坊城 中子(ぼうじょう なかこ、1928年(昭和3年)5月1… 坊城 中子(ぼうじょう なかこ、1928年(昭和3年)5月12日 - 2021年(令和3年)8月16日)は、俳人。 神奈川県横浜市生まれ。俳人高浜虚子の孫で、俳人高浜年尾の長女。俳人稲畑汀子の姉。聖路加看護専門学校(現:聖路加看護大学)卒業。1950年、坊城としあつ(本名俊厚)と結婚。1955年より聖路加国際病院に勤務、総婦長を務める。1969年立正佼成会病院、1972年昭和大学烏山病院付属看護学校教務主任、1976年登戸病院看護部長、同年きぬ医師会病院看護学校副校長、2003年内藤病院総婦長。 幼少時より俳句に親しみ、1948年『ホトトギス』に投句、のち同人。夫としあつとともに同誌で活躍した。
鈴木 辰夫(すずき たつお、1928年4月27日 - 201… 鈴木 辰夫(すずき たつお、1928年4月27日 - 2011年7月12日)は、日本の空手家。日本空手の創始者の1人で和道流開祖の大塚博紀最高師範の直弟子。和道流八段。横浜市出身。 空手は14歳のころからはじめる。日本大学経済学部卒業後、田中清玄の秘書を勤めながら大学等で空手を教える。以前から海外へ行くことを夢見ていたが、1963年に大学の後輩らとともに、欧米各国を回り空手のデモンストレーションなどを行った。以降ロンドンを拠点に、空手普及のため世界各地で指導を続けていた。
鈴木 茂(すずき しげる、1928年3月20日 - 1987… 鈴木 茂(すずき しげる、1928年3月20日 - 1987年9月21日)は、日本の哲学者。 横浜市生まれ。1945年3月東海海運局勤務、48年宮城県坂元村立坂元中学校助教諭、1949年京都大学文学部哲学科選科入学、50年横浜市立神橋小学校助教諭、54年京都大学文学部哲学科卒、57年同大学院修士課程修了。59年京都府立山城高等学校教諭、60年京大博士課程満期退学、63年京都府立桂高等学校教諭、1974年松山商科大学経済学部助教授、教授。1986年立命館大学経営学部教授。見田石介に傾倒していた。鈴木茂は妻に先立たれた寂しさを酒で紛らせ入浴中シャワーの下で絶命し数日後に発見された。
剣持武彦(けんもち たけひこ、1928年2月25日 - 20… 剣持武彦(けんもち たけひこ、1928年2月25日 - 2007年2月2日)は、日本の比較文学者。 神奈川県横浜市生まれ。東京都立大学 (1949-2011)大学院修士課程修了。二松學舍大学教授(のち名誉教授)、上智大学教授、1993年より清泉女子大学教授。日本比較文学会理事、島崎藤村学会会長を務めた。島崎藤村のフランス体験など、比較文学に業績があった。長男は静岡県立大学准教授の剣持久木。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
辻 哲夫(つじ てつお、1928年2月24日 - 2012年… 辻 哲夫(つじ てつお、1928年2月24日 - 2012年9月18日)は日本の物理学者、科学史家である。 横浜市生まれ。1944年(旧制)山口高等学校入学、1951年(新制)京都大学理学部に編入、1954年同大学院進学、1956年修士課程修了。1959年東海大学工学部講師、助教授、1967年教授、1993年名誉教授。1973年『日本の科学思想』で毎日出版文化賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
佐橋 法龍(さはし ほうりゅう、1928年2月17日 - 2… 佐橋 法龍(さはし ほうりゅう、1928年2月17日 - 2007年4月7日)は、曹洞宗の禅僧、作家。 神奈川県横浜市生まれ。駒澤大学専門部仏教科を経て、1951年東京大学文学部国史学科卒業。長野県松代町にある真田氏の菩提寺・長国寺住職。推理小説も書いた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
小此木 彦三郎(おこのぎ ひこさぶろう、1928年〈昭和3年… 小此木 彦三郎(おこのぎ ひこさぶろう、1928年〈昭和3年〉1月26日 - 1991年〈平成3年〉11月4日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等。建設大臣(第52代)、通商産業大臣(第43代)、衆議院議員(8期)。 神奈川県横浜市出身。父親は衆議院議員の小此木歌治。三男は元衆議院議員の小此木八郎。1945年5月の横浜大空襲で母と妹を亡くす。 神奈川県立第一中学校を経て、1952年に早稲田大学文学部哲学科卒業。父の教育方針で関西で修業、1953年に父が死去、家業の材木商を継ぐ。藤木企業の大番頭の伊藤清蔵の長女と結婚。 1963年、横浜市会議員にトップで初当選。人口増加問題や遅れをとっていた都市整備問題に取り組む。
