四釜 峻佑 (しかま しゅんすけ、2001年1月7日 - )… 四釜 峻佑 (しかま しゅんすけ、2001年1月7日 - ) は、山形県長井市出身の陸上競技選手。専門は長距離種目。山形中央高等学校、順天堂大学スポーツ健康科学部スポーツ科学科卒業。ロジスティード陸上競技部所属。 陸上競技を始めたのは、兄と姉の影響で小2からマラソン大会に出始めて、小5で初優勝して楽しかったから。 長井市立長井南中学校、山形中央高から順天堂大学に進み、大学3年時に関東インカレ1部ハーフマラソン日本人トップ(4位)および第98回箱根駅伝5区区間5位、大学4年時に全日本大学駅伝8区区間3位、第99回箱根駅伝5区区間2位(区間新)など主にロードで活躍した。順大の1学年先輩には、東京世界陸上マラソン11位の近藤亮太(三菱重工長崎)がいて、四釜の2年時には寮で同部屋だった。
鈴木 沙織(すずき さおり、1990年1月9日 - )は、山… 鈴木 沙織(すずき さおり、1990年1月9日 - )は、山形県長井市出身の元スキーハーフパイプ選手。城北信用金庫所属。 スキーを始めたのは3歳の頃、幼稚園児ながらひとりでスキー場に通う日々を送っていた。転機は小学校5年生、足しげくスキー場に通う鈴木の姿を見ていた地元のクラブチームから声をかけられ、アルペン競技の道を歩むこととなる。練習に練習を重ね、中学時代には全国大会に出場した。高校はスキーの強豪として知られる山形県立山形中央高等学校に進学。厳しい練習に耐えインターハイ優勝を目標に掲げるレベルにまで達していたが、予選1本目で1位を獲るも2本目で転倒、途中棄権となってしまう。大学からのスポーツ推薦の話もあったものの、ここで一度引退を決意する。
渡部 博文(わたなべ ひろふみ、1987年7月7日 - )は… 渡部 博文(わたなべ ひろふみ、1987年7月7日 - )は、日本の実業家。株式会社レノファ山口代表取締役社長、株式会社ESPORTES代表取締役社長。元プロサッカー選手で、サッカー選手としてのポジションはディフェンダー。山形県長井市出身。 本人曰く「5歳年上の姉が好きだった男の子がサッカーをしていたという理由で、小学校2年生の時に無理矢理やらされた」のがサッカーを始めたきっかけとのこと。元々は攻撃的なポジションだったが、山形中央高校サッカー部時代にボランチに、専修大学進学後にセンターバックへ転向。2008年、柏レイソルの特別指定選手に登録された が、出場機会はなかった。 2010年、柏へ正式加入。
金子 麻美(かねこ あさみ、1982年6月29日 -)は、日… 金子 麻美(かねこ あさみ、1982年6月29日 -)は、日本のシンガーソングライター。AB型。 2007年、「歌スタ!!」出演をきっかけに、ウタイビトハンター(審査員)として番組に出演していた作曲家で音楽プロデューサーの鎌田雅人の目に留まる。番組上ではメジャー・デビューを果たせなかったものの、地道な2年半のライブ活動、鎌田雅人のプロデュース作品でのコーラスレコーディングを重ねた後に、1stアルバム「キミトエガオ」をリリース。 高校生の時、吹奏楽部に所属し、パーカッションを演奏。睡魔に弱く、すぐに寝る事が可能。 味噌ラーメン好き。特に好きなのは「龍上海」。一日2回食べた事がある。 2010年10月2日、新宿SACT!にて初ワンマンライブを開催。
田勢 邦史(たせい くにひと 1981年9月20日- )は山… 田勢 邦史(たせい くにひと 1981年9月20日- )は山形県長井市出身の卓球選手。青森山田高等学校、青森大学卒業後、2004年から協和発酵キリン卓球部に所属している。身長180cm。体重68kg。
