坂野 潤治(ばんの じゅんじ、1937年(昭和12年)5月1… 坂野 潤治(ばんの じゅんじ、1937年(昭和12年)5月13日 - )は、日本の歴史学者。専門は、近代日本政治史。東京大学名誉教授。
神奈川県 横浜市:1,648人
坂野 潤治(ばんの じゅんじ、1937年(昭和12年)5月1… 坂野 潤治(ばんの じゅんじ、1937年(昭和12年)5月13日 - )は、日本の歴史学者。専門は、近代日本政治史。東京大学名誉教授。
加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年〈昭和12年〉4月1… 加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年〈昭和12年〉4月11日 - )は、日本の歌手、俳優、タレント、ギタリスト、ピアニスト、ウクレレ演奏者、画家。本名、池端 直亮(いけはた なおあき)。ニックネームは、若大将。作曲家として、弾 厚作(だん こうさく)のペンネームを用いる。 神奈川県横浜市生まれ、茅ヶ崎市出身。公益財団法人日本セーリング連盟応援団長、文化功労者。勲等は旭日小綬章。 父は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子(池端具子)。妹は池端亮子。母方の高祖父は明治の元勲・岩倉具視である。 神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷の家に生後8か月まで、次の東京都大田区田園調布には1歳9か月までいた。
相川 鐵崖(あいかわ てつがい、1937年3月30日 - 2… 相川 鐵崖(あいかわ てつがい、1937年3月30日 - 2023年10月19日)は、書家、書学者、美術史家、芸術家。東京学芸大学名誉教授。本名は相川 政行(あいかわ まさゆき)。 相川岩吉・志なの七人兄弟の三男として、神奈川県久良岐郡六浦荘村で生まれる[要出典]。横浜市出身。1955年、横浜市立金沢高等学校卒業、1959年、東京学芸大学中等教育特別教科教員養成課程書道科卒業、1960年、同大学専攻科(芸術・書道専攻)修了。 1961年、神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校教諭、1977年、東京学芸大学教育学部助手。その後、専任講師、助教授を経て、1987年教授、2000年名誉教授。この間、法政大学通信教育部非常勤講師、日本大学文理学部非常勤講師、東京大学東洋文化研究所内地研究員など、また山東大学客員教授、西安交通大学客員教授などを務める。
万里 昌代(ばんり まさよ、本名:英 昌代、1937年3月2… 万里 昌代(ばんり まさよ、本名:英 昌代、1937年3月29日 - 不明)は、日本の女優。関東州大連出身。神奈川県横浜市育ち。 柔道教師の父を持ち幼い頃日本へ引揚の形で帰国。横浜の関東学院高等学校在学中に家庭よみうりのカヴァーガールになったのがきっかけで新東宝にスカウトされる。高校卒業後の1956年に、新東宝の四期スターレットとして入社。同期に北沢典子、三ツ矢歌子、原知佐子、朝倉彩子らがおり、小柄ながらも美人グラマー女優として人気を博した。1958年には『スター毒殺事件』で初主演。 1961年8月に新東宝が倒産したため、9月に大映へ移籍。翌年には市川雷蔵主演の『婦系図』でお蔦役を演じ知名度を得る。
赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい、本名:赤瀬川 克彦(あか… 赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい、本名:赤瀬川 克彦(あかせがわ かつひこ)、1937年3月27日 - 2014年10月26日)は、日本の前衛美術家、随筆家、作家。 純文学作家としては尾辻 克彦(おつじ かつひこ)というペンネームがある。「尾辻」は父方の親戚の苗字に由来する[要ページ番号]。 神奈川県横浜市中区本牧町生まれ。愛知県立旭丘高等学校美術科卒業。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)油絵学科中退。 兄は直木賞作家の赤瀬川隼。姉の赤瀬川晴子は帽子作家。また、外交官の西春彦は父のいとこにあたる。姪(隼の長女)は『人麻呂の暗号』の著者である藤村由加の一人。 2006年4月より、武蔵野美術大学日本画学科の客員教授を務めていた。
