須原 伸太郎(すはら しんたろう、1970年9月29日 - … 須原 伸太郎(すはら しんたろう、1970年9月29日 - )は、日本の実業家。エスネットワークス共同創業者で、同社代表取締役社長を経て、USEN-NEXT HOLDINGS監査役、キネマ旬報社取締役、ラオックス取締役、ヴィレッジヴァンガードコーポレーション取締役などを歴任し、ファイントゥデイ取締役最高財務責任者。 三重県四日市市生まれ。1989年三重県立四日市高等学校卒業。1992年公認会計士試験合格。1993年一橋大学経済学部卒業。アルバイト生活を経て、同年監査法人トーマツ入社。1996年須原公認会計士事務所設立。1997年マッキャンエリクソン入社。1999年佐藤英志とエスネットワークスを共同設立し、代表取締役副社長に就任。
藤田 健治(ふじた けんじ、1969年8月22日 - )は、… 藤田 健治(ふじた けんじ、1969年8月22日 - )は、日本の実業家。ビープラッツ株式会社創業者・代表取締役社長。元株式会社自主制作コンテンツ出版管理機構代表取締役。 三重県四日市市生まれ。1988年三重県立四日市南高等学校卒業。1992年東京工業大学工学部卒業。同年三井物産に入社し、日本ユニシスやシマンテック等情報技術分野を担当。2002年ライセンスオンラインを設立、同社代表取締役社長就任。 SaaSの時代が来ることを予見し、2006年に三井物産を退社し、ビープラッツを設立。同社代表取締役社長に就任。サブスクリプション支援プラットフォームの提供を手掛け、2018年には東京証券取引所マザーズに上場を果たした。
山口 達也(やまぐち たつや、1962年11月26日 - )… 山口 達也(やまぐち たつや、1962年11月26日 - )は、日本の経営者。有限会社I.L.D取締役。製図試験.com主宰。日本思考特性協会理事。日本BIM普及センター・ディレクター。代表理事。交通事故被害者支援センター理事(2003年4月から2015年8月まで)。NPO法人空き家・空き地相談センター理事。 福島区商店会連盟事務局長、福島お助けネットワーク(有償ボランティアネット)代表、大阪市空き屋対策公募委員会委員。のだふじ巡り実行委員会事務局を歴任。 曽根 徹(ぞね とおる)、龍川 文蔵のハンドルネームも使用する。 三重県四日市市生まれ。名古屋大学教育学部附属高等学校を経て、大阪工業大学建築学科卒業。
樋口 章憲(ひぐち あきのり、1959年11月7日 - )は… 樋口 章憲(ひぐち あきのり、1959年11月7日 - )は日本の実業家。三洋化成工業代表取締役社長。 三重県四日市市出身。三重県立四日市高等学校卒業、東京理科大学大学院工学研究科修了 。2021年6月より三洋化成工業代表取締役社長。
渡邉 信一郎(わたなべ しんいちろう、1954年 - )は、… 渡邉 信一郎(わたなべ しんいちろう、1954年 - )は、日本の地方公務員、鉄道実業家。津市副市長や三重県副知事を経て、伊勢鉄道代表取締役社長。 三重県四日市市生まれ。南山大学経営学部卒業。1977年三重県入庁。三重県農水商工部企画室長を経て、2006年津市助役。2007年津市副市長。三重県政策部長、三重県環境森林部長、三重県農水商工部長を経て、2012年からは新設の三重県危機管理統括監を務めた。2016年4月 同職を稲垣清文と交代し植田隆の後任として三重県副知事。2020年副知事任期満了退任、伊勢鉄道代表取締役社長。2024年、瑞宝中綬章受章。
岡田 元也(おかだ もとや、1951年〈昭和26年〉6月17… 岡田 元也(おかだ もとや、1951年〈昭和26年〉6月17日 - )は、日本の実業家。イオン取締役兼代表執行役会長・イオングループCEO。 イオン創業者で名誉会長の岡田卓也の長男。元衆議院議員で外務大臣、副総理、民進党代表(初代)などを務めた岡田克也、東京新聞政治部部長を務めた高田昌也は実弟。 三重県四日市市出身。 呉服店岡田屋を創業した四日市岡田家の家系図では、8代目当主となっている。 また、イオン岡田家の子会社経営者の息子の岡田尚也と長女がいる。 指名委員会等設置会社となったイオンにおいて、代表執行役社長のほか報酬委員と指名委員を兼務し、2020年5月時点では社外取締役の内永ゆか子や大野恒太郎、ピーターチャイルドらと指名委員会を構成していた。