井関 正昭(いせき まさあき、1928年1月25日 - 20… 井関 正昭(いせき まさあき、1928年1月25日 - 2017年10月6日)は、日本の美術史家。東京都庭園美術館名誉館長。西洋・日本近代美術史専攻。 横浜市生まれ。1950年東北大学法文学部美学美術史学科卒。1956年、白柳美彦らの同人誌『カタルシス』に参加。国際文化振興会、1984年ローマ日本文化会館館長、在イタリア日本大使館公使、1988−1994年北海道立近代美術館館長。1989年−1997年明星大学日本文化学部生活芸術学科主任教授。1997年東京都庭園美術館館長。2016年同美術館名誉館長。 2009年秋、旭日小綬章受勲。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
横山 哲夫(よこやま てつお、1928年〈昭和3年〉1月24… 横山 哲夫(よこやま てつお、1928年〈昭和3年〉1月24日 - )は、日本の政治家、実業家。第85代神奈川県議会議長、自民党神奈川県連顧問。朗月代表取締役。横山企業取締役。横浜市鶴見区ソフトボール協会会長。 神奈川県横浜市出身。横山四郎の三男。専修大学経済学科出身。1961年に横山企業設立、代表。1963年に鶴見青果、1971年に横山商事、1972年に横山殖産、1974年に横山ストアー各取締役。 県議会議員を8期務めた。1992年5月から1993年5月まで県議会議長を務めた。 趣味はダンス、旅行。住所は神奈川県横浜市鶴見区下末吉3丁目。 横山一族は横浜で事業を営んでいる。「朗月株式会社」の本店は「神奈川県横浜市鶴見区下末吉三丁目」。
涌井 昭治(わくい しょうじ、1927年11月29日 - 2… 涌井 昭治(わくい しょうじ、1927年11月29日 - 2012年7月5日)は、日本の新聞記者、ジャーナリスト。九州朝日放送の社長も務めた。 神奈川県横浜市出身。1953年に東京大学文学部を卒業し、同年に朝日新聞社に入社。朝日新聞社では、週刊朝日編集長、取締役などを歴任した。 1989年6月に九州朝日放送専務に就任し副社長を経て、1991年6月から1997年6月までに社長を務め、1997年6月から会長を務めた。 日本雑誌協会の常務理事、理事を歴任した。 2012年7月5日老衰のために死去。84歳没。 著書に「イッピー番外地 アメリカのかくれた顔」と「東京新誌 山手線いまとむかし」がある。
清元 榮三郎(きよもと えいざぶろう、1927年(昭和2年)… 清元 榮三郎(きよもと えいざぶろう、1927年(昭和2年)6月24日 - 2002年(平成14年)12月31日)は昭和から平成にかけて活動した清元節三味線方。歌舞伎公演の立三味線(首席奏者)を長年務めた。神奈川県横浜市出身。本名は柿澤壽夫。 天声の美声と声量の豊かさによって清元界のみならず、戦前・戦中・戦後の邦楽界を代表する太夫であった清元志壽太夫の長男として生まれ、父のみならず六世清元延壽太夫の立三味線も務め、また現家元の七世清元延壽太夫を指導するなど、清元節三味線方の代表格として活躍した。また作曲にも優れ、多数の作品を残している。 父志壽太夫のタテ三味線として、多くの歌舞伎の海外公演に参加している。
南原 宏治(なんばら こうじ、1927年〈昭和2年〉6月7日… 南原 宏治(なんばら こうじ、1927年〈昭和2年〉6月7日 - 2001年〈平成13年〉12月20日)は、日本の俳優。本名は伍井 卯和二(いつい うわじ、旧姓は則竹)。神奈川県横浜市出身。最後の所属事務所はアクターズプロモーション。 元妻は、宝塚歌劇団出身で女優の上月左知子。長女は元宝塚歌劇団月組男役の嘉月絵理。長男は俳優の南原健朗、次男は元俳優の山口正朗。 父親が刑務所長だったことから横浜刑務所の官舎で生まれ、東京府八王子市などで育った後、学徒動員で中国に渡り、天津で終戦を迎える。戦後は東京農業教育専門学校を経て、東京大学農学部中退。 1951年、スポーツニッポン新聞社主催の「ミスターニッポンコンテスト」で準ミスターニッポンに選出されたのをきっかけに、第6期ニューフェイスとして大映入りする。
長谷川 潔(はせがわ きよし、1927年5月14日 - 20… 長谷川 潔(はせがわ きよし、1927年5月14日 - 2009年2月23日)は、日本の英語学者。 神奈川県横浜市出身。立教大学卒。バルパライソ大学卒、カリフォルニア州立大学大学院修士課程修了。お茶の水女子大学助教授、横浜国立大学教育学部教授。93年定年退官、関東学院大学教授を務めた。日本丸名誉船長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