森 智恵子(もり ちえこ、旧姓:牧、1937年1月24日 -… 森 智恵子(もり ちえこ、旧姓:牧、1937年1月24日 - )は、日本の85・86代内閣総理大臣である森喜朗の妻である。 神奈川県横浜市出身。早稲田大学教育学部出身で、同大学のサークル「国際学友会」で現在の夫である森喜朗と出会う。大学を卒業後、日本出版貿易に勤務し、1961年11月に結婚。その後、1964年10月15日に長男の森祐喜を出産。また、後に長女・陽子も出産している。 2000年4月5日に夫である森喜朗が内閣総理大臣に就任すると、2001年4月26日に辞任するまでおよそ1年間、首相夫人として活動した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
桑田 武(くわた たけし、 1937年1月5日 - 1991… 桑田 武(くわた たけし、 1937年1月5日 - 1991年1月21日)は、神奈川県横浜市鶴見区出身のプロ野球選手である。現役時代のポジションは、主に内野手(三塁手、遊撃手)。右投げ右打ち。
古川 哲夫(ふるかわ てつお、1937年 - )は、日本の経… 古川 哲夫(ふるかわ てつお、1937年 - )は、日本の経済学者。駿河台大学経済学部名誉教授。現代日本経済研究。 神奈川県横浜市出身。一橋大学経済学部を卒業。野村証券、野村総合研究所設立で同研究所に異動後経済社会研究室室長を経て駿河台大学経済学部教授に就任。退官後は同大学経済研究所客員研究員を務める。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
太刀川 恒夫(たちかわ つねお、1937年(昭和12年) -… 太刀川 恒夫(たちかわ つねお、1937年(昭和12年) - 2025年(令和7年)2月13日)は、日本の実業家。神奈川県横浜市出身。東京スポーツ新聞社の社長・会長を歴任した。 なお戸籍上の名字の表記は「大刀川」であり、毎日新聞など一部のマスメディアでは同表記を用いている。 1955年、山梨県立日川高等学校を卒業後、児玉誉士夫の著作を読んで「共鳴し」、児玉のような人間になろうと考え上京、1960年に児玉宅に書生として住み込んだ。その後、児玉から政治の勉強をするよう指示され、河野一郎代議士を通じて中曽根康弘を紹介され、中曽根の書生となり、中央大学法学部政治学科二部に入学。昼は中曽根事務所で働き、夜は大学に通った。
仁賀 克雄(じんか かつお、1936年〈昭和11年〉12月2… 仁賀 克雄(じんか かつお、1936年〈昭和11年〉12月23日 - 2017年〈平成29年〉12月22日)は、日本の作家、英米文学翻訳家、アンソロジスト、文芸評論家。本名は大塚勘治で、ペンネームの由来は本名を逆読みしたもの。 神奈川県横浜市生まれ。神奈川県立横須賀高等学校、早稲田大学第一商学部卒業。在学中の1957年(昭和32年)、江戸川乱歩を顧問に迎えてワセダミステリクラブを創設し、幹事長となる。 卒業後は北スマトラ海洋石油資源開発(のちに現在の国際石油開発帝石に合併され消滅)、アラビア石油に勤務する傍ら、創作活動や海外のミステリ小説、ホラー小説、SF小説の研究・翻訳やアンソロジー編集などを行った。
宮田 登(みやた のぼる、1936年〈昭和11年〉10月14… 宮田 登(みやた のぼる、1936年〈昭和11年〉10月14日 - 2000年〈平成12年〉2月10日)は、日本の民俗学者。学位は、文学博士(東京教育大学・1976年)。筑波大学名誉教授。元・日本民俗学会会長。国文学者の藤沢袈裟雄は実父。 神奈川県横浜市生まれ。1960年(昭和35年)東京教育大学文学部卒業。同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1976年(昭和51年)、「ミロク信仰の研究 : 日本における伝統的メシア観」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。 東京教育大学助手、東京学芸大学助教授、筑波大学歴史人類学系助教授、同教授を経て、退官後に神奈川大学経済学部教授。 国立歴史民俗博物館客員教授、文化庁文化財保護審議会専門委員などもつとめた。
