水口 哲也(みずぐち てつや、1965年5月22日 - ) … 水口 哲也(みずぐち てつや、1965年5月22日 - ) は、クリエイター、プロデューサー、実業家、大学教員。Enhance(米国法人エンハンス)代表、Synesthesia Lab(シナスタジアラボ)主宰、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科(Keio Media Design)特任教授、Resonair (レゾネア)株式会社代表、EDGEof(エッジ・オブ)共同設立者兼CCO、株式会社アカツキ社外取締役。北海道小樽市出身。 北海道札幌西高等学校卒業後、日本大学藝術学部文芸学科に進学、メディア美学専攻。卒業後セガへ入社した。 同社情感デザイン研究室室長、ユナイテッド・ゲーム・アーティスツ(UGA)代表、キューエンタテインメント取締役などを歴任。
西永 裕司(にしなが ゆうじ、1965年2月7日 - )は、… 西永 裕司(にしなが ゆうじ、1965年2月7日 - )は、日本の実業家。オエノンホールディングス代表取締役社長、合同酒精代表取締役社長。 北海道小樽市出身。実家は酒屋。1983年北海道小樽潮陵高等学校卒業。1988年小樽商科大学商学部卒業、証券会社勤務を経て合同酒精(現オエノンホールディングス)入社。2005年富久娘酒造取締役経営管理部長。2007年合同酒精執行役員経営企画部長、総務部長。2008年オエノンホールディングス経営戦略企画室部長。2010年オエノンホールディングス取締役経営戦略企画室長、合同酒精取締役経営企画部長。2011年オエノンホールディングス中期経営戦略策定委員会事務局長。2015年からオエノンホールディングス代表取締役社長を務め、2016年からは合同酒精代表取締役社長。
伊藤 亜由美(いとう あゆみ、1965年〈昭和40年〉 - … 伊藤 亜由美(いとう あゆみ、1965年〈昭和40年〉 - )は、日本の芸能プロモーター、実業家、映画プロデューサー、元歌手、元女優。芸能事務所・株式会社クリエイティブオフィスキュー代表取締役社長、株式会社キュー・プロダクツ代表取締役社長。北海道小樽市出身。 タレント・映画監督でCREATIVE OFFICE CUE取締役会長の鈴井貴之は元夫。この為、鈴井と結婚した1993年から離婚を公表した2017年3月までは「鈴井亜由美」名義で活動していた。 1965年、北海道小樽市で生まれる。親の転勤で栗山町や苫小牧市でも暮らしたことがある。北海道小樽桜陽高等学校、北海道武蔵女子短期大学を卒業。 駅裏8号倉庫で鈴井貴之の舞台を観て感銘を受け、鈴井主宰の「劇団487パラシュート」、「劇団OOPARTS」に所属。
宮尾 文也(みやお ぶんや、1960年4月14日 - )は日… 宮尾 文也(みやお ぶんや、1960年4月14日 - )は日本の実業家、株式会社レオパレス21代表取締役社長。 生まれは北海道小樽市 だが、育ちは札幌市。北海道札幌西高等学校を経て、1983年早稲田大学第一文学部人文学科卒業。高校時代はラグビー部に所属。 1983年株式会社中道リース入社。1990年株式会社レオパレス21入社。2008年リゾート事業本部部長、2010年経営企画部長、2012年理事、2013年執行役員、2016年取締役執行役員、2018年取締役常務執行役員。 2019年施工不備に端を発した経営陣の刷新により代表取締役社長に就任。 本家は新潟県村上市に本社を置き、「〆張鶴」の銘柄で知られる宮尾酒造。
川部 誠治(かわべ せいじ、1955年(昭和30年)9月3日… 川部 誠治(かわべ せいじ、1955年(昭和30年)9月3日 - )は、日本の実業家。 北海道小樽潮陵高等学校を経て、東京理科大学理工学部卒業。大学では体育会テニス部に所属した。三菱HCキャピタル株式会社代表取締役会長、元日立キャピタル執行役社長 兼 CEO。北海道小樽市出身。実家は米屋。リース事業協会副会長。
佐藤 佳孝(さとう よしたか、1950年4月22日 - )は… 佐藤 佳孝(さとう よしたか、1950年4月22日 - )は、日本の技術者、実業家。北海道電力代表取締役社長や、同社代表取締役会長、電気事業連合会副会長を歴任した。 北海道小樽市出身。1974年東京工業大学(現東京科学大学)理学部情報科学科卒業、北海道電力入社。旭川支店営業部長、情報通信部長、理事企画本部副本部長等を経て、2006年常務取締役。2007年常務取締役お客さま本部長。 2008年から北海道電力代表取締役社長を務め、泊原子力発電所再稼働に向けた働きかけなどを行った。2012年代表取締役会長、JR北海道取締役。北海道胆振東部地震では大規模な停電が生じ、記者会見で謝罪した。 2016年財務省北海道財務局国有財産北海道地方審議会会長。
