金兒 英夫(かねこ ひでお、1954年〈昭和29年〉11月5… 金兒 英夫(かねこ ひでお、1954年〈昭和29年〉11月5日 - )は、日本の政治家、元地方公務員。鳥取県八頭郡智頭町長(2期)。 鳥取県八頭郡智頭町出身。鳥取大学農学部卒業。1979年、智頭町役場に採用された。 役場内では、総務課長、企画戦略課長、農業委員会事務局長、福祉課長、税務住民課長、水道課長などの要職を歴任。退職後は智頭町副町長を務め、長年にわたり町政と教育行政の双方に深く携わった。 2020年(令和2年)6月2日、任期満了に伴う智頭町長選挙が告示され、立候補。元町議の新人を破って初当選した。同年6月16日に町長に就任。 2024年(令和6年)5月28日、任期満了に伴う町長選挙が告示。
大坪 弘道(おおつぼ ひろみち、1953年 - )は、日本の… 大坪 弘道(おおつぼ ひろみち、1953年 - )は、日本の元検察官、弁護士。法務省保護局総務課長、大阪地方検察庁特別捜査部長、京都地方検察庁次席検事等を歴任していたが、2010年9月10日に表面化した大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件において、大阪地検特捜部当時の部下であった元副部長・佐賀元明及び元検事・前田恒彦とともに逮捕・起訴され、1審、2審ともに有罪判決を言い渡された。また、法務大臣からは懲戒免職の処分を受けた。 2013年に確定した判決は懲役1年6月、執行猶予3年。執行猶予期間終了とともに法曹資格を回復。2017年、大阪弁護士会に弁護士登録を申請したものの批判が厳しく、申請取り下げと拒否を経て弁護士登録がかない、元受刑者の就職支援に携わっている。
福士 敬章(ふくし ひろあき、本名:張 明夫(チャン・ミョン… 福士 敬章(ふくし ひろあき、本名:張 明夫(チャン・ミョンブ)、ハングル:장명부、1950年12月27日 - 2005年4月13日)は、鳥取県八頭郡智頭町出身のプロ野球選手(投手)。在日韓国人。登録名は1978年まで松原 明夫、1979年は福士 明夫。
國本 良博(くにもと よしひろ、1949年〈昭和24年〉12… 國本 良博(くにもと よしひろ、1949年〈昭和24年〉12月25日 - )は、静岡県内で活動するフリーアナウンサー。元静岡放送(SBS)アナウンサー。 鳥取県智頭町出身。血液型O型。 亜細亜大学を卒業し、1973年に静岡放送(以降SBSと表記)へ入社後、SBSのテレビ・ラジオの両方でアナウンサーとパーソナリティーを務める。2009年12月25日にSBSを定年により退社し、以後も引き続きパーソナリティーとしてSBSの番組に出演。2013年3月まで『GOGOワイド くんちゃんのらぶらじ』に出演した。 ニックネームはヤング向けDJ番組の担当当初は名字から「クニちゃん」であったが、局アナ時代の後輩・荻島正己が「言いにくい」との理由から「クンちゃん」と変更し、浸透していったものである。
米原 正博(よねはら まさひろ、1932年(昭和7年)7月3… 米原 正博(よねはら まさひろ、1932年(昭和7年)7月30日 - 2009年(平成21年)10月19日)は、日本の実業家。日ノ丸総本社会長、鳥取商工会議所会頭などを務めた。 鳥取県八頭郡智頭町出身。 1955年、成城大学経済学部卒業後、日本生産性本部に勤務。1961年日本青年会議所専務理事。1969年日本オリンピック委員会副会頭、のち会頭。 1976年、日ノ丸総本社の社長に就任し、日ノ丸自動車、鳥取大丸などグループ各社の経営にあたった。1990年から13年間にわたって鳥取商工会議所会頭を務め、JR山陰本線の高速化や鳥取環境大学の開学に尽力した。 2009年10月19日死去。死因は非公表。翌20日に、近親者による密葬を経て、11月25日、社長でもあったホテルニューオータニ鳥取で「お別れの会」が行われた。
