古賀 豪紀(こが ひでとし、1966年11月8日 - )は、… 古賀 豪紀(こが ひでとし、1966年11月8日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(外野手)、政治家。 中学校までは経済的な事情でバレーボール部に所属しており、誘いがあった西海学園高では野球部に入部。社会人野球の九州三菱自動車に進み、1988年オフにドラフト外でオリックス・ブレーブスへ入団する。 しかし、壁は厚く内野手に転向するなどしたが、結局一度も一軍へ上がることなく1993年限りで現役を引退した。 引退後は、佐世保市で居酒屋を経営。また、社会人野球クラブの佐世保ドリームスターズ(長崎セインツの前身)で監督を務めた。 2007年に長崎国際大学を卒業し、高校野球指導者になるために教員免許を取得した。
真島 省三(まじま しょうぞう、1963年1月12日 - )… 真島 省三(まじま しょうぞう、1963年1月12日 - )は、日本の政治家。日本共産党所属。衆議院議員を1期務めた。 長崎県佐世保市出身。佐世保市立山手小学校、佐世保市立花園中学校、長崎県立佐世保北高等学校卒業。九州工業大学進学を機に北九州市へ移り住み、今日に至る。在学中日本民主青年同盟に加盟し、共産党の活動にかかわるようになる。大学中退後は民青同盟職員を経て民青同盟戸畑地区委員長。のち日本共産党八幡遠賀地区委員会委員長。 2007年に第16回統一地方選挙として行われた福岡県議会議員選挙で、八幡西区選挙区から立候補し当選。この時は真島が唯一の共産党所属県議だった。当時福岡県知事だった麻生渡に県町村会をめぐる汚職について追及した。
今川 正美(いまがわ まさみ、男性、1947年8月7日 - … 今川 正美(いまがわ まさみ、男性、1947年8月7日 - 2021年9月8日)は、日本の政治家。 佐世保市出身。佐賀大学農学部中退。在籍時には、農学部の自治会委員長として学生寮の運営などを巡って大学側と団体交渉に臨んでいた際、「教官を不法に監禁した」として逮捕され、有罪判決を受けた。1968年に佐世保地区労に入り書記を務める。1994年には佐世保地区労事務局長に就任した。その他、佐世保軍事問題研究会代表、全国一般労働組合長崎地方本部委員長、連合佐世保地協事務局次長等を歴任した[要出典]。 2000年6月、第42回衆議院議員総選挙に社民党公認で長崎4区から立候補したが、無所属の北村誠吾に敗れた。
早川 忠孝(はやかわ ちゅうこう、1945年9月4日 - )… 早川 忠孝(はやかわ ちゅうこう、1945年9月4日 - )は、日本の弁護士、政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(2期)。
田浦 直(たうら ただし、1937年〈昭和12年〉4月5日 … 田浦 直(たうら ただし、1937年〈昭和12年〉4月5日 - 2025年〈令和7年〉5月6日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(2期)。皮膚科医。医学博士(長崎大学)。 社会福祉法人橘会理事長、NPO法人長崎こども囲碁普及会理事長、長崎ペンクラブ会長、文芸誌「ら・めえる」発行人。 長崎県佐世保市出身。1962年(昭和37年)に長崎大学医学部を卒業し、長崎大学医学部助手、日本赤十字社長崎原爆病院皮膚科部長などを歴任した。 1969年(昭和44年)、長崎大学で医学博士を取得した。論文の題は「正常皮膚表面の水素イオン濃度に関する研究 」。 1975年(昭和50年)に田浦皮膚科診療所を開設。
光武 顕(みつたけ あきら、1931年(昭和6年)3月27日… 光武 顕(みつたけ あきら、1931年(昭和6年)3月27日 - 2025年(令和7年)12月19日)は、日本の政治家。長崎県佐世保市長(3期)、衆議院議員(1期)、長崎県議会議員(4期)を務めた。 青島生まれ、満洲の錦州で終戦を迎えた。長崎県佐世保市出身。1950年、長崎県立佐世保南高等学校卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。長崎県職員、佐世保市職員等を経て、長崎県議会議員選挙に立候補し当選。以後4期15年(1971年-1986年)務めた。 県議4期目の途中、1986年の第38回衆議院議員総選挙へ立候補するが落選。4年後、1990年の衆議院議員選挙で初当選(無所属、当選後自由民主党に入党)。
