矢田 明子(やた あきこ、1980年4月25日 - )は、日… 矢田 明子(やた あきこ、1980年4月25日 - )は、日本の実業家、起業家、コミュニティナースファウンダー、看護師、保健師。株式会社株式会社CNC(旧Community Nurse Company株式会社)代表取締役、一般社団法人 Community Nurse Laboratory 代表理事。厚生労働省「重層的支援体制整備事業(参加支援事業)」調査事業 有識者委員。内閣官房「地方公共団体における多世代交流を通じて活性化するコミュニティづくりの具体化に向けた支援に関する調査研究事業」研究会委員。「デジタル化社会の中長期的展望に係る調査研究」外部有識者。島根県出雲市出身。1億総相互扶助社会の実現に向けて、コミュニティナーシングの社会実装を手がける。
土江 寛裕(つちえ ひろやす、1974年6月14日 - )は… 土江 寛裕(つちえ ひろやす、1974年6月14日 - )は、日本の元陸上競技選手、スポーツ科学者。陸上競技指導者。1990年代後半から日本を代表するスプリンターとして活躍。 島根県平田市(現出雲市)出身。富士通所属。出雲市立平田中学校、島根県立出雲高等学校を経て、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業。早稲田大学大学院人間科学研究科修士課程、博士課程修了。早稲田大学非常勤講師、早稲田大学競走部女子コーチなどの要職を歴任した。日本陸連短距離副部長。2017年より東洋大学法学部教授。 元200m日本チャンピオンの土江良吉は実父。錦織育子、信岡沙希重らは早稲田大学競走部の後輩。甲南大学で教鞭を執る伊東浩司、法政大学スポーツ健康学部教授の苅部俊二、横浜市立金沢高等学校教諭の簡優好、200mで活躍した伊藤辰哉、元110mH日本記録保持者で順天堂大学陸上競技部コーチの岩崎利彦らとは富士通のチームメイト。
原 和之(はら かずゆき、1967年 - )は、日本の思想史… 原 和之(はら かずゆき、1967年 - )は、日本の思想史学者、東京大学大学院総合文化研究科教授。専門はフランスの精神分析を中心としたヨーロッパ思想史、精神分析学。 島根県出雲市出身。島根県立出雲高等学校卒。1989年東京大学教養学部教養学科フランス分科卒、1992年同大学院総合文化研究科地域文化研究専攻修士課程修了、1991-1993年フランス政府給費留学生として留学、1991-1992年パリ高等師範学校、1992年パリ第一大学修士課程修了(哲学)、1993年パリ第四大学DEA課程修了(哲学)、2000年パリ第四大学にて博士号を取得(哲学史)。 電気通信大学専任講師、助教授を経て、2004年東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻助教授、2007年より准教授(学校教育法改正による職名変更)。
園山 繁樹(そのやま しげき、1956年 - )は、日本の教… 園山 繁樹(そのやま しげき、1956年 - )は、日本の教育学者。筑波大学名誉教授、日本場面緘黙研究会会長。専門は発達障害、行動障害の支援および場面緘黙の研究。 1956年、島根県出雲市に生まれる。出雲市立高浜小学校、出雲市立第三中学校卒業。松江高専を3年で中退し、大阪教育大学へ入学。同大学院修士課程を修了後、1994年に筑波大学大学院で教育学の博士号を取得。 その後、中国短期大学、西南女学院大学を経て、2002年から筑波大学で17年間、行動情緒障害学の教授を務め、2019年に名誉教授となる。 2019年度から2022年度まで島根県立大学人間文化学部保育教育学科で特別支援教育科目を担当し、2023年に退職。
岡本 耕平(おかもと こうへい、1955年7月7日 - )は… 岡本 耕平(おかもと こうへい、1955年7月7日 - )は、日本の地理学者。専門は行動地理学。名古屋大学名誉教授。元名古屋大学大学院環境学研究科長。現在は、愛知大学教授。 島根県出雲市生まれ。1978年名古屋大学文学部卒、同博士課程修了。河合塾講師のち、東洋大学講師、名古屋大学助手、助教授を経て、大学院環境学研究科教授。学位は地理学博士。退官後、2020年、愛知大学文学部教授に就任した。
新宮清志(1946年1月5日〜) は、日本の構造工学者。建築… 新宮清志(1946年1月5日〜) は、日本の構造工学者。建築構造学者の加藤渉の孫弟子にあたる。日本大学名誉教授。日本建築学会名誉会員。日本知能情報ファジィ学会名誉会員。日本工学会フェロー(第1回認定者)。日本機械学会永年会員(称号)日本膜構造協会第3種正会員。工学博士(日本大学)、一級建築士。瑞宝小綬章受章(令和7年秋)。 島根県出雲市生まれ。1968年 日本大学工学部 建築学科 卒業。1970年 日本大学大学院理工学研究科 建設工学専攻 修士課程 修了。1974年 日本大学大学院 理工学研究科 建築学専攻 博士課程 単位取得満期退学。1974年~1980年 日本大学 助手。1980年~1985年 日本大学 専任講師。
