小田 禎彦(おだ さだひこ、1940年(昭和15年)2月7日… 小田 禎彦(おだ さだひこ、1940年(昭和15年)2月7日 - )は、日本の実業家、和倉温泉・加賀屋元代表取締役会長・社長、現・代表取締役相談役、公益社団法人石川県観光連盟理事長、一般社団法人能登半島広域観光協会理事長、和倉温泉観光協会会長、公益財団法人日本交通公社評議員、JTB元取締役、JTB協定旅館ホテル連盟元会長。妻は小田真弓。 1940年、石川県七尾市生まれ。1955年3月、金沢大学教育学部附属中学校を卒業。1958年3月、金沢大学教育学部附属高等学校を卒業。1962年3月、立教大学経済学部経営学科を卒業後、加賀屋に入社。 1979年に代表取締役社長、2000年代表取締役会長に就任。 石川県人事委員会委員、石川県観光連盟理事長、七尾商工会議所副会頭、和倉温泉観光協会会長、能登半島広域観光協会理事長などの公職を務め、観光業の発展に尽力し、2003年には政府選定の「観光カリスマ」に選ばれた。
瓦 力(かわら つとむ、1937年〈昭和12年〉4月1日 ‐… 瓦 力(かわら つとむ、1937年〈昭和12年〉4月1日 ‐ 2013年〈平成25年〉1月13日)は、日本の政治家。位階は正三位。旧姓は戸島。 衆議院議員(12期)、防衛庁長官(第45・62・63代)、建設大臣(第65代)、内閣官房副長官(政務担当・鈴木善幸内閣)、自由民主党国会対策委員長(第38代)を歴任した。 石川県七尾市出身。石川県立七尾高等学校、中央大学法学部卒業。 益谷秀次の秘書を経て地盤を後継。いわゆる防衛族議員とされる。岳父は元カワラ金属社長の瓦辰二。 1988年、潜水艦なだしお事件の責任をとって防衛庁長官を引責辞任する。辞任の翌日から日本中の三十数遺族すべてを線香を持って訪ね歩いた。
戸部 新十郎(とべ しんじゅうろう、1926年(大正15年)… 戸部 新十郎(とべ しんじゅうろう、1926年(大正15年)4月8日 - 2003年(平成15年)8月13日)は、日本の小説家。 石川県七尾市生まれ。祖先は戦国時代に今川義元に属した尾張笠寺城主の戸部新左衛門政直である。この「戸部新左衛門」という名は、尼子騒兵衛の漫画「落第忍者乱太郎」の登場人物「戸部新左ヱ門」(忍術学園の教師)の由来になっている。また、「新十郎」という名は戸部新左衛門政直の息子の名であり、戸部の父が祖先の名にあやかって命名したそうである。スポーツライターの戸部良也は弟。 金沢一中(現石川県立金沢泉丘高等学校)卒業、早稲田大学政治経済学部中退。北国新聞社記者を経て、作家となる。クラブ雑誌に多岐流太郎の筆名で時代小説を書きはじめていたが、昭和四十年代に入ると長谷川伸創始の「新鷹会」の同人となり、筆名を本名の「戸部新十郎」に改めた。
杉森 久英(すぎもり ひさひで、1912年(明治45年)3月… 杉森 久英(すぎもり ひさひで、1912年(明治45年)3月23日 - 1997年(平成9年)1月20日)は日本の小説家。 石川県七尾市の公務員の家庭に生まれ、金沢市で育つ。旧制石川県立金沢第一中学校(現・石川県立金沢泉丘高等学校)から第四高等学校を経て、1934年(昭和9年)に東京帝国大学文学部国文科卒業。地方公務員(公立学校教員)となり、旧制埼玉県立熊谷中学校(現・埼玉県立熊谷高等学校)の教師となった。 教員を退職後、中央公論社編集部に入社。編集者という職に自信を失い退職後、大政翼賛会文化部、日本図書館協会などを経て、戦後河出書房に入り『文藝』の編集に従事。1947年『文藝』編集長に就任。 1953年デイヴィッド・ガーネットやフランツ・カフカの影響が色濃い短篇小説『猿』が芥川賞の候補になったのを機に作家専業となる。
七尾潟 直右エ門(ななおがた なおえもん、1905年3月11… 七尾潟 直右エ門(ななおがた なおえもん、1905年3月11日 - 1943年9月16日)は、現在の石川県七尾市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は浜田 兵吾。175cm、88kg。最高位は西十両筆頭。 1924年5月初土俵、1932年2月に春秋園事件の余波により、十両昇進。十両筆頭まで躍進したが、1933年5月に廃業した。
北村 義男(きたむら よしお、1905年(明治38年)2月2… 北村 義男(きたむら よしお、1905年(明治38年)2月21日 - 1979年(昭和54年)12月1日)は、日本の医学者。石川県七尾市出身。第四高等学校(現:金沢大学)、東京帝国大学(現:東京大学)医学部卒業。 1930年(昭和5年)に東京帝国大学医学部卒業後、1930年(昭和11年)に医学博士号を取得。1936年(昭和28年)に徳島大学教授となる。1954年(昭和29年)から1956年(昭和31年)までは同大学医学部付属病院(現:徳島大学病院)の院長も兼任していた。その後は医学部長を経て1970年(昭和45年)に同大学学長に就任。 1977年(昭和52年)に四国女子大学(現:四国大学)学長に就任したが、1979年(昭和54年)に満74歳で逝去。
