川田 悠慎(かわだ ゆうしん、2002年2月20日 - )は… 川田 悠慎(かわだ ゆうしん、2002年2月20日 - )は、高知県宿毛市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 山奈小学校1年生の時に「山奈レンジャーズ」で野球を始め、6年時は「中村スポーツ少年団」でプレーした。四万十市立中村中では3年時にKボール高知県選抜で準優勝した。 中学卒業後は高知高等学校に進学。2年の秋から主将を務め、秋の高知県大会では準優勝して四国大会へ出場した。3年夏の高知県大会では明徳義塾に敗れ準優勝。3年間での甲子園出場経験はない。高校の2学年後輩に森木大智がいる。 高校卒業後に京都産業大学へ進学し、4年の春から同大学野球部の主将となったが、肩や足首などのケガに苦しみ、思うようなプレーが出来なかった。
豊ノ島 大樹(とよのしま だいき、1983年〈昭和58年〉6… 豊ノ島 大樹(とよのしま だいき、1983年〈昭和58年〉6月26日 - )は、高知県宿毛市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士、タレント、YouTuber。本名は梶原 大樹(かじわら だいき)、愛称はカジ、いきちゃん。身長168cm、体重154kg、血液型はA型、星座は蟹座。得意技は左四つ・下手投げ。嫌いなものはグリーンピース、レーズン、溶けていないチーズ。趣味は音楽鑑賞、カラオケ、釣り、ボウリングなどと多種多様である。最高位は東関脇(2012年5月場所)。 座右の銘は「三年先の稽古」。小学生のときに相撲を教わった恩師の言葉だという。その言葉は自身のブログのタイトルにもなっている。また、自身と同じブログ力士である、雅山、普天王らとも仲が良い。
乾 英里香(いぬい えりか、1982年9月28日 - )は、… 乾 英里香(いぬい えりか、1982年9月28日 - )は、日本の演歌歌手である。 小学生の時に歌に目覚め、地元のコンテストで優勝し、中学からは本格的に歌の勉強、演歌、ジャズ、ポップスそれぞれの師に学び、大学生の時から東京に出て作詞家の里村龍一に師事。2011年8月21日に「華よ咲け」「花散らしの雨」でウィングジャパンよりメジャーデビュー。 他、数々の大会で優勝。カラオケで100点を連発し、いつしか「カラオケ満点クイーン」のキャッチコピーがついた。2013年、テレビ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』に出演し、「生放送1発勝負でカラオケで100点を出せるか?」の企画で100点を出す。
東 和政(あずま かずまさ、1982年6月1日 - )は、高… 東 和政(あずま かずまさ、1982年6月1日 - )は、高知県宿毛市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学2年生で野球を始め、中学3年生の時に全国大会で優勝。県内強豪校からの誘いもあったが、拒否して地元の宿毛高に進学し、3年夏は県大会準決勝で明徳義塾に敗退。2000年度ドラフト会議にて横浜ベイスターズから4位指名を受けて入団。高卒ながら1年目から一軍で登板を果たす。 2002年は一軍で28試合に登板。2003年5月25日、対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)でプロ初先発。フレッシュオールスターに出場。イースタン選抜の先発投手を務めた。イースタン・リーグの最優秀防御率賞投手(防御率1.55)。
上田 将司(うえだ まさし、1981年1月19日 - )は、… 上田 将司(うえだ まさし、1981年1月19日 - )は、地方競馬の高知競馬場國澤輝幸厩舎所属の騎手である。勝負服の柄は胴赤・白星、袖白・赤一本輪。高知県宿毛市出身、身長163センチメートル、血液型O型。地方競馬教養センター騎手課程第73期生。 2001年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得。同年4月1日第1回高知競馬1日目第7競走アラ系C3条件戦キフジンで初騎乗(10頭立て2番人気9着)。同年4月29日第2回高知競馬4日目第11競走A級条件戦をカネトシモンジュで優勝し、20戦目で初勝利(7頭立て4番人気)。 2002年4月28日第1回高知競馬4日目第18回南国桜花賞をスマノガッサンで優勝し、重賞初制覇。
