斎藤 良輔(さいとう りょうすけ、1911年〈明治44年〉5… 斎藤 良輔(さいとう りょうすけ、1911年〈明治44年〉5月20日 - 1996年〈平成8年〉11月27日)は、日本の玩具研究家、新聞記者。 群馬県伊勢崎市生まれ。旧制太田中学校を経て、1935年(昭和10年)に早稲田大学文学部英文科を卒業。 1936年(昭和11年)朝日新聞社に入社。社会部に勤務する。編集出版局、応召でジャワに渡る[要出典]。1954年(昭和29年)からは『週刊朝日』副編集長を務めた。1966年(昭和41年)定年退職し、朝日新聞社客員となる。 1970年(昭和45年)より女子聖学院短期大学の講師を勤める。 1996年(平成8年)心不全により死去。 弟は芸能音楽評論家の斎藤茂(1922年 - )。
川端 清策(かわばた せいさく、1906年〈明治39年〉8月… 川端 清策(かわばた せいさく、1906年〈明治39年〉8月31日 - 1985年〈昭和60年〉4月11日)は、日本の植物学者。高崎経済大学学長、同教授、北海道学芸大学教授、道都大学副学長、同教授、理学博士(北海道大学)。 群馬県伊勢崎市出身。1924年茨城県立太田中学校(現・茨城県立太田第一高等学校・附属中学校)卒。1924年群馬県佐波郡豊受尋常高等小学校代用教員、1926年北海道空知郡岩見沢町志文尋常小学校代用教員。軍隊に入隊を経て、1931年第二高等学校 (旧制)卒、1935年北海道帝国大学理学部卒業(恩師:山田幸男)。 1935年東海高等女学校(現茨城県立第二日立第二高等学校)教諭、1937年茨城県師範学校教諭。
群司 次郎正(ぐんじ じろうまさ、1905年11月27日 -… 群司 次郎正(ぐんじ じろうまさ、1905年11月27日 - 1973年1月10日)は、日本の小説家、作詞家である。郡司 次郎正(ぐんじ じろまさ)とも表記する。代表作として1931年(昭和6年)に発表された『侍ニッポン』があり、同作は多数映画化・リメイクされた。同作の主題歌(作詞:西條八十、作曲:松平信博)もヒットしたが、同作を除く、自らの「小説主題歌」を作詞した。本名:郡司 次郎(ぐんじ じろう)。 1905年(明治38年)11月27日、群馬県佐波郡伊勢崎町(現在の伊勢崎市)に生まれる。やがて茨城県東茨城郡大貫町舟渡(現在の大洗町大貫町舟渡)に移り育つ。旧制・茨城県立水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)を卒業する。
牛久保 海平(うしくぼ かいへい、1905年〈明治38年〉7… 牛久保 海平(うしくぼ かいへい、1905年〈明治38年〉7月26日 - 1999年〈平成11年〉11月20日)は、日本の実業家。サンデン創業者。群馬県出身。伊勢崎市議会議員(1期)。群馬県名誉県民。位階は正五位。 1905年(明治38年)7月26日、群馬県佐波郡豊受村長沼(現・伊勢崎市長沼町)に、父・鋭、母・つねの次男として生まれる。1922年(大正11年)に高崎商業学校を卒業後、1年間伊勢崎工業学校に学ぶ。 家業の染色業を継いだが、太平洋戦争下の1943年(昭和18年)に機械の供出により廃業、同年三共電器株式会社を設立し社長となった。 戦時中はコンデンサーの製造などを行っていたが、1948年(昭和23年)に自転車用発電ランプの製造販売を開始し、「ふくろうマーク」で広く知られるようになった。
五十嵐 吉蔵(吉藏、いがらし きちぞう、1901年〈明治34… 五十嵐 吉蔵(吉藏、いがらし きちぞう、1901年〈明治34年〉10月1日 - 1959年〈昭和34年〉6月24日)は、大正・昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(5期)。蚕糸の第一人者。 群馬県佐波郡豊受村大字上蓮沼(現・伊勢崎市上蓮町)で、農業・五十嵐栄三郎の長男として生まれる。1918年(大正7年)群馬県立安中蚕糸学校(現・群馬県立安中総合学園高等学校)を卒業し、明治大学に進んだが中退。 組合製糸群馬社副社長、同代表理事、全国共栄蚕糸組合副理事長、日本蚕糸業会理事、刀洋織物社長、群馬県蚕種協同組合長などを務め、蚕糸行政に尽くした。 政界では、1933年(昭和8年)群馬県会議員に当選し3期在任。
