行(現・三井住友銀行)の頭取に就任。
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野村 かつ子(のむら かつこ、1910年11月26日 - 2… 野村 かつ子(のむら かつこ、1910年11月26日 - 2010年8月21日)は、日本の社会運動家。生活協同組合の組織など、消費者運動に取り組んだ。 京都市西陣の商家、稲垣家に生まれ、カツと名付けられる。姉・貞(後の鑓田貞子)の影響もあり、早くからキリスト教に傾倒する。 京都府立京都第一高等女学校(京都府立鴨沂高等学校の前身)から、同志社女子専門学校(同志社女子大学の前身)英文科に進み、賀川豊彦、中島重などの薫陶を受ける。 女専在学中に同志社大学法学部の学生だった野村治一と結婚。かつ子は1931年に女専を卒業し、夫との間に長女と長男をもうけた。夫・治一は、同志社大学法学部に助手として残り、やがて助教授に昇任したが、1937年に肺結核のため他界した。
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黒金 泰美(くろがね やすみ、1910年〈明治43年〉11月… 黒金 泰美(くろがね やすみ、1910年〈明治43年〉11月25日 - 1986年〈昭和61年〉10月11日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員、内閣官房長官。1981年勲一等瑞宝章受章。父親は戦前の立憲民政党代議士の黒金泰義。 山形県米沢市出身(北海道生まれ)。旧制武蔵高校を経て、東京帝国大学法学部に入学。肺結核に罹患し4年間、病床で過ごしたため、ひとの倍をかけ大学を卒業する。 高等文官試験に一番で合格し、1935年に大蔵省に入省。理財局属。戦後、津島寿一、池田勇人両蔵相の秘書官を務める。父の死後は、米沢に近い赤湯町(現・南陽市)出身の結城豊太郎が後見役を担ったほか、郷里の偉材である池田成彬とも接する機会が多かった。
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大野 市郎(おおの いちろう、1910年(明治43年)11月… 大野 市郎(おおの いちろう、1910年(明治43年)11月25日 - 1988年(昭和63年)2月9日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(7期)。 新潟県長岡市で大野屋旅館主・大野甚松の孫として生まれた。新潟県立長岡中学校[要出典]を経て1932年(昭和7年)兵庫県立神戸高等商業学校卒業。箱根富士屋ホテルに勤めた。 1936年(昭和11年)静岡県熱海市でホテル大野屋を開業した。1940年(昭和15年)父から大野屋本店社長を継承した。熱海市会議員を務め、1950年(昭和25)熱海商工会議所会頭に就任した。日本温泉協会会長などの役職も務めた[要出典]。 佐藤栄作の秘書を経て1952年(昭和27年)自由党から第25回衆議院議員総選挙に旧新潟3区から出馬して初当選。
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山崎 斉(山崎 齊、やまざき / やまさき ひとし、1910… 山崎 斉(山崎 齊、やまざき / やまさき ひとし、1910年(明治43年)11月25日 - 没年不詳)は、昭和期の農林技官及び官僚、政治家。参議院議員(1期)、林野庁長官。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問。 高知県香美郡徳王子村(大忍村、徳王子村、香我美町を経て現香南市香我美町徳王子)で、山崎栄の二男として生まれる。1933年(昭和8年)東京帝国大学農学部林学科を卒業した。 農林省に入省し、営林署技師、大館営林署長、農林技官、林野庁林産課長、同業務課長、同計画課長、同指導部長などを歴任し、林野庁長官に1958年(昭和33年)6月から1961年(昭和36年)7月まで在任して退官した。 1962年(昭和37年)7月の第6回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。
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前田 佳都男(まえだ かづお、1910年11月24日 - 1… 前田 佳都男(まえだ かづお、1910年11月24日 - 1978年1月4日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。参議院議員(4期)。参議院副議長(第13代)。科学技術庁長官(第26代)。息子は法務大臣を務めた前田勲男。 和歌山県出身。東京法学院卒で伊那合同銀行取締役を務めた前田友次郎の長男。旧制和歌山県立伊都中学より旧制浪速高等学校文科甲類を経て1934年東京帝国大学法学部政治学科卒業。 逓信省に入省後、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツなどに留学を経験し1937年小倉郵便局長、1943年貯金局企画課長、郵務局逓送課長、郵務局次長などを歴任し、1955年大阪郵政局長を最後に退官。政界入りを目指し翌年の参議院選挙に和歌山県地方区から自由民主党公認で立候補し初当選。
