早瀬 朔(はやせ さく、2007年8月30日 - )は、兵庫… 早瀬 朔(はやせ さく、2007年8月30日 - )は、兵庫県丹波市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。阪神タイガース所属。 丹波市立東小学校2年から西脇ワイルドキッズで野球を始め、丹波市立氷上中学校時代は神戸中央リトルシニアでプレーした。当時は目立った存在ではなかったものの、神村学園高等学校の小田大介監督が目を付けスカウト。同校では1年秋の大会からベンチ入りし、2年春の大会で甲子園初登板を果たした。2年夏の大会では岡山学芸館との3回戦で1失点完投勝利を挙げるなど主軸として活躍し、チームを4強に導いた。3年夏の大会では背番号1を背負いプレーするも、創成館との初戦に敗れた。高校時代の同級生には今岡拓夢がおり、リトルシニアでもチームメイトだった。
上山 元気(うえやま げんき、1993年9月18日 - )は… 上山 元気(うえやま げんき、1993年9月18日 - )は、中京テレビ放送のアナウンサー。 兵庫県丹波市出身。高校生のころからアナウンサー志望で、関西学院大学進学後には大阪のアナウンススクール「セイアカデミー」に通っていた。同スクールの同期である清水康志(IBC岩手放送アナウンサー)は、大学時代からの友人。 大学卒業後の2016年4月に中京テレビへ入社。同期の磯貝初奈とともに、中京テレビ旧社屋(名古屋市昭和区高峯町)時代に入社した最後のアナウンサーとなる。 2023年9月29日、『キャッチ!』のエンディングにて第一子誕生を発表。育児休業のため、翌週から担当番組を休演。 2024年3月 、半年間の育休から復帰。
濱井 正吾(はまい しょうご、1990年11月11日 - )… 濱井 正吾(はまい しょうご、1990年11月11日 - )は、日本のYouTuber、教育ジャーナリスト、ラジオパーソナリティ。 兵庫県丹波市出身。丹波市立和田小学校、丹波市立和田中学校を経て兵庫県立篠山産業高等学校(商業科)を卒業後、推薦入試で合格した大阪産業大学経済学部に進学し、3年次に龍谷大学経済学部現代経済学科へ編入学し卒業。 周囲に大卒者がいない環境で生まれ育った。10歳のとき、父が脳出血で働けなくなり低所得世帯になったことで、高校卒業後にすぐ働きに出るつもりで職業科のある高校へ進む。しかし、高校時代にいじめを受けた経験から、社会的に偉くなって見返したいと思い、奨学金を借りて大学に進学。
荻野 琢真(おぎの たくま、1988年7月28日 - )は、… 荻野 琢真(おぎの たくま、1988年7月28日 - )は、中央競馬・栗東トレーニングセンターの騎手。騎手免許は平地競走、障害競走の両方を所持(ただし障害競走の出走経験はない)。 競馬とは無縁の家庭であった。小学5年生の時に家族で北海道へ旅行に行った際に道を間違えて日高町の牧場に迷い込み、その時にサラブレッドを見て感動し、乗馬を始めた。兵庫県内の乗馬クラブで腕を磨き、2004年4月にJRA競馬学校騎手課程第23期生として入学。2007年2月に競馬学校を卒業し騎手免許を取得する。同期には浜中俊・藤岡康太・丸田恭介らがいる。卒業前の12月16日に中山競馬場で行われた模擬レースでは、丸田に次ぐ2着であった。
小南 泰葉(こみなみ やすは、1983年10月11日 - )… 小南 泰葉(こみなみ やすは、1983年10月11日 - )は、日本の女性シンガーソングライター、作曲家。兵庫県丹波市出身。 10代のころより音楽活動を開始するも20歳のときに活動を中断。5年間の空白を経た後、2008年より大阪を拠点に活動を再開した。再び歌うことを決意したきっかけとしては、ハナレグミ(SUPER BUTTER DOG)の「サヨナラCOLOR」を聴いたことを、挙げている。2012年5月23日にEMIミュージック・ジャパンよりメジャーデビュー。2枚のフルアルバムのリリースなどの活動を経て、2017年3月27日に病気治療のための活動休止を発表した。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。