静田 錦波(しずた きんぱ、本名:高岸 近治、1900年〈明… 静田 錦波(しずた きんぱ、本名:高岸 近治、1900年〈明治33年〉12月20日 - 1976年〈昭和51年〉8月10日)は、活動弁士。 群馬県佐波郡宮郷村(現・伊勢崎市)出身。大正時代に石井春波の弟子となり、弁士の技術を学ぶ。 デビュー後は、浅草の電気館や帝国館といった松竹系の直営館に出演。帝国館では現代劇の主席弁士を勤めている。主に松竹蒲田撮影所の作品を解説し、美声と名調子で観客(特に女性)を魅了した。 映画がトーキーの時代を迎えた1935年(昭和10年)には、弁士・楽士の全員解雇を通知する松竹側に対し、争議委員長として交渉するも決裂。3月19日から28日にかけてストライキを指揮した。その後は、主に歌謡曲のナレーションを務めた。
高木 翔之助(たかぎ しょうのすけ、1900年〈明治33年〉… 高木 翔之助(たかぎ しょうのすけ、1900年〈明治33年〉11月9日 – 1980年〈昭和55年〉)は、昭和のジャーナリスト・文筆家・出版業者。満洲・華北でジャーナリストとして活動し、日本による満洲国・冀東防共自治政府の樹立などを擁護した。その一方で、関東軍による出版弾圧にも激しく抵抗したことで知られる。戦後は地元・群馬県の地方ジャーナリストとして活動した。 群馬県佐波郡采女村(現・伊勢崎市)に生まれる。1923年(大正12年)、早稲田大学専門部政治経済科を中退。1925年(大正14年)5月、横浜市で週刊新聞『日本実業新報』を創刊・主宰した。1927年(昭和2年)9月に同紙を廃刊すると満洲に渡り、雑誌『海外之日本』大連支局主任となる。
山田 悟六(やまだ ごろく、1898年〈明治31年〉8月21… 山田 悟六(やまだ ごろく、1898年〈明治31年〉8月21日/31日 - 1964年〈昭和39年〉5月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、群馬県佐波郡采女村長。 群馬県佐波郡采女村(現・伊勢崎市)に、群馬県会議員・長沼宗雄の六男として生まれる。13歳の時叔父・山田沢吉の養子となる。群馬県立勢多農林学校卒。 1929年(昭和4年)采女村長に就任。経済安定本部事務嘱託、言語文化研究所嘱託、采女剛志、大正用水各耕地整理組合長、采女農業協同組合長、伊勢崎鉄工代表社員、伊勢崎重工業、伊勢鉄航空工業、日本樽材工業、山田不動産各社長などを務める。 1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙において群馬県から日本進歩党公認で立候補して当選する。
5代目 古今亭 今輔(ここんてい いますけ、1898年〈明治… 5代目 古今亭 今輔(ここんてい いますけ、1898年〈明治31年〉6月12日 - 1976年〈昭和51年〉12月10日)は、群馬県佐波郡境町(現:伊勢崎市)出身の落語家。本名:鈴木 梧郎(旧姓:斎藤、旧名:五郎)。日本芸術協会会長を務めた。出囃子は『野毛山』。実子は曲芸師の鏡味健二郎。俗にいう「お婆さん落語」で売り出し、「お婆さんの今輔」と呼ばれた。 群馬県佐波郡境町の銘仙織元「藤本屋」の斎藤松右太・かんの三男として生まれる。第5子であったことから五郎と名付けられる。母は1904年(明治37年)に死去。自身は太田中学校、陸軍士官学校と進学し、軍人になることを望んでいたが、父が米相場に手を出して失敗したことにより、進学の道は諦めることとなった。
