上原 敏(うえはら びん、本名:松本 力治(まつもと りきじ… 上原 敏(うえはら びん、本名:松本 力治(まつもと りきじ)、1908年〈明治41年〉8月26日 - 1944年〈昭和19年〉7月29日)は、秋田県出身の歌手。 戦前に活躍した流行歌手で「妻恋道中」「裏町人生」などのヒット曲を持つが、第二次世界大戦で行方不明(のちに死亡認定)となった。最終学歴は専修大学卒業。 1908年(明治41年)に秋田県北秋田郡大館町(現:秋田県大館市)の商家「ネリヤ」で生まれる。旧制秋田県立大館中学校在学中からヴァイオリンに夢中になり、音楽の素養を身につけた。スポーツは野球を得意とし、専修大学商学部に入学後も東都大学野球連盟に選手として出場している。ポジションは投手で、1933年(昭和8年)春と1934年(昭和9年)春の東京五大学リーグ戦優勝に貢献し、4年生では主将を務めた。
海江田 譲二(かいえだ じょうじ、1908年3月1日 - 1… 海江田 譲二(かいえだ じょうじ、1908年3月1日 - 1986年4月11日)は、日本の俳優である。本名は上遠野 武史(かどの たけし)である。 1908年(明治41年)3月1日、秋田県北秋田郡大館町(現在の同県大館市)に上遠野武史として生まれる。 1930年(昭和5年)、同郷の映画監督・辻吉朗を頼って京都に移り、辻の所属する日活太秦撮影所に入社する。同年、辻監督による主演作『股旅しぐれ』で映画界にデビュー、つづいて大河内傳次郎が出演予定だった同監督の『大虚』の主演に急遽抜擢され、スターの道を歩み始める。1931年(昭和6年)、稲垣浩監督の『男達ばやり』で片岡千恵蔵と共演、翌1932年(昭和7年)には、辻監督の『沓掛時次郎』で主演する。
小畑 達夫(おばた たつお、1907年7月7日 - 1933… 小畑 達夫(おばた たつお、1907年7月7日 - 1933年12月24日、満26歳没)は、日本の社会運動家である。日本共産党の党員。1933年(昭和8年)、共産党内で宮本顕治、袴田里見らにより「特高警察のスパイ」の容疑をかけられ、査問を受けていた最中に死亡した(日本共産党スパイ査問事件)。宮本や袴田はこれにより、治安維持法違反のほか、不法監禁致死罪および銃刀法違反の罪に問われた。 1907年(明治40年)、秋田県北秋田郡二井田村(現大館市)に教員の長男として生まれた。母を幼少時に亡くし、父は小学校5年生のときに死亡、実母の妹イクに育てられた。秋田県立大館中学校に進学。伯父に大杉栄の弟子がいて、影響を受け在学中から公然と天皇制を批判していた。
大野 一雄(おおの かずお、1906年〈明治39年〉10月2… 大野 一雄(おおの かずお、1906年〈明治39年〉10月27日 - 2010年〈平成22年〉6月1日)は、日本の舞踏家。モダンダンサー。マイム師、教育者。北海道函館市出身。 「ラ・アルヘンチーナ頌」「わたしのお母さん」「死海」「睡蓮」 1906年10月27日、函館の弁天町に生まれた。家は北洋を漁場にする網元で、モダンな家庭であった。父はロシア語を話し、冬はカムチャッカ半島まで漁に出た。母はグラタンなどの西洋料理を得意とし、琴は六段の名手で、オルガンも弾いた。 ロシア正教会の幼稚園に通う。 1919年4月、旧制北海道庁立函館中学校(現・北海道函館中部高等学校)に入学後、母方の秋田県の親戚白石家にあずけられる。
小畑 勇二郎(おばた ゆうじろう、明治39年(1906年)9… 小畑 勇二郎(おばた ゆうじろう、明治39年(1906年)9月19日 - 昭和57年(1982年)10月5日)は日本の政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。秋田県知事を連続6期24年務め、秋田県の発展に尽力した。 雑貨商の父勇吉、母シカの二男として秋田県北秋田郡早口村弥五郎沢(現・大館市)に生まれる。 大正13年(1924年)3月、旧制秋田中学校(現・秋田県立秋田高等学校)を卒業。 大正14年(1925年)4月から小学校の代用教員を務め、昭和2年(1927年)10月から養父吉田季吉の世話で故郷の早口村役場の書記に7年間勤務する。この間、松尾好子と結婚する。 昭和14年(1939年)、秋田県庁に入庁。