速見 魁(はやみ いさお、1928年(昭和3年)8月10日 … 速見 魁(はやみ いさお、1928年(昭和3年)8月10日 - 1991年(平成3年)3月8日)は日本の政治家。 長崎県佐世保市出身。旧制長崎県立佐世保中学校卒業。全日本港湾労働組合九州地方本部副委員長、佐世保地区労働組合会議(佐世保地区労)書記長・議長、長崎県議会議員を経て1986年(昭和61年)7月の第14回参議院議員通常選挙(長崎県選挙区)に日本社会党公認で立候補したが次点落選。1990年(平成2年)2月、第39回衆議院議員総選挙で引退した石橋政嗣前社会党委員長の後継として長崎2区より立候補し当選。衆議院運輸委員会に所属した。 任期在職中の1991年3月8日、入院先の国立がんセンターで死去した。
宮島 滉(みやじま ひろし、1927年2月22日 - 202… 宮島 滉(みやじま ひろし、1927年2月22日 - 2021年4月13日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。次男は元衆議院議員、元長崎県議会議員、第32代佐世保市長の宮島大典。 長崎県佐世保市出身。1953年日本大学法学部卒。農協に入り、農協組合長やテレビ長崎取締役などを務めた。1983年の第13回参議院議員通常選挙で長崎県選挙区から自民党公認で立候補し当選。1988年竹下改造内閣で労働政務次官に就任。翌1989年の宇野内閣でも留任した。同年の第15回参議院議員通常選挙で落選した。1997年春の叙勲で勲三等旭日中綬章受章。1998年に組合長として土地の評価を水増してさせぼ農協に約4億9000万円、不正に融資をさせたとして引責辞任、背任で逮捕され、懲役3年執行猶予5年の判決を受け、2000年に確定。
中村 弘海(なかむら こうかい、1925年(大正14年)6月… 中村 弘海(なかむら こうかい、1925年(大正14年)6月21日 - 2008年(平成20年)11月30日)は、昭和時代後期の日本の政治家、企業経営者。
桟 熊獅(かけはし くまし、1923年(大正12年)4月25… 桟 熊獅(かけはし くまし、1923年(大正12年)4月25日 - 2012年(平成24年)2月3日)は日本の政治家。佐世保市長を16年間にわたって務めた。 佐世保市出身。県立佐世保中学校(現・佐世保南高校)、第五高等学校文科甲類を経て、東京大学経済学部を卒業。長崎県職員、佐世保市職員、佐世保重工業(SSK)社員を経て、1970年3月に長崎県出納長に就任、1972年3月に副知事に転じ1期を務めた。 1979年4月、引退する辻一三の後継として佐世保市長選に出馬し当選、4期16年を務める。在任中にテクノポリス指定や西九州自動車道の大塔までの開通、ハウステンボスの誘致などを果たしたが九州新幹線西九州ルートの早岐経由から嬉野温泉経由への経路変更問題で政治姿勢を追及され、1992年12月の定例市議会で異例の「市長に猛省を求める決議」が可決されるに至った。
篠崎 年子(しのざき としこ、旧姓:村田、1918年6月12… 篠崎 年子(しのざき としこ、旧姓:村田、1918年6月12日 - 2017年10月6日)は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。元長崎県議会議員(1期)。 長崎県佐世保市生まれ。1931年(昭和6年)、佐世保市立大久保小学校卒業、1935年(昭和10年)、佐世保高等女学校卒業後、教職をめざし、長崎県女子師範学校入学。1937年(昭和12年)に卒業後、佐世保市立吉井南小学校、佐世保市立白南風小学校、佐世保市立光園小学校(現在の佐世保市立祇園小学校)、佐世保市立大久保小学校などで勤務。1941年(昭和16年)、教師と結婚。夫の校長就任と同時に退職。その後、夫が49歳で死去したため、1963年(昭和38年)、復職した。
田浦 直蔵(田浦 直藏、たうら なおぞう、1898年(明治3… 田浦 直蔵(田浦 直藏、たうら なおぞう、1898年(明治31年)10月15日 - 1965年(昭和40年)8月17日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)、長崎県議会議長。 長崎県北松浦郡平村(平町、宇久町を経て現佐世保市宇久町)で、田浦甚吉の二男として生まれる。1916年(大正5年)長崎県水産講習所(現長崎県立長崎鶴洋高等学校)を卒業した。 1916年、長崎県農林技手となる。1924年(大正13年)長崎県漁業組合連合会が設立され同会主事に就任。1932年(昭和7年)長崎水産商事(株)を設立して取締役社長に就任。上海支店を設け、その他、長崎魚市場取締役、グランドサービス取締役なども務めた。