遠藤 彰(えんどう あきら、1979年5月11日 - )は、… 遠藤 彰(えんどう あきら、1979年5月11日 - )は、山形県長井市出身のプロゴルファー。身長175cm、体重72kg、血液型AB型。 長井市立長井北中学校卒業後、いくつかの名門高校スキー部からの誘いを断り、スポーツメーカーを通じて単身海外スキー留学。カナダ「ウィスラー・ブラッコム」に所属した。18歳の時 練習中の転倒で膝に大怪我を負い、プロスキーヤーの夢を断念せざるをえなくなる。その時期リハビリで始めたゴルフに活路を見出し、プロゴルファーを志して帰国。帰国後ダム造成など様々なアルバイトをしながら、2006年9月 27歳でプロテスト合格。スキーアルペン競技からの転身、19歳からゴルフを始めるなど異色の経歴を持つプロゴルファー。
渡部 美由紀(わたなべ みゆき、1973年 - )は、日本の… 渡部 美由紀(わたなべ みゆき、1973年 - )は、日本の法学者。専門は民事手続法、倒産法。名古屋大学副総長を経て、早稲田大学法学学術院教授。 山形県長井市出身。山形県立米沢興譲館高等学校を経て、1995年東北大学法学部卒業、東北大学法学部助手。2000年法政大学法学部助教授。2008年コンスタンツ大学客員研究員。 名古屋大学大学院法学研究科助教授、名古屋大学大学院法学研究科准教授を経て、2011年名古屋大学法学研究科教授に昇格。 2012年国立大学法人名古屋大学総長補佐(人権担当)。2014年消費者庁特定適格消費者団体の認定・監督に関する指針等検討委員会委員。2016年豊田市情報公開・個人情報保護審査会委員。
今野 真樹(こんの まき、1972年10月13日 - )は、… 今野 真樹(こんの まき、1972年10月13日 - )は、合同会社kokoro代表。 山形県長井市出身。両親は美容室を経営していた。重度のアトピー性皮膚炎により美容師の道を断念し、高校卒業後、1990年に上京して美容以外の専門学校を卒業。一般企業就職後、山田信之介のヘアメイクアシスタントに1年従事し、1998年からフリーランスで活動。 美容師免許は取得していない。 日本化粧品検定1級(コスメコンシェルジュ)、ファスティングマイスター、漢方養生指導士初級、薬膳アドバイザー、健康美容食育士などの民間資格取得。
海谷 厚志(かいや あつし、1966年〈昭和41年〉7月26… 海谷 厚志(かいや あつし、1966年〈昭和41年〉7月26日 - )は、日本の運輸・国土交通官僚。 山形県長井市生まれ。その後、小学校まで寒河江市で暮らし、父の転勤で仙台市に転居。宮城県仙台第二高等学校を経て、1989年(平成元年)3月、東京大学法学部を卒業。同年4月、運輸省に入省し、運輸省大臣官房国有鉄道改革推進部監理課に配属。その後、運輸省中部運輸局企画部地域交通企画課長、運輸省大臣官房会計課専門官、自動車交通局企画課補佐官、同旅客課補佐官、国土交通省総合政策局政策課長補佐、同交通計画課企画調整官、海事局船員政策課船員確保対策企画官、国土交通省大臣官房総務課企画官などを歴任し、2008年(平成20年)7月15日に内閣法制局参事官(第二部)に就任。
あいかわい翔(あいかわいしょう、1965年9月28日 - )… あいかわい翔(あいかわいしょう、1965年9月28日 - )は、日本のものまねタレント。哀川翔公認のそっくりさんである。元 コント エルビス。オフィス うめつや所属。 山形県長井市出身。本名は、梅津直人(うめつなおと)。元 コント エルビス。山形県立宮内高等学校卒業。身長169cm。血液型はO型。猫が大好きである。産まれたばかりの子猫のミルク、排尿排便補助の経験あり。 哀川翔、藤森慎吾、福山雅治、栗山英樹、有吉弘行、みのもんた、近藤真彦、田原俊彦などのものまねをする。 長男と言っているが、兄が生まれて3日でなくなったため、戸籍上は次男である。弟がひとりいる。 特技は、接客。趣味は、愛猫との散歩、大相撲観戦、映画鑑賞。