小林 多喜二(こばやし たきじ、1903年(明治36年)12… 小林 多喜二(こばやし たきじ、1903年(明治36年)12月1日[注釈 1] - 1933年(昭和8年)2月20日)は、日本のプロレタリア文学の代表的な作家、小説家である。
平田 小六(ひらた ころく、1903年11月1日 - 197… 平田 小六(ひらた ころく、1903年11月1日 - 1976年5月18日)は、日本の作家。 秋田県生まれ。弘前中学校卒。プロレタリア文学の作家として出発、農民小説を書く。戦後は新日本文学会所属。 英語教師である父・孝次郎の勤務先である秋田県大館町に生まれる。第五十九国立銀行の行員となった父の転勤に伴い、幼い時期は青森県内を転々とする。1923年(大正12年)に弘前中学校を卒業すると、家計を助けるために進学を断念して代用教員に就く。1924年、北津軽郡小泊村下前尋常小学校(後の下前小学校。2010年に小泊小学校に統合され閉校)に訓導として着任する。(下前尋常高等小学校は明治9年に完成しました)この下前での2年弱の体験が、後の『囚はれた大地』の原型となった。
大矢崎 信哉(おおやざき しんや / のぶや、1903年5月… 大矢崎 信哉(おおやざき しんや / のぶや、1903年5月20日 - 没年不明)は、大正・昭和時代の大相撲力士。峰崎部屋→片男波部屋→伊勢ノ海部屋→花籠部屋所属。本名は木越 信哉。最高位は十両2枚目。 秋田県北秋田郡田代町(現大館市)出身。1920年5月初土俵を踏む。1925年1月十両に昇進。番付を上げ、1926年1月には西十両2枚目まで進んだが、この場所で負け越してからは番付を下げ、1927年1月に幕下に落ちた。1927年10月再十両、この場所と翌場所も負け越し、再び幕下に落ちた。1928年5月に十両復帰。連続6場所務めた後、1930年1月幕下に落ち、同年10月に廃業した。 甥は伊勢ヶ濱部屋の元十両力士の大矢崎武男。
竹村 吉右衛門(たけむら きちえもん、1900年10月11日… 竹村 吉右衛門(たけむら きちえもん、1900年10月11日 - 1984年6月7日)は、日本の実業家。安田生命保険取締役会長や、同社取締役社長を務め、中興の祖とされた。 秋田県北秋田郡大館町(現・大館市)出身。大館尋常小学校を経て、1918年秋田県立大館中学校(現・秋田県立大館鳳鳴高等学校)卒業。1921年小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)卒業。1924年東京商科大学(現・一橋大学)商学部卒業(井浦仙太郎ゼミ)。 大学卒業後、安田銀行に入行。安田銀行金融課長、安田銀行小舟町支店長、安田銀行取締役本店営業部長、日本貯蓄銀行専務取締役などを歴任したが、日本の降伏後、公職追放となる。 1950年安田生命保険取締役会長に復帰。
栗盛 吉蔵(くりもり きちぞう、1897年(明治30年)2月… 栗盛 吉蔵(くりもり きちぞう、1897年(明治30年)2月 - 1974年(昭和49年))は、昭和時代に活躍した日本画家、美術教師。号は大地。 奈良県奈良市高畑町にウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の自宅兼アトリエを構え、志賀直哉の高畑サロンに参加した。後に故郷の秋田県大館市で美術教師として教育に従事し、同地の美術界に大きな影響を与えた。 1897年(明治30年)2月、秋田県大館町に、父栗盛倉松、母ヤエの三男として生まれる。生家の栗盛家は、曾祖父栗盛吉右衛門が一代で財を築いた北秋田郡有数の資産家で、吉右衛門は奨学金の貸し付けなどの育英事業を行う栗盛教育団を設立している。 大正年間に京都市立芸術大学の前身である京都市立美術工芸学校本科を卒業した。