菊池 重作(きくち じゅうさく、1897年(明治30年)7月… 菊池 重作(きくち じゅうさく、1897年(明治30年)7月14日 - 1980年(昭和55年)12月9日)は、日本の社会運動家、実業家、政治家。衆議院議員。 群馬県佐波郡茂呂村(現伊勢崎市)で生まれる。織物製造業、養蚕販売業を営む。 1923年、群馬共産党事件を契機に社会運動に加わり、日本労農党に加入し小作争議の指導を行う。全国農民組合茨城県連合会書記長、同会長、日本農民組合茨城県連合会執行委員長、社会大衆党茨城県連合会書記長などを務め、1936年、水海道町会議員となるが、1938年、人民戦線事件で検挙され、懲役3年・執行猶予5年の判決を受けた。 戦後、日本社会党に入党し、1947年4月の総選挙に茨城県第三区から出馬して当選し、衆議院議員を一期務める。
森村 酉三(もりむら とりぞう、1897年〈明治30年〉6月… 森村 酉三(もりむら とりぞう、1897年〈明治30年〉6月12日 - 1949年〈昭和24年〉7月9日)は、日本の鋳金工芸家、彫刻家。高崎白衣大観音像の原型制作者として知られる。群馬県出身。 1897年(明治30年)、群馬県佐波郡宮郷村上連取(現・伊勢崎市連取町)に、森村連太の三男として生まれる。酉三の名は酉年生まれであることにちなむ。森村家は江戸時代には旗本・駒井氏の地方代官を勤めた旧家で、兄・鍋太は佐波郡会議員や宮郷村長を務め、分家の堯太(父の又従兄弟)は群馬県会議員を務めた。酉三の生家は「旧森村家住宅」として伊勢崎市指定重要文化財となっている。 酉三は幼い頃から絵画や粘土細工を得意としていたという。
岡田 貞三郎(おかだ ていざぶろう、1896年〈明治29年〉… 岡田 貞三郎(おかだ ていざぶろう、1896年〈明治29年〉2月29日 - 1972年〈昭和47年〉5月3日)は、日本の編集者。 群馬県佐波郡伊勢崎町(現・伊勢崎市)に生まれる。県立伊勢崎工業学校を卒業後、天田製薬所に入る。 1917年(大正6年)講談社に入社。雑誌『講談倶楽部』に配属され、1928年(昭和3年)からは編集主任(編集長)となる。岡田は岡本綺堂、長田幹彦、中村武羅夫(ペンネームは藤沢草人)らの作家を訪問して原稿の依頼をとりつけ、部数向上に貢献した。1929年(昭和4年)の『講談倶楽部』新年号は岡田の発案による付録「全国金満家番付」をつけ部数35万部を達成する。江戸川乱歩を起用し、同年8月号から連載開始された『蜘蛛男』は人気となり、その後『魔術師』『恐怖王』『人間豹』と明智小五郎が活躍する連載が続き雑誌の人気を支えた。
大木 雄二(おおき ゆうじ、1895年〈明治28年〉5月7日… 大木 雄二(おおき ゆうじ、1895年〈明治28年〉5月7日 - 1963年〈昭和38年〉7月21日)は、日本の歌人、児童文学者。本名・大木 雄三。 群馬県佐波郡赤堀村(現・伊勢崎市)に生まれる。郷里で小学校の教員を勤めたのち、20歳の時に上京。 1932年から雄二を名乗る。1919年「こども雑誌」の編集者となる。「少年雑誌」「金の星」などに童話を発表した。1927年(昭和2年)童話作家協会に入会し、幹事を務める。1928年(昭和3年)プロレタリア系の新興童話作家連盟の結成に参加。反戦童話「可愛い敵め」を発表する。1932年(昭和7年)右翼的な日本文化連盟を結成、戦時中はファシズム作家であった。
鈴木 惣太郎(すずき そうたろう、1890年〈明治23年〉5… 鈴木 惣太郎(すずき そうたろう、1890年〈明治23年〉5月4日 - 1982年〈昭和57年〉5月11日)は、日本の野球評論家。日本プロ野球創成期に日米間の交流に尽力し、大日本東京野球倶楽部(現・読売ジャイアンツ)設立に貢献。戦後も日本野球連盟副会長として日本プロ野球の再興に努め、コミッショナー制やフランチャイズ制など現在の日本プロ野球制度の基礎となる部分に足跡を残した人物である。野球殿堂表彰者。 群馬県佐波郡伊勢崎町(現・伊勢崎市)に、鈴木卯三郎の長男として生まれる。母方の栗原家は伊勢崎藩の典医を勤める家柄だった。 旧制前橋中学校を卒業後、早稲田大学に進学。結核を患ったことで早稲田大学を中退し、大倉高等商業学校(現・東京経済大学)に転学して卒業した。