岡本 知高(おかもと ともたか、1976年12月3日 - )… 岡本 知高(おかもと ともたか、1976年12月3日 - )は、日本のクラシック音楽歌手。ソプラニスタ(男性ソプラノ)。高知県宿毛市出身。 股関節の難病であるペルテス病を患って小学1年生から4年生までの間、家族と離れ特別支援学校(当時は養護学校)で過ごしたが、週末の帰宅時は7歳上の姉の弾くピアノに合わせて母と歌っていた。全快し自宅に戻った小学5年生からピアノを習い始める。進学した中学校と高知県立宿毛高等学校では吹奏楽部に所属。もともとサックス奏者志望であったが、レッスンで聞かせた歌声に師から世界的にも珍しいソプラニスタの素質を見出され、師の勧めで国立音楽大学声楽科に入学する。在学中より音楽コンクールの入賞・優勝を重ね、1998年に「第九」日本初演80周年記念再現リサイタル"蘇る第九!"にソプラノ・ソリストとして抜擢された。
森山 大輔(もりやま だいすけ、1971年9月11日 - )… 森山 大輔(もりやま だいすけ、1971年9月11日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。高知県宿毛市出身。日本電子専門学校卒業。 森山犬の名義でアダルトゲームの原画家として務めた後、ライトノベルの挿絵を経て『月刊コミックドラゴン』(富士見書房・角川書店刊)で『クロノクルセイド』を連載し、一部からは「漫画」と「イラスト」の違いの分かる絵師と評された。[要出典] あとがきなどに用いる自画像は、二足歩行で髪の毛のある犬。 『少年マガジンエッジ』(講談社)2017年6月号から「Mourning Bride」を隔月ペースで連載していたが、2019年9月号に「諸般の都合」で連載中止が発表され、発売予定だった単行本第3巻も制作中止が告知された。
木村 哲也(きむら てつや、1971年〈昭和46年〉 - )… 木村 哲也(きむら てつや、1971年〈昭和46年〉 - )は、日本の歴史・民俗学者。高知県宿毛市出身。旧・東京都立大学文学部卒業。 中学3年のとき、東京都近郊在住の高知県宿毛市出身者の集まりである「東京宿毛会」席上で、ハンセン病患者と交流の深かった詩人・大江満雄と出逢ったことをきっかけに、『大江満雄集』編集に参加。全国のハンセン病療養所を訪ね、大江満雄とハンセン病について取材した。 また、高校卒業時に民俗学者の宮本常一の著書に衝撃を受け、都立大在学中に旅の見聞を伝える新聞『みる・きく・あるく』を発行。後に周防大島文化交流センター(宮本常一記念展示室)学芸員も務めている。一方では、祖母が高知県駐在保健婦を経験していたことから、都立大在学中より高知県、青森県、沖縄県などの駐在保健婦の調査研究を進めている。
中平 富宏(なかひら とみひろ、1968年〈昭和43年〉6月… 中平 富宏(なかひら とみひろ、1968年〈昭和43年〉6月10日 - )は、日本の政治家。高知県宿毛市長(3期)。元宿毛市議会議員(3期)。 高知県宿毛市出身。広島自動車工業短期大学卒業。 2003年(平成15年)4月27日、宿毛市議会議員に就任。市議を計3期務める。2011年(平成23年)5月、議長に就任。2015年(平成27年)の市議選には出馬しなかった。 2015年(平成27年)12月6日に行われた宿毛市長選挙に自由民主党と公明党の推薦を受けて出馬。元市職員の岡崎匡介を破り当選(中平:7,154票、岡崎:5,365票)。投票率は71.01%だった。12月26日、市長就任。 2019年(令和元年)、自民党・公明党の推薦を受けて市長選に立候補。