安川 悦子(やすかわ えつこ、1936年10月 - )は、日… 安川 悦子(やすかわ えつこ、1936年10月 - )は、日本の思想史・女性学者、名古屋市立大学名誉教授。専攻は社会思想史、ジェンダー論。夫は安川寿之輔。 横浜市生まれ。1959年名古屋大学経済学部卒。1964年同大学院経済学研究科博士課程満期退学、同助手。 1965年名古屋市立女子短期大学講師、1968年同助教授、1974-1975年ロンドン大学に留学、エリック・ホブズボームに師事。1975年同教授。1982年「イギリス労働運動と社会主義 「社会主義の復活」とその時代の思想史的研究」で、経済学博士(名古屋大学)の学位を取得。同年同書で労働関係図書優秀賞受賞。1995年同学長。 1996年名古屋市立大学人文社会学部教授、2002年退任。
永井 鐵太郎(ながい てつたろう、1936年8月28日 - … 永井 鐵太郎(ながい てつたろう、1936年8月28日 - 2021年)は、日本の金工家。神奈川県横浜市出身。日展を中心に活動し、1992年度に工芸作品「うつわ・その六」により日本芸術院賞を受賞した。 1936年生まれ。神奈川県出身。1959年に東京藝術大学美術学部工芸科を卒業し、安宅賞を受賞した。1963年には同大学美術学部専攻科を修了し、蓮田修吾郎に師事した。 1958年に日展へ初入選した。1968年の第11回日展および1972年の第4回日展で特選を受賞し、1986年の第18回日展では文部大臣賞を受賞した。1992年度には、工芸作品「うつわ・その六」により日本芸術院賞を受賞した。 また、現代工芸美術家協会で常務理事・参与を務め、日展でも理事を歴任した。
桂 歌丸(かつら うたまる、1936年〈昭和11年〉8月14… 桂 歌丸(かつら うたまる、1936年〈昭和11年〉8月14日 - )は、日本の落語家。本名は椎名 巌(しいな いわお)。
黛 哲郎(まゆずみ てつろう、1936年7月2日 - 199… 黛 哲郎(まゆずみ てつろう、1936年7月2日 - 1993年7月21日)は、日本の文学・音楽・映画・演劇評論家、元朝日新聞東京本社学芸部編集委員。 神奈川県横浜市出身。東京都立豊多摩高等学校、早稲田大学文学部卒業後、朝日新聞社入社。学芸部に所属し、文学・音楽・映画・演劇に関する評論を執筆した。その後は学芸部編集委員を務めた。 没後、朝日新聞などに掲載された評論を集成した『学芸記者〈哲〉コレクション文学と音楽のあいだ』が河出書房新社より刊行された。 安部公房をはじめ、安岡章太郎、丸谷才一、武満徹、大江健三郎、山崎正和などの作家・作曲家との親交があった。 作曲家の黛敏郎は兄であり、NHKエンタープライズ所属のドラマ番組ディレクターの黛りんたろうは甥である。
細野 豊(ほその ゆたか、1936年2月13日-2020年1… 細野 豊(ほその ゆたか、1936年2月13日-2020年12月10日)は、日本の詩人・翻訳家。 神奈川県横浜市生まれ。東京外国語大学スペイン語科卒。メキシコ、ブラジル、ボリビアに17年滞在、南米の詩人を翻訳する。2013-15年日本詩人クラブ会長。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
中條 忍(中條 忍、ちゅうじょう しのぶ、1936年1月2日… 中條 忍(中條 忍、ちゅうじょう しのぶ、1936年1月2日 - )は、日本のフランス文学者、青山学院大学名誉教授。ポール・クローデルが専門。 横浜市生まれ。横浜市立桜丘高等学校、1959年東京大学文学部仏文科卒、1967年同大学院人文科学科博士課程満期退学。青山学院大学講師、1970年助教授、1983年教授。2003年に定年退任し名誉教授。
鈴木 眞哉(すずき まさや、1936年 - )は、日本の歴史… 鈴木 眞哉(すずき まさや、1936年 - )は、日本の歴史研究家。「日曜歴史家」を自称し、紀州雑賀衆の鈴木氏の末裔であることを自著の中で明かしている。 横浜市生まれ。中央大学法学部卒業。防衛庁、神奈川県庁等に勤務。勤務のかたわら主に戦国時代の合戦の研究を続ける。 『刀と首取り―戦国合戦異説』などでは、南北朝期および戦国期の軍忠状に記される死傷者の内訳をもとに、両時期における戦闘の主体はあくまで弓(及び投石など。後代では鉄砲が加わる)であり、刀は負傷した敵の首を取るためのものでしかなかった、との説を発表している。さらにそこから、「日本人のお家芸である白兵戦」は20世紀前半期において軍部の精神主義が招いた極めて異例のものであり、歴史的に武士たちは徹底して遠戦志向だった、としている。