内谷 重治(うちや しげはる、1956年(昭和31年)1月2… 内谷 重治(うちや しげはる、1956年(昭和31年)1月22日 - )は、日本の政治家。山形県長井市長(5期)。元・長井市議会議員(2期)。 山形県長井市今泉出身。長井市立豊田小学校、長井市立豊田中学校、山形県立長井高等学校卒業。1979年(昭和54年)3月、立教大学経済学部卒業。同年4月、長井市役所に入庁。長井市役所商工觀光課勤務、1990年(平成2年)、市役所を退職し上京、コンサルティング会社や出版社などに勤務。長井市に戻り建設会社に勤めたのち、1999年(平成11年)4月の長井市議会議員選挙に出馬し初当選。2003年(平成15年)、2期目の当選。 2006年(平成18年)11月19日に行われた長井市長選挙に無所属で出馬。
佐藤 由美子(さとう ゆみこ、1955年5月21日 - )は… 佐藤 由美子(さとう ゆみこ、1955年5月21日 - )は、日本のプロゴルファー。 日本女子プロゴルフ協会正会員(23期)。 山形県長井市出身、宮城県仙台市在住。日東郡山高等学園中退。 身長 157 cm、体重60kg、血液型 AB型。所属はツインズ。得意クラブは、ショートアイアン。師弟関係は永野幸子。ホームコースは仙台空港カントリークラブ。 家族は、夫、双子の2子、長女の佐藤のぞみもプロゴルファー。 趣味は、音楽鑑賞。好きな色はグレー、紺。愛車はトヨタ・ハリアー。
淀 彰(よど あきら、1954年4月25日 - 2014年3… 淀 彰(よど あきら、1954年4月25日 - 2014年3月13日)は、日本の吹奏楽編曲家。 1954年生まれ。山形県長井市出身。 国立音楽大学卒業。専攻はトロンボーンで、伊藤清に師事した。国立音楽大学専任講師。亜細亜大学吹奏楽団、東北学院大学シンフォニック・ウインド・アンサンブル、米沢吹奏楽愛好会にて音楽監督を務めた。 2014年3月13日、死去。59歳没。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
菅野 芳秀(かんの よしひで、1949年10月31日 - )… 菅野 芳秀(かんの よしひで、1949年10月31日 - )は日本の百姓。社会活動家。農作家。山形県長井市出身、明治大学農学部卒。 大正大学地域構想研究所客員教授、置賜自給圏推進機構共同代表、アジア農民交流センター共同代表、置賜百姓交流会世話人。 循環型『菅野農園』経営https://kanno-nouen.jp/ 『令和の百姓一揆』代表 「みんなでなるべ柿の種」 農村は遅れた地域ではなく、“『土』『食』『いのち』との最も理想的関係を築くとができる”可能性に満ちているところ。だからこそ田舎の「出世」は都会になることではない。堂々たる田舎になること!と百姓としての農作業の傍ら、地域づくり、自給圏づくり、自然・農・食・いのちの循環を軸に活動。
工藤 美知尋(くどう みちひろ、1947年4月29日 - )… 工藤 美知尋(くどう みちひろ、1947年4月29日 - )は、日本の政治学者(日本外交史・国際関係論専攻)。前日本ウェルネススポーツ大学スポーツプロモーション学部教授。 1947年、山形県長井市生まれ。1970年、日本大学法学部卒業。1972年、日本大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。1972年-1974年、ウィーン大学(オーストリア)に留学。東海大学大学院政治学研究科博士課程満期退学。1985年、博士論文『日本海軍・太平洋戦争開戦原因論』(学位授与番号:甲第63号)により東海大学から政治学博士号を取得。日本大学大学院修士課程では戦前に京都学派の哲学者だった元京都帝国大学教授・高山岩男、東海大学大学院博士課程では日本国際政治学会第三代理事長を務めた田中直吉が指導教授であった。