鵜島 仁文(うしま よしふみ、1966年9月9日 - 202… 鵜島 仁文(うしま よしふみ、1966年9月9日 - 2022年8月7日)は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、ギタリスト、音楽プロデューサー。高知県宿毛市出身。既婚。2女の父。 高校を中退した後、2年間は実家の漁業を手伝っていた。その後、大阪でスリーピースバンド「KIDNAP」を結成してアマチュア活動を開始する。1993年にソロでヤマハ・ミュージック・クエストに出場する。 1994年にキングレコードからデビューする。以後はシンガーソングライターとしての活動と平行して、米倉千尋など他のアーティストへの楽曲提供も行う。米倉千尋とは晩年まで交流があり、互いのライブにゲスト出演しあう仲であった。
近田 豊年(ちかだ とよとし、1965年12月11日 - )… 近田 豊年(ちかだ とよとし、1965年12月11日 - )は、高知県宿毛市出身の元プロ野球選手(投手)。日本プロ野球史上唯一のスイッチピッチャーとして知られる(2016年終了時点)。
中西 清起(なかにし きよおき、1962年4月26日 - )… 中西 清起(なかにし きよおき、1962年4月26日 - )は、高知県宿毛市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者。右投右打。現役時の背番号は19。
岡﨑 誠也(おかざき せいや、1953年(昭和28年)3月1… 岡﨑 誠也(おかざき せいや、1953年(昭和28年)3月17日 - )は、日本の政治家。元高知県高知市長(5期)。国民健康保険中央会会長。 高知県宿毛市出身。高知学芸高等学校卒業。1975年(昭和50年)3月、青山学院大学経済学部卒業。同年4月、高知市役所に入庁。 2003年(平成15年)10月、高知市役所産業振興部副部長・産業振興部産業政策課長事務取扱を最後に高知市役所を退職。松尾徹人の高知県知事選挙転出に伴って11月30日に行われた高知市長選挙に立候補。民主党・社民党の推薦と公明県本部の支持を受けて初当選した。 2004年(平成16年)、全国市長会副会長に就任。 2007年(平成19年)、自民党、民主党、公明党、社民党推薦で立候補し再選。
横山 充男(よこやま みつお、1953年2月19日 - )は… 横山 充男(よこやま みつお、1953年2月19日 - )は、日本の児童文学作家。 高知県宿毛市出身。立命館大学文学部卒業。梅花女子大学児童文学科教授を経て、東海学園大学人文学部教授。日本児童文芸家協会、日本文藝家協会会員。「プレアデス」同人。 1953年(昭和28年)2月、高知県幡多郡平田村(現宿毛市平田町)に生まれる。父横山春馬、母一尾。3人兄弟の末っ子であった。生後半年たらずで父親が事故死。その年のうちに母親の実家がある中村市(現四万十市)に引っ越す。 中村小学校、中村中学校、高知県立中村高等学校をへて、京都市の婦人服メーカーに就職する。1年ほどで肺結核を病み、大阪府高槻市にある療養所に入所。
吉村 金八(よしむら きんぱち、1952年3月20日 - )… 吉村 金八(よしむら きんぱち、1952年3月20日 - )は、高知県幡多郡小筑紫町(現・宿毛市)出身のプロゴルファー。 「きんぱち」という読みはゴルフの登録名で、本名の読みは「かねや」。 ほとんどの親族が漁師という家に生まれ、中学卒業後は漁の手伝いをしていたが、地元を離れ、兵庫県の高校に編入しようとしてみたり、建築士になりたいと言って東京に出たりもした。 18歳で豊島区雑司ヶ谷の親戚の家に転がり込んで工業高校に入学し、学校生活の傍ら、図面を描くアルバイトをしていた。 アルバイト先の会社にいた同じ工業高校を卒業した先輩に「ゴルフをしていたほうが、この先、仕事にも役立つから。3ヶ月まじめに練習してこい」と言われてハーフセットを貰うと、板橋区にある練習場「四葉ゴルフ」で一生懸命練習した。