奈良 真養(なら しんよう、1896年11月30日 - 19… 奈良 真養(なら しんよう、1896年11月30日 - 1977年11月26日)は、日本の映画俳優。 1896年(明治29年)11月30日、秋田県北秋田郡大館町(現在の大館市)に鉱山師の父・真平と母・とめの長男として生まれる。 1914年(大正3年)に秋田県立大館中学校(現在の秋田県立大館鳳鳴高等学校)を卒業後、小坂鉱山で3年間の勤務を経て上京し、農商務省工業試験所に勤務した。 1920年(大正9年)2月、松竹キネマ合名社の設立にあたって行った男女俳優募集に応募、240人の応募者の中から男性120人・女性5人の合格者の一人として選ばれ、同年4月1日に小山内薫主宰の松竹キネマ俳優学校に入学。同期生に伊藤大輔、鈴木伝明、澤村春子、岡田宗太郎らがいる。
畠山 重勇(はたけやま じゅうゆう、1895年(明治28年)… 畠山 重勇(はたけやま じゅうゆう、1895年(明治28年)11月3日 - 1978年(昭和53年)10月8日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、秋田県北秋田郡比内町長、同町名誉町民。位階は従五位。 秋田県南秋田郡扇田村(扇田町、比内町を経て現大館市比内町扇田)で生まれる。1914年(大正3年)秋田県立大館中学校(現秋田県立大館鳳鳴高等学校)を卒業。 大葛産業取締役社長、同会長、北秋田郡木炭同業組合長、炭谷鉱山経営、扇田通運取締役社長、秋田県木炭取締役、北秋通運取締役、秋田県木材取締役、秋田県燃料商業組合理事長、東北木材興業専務取締役、同社長などを務めた。 政界では、扇田町会議員を務め、1939年(昭和14年)から1949年(昭和24年)まで秋田県議会(県会)議員に3期在任し、同参事会員も務めた。
横山 助成(よこやま すけなり、1884年(明治17年)1月… 横山 助成(よこやま すけなり、1884年(明治17年)1月1日 - 1963年(昭和38年)3月27日)は、日本の内務官僚、政治家。警視総監、貴族院議員。東北興業総裁。 以下、「横山 助成 (よこやますけなり)東京都知事も務めた 内務省高級官僚」(秋田高等学校同窓会、2014年3月21日更新)参照。 「献策居士」の異名をもち、趣味は将棋とゴルフ。 石田八弥の女婿。義弟は文化人類学者の石田英一郎、姪の子に阿部牧郎がいる。
山口 蘭渓(やまぐち らんけい、1882年〈明治15年〉2月… 山口 蘭渓(やまぐち らんけい、1882年〈明治15年〉2月21日 - 1975年〈昭和50年〉7月2日)は、日本の書道家。本名は南寿、字は穆卿。 秋田県北秋田郡大葛村(現在の大館市)出身。1905年に秋田県師範学校を卒業し、土崎尋常高等小学校に勤務した。土崎尋常高等小学校在職中に書道を学び、1912年に上京し日下部鳴鶴に入門した。1918年に文部省習字科試験に合格した。日本美術協会第1回展覧会に出品して入賞してから各展覧会で賞を受けた。日本書道作振会第二回展覧会には、久邇宮殿下が台臨のときに御前揮毫を行った。 1936年には秋田書道展主査となり、1962年まで務めた。1939年には興亜書道連盟理事となった。