松下 雋(まつした しゅん、1946年11月7日 - 201… 松下 雋(まつした しゅん、1946年11月7日 - 2013年9月29日)は、日本ガイシ代表取締役社長。中部経済連合会副会長、学校法人名城大学理事。三重県四日市市出身。 愛知県立瑞陵高等学校を経て名古屋大学経済学部卒業。同年、日本碍子(現日本ガイシ)入社。セラミックス事業部長、専務取締役等を経て、2002年代表取締役社長。 2013年9月29日に急性心不全のため死去。66歳没。
転法輪 奏(てんぽうりん すすむ、1929年9月14日 - … 転法輪 奏(てんぽうりん すすむ、1929年9月14日 - 1998年10月3日)は、日本の経営者。大阪商船三井船舶(現在の商船三井)社長を務めた。三重県四日市市出身。 1952年に東京大学経済学部を卒業し、同年に大阪商船に入社。1981年に取締役に就任し、1984年に常務、1985年に専務を経て、1987年に副社長に就任し、1989年には社長に昇格。1994年6月に会長に就任し、1998年に相談役に就任。社長在任時には円高に伴う海運危機の煽りを受けて、大規模なリストラを実施。1995年4月から経済同友会副代表幹事も務めた。 1992年4月に藍綬褒章を受章。 1998年10月3日特発性間質性肺炎のために死去。
服部 正也(はっとり まさや、1918年10月13日 - 1… 服部 正也(はっとり まさや、1918年10月13日 - 1999年11月29日)は、日本の銀行家、実業家。日本人初の世界銀行副総裁。 服部岱三・芳枝夫妻の長男として1918年(大正7年)三重県三重郡三重村(現:四日市市)に生まれる。幼少時は父の海外転勤に従いロンドンで7年間、上海で3年間を過ごした。長崎県の旧制大村中学校、旧制第一高等学校を経て東京帝国大学法学部を卒業。卒業後台湾銀行に入行したがすぐ海軍予備学生となり、海軍大尉としてラバウルで終戦を迎え、そのまま現地で日本人戦犯の弁護人も務めた。 47年復員後日本銀行に入行。1950年フルブライト基金によりミネソタ大学大学院にて留学し財政、金融を学ぶ。
田中 健之助(たなか けんのすけ、1908年 <明治41年>… 田中 健之助(たなか けんのすけ、1908年 <明治41年> 2月7日- 1993年 <平成5年> 1月9日 )は、日本の経営者。位階は正四位。 三重県四日市市出身。1930年に行文行政科に合格し、1931年に東京帝国大学法学部法科を卒業した後に鉄道省に入省した。1952年には日本国有鉄道理事に就任した。 1954年5月に近畿日本鉄道常務に就任し、1961年11月には専務に就任した。一方で、1955年には近畿日本ツーリスト社長に就任した。 1968年5月から1976年6月までに三重交通社長を務め、1976年6月から1978年6月までに防長交通及び防石鉄道社長を務めた。 1971年11月に藍綬褒章を受章し、1978年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。
九鬼 紋十郎(くき もんじゅうろう、1902年(明治35年)… 九鬼 紋十郎(くき もんじゅうろう、1902年(明治35年)6月7日 - 1986年(昭和61年)10月6日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)。九鬼産業グループを経営する四日市九鬼家当主。九鬼紋十郎という名は、本家の九鬼紋七とともに四日市九鬼家で当主が代々襲名していた。三重県四日市市出身。 1902年(明治35年)6月7日に、九鬼水軍の末裔である四日市九鬼家の当主8代目九鬼紋七の実弟の九鬼紋十郎(1869年生まれ、幼名・金松)の長男として誕生した。幼名は九鬼金平。のち九鬼紋十郎を襲名した。父である先代の紋十郎(金松)は先々代紋十郎の養子となり、家業の肥料商と紋十郎の名を継ぎ、四日市米穀株式取引所理事などを務めた多額納税者であった。
平田 佐十郎(ひらた さじゅうろう、1893年(明治26年)… 平田 佐十郎(ひらた さじゅうろう、1893年(明治26年) - 1918年(大正7年)11月11日)は、三重県四日市市出身の実業家。平田家の3代目当主である。2代目平田佐次郎の長男で、佐次郎から一旦平田家の家督を継承し、平田紡績の3代目社長も務めた。スペイン風邪の病死者である。 2代目平田佐次郎とたきの長男として、三重県三重郡富洲原村の富田一色本町(現在の四日市市富田一色地区七軒本町)で出生した。祖父は、平田紡績創業者の初代平田佐次郎である。初代と2代目の親子2代で「平田佐次郎」を襲名していたが、3代目当主は「佐十郎」を名乗った。8男4女の12人兄弟であり、母親の平田たきは吉川家出身で、最後に平田佐貞などの双子の男子を出産をした際に体調が悪化して病死した。