長門 正貢(ながと まさつぐ、1948年11月18日 - )… 長門 正貢(ながと まさつぐ、1948年11月18日 - )は、日本の実業家。学位は国際関係論修士(タフツ大学・1976年)。 富士重工業株式会社副社長、シティバンク銀行株式会社会長、株式会社ゆうちょ銀行社長、日本郵政株式会社社長を歴任した。現在、マッキンゼー・アンド・カンパニー・シニア・アドバイザー、楽天銀行取締役、学校法人学習院評議員。 日本興業銀行(興銀)の常務執行役員調査本部長を経て、富士重工業にて代表取締役副社長などを務めたあと、シティバンク銀行に転じ取締役会長を務めた。その後、ゆうちょ銀行の代表執行役社長を経て、日本郵政の取締役となり代表執行役社長を務めた。 北海道小樽市生まれ。東京都出身。
北村 俊昭(きたむら としあき、1948年(昭和23年)11… 北村 俊昭(きたむら としあき、1948年(昭和23年)11月15日 - )は、日本の官僚、経営者。元経済産業審議官。株式会社INPEX相談役。元石油鉱業連盟会長。北海道小樽市出身。 北海道小樽潮陵高等学校を経て、1972年(昭和47年)東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業し、通商産業省入省(鉱山石炭局石炭部炭政課)。貿易経済協力局、製造産業局、通商政策局各局長を歴任し、2006年(平成18年)に経済産業審議官となり、2007年(平成19年)に退官する。 退官後は東京海上日動火災保険顧問、早稲田大学大学院客員教授をへて、2009年(平成21年)に国際石油開発帝石副社長に就任。2010年(平成22年)から同社社長を務める。
田尻 稲雄(たじり いなお、1948年5月20日 - )は、… 田尻 稲雄(たじり いなお、1948年5月20日 - )は、日本の実業家。メディカルシステムネットワーク創業者・代表取締役社長。北海道バーバリアンズ設立者。北海道ラグビーフットボール協会会長。 北海道小樽市出身。北海道小樽潮陵高等学校を経て、小樽商科大学卒業。1974年一の山形薬業入社。1981年メディカル山形薬品入社。1989年メディカル山形薬品代表取締役社長。1991年親会社・秋山愛生舘の取締役に就任。 1999年秋野治郎、沖中恭幸とメディカルシステムネットワークを設立し、代表取締役社長に就任。医薬品ネットワークの整備等を進め、2010年には東京証券取引所一部上場を実現。また、高校の友人5人と社会人ラグビークラブの北海道バーバリアンズを設立し、北海道ラグビーフットボール協会理事長を経て、2019年北海道ラグビーフットボール協会会長。
菅原 義正(すがわら よしまさ、1941年5月31日 - )… 菅原 義正(すがわら よしまさ、1941年5月31日 - )は、日本のレーシングドライバー、実業家。北海道小樽市出身。 日本レーシングマネージメント(JRM)株式会社取締役会長・チームスガワラ前代表。長男はヤマハ発動機のデザインに関わるGKダイナミックス株式会社代表取締役の菅原義治、次男はクロスカントリードライバーで現チームスガワラ代表の菅原照仁。 日本のレース文化草創期からプライベーターとして自動車レースで活躍し、1970年代にはいち早くラリーレイド(クロスカントリー)に挑戦するなど、日本のモータースポーツのパイオニアの一人である。サーキットでもオフロードでも、小排気量車で大排気量車を追い回すのを身上とした。
木村 勇市(きむら ゆういち、1939年 - )は、日本の実… 木村 勇市(きむら ゆういち、1939年 - )は、日本の実業家。元キムラ社長、元ジョイフルエーケー社長。北海道小樽市生まれ。 北海道札幌東高等学校卒業後、関西大学商学部卒業。大学卒業後、黒田商店に入った後の1963年、家業の木村金物店(現キムラ)に入社。1974年、父・正二を継ぎキムラ社長に就任。社長就任後、ホームセンター事業に進出し、2001年には、大手ホームセンターであるジョイフル本田やアークランドサカモトと共にジョイフルエーケーを立ち上げた。2002年、キムラ会長に就任。