内田 良平(うちだ りょうへい、1936年 - 2019年7… 内田 良平(うちだ りょうへい、1936年 - 2019年7月1日)は、おもに山岳写真を手がけた日本の写真家、著作家。 神奈川県横浜市出身。1954年に東京都立芝商業高等学校を卒業した。 1959年にベルニナ山岳会に入会し、以降、登山活動とともに山岳写真に取り組む。1970年に山岳写真家として独立し、以降は国内外各地で撮影を重ね、ネパール側のヒマラヤ山脈への取材旅行は、生涯に80回以上に及んだという。 1970年代からヒマラヤ・カメラトレッキングを組織し、1979年にはその参加者を中心に閑良屋会(ヒマラヤカイ)を結成して、以降、年1回の写真展「内田良平と閑良屋会(ヒマラヤカイ)山岳写真展「遥かなる山」」を開催し続けた。
小坂 佳隆(こさか よしたか、1935年10月12日 - 1… 小坂 佳隆(こさか よしたか、1935年10月12日 - 1987年3月1日)は、神奈川県出身で、広島カープに在籍したプロ野球選手(二塁手)。愛称は「ピョンちゃん」。
稲垣 正夫(いながき まさお、1935年8月19日 - 20… 稲垣 正夫(いながき まさお、1935年8月19日 - 2015年4月6日)は、神奈川県横浜市鶴見区出身のプロ野球選手。ポジションは二塁手。 鶴見高校では1年生から右翼手、三番打者として活躍。1951年夏の甲子園県予選決勝に進むが、希望ヶ丘高に完封を喫し、甲子園出場を逸する。同年秋季関東大会県予選では準々決勝で小田原高に敗退。卒業後は千葉大学に進学。千葉県大学野球リーグでは1954年秋季リーグから5季連続優勝。 1957年に東映フライヤーズに入団。浜田義雄、松岡雅俊らと二塁手の定位置を争う。3年目の1959年にレギュラーポジションを獲得、同年は主に七番打者として71試合に先発出場。翌1960年は102試合に出場し、規定打席には届かなかったが自己最高となる打率.269を記録した。
稲葉元吉(いなば もときち、1935年7月12日 - 200… 稲葉元吉(いなば もときち、1935年7月12日 - 2008年11月5日)は、日本の経営学者。 横浜市生まれ。1961年横浜国立大学経済学部卒、1963年東京大学経済学部卒、68年同大学院経済学研究科博士課程満期退学、横浜国立大学経営学部専任講師、69年助教授、1981年教授、91年学部長、98年定年退官、名誉教授、成城大学教授、2008年退任。英和エステート代表取締役社長。
紀田 順一郎(きだ じゅんいちろう、1935年4月16日 -… 紀田 順一郎(きだ じゅんいちろう、1935年4月16日 - 2025年7月15日)は、日本の文芸・メディア評論家・翻訳家・小説家。日本文芸家協会、日本ペンクラブ、各会員。 本名は佐藤 俊()。ペンネームの「紀田」はきだみのるから、「順一郎」は谷崎潤一郎に由来している。 書誌研究を中心に、半世紀以上にわたり『古書街を歩く』、『日記の虚実』、『二十世紀を騒がせた本』などメディア論、近代史論などを数多く刊行。古書をテーマとした推理小説、幻想文学作品も著した。 横浜・本牧(正確には横浜市中区千代崎町)で出生、父は日本銀行本店の行員。1941年に父が結核となり、暗い家庭となる。腺病質で体が弱かったため、本の世界に楽しみを見出していた。
齋藤 龍 (さいとう りゅう、女性、1935年3月 - 20… 齋藤 龍 (さいとう りゅう、女性、1935年3月 - 2025年7月28日)は、日本の音楽学者、音楽教育者、文筆家。旧姓は渡邊。 横浜市で初の女性助役に任命された。財団法人横浜市芸術文化振興財団理事長も務めた。 教育者の渡邊潜龍・カツの一人娘として横浜市鶴見区に生まれる。横浜市立磯子国民学校(現・横浜市立磯子小学校)、鶴見女子中学校 から神奈川県立希望ヶ丘高等学校に進学。希望ヶ丘高等学校では男女共学実施後の女子1期生で、式典でピアノ演奏に起用されたりしたが、3年生のときに芸術科を新設した東京都立駒場高等学校に移る。ピアニストを志望し、石渡日出夫よりピアノの指導を受けた。東京芸術大学音楽学部楽理科に進み、音楽学を服部幸三に師事し、西洋音楽史を専攻する。
小山 明子(こやま あきこ、1935年(昭和10年)1月27… 小山 明子(こやま あきこ、1935年(昭和10年)1月27日 - ) は、日本の女優。 千葉県生まれで神奈川県横浜市鶴見区育ち。藤沢市在住。戸籍名は大島 明子(おおしま あきこ)。旧姓・臼井。 夫は映画監督の大島渚。叔父は社会運動史研究者の小山弘健。 1950年、男女共学化初年度の神奈川県立鶴見高等学校に入学。靴箱にラブレターがあふれ、通学路で声をかけられた卒業生と交際したこともあった。秋に女子の制服が制定されると、新設された家庭科室で3カ月かけて自分の制服を縫った。進路を決める時期にその経験を思い出し、デザイナーを志して洋裁の大谷学園に進学。学内のファッションショーに出演し、そのときの写真がきっかけで一度だけ『家庭よみうり』のカバーガールとなり、スカウトされて松竹に入社した。