佐藤 教郎(さとう のりお、1943年10月30日 - )は… 佐藤 教郎(さとう のりお、1943年10月30日 - )は、日本の実業家。日立電線株式会社代表取締役社長や、同社取締役会長、社団法人日本電線工業会会長などを務めた。 山形県長井市出身。1966年山形大学工学部機械工学科卒業、日立電線入社。山形大学硬式野球部出身。日立電線日高工場に34年間勤務し、1996年からは日立電線日高工場長を務めた。1997年日立電線取締役に昇格。2000年日立電線パワーシステムズ代表取締役社長に就任。2002年日立電線常務取締役。2003年から日立電線代表取締役社長を務め、アメリカ合衆国での生産拡大を進めるなどした。2004年日本電線工業会会長。2009年日立電線取締役会長。
黒澤 洋介(くろさわ ようすけ、1942年(昭和17年)3月… 黒澤 洋介(くろさわ ようすけ、1942年(昭和17年)3月9日 - )は、日本の実業家。山形新聞社相談役。 山形県長井市出身。1965年、早稲田大学第一文学部哲学科卒業後、山形新聞社入社。報道部長、編集局次長等を歴任。2005年、相馬健一が代表取締役会長に退いたことに伴い、代表取締役社長に昇格。2012年、代表取締役会長に退く。 ほかに公益財団法人山新放送愛の事業団理事長、一般社団法人山形県経営者協会会長などを務める。2015年、平成27年度三浦記念賞を受賞。
川崎 廣(かわさき ひろし、1937年 - )は、日本の牧師… 川崎 廣(かわさき ひろし、1937年 - )は、日本の牧師。保守バプテスト同盟所属。 1937年 山形県長井市に生まれる。高校時代にキリスト教に入信する。1956年6月24日洗礼を受ける。1956年に山形大学工学部に入学して、1960年に卒業する。1966年 聖書神学舎卒業して、1966年結婚する。聖書神学舎卒業後に、1967年より1988年まで、バプテスト聖書神学校(現在の仙台バプテスト神学校)の講師を務める。山形第一聖書バプテスト教会の牧師、水戸聖書バプテスト教会牧師、山形福音伝道隊主事を経て、1977年より、1999年まで、保守バプテスト同盟、蔵王キリスト教会の牧師を務める。1999年4月に、蔵王キリスト教会を退職して、アジアンアクセス JCGIネットワークの総主事となる。
渋谷孝(しぶや たかし、1931年6月− 2019年11月2… 渋谷孝(しぶや たかし、1931年6月− 2019年11月25日)は、日本の文学研究者、国文学・日本語教育学者、宮城教育大学名誉教授。 山形県長井市生まれ。山形師範学校、東北大学文学部国文学科卒業、同大学院国文学国語学専修博士課程中退。新潟大学助教授、教授、79年宮城教育大学教授。1997年定年退官。この間附属小学校長、附属図書館長。東北地区国語教育研究協議会会長。2012年、瑞宝中綬章受章。2019年死去。叙正四位。 はじめ平安朝文学を専攻したが、国語科教育と文学の関係に疑問を抱き、多くの著作を著す。
菊地 隆知(きくち りゅうち、1930年2月28日 - 20… 菊地 隆知(きくち りゅうち、1930年2月28日 - 2018年11月3日)は日本の版画家。山形県長井市出身。版画家棟方志功の兄弟弟子(版画家平塚運一に師事)。古民家、廃屋などの田舎の風景、子ども、最上川や雪景色など郷土の風景を題材とした作風で知られる。 その他、山形県長井市の文化誌、月刊「芳文」の表紙を長らく担当した。
平 貞蔵(たいら ていぞう、1894年8月7日 - 1978… 平 貞蔵(たいら ていぞう、1894年8月7日 - 1978年5月28日)は、日本の思想家。新人会、昭和研究会に参加。昭和塾を設立。 山形県東置賜郡佐沢村(現在の長井市上伊佐沢)に平八蔵の二男として生まれる。米沢中学校、第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科卒業。東京帝大の新人会に所属。 佐々弘雄の紹介で、奉天において後藤隆之助らに会い、これが縁で昭和研究会の支那問題研究会に参加することになり、多くの軍人と接触した。ソ連旅行中の宮本百合子と会っている(「道標」) 1926年〜1928年、1931年から1933年にかけ、法政大学図書館館長に就任。 昭和13年(1938年)5月に大山岩雄とともに中支視察のため上海へ赴き、6月に野田清海軍少将らと現地視察談を昭和研究会で発表。