蛇川 忠暉(じゃがわ ただあき、1938年6月29日 - )… 蛇川 忠暉(じゃがわ ただあき、1938年6月29日 - )は日本の技術者、実業家。トヨタ自動車取締役副社長を経て、トヨタ自動車が新たに子会社化した日野自動車で代表取締役社長や代表取締役会長として同社の再建にあたった。日本科学技術連盟理事長、型技術協会会長なども歴任。デミング賞本賞、大倉喜七郎賞受賞。 北海道小樽市生まれ。北海道札幌西高等学校を経て、1961年北海道大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。1988年取締役に昇格。1994年常務。1996年専務。1999年取締役副社長。2001年相談役に退いた。 2001年からトヨタ自動車が子会社化した日野自動車の代表取締役社長を務め、経営危機にあった同社を、外部出身者として改革により再建を行って、赤字からの回復を達成。
井上 一郎(いのうえ いちろう、1934年2月16日 - 2… 井上 一郎(いのうえ いちろう、1934年2月16日 - 2026年3月8日)は、日本の実業家。北海道小樽市出身。光合金製作所代表取締役会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
加野 忠(かの ただし、1933年 - )は日本の実業家、経… 加野 忠(かの ただし、1933年 - )は日本の実業家、経済学者。元ソロモン・ブラザーズ銀行日本代表、博士(経済学)(中央大学・論文博士・2009年)。 北海道小樽市出身。1957年一橋大学経済学部卒業。大学では都留重人ゼミナールに参加。1962年イェール大学大学院修士課程修了。一橋都留ゼミの同期に、仲澤泰彦(元日本電気常務)、近藤久也(元フジテレビディレクター)、関根友彦(元ヨーク大学教授)、岩崎八男(通産官僚、元中小企業庁長官)などがいる。 大学卒業後東京銀行に入行し証券部長等を経て、1985年退社。セキュリティ・パシフィックに移り、円スワップ取引部門の立ち上げを行う。その後ソロモン・ブラザーズで銀行子会社の設立を行う。
安川 英昭(やすかわ ひであき、1931年11月13日 - … 安川 英昭(やすかわ ひであき、1931年11月13日 - 2014年2月25日)は、日本の技術者、実業家。セイコーエプソン代表取締役社長を務めた。 東京都生まれ。北海道小樽市で育つ。北海道庁立小樽中学校(現・北海道小樽潮陵高等学校)を経て、1955年東京大学工学部精密工学科卒業、第二精工舎(現・セイコーインスツル)入社。1959年諏訪精工舎(現・セイコーエプソン)転籍。自動巻き腕時計「ジャイロマーベル」、世界初のクォーツ腕時計「セイコークォーツ・アストロン」などを開発し商品化。1976年同社取締役。1991年セイコーエプソン代表取締役社長。1998年長野県経営者協会会長。2001年セイコーエプソン会長。
岩崎 琢弥(いわさき たくや、1928年11月29日 - )… 岩崎 琢弥(いわさき たくや、1928年11月29日 - )は、日本の経営者。日興証券社長を務めた。 北海道小樽市出身。松本高等学校文科を経て、1954年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に日興証券に入社。1979年12月に取締役に就任し、1981年9月に常務、1984年11月に専務、1985年11月に副社長を経て、1986年12月に社長に就任。大口投資家への損失補てんによる責任を取る形で社長を辞任し、1991年6月に副会長に退き、1996年6月に会長を経て、1997年10月から顧問を務めた。 2000年6月からコナミ取締役も務めた。 旧制松本高等学校時代にサッカー部であったことから、社長時代の1990年に同社の女子サッカーチーム「日興證券女子サッカー部ドリームレディース」の結成に関わった。
正野 勝也(しょうの かつや、1928年1月2日 - 202… 正野 勝也(しょうの かつや、1928年1月2日 - 2024年12月2日)は、日本の経営者。雪印乳業社長を務めた。北海道小樽市出身。 1949年に北海道大学農学部を卒業し、同年に北海道酪農協同(のちの雪印乳業)に入社。1981年に取締役に就任し、1985年6月に常務、1987年6月に専務を経て、1988年1月に社長に就任。1993年6月に会長を経て、1998年6月には相談役に就任。社長在任時には、自社グループの結束と強化、海外進出による国際化の進展、チーズの日の創設による普及活動への貢献などを行った。1997年6月には農林中央金庫監事にも就任。 1996年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2024年12月2日に死去。
