小野 楓馬(おの ふうま、2000年2月23日 - )は、地… 小野 楓馬(おの ふうま、2000年2月23日 - )は、地方競馬のホッカイドウ競馬・小野望厩舎所属の騎手。地方競馬教養センター騎手課程第97期生。 北海道新ひだか町出身で両親が牧場で働いている環境で育ち、自然と騎手を志した。静内農業高等学校の生産科学科に進学したが2年で中退し地方競馬教養センターに入所した。 2019年3月31日に地方競馬騎手免許を取得し、ホッカイドウ競馬の小野望厩舎からデビューする。4月17日、門別競馬第3競走でジェイドリームに騎乗し初騎乗(10頭立て2番人気2着)。翌日の門別競馬第2競走でアースヒメに騎乗しデビュー6戦目で初勝利を挙げる(7頭立て1番人気)。 2019年8月29日のリリーカップをプリモジョーカーで優勝し、デビューから約5か月で重賞初制覇を飾る。
河原 亜依(かわはら あい、1988年8月11日 - )は、… 河原 亜依(かわはら あい、1988年8月11日 - )は、日本の元歌手。北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身。ヴィジョン・ファクトリーに所属していた。 AI-SACHI、アイドル道(制服チーム)、chakuchaku J.bの元メンバーである。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
畑端 省吾(はたばた しょうご、1982年3月30日 - )… 畑端 省吾(はたばた しょうご、1982年3月30日 - )は、JRA・栗東トレーニングセンター所属の調教師・元騎手。 2000年、第16期生としてJRA競馬学校騎手課程を卒業。同期には嘉藤貴行、金子光希、小林慎一郎、鈴来直人、田嶋翔、西原玲奈らがいる。栗東・坂口正則厩舎に所属し、3月19日の中京3Rで自厩舎のゴールドカントリーで逃げ切り初勝利を挙げた(17戦目)。デビュー年は191戦4勝という成績を残す。 2年目の2001年には自身最多の13勝を挙げ、翌2002年8月18日の小倉10R阿蘇ステークス(OP)では7番人気ダンシングテンに騎乗し、安藤勝己騎乗の1番人気キタサンチャンネルを差し切って特別レース初勝利。
宍戸 司(ししどつかさ、1980年(昭和55年)1月10日 … 宍戸 司(ししどつかさ、1980年(昭和55年)1月10日 - )は、日本の男性歌手。『人間ジュークボックス』の異名で様々な楽曲をカバーしている。血液型はA型。 北海道日高郡静内町(現・新ひだか町)出身で、静内町立静内中学校を卒業。建設会社に働く父と下宿を営む母との間に生まれ、非常に音楽に恵まれた思春期を過ごす。どんな楽曲もすぐに歌詞を覚えコードを覚え弾く事ができ、特にビートルズの曲は全曲歌詞を見ずに歌う事ができる。 2000年代の中期までバーテンダーと平行して歌手活動をする。 2007年にツアー歌手に転向。再度音楽の意欲が湧く。 2014年から30年の活動実績のあるオールディーズバンド『JUKEBOX』に正式加入。
ふれさわ ひろみつ(触沢 裕満、1973年12月18日 - … ふれさわ ひろみつ(触沢 裕満、1973年12月18日 - )は、北海道日高郡新ひだか町(旧三石郡三石町)出身のローカルタレント。オフィスセブン所属。北海道内を中心にテレビ、ラジオやその他イベントで活躍する。 札幌日本大学中学校・高等学校卒業、日本大学芸術学部中退。血液型B型、服のサイズはLL。趣味はスポーツ観戦、特技はアイスホッケー。 元々はお笑いコンビ「かんとりいず」(マセキ芸能社所属のカントリーズとは無関係)のツッコミ担当として、札幌吉本に所属していた。コンビ解散後、オフィスセブンに移籍。お笑いタレントとして北海道内の各テレビ番組に出演するほか、テレビコマーシャルのナレーターやテレビショッピングのキャスターとしても活躍している。