杉本 つとむ(すぎもと つとむ、1927年(昭和2年)3月3… 杉本 つとむ(すぎもと つとむ、1927年(昭和2年)3月30日 - 2022年3月1日(令和4年))は、日本の言語史研究者。学位は文学博士(東北大学・論文博士・1969年)(学位論文「近代日本語の研究」)。早稲田大学名誉教授。本名・杉本孜。 1927年、横浜市生まれ。1951年に旧制早稲田大学文学部国文科を卒業。 1962年に早稲田大学文学部専任講師となる。武蔵野女子短期大学および武蔵野大学文学部講師。1966年に早稲田大学文学部助教授。1969年に「近代日本語の研究」で東北大学より文学博士の学位を取得。同年にオーストラリア国立大学東洋学部客員教授。1971年に早稲田大学文学部教授に昇進。1975年に国際基督教大学語学科及び大学院言語研究科非常勤講師。
樋口 和彦(ひぐち かずひこ、1927年3月29日 - 20… 樋口 和彦(ひぐち かずひこ、1927年3月29日 - 2013年8月25日)は、日本の宗教心理学者、同志社大学名誉教授。京都文教大学学長。 横浜市生まれ。本籍は佐賀県。青山学院専門学校英文科卒、1955年同志社大学神学部卒業、1957年同大学院神学研究科修士課程修了。 米国ボストンのアンドーヴァー・ニュートン神学校(英語版)で修士課程、博士課程修了、ドクター・オブ・ミニストリー。1961年同志社大学神学部助手、専任講師、1965年助教授、1970年教授、1971-1973年、1980-1983年神学部長、学術情報センター所長、1969-1973年学校法人同志社理事、評議員。 1998年定年、名誉教授、京都文教大学教授、学長。
織本 順吉(おりもと じゅんきち、1927年〈昭和2年〉2月… 織本 順吉(おりもと じゅんきち、1927年〈昭和2年〉2月9日 - 2019年〈平成31年〉3月18日)は、日本の俳優・ナレーター。本名:中村 正昭(なかむら まさあき)。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立工業学校(現・神奈川県立神奈川工業高等学校)卒業。劇団青俳、BMGメイクII を経て、アルファエージェンシーに所属していた。 身長174 cm、体重72 kg、血液型B型。晩年は栃木県に在住していた。放送作家・脚本家の中村結美は娘にあたる。 2歳の頃に実母を亡くし、15歳で父を亡くし、以降は義母と生活をともにする。 電機会社に勤務後、1949年に新協劇団へ入団し、舞台『破戒』で初舞台を踏む。NHKがテレビ放映を開始した直後、『ビルマの竪琴』に水島上等兵役で出演。
武井 昭夫(たけい てるお、1927年1月29日 - 201… 武井 昭夫(たけい てるお、1927年1月29日 - 2010年9月2日)は、日本の文芸評論家、全学連初代委員長。 神奈川県横浜市出身。横浜第二中学校、府立高等学校を経て東京大学文学部西洋史学科中退。東京大学在学中の1948年に全日本学生自治会総連合(全学連)結成に参画し、初代委員長に就任した。層としての学生運動論を唱え、学生は労働者階級の指導を受けなくとも、階級闘争の主体たり得ると主張[要出典]。1950年、日本共産党の50年分裂の際、同党統一委員会に属して除名される。1952年、新日本文学会(中野重治書記長、花田清輝編集長)に加入し、常勤編集部員となり、文芸評論活動を始める。戦争責任などで古い世代を批判する急先鋒にたつ。
三和 完児(みわ かんじ、1926年〈大正15年〉10月4日… 三和 完児(みわ かんじ、1926年〈大正15年〉10月4日 - )はタレント、作詞・作曲家、音楽評論家。 本名は松岡寿夫(まつおか かずお)。ペンネーム:佃清風(つくだ せいふう)。 神奈川県横浜市出身。 東京府南葛飾郡吾嬬町(のち東京市向島区、現墨田区立花)にて鉄筋業 松岡工業(廃業)を経営していた松岡滋忠の子として、9人兄弟の長男として生まれる。 「司会の神様」の異名を持っていた。 1945年旧制日本大学第一中学校(現在の日本大学第一中学校・高等学校)を卒業。 1946年東邦楽劇団バンドマスターを経て、美空ひばり、江利チエミ、藤山一郎等の専属司会者として活動を始める。 1953年最初の民放テレビ「私も出まショー」のレギュラー司会となる。