醍醐 麻沙夫(だいご まさお、1935年1月3日 - 202… 醍醐 麻沙夫(だいご まさお、1935年1月3日 - 2024年3月20日)は、日本の小説家、元サックス奏者。本名は広瀬 富保(ひろせ とみやす)。 神奈川県横浜市生まれ。学習院大学文学部卒。弟は音楽家広瀬秀雄。 大学卒業後、日本のビッグジャズバンド「スマイリー小原とスカイライナーズ」でサックスを担当していた。 同バンドから脱退後は、ブラジルに移住し、職を転々としながら、日系人文学愛好者の集い「コロニア文学会」で小説を書き始める。1974年「「銀座」と南十字星」でオール読物新人賞受賞、1975年「夜の標的」で直木賞候補。1991年「ヴィナスの濡れ衣」でサントリーミステリー大賞佳作。アマゾンの釣りに関する小説や、伝奇推理小説を書く。
中村 順一(なかむら じゅんいち、1934年11月26日 -… 中村 順一(なかむら じゅんいち、1934年11月26日 - )は、日本の外交官。京都国際会館館長も務めた。神奈川県横浜市出身。長男は財務官僚の中村英正。岳父は大蔵官僚の山田義見。 1958年に東京大学法学部を卒業し、1960年にケンブリッジ大学大学院修士課程修了。 その後、外務省に入省し、在インドネシア公使、在シドニー総領事、国際協力事業団理事、外務省儀典長、ベルギー国駐箚特命全権大使などを歴任し、現在は外務省参与を務めている。 1998年から2008年までに京都国際会館館長を務めた。 平安女学院大学客員教授、京都外国語大学理事、国際京都学協会副理事長も兼任している。 著書に「日本の感性と東洋の叡智」(淡交社、2021年)などがある。
金子 勝彦(かねこ かつひこ、1934年8月30日 - 20… 金子 勝彦(かねこ かつひこ、1934年8月30日 - 2023年8月20日)は、日本のスポーツアナウンサー・コメンテーター。元毎日放送(MBS)・テレビ東京(TX)アナウンサー。神奈川県横浜市生まれ。愛称「ネコさん」。 横浜中学校・高等学校→中央大学法学部卒業後、1957年、毎日放送(MBS)にアナウンサーとして入社。1958年アジア大会サッカー日本代表の加茂豊(京都パープルサンガ元監督・加茂周の実兄)は毎日放送の同期であり、金子が日本サッカー界の要人との人脈を作るきっかけを与えた人物である。この経緯で、サッカーとの接点はMBS時代からあったが、MBS時代にサッカー中継を担当する事は一度も無かった。
望月 明(もちづき あきら、1934年7月18日 - 201… 望月 明(もちづき あきら、1934年7月18日 - 2016年8月25日)は、日本の俳人。神奈川県横浜市南区高砂町生まれ。在家得度、法名は、「徹心明道」(みょうどう)。 神奈川県横浜市南区高砂町に生まれる。10歳(小学校4年生)の頃、同区伏見町に転居。横浜市立共進中学校を卒業後、1950年(昭和25年)、横浜市立横浜商業高等学校普通科に入学、同期には、写真家の南信一郎等がいる。 1959年(昭和34年)、結婚を機に、横浜市南区庚台(かのえだい)に転居、ついの住居とする。隣家に、演出家でアニメーターの板野一郎が小中学生時代住んでいた。生粋の横浜子(はまっこ)である。 1948年(昭和23年)、中学の国語の時間で初めて俳句を習い、「横浜の焼跡かなし夏の草」の一句稿が国語教師に激賞され、『少年新聞』の俳句欄では第一席を占めた。
西堀 昭(にしぼり あきら、1934年7月14日 - )は、… 西堀 昭(にしぼり あきら、1934年7月14日 - )は、フランス文学者、日仏文化交流研究、横浜国立大学名誉教授。 横浜市出身。1953年(昭和28年)3月、県立横浜立野高等学校(旧県立横浜第二高等女学校)卒業。1957年(昭和32年)横浜市立大学文理学部文科卒業。同年中央大学大学院仏蘭西文学研究科修士課程入学。1962年(昭和37年)、同大学博士課程入学。1963年(昭和38年)3月中央大学大学院文学研究科仏蘭西文学専攻博士課程中退。 中央大学大学院フランス文学研究科博士課程で辰野隆(中央大学大学院専任教授、前 東京大学教授)、鈴木信太郎(東京大学教授、後に中央大学大学院専任教授)、渡辺一夫(東京大学教授、中央大学大学院兼任講師)、秋山晴夫(中央大学大学教授)、水野亮(中央大学教授)、川口篤(東京大学教授、中央大学大学院兼任講師)、中平解(東京教育大学教授、中央大学大学院兼任講師)教授に師事。