立脇 和夫(たてわき かずお、1935年1月17日 - )は… 立脇 和夫(たてわき かずお、1935年1月17日 - )は、日本の経済学者、早稲田大学名誉教授。 島根県出雲市生まれ。1959年神戸大学経営学部卒、1989年「在日外国銀行史の研究 幕末開港から条約改正まで」で経済学博士。日本銀行に勤務しワシントン大学に学ぶ。1984年長崎大学経済学部助教授に転じ、1987年教授、1988年静岡県立大学国際関係学部教授、1992年早稲田大学商学部教授。2005年定年、名誉教授。
板木 利隆(いたぎ としたか、1929年11月22日-201… 板木 利隆(いたぎ としたか、1929年11月22日-2019年10月2日 )は、日本の農学者。 島根県出雲市生まれ。1950年千葉農業専門学校(現・千葉大学園芸学部)卒業。千葉大学園芸学部助手、1954年神奈川県農業試験場技師、1965年同園芸試験場場蔬菜課長、1979年同技術研究部長、1983年園芸試験場長、1985年神奈川県農業総合研究所所長、全農営農・技術センター技術主管を経て、板木技術士事務所所長、園芸植物育種研究所理事、農林水産省高度環境制御技術研修検討専門委員、茨城県立農業大学校非常勤講師、NPO植物工場研究会諮問委員、日本野菜育苗協会技術顧問を務める。1976年「施設栽培における暖房方式ならびにキュウリ・トマトの気・地温制御に関する研究」で東京農業大学農学博士。
梶谷 哲男(かじたに てつお、1927年9月1日 - )は、… 梶谷 哲男(かじたに てつお、1927年9月1日 - )は、日本の精神病理学者。 島根県出雲市出身。本名・敬二。1950年徳島医科大学卒。57年「ヘモグロビン及びその誘導体の抗原性」で鳥取大学医学博士。鳥取大学医学部講師、1958年中央鉄道病院勤務、精神神経科医長、1981年晴和病院医長、1983年東京新生病院副院長。パトグラフィーで知られた。
池田 敏雄(いけだ としお、1916年(大正8年)8月6日 … 池田 敏雄(いけだ としお、1916年(大正8年)8月6日 - 1981年(昭和56年)3月31日)は、島根県生まれの民俗学者。台湾の民俗学研究に携わった。 父は池田朝(旧姓:山崎)で、池田家の養子となった。池田敏雄は1923年に父親の仕事の都合で渡台し、台北市旭小学校に入学した。 1929年、台北第一師範学校に入学。石川啄木に憧れて短歌を創作し、同人誌『原生林』を発行した。 1935年に師範学校を卒業後、龍山公学校(中国語版)の教員となる。 1939年、師範学校時代に短歌を通して西川満を知り、最初の台湾民族に関する文章「台湾挑灯考」を『台湾風土記』に発表。 1940年4月、龍山公学校の任期が切れて総督府情報部嘱託となった。
錦織 清治(にしきおり せいじ、1903年(明治36年)10… 錦織 清治(にしきおり せいじ、1903年(明治36年)10月1日 - 1969年(昭和44年)6月17日)は日本の金属工学者。 島根県出雲市出身。1928年(昭和3年)、東北帝国大学工学部金属工学科を卒業する。1934年(昭和9年)に東北帝大工学部助教授に就任。 1935年(昭和10年)に大同製鋼に入社する。その間に、特殊水処理薬剤による鉄鋼防食、均質鋳造法(HOC法)、取鍋レンガの侵蝕、熔鋼に及ぼす耐火物の影響、高アルミナ質電気炉炉蓋煉瓦、低ニッケル高マンガンステンレス鋼、熱処理用連続炉、バルブ鋼、不消化石灰の実用試験などについての研究に従事する。 大同製鋼取締役、研究所長などを経て、1962年には大同工業短期大学、1964年(昭和39年)には大同工業大学(現・大同大学)の初代学長に就任した。
直良 信夫(なおら のぶお、1902年1月1日(戸籍上の生年… 直良 信夫(なおら のぶお、1902年1月1日(戸籍上の生年月日は1902年1月10日) - 1985年11月2日)は、日本の考古学者、動物考古学者、古生物学者、文学博士。 明石人、葛生人などの発見で知られる。また、従来の日本考古学では等閑に付されていた、遺跡から出土する骨や種子といった、動物植物の様々な遺骸を考古学的に研究し、過去の食物や環境復元を進めた。特に貝塚研究では先駆的業績をあげ、今日の動物考古学や環境考古学の礎(いしずえ)を築いた。明石市文化功労賞受賞。なお直良姓は婿養子として結婚後の姓であり、旧姓は村本。 1902年1月10日、大分県北海部郡臼杵町(現・臼杵市)に、8人姉弟の次男として生まれる。
大倉 一郎(おおくら いちろう)は、日本の工学者(アルミニウ… 大倉 一郎(おおくら いちろう)は、日本の工学者(アルミニウム構造学・繊維接着構造学・鋼構造学・橋工学)。学位は工学博士(大阪大学・1985年)。大阪大学大学院工学研究科准教授、アルミニウム橋研究会技術委員長。 島根県出雲市出身。大阪大学に入学し、工学部土木工学科にて学んだ。1977年、大阪大学を卒業し、そのまま同大学の大学院に進学した。大学院の工学研究科土木工学専攻にて学び、1979年に修士課程に修了した。なお、のちに大阪大学より、工学博士の学位を授与されている。 大阪大学大学院の修士課程を修了し、母校である大阪大学に採用され、工学部の助手として勤務する。1988年、大阪大学にて、工学部の講師に昇任する。