中西 哲(なかにし さとし、1951年12月7日 - )は、… 中西 哲(なかにし さとし、1951年12月7日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(1期)、外務大臣政務官(菅義偉内閣)、高知県議会議員(4期)、宿毛市議会議員(1期)を歴任。 高知県宿毛市に生まれる。高知高等学校卒業後、中央大学法学部政治学科に入学し、日本学生同盟に参加。 大学卒業後は高村正彦法律事務所に勤務。1981年、株式会社朝日建物入社。1988年、宿毛市に戻り家業である養殖業を継ぐ。 1995年、宿毛市議会議員選挙に立候補し当選。 1999年、高知県議会議員選挙に立候補し当選。以後4回連続当選。 2015年、任期満了に伴い高知県議を退任。高知県選挙区次期参議院議員候補者に内定した。
間 寛平(はざま かんぺい、1949年〈昭和24年〉7月20… 間 寛平(はざま かんぺい、1949年〈昭和24年〉7月20日 - )は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優、歌手。吉本新喜劇の元座長で現在はゼネラルマネージャー。レゲエシンガーとしての活動名義および本名は間 重美(はざま しげみ)。高知県宿毛市出身。吉本興業所属。アイドルユニット「秘蔵っ子」のプロデューサー。 愛称は「寛平ちゃん」。後輩芸人や年下の著名人や一般の方からは「寛平さん」や「寛平師匠」、笑福亭鶴瓶や吉本の後輩芸人などからは「寛平兄さん」と呼ばれている。身長164 cm、体重60 kg、血液型AB型。既婚。 私立柏原高等学校卒業。既婚者。妻は吉本新喜劇の元座員で、長男はミュージシャンの間慎太郎。
弘田 澄男(ひろた すみお、1949年5月13日 - )は、… 弘田 澄男(ひろた すみお、1949年5月13日 - )は、高知県宿毛市出身の元プロ野球選手(外野手)、監督、野球解説者、評論家。
山下 正寿(やました まさとし、1945年 - )は、日本の… 山下 正寿(やました まさとし、1945年 - )は、日本の教育者。 高知県宿毛市生まれ。高等学校教諭を務めていた1985年から、アメリカ合衆国が1946年-1958年にビキニ環礁やエニウェトク環礁で計67回行った一連の核実験で被災したとみられる県内の船員への聞き取り調査を、高校生たちとともに始めた。研究者らと協力して、アメリカ合衆国の公文書の分析や厚生労働省への情報公開請求に取り組み、被災の実態を明らかにしてきた。2011年の東京電力福島第一原子力発電所事故後、福島県における被害の調査にも携わる。日本共産党の市民団体「高知県太平洋核被災支援センター」事務局長を務める。 この項目は、教育者に関連した書きかけの項目です。
横山 やすし(よこやま やすし、1944年〈昭和19年〉3月… 横山 やすし(よこやま やすし、1944年〈昭和19年〉3月18日 - 1996年〈平成8年〉1月21日)は、かつて吉本興業大阪本社に所属していた漫才師、タレント、政治活動家。愛称は「やっさん」。 やすしと同じく高知県で生まれ、大阪府で育った西川きよしとの漫才は、漫才ブームの到来とともに爆発的な人気を博し、「やすきよ漫才」として20世紀を代表する天才漫才師と呼ばれるまでになった。波乱万丈な人生から破天荒芸人との異名をもつ。 初妻(のちに離婚)との間に俳優の木村一八(長男)と長女をもうけた。再婚した妻とはやすしの事務所契約解除等を挟み、逝去まで連れ添った。エステティシャンで漫才師さゆみ・ひかりの木村ひかり(次女)は、後妻との子である。
宮地 久衛(みやじ ひさえ、1876年11月6日 - 193… 宮地 久衛(みやじ ひさえ、1876年11月6日 - 1939年2月18日)は、日本の陸軍軍人、陸軍大佐。社会事業家、部落解放運動家。 1876年11月6日、高知県幡多郡小筑紫村田ノ浦(現宿毛市)で宮地重政の長男として生まれた。祖父の宮地重勝は、土佐国幡多郡津ノ川の郷士であり、安政3年(1856年)伊賀家に仕え、田ノ浦村や津賀川村(現小筑紫町都賀川)の庄屋や戸長を勤めた。 3歳で母と離別し、祖母に育てられた。1892年7月に中村小学校高等科を卒業した。同年9月に高知海南学校へ入学したが、学資が足らず2年で退学した。1896年に陸軍に入営し、陸軍士官学校や騎兵実施学校などに学んだ。1901年11月22日、陸軍士官学校(13期)を卒業し、1902年6月23日、騎兵少尉となり、日露戦争では騎兵第15聯隊付として出征した。