新木 宏典(あらき ひろふみ、1983年〈昭和58年〉6月1… 新木 宏典(あらき ひろふみ、1983年〈昭和58年〉6月14日 - )は、日本の俳優、タレント。兵庫県丹波市出身。本名および旧芸名は荒木 宏文(読み同じ)。 ワタナベエンターテインメント所属。同事務所の若手男性俳優集団・D-BOYSのメンバーであり、同事務所の音楽ユニット・D☆DATEのリーダー。 2004年7月27日に開催された、第1回D-BOYSオーディションで最終選考まで残る。その後、舞台『ミュージカル・テニスの王子様』のオーディションに受かり、同年12月、鈴木裕樹とともにD-BOYSに加入。 2005年1月、舞台『ミュージカル・テニスの王子様 in winter 2004-2005 side 山吹 feat. 聖ルドルフ学院』に出演し、2代目乾貞治役として活躍、注目を集める。
橋本 亮馬(はしもと りょうま、1982年12月8日 - )… 橋本 亮馬(はしもと りょうま、1982年12月8日 - )は、兵庫県氷上郡氷上町(現・丹波市)出身の元プロ野球選手(投手)。 氷上西高から関西国際大学に進学。4年時に阪神大学リーグで2季連続MVPを獲得し、チームを1部昇格に導いた。独立リーグ 「四国アイランドリーグ」 のトライアウトに応募し合格。2005年に香川オリーブガイナーズに入団。 2010年、18セーブを挙げ最多セーブのタイトルを獲得。リーグ加入6年目で初のタイトルとなったものの、同年11月17日に退団の申し入れが受理され任意引退となった。同年12月17日、横浜ベイスターズに打撃投手として入団したが、2011年のシーズン終了後、解雇された。
パンチィー山内(パンチィーやまうち、1981年7月27日 -… パンチィー山内(パンチィーやまうち、1981年7月27日 - )は、日本の男性元総合格闘家。本名は山内 延浩(やまうち のぶひろ)。兵庫県丹波市出身。総合格闘技道場コブラ会所属。奇抜なコスチュームと入場パフォーマンスが特徴。 総合格闘技道場コブラ会で総合格闘技を始める。 PANCRASE 2006 BLOW TOUR 10.01 大阪・梅田ステラホール大会 フェザー級プロフェッショナル昇格1DAYトーナメントで優勝しプロ昇格を果たす。。 PANCRASE 2007 RISING TOUR 2.04 大阪・梅田ステラホール大会 長谷川孝司(パンクラス稲垣組)戦でデビューを白星で飾る。 PANCRASE 2008 SHINING TOUR 9.7 大阪・アゼリア大正大会ではメインイベントで、藤原大地(パンクラス稲垣組)と対戦し、敗れる。
滝川 直央(たきがわ なお、1977年3月3日 - )は日本… 滝川 直央(たきがわ なお、1977年3月3日 - )は日本のブラジリアン柔術家。グレイシーバッハJAPAN代表。黒帯4段。 1990年代後半から6年間ブラジルで修行し、グレイシーバッハのリオデジャネイロ本部で外国人初のインストラクターを務めた。 2004年に日本人として初めてグレイシーバッハ創立者であるカーロス・グレイシーJr.から黒帯を授与され、2005年兵庫県神戸市にグレイシーバッハJAPANを開設。現在はグレイシーバッハの日本におけるリージョナルディレクターを務める。 “【JBJJF】RIZIN WEST 審判監督を務める滝川直央の柔術人生─01─”. MMA PLANNET. 2018年10月16日. 2020年5月3日閲覧. この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。