河野 眞(こうの まこと、1925年3月31日 - 2011… 河野 眞(こうの まこと、1925年3月31日 - 2011年6月5日)は、日本の倫理学者。広島大学名誉教授。 鳥取県八頭郡智頭町出身。1951年広島文理科大学哲学科卒業、同助手。1962年「シェリングにおける現実的世界の実践的構造」で広島大学文学博士。1965年広島大助教授、1974年教授、文学部長、1988年定年退官、名誉教授、安田女子大学教授、1989年副学長、1990年学長。2004年退任。同年秋、瑞宝中綬章受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大呂 甚衛(おおろ じんえ、明治45年(1912年)1月11… 大呂 甚衛(おおろ じんえ、明治45年(1912年)1月11日 - 没年不明)は日本の素封家、政治家。元智頭町会議員。林業。岡田商店の元社長岡田端の義父。 鳥取県八頭郡山形村大呂(現智頭町)出身。日大法科卒業。 広大なる山林を領有しその保全に専念、傍ら多くの公職を兼任。農協役員、神社庁八頭郡氏子総代、智頭町会議員、八頭郡小学校PTA連合会長、地方教育委員八頭連絡協議会長等を歴任。 趣味は読書。宗教は黒住教。住所は鳥取県八頭郡智頭町字大呂。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
米原 昶(よねはら いたる、1909年(明治42年)2月7日… 米原 昶(よねはら いたる、1909年(明治42年)2月7日 - 1982年(昭和57年)5月31日)は、日本の政治家。衆議院議員(日本共産党公認、3期)。日本共産党幹部会委員。 鳥取県八頭郡智頭町生まれ。智頭は江戸時代は因幡街道の宿場町・智頭宿として栄え、実家は代々「もめんや」の屋号で呉服類や小間物の商いをしていた。旧制の鳥取中学(現在の鳥取西高)を経て旧制一高に入学するも、学生運動に携わったことで放校処分が下る。一高在学中より27年テーゼや社会科学研究会などを通じて日本共産党への関心を深め、弘世 哲夫の変名で地下活動をおこない、1945年、第二次世界大戦の敗戦と民主化により合法化された同党へ入党。
石谷 憲男(いしたに のりお、1908年(明治41年)1月1… 石谷 憲男(いしたに のりお、1908年(明治41年)1月10日 - 1966年(昭和41年)9月20日)は、昭和期の農林官僚、政治家。林野庁長官、参議院議員。鳥取県会議長を務めた石谷源蔵の孫。 鳥取県八頭郡智頭町出身。 1931年(昭和6年)東京帝国大学農学部卒業後、農林省に入り、秋田営林局を最初に一貫して林政に努め、鳥取営林署長も務めた。以後、経済安定本部林産課長、林野庁計画課長、同業務部長などを歴任。1955年(昭和30年)11月、林野庁長官に就任し1958年(昭和33年)6月まで在任した。 1959年(昭和34年)6月、第5回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で立候補して当選し1期在任。
安住 實治(あずみ さねじ、1893年〈明治26年〉12月2… 安住 實治(あずみ さねじ、1893年〈明治26年〉12月25日 - 没年不明)は、日本の政治家、会社役員。 鳥取県八頭郡那岐村大字奥本(現・智頭町)出身。安住房吉の庶子。家業の農業に従事する。1914年に舞鶴砲兵大隊に入隊し1916年に上等兵に進級、帰休退営する。在郷軍人那岐村分会理事、或いは分会長に就任する。 1929年、砲兵伍長に任官し、また同年に那岐村長に就任、1932年、辞任する。那岐村農会長、自治会長をつとめる。1933年、那岐村会議員に選任される。 那岐運送取締役である。 那岐村の有力者として知られる。不言実行の人である。1922年に刊行された『八頭鳥取地価表 弐百円以上』によると、地価所有高は「666円32銭」である。
国米 泰石(こくまい たいせき、1879年1月1日 - 19… 国米 泰石(こくまい たいせき、1879年1月1日 - 1957年12月30日)は、鳥取県八頭郡智頭宿(現・智頭町)出身の仏像修復師(仏師)。墓所は智頭町の興雲寺。 約50年に渡って仏像の修復などに携わり、16府県の95以上の神社・寺院にある約320の仏像修復を手掛けた。「今日の日本の国宝・重要文化財の仏像の命脈は泰石によって保たれた」と称されている。 1879年(明治12年)1月1日、鳥取県八頭郡智頭宿(現・智頭町)に生まれた。父は狩野派の画家である小林桃渓(国米善太郎)、母は諏訪神社の小林正広神主の長女八重野であり、泰石は次男だった。なお、鳥取市が刊行した『鳥取市七十年 市史』では国米泰石が「本市出身」とされている。
