片岡 健吉(かたおか けんきち、1844年2月14日〈天保1… 片岡 健吉(かたおか けんきち、1844年2月14日〈天保14年12月26日〉- 1903年〈明治36年〉10月31日)は、日本の政治家。 ※日付は明治5年までは旧暦 天保14年12月26日(1844年2月14日)、土佐藩上士(馬廻格・250石)片岡篤光(俊平)の嫡男として高知城下中島町に生まれる。母は渋谷次兵衛篤輝の妹(幸)。嘉永2年(1849年)7月7日、藩主への御目見えを許される。 万延元年(1860年)8月18日、前年に乾退助らと相諮り南川原相撲場へ立ち入って不作法に及んだ事を咎められ謹慎処分を受けた。 文久元年(1861年)3月17日、御扈従に就任。文久2年(1862年)11月27日、御側小性を免じられ、御馬廻りへ転任。
岡内 重俊(おかうち しげとし、天保13年4月2日〈1842… 岡内 重俊(おかうち しげとし、天保13年4月2日〈1842年5月11日〉 - 1915年〈大正4年〉9月20日)は、幕末の土佐藩士、明治期の司法官僚・政治家。元老院議官、貴族院勅選議員、男爵、錦鶏間祗候。通称・俊太郎。 土佐国土佐郡潮江村(現高知県高知市)で、土佐藩士・岡内清胤、鹿子夫妻の長男として生まれる。土佐藩の横目職を務めた。その後、海援隊に加わり坂本龍馬の秘書役を務め、土佐藩の武器調達に尽力。 明治維新後、新政府に出仕し、明治2年2月15日(1869年3月27日)刑法官鞫獄判司事に任じられた。以後、鞫獄副知判司事、徴士・鞫獄司知事、刑部大解部、刑部少判事、刑部中判事、司法少判事、司法権中判事を歴任。
岩崎 長武(いわさき ながたけ、1839年(天保9年12月)… 岩崎 長武(いわさき ながたけ、1839年(天保9年12月)- 1898年(明治31年)12月27日)は、幕末の土佐藩士。明治期の内務官僚、自由民権運動家。高知県権令。位階は正六位。 土佐国土佐郡高知金子橋(現高知県高知市)で土佐藩槍術指南役・岩崎長幸の二男として生まれる。 1872年、浜松県権参事、同参事を務めた。明治5年11月27日(1872年12月27日)、高知県権令に転任。立志社の民権運動に寛容で、1875年6月の第1回地方官会議で、民会の公選制を主張した。立志社系の人物を県庁に登用したことなどで、保守派の反発を受け1876年8月に権令を罷免された。 その後、民権運動家として活躍した。植木枝盛らと共に土佐国州会結成に尽力し、副議長に就任している。
4代 桜木 嘉右衛門(櫻木、さくらぎ かえもん、1838年8… 4代 桜木 嘉右衛門(櫻木、さくらぎ かえもん、1838年8月20日〈天保9年7月1日〉 - 1914年〈大正3年〉1月8日)は、幕末から明治時代の醸造家、政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。名は正義。前名は馬之助。族籍は高知県平民。 3代目桜木嘉右衛門正利、鹿の二男として高知城下種崎町(現・高知市はりまや町)に生まれ、のち前名を改めて襲名する。藩政下、町内総組頭を務め、廃藩後は町内取締役となる。本業は酒造業で「葉柳」の醸造元。 1877年(明治10年)第七国立銀行が設立すると同取締役に就任。1881年(明治14年)帆走船運漕営業会社天佑社を設立し、相談役を経て社長に就任。1886年(明治19年)土佐郡酒造家連合会を設立し同会長に就任。