熊谷 賢一(くまがい けんいち、1934年2月16日 - 2… 熊谷 賢一(くまがい けんいち、1934年2月16日 - 2017年10月9日)は、日本の作曲家。神奈川県横浜市生まれ。名古屋市立菊里高等学校音楽課程、1954年愛知学芸大学(現・愛知教育大学)卒業。1974年より1994年まで暁学園短期大学(現・四日市大学)教授。 1978年創作合唱曲公募受賞。1990年に朝日作曲賞受賞。日本作曲家協議会会員。日本室内管弦楽団代表。1949年に桜台高等学校の校歌を作曲している(出典:桜台高校広報紙「図書館の窓」)。NHKドラマ「中学生日記」の音楽も担当した。 2017年、腎不全で死去。 公式ウェブサイト“KUMA HOUSE”
中尾 俊夫(なかお としお、1934年2月13日 - 200… 中尾 俊夫(なかお としお、1934年2月13日 - 2000年5月13日)は、日本の言語学者、英語学者。 神奈川県横浜市生まれ。東京教育大学卒、1961年同大学院博士課程満期退学、1975年「後期中英語の強勢音韻論」で東京教育大学文学博士。宇都宮大学講師、助教授、津田塾大学助教授、教授。 2000年5月13日、肺癌のため死去。
森本 英夫(もりもと ひでお、1934年1月26日 - 20… 森本 英夫(もりもと ひでお、1934年1月26日 - 2022年3月27日)は、日本のフランス語学者、翻訳家。大阪市立大学・甲南女子大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。1957年名古屋大学文学部卒、1962年早稲田大学大学院文学研究科博士課程中退。1976年「フランス語動詞時称の統辞的分析と記述の方法に関する試論」で文学博士。大阪市立大学講師、助教授、教授、1997年定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授、2003年退職、名誉教授、2005年京都外国語大学教授、2009年退任。 中世フランス語が専門。中世ロマンス、幕末フランス人が見た日本、料理書などを翻訳した。 2022年3月27日、心不全のため死去。
山口 祐司(やまぐち ゆうじ、1934年1月23日 - 20… 山口 祐司(やまぐち ゆうじ、1934年1月23日 - 2017年11月5日)は、日本の実業家、商学者。桜美林大学名誉教授。専門はホスピタリティ経営。長女はノンフィクション作家の山口由美。 1934年に神奈川県横浜市で生まれる。1957年に早稲田大学第一商学部卒業後、三菱商事に入社する。1958年には富士屋ホテルに転職した。1959年にホテル業界で有名であるコーネル大学ホテル経営学部に入学し、1961年に卒業する。その間に、ウオルドルフ・アストリアホテル、ロイヤルハワイアンホテルに勤務する。その後、1971年に富士屋ホテル取締役、1988年には副社長、富士屋ホテルチェーン総支配人を経て、1999年に監査役となる。
大須賀 明(おおすが あきら、1934年1月21日 - 20… 大須賀 明(おおすが あきら、1934年1月21日 - 2015年12月23日)は、日本の法学者。専門は憲法。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1984年)(学位論文「生存権論」)。早稲田大学名誉教授。元早稲田大学比較法研究所所長。元司法試験第二次試験考査委員(憲法)。神奈川県横浜市出身。女優・十朱幸代は母方の従妹。 特に社会権関係の研究で知られる。生存権について具体的権利説を推進した。具体的権利説によれば具体的な立法(例えば生活保護法)が存在しなくとも、直接憲法25条によって司法に訴えることが出来ることになる。大須賀の具体的権利説の場合は、立法権(国会)に対してその最高機関性をなるべく侵害しない形で、作為を義務づけるのではなく、不作為の違憲確認訴訟を起こすことにその意義がある。
大関 弘政(おおぜき ひろまさ、1934年 - )は、日本の… 大関 弘政(おおぜき ひろまさ、1934年 - )は、日本の劇作家・舞台演出家。元宝塚歌劇団座付作・演出家。 横浜市出身。学習院大学卒業後、宝塚歌劇団に入団。1963年、「山彦乙女」でデビュー。 1994年、星組公演「若き日の唄は忘れじ」作・演出をもって退団。その後、宝塚音楽学校で演劇講師に就任し、2011年退職。2015年まで宝塚大学にて特任教授。劇団わらび座では「春秋山伏記」、「鬼ンこおばこ」を手掛けた。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役)
塚田孝雄(つかだ たかお、1934年- 2010年以前)は、… 塚田孝雄(つかだ たかお、1934年- 2010年以前)は、日本の西洋古典学者。 横浜市生まれ。東京大学法学部卒業。渋沢倉庫などを経て、和光大学非常勤講師を務めた。