笑福亭由瓶(しょうふくてい ゆうへい、1971年5月21日 … 笑福亭由瓶(しょうふくてい ゆうへい、1971年5月21日 - )は、日本の落語家(上方噺家)。所属事務所は松竹芸能。本名∶由良 宏人。血液型はO型。兵庫県丹波市生まれ。兵庫県立柏原高等学校卒業。 『鶴瓶上岡パペポTV』が好きで、食品の営業マンを辞めて1997年10月12日、笑福亭鶴瓶に入門。入門当時は12番弟子。その後瓶太とのり瓶の廃業と笑瓶の死去により2023年10月時点では9番弟子。タレント志望であった。 1998年8月30日、ホテル竹園で当時年2回行っていた鶴瓶一門会「竹園寄席」で初舞台、演目は「二人ぐせ」(鶴瓶の兄弟子である6代目松喬の音源で覚えて、後に鶴瓶が稽古をつけた)。一時期毎日放送の『ちちんぷいぷい』(テレビ)、『MBSヤングタウン日曜日』(ラジオ)のレギュラーだった。
多田 文昌(ただ ふみあき、ただ ぶんしょう、1964年1月… 多田 文昌(ただ ふみあき、ただ ぶんしょう、1964年1月31日 - )は、兵庫県丹波市出身、美術家、篆刻家、art brutの画家。 5歳の時、目の前で父親が事故死したことで世の中が嫌になり10歳まで絵を描くことで現実から逃避する。 10歳から10年間考古学三昧の日々。18歳より写真を始める。 25歳から古典だけを頼りに篆刻を独学。以降7冊の篆刻関連書籍を出版。終始、会派に属さず単独で活動。 1990年(26歳)犬塚博英の事務所に間借りし、広告写真家として独立。 1991年11月『流行通信』安藤昇のポートレートを撮影した折、占の才能を認められ占師として九門社設立に参加。有限会社九門社取締役に就任。
田邉 浩文(たなべひろふみ、1962年3月21日 - )は、… 田邉 浩文(たなべひろふみ、1962年3月21日 - )は、兵庫県氷上郡氷上町(現、丹波市)出身のリハビリテーション研究者。タナベセラピー研究会を主宰。 防衛省在籍中に救命救急士、看護師免許を取得し、自衛隊医療機関で勤務する。主に脳卒中や頭部外傷を患った人の看護を経験する。当時のリハビリテーションは麻痺をはじめとする障害よりも、むしろ残存能力を強化することに焦点を当てた代償的アプローチが常識であった。しかし、実生活の中において麻痺肢を使うことを促すことで、麻痺が改善していくことを多く経験した。なぜ回復を目指さないのか、当時のリハビリテーションに疑問を抱き、作業療法士の国家資格を取得。身体的制約の迂回や代償を患者が学習するのを援助することを目標とした代償的アプローチではなく,脳の可塑的変化を誘発し,麻痺肢そのものを回復する方法論について学ぶために,CIセラピーが誕生したアラバマ大学にて日本人で初めてCIトレーニングコースを履修。
上島 竜兵 (うえしま りゅうへい、1961年1月20日 -… 上島 竜兵 (うえしま りゅうへい、1961年1月20日 - )は、日本のお笑い芸人、俳優。ダチョウ倶楽部の大ボケ担当。本名、上島 龍平(読み同じ)。通称、竜ちゃん(先輩芸人が使用する)または、竜さん(若手芸人などが使用する)。
山内 正和(やまうち まさかず、1958年3月15日 – )… 山内 正和(やまうち まさかず、1958年3月15日 – )は、日本の防衛官僚。 兵庫県丹波市出身。兵庫県立柏原高等学校を経て、東京大学法学部卒業。
野村 勝明(のむら かつあき、1957年2月7日 - )は、… 野村 勝明(のむら かつあき、1957年2月7日 - )は、日本の実業家。シャープ社長兼COO。 兵庫県丹波市出身。兵庫県立柏原高等学校、早稲田大学理工学部卒業後、1981年シャープ入社。経理畑を長く歩み、シャープが経営危機に陥り鴻海の傘下に入った2016年からは戴正呉と二人三脚で経営再建に取り組んできた。 取締役などを経て2017年6月から取締役副社長執行役員。2020年6月、社長に就任。2021年3月、シャープは子会社で不正会計があったと発表。記者会見の場で野村は「管理監督が甘かった。」と謝罪した。2022年6月、社長を退任。