後藤 象二郎(ごとう しょうじろう、1838年4月13日〈天… 後藤 象二郎(ごとう しょうじろう、1838年4月13日〈天保9年3月19日〉 - 1897年〈明治30年〉8月4日)は、日本の政治家、実業家。名は象次郎とも表記される。栄典は正二位勲一等伯爵。土佐三伯の1人(他に板垣退助、佐佐木高行)。 土佐藩士・後藤正晴(馬廻格・150石)の長男として高知城下片町に生まれる。母は大塚勝従の長女。幼名は保弥太(やすやた)。通称は良輔(りょうすけ)だったが、後に象二郎と改名。諱は正本(まさもと)、後に元曄(もとはる)。字は日曄、暢谷、雲濤、不倒翁など。雅号に暘谷、雲濤、光海、鷗公など。 板垣退助とは竹馬の友で互いに「いのす(猪之助=板垣の幼名)」と「やす(保弥太=後藤の幼名)」と呼び会う仲であった。
楠目 正幹(くすめ まさみき、天保8年(1837年)9月1日… 楠目 正幹(くすめ まさみき、天保8年(1837年)9月1日 – 明治17年(1884年)9月3日)は、土佐藩出身の武士、明治政府の官僚・海軍法務官。通称は民五郎。土佐勤王党の血盟同志の一人である。官職は東京海軍軍法会議主理・海軍権大書記官。正六位・勲五等。また海軍中佐。 土佐郡潮江村(現在の高知市)に楠目民助の長男として生まれる。楠目藤盛(清馬)の実兄にあたる。土佐藩政下では小南五郎配下の役人として活動した。 文久元年(1861年)、武市半平太を主領とする土佐勤王党の誓書に署名し、血盟連盟した勤王志士の一人であった。この時期、尊王攘夷運動に深く関与していたことが知られる。 明治3年(1870年)、小栗義宣らとともに兵部省糺問権少佑に任じられ、同年中に兵部大録へ転じた。
片岡 源馬(かたおか げんま、天保7年10月9日(1836年… 片岡 源馬(かたおか げんま、天保7年10月9日(1836年11月7日) - 明治41年(1908年)11月2日)は、江戸時代後期(幕末)の武士(土佐藩士)、明治時代の官僚。明治維新後は片岡 利和(としかず)と称した。爵位は男爵。位階勲等は正三位勲二等。次代は従五位男爵片岡丈人。 天保7年(1836年)10月、土佐郡潮江村(現・高知市)の土佐藩士・永野源三郎の次男として生まれたが、佐川領主の家老深尾氏の家臣・那須橘蔵利家の養子となって那須盛馬と称し、佐川の鳥之巣村に移り住む。文久元年(1861年)、武市瑞山が結成した土佐勤王党に参加するが、八月十八日の政変を契機として前藩主山内豊信が勤王党弾圧を開始したことから、謹慎に処されている。
川田 小一郎(かわだ こいちろう、1836年10月4日(天保… 川田 小一郎(かわだ こいちろう、1836年10月4日(天保7年8月24日) - 1896年(明治29年)11月7日)は、日本の実業家、政治家。男爵。創業期の三菱の幹部であり、貴族院議員、第3代日本銀行総裁。 天保7年(1836年)8月24日 、土佐国土佐郡旭村(現在の高知県高知市)にて土佐藩の郷士・川田家に生まれた。正規の教育はまったく受けていないが、その理財の才を認められ、藩の会計方に登用される。藩営土佐商会で勧業・鉱山・通商の事務を担当。明治維新に際しては、難題であった伊予松山藩所有の別子銅山接収を平和裡に収拾している。 明治3年(1870年)、藩営の海運業社九十九商会の民営化に伴い、高級幹部(管事)として、石川七財と共に社主の岩崎弥太郎を補佐した。
五藤 正亮(ごとう まさすけ、1835年〈天保6年〉 - 1… 五藤 正亮(ごとう まさすけ、1835年〈天保6年〉 - 1898年〈明治31年〉, Gotō Magobei Masasuke, 16th head of the Musō Jikiden Eishin-ryū)は、日本の武道師範。無双直伝英信流居合術第16代宗家。字は「孫兵衛」。無双直伝英信流道場再興の祖。 1835年(天保6年)、土佐国高知城下(現・高知県高知市)に生まれる。 居合を無双直伝英信流第15代宗家・谷村亀之丞自雄に師事し修行。 明治維新以後、廃刀令の煽りを受け剣道も居合も衰退し、また特に長谷川英信流居合は江戸時代藩外不出の「御留流(おとめりゅう)」で、町中に道場も無く、藩校の一部で伝えられたのみで、これを習った者が元々限られたのに加えて、廃藩置県後は藩の庇護も解かれ、存続の危機にあった。