馬場 雅夫(ばば まさお、1933年12月14日 - 199… 馬場 雅夫(ばば まさお、1933年12月14日 - 1993年11月24日)は、日本のアナウンサー、演芸・競輪評論家。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校、明治大学文学部英米文学科卒業後、新日本放送(現在の毎日放送)に入局。1959年、日本教育テレビ(略称:NET。現在のテレビ朝日)開局のため、出向という形で転籍したが、以後もNETに在籍することになる。テレビ朝日(NET)在籍時代には、前任司会者の山田吾一の後を受け、1973年11月から1974年3月1日までアフタヌーンショーの司会者、時代劇・破れ傘刀舟悪人狩りのナレーションなどを務めたが、顕著な活動が見られたのは、落語の評論である。
水谷 貞雄(みずたに さだお、1933年11月26日 - 2… 水谷 貞雄(みずたに さだお、1933年11月26日 - 2025年9月29日)は、日本の俳優。劇団民藝所属。神奈川県横浜市出身。 1953年早稲田大学法学部入学。 大学在学中の1956年に劇団民藝水品演劇研究所に入門。 1962年に劇団民藝所属となる。 2019年上演の『新・正午浅草』永井荷風役で読売演劇大賞優秀男優賞受賞。 2025年9月29日、心不全のため東京都町田市内の病院で死去した。91歳没。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
堂本 正樹(どうもと まさき 1933年11月1日 - )は… 堂本 正樹(どうもと まさき 1933年11月1日 - )は、日本の劇作家、演出家、演劇評論家。演出家として三島作品を多数手がける。また、新作能の作者として、数多くの作品を手がけている。
草笛 光子(くさぶえ みつこ、1933年〈昭和8年〉10月2… 草笛 光子(くさぶえ みつこ、1933年〈昭和8年〉10月22日 - )は、日本の女優。本名:栗田 光子(くりた みつこ、出生姓は富田)。 神奈川県横浜市神奈川区出身。草琇舎(そうしゅうしゃ)所属。オスカープロモーションと業務提携している。 神奈川県立横浜平沼高等学校卒業(49期)。妹は冨田恵子。作曲家の芥川也寸志は元夫。 4人兄弟の長女。妹(第2子)は富田恵子。 虚弱傾向を克服するため、小学生からバレエを始める。1950年に松竹歌劇団(SKD)に5期生として入団し、淡路恵子、深草笙子と共に「スリーパールズ」を結成。豊かな歌唱力を持ち味とした。SKD在籍中の1953年、松竹(松竹京都撮影所)から映画『純潔革命』で銀幕デビューも果たした。
加藤 太郎(かとう たろう、1933年7月7日 - )は、神… 加藤 太郎(かとう たろう、1933年7月7日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手。 日本大学高校から1952年に阪急ブレーブスへ入団。 1954年に東映フライヤーズへ移籍。1955年に引退。
小泉 修吉(こいずみ しゅうきち、1933年6月7日 - 2… 小泉 修吉(こいずみ しゅうきち、1933年6月7日 - 2014年11月12日)は、ドキュメンタリー映画監督、プロデューサー。 ドキュメンタリー映像制作会社「グループ現代」元・代表取締役会長。神奈川県横浜市生まれ。 「民族文化映像研究所」取締役事務局長。「環境テレビトラスト日本委員会(TVEジャパン)」委員長。 父は、映画監督・記録映画作家の上村修吉。義妹は、滋賀県環境生活協同組合理事長、NPO法人「菜の花プロジェクトネットワーク」代表の藤井絢子(ふじい あやこ)。 早稲田大学文学部ロシア文学科卒業。上野耕三の「記録映画社」を経て、フリーのドキュメンタリー映画ディレクターとなる。 レイチェル・カーソンの『沈黙の春』 に啓発され、1967年、農村医学の先駆者である、長野県の佐久総合病院の若月俊一院長の協力を得て、自主制作映画『農薬禍』を制作・演出。
横森 良造(よこもり りょうぞう、1933年3月25日 - … 横森 良造(よこもり りょうぞう、1933年3月25日 - 2012年8月27日)は、日本のアコーディオン奏者である。 神奈川県横浜市出身。東京都立江戸川高等学校卒業。日本を代表するアコーディオン奏者として長く活躍した。妻は友人の姉であった女性で姉さん女房、長女は映画ライター、女優、舞台演出家の横森文。 生楽器ならではともいえる、歌い手に合わせた自在な調やテンポの設定ができ、特にのど自慢、歌合戦系のテレビ番組では重宝されていた。NTV系スター誕生!にNHKのど自慢では斎藤正雄と共に出演し、ほぼ伴奏に徹していたがアコーディオン奏者がテレビ出演する機会が少なくなった1980年代以降は横森がその殆どに出演し「アコーディオンのおじさん」として認知度は高くバラエティ番組などに出演する際には、自ら出囃子を演奏する事もあった。