朝倉 剛(あさくら かたし、1926年 <大正15年> 9月… 朝倉 剛(あさくら かたし、1926年 <大正15年> 9月29日 - 2000年 <平成12年> 5月9日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 横浜市生まれ。1950年東京大学文学部仏文科卒業。同大学院をへて、名古屋大学講師、愛知県立女子短期大学助教授、東京外国語大学助教授、教授、1992年定年退官、名誉教授。 1993年から1997年日本フランス語フランス文学会会長。専攻は17世紀フランス文学で、多くの翻訳をなした。2000年死去。死没日付をもって正四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
渡辺 保男(わたなべ やすお、1926年(大正15年)9月1… 渡辺 保男(わたなべ やすお、1926年(大正15年)9月14日 - 1992年(平成4年)1月30日)は、日本の政治学者。国際基督教大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。1952年東京大学法学部政治学科卒。学習院大学教授を経て、1966年国際基督教大学教授、1984年学長となり、後に名誉教授となる。 1992年1月30日、肝不全のため逝去。
森田 一哉(もりた かずや、1926年〈大正15年〉9月9日… 森田 一哉(もりた かずや、1926年〈大正15年〉9月9日 - 2007年〈平成19年〉5月19日)は、神奈川県横浜市出身の宗教家。 1926年、創価学会理事(財務部長)の森田悌二とカヤの長男として生まれる。 1942年、創価教育学会(後の創価学会)に入会する。少年の頃、創価教育学会会長・牧口常三郎(創価学会初代会長)の謦咳に接している。戦後、1951年、中央大学卒業。在学中から創価学会の活動を行う。創価学会第2代会長の戸田城聖の時代から、池田大作(後の同会第3代会長、現・名誉会長)と共に草創期に尽力する。 2007年5月19日、慢性腎不全のため死去。享年80。葬儀は本人の意向により、家族葬で行われた。
岡部 三郎(おかべ さぶろう、1926年8月12日 - 20… 岡部 三郎(おかべ さぶろう、1926年8月12日 - 2024年6月25日)は、日本の農水官僚、政治家。元参議院議員(3期)。北海道開発庁長官(第64代)、沖縄開発庁長官(第33代)を務めた。 神奈川県横浜市出身。旧制横浜一中(現・神奈川県立希望ケ丘高等学校)、二高、東京大学農学部卒業。 1948年に農林省(現在の農林水産省)に入省。農林省構造改善局設計課長、構造改善局建設部長、構造改善局次長などを務め、1979年に農林省を退職。 ほかに、科学技術政務次官、参議院農林水産委員長、参議院内閣委員長、参議院教育改革・スポーツ振興特別委員会副委員長、参議院総合政策委員会委員、グリーン・ツーリズム議員懇談会会長、全国土地改良事業団連合会理事などの要職を歴任した。
奥津 敬一郎(おくつ けいいちろう、1926年〈大正15年〉… 奥津 敬一郎(おくつ けいいちろう、1926年〈大正15年〉8月6日 - 2017年〈平成29年〉9月8日)は、日本の言語学者。東京都立大学名誉教授。文学博士。 神奈川県横浜市出身。1950年に東京文理科大学哲学科卒、1955年に同大学院修了。 米国国務省外務研究所専任講師、1962年に国際基督教大学専任講師、助教授、教授をへて、1973年に東京都立大学教授、1987年に定年退官、名誉教授となり、日本女子大学文学部教授。1992年に神田外語大学教授。1999年に退任。 いわゆる「うなぎ文」という呼称を定着させた人物である。
青柳文司(あおやぎ ぶんじ、1926年7月 - )は、日本の… 青柳文司(あおやぎ ぶんじ、1926年7月 - )は、日本の会計学者。横浜市立大学名誉教授。経済学博士。 G.O.メイ『財務会計―経験の蒸留』において多用されるコンヴェンションという言葉の意味を探ることをかわきりに、アメリカ会計制度の経済史的考察を踏まえてW.A.ペイトン、W.J.ヴァッター、DR スコットなどの米国の主要な会計学説を丹念に渉猟する一方で、哲学、言語学、社会学など諸学の成果を援用して会計言語説を展開した。近年はそれをさらに発展させ、会計物語論、会計演劇論など会計の哲学を探求している。 門下生に全在紋、永野則雄等。神奈川県横浜市出身。 編著・共著数冊。百本を超える論文がある。
石田 春夫(いしだ はるお、1926年5月12日 - )は、… 石田 春夫(いしだ はるお、1926年5月12日 - )は、日本の精神科医。 横浜市生まれ。父は国文学者・石田吉貞。 新潟大学医学部卒、1955年「神経症における若干の問題」で医学博士。横浜市立大学病院をへて、1957年国立横浜病院精神科医師。1965年パリ大学医学部、サンタンヌ精神病院に学ぶ。 リルケ、ボードレールを好み自ら小説も書いた。