安住 忠治(あずみ ちゅうじ、1878年〈明治11年〉8月2… 安住 忠治(あずみ ちゅうじ、1878年〈明治11年〉8月24日) - 没年不明)は、日本の政治家。 鳥取県八頭郡那岐村大字奥本(現・智頭町)出身。安住房五郎の長男。小学校を卒業する。農業を営む。 収入役に選ばれる。1917年、村会議員に当選する。1918年、助役となる。1919年、郡会議員に選出、同時に参事会員となる。 有限責任那岐信用購買販売組合理事である。 那岐村に於ける有力家である。1922年に刊行された『八頭鳥取地価表 弐百円以上』によると、地価所有高は「1460円64銭」である。趣味は政治、植林。住所は鳥取県八頭郡那岐村大字奥本。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
安住 伊三郎(あずみ いさぶろう、1867年2月27日〈慶應… 安住 伊三郎(あずみ いさぶろう、1867年2月27日〈慶應3年1月23日〉 - 1949年〈昭和24年〉8月31日)は、日本の実業家。安住大薬房社長。タイ王国名誉領事。幼名は猪之助。 鳥取県八頭郡那岐村大字奥本(現・智頭町)出身。安住文四郎の二男。家が貧しかったため縄をない、自ら学資をつくる。 1897年、兄瀧蔵方より分れて一家を創立する。岡山県真島郡落合町の酒造家・木村良江に養われる。13歳の頃、鳳鳴社という塾に入り、進昇山に就き、漢籍を学ぶ。 1888年、22歳の頃に大阪の安東久次郎の薬舗の店員となり、5年後自ら独立して売薬業を営む。1893年、幼名猪之助に因む猪印のノミ取粉と安住蚊取り線香の製造販売を創める。
石谷 伝四郎(石谷 傳四郎、いしたに でんしろう、1866年… 石谷 伝四郎(石谷 傳四郎、いしたに でんしろう、1866年6月12日(慶応2年4月29日)- 1923年(大正12年)12月19日)は、明治から大正期の実業家、政治家。鳥取県平民。鳥取県多額納税者。 因幡国智頭郡、のちの鳥取県智頭郡智頭村(八頭郡智頭村を経て現智頭町)に生まれる。石谷伝九郎の長男。石谷家は智頭四軒衆と呼ばれた素封家のひとつで、山林経営によって江戸時代の大庄屋から智頭の筆頭地主となった豪家。 慶應義塾を卒業し、家業を継いだ。町会議員、県会議員となって活躍した。 1898年(明治31年)には衆議院議員に初当選し、その後も2回再選された。1903年(明治36年)春、日本美術院長の岡倉天心が智頭町にある豊乗寺の国宝調査に訪れた際、国米泰石の技量の高さを岡倉天心に示したところ、国米泰石は岡倉天心に招かれて日本美術院に入ることとなった。
石谷 源蔵(いしたに げんぞう、1858年10月14日〈安政… 石谷 源蔵(いしたに げんぞう、1858年10月14日〈安政5年9月8日〉 - 1932年〈昭和7年〉1月31日)は、日本の林業家、政治家、実業家。因幡木材合資会社代表社員。鳥取電燈常務取締役。族籍は鳥取県平民。智頭杉で知られる「智頭林業育ての親」とされる。 1858年10月14日(安政5年9月8日)、因幡国智頭郡智頭宿(現・鳥取県八頭郡智頭町)に生まれた。庄屋を務めた石谷槌五郎の長男である。 文化文政期頃、祖父の代から石谷家は植林を進めていた。源蔵は後に石谷家の家督を相続し、林業近代化と地域振興に尽くした。大和国吉野地方(現・奈良県)を訪れて実生苗の生産や造林技術の研究を行い、スギの実生苗の大量生産に成功した。
安道 やすみち(あんどう やすみち)は、日本の小説家。アミュ… 安道 やすみち(あんどう やすみち)は、日本の小説家。アミューズメントメディア総合学院講師。大阪府箕面市在住。 鳥取県八頭郡智頭町出身。高校卒業後に京都の音楽専門学校へ入学するも中退後、アミューズメントメディア総合学院・ノベルス学科に入学し2003年卒業。 グループSNEによるテーブルトークRPGの執筆を経て、2014年に母校のアミューズメントメディア総合学院とTOブックスが共同で取り組む「産学共同プロジェクト」から生まれた小説『婚活刑事-花田米子の絶叫-』で小説家デビューを果たす。『婚活刑事』はその後シリーズ化され、2015年7月にはテレビドラマ化され讀賣テレビ放送「プラチナイト・木曜ドラマ」で放送された。