水戸 巌(みと いわお、1933年3月2日 - 1986年1… 水戸 巌(みと いわお、1933年3月2日 - 1986年12月30日?)は、日本の物理学者・反原発活動家・市民活動家。専門は放射線物理学。理学博士。最終職歴は芝浦工業大学電気工学科教授。神奈川県横浜市出身。 1933年(昭和8年)3月2日、神奈川県横浜市鶴見に生まれる。 第二次世界大戦中、福島県に疎開し、同地の中学校を終戦後に卒業。栃木県立宇都宮高等学校卒業後、東京大学理学部Ⅰ類に進学、在学中に理学部自治会委員長を務める。1960年(昭和35年)3月、同大学大学院博士課程を修了、博士号を取得。 その後甲南大学教員となり6年間勤務する。 1967年(昭和42年)、東京大学原子核研究所助教授となる。
ミッキー安川(ミッキーやすかわ、1933年〈昭和8年〉2月1… ミッキー安川(ミッキーやすかわ、1933年〈昭和8年〉2月10日 - 2010年〈平成22年〉1月18日)は、日本のタレント・ラジオパーソナリティ・随筆家・実業家。本名:安川 実(やすかわ みのる)。 神奈川県横浜市中区本牧出身。父親は横浜市の富岡海岸で漁業権を管理していた網元であり、漁業以外にも多くの副業を営む事業家であった。また、遡ると房総半島の片貝海岸辺りで代々漁師を営んでいた家でもあったという。第二次世界大戦中は素行の悪さから学童疎開を拒否され、当時敵国籍の子弟を預かっていた中区山手にあるセント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジへ一緒に入れられた。 横浜高等学校を経て、1952年6月に単身渡米。
澤田 幸弘(さわだ ゆきひろ、1933年1月15日 - 20… 澤田 幸弘(さわだ ゆきひろ、1933年1月15日 - 2022年9月21日)は、日本の映画監督。 神奈川県横浜市出身。1956年、中央大学経済学部卒業。 横浜市立横浜商業高等学校卒業後、1年間の銀行勤務を経て中央大学経済学部に入学。在学中の三年時には東京児童劇団に裏方として参加。卒業後の1956年、日活に入社。鈴木清順、斎藤武市らに師事し、長い間の助監督を経て、1970年、渡哲也主演映画『斬り込み』で監督デビューした。 長谷部安春、小澤啓一、藤田敏八らとともに日活ニューアクション路線を大きく支えた。日活がロマンポルノ製作をメインにしてからも、松田優作主演『あばよダチ公』、『高校大パニック』などの一般向け映画から、福祉・家族向け映画も手掛け、1974年の『ともだち』は翌年のベオグラード国際児童映画祭にてグランプリ(ユニセフ大賞)を受賞した。
堀口 貞夫(ほりぐち さだお、1933年 - )は、日本の産… 堀口 貞夫(ほりぐち さだお、1933年 - )は、日本の産婦人科医。愛育病院元院長。神奈川県横浜市出身。 東京医科歯科大学医学部卒。東京大学医学部産科婦人科教室を経て、同愛記念病院産婦人科医長、東京都立築地病院産婦人科部長、愛育病院院長などを務め、医療法人・中林病院、「主婦会館クリニック・からだと心の診察室」で診察を行う。妻も産婦人科医の堀口雅子(1930-)。
榎本 正敏(えのもと まさとし、1933年 - )は、マルク… 榎本 正敏(えのもと まさとし、1933年 - )は、マルクス経済学者。元筑波大学社会科学系教授、国士舘大学政経学部教授。専門は世界経済論。 横浜市出身。1957年東京教育大学文学部卒。1965年東京教育大学大学院(文学研究科社会学専攻)博士課程単位取得退学。1965年東京教育大学文学部助手、1969年同助教授、1973年筑波大学社会科学系助教授、1984年同教授。1984年「戦後世界経済論の構図」で経済学博士(筑波大学)。のち国士舘大学政経学部教授。
野口 孝一(のぐち こういち、1933年 - )は、日本の都… 野口 孝一(のぐち こういち、1933年 - )は、日本の都市史研究家。 神奈川県横浜市生まれ。東京都立大学 (1949-2011)大学院人文科学研究科修士課程(日本史専攻)修了。川崎市立工業高等学校教諭、川崎総合科学高等学校教諭を経て、中央区立郷土天文館勤務。2013年東京都文化功労者。近代都市史。