田中 勝春(たなか かつはる、1971年2月25日 - )は… 田中 勝春(たなか かつはる、1971年2月25日 - )は、北海道三石郡三石町(現・日高郡新ひだか町)出身の調教師、元騎手。愛称は「カッチー」。シンクバンク所属。 1986年JRA競馬学校騎手課程入学。同期に佐藤哲三、角田晃一らがいる。 初騎乗は1989年3月4日に中京競馬の第2競走でチャンピオンミナミに騎乗し6着。その後ストレスからバセドウ病を患い半年間休養している。その年にデビューした新人騎手の中で初勝利はもっとも遅く、10月21日の東京競馬の第6競走、セキテイボーイだった。なお同馬の勝利が、大種牡馬テスコボーイ産駒の最後の勝利ともなった。 重賞初勝利は1990年9月9日の京王杯オータムハンデキャップでオラトリオに騎乗しての勝利だった。
日浦 市郎(ひうら いちろう、1966年3月4日 - )は、… 日浦 市郎(ひうら いちろう、1966年3月4日 - )は、将棋棋士。安恵照剛八段門下。棋士番号は164。北海道静内郡静内町(現日高郡新ひだか町)出身。 1976年、小学5年で第1回小学生将棋名人戦で準優勝。1980年11月、中学3年時に6級で奨励会に入会。 1984年、18歳で四段昇段( = プロデビュー)。昇段日が4月4日であったため、1984年度(第43期)の順位戦参加に僅かに間に合わなかった。 一時期羽生善治に対して勝率が高かったことから、「羽生キラー」あるいは「マングース」(ハブの天敵の意)と呼ばれていた。第20期(1989年度)新人王戦においては、準々決勝で羽生に勝利(この時点で、羽生に3連勝)。
伊藤 圭三(いとう けいぞう、1963年3月28日 - )は… 伊藤 圭三(いとう けいぞう、1963年3月28日 - )は日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター所属の調教師である。札幌光星高校、日本大学農獣医学部(現在の生物資源科学学部)卒業。馬術部出身。 実家は競走馬生産・育成牧場であるグランド牧場で、3代目社長の伊藤佳幸(故人)は実兄、4代目社長の伊藤佳洋は甥にあたる。 札幌光星高校馬術部在籍時の第35回国民体育大会の少年の部・障害飛越団体で優勝(この時の団体メンバーは現・吉澤ステーブル代表の吉澤克己)、同じく少年の部・障害飛越個人で準優勝の成績を挙げる。 日本大学在学中に調教師として競馬に関わっていくことを決意。卒業後の1985年に競馬学校厩務員課程に進み、修了後1986年よりJRA美浦トレセンの小林常泰厩舎に調教助手として所属。
大野 克之(おおの かつゆき、1959年〈昭和34年〉1月3… 大野 克之(おおの かつゆき、1959年〈昭和34年〉1月3日 - )は、日本の政治家。新ひだか町長(2期)。 北海道静内高等学校卒業後、北海道庁に奉職。職員として農業政策などに携わり、農政部農政課長、農政部競馬事業室長などを歴任。 2018年(平成30年)2月、約40年間勤めた道庁を退職、3月に新ひだか町長選挙への出馬を表明。町政運営の透明化や第一次産業の強化などを訴え、同年4月15日、現職の酒井芳秀を破り初当選。※当日有権者数:19,111人 最終投票率:73.25%(前回比: 6.27pts) 2022年(令和4年)4月13日、任期満了に伴う新ひだか町長選挙が告示され、現職の大野以外に届け出が無かったため無投票で再選。
