後藤 良(ごとう りょう、1973年5月9日 - )は、秋田… 後藤 良(ごとう りょう、1973年5月9日 - )は、秋田県を拠点に活動する日本のダンサー、スポーツインストラクター、ローカルタレント、秋田市議会議員(第1期)。秋田市手形山南町在住。 秋田県仙北郡仙北町(現・大仙市)出身。 秋田県立大曲高等学校を卒業後、東京都内にスタジオを構えるダンサーたちに師事してダンスの経験を積む。またカポエイラにも着目し、1995年からカポエイラ・ヘジョナル・ジャパン (Capoeira Regional Japão) の創設者である矢部良に師事。ブラジル本部での修行などを経て、2003年にカポエイラのインストラクターに認定される。 カポエイラ普及活動のため、2004年に秋田へ帰郷。
進藤 金日子(しんどう かねひこ、1963年7月7日 - )… 進藤 金日子(しんどう かねひこ、1963年7月7日 - )は、日本の政治家、農林水産官僚。自由民主党所属の参議院議員(2期)。 財務大臣政務官、総務大臣政務官兼内閣府大臣政務官、全国土地改良政治連盟顧問を歴任した。 秋田県協和町(現・大仙市)船岡出身。現在は千葉県在住。農家の家に4人兄弟の次男として産まれる。「金日子」の名前は町議も務めた父親が雷が鳴った時に産まれた子供の名前には「金」の字をつけるという習わしと、7月7日の七夕の日に産まれたことから「彦」の字をつけ、「金彦」としようとしたがどちらの字も「剛」であることから、農家にとって重要な「日」と位の高い人物につける字である「子」を合わせたという。
菅原 美智子(すがわら みちこ、1958年〈昭和33年〉12… 菅原 美智子(すがわら みちこ、1958年〈昭和33年〉12月14日 ‐ )は、日本のフリーアナウンサー、政治家。福島市議会議員(1期)。 秋田県仙北郡仙北町(現・大仙市)出身。聖霊女子短期大学英語科卒業。小学生から高校生時代まで放送のクラブで活動していた。 1981年4月、アナウンサーとしてラジオ福島に入社。自分の番組で寄せられたイラストやポエムの中から選りすぐった作品を集めて、手作りのポエム集を発行したことがあった。 1984年度の日本民間放送連盟賞のCM部門で、ラジオCM優秀賞を受賞。 2019年3月、ラジオ福島を定年退職。フリーとして活動。退職後も担当した一部の番組は2023年5月まで継続して出演。
老松 博行(おいまつ ひろゆき、1955年(昭和30年)1月… 老松 博行(おいまつ ひろゆき、1955年(昭和30年)1月24日 - )は、日本の政治家。秋田県大仙市長(3期)。 秋田県大曲市川目(現・大仙市川目)に生まれる。大曲市立大曲中学校、秋田県立横手高等学校卒業。1977年(昭和52年)3月、北海道大学農学部卒業。4月に大曲市役所に入所。 2005年(平成17年)3月22日、大曲市は仙北郡6町1村(神岡町・西仙北町・中仙町・協和町・南外村・仙北町・太田町)と合併。大仙市が発足。2006年(平成18年)、大仙市役所総務部長に就任。2012年(平成24年)、副市長就任。 2017年(平成29年)2月上旬、栗林次美市長が健康上の理由により、次期市長選への不出馬を表明したため、副市長を辞任。
寺田 典城(てらた すけしろ、1940年(昭和15年)6月1… 寺田 典城(てらた すけしろ、1940年(昭和15年)6月19日 ‐ )は、日本の政治家。旧姓は小原。 参議院議員(1期)、秋田県知事(民選第14・15・16代)、秋田県横手市長(2期)、秋田経済法科大学理事長、結いの党副代表、維新の党参議院議員会長などを務めた。また、知事在任中、全国知事会副会長、北海道東北知事会会長を務めた。 秋田県仙北郡大川西根村(現、大仙市)生まれ。秋田県立横手高等学校、早稲田大学第二法学部卒業。横手市の寺田家に婿入りし、石油小売会社テラセキ及び建設会社や創和建設の社長を務める。 1991年、横手市長選挙に出馬し、新人4人が立候補した混戦を制して初当選(現職の千田謙蔵市長は不出馬)。