真田 正穀(さなだ まさよし、天保5年(1834年)6月8日… 真田 正穀(さなだ まさよし、天保5年(1834年)6月8日 – 大正4年(1915年))は、土佐藩士。土佐藩の海軍・軍艦行政を担った官僚的藩士で、維新後は中央・地方官を歴任した。旧姓は武藤、別名・号に武藤広陵、颿(はやめ)があり、明治期に正穀、のち真田庵と改名した。 土佐藩の上士身分である御馬廻に属し、藩船運用・軍艦行政・蒸気機関教育などを担当した、土佐藩における海軍行政の専門家である。吉田東洋門下としても知られる。 天保5年(1834年)6月8日、土佐国高知城下下金子橋に生まれる。父は御馬廻・武藤万作。正穀は次男で、実兄の武藤清八は御山奉行を務めた。身分は上士・御馬廻である。 若年より藩政実務に通じ、藩船夕顔の船将を務めた。
沢辺 琢磨(さわべ たくま、天保5年1月5日〈1834年2月… 沢辺 琢磨(さわべ たくま、天保5年1月5日〈1834年2月13日〉- 大正2年〈1913年)6月25日〉は、日本ハリストス正教会初の正教徒(ハリスチャニン=クリスチャン)にして最初の日本人司祭である。聖名(洗礼名)はパウェル(パウロ)。旧姓は山本。 天保6年(1835年)、土佐国土佐郡潮江村(現在の高知市)に土佐藩の郷士である山本信道(1805-1858、代七)の長男として生まれる。幼名は数馬(かずま)。山本信道の父・山本信年(1780-1863、新四郎)の実弟・山本常八郎は同じ土佐郷士の坂本家に婿養子として入り坂本直足(1797-1855、八平)に改名した。坂本直足の次男が坂本龍馬であり、龍馬とは血縁及び実質上の親類同士である。
島本 仲道(しまもと なかみち、天保4年4月18日(1833… 島本 仲道(しまもと なかみち、天保4年4月18日(1833年6月5日) - 明治26年(1893年)1月2日)は、明治時代の官僚、法律家である。通称は審次郎、号は北洲。 土佐国土佐郡潮江村(現高知県高知市)で土佐藩士・島本卓次の二男として生まれた。土佐勤皇党に参加し終身刑の宣告を受けたが、戊辰戦争で伊予松山藩の征伐を命じられる。明治維新後、明治新政府で兵部省、司法省の官僚を歴任、江藤新平の右腕として近代日本国家の検察、警察、弁護士の機構制度の確立に尽力した。1873年、江藤の下野とともに司法省を退職し、東京と大阪に弁護士事務所を開く。 その後、自由民権運動に参加、1887年に保安条例で東京退去の処分を受けるも、明治憲法発布の恩赦で赦免された。
尾崎 忠治(おざき ただはる、天保2年2月2日(1831年3… 尾崎 忠治(おざき ただはる、天保2年2月2日(1831年3月15日) - 1905年(明治38年)10月16日)は、日本の武士、政治家。正二位勲一等男爵。 土佐国土佐郡高知城下(現高知県高知市)で土佐藩士・尾崎源之丞の次男として生まれ、奥宮慥斎に学ぶ。 維新後の明治3年(1870年)12月、刑部大解部に就任。翌年7月に刑部省が司法省と名を変え、司法大解部、同年10月に司法少判事、同8年(1875年)5月に長崎上等裁判所長心得、同17年(1884年)12月に東京控訴院長、同19年(1886年)8月には大審院長などの司法ポストを歴任した。同23年(1890年)8月に枢密顧問官。同33年(1900年)5月、男爵を授爵。
佐々木 高行(ささき たかゆき、1830年11月26日〈文政… 佐々木 高行(ささき たかゆき、1830年11月26日〈文政13年10月12日〉- 1910年〈明治43年〉3月2日)は、江戸時代末期(幕末)から明治期の日本の政治家。爵位は侯爵。幼名は万之助、通称は三四郎。初名は高喜(たかあつ)、高春(たかはる)と称し、高行(たかのり)に改名した後に、現在の名称に改名した。佐佐木高行とも表記される。土佐三伯の1人(他に板垣退助・後藤象二郎)。著作である日記『保古飛呂比』は幕末・維新期の第一級資料として知られる。 藩士と郷士の身分が確立されている土佐藩の中で上士の板垣退助や谷干城と同じく、郷士に対し寛大だった人物として有名。明治政府高官の中でも保守派を代表する1人であり、明治天皇の信任を楯に政治体制を巡り伊藤博文らと争った。