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森田 雄蔵(もりた ゆうぞう、1910年(明治43年)11月… 森田 雄蔵(もりた ゆうぞう、1910年(明治43年)11月23日 - 1990年(平成2年)1月29日)は日本の小説家。 1910年(明治43年)11月23日に東京府京橋で生まれる。1935年(昭和10年)に法政大学文学部英文学科を卒業する。 戦後、本格的な作家活動に入り、1953年(昭和28年)に『はがゆい男』で第30回芥川賞候補になる。 『法政文学』『一座』『小説と詩と評論』などに小説を発表し、1958年(昭和33年)に『岳父書簡撰』を発表、1967年(昭和42年)に代表作『料亭の息子』を発表する。 また、丹羽文雄の後を受けて、全国同人雑誌作家協会会長を務めたほか、木々高太郎主宰の同人誌『小説と詩と評論』を継承し、新人作家の発掘に貢献した。
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西村 朝日太郎(にしむら あさひたろう、1909年12月21… 西村 朝日太郎(にしむら あさひたろう、1909年12月21日 - 1997年10月27日)は、日本の文化人類学者、海洋民族学者。早稲田大学文学部教授。実父は、歴史学者、考古学者、文化人類学者、民俗学者の西村眞次。雅号は、跳白亭濤如。 東京府牛込区(現東京都新宿区)新小川町に生まれる。長男として出生当時、父眞次が朝日新聞社に勤務していたことから、「朝日太郎」と命名される。早稲田大学で人類学を修めた後、1939年に同大学文学部西洋史学科を優等賞で卒業。東亜研究所所員、日本民族学会附属研究所研究員を経て、1946年から母校の早稲田大学にて教鞭を執る。1956年8月、東京教育大学(現筑波大学)にて文学博士号を取得。
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清水 三男(しみず みつお、1909年12月20日 - 19… 清水 三男(しみず みつお、1909年12月20日 - 1947年1月27日)は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。山部好吉のペンネームによる論文もある。 京都市下京区生まれ。京都府立第一中学校(現:京都府立洛北高等学校・附属中学校)を経て、1928年第三高等学校を卒業し、京都帝国大学に入学。同期に赤松俊秀らがいる。義兄でもあった中村直勝の影響と、指導教官三浦周行の指導で荘園研究を行った。卒業論文「封建制度の成立に関する一考察」をまとめ、1931年京都帝国大学文学部を卒業する。同年、大学院に進学し、西田直二郎の指導を受ける。唯物史観の立場に立って中世封建社会成立についての研究を進めた。 1931年10月から1934年3月まで、叡山学院で神道史の講師を務めた後、1935年、和歌山県立和歌山商業学校教員となる。
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田中 寿美子(たなか すみこ、1909年(明治42年)12月… 田中 寿美子(たなか すみこ、1909年(明治42年)12月20日 - 1995年(平成7年)3月15日)は、日本の政治家、婦人問題評論家、翻訳家。日本社会党中央執行副委員長、日本婦人会議(現・I女性会議)議長、婦人問題懇話会代表などを歴任。 夫は社会党衆議院議員の田中稔男。次女はメキシコ大学院大学アジア・アフリカ研究センター教授の田中道子。 兵庫県神戸市生まれ。高等女学校教師などを経て、1948年、労働省婦人少年局に入省。同僚には森山真弓、赤松良子らがいた。1950年、婦人課長に就任。1955年に退職し、日本社会党に入党した。婦人問題の評論家として活動。 1960年11月の衆院選で夫の田中稔男が次点で落選。
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湯浅 光朝(ゆあさ みつとも、1909年12月20日-200… 湯浅 光朝(ゆあさ みつとも、1909年12月20日-2005年1月26日)は、日本の科学史学者。 福井県出身。1932年東京帝国大学理学部物理学科卒。1963年「科学における創造的活動の中心地の移動 十六世紀より二十世紀にいたる」で名古屋大学理学博士。 1936年陸軍士官学校教授、1938年陸軍気象部技師を兼任。1941年菅井準一と岩波物理学講座の歴史年表をまとめた。戦後は中央気象台に入り測器課長。 1954年神戸大学教授、1973年定年退官、名誉教授、専修大学教授。80年退職。 この間、日本科学史学会創立20周年記念事業実行委員長、学会会長を務め、「日本科学技術史大系」(全25巻,別巻1)の記念出版を成功させた。