細谷 昭雄(ほそや あきお、1927年1月10日 - 201… 細谷 昭雄(ほそや あきお、1927年1月10日 - 2014年3月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)を歴任した。 秋田県仙北郡神岡町(現大仙市)出身。旧制秋田県立横手中学校(現在の秋田県立横手高等学校)を経て、秋田大学学芸学部(現在の秋田大学教育文化学部)卒。卒業後は小中学校教員になり、秋田県教職員組合仙北支部書記長、同支部長、大曲仙北郡労事務局長、同議長、日本社会党大曲仙北総支部執行委員長などを経て、1971年秋田県議に当選し2期務めた。1979年の第35回衆議院議員総選挙で秋田2区から日本社会党公認で立候補して当選し、翌1980年の第36回衆議院議員総選挙で落選。
伊藤 功(いとう いさお、1919年〈大正8年〉6月16日 … 伊藤 功(いとう いさお、1919年〈大正8年〉6月16日 - 2015年〈平成27年〉9月28日)は、昭和から平成時代の政治家。秋田県大曲市長。旧姓は杉山。位階は正六位。 大曲市(現・大仙市)出身。1937年(昭和12年)3月、秋田県立大曲農業学校卒業。同年4月から樺太庁に入り、殖産部林業課に勤務する。 1949年(昭和24年)角間川町役場に奉職し、1955年(昭和30年)合併により大曲市となる。大曲市財政課長、総務課長、1974年(昭和49年)収入役、1976年(昭和51年)助役を経て、1979年(昭和54年)大曲市長に当選。同年10月21日に就任した。2期務め、1987年(昭和62年)引退した。
髙田 景次(たかだ けいじ、1916年〈大正5年』1月23日… 髙田 景次(たかだ けいじ、1916年〈大正5年』1月23日 - 2003年〈平成15年〉3月16日)は、日本のジャーナリスト、政治家。秋田魁新報社監査役や秋田市長(第15代)を務めた。秋田県大仙市(旧中仙町豊岡)出身。 豊岡村立豊岡尋常小学校、秋田県立角館中学校、山形高等学校を経て、1940年(昭和15年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業。 戦後、1945年(昭和20年)秋田魁新報社に入り、政治経済部長、編集局長を経て、1959年(昭和34年)取締役となり、その後、監査役を務めた。 1973年(昭和48年)2月から1990年(平成2年)4月まで、連続5期秋田市長を務める。歴代市長の中で最長となる17年間の在任中、「公園都市秋田市をつくる条例」「秋田市文化振興条例」などの制定や市民の健康と体力づくり運動、秋田新都市の建設、広面や桜ニュータウンなどの東部、御野場・御所野の南部新拠点開発、仙台市道路愛称名にならった秋田市道路愛称名などの制定、都市景観賞など多方面にわたって功績を残すなど秋田市発展の基礎を築く。
根本 龍太郎(ねもと りゅうたろう、1907年5月25日 -… 根本 龍太郎(ねもと りゅうたろう、1907年5月25日 - 1990年3月19日)は、昭和期の日本の政治家。位階は正三位、勲一等旭日大綬章。 自由民主党衆議院議員。秋田県大曲市(現在の大仙市)出身。 秋田県立秋田農業学校(現秋田県立大曲農業高等学校)を経て、1932年京都帝国大学農学部農林経済学科卒業。満州国に渡り、役人を経て、建国大学の助教授を務めた。終戦で日本に引き上げ、1947年の第23回衆議院議員総選挙に旧秋田2区から秋田県民主党より立候補し当選する(当選同期に鈴木善幸・中曽根康弘・中山マサ・松野頼三・倉石忠雄・石田博英・園田直・櫻内義雄・中村寅太など)。 その後民主党に所属するが、炭鉱国管問題に反対し田中角栄、幣原喜重郎、原健三郎、佐々木秀世らと民主党を脱党し、吉田茂の自由党に入党する。
福原 定吉(ふくはら さだきち、1889年(明治22年)9月… 福原 定吉(ふくはら さだきち、1889年(明治22年)9月6日 ‐ 1980年(昭和55年)4月24日)は、日本の政治家。秋田県大曲町(現・大仙市)の町長を経て、合併後の大曲市の初代市長を務めた。位階は従五位。 福原寅吉の長男。父・寅吉は本来は福原家を継ぐはずだったが、複雑な事情から、福辺内(当時の須和町)に分家となり、1888年(明治18年)に商店を開いた。 大正元年の「仙北郡案内」によると、五十(いさば)集商に大坂久治、福原寅吉、伊勢多郎八、最上正吉と印刷されている。 1933年(昭和8年)に、仙北酒造株式会社を買い取り、12月には酒の免許を取得し、翌1934年(昭和9年)から個人経営として、黒松金福(のちの福原酒販)を始めた。
