須藤 明夫(すとう あきお、1968年〈昭和43年〉11月5… 須藤 明夫(すとう あきお、1968年〈昭和43年〉11月5日 - )は、日本の建設・国土交通官僚。 青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校を経て、1993年(平成5年)、東京大学法学部を卒業し、同年建設省に入省。入省後、都市局都市計画課に配属され、その後、鳥取県企画部企画振興課長、内閣官房内閣総務官室参事官、内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局参事官、内閣府地方創生推進事務局参事官、国土交通省大臣官房広報課長、土地・建設産業局企画課長、同局不動産業課長、国土交通省総合政策局社会資本整備政策課長、国土交通省大臣官房参事官(会計担当)、同会計課長などを歴任。所有者不明土地問題の対策を目的とした「所有者不明土地の利用の円滑化等に関する特別措置法」の法案作成、「不動産業ビジョン 2030~令和時代の『不動産最適活用』に向けて〜」の策定などに携わった。
梶浦 桂司(かじうら けいじ、1967年7月19日 - 20… 梶浦 桂司(かじうら けいじ、1967年7月19日 - 2012年9月16日)は、日本の法学者。元札幌大学教授。元北海学園大学非常勤講師。専門は、会社法・一般社団法人法・一般財団法人法。特に、企業結合をめぐる法律関係やドイツ商法を研究していた。青森県弘前市出身。永井和之門下。
菊池 誠(きくち まこと、1958年 - )は、日本の物理学… 菊池 誠(きくち まこと、1958年 - )は、日本の物理学者。大阪大学大学院理学研究科物理学専攻及び同大学サイバーメディアセンター教授。専門は統計力学、生物物理学、計算物理学。「ニセ科学フォーラム」実行委員。と学会会員。京都府生まれ、青森県弘前市育ち。
川口 淳一郎(かわぐち じゅんいちろう、1955年〈昭和30… 川口 淳一郎(かわぐち じゅんいちろう、1955年〈昭和30年〉9月24日 - )は、日本の工学者。専門は、制御システム論・応用飛行力学。学位は、工学博士(東京大学・1983年)。オーストラリア国立大学教授。 宇宙科学研究所宇宙航行システム研究系教授、宇宙科学研究所宇宙航行システム研究系研究主幹、宇宙科学研究所深宇宙探査センターセンター長、国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構シニアフェロー、内閣官房宇宙開発戦略本部事務局局長、東京大学大学院工学系研究科教授(兼任)、東北大学特任教授などを歴任した。 青森県弘前市出身。宇宙工学者である。特に制御システム論や応用飛行力学といった分野を専攻する。アストロダイナミクス、軌道力学、姿勢・軌道制御、航法・軌道決定論、惑星探査ミッション解析、システム制御論などの研究に従事した。
須藤訓任(すとう のりひで、1955年- )は、日本の哲学者… 須藤訓任(すとう のりひで、1955年- )は、日本の哲学者。大阪大学教授。フリードリヒ・ニーチェ、ジークムント・フロイトを研究。 青森県弘前市出身。1978年京都大学文学部哲学科卒、1983年同大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。大谷大学専任講師、助教授、1999年教授、2004年10月大阪大学文学研究科教授。 2012年「ニーチェの歴史思想 物語・発生史・系譜学」で大阪大学文学博士。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