小野 義一(おの ぎいち、1876年(明治9年)10月7日 … 小野 義一(おの ぎいち、1876年(明治9年)10月7日 – 1950年(昭和25年)5月25日)は、日本の大蔵官僚、政治家。大蔵次官、衆議院議員、東京市助役。 高知県幡多郡、のちの宿毛村与市明(宿毛町を経て現宿毛市)出身。小野義為、キミの長男として生まれる。高知一中、東京府立四中を経て、1898年(明治31年)7月、第一高等学校政治科を首席で卒業。1903年(明治36年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を首席の優等で卒業し、銀時計を授与された。東大の同期には小川郷太郎や上杉慎吉、馬場鍈一ら。同年同月、大蔵属に任官し主計局兼参事官付となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に次席合格。この時の首席合格者は馬場鍈一だった。
後藤 環爾(ごとう かんじ、明治4年4月1日(1871年5月… 後藤 環爾(ごとう かんじ、明治4年4月1日(1871年5月19日) - 昭和11年(1936年)2月23日)は日本の宗教家、僧。元西本願寺執行長。号は素雲。 高知県幡多郡宿毛村(現在の宿毛市)清宝寺に生まれた。1899年東京仏教大学校を卒業後、帰郷して父をたすけて、清宝寺の住職にいそしんだ。林有造の門をたたいて指導を受けた。 本願寺よりまねかれて京都本山勤務となり、教学局注記に任ぜられた。31歳の時であった。日露戦争には、本願寺の従軍布教僧を命ぜられ、第三軍司令部付として活躍。凱旋の後、東京築地本願寺別院勤務となり、やがて東京出張所長を命ぜられた。 1929年本願寺執行長に就任した。本願寺の要職を歴任、東京市や仏教連合会等の他団体の重要役員を兼ねて活躍した。
岩村 俊武(いわむら としたけ、1866年10月5日(慶応2… 岩村 俊武(いわむら としたけ、1866年10月5日(慶応2年8月27日) - 1943年(昭和18年)11月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。団次郎が幼名だが成人後も長らくこの名前で通した。一時教通と名乗り大正4年(1915年)に俊武と改名。 慶応2年(1866年)、土佐国幡多郡宿毛(現・高知県宿毛市)に岩村通俊の次男として生まれた。明治20年(1887年)7月、海軍兵学校(14期)を卒業。明治22年(1889年)9月、海軍少尉任官。日清戦争、日露戦争に出征。特に水雷戦術に長じていた。日露戦争では第3艦隊参謀として出征し、その職のまま旅順要塞を攻略する第3軍に連絡将校として派遣され(途中で第1艦隊参謀に異動)、旅順開城委員の海軍代表として名を連ねた。
坂本 嘉治馬(さかもと かじま、慶応2年3月11日(1866… 坂本 嘉治馬(さかもと かじま、慶応2年3月11日(1866年4月25日) - 昭和13年(1938年)8月23日)は、日本の実業家。明治、大正期を代表する出版社、冨山房を神田神保町に設立した。土佐国(高知県)宿毛村出身。 1866年、土佐国(高知県)宿毛村坂ノ下で生まれる。1884年に酒井融をたよって上京、同郷の小野梓が経営する東洋館に勤務する。1886年、東洋館が終焉をむかえたため、小野の義兄小野義眞の援助を受け冨山房を設立。1900年、吉田東伍『大日本地名辞書』の刊行を開始。1915年、上田萬年、松井簡治『大日本国語辞典』の刊行を開始。1920年、内外印刷株式会社を設立。1929年、出身地に私立坂本図書館(現:宿毛市立坂本図書館)を設立。