澤口 フク(さわぐち フク、1886年(明治19年)8月25… 澤口 フク(さわぐち フク、1886年(明治19年)8月25日 - 1972年(昭和47年)12月24日)は、日本の政治家。秋田県仙北郡中川村(のち角館町を経て、現・仙北市)長。秋田県議会議員(3期)。 秋田県仙北郡荒川村(のち協和村→協和町を経て、現・大仙市)生まれ。秋田女子師範学校(現・秋田大学教育文化学部)を経て、日本音楽学校に入る。その後、帰郷し、1911年に中川村の澤口朝治と結婚する。朝治は後に中川村長となる。 1947年、公職追放となった夫に代わり、中川村長選挙に立候補し、当選。秋田県では初の女性村長となった。同時に秋田県議会議員選挙に仙北郡選挙区から秋田県民主党から立候補し、当選した。
田口 謙蔵(たぐち けんぞう、1883年2月6日 - 195… 田口 謙蔵(たぐち けんぞう、1883年2月6日 - 1956年1月16日)は、日本の新聞人、秋田県会議員、郷土史家。松圃(しょうほ)と号した。 田口家は秋田県の花館村の人であり、先祖は千助とされる。大曲町の素封家であった田口米吉の二男として産まれる。祖父・岩蔵が、謙蔵には幼くして非凡な才能のあることを見抜き、満三歳から大道政治郎という人をつけて勉強させた。大道の熱心な教育もあり、通常より2年早い5歳で大曲小学校に入学し神童と呼ばれる。 1891年に秋田市伝紳画会が平福穂庵の追悼画会として全国から作品を募集した際に、当時9歳の謙蔵も絵画を応募したが、審査にあたった鈴木百年、菅原白竜は筆致に感じて奉書紙に漢文の奨励詞を書いて、手づから与えた。
佐々木 駒之助(ささき こまのすけ、1873年(明治6年)7… 佐々木 駒之助(ささき こまのすけ、1873年(明治6年)7月6日 - 1954年(昭和29年)6月2日)は、大正から昭和前期の実業家、政治家。東洋拓殖総裁、貴族院勅選議員。 秋田県仙北郡花館村(大曲市花館を経て現大仙市)で、佐々木多右衛門の三男として生まれ、1885年(明治18年)6月、叔父・佐々木福蔵の養子となる。秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)を経て、1899年(明治32年)慶應義塾大学部理財科を卒業した。 福澤諭吉の紹介で堺市の会社に就職。その後、1900年(明治33年)山口銀行に入行し、理事兼営業部長、常務取締役などを歴任。三和銀行の創設に尽力した。その他、山口合資会社理事長、日本生命保険会長、共同火災保険会長、トヨタ自動車工業監査役、財団法人東亜研究所評議員、南洋協会評議員などを務めた。
伊藤 恭之助(いとう きょうのすけ、1870年3月29日(明… 伊藤 恭之助(いとう きょうのすけ、1870年3月29日(明治3年2月28日)- 1938年(昭和13年)12月15日)は、明治から昭和前期の醸造家、農業経営者、政治家。衆議院議員、第13代伊藤家当主。 出羽国仙北郡南楢岡村及位(秋田県仙北郡南楢岡村、南外村を経て現大仙市南外及位)で、肝煎、酒造業・伊藤重四郎の長男として生れた。神官・高橋村司の私塾で学び、その後、旧久保田藩士・半田忠蔵などに師事した。父の死去に伴い1888年(明治21年)4月に家督を相続した。当主となったため進学が不可能となり、書物によって独学した。 1894年(明治27年)南楢岡村会議員に選出され32年間在任。1897年(明治30年)8月、秋田県会議員に就任し連続7期在任し、同参事会員、仙北郡会議員も務めた。
池田 亀治(いけだ かめじ、1867年7月16日(慶應3年6… 池田 亀治(いけだ かめじ、1867年7月16日(慶應3年6月15日)- 1934年(昭和9年)3月8日)は、明治から昭和初期の農業指導者、政治家、銀行家。衆議院議員。号・万年、俳号歌号・伸穂。 出羽国仙北郡、のちの秋田県仙北郡新刈和野村(刈和野村、刈和野町、西仙北町を経て現大仙市)で、豪農・池田勘左衛門の長男として生まれる。根本通明に師事し勉学に励んだ。 刈和野町会議員となる。1898年(明治31年)秋田県会議員に選出され、同参事会員、仙北郡会議員、所得調査委員にも在任した。1917年(大正6年)4月、第13回衆議院議員総選挙(秋田県郡部、立憲政友会)で初当選し、その後、第16回総選挙まで再選され、衆議院議員に通算4期在任した。