能登路 雅子(のとじ まさこ、1949年2月12日 - )は… 能登路 雅子(のとじ まさこ、1949年2月12日 - )は、日本の歴史学者、アメリカ文化史学者、東京大学総合文化研究科名誉教授、元同アメリカ研究資料センター所長、登録有形文化財「旧同潤会江古田分譲住宅佐々木邸」保存会代表。 青森県弘前市生まれ。 祖父は東京帝国大学名誉教授の農学者佐々木喬。「旧同潤会江古田分譲住宅佐々木邸」は分譲時に佐々木が購入したものであり、能登路自身も8歳まで居住していた。 1972年、東京大学教養学部教養学科卒業。 1973年までマッキャンエリクソン博報堂勤務。1978年から1982年までカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院在学(Master of Art: Asian American Studies)。
阿保 順子(あぼ じゅんこ、1949年 - )は、日本の看護… 阿保 順子(あぼ じゅんこ、1949年 - )は、日本の看護学者・看護師、北海道医療大学特任教授。専門は、精神科看護学。 青森県弘前市生まれ。1970年、日本赤十字中央女子短期大学(現・日本赤十字看護大学)卒業。卒業後は日本赤十字社中央病院などに看護師として勤務し、厚生病院附属高等看護学院講師。1979年慶應義塾大学通信教育部卒業。1981年弘前大学医療技術短期大学部非常勤講師。1992年弘前大学大学院人文科学研究科修士課程修了。 1993年北海道医療大学看護福祉学部助教授。その後、同看護福祉学部教授を経て、2010年に北海道医療大学退職。同名誉教授。長野県看護大学学長に就任。2011年より北海道医療大学大学院看護福祉学特任教授。
森 英一(もり えいいち、1945年10月10日- )は、日… 森 英一(もり えいいち、1945年10月10日- )は、日本近代文学研究者、金沢大学名誉教授。 青森県弘前市生まれ。北海道大学大学院博士課程中退。金沢大学教育学部助教授、教授を経て、2011年定年退職、名誉教授。金沢近代文芸研究会(『イミタチオ』発行)代表理事。筆名・三木進一。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
熊谷 勝弘(くまがい かつひろ、青森県弘前市出身 1945年… 熊谷 勝弘(くまがい かつひろ、青森県弘前市出身 1945年8月9日 - )は、日本の総理府技官、工学博士、技術士、土木学会認定特別上級土木技術者(総合)。北海道開発庁北海道開発局長や、伊藤組土建代表取締役副社長を務めた。 1970年北海道大学大学院修了。1973年北海道開発庁北海道開発局札幌開建道路建設課橋梁係長。1976年北海道開発庁北海道開発局土木試験所舗装研究室副室長。1977年建設省計画局国際課長補佐。1978年外務省在ケニア日本国大使館一等書記官(ウガンダ・セイシェルズ・マラウイ兼轄)。1981年北海道開発庁北海道開発局道路計画課付。1981年北海道開発庁北海道開発局室蘭開発建設部道路第一課長。
須藤 貢明(すどう つぐあき、1939年 - )は、日本の聴… 須藤 貢明(すどう つぐあき、1939年 - )は、日本の聴覚障害児教育の研究者、東京学芸大学名誉教授である。青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校を経て、1962年電気通信大学電波通信学部卒業。玉川大学工学部専任講師、東京学芸大学専任講師を経て、1992年に東京学芸大学教授に、2003年に同学名誉教授に就任した。聴覚心理学、言語指導論を研究する。 1992年に「聴覚障害児教育における言語指導の方法に関する実験的研究」で博士(教育学)を取得した(筑波大学、第471号)。
成田 守(なりた まもる、1938年12月3日 - )は、日… 成田 守(なりた まもる、1938年12月3日 - )は、日本の民俗学・芸能学者、大東文化大学名誉教授。 青森県弘前市出身。1963年に國學院大學文学部を卒業した。 その後、大東文化大学助教授を経て、教授に就任した。1986年、『奥浄瑠璃の研究』『盲僧の伝承 九州地方の琵琶法師』で日本歌謡学会志田延義賞を受賞した。 2009年に定年で退職し、名誉教授となる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