小畑 美稲(おばた うましね、1829年10月22日(文政1… 小畑 美稲(おばた うましね、1829年10月22日(文政12年9月25日) - 1912年11月12日)は、幕末から明治の武士(土佐藩士)、裁判官、政治家。元老院議官、貴族院議員、錦鶏間祗候、正二位、男爵。幼名・孫二郎または孫次郎。 土佐国土佐郡一宮村(高知県土佐郡一宮村を経て現高知市)で、土佐藩士・小畑美穂の長男として生まれる。奥宮慥斎から陽明学を学ぶ。土佐勤王党に加わり尊王攘夷運動を推進。文久3年(1863年)、土佐勤王党の獄により入獄した。 明治維新後に赦免され新政府に出仕。明治2年7月(1869年)、弾正大巡察に就任。以後、弾正権少忠、司法大解部、司法少判事を歴任。 明治5年8月(1872年)、茨城裁判所長に就任。
神山 郡廉(こうやま くにきよ、文政12年1月13日〈182… 神山 郡廉(こうやま くにきよ、文政12年1月13日〈1829年2月16日〉 - 1909年〈明治42年〉8月20日)は、幕末の土佐藩士、明治期の内務官僚・政治家。県令、元老院議官、貴族院男爵議員、錦鶏間祗候。通称・左多衛。雅号・郡風、君風。 土佐国高知城下中島町で、土佐藩士・神山久左衛の五男として生まれ、神山左平の養子となる。吉田東洋により藩の要職に抜擢された。慶応元年(1865年)、大目付に就任。慶応2年(1866年)、第二次長州征討に当たって、家老・福岡宮内と共に広島に赴き、幕府からの出兵督促を拒否した。慶応3年10月 (1867年)の大政奉還において、建白書に連署した。 王政復古後、慶応3年12月12日(1868年1月3日)、参与に就任。
斎藤 利行(さいとう としゆき、1822年2月2日〈文政5年… 斎藤 利行(さいとう としゆき、1822年2月2日〈文政5年1月11日〉- 1881年〈明治14年〉5月26日)、旧名渡辺 弥久馬(わたなべ やくま)は、幕末の土佐藩家老。漢学者。明治政府に出仕して刑部大輔・参議・元老院議官を務めた。同藩士・斎藤利成の子。長子は将棋棋士の斎藤雅雄八段。カーデザイナーの齋藤利明は玄孫。 若くして藩主山内豊煕の御側物頭として仕えるが、おこぜ組に加わったことから1843年(天保14年)に反対派によって失脚させられる。後に吉田東洋の命によって復職し、近習目付、上士銃隊総練教授などを歴任後、慶応年間には仕置役・家老となる。1867年(慶応3年)に長崎で起きた土佐藩士によるイギリス水兵殺害事件では、後藤象二郎とともにイギリス公使ハリー・パークスと交渉して補償問題を解決した他、佐々木高行とともに坂本龍馬とも結んで武器調達に活躍した。
小南 五郎(こみなみ ごろう、文化9年(1812年)10月 … 小南 五郎(こみなみ ごろう、文化9年(1812年)10月 - 明治15年(1882年)2月22日)は、幕末の土佐藩士。名は良和。通称は五郎、五郎右衛門。迅衝隊士。 土佐国土佐藩下土佐郡大川筋(現高知県高知市大川筋2丁目)に生まれる。 大目付をつとめ、1853年に山内容堂より側用役として抜擢される。 安政の大獄時には、井伊直弼の容堂に対する追及をかわす為に、小南などの重臣が身代わりとなって幽閉処分を受ける。のちに復帰し大目付に就任するが、尊皇攘夷主義の土佐勤皇党に協力的だったため、勤皇党弾圧時には任を解かれ、失脚。勤皇党盟主武市瑞山をはじめ、平井収二郎、間崎哲馬ら同志が相次いで切腹に追い込まれる中、小南も武士の位を剥奪され、町人と同じ位に落とされるという屈辱的な処罰を受ける。