古野 伊之助(ふるの いのすけ、1891年〈明治24年〉11… 古野 伊之助(ふるの いのすけ、1891年〈明治24年〉11月13日 - 1966年〈昭和41年〉4月24日)は「同盟通信社」を運営した日本の通信事業経営者。 1891年11月13日、三重県朝明郡富田村(現在の四日市市)に織物業を営む古野宗七の長男として生まれた。5歳のとき、父が事故で亡くなると一家は経済的に逼迫した。高等小学校を卒業した年に上京。洋品店の小僧、次いで株屋の店員として働きながら神田の国民英学校へ通った。1909年から京橋区瀧山町六番地のAP通信東京支局で給仕として働いた。当時の支局長は元ワシントン・ポスト特派員のジョン・ラッセル・ケネディ(John Russel Kennedy)というアイルランド人であった。
井口 延次郎(いぐち のぶじろう、1882年(明治15年)1… 井口 延次郎(いぐち のぶじろう、1882年(明治15年)1月14日 - 1965年(昭和40年)6月7日)は、明治末から昭和期の実業家・政治家。衆議院議員。 三重県三重郡、のちの四日市町(現四日市市)で、素封家、石材商・井口長右衛門の二男として生まれた。小学校卒業後に上京し、国民英学会で学んだ。 貿易商薩摩商会に入り下積みから始めて次第に信頼を得て、東京本店、大阪支店、旅順出張所などで勤務した。第一次世界大戦時に井口汽船部、弥彦商会、東京海運 (株) を設立して、海運業で巨万の富を築いた。その他、朝日海陸運輸、東洋耐火煉瓦、東洋電業、明光堂などを経営した。 政界にも進出し、1924年(大正13年)5月、第15回衆議院議員総選挙で三重県第2区から政友本党公認で出馬して初当選し、1928年(昭和3年)2月の第16回総選挙でも再選され、衆議院議員に連続2期在任した。
11代 伊藤 伝七(いとう でんしち、1878年(明治11年… 11代 伊藤 伝七(いとう でんしち、1878年(明治11年)10月 - 1960年(昭和35年)6月26日)は、三重県四日市市出身の実業家。三岐鉄道社長や東洋紡績会長、志摩電鉄社長、貴族院議員等を歴任した。10代目伊藤伝七の甥で養子。 1878年(明治11年)10月に10代目伊藤伝七の弟・伝平の子・栄治郎(栄次郎とも)として生まれる。10代目伝七の二女せきの夫となり、伊藤家の家督を相続して11代目伊藤伝七を襲名する。1899年(明治32年)に高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業した。1910年(明治43年)7月に三岐鉄道株式会社の創立委員長となる。藤原岳にセメントの原料となる石灰岩がある事に注目した浅野セメントと小野田セメントの2大企業が、原料の確保とセメント製品の陸上運搬のために鉄道敷設を計画し、「藤原鉄道」と「員弁鉄道」の2つをそれぞれ候補名にして鉄道敷設免許の申請を昭和2年度に三重県に提出した。
九鬼 紋七(くき もんしち、1866年3月10日(慶応2年1… 九鬼 紋七(くき もんしち、1866年3月10日(慶応2年1月24日) - 1928年(昭和3年)3月15日)は、三重県四日市市出身の政治家、また九鬼産業グループを経営する実業家。四日市電灯・三重人造肥料・四日市倉庫社長・東洋紡績取締役・四日市商工会議所副会頭等。四日市の政財界の指導者。四日市九鬼家当主で8代目九鬼紋七を襲名した。国政に進出して衆議院議員(1期)を務める。甥は四日市政財界の大御所であった九鬼紋十郎。家業を継いだ長男・徳三(9代目紋七)も衆議院議員を務めた(妻は外交官市河彦太郎の妹)。 1886年(慶応2年)1月に四日市の中納屋町69番地在住の大地主である四日市九鬼家に誕生する。四日市九鬼家は戦国時代から安土桃山時代に活躍した九鬼水軍の末裔である。