飯島 誠太(いいじま のぶた / せいた、1885年(明治1… 飯島 誠太(いいじま のぶた / せいた、1885年(明治18年)7月28日 - 1958年(昭和33年)3月23日)は、日本の牧師。学校法人大阪女学院理事長。 日本基督教会牧師飯島彌太郎の長男として群馬県佐波郡宮郷村(現・伊勢崎市)に生れる。 1886年(明治19年)伊勢崎日本基督教会にて幼児受洗。1903年 (明治36年)名古屋教会で信仰告白。明治学院神学部在学中、賀川豊彦らと神戸神学校に転学し同校卒業。 1914年(大正3年)からプリンストン大学、ニューヨーク聖書大学に留学。帰国後、日本基督教会(現、日本キリスト教会)岐阜教会牧師となり1925年(大正14年)堺川尻教会(大阪府堺市)牧師となる。
三代目 柳家つばめ(やなぎや つばめ、1884年〈明治17年… 三代目 柳家つばめ(やなぎや つばめ、1884年〈明治17年〉9月17日 - 1942年〈昭和17年〉2月15日)は落語家。本名∶宮尾 正造。息子は漫談家の宮尾たか志(宮尾すすむの師匠)。 生まれは群馬県伊勢崎の機織業「宮商」の若旦那。 30歳の時に一念発起で上京し、1913年1月に三代目柳家小さんに入門、前座名「小三太」。同年に人形町末広亭で初高座。さん三から1916年ころに歌太郎を名乗り旅回りに行く。1918年に「睦会」発足と共に帰京し五代目柳亭左楽門下に移籍。同年11月に東橋亭で柳家さくらで真打昇進披露を行った。 1928年7月に研成会で三代目柳家つばめ襲名。1940年に中風にかかり、2年後死去。
矢島 保治郎(やじま やすじろう、1882年(明治15年)8… 矢島 保治郎(やじま やすじろう、1882年(明治15年)8月23日 - 1963年(昭和38年)2月13日)は日本の探検家、軍人。四川省からのルートで初めてチベット入りした人物であり、ダライ・ラマ13世の厚遇を受けてチベットの軍事顧問に就任した。 文献によっては名前が「保次郎」となっているものもあるが、矢島が使っていた名刺や親族からの手紙などには「保治郎」が使われている。 群馬県佐位郡殖蓮村大字上植木(現・伊勢崎市本関町)の裕福な農家の三男に生まれる。群馬県尋常中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を中退後、日露戦争に従軍。乃木希典率いる第三軍で旅順攻囲戦に参加し、突撃隊である白襷隊にも志願した。
福島 泰蔵(ふくしま たいぞう、慶応2年5月23日〈1866… 福島 泰蔵(ふくしま たいぞう、慶応2年5月23日〈1866年7月5日〉 - 明治38年〈1905年〉1月28日)は、日本陸軍の軍人。弘前歩兵第31連隊の中隊長として、八甲田山雪中行軍を成功させた人物として知られている。日露戦争中の黒溝台会戦で戦死。陸軍少佐(没後昇進)。雅号に義山。 慶応2年(1866年)5月23日、上野国新田郡世良田村平塚(現・群馬県伊勢崎市平塚)で廻船運送業を営む福島泰七、あさの長男として生まれる。1874年(明治7年)地元に開校された平塚学校に入学し、下等小学校卒業の際は群馬県令・楫取素彦より特別優等賞を受けている。1884年(明治17年)に司法省法学校を受験するが、合格はできなかった。