大黒 清勝(おおぐろ きよかつ、1726年〈享保11年〉 -… 大黒 清勝(おおぐろ きよかつ、1726年〈享保11年〉 - 1790年3月28日〈寛政2年2月13日〉)は、土佐藩士、日本の武道師範。無双直伝英信流居合術第11代宗家。字は「元右衛門」。長曾我部氏の支流で、本姓は秦氏。 享保11年(1726年)、土佐藩士(馬廻役・300石)・大黒好勝(文之丞)の三男として土佐国高知城下(現・高知県高知市)に生まれる。 武士の嗜みとして、無双直伝英信流居合を、林安太夫政詡より習う。 明和2年(1765年)、父好勝の跡目相続。 安永6年(1777年)、馬廻組頭、天明2年(1782年)大目付(大監察)切支丹改役、翌年(1783年)、軍備御用兼帯となる。 長谷川英信流居合の伝書を林安太夫政詡から受け、第11代宗家となる。
伊藤 実沙子(いとう みさこ 2月12日 - )は、エフエム… 伊藤 実沙子(いとう みさこ 2月12日 - )は、エフエム高知の女性パーソナリティ。高知県高知市出身。香川県RNCアナウンスカレッジ卒業。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岡上 菊栄 は、日本の社会福祉活動家。高知県高知市の児童養護… 岡上 菊栄 は、日本の社会福祉活動家。高知県高知市の児童養護施設である高知博愛園(こうちはくあいえん)の初代園母(園長)。40年以上にわたって恵まれない子供たちの保護と育成に尽くし、明治時代から昭和時代にかけて、社会事業に一生を捧げた。
川村 文乃 は、日本の元アイドル、元女優で、ハロー!プロジェ… 川村 文乃 は、日本の元アイドル、元女優で、ハロー!プロジェクトに所属する女性アイドルグループ・アンジュルムの元メンバー(6期)および2代目サブリーダー。高知県出身で、同地を中心に活動した元ジュニアアイドル。はちきんガールズの元メンバー。本名同じ。旧芸名は川村 あやの(読みは同じ)。
北代 正臣(きただい まさおみ、生年不詳 - 1908年〈明… 北代 正臣(きただい まさおみ、生年不詳 - 1908年〈明治41年〉1月25日)は、幕末の土佐藩士、明治期の官僚・裁判官。青森県権令。名・恕、幼名・忠吉。 土佐国土佐郡小高坂村(現高知県高知市西町)で、北代正親の長男として生まれる。土佐勤王党に加わり国事に奔走。藩では勘定人小荷駄高作配役、山内容堂上京の御供達御算用役并切手役、長崎出張御用金方などを務めた。 明治政府に登用され明治元年(1868年)、外国官御用掛に就任。以後、外務大禄、民部省監督権正、同省庶務正などを歴任。明治5年(1872年)、大蔵省六等出仕に就任。1873年6月、青森県で給禄について菱田重禧権令と弘前士族の間で対立が起こり、政府は北代を派遣した。
沢本 盛弥(さわもと もりや、旧字体: 澤本 盛彌、生没年不… 沢本 盛弥(さわもと もりや、旧字体: 澤本 盛彌、生没年不詳)は、江戸時代末期の武士、日本の陸軍軍人。 盛弥は仮名(通称)、諱(実名)は幸則「ゆきのり」。土佐藩士。 迅衝隊士六番隊銃手として戊辰戦争に従軍。後に大日本帝国陸軍軍人となる。文献によっては沢本守也と表記。北光社の沢本楠弥は同族。 沢本氏(澤本氏)の祖は彦右衛門といい、戦国時代に大津城 (土佐国) 城主天竺孫四郎に仕えていたが、細川氏の庶流天竺氏は長宗我部国親に滅亡させられた。江戸時代になり、4代目藩主山内豊昌から土佐藩に仕えた一族と伝わる。それ以外の一族末裔は全国に拡散した。 土佐国長岡郡介良村出身。 会津戦争の二本松陣営にて、沢本盛弥(以下沢本)を含めた新政府軍の兵士三人が民家で飲酒をしてしまい、軍法違反となった。