今 充(こん みつる、1932年1月20日 - 2018年4… 今 充(こん みつる、1932年1月20日 - 2018年4月14日)は、日本の医学者。弘前医療福祉大学特任教授、弘前大学名誉教授。学位は医学博士(弘前大学)。専門は一般外科・消化器外科(特に大腸外科・肛門括約筋機能温存術)高齢者・福祉医療、緩和・終末期医療。 青森県弘前市出身。1962年に弘前大学大学院医学研究科を修了後、弘前大学第二外科助手に就任。66年から2年間、人癌研究のため米国ロズウェルパーク記念研究所へ出張する。91年から第二外科学教室教授として昇任。大腸癌、特に直腸癌における低位前方切除術の先駆者として自律神経温存手術などの治療に注力。94年には青森県で初めての生体部分肝移植を指揮。
松下 和則(まつした かずのり、1919年3月3日 - 20… 松下 和則(まつした かずのり、1919年3月3日 - 2007年11月9日)は、フランス文学者、東京大学名誉教授。 父の任地、現在の青森県弘前市に生まれ、翌年東京に移転。第一高等学校理科から、1941年東京帝国大学理学部物理学科を繰り上げ卒業、1942年同地震研究所助手、1943年同文学部仏文科に入学し、1946年卒業。大学院研究生を経て1951年中央大学助教授、1954年東京大学教養学部助教授、1967年教授、1979年定年退官、名誉教授。上智大学教授を務め1984年退職。1981年から1985年まで日本フランス語フランス文学会会長、1984年フランス政府より教育功労章を授与される。1992年勲三等旭日中綬章。
宮川 善造(みやかわ ぜんぞう、1904年(明治37年)10… 宮川 善造(みやかわ ぜんぞう、1904年(明治37年)10月14日 - 1985年(昭和60年)12月11日)は、日本の地理学者。満州の建国大学で教鞭をとった。 青森県弘前市出身。京都大学地理学教室を卒業。大学院を経て東北の東北学院高等学校の教授となる。その後、1938年、作田荘一が指導する満州の建国大学へ着任する。戦後はチェレンホーボ炭鉱に抑留され、1947年に日本に帰国した。1949年に東北大学の講師、翌年に教授となった。 太平洋戦争中の彼の論文「大東亜地政学と満洲の地位」によれば、大東亜共栄圏について大東亜という広い地域のなかでの日本を中核とした国家連合を想定した。その大東亜の範囲について、日本を中心に、内核には日本、満州、中国を、中間圏にタイ王国やフィリピン、極東のシベリアなど、外側にはオーストラリアやアリューシャン列島などを想定する。
高杉 年雄(たかすぎ としお、1904年(明治37年)3月2… 高杉 年雄(たかすぎ としお、1904年(明治37年)3月29日-1984年(昭和59年)1月6日)は、日本の医学者、学校経営者。医学博士(北海道帝国大学)。 青森県弘前市で出生後、北海道札幌に移住。1921年北海道庁立札幌第二中学校卒業。1928年(昭和3年)北海道帝國大学医学部卒業。1930年同医学部助手。1933年北海道帝国大学にて論題「沃度代謝と消化器との関係」にて医学博士受く。1933年北海道帝国大学医学部第二内科講師。1934年同医学部第二内科助教授。1947年北海道大学医学部内科学第三講座初代教授及び北海道大学病院医科第三内科長に任命される。1955年(昭和30年)北海道大学医学部附属病院院長。