竹内 明太郎(たけうち めいたろう、1860年3月20日(万… 竹内 明太郎(たけうち めいたろう、1860年3月20日(万延元年2月28日) - 1928年(昭和3年)3月23日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(高知県第五区選出、当選3回)。族籍は東京府士族。 現在の高知県宿毛市出身。竹内綱の長男。父に従い大阪、東京に赴き、同人社で英語、仏学塾でフランス語を学び、父と一緒に自由党に尽くし、『東京絵入自由新聞』の経営に従事したが、鉱山業、鉄工業に転じて、父の経営する佐賀県の芳谷炭鉱の主宰となる。1901年(明治34年)欧米を漫遊して鉱山業を視察し、新式の機械を購入して帰国。 1902年(明治35年)には遊泉寺銅山の開発に着手すると、1917年に遊泉寺銅山の附属施設として小松鉄工所(後の小松製作所)を設立した。
織田 信福(おだ のぶよし/しんぷく、1860年3月1日(安… 織田 信福(おだ のぶよし/しんぷく、1860年3月1日(安政7年2月9日) - 1926年(大正15年)1月13日)は日本の民権運動家。高知県最初の歯科医でもある。 万延元/安政7年(1860年)2月9日、土佐国幡多郡宿毛(現・高知県宿毛市)にて誕生した。父は土佐藩士族の織田大八、母は安。初名は羽田馬三郎。慶応4/明治元年(1868年)には宿毛の伊賀家の家臣として仕えていた。1873年(明治6年)12月28日には、羽田信福が幡多郡宿毛村第208番小学下等小学第七級を卒業していたことが判明している。 1880年(明治13年)に高知に転居し、医師・山崎立生の「鼎立義塾」門下生となったが、翌年12月に立生は死没した。
小野 梓(おの あずさ、1852年3月10日(嘉永5年2月2… 小野 梓(おの あずさ、1852年3月10日(嘉永5年2月20日) - 1886年(明治19年)1月11日)は、日本の法学者。明治の政治運動家。専門は英米法。 土佐国宿毛(高知県宿毛市)出身。男性。親友であった大隈重信を助け、東京専門学校(現在の早稲田大学)の創立の中心者で早稲田大学建学の母と言われている。ジェレミ・ベンサムの思想を分析した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
岩村 高俊(いわむら たかとし、弘化2年11月10日(184… 岩村 高俊(いわむら たかとし、弘化2年11月10日(1845年12月8日)- 明治39年(1906年)1月4日)は、日本の江戸時代後期から明治期の武士(土佐藩士)、官僚、華族である。初名は鉄五郎、のち精一郎。 宿毛領主伊賀家に仕えた岩村英俊(礫水)の三男で、岩村通俊、林有造の弟。位階勲等は従二位、勲二等、男爵。美術評論家・美術史家の岩村透は長男、次男は建築家の竹腰健造。 土佐国幡多郡、のちの宿毛村貝塚(宿毛町を経て現宿毛市)に生まれる。藩校の文武館で蘭学や砲術を学ぶ。慶応3年(1867年)9月に通俊の鉄砲購入に随行して長崎へ行く。ここで監察・佐佐木高行の添え書きを得て11月に上京し、陸援隊に入隊した。
林 有造(はやし ゆうぞう、1842年9月21日〈天保13年… 林 有造(はやし ゆうぞう、1842年9月21日〈天保13年8月17日〉- 1921年〈大正10年〉12月29日)は、日本の政治家、自由民権運動家。逓信大臣、農商務大臣などを歴任。位階勲等は従二位勲四等。幼名を助次。実名は包直。梅渓と号した。 天保13年8月17日(1842年9月21日)、土佐国宿毛に土佐藩安東家(のち伊賀家)の家臣・岩村英俊・嘉乃の次男として出生。兄は岩村通俊、弟は岩村高俊。幼年期に林茂次平の養子となる。戊辰戦争では板垣退助の配下につき、越後国に転戦し、明治維新後は初代の高知県令(参事)をつとめる。藩の債務処理や在任中に発生した膏取り一揆の鎮圧を図るが、板垣が参議を辞任したのに合わせて辞職。
中村 重遠(なかむら しげとお、1840年12月25日〈天保… 中村 重遠(なかむら しげとお、1840年12月25日〈天保11年12月2日〉 - 1884年〈明治17年〉2月22日)は、明治時代の日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。旧名進一郎。 1840年(天保11年)、宿毛村(現在の高知県宿毛市)に小野弥源次の子として生まれた。のち中村儀平の養子となる。山内氏固の家臣で1862年(文久2年)、宿毛文館の句読役になった。戊辰戦争では、1868年(明治元年)、東征軍に従ったが途中帰国し、宿毛出兵を説き機勢隊を編成しその責任者となる。北陸に進み功をあげる。 1871年(明治4年)[西暦年要検証]、兵部省七等出仕。のち陸軍少佐任官。1873年(明治6年)6月、陸軍省第4局第1課長に就任し、同年12月、熊本鎮台参謀長心得に転じ佐賀の乱に出征。