JET(ジェット、1月17日生)は、日本の女性漫画家。 本名… JET(ジェット、1月17日生)は、日本の女性漫画家。 本名、門脇佳代。高知県高知市出身。1985年、少年漫画誌「少年キャプテン」に『ロマンティックにゃほどとおい!』でデビュー。以後、少女漫画に移行する。代表作に『倫敦魔魍街』、『柳生剣鬼抄』など。 少女向け漫画誌の枠にとらわれない、骨太で、髪の毛に至るまで筆で描いたような流麗な線で、強い吸引力の色気漂う画風。男性はたくましく、時に体毛まで描き、女性はグラマーに描く。『倫敦魔魍街』、『柳生剣鬼抄』のような見た目の年齢を含み、中年男性の主人公がいる。 金田一耕助物やシャーロック・ホームズ物の推理小説を漫画化しているが、時代考証に基づく正確な描写ではなく「格好良さ」を重視したデザインを行っている。
土佐緑 清太 は、高知県高知市出身で、阿武松部屋所属の現役大… 土佐緑 清太 は、高知県高知市出身で、阿武松部屋所属の現役大相撲力士。本名は光内 洸太。身長180.8cm、体重139.6kg、血液型はO型。最高位は西幕下11枚目(2021年7月場所)。
広末 涼子 は、日本の女優。本名、廣末 涼子(読み同じ)。個… 広末 涼子 は、日本の女優。本名、廣末 涼子(読み同じ)。個人事務所R.H代表取締役社長。高知県高知市出身。1990年代後半にアイドル、歌手としても活動。中性的かつ透明感のあるイメージでアイドルとしてデビューし、新人ながらドコモのポケベルのCMに大々的に名前を出して出演したことが切っ掛けで若者の間で大きな話題となり、広末が女子高生であった1996年 - 1999年に「ヒロスエブーム」が起こった。2000年代以降は社会現象を起こした過去が頻繁に報じられるとともに、国民的女優として高い知名度を誇る。
島本 須美 は、日本の声優、女優、ナレーター。高知県高知市出… 島本 須美 は、日本の声優、女優、ナレーター。高知県高知市出身。フリー。
畠中 秀人(はたけなか ひでと)は、日本の国土交通技官。滋賀… 畠中 秀人(はたけなか ひでと)は、日本の国土交通技官。滋賀県土木交通部技監や、名古屋高速道路公社副理事長、内閣府沖縄総合事務局次長などを歴任した。 高知県高知市出身。土佐高等学校を経て、1989年東京大学大学院工学系研究科修士課程修了、建設省入省。国土技術政策総合研究所企画部研究評価・推進課主任研究官を経て、2001年国土交通省道路局高速国道課課長補佐。2002年国土交通省道路局国道課課長補佐。2003年奈良県土木部道路建設課長。2005年国土交通省道路局有料道路課企画専門官。 2006年国土技術政策総合研究所高度情報化研究センター高度道路交通システム研究室主任研究官。2008年国土技術政策総合研究所高度情報化研究センター高度道路交通システム研究室長。
岡本 采子(おかもと あやこ)は、テレビ高知のアナウンサー。… 岡本 采子(おかもと あやこ)は、テレビ高知のアナウンサー。 高知県高知市出身。土佐女子中学高等学校、駒澤大学卒業。 2022年4月にさくらんぼテレビジョンに入社し、同期の福島汀紗とともに同局のアナウンサーになる。同局では、入社1年目から『昼ドキ!TV やまがたチョイす』のMCを務めていた。 2025年1月31日付でさくらんぼテレビを退社し、同年2月にテレビ高知へ移籍した。
朝倉 道子(あさくら みちこ)とは元宝塚歌劇団娘役(元月組副… 朝倉 道子(あさくら みちこ)とは元宝塚歌劇団娘役(元月組副組長)。本名:岡昭子。高知県高知市出身。芸名の由来は出生地である高知市朝倉の地に因む。宝塚歌劇団時代の愛称は昭ちゃん、岡さん。以前の芸名は朝倉 糸子(あさくら いとこ)であった。 1940年に宝塚音楽舞踊学校(現在の宝塚音楽学校)に入学し、1943年に30期生として宝塚歌劇団に入団。初舞台は『太陽の子供達』。宝塚入団時の成績は14人中6位。 1952年?から1953年?まで月組副組長を務める。 1956年1月1日 に宝塚歌劇団を退団。最終出演公演の演目は『国姓爺合戦』である。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役)