佐藤 一村(さとう いっそん、明治32年(1899年)10月… 佐藤 一村(さとう いっそん、明治32年(1899年)10月18日 - 1991年11月、本名: 佐藤 武市(さとう たけいち))は、日本の銀行員、大学教員、俳人である。ホトトギスの同人であった。 明治32年、青森市に生まれる。弘前中学校に通う。大正9年に小樽高等商業学校を卒業した後、太平洋戦争終結による解体まで台湾銀行に勤める。台南勤務、スラバヤへの駐在を経て、蘇州支店長、漢口支店長を歴任する。佐藤は武漢での勤務は「文字どうりの滅私奉公の四年であった」と振り返っている。戦後は日本に引き揚げ、GHQ大阪軍政部の技術顧問となった。後に大阪工業高等専門学校および大阪工業大学短期大学部で講師を務めた。
今 裕(こん ゆたか、1878年(明治11年)2月7日 - … 今 裕(こん ゆたか、1878年(明治11年)2月7日 - 1954年(昭和29年)2月5日)は、日本の医学者。医学博士。専門は病理学・細菌学。 青森県弘前出身。津軽藩侍医・今幹斎の五男。1896年(明治29年)青森県第一尋常中学校卒。1900年(明治33年)第二高等学校医学部卒。京都帝國大学医学部助手、台湾総督府医学校助教授、1909年(明治42年)東京慈恵会医学専門学校教授。東京歯科医学専門学校教授兼任。1918年(大正7年)北海道帝國大学農学部教授。1919年(大正8年)同医学部教授。1925年(大正14年)同医学部長。1937年(昭和12年)北海道帝國大学総長。1941年(昭和16年)北海道帝國大学停年退官。
吉町 太郎一(よしまち たろういち、1873年-1961年)… 吉町 太郎一(よしまち たろういち、1873年-1961年)は、日本の橋梁工学者。材料工学者・研究者。代表作に旭橋など。 九州帝国大学工学部長、北海道帝国大学工学部長、室蘭工業専門学校(現・室蘭工業大学)学長を歴任した。 青森県に生まれ、弘前市新寺町出身、藩士吉町官助の子。幼にして父に随い上京。苦学力行して第一高等学校から東京帝国大学工学部に入学。金属学を専攻して、1898年に卒業。同時に同学部助教授になり、1901年に欧州へ留学。1904年に帰朝して、名古屋高等工業学校教授、転じて九州帝国大学工学部教授となった。1924年に北海道帝国大学に工学部設立のさい迎えられて同学部教授。ついで同学部長となり、1936年退官して北海道大学名誉教授の称号をうけた。
藤村 與六(ふじむら よろく、1872年〈明治5年〉 - 1… 藤村 與六(ふじむら よろく、1872年〈明治5年〉 - 1967年〈昭和42年〉11月29日 )は、日本の教育者、易学者。号は蒙斎、のちに蒙軒と改めた。従五位、勲六等瑞宝章に叙せられる。 1872年(明治5年)に青森県弘前に生まれた。実父は明治維新後に郵便御用取扱人を務めた馬渡周助で、10人兄弟の末子として生まれた。幼少時に旧弘前藩士の藤村家の養子となった。 1893年(明治26年)に青森県尋常師範学校を卒業し、小学校訓導となる。その後高等師範学校文科に進み、1900年(明治33年)3月に卒業した。 卒業後の同年4月、国語及漢文科の教諭として鳥取県第一中学校に赴任し、その後神奈川県師範学校、滋賀県立第一中学校、私立明倫中学校、高知師範学校の教諭・主事・教頭を歴任した。
中田 重治(なかだ じゅうじ、1870年11月20日(明治3… 中田 重治(なかだ じゅうじ、1870年11月20日(明治3年10月27日)- 1939年(昭和14年)9月24日)は、明治・大正・昭和初期にかけて活躍した日本の教会監督、大衆伝道者、巡回伝道者、福音使(牧師)、神学校(柏木聖書学院)教師・院長(校長)、宗教家、説教家、翻訳家、賛美歌作家、実業家、ジャーナリスト、神学者、日ユ同祖論者である。 明治時代のメソジスト派の牧師中田久吉は実兄、日本を代表する教会音楽家の中田羽後は次男、日本アライアンス教団の大江寛人、日本基督教団の議長辻宣道、同じく日本基督教団の牧師有馬式夫は孫である。 日本ホーリネス教会の創始者の一人で初代監督であり、日本ホーリネス教会を既存の五大教派(長老派、メソジスト派、会衆派、バプテスト派、ルーテル派)に並ぶ巨大組織に発展させた功労者。