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石川 度治(いしかわ たくじ、1909年12月20日 - 1… 石川 度治(いしかわ たくじ、1909年12月20日 - 1993年5月8日)は、日本の企業経営者、出版人。愛知県出身。 元東京出版販売株式会社(現・株式会社トーハン)社長、会長。元日本出版取次協会会長、元全国出版協会理事長。 1936年、日本大学法学部卒業。 16歳の時、出版取次店の東京堂に入社。 1949年に東京出版販売(1992年にトーハンに社名変更)設立と同時に入社、1952年取締役。常務、専務、副社長を経て、1977年代表取締役社長。1984年から会長。のち顧問。その間、一般社団法人日本出版取次協会会長、公益社団法人全国出版協会理事長(1982年 - 1988年)も歴任した。 親族に元朝日新聞出版社長、会長、元週刊朝日編集長の青木康晋がいる。
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埴谷 雄高(はにや ゆたか、1909年〈明治42年〉12月1… 埴谷 雄高(はにや ゆたか、1909年〈明治42年〉12月19日 - 1997年〈平成9年〉2月19日)は、日本の政治・思想評論家、小説家。本名は般若 豊()。 共産党に入党し、検挙された。カント、ドストエフスキーに影響され、意識と存在の追究が文学の基調となる。戦後、「近代文学」創刊に参加。作品に『死霊』(1946年 - 未完)、『虚空』(1960年)などがある。 台湾の新竹に生まれる。子供の頃から身体が弱く、常に死を身近に感じていたという。子供心に台湾において「支配者としての日本人」を強く意識し、罪悪感を覚えていた。 青年期に思想家マックス・シュティルナーの主著『唯一者とその所有』の影響を受け、個人主義的アナキズムに強いシンパシーを抱きつつ、ウラジーミル・レーニンの著作『国家と革命』に述べられた国家の消滅に一縷の望みを託し、マルクス主義に接近、日本共産党に入党し、もっぱら地下活動(農民団体「全農全会派」のオルグ活動)に従事し、思想犯取り締まりのため、1932年に逮捕された。
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丸山 静雄(まるやま しずお、1909年12月19日 - 2… 丸山 静雄(まるやま しずお、1909年12月19日 - 2006年10月10日)は、日本のジャーナリスト、社会運動家。 神奈川県出身。東京外国語学校卒、朝日新聞記者となり、インパール作戦に従軍するなど、アジア諸国の特派員をへて論説委員。ベトナム戦争などを取材した。1974年退社、内部告発『論説委員』を著す。中野区教育委員、1978-1986年国際商科大学(東京国際大学)客員教授、ベトナム友好協会常任理事。全国革新懇(平和・民主・革新の日本をめざす全国の会)世話人。
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檜山 廣(ひやま ひろ、1909年(明治42年)12月18日… 檜山 廣(ひやま ひろ、1909年(明治42年)12月18日 - 2000年(平成12年)12月25日)は、日本の実業家である。丸紅の社長や会長を歴任し、同社中興の祖と言われる。国際派の論客でもあったが、ロッキード事件における中心人物のひとりとして有罪となった。 茨城県那珂郡那珂町(現在の那珂市)生まれ。旧制水戸中学校を経て、東京商科大学(現在の一橋大学)卒業。大学在学中は柔道部のエースであった。 大学を卒業した1932年(昭和7年)に大同貿易入社、1952年(昭和27年)に丸紅飯田(現在の丸紅)取締役、1957年(昭和32年)常務、専務、副社長を経て、1964年(昭和39年)に同社長、1975年(昭和50年)に丸紅会長、1976年(昭和51年)に同取締役相談役。
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大石 良世(おおいし よしつぐ、1909年 <明治42年> … 大石 良世(おおいし よしつぐ、1909年 <明治42年> 12月17日 - 1976年 <昭和51年> 2月2日)は、日本の経営者。日産火災海上保険社長を務めた。 島根県松江市出身。1932年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に日産火災海上保険に入社。 1953年に取締役に就任し、1956年に常務、1960年6月に専務を経て、1963年11月に副社長に就任し、1966年6月には社長に就任。1974年3月には会長に就任。 1972年9月に藍綬褒章を受章。 1976年2月2日、胃癌のために死去。66歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