石川 七財(いしかわ しちざい)は日本の武士、実業家。初名は… 石川 七財(いしかわ しちざい)は日本の武士、実業家。初名は七左衛門、号は花渓。 土佐藩士の石川唯七(ただしち)の子として土佐国土佐郡小高坂村(現・高知県高知市)に生まれる。幼名及び初名は七左衛門。 父の唯七は馬丁を務めており、足軽のまま死去。それに継いで七財も足軽であったが土佐藩士で参政の吉田東洋に仕え、下横目役(目付の補佐役)となる。 1870年(明治3年)に九十九商会(後の三菱商会)の岩崎弥太郎の偵察を願われる。その際に弥太郎の人柄に憧れ部下となる。後に幹部となり川田小一郎らと共に活動。 1877年(明治10年)の西南戦争では軍事輸送を務めた。その後コレラによって倒れ死去。墓は谷中霊園。 1828年5月21日(文政11年4月8日)に土佐藩士・石川唯七の子として土佐国土佐郡小高坂村(現・高知県高知市)に生まれる。
奥宮 慥斎(おくのみや ぞうさい)は、幕末土佐藩の学者で、維… 奥宮 慥斎(おくのみや ぞうさい)は、幕末土佐藩の学者で、維新後高知藩、教部省官僚。 土佐藩士の家に生まれ、田内菜園に国学、江戸で佐藤一斎に陽明学を学び、幕末には藩校教授、山内豊範侍読を務め、土佐勤王党を支援した。明治維新後高知藩で板垣退助による藩政改革、教部省での大祓復活に関わったほか、愛国公党結成に参加し、今北洪川と両忘会を結成した。 文化8年(1811年)7月4日、土佐国土佐郡布師田村(高知県高知市布師田)に土佐藩士奥宮正樹の子として生まれた。15,6歳の時田内菜園に入門し、国学、和歌を学び、また弓術を得意とした。 文政13年(1830年)閏3月江戸に出て、吉田環を介して佐藤一斎に師事しようとしたところ、父と病に罹り、快復後一旦帰郷し、天保3年(1832年)江戸を再訪し、一斎に入門した。
川崎 幾三郎(かわさき いくさぶろう)は高知県出身の実業家、… 川崎 幾三郎(かわさき いくさぶろう)は高知県出身の実業家、川崎幾三郎(初代)の家系で当主に受け継がれる名である。特に二代目川崎幾三郎の高知県下に与えた影響は大きい。 (1828年2月29日(文政11年1月15日) - 1887年(明治20年)5月21日) 現在の高知県出身の豪商。名は篤信。 1848年(嘉永元年)に川崎家に婿入り。陶器、呉服、金物などを取り扱った。1870年(明治3年)、立用米の売買が空取引であるとして、家財の没収処分を受ける。1877年(明治10年)に第七国立銀行の設立に携わり、取締役となった。 (1855年12月8日(安政2年10月29日) - 1921年(大正10年)11月10日) 土佐の豪商・初代川崎幾三郎の二男。
北側 寒囲(きたがわ さむい)は、日本のライトノベル作家、ゲ… 北側 寒囲(きたがわ さむい)は、日本のライトノベル作家、ゲームシナリオライター。高知市出身。株式会社ディーオーを経て、「シナリオ制作チームさるさる」に所属。 日本の田舎を舞台としたコメディタッチな青春群像劇を数多く手がけている。 アダルトゲームメーカーâge(アージュ)の青春恋愛アドベンチャーゲーム『マブラヴ』をノベライズした『マブラヴ 1 EXTRA 運命』(集英社スーパーダッシュ文庫)で小説家デビュー。 2010年2月、東京から高知に居を移し、兼業農家ライターとなる。 アダルトゲームメーカーディーオー代表の江島みなみによると、2016年10月の時点で北側寒囲は3~4代目まで存在しており、初代は松智洋とされる。