中島 徳蔵(なかじま とくぞう、文久4年2月2日〈1864年… 中島 徳蔵(なかじま とくぞう、文久4年2月2日〈1864年3月9日〉 - 1940年〈昭和15年〉5月31日)は、日本の倫理学者、教育者。東洋大学6代・7代学長。文部省を相手に論争した哲学館事件で知られる。号に唯我堂。 上野国佐位郡今井村(現・群馬県伊勢崎市赤堀今井町)に、中島鯛三郎(のち泰三郎)・かよの子として生まれる。地元の今井小学校を優秀な成績で卒業して授業生(代用教員)として採用され、師範学校で講習を受け三級訓導補心得となった。その後群馬県立中学校(現・群馬県立前橋高等学校)に入学し、1885年(明治18年)に卒業した。同年4月帝国大学予備門専修科に入り、校長・杉浦重剛の薫陶を受けた。
細野 次郎(ほその じろう、1862年8月27日(文久2年8… 細野 次郎(ほその じろう、1862年8月27日(文久2年8月3日) - 1916年(大正5年)6月15日)は、日本の政治家、衆議院議員(3期)。 上野国佐波郡伊勢崎町(現在の群馬県伊勢崎市)の里正細野時敏と、渋沢栄一の従兄弟である渋沢喜作の姉の次男として生まれる[要出典]。東京帝国大学法科大学選科に学ぶ。鉱山業を営み、群馬県会議員、臨時治水調査会委員、群馬商工銀行、百工商会各(株)監査役となる。 1902年の第7回衆議院議員総選挙において群馬県郡部から壬寅会公認でで立候補して初当選した。1903年の第8回衆議院議員総選挙は不出馬。1908年の第10回衆議院議員総選挙では無所属で立候補してトップ当選した。
本間 三郎(ほんま さぶろう、1859年4月12日(安政6年… 本間 三郎(ほんま さぶろう、1859年4月12日(安政6年3月10日) - 1928年(昭和3年)12月27日)は、日本の剣術家、政治家。流派は本間念流。称号は大日本武徳会剣道範士。衆議院議員(3期)。 上野国佐波郡赤堀村(現・群馬県伊勢崎市)の本間千五郎の三男。家伝の念流剣術(本間念流)を修行する。 明治時代に榊原鍵吉が撃剣興行で前橋を訪れ、その後榊原に入門。山岡鉄舟にも師事する。 1893年(明治26年)、警視庁の各警察署に撃剣試合を挑み、門奈正、内藤高治、佐々木正宜、夏目又之進、得能関四郎、柴田衛守ら撃剣世話掛を連破する。 1915年(大正4年)、第12回衆議院議員総選挙に当選。 1917年(大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に当選。
初代 本間 千代吉(ほんま ちよきち、安政3年12月20日〈… 初代 本間 千代吉(ほんま ちよきち、安政3年12月20日〈1857年1月15日〉 - 1917年〈大正6年〉2月26日)は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。幼名・源四郎、名・応家。 本間千五郎応次、たに子の二男として上野国佐位郡市場村(赤堀村、赤堀町を経て現伊勢崎市)に生まれる。佐渡国の戦国武将、本間高統の後胤。幼少期に文学に目覚め、足立春英(竹陰)に漢学などを学ぶ。 慶応元年7月(1865年)亡兄十四松の跡を継いだ。1880年(明治13年)市場村外五箇村戸長に就任。ついで連合村会議員を経て、1885年(明治18年)3月、最多票数を獲得し佐位郡選出の群馬県会議員となる。1887年(明治20年)12月、満期退職後、佐波郡会議員、同参事会員などを歴任した。
中島 祐八(なかじま ゆうはち、3代祐八、諱教愛、幼名又輔、… 中島 祐八(なかじま ゆうはち、3代祐八、諱教愛、幼名又輔、嘉永7(安政元)年7月18日(1854年8月11日)- 大正2年(1913年)11月14日)は、日本の衆議院議員(自由党→立憲革新党→憲政本党→立憲国民党)。 上野国佐位郡赤堀村(現在の群馬県伊勢崎市)出身。豪農・先代中島祐八(2代祐八、諱周教、幼名逸作、利根郡奈良村石田家より養子)の長男として生まれ、1874年(明治7年)に副区長、1877年(明治10年)に学区取締、1881年(明治14年)に県会議員に就任した。1883年、「上野新聞」を発刊。1888年、上毛民会を組織するが、秘密集会の容疑で逮捕されてしまう。結局無罪となり、改めて群馬公議会を結成した。