小田 勝美(おだ かつみ、1952年5月6日 - )は、日本… 小田 勝美(おだ かつみ、1952年5月6日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 株式会社ブレイザーズスポーツクラブ常務取締役、堺ブレイザーズ(V・プレミアリーグ所属男子バレーボール部)部長、Vリーグ機構理事、公益財団法人日本バレーボール協会強化事業本部副本部長を歴任。 兵庫県春日町(現・丹波市)出身。 大路中学卒業後、国鉄に勤務する叔父の世話で関西鉄道学園に入学。農林業を営む小田の父は卒業後に息子を国鉄に入れ、将来は地元の駅長にしたいという希望を持っていた。ところが、鉄道学園の近くの松下電器の練習を見学したことをきっかけに、小田はバレーボールに興味を持つようになる。そこで、ファンである新日鉄堺の中村祐造宛に、自分は192cmの身長がありバレーボールをやりたいという内容の手紙を送った。
津田 四郎(つだ しろう、1908年9月8日 - 1965年… 津田 四郎(つだ しろう、1908年9月8日 - 1965年2月23日)は、兵庫県氷上郡柏原町(現:丹波市)出身のプロ野球選手(捕手・内野手・外野手)、プロ野球審判員。 旧制関西中学校卒業後、中国大陸へ渡って満洲電信電話社員として勤務しながらノンプロ野球チームである大連実業團に入ってプレーする。大連実業のメンバーとして第2回全日本都市対抗野球大会(1928年)に出場している。その後、奉天日満実業團へ移ってプレーした。 1934年、日本へ戻ると大日本東京野球倶楽部(現在の巨人軍)結成に加わり、翌年の第一次アメリカ合衆国遠征に参加した。 1936年、第二次アメリカ合衆国遠征に際して田部武雄の後を受けて第3代巨人軍主将に任命される。
深尾 須磨子(ふかお すまこ、1888年〈明治21年〉11月… 深尾 須磨子(ふかお すまこ、1888年〈明治21年〉11月18日 - 1974年〈昭和49年〉3月31日)は、日本の詩人、作家、翻訳家。本名は荻野志げの(おぎの しげの)。 兵庫県氷上郡大路村(現・丹波市)の旧家の生まれ。京都師範学校中退、1907年京都菊花高等女学校卒。与謝野晶子に師事する。大正元年(1912年)詩人で技師の深尾贇之焏と結婚するが、大正9年(1920年)に死別。夫の遺稿集『天の鍵』を出版、その附録に深尾須磨子作として掲載した詩54篇と散文「最終の旅」が処女作となる。 大正14年(1925年)詩集『斑猫』を上梓すると神戸港から箱根丸で初めてフランスに渡り、シドニー=ガブリエル・コレットの知遇を得ている。
深田 千代子(ふかた ちよこ、1887年〈明治20年〉10月… 深田 千代子(ふかた ちよこ、1887年〈明治20年〉10月3日 - 1925年〈大正14年〉1月6日)は、日本の宗教家、円応教教祖。兵庫県氷上郡小川村字井原(現・丹波市山南町井原)出身。法名は「慈照院圓應智覺大姉(じしょういんえんのうちかくだいし)」。 1887年(明治20年)10月3日、兵庫県氷上郡小川村字井原(現・丹波市)の茶屋店主深田難吉・カルの長女として生まれた。千代子は家計を助けるため子守り奉公などをして育ち、1907年(明治40年)に笹倉三治と結婚。翌1908年(明治41年)3月25日には長男の長治(1908年3月25日 - 1976年(昭和51年))4月3日)を儲けるも、同年、三治が旅先で金品を奪われ毒殺されるという不幸に見舞われ、1909年(明治42年)、長治を深田家に残し、村に巡業に来た旅役者の河合静雄と大阪市で再婚した。