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初世宮下 秀冽(みやした しゅうれつ、1909年〈明治42年… 初世宮下 秀冽(みやした しゅうれつ、1909年〈明治42年〉12月15日 - 1993年〈平成5年〉12月24日)は日本の作曲家・箏曲家。本名は宮下 哲郎(みやした てつろう)。三十絃箏の開発者。 群馬県高崎市(当時の群馬郡倉渕村)生まれ。旧制高崎中学を卒業後、熱病が原因で失明。箏曲家をこころざして、東京盲学校師範部音楽科に入学。古曲を初代萩岡松韻、新曲を宮城道雄、作曲を田辺尚雄から学んだ。1948年の「双調の曲」で三曲新作コンクール1位入賞。1953年の「箏主奏組曲『平家物語による幻想』」で 第8回音楽部門芸術祭奨励賞を受賞した。その後も芸術祭で受賞を繰り返した(大賞2回、入賞8回)ことから、「芸術祭男」とのあだ名で呼ばれた。
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宮坂 完孝(みやさか さだたか、1909年 <明治42年> … 宮坂 完孝(みやさか さだたか、1909年 <明治42年> 12月15日 - 1996年 <平成8年> 11月13日)は、日本の朝鮮総督府官僚、国会職員。参議院事務総長、国立国会図書館長を歴任した。位階は正三位。 長野県埴科郡埴生村(現千曲市)出身。旧制長野中学(現、長野県長野高等学校)を経て早稲田大学法学部卒業。朝鮮総督府、貴族院事務局、文部省を経て参議院事務局に奉職。1965年第5代参議院事務総長に就任。1972年に退任し、同年国立国会図書館長に就任。1980年勲一等瑞宝章を受勲した。1996年死去。死没日付をもって従六位から正三位に進階した。
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田中 覚(たなか さとる、1909年(明治42年)12月15… 田中 覚(たなか さとる、1909年(明治42年)12月15日 - 2002年(平成14年)8月10日)は、日本の政治家で、三重県知事(5期)、衆議院議員(1期)を務めた。三重県四日市市塩浜地区出身。学歴は東京帝国大学卒業である。元四日市市長の加藤寛嗣は従兄弟である。1944年(昭和19年)佐藤喜代子と結婚して、2女をもうける。喜代子と死別後の1975年(昭和50年)には元総理大臣三木武夫の妻睦子の妹である三重子と再婚した。元衆議院議員の松崎哲久は義理の息子、映画監督として人気のあった藤田敏八は甥(姉の子)である。 1909年(明治42年)12月15日、三重県四日市市蔵町の母の実家で生まれる。塩浜尋常小学校、塩浜高等小学校、三重県立第二中学校(現・四日市高校)から東京府立第五中学校(現・小石川高校)へ転校して、第八高等学校 (旧制)を経て東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業した。
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三木 忠直(みき ただなお、1909年〈明治42年〉12月1… 三木 忠直(みき ただなお、1909年〈明治42年〉12月15日 - 2005年〈平成17年〉4月20日)は、日本の海軍軍人、工学者。最終階級は海軍技術少佐。爆撃機「銀河」、特攻機「桜花」特攻機、新幹線の開発者。 1909年12月15日、香川県高松市生まれ。香川県立高松中学校、第六高等学校を経て、1938年、東京帝国大学工学部船舶工学科を卒業。海軍造船官となって海軍造船中尉に任官し、海軍航空技術廠に配属された。 アジア・太平洋戦争中に陸上爆撃機「銀河」、特攻兵器「桜花」などの機体設計を担当した。 1944年(昭和19年)6月前後、大田正一少尉が航空技術廠長和田操中将に特攻兵器桜花を提案した。三木によれば、和田はもう決めた様子で、大田は「自分が乗っていく」と言うため、研究に協力したという。
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清水 重道(しみず しげみち、1909年〈明治42年〉12月… 清水 重道(しみず しげみち、1909年〈明治42年〉12月14日 - 1958年〈昭和33年〉4月23日)は、日本の国文学者・詩人・作家・歌人。 東京生まれ。東京高等学校を経て、1932年(昭和7年)東京帝國大學文學部國文學科卒業。“非常に秀才だった”という。 1935年(昭和10年)『沙羅』を作詞。1936年(昭和11年)信時潔が独唱曲として歌曲集『沙羅』を発表。(発表時、清水27歳、信時49歳) 大學卒業後、岡崎師範学校、東京高等学校教授をへて、1943年(昭和18年) 東京音楽學校教授・文部省嘱託 となる。(昭和20年まで) 1945年(昭和20年)北海道第三師範学校(学芸大学)・旭川分校着任。