中島 行孝(なかじま ゆきたか、天保5年8月28日〈1834… 中島 行孝(なかじま ゆきたか、天保5年8月28日〈1834年9月30日〉 - 1914年〈大正3年〉5月1日)は、明治から大正初期の大蔵官僚、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・桐生。 上野国佐位郡、のちの群馬県佐波郡赤堀村(赤堀町を経て現伊勢崎市)で、桐生儀兵衛の長男として生まれ、その後、中島家の養子となる。 1869年(明治2年)大蔵省に入省し、大蔵省一等属となる。牛込で私塾を開き、塾生には郷誠之助らがいた。1882年(明治15年)に退官し実業界に転じた。東京株式取引所理事、前橋電気軌道社長、東京府農工銀行取締役、同農工貯蓄銀行頭取、帝国商業銀行監査役などを務めた。 政界では、東京市会議員、同参事会員、東京府会議員に在任。
金井 之恭(かない ゆきやす、天保4年9月18日(1833年… 金井 之恭(かない ゆきやす、天保4年9月18日(1833年10月30日) - 明治40年(1907年)5月13日)は幕末期の志士、明治期の官僚、書家。通称は文八郎。字は子誠。号は金洞(きんどう)・錦鶏など。変名に金井五郎・桑原梧楼などがある。長女は弁護士で政治家の小川平吉に嫁ぐ。錦鶏間祗候。 1833年9月、上野国佐位郡島村(現在の群馬県伊勢崎市)に画家で勤皇家の父・烏洲の四男として生まれる。金井氏は新田氏支族岩松氏の流れを汲むとされる。幼少の頃から文学を好み、また書もよくした。1867年、新田義貞の末裔とされる新田満次郎を擁し倒幕の挙兵を企てるが、事が露顕して投獄される。1868年9月、東京府市政局に出仕。
RIRI(リリ、11月5日 - )は、日本の女性歌手。群馬県… RIRI(リリ、11月5日 - )は、日本の女性歌手。群馬県出身。 洋楽好きの母親の影響で幼少の頃からビヨンセやデスティニーズ・チャイルドなどのアメリカのR&Bを聴いて育ち、3、4歳の頃から歌手になりたいという夢を持っていた。オーディションへの参加をきっかけにAIと出会い、13歳にして共同での楽曲制作を開始。16歳からLAにてアリアナ・グランデ、カイリー・ミノーグ、ジェニファー・ロペスらを手掛けるデーモン・シャープ、ビヨンセ、リル・ウェインを手掛けるブライアン・ソコなど、数々の有名プロデューサーとコライト(ライティングセッション)による楽曲制作を始める。 2011年、ホイットニー・ヒューストン、セリーヌ・ディオンなどを手がけた名プロデューサー、デイヴィッド・フォスターが主催した世界的次世代スターを発掘するオーディションに出場し、僅か11歳でファイナリストの一人に選ばれる。
伊丸岡 篤 は、日本の男性声優。マウスプロモーション所属。群… 伊丸岡 篤 は、日本の男性声優。マウスプロモーション所属。群馬県伊勢崎市出身。
田島弥平 あるいは田島邦寧 は、明治時代前期に広く普及した養… 田島弥平 あるいは田島邦寧 は、明治時代前期に広く普及した養蚕技法「清涼育」(せいりょういく)を確立した、島村(現群馬県伊勢崎市境島村)の養蚕農家・蚕種製造業者である。主著に『養蚕新論』『続養蚕新論』があり、養蚕業・蚕種製造業への貢献によって緑綬褒章を受章した。太平洋戦争後まもない時期に群馬県が刊行した『上毛篤農伝』では、「群馬県の誇り」「蚕糸群馬が生んだ最大の巨人」等と賞賛されている。
吉田 孝 は、日本の男性声優。ヘリンボーン所属。群馬県伊勢崎… 吉田 孝 は、日本の男性声優。ヘリンボーン所属。群馬県伊勢崎市出身。