佐々井 一晁(ささい いっちょう / かずあきら、1883年… 佐々井 一晁(ささい いっちょう / かずあきら、1883年(明治16年)2月22日 - 1973年(昭和48年)1月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。本名・佐々井晁次郎。 兵庫県氷上郡、のちの葛野村(現丹波市)で生まれる。1909年神戸市バルモーア英学院高等部卒。卒業後は逓信書記官補、小学校教員、内務省社会局、中央教化団体連合会の各嘱託などを務める。その後、大日本党を組織し、主宰となり、引き続き同党をやまとむすびと改称し、主宰を務めた。1942年の総選挙(いわゆる翼賛選挙)では兵庫5区から非推薦で立候補して当選する。同選挙区では1940年に衆議院で「支那事変処理中心とした質問演説」(いわゆる反軍演説)を行ったために議会を除名された斎藤隆夫も非推薦で立候補してトップ当選し、この選挙区では定員3名のうち2名が大政翼賛会の推薦を受けなかった非推薦の候補が当選した数少ない選挙区となった。
西山 泊雲(にしやま はくうん 1877年4月3日 - 19… 西山 泊雲(にしやま はくうん 1877年4月3日 - 1944年9月15日)は、兵庫県出身の俳人。本名亮三。 兵庫県竹田村(現丹波市)生。酒造家西山騰三の長男。弟は野村泊月で、泊月の紹介で高浜虚子に師事した。酒造業を継いだが、青年期には神経衰弱に陥り家出や自殺未遂を経験。また家業が不振となった折には、虚子がその醸造酒を「小鼓」と命名し、「ホトトギス」に何度も広告を出して再興を助けた。 鈴木花蓑と並び「ホトトギス」沈滞期を代表する作家で同誌巻頭を28回取っているが、山本健吉は(花蓑と比べても)「泊雲のほうがより没主観の写生主義であり、句柄も鈍重で冴えたところがない」としている(『定本現代俳句』「鈴木花蓑」の項)。
蘆田 慶治(あしだ けいじ、1867年11月18日(慶応3年… 蘆田 慶治(あしだ けいじ、1867年11月18日(慶応3年10月23日) - 1936年(昭和11年)8月18日)は、戦前日本のキリスト教神学者。 丹波国氷上郡鴨内村(現在の兵庫県丹波市氷上町鴨内)生まれ。幼時に家事の都合で京都に移り、京都府立中学校を卒業する。 1888年(明治21年)に大阪の南美以教会でJ.W.ランバスから洗礼を受け、翌年関西学院神学部に入学する。卒業後の1898年(明治31年)にアメリカへ渡り、ヴァンダービルト大学とイェール大学で学ぶ。1902年(明治35年)に帰国して関西学院神学部で教鞭をとったが、1909年(明治42年)に同志社神学校に移る。間もなく同志社から再び渡米してハーバード大学で研究を重ねる。
松本 剛吉(まつもと ごうきち、文久2年8月8日(1862年… 松本 剛吉(まつもと ごうきち、文久2年8月8日(1862年9月1日) – 昭和4年(1929年)3月5日)は、衆議院議員、貴族院議員。旧名は松元剛吉。『松本剛吉政治日誌』で知られる。 丹波国氷上郡柏原町(現在の兵庫県丹波市)に、今井源左衛門の四男として生まれ、松元十兵衛の養子となった。中村正直の同人社に学んだ。1884年(明治17年)に、神奈川県警部に任命され、埼玉県警部、逓信属を歴任し、1894年(明治27年)に退官した。その後、第1次大隈内閣で林有造逓信大臣の秘書官となり、第4次伊藤内閣でも林農商務大臣の秘書官を務めた。 1904年(明治37年)、第9回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は4回を数えた。
中川 幸太郎(なかがわ こうたろう、1861年1月29日(万… 中川 幸太郎(なかがわ こうたろう、1861年1月29日(万延元年12月19日)- 1940年(昭和15年)8月1日)は、明治から昭和前期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、兵庫県氷上郡久下村長。 丹波国氷上郡谷川村(兵庫県氷上郡久下村谷川、山南町谷川を経て現丹波市山南町谷川)で、農業、製油業・中川音蔵の長男として生まれる。1884年(明治17年)3月、家督を相続し、農業、製油業、鉱業を営む。 1882年(明治15年)4月、太田村外17ヶ村戸長役場用掛に就任。以後、氷上郡町村連合会議員、同郡全町村組合会議員を歴任。1893年(明治26年)5月、久下村長に就任し1903年(明治36年)8月まで在任。