榊田清兵衛(さかきだ せいべえ、元治元年5月26日(1864… 榊田清兵衛(さかきだ せいべえ、元治元年5月26日(1864年6月29日) - 昭和4年(1929年)10月10日)は、明治時代から昭和時代の政治家。仙北郡会議員、秋田県会議員を経て元衆議院議員(当選7回)。地方問題の解決と床次竹二郎内閣実現のために奔走した。 出羽国仙北郡大曲村(現秋田県大仙市大曲地区)に大地主・四世榊田清兵衛(長蔵)と由利町出身のさだの長男として誕生。幼名は清蔵。女ばかりの後の待望の男子となる。1874年(明治7年)に大曲小学校に入学後、まもなく父長蔵が亡くなり、家督相続し、家名の清兵衛をついだ。わんぱく少年だったが学問を好み、神沢繁(素堂)、黒沢利吉、高垣重明、岡田好成らに師事し、自宅向かいに講習義塾を設立した。
斎藤 勘七(さいとう かんしち、1853年5月11日(嘉永6… 斎藤 勘七(さいとう かんしち、1853年5月11日(嘉永6年4月4日) - 1936年(昭和11年)2月18日)は、明治から昭和時代初期の政治家。衆議院議員(3期)。名・忠篤、号・桂斎。屋号は勘左衛門。 出羽久保田藩領仙北郡花館村(秋田県仙北郡花館村、大曲市を経て現大仙市)出身。生家は農業と清酒醸造業を営んだ。角間川青松館、二階堂鴻之進に師事し漢学を修めた。自由民権の発揚を訴え、秋田県会議員に挙げられたが、1881年(明治14年)病のため辞す。ほか、花館村長、仙北郡会議員を歴任した。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では秋田県第4区から出馬し当選。つづく第2回および第9回総選挙でも当選し衆議院議員を通算3期務めた。
最上 広胖(もがみ こうはん/ひろみ、1847年11月16日… 最上 広胖(もがみ こうはん/ひろみ、1847年11月16日(弘化4年10月9日) - 1930年(昭和5年)3月17日)は、明治から大正時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 出羽国平鹿郡角間川村(角間川町、大曲市を経て現大仙市)(現秋田県)で地主・角間川六人衆の最上久右衛門の長男として生まれる。福島県中村の二宮漢学塾で学んだ。1880年(明治13年)腐れ米追放のための資金融資を目的とした秋田改良社を設立し、支配人となる。1894年(明治27年)平鹿銀行と改称し、同頭取に就任した。 1897年(明治30年)秋田県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1904年(明治37年)9月28日まで在任した。
池田 甚之助(いけだ じんのすけ、1846年1月9日(弘化2… 池田 甚之助(いけだ じんのすけ、1846年1月9日(弘化2年12月12日)- 1901年(明治34年)10月27日)は、明治時代の政治家。池田家12代当主。貴族院多額納税者議員。秋田銀行の前身行の一つである、旧秋田銀行初代頭取。 出羽国山本郡高梨村(秋田県仙北郡高梨村、仙北村、仙北町を経て現大仙市)に生まれる。生家は豪農で庄屋を務めた。 大区小区制が敷かれると、1872年(明治5年)秋田県第八大区第二小区戸長となり、ついで高梨村戸長、初代高梨村長などを歴任した。明治期の秋田県の鉄道敷設に際しては発起人を務めた。 1890年(明治23年)秋田県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1891年(明治24年)10月15日まで在任した。
御法川 信英 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(… 御法川 信英 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)、同党国会対策委員長代理、同党秋田県支部連合会会長。