番浦 省吾(ばんうら しょうご、1901年2月24日 - 1… 番浦 省吾(ばんうら しょうご、1901年2月24日 - 1982年10月15日)は、日本の漆芸家。日展参事。第5回日展出品作「象潮」により日本芸術院賞を受賞した。 石川県七尾市に生まれる。七尾尋常高等小学校を卒業し、初め画家を志したが、1921年より蒔絵の技術を習得して漆芸の道に入った。1924年頃に京都に移り、1930年の第11回帝展に「秋之夜蒔絵棚」が初入選した。1936年の文展鑑査展では「草花図彩漆衝立」が選奨となり、1937年のパリ万国博覧会では名誉賞を受賞した。 戦後は1945年に漆芸団体創人社を結成して主宰し、1953年には新たに朱玄会を結成した。日展では1947年の第3回日展以後たびたび審査員を務め、1949年より依嘱出品、1958年評議員、1962年会員、1971年理事、1976年参与、1980年参事となった。
高田 博厚(たかた ひろあつ、1900年8月19日 - 19… 高田 博厚(たかた ひろあつ、1900年8月19日 - 1987年6月17日)は、第二次世界大戦前に芸術を学ぶためにフランスに渡り、新聞記者としても戦後までフランスに滞在していた彫刻家。思想家、文筆家、翻訳家としても活躍した。 少年時代から文学・哲学・芸術に目覚め、18歳で上京し、高村光太郎の勧めで彫刻や翻訳に従事。31歳でフランスに渡り、ロマン・ロラン(作家)やアラン(哲学者)、ポール・シニャック(画家)、ジョルジュ・ルオー(画家)をはじめとするヨーロッパの知識階層と交流した。在欧日本人向け日刊紙『日仏通信』を刊行し、第二次世界大戦中も日本に戻らず新聞記者として活動し、パリ外国人記者協会副会長を務めた。
藤澤 清造(ふじさわ せいぞう、1889年〈明治22年〉10… 藤澤 清造(ふじさわ せいぞう、1889年〈明治22年〉10月28日 - 1932年〈昭和7年〉1月29日)は、日本の小説家、劇作家、演劇評論家である。 石川県鹿島郡藤橋村ハ部37番地(現在の七尾市馬出町)に、藤澤庄三郎・古への次男として出生。長姉とよ、兄信治郎、次姉よねにつづく第4子であった。1900年、七尾尋常高等小学校男子尋常科第4学年を卒業。卒業後、七尾町内の活版印刷所に勤め、印刷所が新聞取次を兼業していたことから新聞配達を担当していたが、右足が骨髄炎に罹り手術を受け自宅療養。以降、生涯にわたり骨髄炎の後遺症に苦しめられた。恢復後は、阿良町の足袋屋「大野木屋」、次いで、鋲屋、代書屋に勤めた。
大森 玉木(おおもり たまき、1886年(明治19年)3月2… 大森 玉木(おおもり たまき、1886年(明治19年)3月20日 - 1964年(昭和39年)2月19日)は、日本の政治家、興行師。衆議院議員(6期)、石川県議会議員。 石川県鹿島郡七尾町(現在の七尾市)生まれ。西湊村尋常小学校卒業。 当初は大相撲に入り、雷部屋に入門したが、間もなく廃業。その後は帰郷し、草相撲で活動。四股名は最初は「玉椿」と名乗り、その後「唐戸山」と改め、大関まで上がった。のちに興行師として活躍。1930年(昭和5年)、浅草公園六区で安来節を上演していた御園座を改築し、玉木座を開業。チェロ奏者だった佐々木千里を支配人として経営を任せる一方、劇団プペ・ダンサントを発足させて榎本健一などが活躍した。
三井 清一郎(みつい せいいちろう、慶応3年6月19日(18… 三井 清一郎(みつい せいいちろう、慶応3年6月19日(1867年7月20日) - 1949年11月30日)は、石川県出身の日本の陸軍軍人・政治家(貴族院議員)である。階級位階勲等功級は陸軍主計中将従三位勲一等功四級。宇垣一成陸相の下で宇垣軍縮を断行した陸軍省経理局長である。 能登国鹿島郡笠師村(現石川県七尾市中島町地区)に生まれる。兄には石川県会副議長となった三井亥三郎などがいる。 陸軍士官学校本科を卒業(士官候補生第6期)し、明治28年(1895年)に陸軍歩兵少尉に任じられる。その後、陸軍歩兵大尉となり、近衛歩兵第1連隊中隊長に補せられる。明治35年(1902年)には、歩兵科から経理部に転科し、陸軍一等副監督(大尉相当官)に転ずる。
林 太一郎(はやし たいちろう、1856年11月12日(安政… 林 太一郎(はやし たいちろう、1856年11月12日(安政3年10月15日) - 1914年(大正3年)9月2日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 能登国鹿島郡中挟村(石川県鹿島郡徳田村を経て現七尾市)で、林太郎平の三男として生まれる。1876年(明治9年)石川県師範学校を卒業し、鹿島郡内の小学校で教員として務めた。1877年(明治10年)4月、陸軍教導団に入団し、1878年(明治11年)10月、歩兵科を卒業し軍曹に任官して大阪鎮台に配属された。1881年(明治14年)12月、陸軍士官学校(旧4期)を卒業し 歩兵少尉に任官。1882年(明治15年)1月、歩兵第8連隊付となる。1886年(明治19年)12月、陸軍大学校(2期)を卒業。