岩村 通俊(いわむら みちとし、1840年7月8日〈天保11… 岩村 通俊(いわむら みちとし、1840年7月8日〈天保11年6月10日〉- 1915年〈大正4年〉2月20日)は、日本の武士、官僚、政治家。鹿児島県令や初代北海道庁長官などを務めた。貫堂と号し、素水を俳号とする。栄典は正二位勲一等男爵。 明治時代に農商務大臣、宮中顧問官、北海道庁長官を務める。開拓官僚として赴任した北海道を調査し、北海道庁設置の必要性を政府に働き掛け、初代北海道庁長官となる。 土佐藩陪臣・岩村英俊を父に、長男として土佐国(現在の高知県)宿毛で生まれた通俊は、酒井南嶺の下で学問を学び岡田以蔵の下で剣術を学んだ。1869年(明治2年)には政府に出仕し聴訟司判事、箱館府権判事開拓判官を務める。
竹内 綱(たけうち(たけのうち) つな、1840年1月30日… 竹内 綱(たけうち(たけのうち) つな、1840年1月30日〈天保10年12月26日〉 - 1922年〈大正11年〉1月9日)は、日本の実業家、政治家。内閣総理大臣を務めた吉田茂は五男、麻生太郎と寬仁親王妃信子は外曾孫。 天保10年(1840年)、土佐藩家老・山内氏(伊賀氏、宿毛領主)の家臣竹内庄右衛門吉管の子として土佐国宿毛に生まれる。 目付役として大坂に宿毛蔵屋敷を建てるなど、主家の財政再建に尽力した。 慶応2年7月(1866年8月)、宿毛から16kmほど離れた阿満地浦(現在の安満地浦)にイギリス軍艦が停泊したことがあった。対応に苦慮した宿毛領主・山内氏理は、竹内に小銃200丁を備えた歩兵2個小隊を付けて接触させた。
小野 義眞(おの ぎしん / よしざね、1839年5月20日… 小野 義眞(おの ぎしん / よしざね、1839年5月20日〈天保10年4月8日〉 - 1905年〈明治38年〉5月9日)は、明治時代の実業家。通称は強一郎。従五位。岩村通俊、岩村高俊、林有造は従兄弟にあたる。 旧暦天保10年4月8日(1839年5月20日)、土佐藩宿毛(現高知県宿毛市)の大庄屋の家に生まれた。 慶応2年(1866年)宿毛領仕置役小頭として、大坂と宿毛の間を帆船「宿毛丸」で往来するようになった。慶応3年12月(1868年1月)には、高野山挙兵に参加した陸援隊士大江卓から金を調達して高野山へ送付するよう依頼されたという。 明治3年(1870年)、後藤象二郎が設立した商社蓬萊社の組合員となる。
荒木 初子 は、高知県宿毛市沖の島弘瀬出身の日本の保健婦(現… 荒木 初子 は、高知県宿毛市沖の島弘瀬出身の日本の保健婦(現・保健師)。
柴岡 三千夫(しばおか みちを)は、高知県宿毛市出身の日本の… 柴岡 三千夫(しばおか みちを)は、高知県宿毛市出身の日本の教育者。 陸上自衛隊少年工科学校13期、日本体育大学体育学部卒業。1976年体育健康クラブ創設(後のタイケン学園)、「たくましさつくり理論」を提唱した。日本幼児体育協会専務理事。社団法人幼少年体育振興協会専務理事、全国の幼稚園・保育園約3200園の定期指導と巡回派遣事業を実施、国内最大の幼児体育指導団体に成長させた。当初から全国の幼稚園・保育園・スポーツ関連団体での幼児・子どもの指導に携わり、1976年より毎年実施している幼児体育健康教育講集会(旧・幼児体育指健康教育指導者講習会・研修会を含む)は、全国の幼稚園、保育園からその理論と実技について高い評価を得、同講習会の実行委員を兼任するかたわら主席講師としての後輩の指導に当たり、不毛であった幼児体育の概念をまとめ、組織化したことは現在に至るまで大きな実績をのこしている。
山本 啓司(やまもと けいじ)は、日本の外交官。2012年(… 山本 啓司(やまもと けいじ)は、日本の外交官。2012年(平成24年)9月19日からルーマニア駐箚特命全権大使。