辰繁 存(たつしげ すすむ、1926年 - 2013年1月2… 辰繁 存(たつしげ すすむ、1926年 - 2013年1月25日)は、日本の放送局経営者。エフエム富士(FM-FUJI)初代社長。 北海道小樽市生まれ。小樽中学校(旧制。のちの北海道小樽潮陵高等学校)、静岡高等学校(旧制。のちの静岡大学)、東京大学国文科を卒業後、日本放送協会へ入局。 民間放送草創期に東京放送(TBS)へ移籍し、TBSラジオの番組編成・制作業務に従事。ラジオの編成課長だった1963年(昭和38年)、プロ野球シーズン中の夜間にナイター中継を優先させる編成の導入へ関わった。その後、テレビ営業局ネットワーク業務部副部長を経て、1969年(昭和44年)9月にテレビ山梨(UTY)へ出向。中学校の先輩である諏訪博からバックアップを受け、1981年(昭和56年)のTBS定年退職後も引き続きUTYへ残り、最終的には取締役専務を務めた。
香木 正雄(こうき まさお、1921年8月26日 - 200… 香木 正雄(こうき まさお、1921年8月26日 - 2002年4月28日)は日本の実業家。日本製粉代表取締役社長や、同社取締役会長を務めた。 北海道小樽市出身。小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒業後、日本製粉入社。日本製粉専務取締役を経て、1985年から日本製粉代表取締役社長を務め、男女満60歳への定年延長や、国立市での食品部冷凍食品管埋センター開設などにあたった。1987年にはワタミフードサービス創業者渡邉美樹と面会するなどし、ワタミフードサービスへの出資を行った。 1992年、勲三等旭日中綬章を受章。2002年4月28日、心不全のため死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
志村 和雄(しむら かずお、1920年2月22日 - 201… 志村 和雄(しむら かずお、1920年2月22日 - 2014年1月5日)は、日本の政治家・実業家。北海道小樽市出身。1943年北海道帝国大学農学部水産学科卒。地方公務員を経て、1975年から1987年まで北海道小樽市長を務めた。 1943年に日本化成工業に入社。まもなく徴兵され、終戦によって復員。北海道小樽水産高等学校教諭を経て、1951年小樽市役所に入る。1967年より同市役所助役を8年務める。助役として、新日本海フェリー就航や小樽駅前再開発事業に尽力した。 その後、小樽市役所を退職し、1975年小樽市長選に立候補し初当選。以後連続3期。市街地再開発派の市長であったが、在任中の1983年には小樽市歴史的建造物及び景観地区保全条例を制定。
苫米地 俊博(とまべち としひろ、1916年6月30日 - … 苫米地 俊博(とまべち としひろ、1916年6月30日 - 2010年10月20日)は、日本の実業家。三菱商事副社長、米国三菱商事社長、三菱自動車工業副会長、国際大学理事長、ニューヨーク日本商工会議所会頭などを歴任した。 北海道小樽市出身。1941年東京商科大学(現一橋大学)卒業、三菱商事入社。大学在学中、日米学生会議に参加し、宮澤喜一(のちに内閣総理大臣)、奈良靖彦(のちに駐カナダ大使)、山室勇臣(のちに三菱銀行副頭取)らと交遊を持った。財閥解体後、奈良らとともに、野間省一講談社社長の協力を得て貿易会社・飛鳥(「奈良」から「飛鳥」を連想して命名)を設立し、宮澤の弟宮澤泰(のちに駐西ドイツ大使)なども参画したが、1年で倒産した。
諏訪 博(すわ ひろし、1915年(大正4年)6月11日 -… 諏訪 博(すわ ひろし、1915年(大正4年)6月11日 - 1989年(平成元年)12月9日)は、日本の実業家。北海道小樽市出身。TBS社長などを務めた。 小樽中学校(現・北海道小樽潮陵高等学校)、慶應義塾大学経済学部卒業後、国際電気通信に入社。 1951年(昭和26年)、TBSの前身であるラジオ東京の設立に参加。ラジオ編成部長、テレビ演出部長、テレビ営業局長、1964年(昭和39年)11月常務を歴任。1969年(昭和44年)11月28日社長に昇格、1977年(昭和52年)6月29日会長に退き、山西由之に社長を譲る。 1983年(昭和58年)相談役、1986年(昭和61年)山西が死去したため3月25日会長に復帰し、1989年(平成元年)6月29日特別顧問。
