仲 章伸(なか あきのぶ、1969年 - )は、日本の化学者… 仲 章伸(なか あきのぶ、1969年 - )は、日本の化学者(有機ケイ素化学)。学位は博士(工学)(広島大学・1995年)。 倉敷芸術科学大学生命科学部教授。 1969年、和歌山県田辺市生まれ。倉敷芸術科学大学産業科学技術学部助手、ウイスコンシン大学化学科博士研究員、倉敷芸術科学大学生命科学部助教授などを歴任した。 1987年3月 和歌山県立田辺高等学校卒業 1987年4月 広島大学工学部第3類(化学系)入学 1991年3月 同上 卒業 1991年4月 広島大学大学院工学研究科博士課程前期入学 1993年3月 同上 修了 1993年4月 広島大学大学院工学研究科博士課程後期進学 1994年4月~1995年3月 日本学術振興会特別研究員採用(DC) 1995年3月 広島大学大学院工学研究科博士課程後期修了 博士(工学) 1995年4月~1996年3月 日本学術振興会特別研究員(PD)(広島大学) 1996年4月 倉敷芸術科学大学産業科学技術学部助手 1999年4月 倉敷芸術科学大学産業科学技術学部講師 2003年4月 倉敷芸術科学大学産業科学技術学部助教授 2003年10月~2004年9月 ウイスコンシン大学マディソン校化学科(Robert West 教授)博士研究員 2005年10月 第10回ケイ素化学協会奨励賞 受賞 2008年4月 倉敷芸術科学大学生命科学部教授 2018年6月 平成29年度ウエスコ財団優秀研究者賞 受賞
澤邉 紀生(さわべ のりお、1966年6月24日 - )は、… 澤邉 紀生(さわべ のりお、1966年6月24日 - )は、日本の会計学者。京都大学経営管理大学院副院長。京都大学経営管理大学院・大学院経済学研究科教授。本山美彦(京都大学名誉教授)・高寺貞男(京都大学名誉教授)の弟子。和歌山県田辺市出身。
杉若 弘子(すぎわか ひろこ、1964年 - )は、日本の心… 杉若 弘子(すぎわか ひろこ、1964年 - )は、日本の心理学者。専門は臨床心理学。同志社大学心理学部教授。 和歌山県田辺市生まれ。1988年千葉大学教育学部教育心理学専修卒業。1990年広島大学大学院生物圏科学研究科博士課程前期環境計画科学(行動系)専攻修了、学術修士。1993年広島大学学院生物圏科学研究科博士課程後期環境計画科学(行動系)専攻単位取得退学。 1993年早稲田大学人間科学部助手。1995年奈良教育大学教育学部助教授。2001年広島大学博士(人間科学)。2005年奈良市総合計画審議会委員。2006年同志社大学文学部教授、奈良県男女共同参画審議会委員。2007年日本健康心理学会理事、日本行動療法学会理事。
畑尻 剛(はたじり つよし、1950年8月30日 - 202… 畑尻 剛(はたじり つよし、1950年8月30日 - 2023年1月20日)は、日本の憲法学者。中央大学名誉教授。指導教官は川添利幸。和歌山県田辺市出身。
丸田 隆(まるた たかし、1949年6月14日 - )は、日… 丸田 隆(まるた たかし、1949年6月14日 - )は、日本の弁護士・法学者。学位は、法学博士(論文博士・1990年)(学位論文「アメリカ陪審制度研究 ジュリー・ナリフィケーションを中心に」)。関西学院大学名誉教授。専門は、アメリカの陪審制度を中心に、裁判制度への市民参加。 和歌山県田辺市生まれ。関西学院大学法学部卒、同大学院法学研究科修了、1990年「アメリカ陪審制度研究 ジュリー・ナリフィケーションを中心に」で法学博士の学位を取得。ミシガン・ロー・スクール大学院修了(LL.M.)。1981年甲南大学法学部助教授、1988年同教授、1996年関西学院大学法学部教授、2004年関西学院大学法科大学院(ロースクール)教授。
松澤 佑次(まつざわ ゆうじ、1941年10月18日 - )… 松澤 佑次(まつざわ ゆうじ、1941年10月18日 - )は、日本の医学者。住友病院名誉院長・最高顧問。元大阪大学医学部附属病院 病院長、大阪大学名誉教授。アディポネクチンの発見者であり、「メタボリックシンドローム」の提言者としても知られる。和歌山県田辺市出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
寄本 勝美(よりもと かつみ、1940年4月9日 - 201… 寄本 勝美(よりもと かつみ、1940年4月9日 - 2011年3月28日)は、日本の行政学者・環境政策学者。 和歌山県田辺市生まれ。1964年、早稲田大学政治経済学部卒業。1967年、早稲田大学政治経済学部助手。1970年、早稲田大学大学院政治学研究科博士課程単位取得退学。1978年、早稲田大学政治経済学部教授。1983年から85年までピッツバーグ大学客員教授。1994年、京都大学博士(法学)。博士論文は「自治の形成と市民:ピッツバーグ市政研究」。 早稲田大学政治経済学部学生担当教務主任、政治経済学部長(1994年~1998年)、常任理事(1998年~2001年)等を歴任。専攻は、行政学、地方自治論、環境政策。
藤堂 恭俊(とうどう きょうしゅん/やすとし、1918年11… 藤堂 恭俊(とうどう きょうしゅん/やすとし、1918年11月19日 - 2000年12月14日)は、浄土宗僧侶・仏教学者。 和歌山県田辺市出身。父は藤堂祐範。大正大学仏教学科卒、1944年同研究科修了。1979年「日中浄土教思想史の研究」で佛教大学文学博士。佛教大学助教授、教授。1989年定年、名誉教授。浄土宗大本山知恩院浄土宗学研究所研究員、増上寺法主。