大村 正雄(おおむら まさお、1878年10月1日 - 没年… 大村 正雄(おおむら まさお、1878年10月1日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。本名早坂 正巳(はやさか まさみ)。芸名の表記は大村 正夫、大村 正男と揺れがある。新派の舞台俳優としてキャリアをスタートし、黎明期の日活向島撮影所を支えたスター俳優として知られる。 1878年(明治11年)10月1日、秋田県北秋田郡大館町(現在の同県大館市)に生まれる。 東京に移り、満18歳を迎える1896年(明治29年)、東京府東京市神田区三崎町(現在の東京都千代田区神田三崎町)にあった、川上音二郎の川上座(のちの改良座、現存せず)で初舞台を踏んだ。以降、新派の舞台俳優として、各地の舞台に立った。1918年(大正7年)に発行された『花形活動俳優内証話』によれば、東京に来た経緯は、地元の旧制中学校を2年で中途退学して東京に移り、専修学校(現在の専修大学)に入学、その後、東京専門学校(現在の早稲田大学)に移ったとされている。
狩野 亨吉(かのう こうきち、1865年9月17日(慶応元年… 狩野 亨吉(かのう こうきち、1865年9月17日(慶応元年7月28日) - 1942年(昭和17年)12月22日)は、日本の教育者。号は君山。
荒谷 桂吉(あらや けいきち、1853年6月12日(嘉永6年… 荒谷 桂吉(あらや けいきち、1853年6月12日(嘉永6年5月6日)- 1934年(昭和9年)2月14日)は、幕末から明治期の実業家、政治家。衆議院議員、秋田県会議長、秋田県北秋田郡大葛村長。諱・富延、号・葛渓、檗堂。大葛鉱山支配人・荒谷家13代当主。 出羽国秋田郡大葛村(秋田県北秋田郡大葛村、比内町大葛を経て現大館市比内町大葛)で、大葛鉱山支配人の荒谷家12代当主・荒谷忠一郎の二男として生まれた。10歳で父を失い家督を相続して大葛鉱山支配人を継承したが、1870年(明治3年)大葛鉱山は久保田藩有となった。 その後、大館の儒者・中田錦江に師事し漢学を修めた。さらに上京して1875年(明治8年)慶應義塾を卒業した。
横山 勇喜(よこやま ゆうき、1852年11月13日(嘉永5… 横山 勇喜(よこやま ゆうき、1852年11月13日(嘉永5年10月2日)- 1897年(明治30年)11月7日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員、秋田県会議長。 出羽国秋田郡東大館町長倉(秋田県北秋田郡大館町を経て現大館市長倉)で、久保田藩士・横山運之助の長男として生まれた。藩校・明徳館で学んだ。 1874年(明治7年)10月、父の死去に伴い家督を相続。農業を営む。 1879年(明治12年)3月、秋田県会議員に選出された。通算6期在任し、1891年(明治24年)4月から4か月間、同議長を務めた。 1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(秋田県第2区、立憲革新党)で当選したが、同年9月の第4回総選挙で落選し、衆議院議員に1期在任した。
狩野 旭峰(かのう きょくほう、1832年(天保3年) - … 狩野 旭峰(かのう きょくほう、1832年(天保3年) - 1925年(大正14年))は、日本の漢学者・漢詩人・ジャーナリスト。 出羽国秋田郡大館町に狩野与十郎長安の子として生まれた。本名は良貴、通称は徳蔵。狩野氏は、山形を本拠地とする最上氏が江戸幕府によって改易されたのち、久保田藩(本城は久保田城)の支城のあった大館の佐竹西家に仕えた。1849年(嘉永2年)、18歳で江戸に出て、塩谷宕陰に学び、以降5年のあいだ、古賀謹一郎、藤森弘庵、田口江村らに学んだ。のち、久保田藩江戸邸の学問所「日知館」の教授を務めた。 内務省に入った兄狩野良知の推挙で、明治7年(1874年)、遐邇新聞(現在の秋田魁新報)の創刊にかかわり、その編集長(のち主幹)となって明治初年の秋田言論界をリードした。