葛野 次雄(くずの つぎお、1954年1月16日 - )はア… 葛野 次雄(くずの つぎお、1954年1月16日 - )はアイヌの文化伝承者。 北海道静内郡静内町(現新ひだか町)東別の生まれで、1975年以降、父である葛野辰次郎(エカシ)と共に各地のアイヌの祭に参加し、カムイノミ(カムイへ捧げる祈りの儀式)を行っていた。現在は、小学校や大学での講演活動や、地元ラジオ局でのアイヌ語講師を務める等、積極的にアイヌ文化の伝承活動に携わっている。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
岡田 史子(おかだ ふみこ、本名・高田富美子、1949年7月… 岡田 史子(おかだ ふみこ、本名・高田富美子、1949年7月23日 - 2005年4月3日)は、北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身の漫画家。詩的な作風の漫画を多く発表した。 永島慎二、西谷祥子の元で一時アシスタントをした後、 1967年に手塚治虫主宰の月刊漫画雑誌「COM」2月号で「太陽と骸骨のような少年」を発表し、商業誌デビュー。 1960年代後半「COM」を中心に活躍したが、1972年、漫画家としての活動をやめ北海道に帰郷、地元の会社に勤めるようになり、1976年に結婚する。しかし彼女の熱狂的なファンである萩尾望都の熱望により再度筆を取り、1978年に復帰する。しかし、「もうあの頃のような作品は描けない」と自ら再び作家活動を断念。
嶋田 潤(しまだ じゅん、1949年3月26日 - )は、東… 嶋田 潤(しまだ じゅん、1949年3月26日 - )は、東京都出身(北海道三石郡三石町 (現・日高郡新ひだか町)生まれ)の元騎手・元調教師。 同じく元騎手・元調教師の嶋田功は実兄。元騎手で現調教助手の嶋田高宏は長男。 嶋田家は福井県からの入植で、父・福栄が入植三代目であり、男3人女7人の10人兄弟であった。 実家は後にプレクラスニー・タイセイアトムを輩出した「嶋田牧場」で、嶋田が育った時には馬だけではなく牛や羊も飼っていたが、長男の克昭の代からサラブレッドの生産牧場となった。 1966年に東京・藤本冨良厩舎に騎手候補生として入門し、1970年に同厩舎からデビューすると、兄・功の登録名が戸籍通りに「嶋田」となっている。
伊藤 正徳(いとう まさのり、1948年10月22日 - 2… 伊藤 正徳(いとう まさのり、1948年10月22日 - 2020年8月20日)は、兵庫県宝塚市出身(北海道静内郡静内町生まれ)の元調教師・騎手。 それぞれ騎手・調教師を務めた伊藤正四郎は父、伊藤雄二は義兄。 太平洋戦争後の混乱期に両親は離れて暮らしており、父・正四郎は阪神で調教師として活動し、母は静内で美容室を営んでいた。正徳は母元で育っていたが、小学校卒業直前に正四郎が結核に倒れ、見舞いに駆けつけた病床で正四郎から「騎手にならんか」と誘われる。この段階で乗馬経験がなかったため、1度は首を横に振ったが、正四郎はそれで納得する父ではなかった。基礎から教えるという条件をのんで騎手になる事を決意したが、実際に正四郎が教えてくれる事はなく、それからすぐに意識不明になって間もなく死去。
嶋田 功(しまだ いさお、1945年11月8日 - 2020… 嶋田 功(しまだ いさお、1945年11月8日 - 2020年10月19日)は、北海道三石郡三石町(現・日高郡新ひだか町)出身の元騎手・元調教師。騎手時代はオークス通算5勝など牝馬限定競走で顕著な実績を残し、「牝馬の嶋田」「オークス男」等と称された。元騎手・元調教師の嶋田潤は実弟、元騎手の嶋田高宏は甥。 騎手の嶋田純次との血縁関係はない。 嶋田家は福井県からの入植で、父・福栄が入植三代目であった。嶋田は男3人女7人の10人兄弟で、上から5番目の三男として産まれる。 実家は後にプレクラスニー・タイセイアトムを輩出した「嶋田牧場」で、3歳から馬に跨がっており、揺りかご代わりにした馬の背で寝ていて泥田に落ちたこともあった。