那須 宗一(なす そういち、1914年3月9日 - 1990… 那須 宗一(なす そういち、1914年3月9日 - 1990年9月10日)は、日本の社会学者。中央大学名誉教授。元淑徳大学学長。専門は、老人社会学、社会病理学、犯罪社会学。 和歌山県田辺市生まれ。1934年大阪府立浪速高等学校卒業。1937年東京帝国大学文学部社会学科卒業。1951年東洋大学文学部助教授、1953年中央大学文学部教授に就く。1958年中央大学文学部教授、1966年経済企画庁国民生活審議会委員、1972年東京都老人総合研究所副所長、日本老年学会理事、日本老年社会科学会会長。1984年中央大学を定年退職、名誉教授。淑徳大学学長。同学長在職中に死去。
西 律(にし りつ、1909年〈明治42年〉8月20日 - … 西 律(にし りつ、1909年〈明治42年〉8月20日 - 1983年〈昭和58年〉4月30日)は和歌山県の政治家・郷土史家。和歌山県東牟婁郡四村の村長、本宮町町議会議員をつとめた。政治家の職を退いた後、熊野九十九王子の調査に従事した。 西は1909年(明治42年)8月20日、和歌山県東牟婁郡四村(和歌山県田辺市本宮町)に生まれた。新宮中学校を中退した後、家業の林業に一時従事したが、陸軍に入隊し、郷里を出た。第二次大戦中は満州で軍役に就いたが、敗戦とともにソ連に抑留され、1949年(昭和24年)に帰国した。帰国後、1949年から四村の村長に就任し、水害にあった村の復旧など、政治家としての手腕を振るったが、1951年(昭和31年)に四村ほかいくつかの町村が合併して本宮町が成立する際の町長選で落選した。
小川 琢治(おがわ たくじ、明治3年5月28日(1870年6… 小川 琢治(おがわ たくじ、明治3年5月28日(1870年6月26日) - 昭和16年(1941年)11月15日)は、日本の地質学者・地理学者。学位は、理学博士(京都帝国大学・論文博士・1909年)。京都帝国大学名誉教授。 1870年に紀伊国田辺藩(現:和歌山県田辺市)で田辺藩儒学者・浅井篤(南溟)の次男として生まれる。満5歳となる1875年、現在の和歌山市に移る。父の私塾の転遷に伴い紀ノ川筋の村々に居住する。学制の制定(1872年:明治5年)後であったが小学校には通わなかった。 1883年、父が有田郡広村の耐久社に招かれた。その縁で書庫に自由に出入りし、そこで多数の漢籍を読むことができた。満14歳となる1884年に和歌山中学校に入学。
南方 熊楠(みなかた くまぐす、1867年5月18日〈慶応3… 南方 熊楠(みなかた くまぐす、1867年5月18日〈慶応3年4月15日〉 - 1941年〈昭和16年〉12月29日)は、日本の博物学者・生物学者・民俗学者。 生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集も行なっていた。そうした調査に基づいて生態学(ecology)を早くから日本に導入した。 1929年には地元で、昭和天皇に進講し、粘菌標品110種類を進献している。 民俗学研究上の主著として『十二支考』『南方随筆』などがある。その他にも、投稿論文、ノート、日記のかたちで学問的成果が残されている。 フランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、英語、スペイン語に長けていた他、漢文の読解力も高く、古今東西の文献を渉猟した。
宇井 可道(うい よしみち、天保8年8月26日(1837年9… 宇井 可道(うい よしみち、天保8年8月26日(1837年9月25日) - 1922年(大正11年)12月10日)は日本の国学者、歌人、民俗学者。紀伊国牟婁郡上三栖村庄屋・村長、紀伊田辺藩貧院頭取、和歌山県西牟婁郡職員、田辺銀行支配人。熊代繁里に国学を学び、晩桜社を主催し、郷土の民話を採取した。 天保8年(1837年)8月26日紀伊国牟婁郡上三栖村に生まれた。弘化4年(1847年)5月坂本弥平や兄勝之助に習字、児島熊仙に漢籍を学んだ。安政4年(1857年)8月兄が死去すると、10月嗣子となり、文久元年(1861年)4月上三栖村庄屋に就任した。 慶応3年(1867年)1月紀伊田辺藩士熊代繁里に入門し、明治5年(1872年)4月まで田辺まで2里の道程を通学し、国学・和歌を学んだ。
鳥山 啓(とりやま ひらく、天保8年3月25日(1837年4… 鳥山 啓(とりやま ひらく、天保8年3月25日(1837年4月29日) - 大正3年(1914年)2月28日)は、紀伊田辺藩(現和歌山県田辺市)出身の博物学者、教育者、作詞家。南方熊楠の恩師であり、「軍艦(軍艦行進曲)」の作詞者としても知られる。 天保8年3月25日(1837年4月29日)、田辺の大庄屋田所佐平の次男として生まれる。幼名は象次郎。名を為助、字を明郷とした。田辺藩士鳥山純昭の養子となり、藩主安藤直裕の近従として召し出される。8歳の頃から真砂丈平から漢学を、医師石田三郎から本草学を学び、15歳からは和歌山に出て本居内遠と熊代瑞穂に就き国学を修め、その傍らで天文学や科学、地理学、英学なども幅広く学んだ。