田 健治郎(でん けんじろう、1855年3月25日〈安政2年… 田 健治郎(でん けんじろう、1855年3月25日〈安政2年2月8日〉- 1930年〈昭和5年〉11月16日)は、日本の官僚、政治家、華族(男爵)。幼名は梅之助、号は譲山。衆議院議員・貴族院議員(勅選)・逓信大臣・司法大臣・農商務大臣・台湾総督・枢密顧問官等を歴任。田艇吉(衆議院議員)は兄。田英夫(参議院議員)は孫。また先祖に元禄時代の女流俳人田捨女がいる。 丹波国氷上郡柏原藩領の下小倉村(現在の兵庫県丹波市柏原町下小倉)に田文平の子として生まれる。健治郎の家は代々大庄屋を務めた豪農であった。幼時には強健・腕白で、虚弱だった兄・艇吉がケンカに負けるとその仕返しに出向いたという逸話が残っている。 1874年(明治7年)に上京し、同郷の先輩の紹介で熊谷県の下級吏員に採用、翌年に愛知県に移り、名古屋裁判所安濃津支庁(現三重県津市)の糺問係に就いた。
田 艇吉(でん ていきち、1852年10月18日〈嘉永5年9… 田 艇吉(でん ていきち、1852年10月18日〈嘉永5年9月6日〉- 1938年〈昭和13年〉11月17日)は、日本の政治家、実業家。号は楓軒、松鶴。 丹波国氷上郡柏原藩領の下小倉村(現在の兵庫県丹波市柏原町下小倉)にて、農家の田文平の長男として生まれる。8歳より村医だった長沢順方に師事して読み書きを学ぶ。12歳の時に小島省斎に入門。父親の病のため、13歳でその代理を務める。学問を修めた後、1870年(明治3年)には19歳で村総代となった。20歳で家督相続。 1879年(明治12年)、第一期兵庫県会議員に当選。氷上郡書記、氷上郡長などを歴任の後、1891年(明治24年)に衆議院議員に当選(以後衆議院議員として当選4回)。
植木 致一(うえき ちいち、1849年5月5日(嘉永2年4月… 植木 致一(うえき ちいち、1849年5月5日(嘉永2年4月13日) - 1906年(明治39年)8月16日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 丹波国氷上郡和田村(のち兵庫県氷上郡和田村、山南町を経て現丹波市)生まれ。1872年、豊岡県教員伝習所(のち兵庫県師範学校、現・神戸大学教育学部)卒。農業を営み、和田村成章小学校教員兼校長、兵庫県会議員、氷上郡蚕糸業組合長、兵庫県茶業組合会議員、和田村長、同村会議員、町村組合会議員となる。 1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙において兵庫県第3区から自由党公認で立候補したが38票差で落選。同年8月の第6回衆議院議員総選挙では兵庫県第3区から憲政党公認で立候補して当選した。
小島 省斎(こじま しょうさい、文化元年8月11日〈1804… 小島 省斎(こじま しょうさい、文化元年8月11日〈1804年9月14日〉 - 1884年〈明治17年〉6月6日)は、丹波国氷上郡佐治(現在の兵庫県丹波市青垣町佐治)生まれの儒学者、漢学者である。 1858年(安政5年)に完成した柏原藩の藩校、崇廣館の建設を柏原藩主に提案した人物。柏原藩の藩政改革に寄与し、「丹波聖人」のひとりと称えられる。 文化元年(1804年)、丹波国氷上郡佐治(現在の兵庫県丹波市青垣町佐治)に生まれた。省斎は号で、本名は慎・駟、字は思之・伯輿、通称は四郎兵衛や忠太などと呼ばれた。生家は煙草屋で、自身もたばこを刻んで売りさばいていた。省斎は幼い頃からたいそう利発なことで知られ、西往寺の住職は、出家をするよう促したが、従わなかった。