古賀 登(こが のぼる、1926年5月6日-2014年7月1… 古賀 登(こが のぼる、1926年5月6日-2014年7月17日)は、東洋史学者。早稲田大学名誉教授。 横浜市出身。1952年早稲田大学文学部東洋史学科で松田壽男に師事、1958年同大学院文学研究科博士課程満期退学。1958年早大文学部助手、1963年講師、1965年助教授、1970年教授、1997年定年退任、名誉教授、皇學館大學教授。 1980年「漢長安城と阡陌・県郷亭里制度」で早大文学博士。2006年11月瑞宝中綬章受章。
中村 俊一(なかむら しゅんいち、1926年〈大正15年〉1… 中村 俊一(なかむら しゅんいち、1926年〈大正15年〉1月4日 - 1980年〈昭和55年〉11月25日)は、日本の演出家、俳優、劇団「仲間」主宰者。 神奈川県横浜市生まれ。松尾鉱業の2代目社長中村正雄の長男。父方の祖父は松尾鉱業、太洋鉱業、増田屋各社長などをつとめた中村房次郎。母方の祖父は日本の社会主義運動の先駆者で、早稲田大学野球部を創設したことでも知られる安部磯雄で、母・京はその次女である。 1945年に早稲田大学文学部国文科を中退。千田是也の知遇を得て俳優講習所に学び、1945年に俳優座に入団。演出助手や舞台監督を経て、1949年に養成所講師となる。1953年、俳優座養成所の2期生とともに劇団仲間を結成、主宰者となる。
冨澤 繁信(とみざわ しげのぶ、1926年 - )は、日本の… 冨澤 繁信(とみざわ しげのぶ、1926年 - )は、日本の実業家・歴史研究家。日本「南京」学会理事兼事務局長。 神奈川県横浜市生まれ。東京大学文学部ドイツ文学科卒業、更に同大経済学部経済学科入学。 戦後の1951年、住友信託銀行入社。退任後は住商リースで副社長。1998年退任。 「新しい歴史教科書をつくる会」の創立に参加。
太田 次郎(おおた じろう、1925年(大正14年)12月2… 太田 次郎(おおた じろう、1925年(大正14年)12月26日 - 2018年7月7日)は、日本の生物学・植物学者。学位は、理学博士(東京大学・1960年)。お茶の水女子大学名誉教授。従三位勲二等瑞宝章。岳父は赤木正雄。 神奈川県横浜市生まれ。1948年東京帝国大学理学部植物学科卒業。1960年「粘菌類、変形体の原形質流動に関する研究」で東京大学より理学博士の学位を取得。東京大学大学院特別研究生、1952年お茶の水女子大学講師、助教授、1969年教授、1973 - 1976年東京工業大学教授併任、1976 - 1979年お茶大図書館長、1982 - 1984年理学部長、1985年同人間文化研究科長、1991年名誉教授、1992 - 1997年学長。
池田 重子(いけだ しげこ、1925年(大正14年)12月2… 池田 重子(いけだ しげこ、1925年(大正14年)12月21日 - 2015年(平成27年)10月13日)は、神奈川県出身のアンティーク着物収集家。明治以降の和装品コレクションで知られる。着物ブランド「夢工房」「池田重子きものコレクション」等のデザインを手がけ、「日本のおしゃれ展」や「時代布と時代衣裳池田」を主宰した。 横浜市生まれ。1942年(昭和17年)神奈川県立第一高等女学校卒業。1947年(昭和22年)文化服装学院卒業。1973年(昭和48年)新宿京王百貨店にて「時代布屏風展」開催。1976年(昭和51年)東京目黒で「時代布と時代衣裳 池田」開店。1978年(昭和53年)から着物のデザインを発表し始める。
峯島 正行(みねしま まさゆき、1925年12月7日 - 2… 峯島 正行(みねしま まさゆき、1925年12月7日 - 2016年11月18日)は、神奈川県出身の日本の編集者、評論家。 横浜市生まれ。1947年横浜専門学校(現・神奈川大学)を卒業。1950年早稲田大学文学部社会学専攻を卒業して実業之日本社に入社。1959年『漫画サンデー』創刊に伴い同誌編集長に就き、漫画集団の漫画家たちと交友した。 1970年に『漫画サンデー』を退いて文芸書出版の拡充事業に携わり、1972年に『週刊小説』創刊を企画し、同誌編集長に就任。同誌の創刊ブレーンは五木寛之、生島治郎、尾崎秀樹、筒井康隆だった。『漫画サンデー』時代の縁で梶山季之、その紹介で柴田錬三郎、黒岩重吾の連載で創刊号を飾った。
武田 百合子(たけだ ゆりこ、1925年9月25日 - 19… 武田 百合子(たけだ ゆりこ、1925年9月25日 - 1993年5月27日)は、日本の随筆家。 小説家武田泰淳の妻で、泰淳の死後に、泰淳と過ごした富士山荘での日記『富士日記』を出版し、処女作にして高い評価を受ける。その後、寡作ながら、結晶度の高い随筆を発表して多くの熱狂的なファンを得る。娘は写真家の武田花。 各界に親交が多く、埴谷雄高、深沢七郎、村松友視、大岡昇平、色川武大、吉行淳之介、辻邦生、いいだもも、女優加藤治子などと親しかった。 神奈川県横浜市生まれ。1943年(昭和18年)、横浜第二高等女学校(現・神奈川県立横浜立野高等学校)を卒業する。在学中に同級生たちと同人誌『かひがら』に参加し、詩や文章を投稿する。