達ノ矢 源之助(だてのや げんのすけ、1888年4月27日 … 達ノ矢 源之助(だてのや げんのすけ、1888年4月27日 - 1945年11月10日)は、現在の山形県長井市出身で千賀ノ浦部屋・芝田山部屋・出羽海部屋に所属した力士。本名は梅津 源之助。5代君ヶ濱。176cm、94kg。最高位は東前頭2枚目。 1904年5月、元大関大達の千賀ノ浦部屋から梅川の四股名で初土俵。間もなく師匠が亡くなって芝田山部屋(当時の師匠は3代芝田山(最高位幕下の松ヶ枝))に移籍。入幕を目前にしてこれまた師匠が亡くなったため出羽海部屋に移籍。1915年1月新入幕。立ち合いからの突っ張り一本の相撲で幕内を通算13場所務めたが、この間、1917年5月に達ノ矢と改名している。1921年5月引退し、その後は自身との稽古中の負傷が元で死亡した元小結大ノ川の年寄名跡である君ヶ濱を5代目として襲名し、その遺族の扶養を引き受けた。
高橋 辰次(たかはし たつじ、1868年2月27日(慶応4年… 高橋 辰次(たかはし たつじ、1868年2月27日(慶応4年2月5日) - 1959年(昭和34年)1月14日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 山形県出身。西置賜郡時庭村(現長井市)にて井上代造の長男として生まれる。1884年、山形県師範学校卒。高橋家に養嗣子として入る。小学校訓導、大塚村(現・川西町)議会議員、同村長、山形県会議員、同参事会員、地方森林会議員を務める。また、第百二十五銀行、置賜製糸(株)各取締役、宮内製糸(株)社長、山形信用購買販売利用組合連合会長となる。 1917年の第13回衆議院議員総選挙において山形県郡部から立憲政友会公認で立候補してトップ当選する。1920年の第14回衆議院議員総選挙では山形4区から立候補して再選する。
佐々木 宇右衛門(宇右衞門、ささき うえもん、1850年5月… 佐々木 宇右衛門(宇右衞門、ささき うえもん、1850年5月17日(嘉永3年4月6日)- 1909年(明治42年)10月27日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。幼名・市助。号・栗園(りつえん)。 出羽国置賜郡成田村(山形県西置賜郡成田村、長井村を経て現長井市成田)で、先代・佐々木宇右衛門の息子として生まれた。 佐々木太右衛門、佐々木忠右衛門と協力して桑畑10町歩を設けた。1873年(明治6年)製糸工場を開設し、製糸業の発展に尽力した。また、明治初期に森鉱山を開いてその経営に当たった。 政界では、1879年(明治12年)1月に山形県会議員に選出され、1880年(明治13年)1月、病のため辞職した。
菅原 白龍(すがわら はくりゅう、天保4年11月13日(18… 菅原 白龍(すがわら はくりゅう、天保4年11月13日(1833年12月23日) - 明治31年(1898年)5月24日)は明治時代に活躍した日本画家。 天保4年(1833年)11月13日に出羽国置賜郡白龍時庭村(現・山形県長井市時庭)において菅原道栄(号・源龍斎)の長男として生まれた。本名は源暁。明治15年(1882年)から道雄の名を、明治17年(1884年)から白龍の号を本名とした。大岳、泰嶽、梵林、日本橋隠士、爽気龍人、五石十水楼、和楽斎など20を超える号をもつ。家は代々続いた真言宗の修験で、地元の諏訪神社に仕えていた。また、村に学校を開き子供たちに漢籍、手習いなどを教えていたので、白龍も父から書、習字などを学んだ。