小川 義男(おがわ よしお、1913年9月8日 - 2011… 小川 義男(おがわ よしお、1913年9月8日 - 2011年11月10日)は、日本の実業家。元住友軽金属工業(現・UACJ)社長・会長、名誉相談役、住軽アルミニウム工業社長、日本アルミニウム連盟会長。 北海道小樽市出身。1937年に東京帝国大学法学部を卒業し、住友金属工業に入社。企画課長、商務部長、東京支社長などを経て、1961年取締役、1962年支配人、1964年常務、1967年専務、1971年副社長。日向方斎社長の有力な後継者候補と言われたが、1974年に経営危機に陥っていた住友軽金属工業社長に転出。同社の再建に尽くした。1977年に住軽アルミニウム工業社長を兼任。1980年に住友軽金属工業会長となり、1986年に相談役となった。
中田 乙一(なかた おとかず、1910年(明治43年)8月2… 中田 乙一(なかた おとかず、1910年(明治43年)8月29日 - 1999年(平成11年)12月28日)は、日本の実業家。元三菱地所社長。位階は正四位。 北海道小樽市出身。庁立小樽商業学校を経て、1932年に小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒業。 大蔵省勤務を経て、1939年三菱地所に転じる。総務部長・取締役・常務・副社長などを経て、1969年に社長に就任。在任中は、数多くのニュータウン事業を手がけた他、横浜市の「みなとみらい21」構想を策定するなど、宅地開発・都市再開発事業を積極に推し進め、それまで東京・丸の内の貸ビル事業が主体であった同社を、総合デベロッパーとして発展させる基を築いた。
入江 好之(いりえ よしゆき、本名:入江 好行、1907年(… 入江 好之(いりえ よしゆき、本名:入江 好行、1907年(明治40年) - 1989年(平成元年))は、日本の詩人・児童文学作家・教育者・経営者。 北海道小樽市生まれ。1928年(昭和3年)旭川師範学校(現・北海道教育大学旭川校)卒業。 在学中に詩誌「北斗星」を創刊。旧制中学校教諭]しながら、作詩活動を続け、詩誌「青光」を創刊。1936年(昭和11年)に第一詩集「あしかび」を刊行。その後官憲の弾圧を受け、教職を辞職し、1943年(昭和18年)に満州国に渡る。満州国日本人中学校の教員をしていたが、終戦。シベリア抑留を経て、1949年(昭和24年)に帰国。 1956年(昭和31年)北海道詩人協会の設立に参画し、同協会事務局長に就任( - 1976年(昭和51年))。
遠藤 幸吉(えんどう こうきち、1905年1月10日 - 1… 遠藤 幸吉(えんどう こうきち、1905年1月10日 - 1998年12月14日)は、日本の経営者、電気技術者。 東京エレクトロン研究所(現・東京エレクトロン)初代社長をつとめた。 北海道小樽市出身。1930年に東京帝国大学工学部電気科を卒業。電通での勤務を経て、1952年にラジオ東京に入社し、取締役を経て、1956年1月に常務取締役テレビ技術局長に就任。 1963年にラジオ東京などの出資により東京エレクトロン研究所が設立されると、同社の初代社長に就任。1974年には会長に就任。 1980年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1998年12月14日老衰のために死去。93歳没。
伴 素彦(ばん もとひこ、1905年1月1日 - 1998年… 伴 素彦(ばん もとひこ、1905年1月1日 - 1998年9月3日)は、1920年代に活躍した元スキージャンプ選手、実業家。後に全日本スキー連盟の会長を務めた。京都府出身。 父親の伴房次郎は小樽高等商業学校(現在の小樽商科大学)第二代校長(在職期間1921年11月28日-1935年4月2日) 京都府生まれで小学3年生の時父親の転勤に伴い小樽へ移り住んだ。旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校) - 北海道帝国大学農学部 - 日本製粉(現・ニップン)株式会社。 1926年の第4回全日本スキー選手権ジャンプ競技優勝。 1928年のサンモリッツオリンピックにスキージャンプ日本代表として出場するが、コーチも通訳もいない孤独な参戦を強いられたことに加え、台の規模や技術、道具など何もかもが自分たちがやってきたことと違うことに戸惑い本来のジャンプが全く出来ず、転倒もあって(元々、伴は着地は得意な選手であった)最下位に終わった。