宇南山 英夫(うなやま ひでお、1925年9月25日 - 2… 宇南山 英夫(うなやま ひでお、1925年9月25日 - 2016年)は、日本の会計学者。横浜市立大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。1950年東京帝国大学卒業。1955年同大学院(旧制)修了。 1950年横浜市立大学助手、1954年講師、1955年横浜市立大学商学部助教授、1966年教授、1991年定年退官、名誉教授、名古屋学院大学教授、1993年文京女子大学教授、高千穂商科大学教授。日本商工会議所簿記検定試験専門参与。日本学術会議会員(17期)。 1974年公認会計士委員(- 1978年)、1980年税理士試験委員(- 1982年)、1985年司法試験考査委員(- 1991年)を歴任した。
徳田 良仁(とくだ よしひと、1925年9月22日 - 20… 徳田 良仁(とくだ よしひと、1925年9月22日 - 2021年2月16日)は、日本の精神科医。 神奈川県横浜市出身。1953年、東京慈恵会医科大学卒業。1959年、東京大学生物系第二臨床大学院博士課程修了、医学博士。東京大学医学部附属病院精神神経科勤務。1961年、日本医科大学精神医学教室講師。1965年、神経研究所附属晴和病院副院長。1991年、長谷川病院副院長。2001年、北野台病院勤務。日本芸術療法学会名誉会長、国際表現学会国際委員、日本精神衛生会理事。
佐野 浅夫(さの あさお、1925年8月13日 - )は、日… 佐野 浅夫(さの あさお、1925年8月13日 - )は、日本の俳優・童話作家・実業家。神奈川県横浜市、現在の保土ケ谷区出身。アクターズ・セブン所属。身長168cm。神奈川県立横浜第三中学校卒業。
高崎 隆治(たかさき りゅうじ、1925年7月25日 - 2… 高崎 隆治(たかさき りゅうじ、1925年7月25日 - 2013年6月)は、日本の戦争研究家。 神奈川県横浜市生まれ。法政大学文学部国文科卒。在学中に学徒兵として召集。主に戦時下の雑誌ジャーナリズム及び戦争文学をテーマとした執筆・講演活動を続けている。講談社『昭和萬葉集』では編纂部顧問をつとめた。1996年、里村欣三研究その他で、人文科学研究協会研究奨励賞を受賞。2008年、第14回横浜文学賞受賞。創価学会系の人物である[要出典]。
生田 豊朗(いくた とよあき、1925年7月16日 - 20… 生田 豊朗(いくた とよあき、1925年7月16日 - 2001年7月4日)は、日本の通産官僚。世界エネルギー会議東京開催会会長(1995年)。 神奈川県横浜市生まれ。東京大学経済学部卒業後の1948年に商工省(通産省)入省。同年入省者には矢野俊比古(通産事務次官、のち参議院議員)、天谷直弘(通産審議官)、岸田文武(中小企業庁長官、衆議院議員)、金森久雄(日本経済研究センター理事長)などがいる。1974年、科学技術庁原子力局長に就任し、1976年1月に退官。退官後、2000年6月まで原産会議常任理事に就任し、さらに日本エネルギー経済研究所所長に就任。1984年-1998年の間、同エネ研理事長。1995年、世界エネルギー会議(WEC)東京開催会会長。
種瀬 茂(たねせ しげる、1925年(大正14年)1月18日… 種瀬 茂(たねせ しげる、1925年(大正14年)1月18日 - 1986年(昭和61年)6月17日)は、日本の経済学者。マルクス経済学専攻。一橋大学学長、国立大学協会副会長、経済理論学会代表幹事等を歴任した。 神奈川県横浜市生まれ。横浜市立横浜小学校、神奈川県立横浜第一中学校(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)、東京商科大学(現一橋大学)予科を経て、東京商科大学では杉本栄一ゼミナールに所属。1948年の卒業後、助手として大学に残る。助手時代は、杉本の『近代経済学の解明』において質問者の一人として貢献する。 1953年講師、57年助教授、65年教授。79年より2年間学部長。83年から2年間、野々村一雄一橋大学名誉教授の後任として経済理論学会代表幹事。