畠山 重則(はたけやま しげのり、1944年8月2日 - )… 畠山 重則(はたけやま しげのり、1944年8月2日 - )は、北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身の元騎手・元調教師。実家は有限会社畠山牧場で、長兄・重博は同牧場社長。 1964年に東京・田中和夫厩舎に騎手見習いとして入門し、1965年に騎手免許を取得。開業したばかりの田中にとって、笹倉武久と並ぶ第一号の弟子であった。年齢は畠山の方が上であったが、一度高校に入学してから入ったため、競馬界に入ったのは笹倉の方が早かった。畠山も入門当時は体が大きく、朝食の時に田中に「朝はパンで結構です」と言ってしまった。体重を気にしてのことであったが、それに合わせなければならない笹倉は「ただでさえ、腹が減っているのに、余計なことを言ってくれたんだ(笑)。
鳥井 実(とりい みのる、1935年6月27日 - 2018… 鳥井 実(とりい みのる、1935年6月27日 - 2018年8月30日)は、北海道三石郡三石町(現日高郡新ひだか町)出身の作詞家。 20歳で上京した後、作詞家の高橋掬太郎に師事。その後は故郷の北海道に戻り、バーを経営しながら作詞家活動を行い、1964年に「すすきのブルース」でデビュー。再び東京へ戻ると、1967年の「命かれても」(森進一)が100万枚を超すヒット曲になる。 その後も「だんな様」(三船和子)、「娘よ」(芦屋雁之助)などコンスタントにヒット曲を飛ばす。 2012年に病気療養のため札幌に戻り、その後は帯広市に移住し、当地を中心に作詞活動を行っていた。 2018年8月30日午前4時13分、肝細胞癌のため死去。
阿部 政康(あべ まさやす、1930年(昭和5年)11月15… 阿部 政康(あべ まさやす、1930年(昭和5年)11月15日 - 2021年(令和3年)4月2日)は、日本の政治家。北海道伊達市長。 北海道静内郡静内町(現新ひだか町)出身。北海道庁立苫小牧工業学校卒業。 1948年(昭和23年)伊達町役場に奉職し、税務課長、農政課長、水道課長、総務課長、総務部長を経て、1983年(昭和58年)伊達市議会事務局長に就任。1987年(昭和62年)伊達市長に当選した。3期務めた。 2002年(平成14年)勲五等双光旭日章受章。 2021年(令和3年)4月2日、老衰のため死去、90歳。
大道寺 小三郎(だいどうじ こさぶろう、1925年(大正14… 大道寺 小三郎(だいどうじ こさぶろう、1925年(大正14年)5月1日 - 2005年(平成17年)7月21日)は、日本の銀行家、実業家。みちのく銀行頭取を務めた。 北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身。医家に生まれ、父・小市は函館市に診療所を開設。のちに病床を20以上備えた函館一の規模を誇る病院となった。 旧制函館中学、旧制弘前高校を経て東北大学法学部を卒業する。弘前高校時代の同期には鈴木清順(映画監督)、一期下にはその弟の鈴木健二(NHKアナウンサー)もいた。 大学卒業当初は、弁護士を目指して司法試験に6度挑戦したとされるが、突破できなかったため、渋々ながら齢32にして当時の弘前相互銀行に入行。