萬 直次(よろず なおじ、1902年1月5日 - 1973年… 萬 直次(よろず なおじ、1902年1月5日 - 1973年12月12日)は、日本のジャーナリスト、新聞社経営者。元日本経済新聞社社長。北海道小樽市出身。 1926年に早稲田大学政経学部を卒業し、中外商業新報社(現日本経済新聞社)に入社。政治部記者・編集局次長・工務局長などを歴任し、1945年に取締役となる。その後常務・専務を経て、1956年社長に就任。就任後は積極的な経営政策をとり、設備の近代化・通信網の拡大・マーケティング活動の拡張などを推進した他、1964年には東京・大手町に新社屋を建設した。経済専門紙としての同紙の飛躍的な発展の基を築き、後任社長の圓城寺次郎とともに「中興の祖」と呼ばれる。
福林 正之(ふくばやし まさゆき、1901年3月21日 - … 福林 正之(ふくばやし まさゆき、1901年3月21日 - 1977年6月13日)は、日本の出版実業家、作家。 北海道小樽市生まれ。松本高等学校文科甲類を経て東京帝国大学社会学科卒。 報知新聞記者などを経て、1943年3月に『日本読書新聞』の発行元であった日本出版文化協会から改組された出版統制組織「日本出版会」の総務部次長兼編集室長となる。同紙は敗戦を待つまでもなく物資の不足と編集部員の応召などにより、1945年5月に休刊した。同年3月には出版用紙の確保のために一括して用紙を荷受する機関として「日本出版助成株式会社」が設立され、同社専務に就任。1946年、同社を日本出版協同株式会社に改組した後に社長に就任した。
境 一雄(さかい かずお、1900年(明治33年)11月8日… 境 一雄(さかい かずお、1900年(明治33年)11月8日 - 1983年(昭和58年)9月17日)は、大正・昭和期の労働運動家、実業家、政治家。衆議院議員。 北海道小樽区(現小樽市)で生まれる。1920年(大正9年)小樽中学校(現北海道小樽潮陵高等学校)を卒業。その後、早稲田大学政経科で学んだが中退した。割箸製造販売業を営む。その後、岸鉄工所庶務課長、小樽物産取締役、北海道配電小樽支店経営協議会委員などを務めた。 1926年(大正15年)日本労働組合評議会北海道地方評議会議長に就任。同年5月1日、北海道初のメーデー実行委員長を務めた。 1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で北海道第1区から日本社会党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
岸 道三(きし みちぞう、1899年12月1日 - 1962… 岸 道三(きし みちぞう、1899年12月1日 - 1962年3月14日)は、日本の実業家・財界人。経済同友会代表幹事(第10代)・日本道路公団初代総裁。 大阪府大阪市に生まれ、北海道小樽市で育つ。小樽中学校から三浪を経て、第一高等学校に入学。5年間在籍し、その間全寮委員長として、関東大震災後の同校移転問題などに関係する。その後東京帝国大学工学部鉱山学科に入学。在学中はボート部で活躍し、1929年(昭和4年)の卒業後も後輩の指導に当たった。 東京帝大学生課嘱託などを経て、1931年(昭和6年)に名古屋合板支配人として財界に入る。以後明治製革常務、満鉄調査部嘱託、興中公司広東事務所長などを歴任する一方、昭和研究会に所属し、各界に広く人脈を持つようになる。
野口 喜一郎(のぐち きいちろう、1887年〈明治20年〉9… 野口 喜一郎(のぐち きいちろう、1887年〈明治20年〉9月18日 - 1972年〈昭和47年〉2月11日)は、日本の実業家。2015年(平成27年)まで北海道小樽市に存在した酒造会社・北の誉酒造の2代目社長であり、同社創業者である野口吉次郎の次男。北海道小樽市出身。 小樽中学校(後の北海道小樽潮陵高等学校)卒業後、間もなく旭川市の第7師団に入隊した。除隊後の1908年(明治41年)、父の経営する野口吉次郎商店(後の北の誉酒造)を継ぎ、社長として酒造部門を拡張させた。 1924年(大正13年)、アルコール4社合併の合同酒精に相談役で迎えられ、1929年(昭和4年)から1958年(昭和33年)まで同社社長、1964年(昭和39年)まで会長を務めた。