大塚 保治(おおつか やすじ、1924年10月5日 - 20… 大塚 保治(おおつか やすじ、1924年10月5日 - 2011年2月28日)は、日本の工学者。工学博士。元慶應義塾大学理工学部長。専門分野は高分子化学。 横浜市出身。慶應義塾大学工学部応用化学科卒業、工学博士。慶應義塾大学理工学部教授、理工学部長、財団法人慶應工学会顧問を歴任した。 1989年(平成元年)繊維学会会長。2002年(平成14年)勲三等旭日中綬章受章。 藤井光雄研究室出身。 慶應義塾大学理工学部教授の川口春馬、小池康博は大塚研究室の出身である。 2011年2月28日、胃がんのため東京都新宿区の病院で死去。86歳没。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
小堀 巌(こぼり いわお、1924年9月17日 - 2010… 小堀 巌(こぼり いわお、1924年9月17日 - 2010年11月26日)は、日本の地理学者。 神奈川県横浜市出身。1946年(昭和21年)東京帝国大学理学部地理学科卒。1949年(昭和24年)東洋文化研究所助手、1954年(昭和29年)東京大学理学部専任講師、助教授。講師時代の1956年(昭和32年)には、東京大学イラク・イラン遺跡調査団(団長:江上波夫)に参加した。その後、三重大学人文学部教授、明治大学政経学部教授。1995年退任(平成7年)。国連大学教授。 2010年(平成22年)11月26日、悪性リンパ腫のため死去。
平林 敏彦(ひらばやし としひこ、1924年8月3日 - 2… 平林 敏彦(ひらばやし としひこ、1924年8月3日 - 2025年4月6日)は、日本の詩人。草鹿 宏(くさか ひろし)の名で作家としても活動。 横浜市生まれ。横浜市立商業学校卒業。戦中に詩作をはじめ「四季」などに発表。戦後、第一次「ユリイカ」創刊と同時に編集に携わる。1993年、詩集『磔刑の夏』で富田砕花賞、2005年、『舟歌』で現代詩人賞、2009年、『戦中戦後 詩的時代の証言』で桑原武夫学芸賞受賞。2012年、第18回横浜文学賞受賞。2015年、『ツィゴイネルワイゼンの水邊』で小野十三郎賞受賞。 草鹿宏名義ではジュニア向けノンフィクション、漫画のノヴェライゼーションなどを書き、『翔べイカロスの翼』や『神様なぜ愛にも国境があるの』は映画化もされ話題になった。
草柳 大蔵(くさやなぎ だいぞう、1924年(大正13年)7… 草柳 大蔵(くさやなぎ だいぞう、1924年(大正13年)7月18日 - 2002年(平成14年)7月22日)は、日本の評論家、ノンフィクション作家、ジャーナリスト。 妻はきもの研究家の石川あき(本名は草柳アキ、1927年 - )。長女はテレビキャスターの草柳文惠。 神奈川県横浜市鶴見区出身。横浜二中、旧制府立高校を経て、1945年(昭和20年)に東京帝国大学へ入学した。間もなく学徒出陣となり、特攻隊員(特別操縦見習士官)を志願する。敗戦後は復学し、1948年(昭和23年)に東京大学法学部政治学科を卒業(在学中に改称)した。 八雲書店に入社し、編集者として『中野重治国会演説集』などを手がけるが、1949年(昭和24年)に人員整理で退職し、自由国民社編集者、産経新聞記者(経済担当)等を経験した。
小松原 博喜(こまつばら ひろき、1924年5月24日 - … 小松原 博喜(こまつばら ひろき、1924年5月24日 - 1965年4月23日)は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手。ポジションは、主に内野手・外野手としてプレーし、1949年まで投手も兼任した。 横浜商業では第15回選抜中等学校野球大会に出場。 卒業後の1942年に大和軍へ入団する。同年4月22日の対東京巨人軍戦に初先発するが、この試合で14与四球を記録、これは野茂英雄に1992年に並ばれ、1994年に16個で抜かれるまで日本プロ野球記録であった。なお、この試合では押し出しは与えず完投し4失点(3自責点)で切り抜けている。この年の投手としての登板は5試合に留まるが、左翼手や一塁手を務めて82試合に出場。
森 満喜子(もり まきこ、1924年5月18日 - 2000… 森 満喜子(もり まきこ、1924年5月18日 - 2000年10月)は、医師、沖田総司研究家、歴史作家。本名、大場満喜。 神奈川県横浜市生まれ。1945年大阪女子高等医学専門学校(現・関西医科大学)卒。2年生の夏休みに父の任地の函館に帰省したとき、大映映画「維新の曲」を見て、南条新太郎扮する沖田総司に魅せられる。終戦後まもなく医専を卒業してすぐに結核療養所に勤務。1947年、父の仕事の関係で大牟田に転居、1948年から1976年まで大牟田保健所に勤務。1981年上京、葛飾赤十字血液センターに勤務。その間、医師として結核を担当しつつ沖田総司に関する著作を上梓。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