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槇田 久生(まきた ひさお、1909年12月13日 - 19… 槇田 久生(まきた ひさお、1909年12月13日 - 1989年4月24日)は、日本の実業家。元日本鋼管社長・会長。
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五代目 上村 吉彌(ごだいめ かみむら きちや、新字体:吉弥… 五代目 上村 吉彌(ごだいめ かみむら きちや、新字体:吉弥、明治42年 (1909年) 12月13日 - 平成4年 (1992年) 1月1日)は、歌舞伎役者。屋号は美吉屋。定紋は折敷型世の字。本名は遠島 直(とおじま すなお)。 小芝居から大歌舞伎に入り、上方歌舞伎の伝統を受継いだ女形や花車形を得意とした。 明治42年(1909年)大分県杵築市生まれ。3歳のころから当地の歌舞伎に子役で出演し、大正8年(1919年)には中村桂車一座に入り中村桂之助を名乗って福岡大博劇場に出る。各地の小芝居を勤めたのち、昭和8年(1933年)に二代目市川右團次に入門、市川右升を名乗る。昭和19年(1944年)以降は松竹専属となり、美貌の女形として知られるようになる。
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湯浅 年子(ゆあさ としこ、1909年12月11日 - 19… 湯浅 年子(ゆあさ としこ、1909年12月11日 - 1980年2月1日)は、日本出身の物理学者である。パリのコレージュ・ド・フランス原子核化学研究所、CNRS(フランス国立中央化学研究所)などで研究した。日本国外で活動した初の日本人女性物理学者といわれる。 東京都上野に生まれる。7人兄弟の6番目で、生家には両親や兄弟の他に、乳母や数名の女中、書生がおり、多人数で暮らしていた。年子の父は福井県出身で、帝国大学工科大学(現在の東京大学工学部)機械工学科を卒業し、農商務省の特許局に勤務していた湯浅藤市郎で、退職後に自宅で自動製糸機の発明に没頭し、世界で初めて「完全自動製糸機」を完成させたことで知られる。
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平岡 武夫(ひらおか たけお、1909年12月10日 - 1… 平岡 武夫(ひらおか たけお、1909年12月10日 - 1995年5月31日)は、中国哲学者、専攻は儒教経典の成立史的研究など。京都大学名誉教授。
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森口 華弘(もりぐち かこう、明治42年(1909年)12月… 森口 華弘(もりぐち かこう、明治42年(1909年)12月10日 - 平成20年(2008年)2月20日)は、日本の染織家で友禅染めの重要無形文化財保持者(人間国宝)。蒔糊技法を用いた友禅染め作品で知られる。 森口華弘は、明治42年(1909年)12月10日に滋賀県野洲郡守山町字岡(現滋賀県守山市岡町)の森口周治郎・とめ夫妻の子として生まれ、平七郎と名付けられた。森口家は農業と米屋を営み、華弘は5人兄弟の3番目3男で偏食、病弱小柄で大変大人しく、誰彼構わず喧嘩をするガキ大将ですら平七郎とは一度も喧嘩をしなかったと伝えられる。12歳で小学校を卒業すると、遠縁が営む京都の薬店に奉公に出、夜は薬剤師を目指し薬学校夜学部に通ったが、制度変更から薬剤師になるためには専門学校卒業が義務付けられ、金銭的にゆとりがなく専門学校に進学できない平七郎は薬剤師になることを断念せざるを得なかった。
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青木 英五郎(あおき えいごろう、1909年12月9日 - … 青木 英五郎(あおき えいごろう、1909年12月9日 - 1981年1月3日)は、神奈川県横須賀市出身の日本の裁判官。弁護士。
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生江 哲太郎(なまえ てつたろう、1909年(明治42年)1… 生江 哲太郎(なまえ てつたろう、1909年(明治42年)12月9日 - 没年不明)は、日本の飛込競技選手・実業家。1932年ロサンゼルスオリンピックに出場した。 1909年(明治42年)12月9日、東京府(現在の東京都)に、慶應義塾大学教授の生江惣太郎の息子として生まれる。叔父は青山学院理事を務めた生江孝之。青山学院を卒業後、明治大学法学部に入学した。大学ではラグビーフットボールを行う傍ら、玉川プールで飛込の練習を行い、短期間で上達したために他人を驚かせた。1932年にはロサンゼルスオリンピックで飛板飛込に出場し、8位となった。同年に行われた全国学生飛込大会では高逆飛込で32.70点、飛板飛込で124.54点を獲得しいずれも優勝した。
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