谷岡 敏行(たにおか としゆき、1922年3月18日 - 1… 谷岡 敏行(たにおか としゆき、1922年3月18日 - 1953年12月13日)は日本の騎手。 1922年3月18日、競走馬の故郷、馬産地として名高い北海道日高郡新ひだか町静内神森(旧静内町)に、水田農業を営む父・谷岡倉太郎(一族は、1882年(明治15年)広島県大竹市より移住)と母・ナツ(一族は兵庫県淡路島より移住)の三男として生まれる。10人兄弟姉妹(兄2人、弟4人、姉1人、妹2人)の第4子である。 新ひだか町の有限会社谷岡牧場(1935年創業)、有限会社新和牧場(1994年創業)は本家にあたる。 静内尋常高等小学校を卒業時、静内町にある新冠御料牧場獣(現・家畜改良センター新冠牧場)吉住獣医師(稲葉幸夫の妹の夫)が、学校教室に来て騎手希望者を募ったところ、谷岡敏行が手を挙げ申し込んだ。
矢野 幸夫(やの ゆきお、1917年12月22日 - 200… 矢野 幸夫(やの ゆきお、1917年12月22日 - 2004年5月17日)は日本の競馬の騎手、調教師、および整体師。 北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身。実家は軍馬を生産する牧場だった。 1930年、中山競馬場・東原玉造厩舎所属の見習騎手となり、1933年に騎手免許を取得。日本競馬会時代の1941年には優秀騎手として表彰され、国営競馬時代の1951年には最高技能賞を受賞している。 1952年に調教師免許を取得し、その後中山競馬場で厩舎を開業。1978年、美浦トレーニングセンター開設に伴い移転。1994年2月をもって定年引退するまでの間に通算1060勝を挙げた。同年2月27日に中山競馬場で引退式が行われ、代表してファンに挨拶を行った。
新井田 セイノ(あらいだ セイノ、1917年〈大正6年〉4月… 新井田 セイノ(あらいだ セイノ、1917年〈大正6年〉4月4日 - 2011年〈平成23年〉11月)は、日本のアイヌ文化伝承者。北海道鵡川町(後のむかわ町)において、カムイユカㇻの伝承、アイヌ語教室の講師によるアイヌ語の伝承と地域の指導、後継者育成など、アイヌ文化の振興に大きく貢献した。 北海道静内(後の新ひだか町)に生まれた。1919年(大正8年)、母と共に鵡川に移住した。母の目が不自由だったため、幼少時より農作業を手伝った。生活は苦しく、周囲からのいじめにも遭ったが、農作業中に母から聞かされたアイヌの詩で勇気づけられた。 1974年(昭和49年)に、北海道ウタリ協会(北海道アイヌ協会)鵡川支部が発足すると、同会に参加した。
橋本 輝雄(はしもと てるお、1915年6月30日 - 20… 橋本 輝雄(はしもと てるお、1915年6月30日 - 2001年10月1日)は、日本の騎手、競走馬調教師。 1933年に騎手デビュー。太平洋戦争最中の1944年に「能力検定競走」として行われた東京優駿(日本ダービー)をカイソウで制したほか、1950年にはクモノハナに騎乗して皐月賞、日本ダービーのクラシック二冠を制した。騎手通算成績は1154戦154勝、うち八大競走3勝を含む重賞5勝。 1953年に調教師へ転身し、それぞれ菊花賞に優勝したコマヒカリ、アカネテンリュウ、中山大障害を4連勝し海外でも2勝したフジノオー、日本ダービー優勝馬メリーナイスなど数々の活躍馬を手掛けた。1993年に定年引退。調教師成績は日本中央競馬会が発足した1954年以降で通算7361戦931勝、うち八大競走・GI級競走4勝を含む重賞30勝。
葛野 辰次郎(くずの たつじろう、1910年(明治43年)4… 葛野 辰次郎(くずの たつじろう、1910年(明治43年)4月10日 - 2002年(平成14年)3月27日)は、アイヌ語・アイヌ文化の伝承者。 北海道日高管内・静内郡静内町字東別(現・日高郡新ひだか町)に生まれ育つ。祖父は和人(青森県むつ市田名部出身)、祖母はアイヌ。父・小天(民族名 Kocinpauk)と母・タク(民族名 ukaecure)の8人兄弟の末子として生まれる。つる夫人(1912-1989)は和人だが、幼児期より静内町東静内のアイヌに育てられ、アイヌ語もよくできた。アイヌ語で育ったが、小学校は和人と同じ学校であったため日本語を学んだ。和人との交流が深まるにつれ、日本語中心の生活になり、アイヌ語はあまり使わなくなった。