春日局/斎藤福(かすが の つぼね/さいとう ふく、天正7年… 春日局/斎藤福(かすが の つぼね/さいとう ふく、天正7年〈1579年〉 - 寛永20年9月14日〈1643年10月26日〉)は、安土桃山時代から江戸時代前期の江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母。「春日局」とは朝廷から賜った称号である。 父は美濃国の名族斎藤氏(美濃守護代)の一族で明智光秀の重臣であった斎藤利三、母は稲葉良通(一鉄)の娘である稲葉安、又は稲葉一鉄の姉の娘・於阿牟、養父は稲葉重通。稲葉正成の妻で、正勝・正定・正利の母。養子に堀田正俊。 江戸城大奥の礎を築いた人物であり、松平信綱・柳生宗矩と共に家光を支えた「鼎の脚」の一人に数えられた。また、朝廷との交渉の前面に立つ等、徳川政権の安定化に寄与した。
浅葉 智/Tomo Asaha(あさは とも、9月29日 -… 浅葉 智/Tomo Asaha(あさは とも、9月29日 - )は、ロサンゼルス在住の音楽家、ギタリスト、作曲家、モデル、声優。兵庫県丹波市出身、血液型はO型。愛猫はCeil(シエル)、Hanzo(ハンゾー)。 兵庫県丹波市生まれ。高校生の頃からギターを弾き始め、その後すぐに大阪を中心にライブ活動を開始。日本での様々な音楽活動を経て、2006年に多国籍バンドechostreamのギタリストとしてアメリカ合衆国へ移住。以降欧米圏のイベントに数多く出演。コートニー・コックス主演のドラマ「ダート」にechostreamで3曲タイアップされている。 2009年のアニメ・エキスポ出演以降は個人や、MOON STREAMでの露出が増加。
二葉 ゆゆ(ふたば ゆゆ、2月26日 - )は、宝塚歌劇団宙… 二葉 ゆゆ(ふたば ゆゆ、2月26日 - )は、宝塚歌劇団宙組に所属する娘役。 兵庫県丹波市、市立青垣中学校出身。身長163cm。愛称は「ゆゆ」。 2015年4月、宝塚音楽学校入学。 2017年3月、宝塚歌劇団に103期生として入団。入団時の成績は28番。雪組公演「幕末太陽傳/Dramatic “S”!」で初舞台。その後、花組に配属。 2025年3月、「儚き星の照らす海の果てに」でバウホール公演初ヒロイン。 2025年4月4日付で花組から宙組へ組替え。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役)
多川 響子(たがわ きょうこ)は日本のピアニスト。京都情報大… 多川 響子(たがわ きょうこ)は日本のピアニスト。京都情報大学院大学教授。 兵庫県丹波市出身。京都市立芸術大学音楽学部卒、同大学大学院音楽研究科修了。ドイツ・ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学卒業。小原久幸、馬場和世、上野真、ペーター・レーゼル、田崎悦子に師事。毎年積極的にソロリサイタルを行い、2009年から大阪・京都で開催した「ベートーヴェンピアノソナタ完全全曲演奏会〜35のソナタ〜」は日本経済新聞をはじめ、各紙に取り上げられ好評を得る。 バロックから近現代まで幅広いレパートリーを持ち、NHK交響楽団首席奏者、ブラショフフィルハーモニー、オラデアフィルハーモニー、ハーモニアス管弦楽団など国内外の演奏者・オーケストラと数多く共演。
洋介犬(ようすけん)は、日本の漫画家。兵庫県丹波市出身、京都… 洋介犬(ようすけん)は、日本の漫画家。兵庫県丹波市出身、京都府在住。男性。 商業媒体でのペンネームとしてうえやま洋介犬(うえやまようすけ)を用いていたが、2013年4月以降より「洋介犬」に統一している。 子供のころから漫画家を目指し、4コマギャグ漫画家としてデビューするが、怪談と戦国史が好きで、20代後半ごろに取材やインターネットで募集した実話怪談や創作怪談をショートホラー漫画や幽霊画として発表するブログ『誘怪犯』(現『イヌギキ』)を開設、ホラージャンルに転身したところ、1日3万HITの人気ブログとなり、2007年にはブログ漫画と描きおろし作をまとめた単行本『誘怪犯』が発行された。ブログを継続しながら、ネットでは講談社『MiChao!』にて『ヤミツキ 〜いのりの心霊日記〜』を連載配信、紙媒体でも数々のホラー系の雑誌で活動している。