関野 善次郎(せきの ぜんじろう、1853年6月20日(嘉永… 関野 善次郎(せきの ぜんじろう、1853年6月20日(嘉永6年5月14日)- 1935年(昭和10年)11月15日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員、富山市長。旧姓は神野、幼名は太三郎、旧名は彦兵衛。族籍は富山県平民。 能登国鹿島郡八幡村(現石川県七尾市八幡町)で、豪農・神野太平次の六男として生まれる。元治元年(1864年)富山東堤町(現富山市)の呉服商・関野善右衛門の養子となり彦兵衛と改名。その後、家督を相続して善次郎と改名し、富山藩より長町人(おとなちょうにん)に任じられ、さらに呉服物御用方、藩金融通所手添役を務めた。 明治維新後は、戸長、富山連合町会議員、同議長を務め、1882年、越中改進党の結成に参画し、1884年、山野清平と『中越新聞』を発刊するなど、富山県の改進党系の指導者として活動した。
神野 良(かんの りょう、1851年(嘉永4年3月)- 19… 神野 良(かんの りょう、1851年(嘉永4年3月)- 1910年(明治43年)7月15日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(1期)。 能登国鹿島郡、のちの石川県鹿島郡徳田村(現七尾市)に生まれる。地租改正総代を経て、1876年(明治9年)啓明学校(のち中学師範学校)に入り、同副塾長に抜擢される。鹿島郡山林改租総代、農事通信委員を経て、中山長吉らと共に七尾町(現七尾市)にて勧業博覧会を開催した。1879年(明治12年)居村外12箇村戸長に就任し、ついで石川県会議員、村会議員、連合会議員を経て、石川県に出仕し1881年(明治14年)まで務めたのち再び県議に当選した。1882年(明治15年)3月、県会副議長に挙げられ、常置委員、郡内連合町村会議員、学区会議員を兼ねた。
津田 嘉一郎(つだ かいちろう、1845年(弘化2年2月)-… 津田 嘉一郎(つだ かいちろう、1845年(弘化2年2月)- 1914年(大正3年)6月1日)は、明治から大正初期の実業家、政治家。衆議院議員。 能登国鹿島郡七尾町(石川県鹿島郡七尾町を経て現七尾市)で生まれた。物品依託販売業、倉庫業を営む。七尾銀行頭取、中島商業銀行頭取などを務めた。 1890年(明治23年)9月、石川県会議員に当選し、1891年(明治24年)10月まで在任した。1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(石川県第3区、自由党)で当選し、衆議院議員に1期在任した。
髙橋 龍也 は、日本の脚本家、クリエイター。石川県七尾市出身… 髙橋 龍也 は、日本の脚本家、クリエイター。石川県七尾市出身。
藤 敏也 は日本の俳優。本名は同じ。
平山 貴人(ひらやま たかひと、7月6日 - 、生年は非公表… 平山 貴人(ひらやま たかひと、7月6日 - 、生年は非公表)は、日本のフリーアナウンサー。 主に北陸地方でテレビ・ラジオのパーソナリティやCMナレーターとして活動している。 石川県七尾市(旧能登島町)出身。血液型はA型。 埼玉県川越市の結婚式場の司会業でキャリアをスタートさせた。Jターン後は1995年のラジオかなざわ開局当初や、後のラジオななおではほぼ局専属で活動していた時期があるほか、現在に至るまで北國新聞系列の放送メディアでの活動がメイン。他に、石川県内での演歌歌手の公演の司会、富山県や福井県でも特別番組のナレーションなどで起用されることも多い。 なお、実家は民宿。調理師免許を持っており料理はプロ並み。
五辻 真吾(ごつじ しんご)は、日本の俳優である。本名同じ。… 五辻 真吾(ごつじ しんご)は、日本の俳優である。本名同じ。石川県七尾市出身。主にテレビドラマ、映画、舞台を中心に活動。身長166cm。血液型B型。現在はフリーで活動。TikTokライブ配信を2024年7月より開始。 21歳で上京し、主に舞台で芝居の下積みを重ねる。現在は映画、CM、テレビドラマでも活動。 2008年、五辻自身の誕生日に放送された日本テレビ開局55周年記念番組「ヒットメーカー 阿久悠物語」では萩本欽一役を演じている。2011年11月公開の映画「恋の罪」では水野美紀演じる刑事の相棒役を演じる。2012年4月より放送のNHK「BS時代劇・陽だまりの樹」では、実在した人物大槻俊斎を演じる。