飯田 徳治(いいだ とくじ、1924年4月6日 - 2000… 飯田 徳治(いいだ とくじ、1924年4月6日 - 2000年6月19日)は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手(内野手、外野手、投手)・コーチ・監督、解説者。 シーズン154試合出場は杉山光平と 佐々木信也と共に日本タイ記録。パ・リーグ初のベストナイン(一塁手部門)も受賞している。 温厚な性格で「仏の徳さん」と呼ばれ親しまれた。 浅野綜合中学校では1939年の第16回選抜中等学校野球大会に出場し、2回戦(初戦)で北神商業中学校に敗退する。卒業後は東京鉄道管理局に就職して野球部に入部し、エースで4番打者だったが社会人では一塁手へ転向し、同じく4番打者として活躍した。1942年の第16回都市対抗野球大会では2回戦で全京城に敗退するが、打率.556を記録して打撃賞を獲得した。
長崎 源之助(ながさき げんのすけ、1924年2月19日 -… 長崎 源之助(ながさき げんのすけ、1924年2月19日 - 2011年4月3日)は、日本の児童文学作家。 神奈川県横浜市出身。少年時代はよく遊び、よく本を読んで過ごしたと言う。淺野總合中學校(現在の浅野中学校・高等学校)入学後は、夏目漱石『吾輩は猫である』などを岩波文庫で読んだことで読書の楽しみを知り、坪田譲治『子供の四季』に感動して文学を行う上での目標と考える。しかし、中学5年の時に腹膜炎にかかったため、1年休学をした後に退学。1942年頃から、近所の子供たちを集めた「子ども隣組」を始め、読み聞かせを行う。同じころに、俳句に興味を持ち、句誌に投稿を始める。 1944年に応召し、陸軍に入営。華北で終戦を迎え、1946年に復員。
松崎 仁(まつざき ひとし、1923年〈大正12年〉3月14… 松崎 仁(まつざき ひとし、1923年〈大正12年〉3月14日 - 2013年〈平成25年〉2月26日)は、日本の日本近世演劇研究者。立教大学・梅光女学院大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。父は長野県士族で官僚の松崎謙二郎。母は横浜の貿易商中村房次郎の長女。 1949年、東京帝国大学文学部国文学科卒業。学習院中・高等科教諭。1957年、清泉女子大学助教授。1959年、立教大学文学部助教授、教授。1989年、定年退任、名誉教授、梅光女学院大学教授。1998年、梅光女学院大学を退職、名誉教授。 1995年、「歌舞伎・浄瑠璃・ことば」で九州大学博士(文学)、日本演劇学会河竹賞受賞。
横山 亨(よこやま とおる、1923年1月9日 - 1998… 横山 亨(よこやま とおる、1923年1月9日 - 1998年11月17日)は、日本の金属工学者。第9代横浜国立大学学長。工学博士(東京大学)。 長野県東筑摩郡片丘村北内田(現松本市)生まれ。神奈川県横浜市育ち。旧制横浜第一中学校、旧制第一高等学校を経て、1945年東北帝国大学工学部航空学科卒業。横浜高等工業学校航空工学科助教授となる。1961年横浜国立大学工学部機械工学科教授。1962年西ドイツ・フンボルト研究員として理工学研究所客員研究員となる。1977年 横浜国立大学工学部長。1985年同学長。1988年退官。1996年勲二等旭日重光章受章。 父の横山盛彰は金沢高等工業学校校長を務めた。
河合 幸男(かわい ゆきお、1922年12月2日 - 201… 河合 幸男(かわい ゆきお、1922年12月2日 - 2016年9月21日)は、日本の詩人。河合紗良(さら)および河合紗己(さき)名義でも活動を行った。 神奈川県横浜市生まれ。横浜市立横浜商業高等学校卒業。堀口大學に学ぶ。詩誌「誌苑」主宰。1967年、詩集『愛と別れ』(河合沙良名義)にて第7回室生犀星詩人賞受賞。2016年、肺炎のため、東京都世田谷区の自宅にて死去。 妻は声楽家の河合敏子。
朝雲 照代(あさぐも てるよ、1922年〈大正11年〉10月… 朝雲 照代(あさぐも てるよ、1922年〈大正11年〉10月6日 - )は日本の女優。本名、玉木愛子。 1922年、神奈川県横浜市に生まれる。宝塚音楽歌劇学校を卒業後、1936年に宝塚少女歌劇団(25期生)の初舞台を踏む。1940年に退団。 杉狂児と共演した大映映画「青空交響楽」(1943年)や「赤胴鈴之助」シリーズなどに出演したことで知られる。 「青空交響楽」の主題歌「青い牧場」は当初、杉狂児とのデュエットでレコーディングしたが、杉狂児の歌い方が「ふざけている」と当局から指摘を受け、発売禁止処分となった。代理で歌ったのは藤山一郎と奈良光枝。 1949年に東横映画に移籍し、1951年の合併により東映に所属。