十代目伊藤伝七(じゅうだいめ いとう でんしち、1852年8… 十代目伊藤伝七(じゅうだいめ いとう でんしち、1852年8月9日(嘉永5年6月24日) - 1924年(大正13年)8月12日)は、 明治大正期の企業家。三重県四日市市出身の三重紡績創設者で第2代東洋紡績株式会社社長。三岐鉄道建設に私費を投じて沿線に小野田セメントを誘致した四日市市名誉市民の十一代目伊藤伝七は息子(養子)である。 伊勢国三重郡室山村(現在の三重県四日市市四郷地区)の酒造業の伊藤家に生まれる。母は進士みす。幼名は伊藤清太郎。江戸時代の幕末期に元服して伊藤伝一郎。1883年(明治16年)に父の9代目伊藤伝七が亡くなり、伊藤伝七(10代目)を襲名した。 1879年(明治12年)5月60歳で没した稀代の製糸王伊藤小左衛門 (5代目)の遺志を継いだのは、製糸頭の伊藤小十郎(伊藤小左衛門5代目の子)と、後に紡績王と称される伊藤伝一郎(伊藤伝七10代目、後の伊藤伝七知周)の2人であった。
三輪 猶作(みわ なおさく、1850年7月23日(嘉永3年6… 三輪 猶作(みわ なおさく、1850年7月23日(嘉永3年6月15日)- 1917年(大正6年)9月17日)は、明治から大正前期の地主、実業家、政治家。衆議院議員、四日市市会議長。 伊勢国三重郡浜田村(三重県三重郡四日市町浜田を経て現四日市市)で、大地主、酒造業・三輪嘉平(嘉左衛門)の長男として生まれる。堀木恥堂から漢籍を学んだ。酒造業、肥料商を営む。 1886年(明治19年)頃、三重県酒造改良協会の設立を主導し、専門技術者を招聘して醸造術の近代化を図り、酒造法の改善に貢献した。また、四日市米穀取引所、四日市銀行の設立に尽力し、取引所理事長、銀行2代頭取を務めた。その他、関西鉄道監査役、三重県人造肥料監査役、三重土木取締役、四日市倉庫重役、四日市商業会議所役員なども務めた。
平田 力之助(ひらた りきのすけ、1850年2月21日(嘉永… 平田 力之助(ひらた りきのすけ、1850年2月21日(嘉永3年1月10日)- 1932年(昭和7年)10月1日)は、明治から大正期の農業経営者・実業家・政治家。衆議院議員。 伊勢国朝明郡、のちの三重県三重郡大矢知村(現四日市市)で生まれる。漢学、英学、普通学を学び、1888年(明治21年)慶應義塾を卒業。農業、商業を営む。 大矢知村会議員、学務委員、三重郡会議員、三重県会議員を務めた。一貫して自由党系政党に所属し、地価修正、地租軽減に尽力した。 和波久十郎の失職に伴い、1900年(明治33年)11月に実施された第6回衆議院議員総選挙三重県第3区補欠選挙に出馬して初当選し、その後、第8回まで再選され、衆議院議員に連続3期在任し、この間、政友会院内主事などを務めた。
天春 文衛(あまがす ぶんえい、1847年12月16日(弘化… 天春 文衛(あまがす ぶんえい、1847年12月16日(弘化4年11月9日) - 1927年(昭和2年)8月24日)は、日本の政治家、実業家。帝国議会において、衆議院議員(政友本党所属)や貴族院多額納税者議員を務めた。朝明郡の大地主・天春家の当主。伊勢国三重郡保々村出身(現在の三重県四日市市保々地区出身)。 明治時代から大正時代にかけての政治家で、農事改良や地価改良運動に取り組んだ。 天春文衛は、朝明郡中野村の名門地主の天春家の跡継ぎとして弘化年間に誕生した。朝明郡の中野村は以下の変遷の地方自治体となる。 東京に上京して、島田元林の塾に入塾して学業を積み政治家となった。三重郡保々村の大地主であった。
5代目 伊藤 小左衛門(ごだいめ いとう こざえもん、181… 5代目 伊藤 小左衛門(ごだいめ いとう こざえもん、1819年1月13日(文政元年12月18日) - 1879年(明治12年)5月21日)は、三重県四日市市の企業家。幕末期から明治初期にかけて四日市地域に近代産業を浸透させて、工業都市・四日市市の基礎を作り、貿易を重視して産業の近代化を推進した。幼名は伊藤小四郎、伊藤小平治、諱は伊藤尚長である。六代目伊藤小左衛門は息子で伊藤家の後継者であった。
熊澤 一衛(くまざわ いちえ) 1877年(明治10年)11… 熊澤 一衛(くまざわ いちえ) 1877年(明治10年)11月1日-1940年(昭和15年)2月14日は、三重県四日市市出身の大正時代から昭和時代の戦前期の実業家。歌人。伊勢電鉄社長。『校本萬葉集』刊行を支援した伊勢生まれの実業家である。 1877年(明治10年)11月1日に現在の三重県四日市市河原田地区に生まれる。父が熊澤市兵衛、母が熊澤かと子の長男として生まれている。熊澤家は農家で河原田の旧家で地主であり、代々藤堂氏の津藩の御金御用達の役を務めていた。熊澤市兵衛は幕末に庄屋などを務めており、戊辰戦争で『撒隊士』という身分で東征に従っている。明治になって四日市に帰郷したが、明治時代に若くして三重県会議員になり、河原田村の村長などの名誉職となった。