織田 ステノ(おりた ステノ、1902年〈明治35年〉7月2… 織田 ステノ(おりた ステノ、1902年〈明治35年〉7月20日 - 1993年〈平成5年〉4月30日)は、日本のアイヌ文化伝承者。アイヌ口頭文芸、アイヌ口承文学の第一人者とされ、特にユカㇻの伝承者として知られる。晩年のアイヌ語、アイヌの神事、口承文芸、生活文化などでの後進の指導、研究者への協力などでも知られている。ユカㇻを始めとするアイヌの生活文化全体について伝承者の少なくなった近世においては、最も信頼のおける人物の1人とされており、北海道静内地方のアイヌ文化は研究成果も資料も少ない中、アイヌ文化全般の知識を有する貴重な存在ともされている。「ステノ」の名は晩年に自称したアイヌとしての名であり、戸籍名は織田 ステ。
虎尾ハルシア(とらお はるしあ、1902年〈明治35年〉3月… 虎尾ハルシア(とらお はるしあ、1902年〈明治35年〉3月20日 - 1991年〈平成3年〉3月4日)はアイヌの口承文芸ユカㇻとウエペケレの伝承者。出生名である虎尾ハルとしても知られる。 北海道静内郡静内町(現在の日高郡新ひだか町)農屋(旧ノヤサㇽコタン)のオプスケ川の近くで生まれ育つ。父・虎尾桃太郞(とうたろう、アイヌ名イコㇽパ)はハルシアが4歳の時に亡くなり、その後は母ムメ(アイヌ名シケヌカㇻ)に育てられた。父方の祖父は南部衆であり、母方の祖母である福島タノペトからウエペケㇾを伝えられている。9歳の時に学校へ通ったが、一年も行かなかったという。15~16歳の頃に畑作や道路工事の日雇いで働くようになり、川船で船を漕いだり、鱒漁の網を馬で引いたりできるようになった。
東原 玉造(とうばら たまぞう 1887年7月20日 - 1… 東原 玉造(とうばら たまぞう 1887年7月20日 - 1955年11月11日)は、日本の元騎手、調教師。別名:東原玉蔵。 1887年7月20日、北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身。 1901年に目黒競馬場所属の柴田安治厩舎に見習騎手として入門。5年後の1906年に横濱競馬場のレースにて騎手としてデビュー。騎手時代の1924年秋には横濱競馬場での帝室御賞典をナイトという馬で制覇した記録がある。 調教師となり中山競馬場に厩舎を構えてからは、東京優駿競走をワカタカ(第1回、1932年)、ミナミホマレ(第11回、1942年)で制覇、東京競馬場での帝室御賞典をワカタカ(1932年)で制覇、ミナミモアで天皇賞 (春)を1942年に制覇するなどして、戦中戦後にかけて日本競馬界の名門として名を高めた。
佐々木 飛吉(ささき とびきち、明治2年1月15日(1869… 佐々木 飛吉(ささき とびきち、明治2年1月15日(1869年2月25日) - 昭和28年(1953年)5月23日)は、明治から昭和にかけて北海道静内郡静内町に居住したアイヌ。アイヌ協会の創立メンバーで、アイヌ文化伝承者であった。 東静内アザミの沢出身で、同地に住んだアイヌ名はOperikun、オペリクン、オペレクン・テクンアレ、ペイレン。opは海でカジキマグロを獲るのに使うホコであり、それを使うのが上手と言うこと、「ホコ使い上手」を意味するオッㇷ゚エリクンが転訛したものという。 アイヌ語に優れ、パルンクル(雄弁家)であった。静内地方でも著名な首長、長老であり、戦前・戦後を通し多くの著名人が訪れた。