森嶋 あんり(もりしま あんり、12月2日 - )は、日韓ハ… 森嶋 あんり(もりしま あんり、12月2日 - )は、日韓ハーフのグラビアアイドル、アイドル、タレント。女性アイドルグループジエメイのメンバー、 #2i2の元メンバー(白色担当)。群馬県伊勢崎市出身。ゼロイチファミリア所属。 高校1年生よりコスプレイヤー活動を開始。SNSでゼロイチファミリアからオファーをもらうが、芸能活動に興味を持っていなかったため、しばらく無視をしていた。人間関係の問題から高校2年で転校を決意するが、ここで転校の口実として芸能事務所からのメールを学校側へ伝える。 2019年4月26日発売の漫画雑誌「ヤングアニマル」の別冊付録写真集「女子高生×美少女」にて本格グラビアデビュー。
松嶋麻未(まつしま あさみ、誕生日9月15日)は、群馬県 伊… 松嶋麻未(まつしま あさみ、誕生日9月15日)は、群馬県 伊勢崎市出身の歌手。2014年に株式会社ホリデージャパンから「愛はすれ違い」でプロデビューし全国で音楽活動を展開する。その後2017年エスプロレコ―ズから第2弾CD「DRESS」を全国発売する。2019年 9月に第3弾CD「冬すずめ」を徳間ジャパンコミュニケーションズから全国発売し活動中。星座は乙女座、血液型はA型。所属レコード会社は徳間ジャパンコミュニケーションズ。所属音楽事務所はアレサンブル。
相沢 礼子 は、タレント、ヨガインストラクター。
小暮 英三郎(こぐれ えいざぶろう、天保14年9月〈1843… 小暮 英三郎(こぐれ えいざぶろう、天保14年9月〈1843年〉 - 1926年〈大正15年〉1月24日)は、明治時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。号・梅園。 小暮清之、房子の長男として上野国佐位郡太田村(佐波郡三郷村を経て現伊勢崎市)に生まれる。矢野正任、市川左近に儒学を、尾高高雅、海上胤平に国学を学ぶ。1871年(明治4年)旧伊勢崎藩主の酒井忠彰により副戸長を、同年8月には伊勢崎県庁より太田村正心学校頭取を命じられた。1874年(明治7年)伊勢崎町製糸共研究会頭取となり、訓導を経て、群馬県会議員、所得税調査委員、三郷村長などを歴任した。ほか、伊勢崎銀行頭取を務めた。和歌を能くし万葉集の研究をした。
境野 春彦(さかいの はるひこ)は、日本の経営コンサルタント… 境野 春彦(さかいの はるひこ)は、日本の経営コンサルタント。エネルギー産業を専門とし、LPガス、石油、電力事業に関する経営支援を行う。コネクトエネルギー合同会社代表、資源エネルギー庁LPガス取引適正化アドバイザリーグループ委員を務める。 群馬県伊勢崎市に生まれる。群馬県立前橋高等学校を卒業後、慶應義塾大学法学部政治学科へ進学し、1992年に卒業した。 大学卒業後は大手石油会社へ入社し、液晶機能性フィルム、燃料電池、太陽光発電、電力事業など新規事業の立ち上げや事業開発に従事した。また、LPガス元売会社への出向を経験し、LPガス業界の営業・経営支援に携わった。 その後、新電力事業会社であるイーレックス株式会社へ転じ、独立してコネクトエネルギー合同会社を設立した。
藤原 文四郎(ふじわら ぶんしろう)は、日本の歴史作家、歴史… 藤原 文四郎(ふじわら ぶんしろう)は、日本の歴史作家、歴史研究家。群馬県伊勢崎市出身。 1980年代より、半導体などの電子部品の研究開発に従事する。 大手日本企業、ヨーロッパのグローバル企業、香港企業、シリコンバレーのコンサルティングファームなどに国内外で勤務する傍ら郷土の歴史を探究する。 陽明学の学徒であり、家庭を愛する愛犬家でもある。新潟大学大学院修了、技術経営修士。 (以上、著書の著者プロフィールより) 『上州国盗り物語 那波一門史』郁朋社、2023年出版 『花の散るらむ 高崎藩下仁田戦争始末記』郁朋社、2024年出版 『奥山のながめせしまに 中澤琴新微組始末記』郁朋社、2025年出版 長らく国内外のビジネスの最前線——半導体の研究開発やコンサルティング、シリコンバレーでの勤務経験という異色の経歴を持ち、その経験や論理的な思考が小説の随所に活かされた郷土愛に溢れる視点が特徴とされている。