狩野 良知(かのう りょうち、1829年〈文政12年1月〉 … 狩野 良知(かのう りょうち、1829年〈文政12年1月〉 - 1906年〈明治39年〉12月14日)は、江戸時代から明治時代にかけての武士、漢学者。久保田藩大館城代家老、のち内務属権小書記官。秋田市の都市公園である「千秋公園」の命名者として知られる。秋田魁新報の前身である「聚珍社」「遐邇新聞」も良知の命名である。幼名は国松、のちに深蔵を名乗った。字は君達、号は羽北。京都帝国大学文科大学初代学長を務めた狩野亨吉の父。 狩野家はもともと山形を本拠地とする最上氏に仕えた武家である。最上氏が江戸幕府によって改易されたのち、久保田藩(本城は久保田城)の支城があった大館の佐竹西家に仕えた。 良知は出羽国秋田郡大館町に狩野与十郎長安の子として生まれた。
虻川 高範(あぶかわ たかのり)は、日本の弁護士。 秋田弁護… 虻川 高範(あぶかわ たかのり)は、日本の弁護士。 秋田弁護士会会長、東北弁護士会連合会会長、憲法改悪阻止各界連絡会議事務局長、秋田市民オンブズマン代表等を歴任し、住民訴訟なども手掛ける。 秋田県大館市出身。秋田県立大館鳳鳴高等学校を経て、一橋大学法学部卒業。1984年秋田弁護士会に弁護士登録。2003年度秋田弁護士会会長。秋田市民オンブズマン代表を務め、住民訴訟なども手掛ける。 2016年には齊藤光喜湯沢市長に違法な公金支出があったとした住民訴訟で市長らの損害賠償責任が認められるなどし2017年に和解が成立した。2018年には児玉一鹿角市長らが市税の延滞税の徴収を怠っていたとして提起した住民訴訟で市の違法な処理があったとして市長らに損害賠償責任が認められた。
福原 淳嗣 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(2… 福原 淳嗣 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(2期)。秋田県大館市長(3期)、大館市議会議員(2期)を務めた。
閃岳 大輔 は、秋田県大館市出身で木瀬部屋(閉鎖処分中は北の… 閃岳 大輔 は、秋田県大館市出身で木瀬部屋(閉鎖処分中は北の湖部屋)に所属した元大相撲力士。本名は佐々木 大輔。身長181.0cm、体重131.0kg、最高位は東幕下13枚目(2017年5月場所)。
佐藤 真理子(さとう まりこ)は、日本のロック歌手。 秋田県… 佐藤 真理子(さとう まりこ)は、日本のロック歌手。 秋田県大館市出身。東宝芸能学校卒業。 1973年にNHKのヤング101に第4期生として加入。大原マリ子の名前で、同期生の畑山佳代、石川裕子とともに「アップルズ」を結成して、NHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』に1974年3月31日の最終回まで出演した。同年、アップルズはスリーナッツとして徳間音工より 「髭をそらないで」でレコードデビューして、計2作のシングルをリリースした。 その後、芸能活動を中止したが、“YOSAKOI”ブームが起こる以前から民謡に着目し、1991年より民謡ロックを手がける。再び芸能活動を中止したのち、2004年(平成16年)より東京を中心に音楽活動をおこなっている。
中田重治かつ子・あやめ・羽後笹尾鉄三郎・秋山由五郎C・E・カ… 中田重治かつ子・あやめ・羽後笹尾鉄三郎・秋山由五郎C・E・カウマン・カウマン夫人E・A・キルボルン・山崎亭治車田秋次・森五郎野辺地天馬・三谷種吉米田豊・一宮政吉・菅野鋭小原十三司・小原鈴子小出朋治・小出忍 中田 羽後(なかだ うご、1896年9月9日 - 1974年7月14日)は、日本の牧師、音楽伝道者、福音歌手、詩人、作詞家、作曲家、編曲家、言語学者、指揮者、聖歌の編者。 福音主義・超教派の教会音楽のために生涯をささげた。「おお牧場はみどり」の作詞者として有名であり、ヘンデルの『メサイア』の訳者、研究家、演奏家としても知られる。 日本ホーリネス教会の中田重治監督は実父。 1896年9月9日、秋田県北秋田郡大館町(現大館市)にて、牧師の父・中田重治と伝道師の母・かつ子の次男として生まれた。