山口 喜久一郎(やまぐち きくいちろう、1897年 <明治3… 山口 喜久一郎(やまぐち きくいちろう、1897年 <明治30年> 5月11日 - 1981年 <昭和56年> 5月6日)は日本の政治家、第52代衆議院議長(在任期間・1965年12月20日 - 1966年12月3日)。長崎県佐世保市出身(選挙区は和歌山県)。栄典は勲一等旭日大綬章、正三位、佐世保市名誉市民。 1915年旧制鹿島中学(現佐賀県立鹿島高等学校)卒業。1920年早稲田大学専門部中退。株式ブローカー、岡崎邦輔秘書を経て、1930年和歌山県会議員に当選。1937年の第20回衆議院議員総選挙に当時の旧和歌山1区から立憲政友会公認で立候補するが落選。同年より県会議長を2期務めた後、1942年の第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)に前回と同じく旧和歌山1区から非推薦で立候補し衆議院議員に初当選。
山中 辰四郎(やまなか たつしろう、1890年(明治23年)… 山中 辰四郎(やまなか たつしろう、1890年(明治23年)7月7日 - 1971年(昭和46年)12月11日)は、昭和期の日本の政治家で、公選2人目の佐世保市長である。 佐世保市出身。戦前に佐世保市議会議員を1期(1933年~1937年)務めた後、市役所職員となり、総務課長、助役を経て、1955年4月の市長選挙で現職の中田正輔を破って第15代佐世保市長に就任、2期8年間に及び市長を務めた。 在職中には佐世保工業高等専門学校、海上自衛隊教育隊の誘致を実現したほか、石岳動植物園の開園、鹿子前への観光道路整備など、観光都市としての基盤整備に努めた。 1963年4月の市長選に3選を目指し出馬したが、元市議会議長の辻一三に阻まれ落選、4年後の1967年4月の市長選にも再度挑戦したが再び辻に敗れた。
鈴木 重次(すずき しげじ、1887年〈明治20年〉5月10… 鈴木 重次(すずき しげじ、1887年〈明治20年〉5月10日 - 1951年〈昭和26年〉11月5日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 長崎県北松浦郡、のちの江迎村(江迎町を経て現佐世保市江迎町)出身。1905年長崎県立平戸中学校猶興館(現・長崎県立猶興館高等学校)卒。小学校訓導兼校長、江迎村長、長崎県議、同議長、大政翼賛会長崎県支部顧問、同中央協力会議員となる。 1942年の第21回衆議院議員総選挙では長崎2区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。戦後は日本進歩党に入ったが、推薦議員のため公職追放となった。1951年追放解除。追放解除後に死去した。
中田 正輔(なかた まさすけ、1884年12月14日 - 1… 中田 正輔(なかた まさすけ、1884年12月14日 - 1960年11月28日)は、昭和期の日本の政治家で、非公選最後及び公選初代の佐世保市長である。 佐世保市出身。早稲田大学政経科(現在の政治経済学部)を卒業し、帰郷して地元の佐世保軍港新聞の記者になったが体調を崩し2年ほどで退職して実家で農業を営む。1916年7月の長崎県議会議員補欠選挙に擁立され初当選、以後佐世保市議会議員(5期、1918年~1936年)、同議長(1930年6月~1932年3月)、さらに衆議院議員(1期、1932年~1936年)を務めた後、戦後間もない1946年8月に第12代佐世保市長に就任。翌年の初の市長選で引き続き当選、非公選1期、公選2期の計9年間に及び市長を務めた。
草刈 武八郎(くさかり たけはちろう、1853年8月12日(… 草刈 武八郎(くさかり たけはちろう、1853年8月12日(嘉永6年7月8日)- 1942年(昭和17年)11月1日)は、明治から大正期の地主・実業家・政治家。衆議院議員。旧姓・川合。 肥前国松浦郡、のちの長崎県北松浦郡山口村(相浦町を経て現佐世保市)で川合小一右衛門の二男として生まれる。平戸藩校・維新館で学び、1869年(明治2年)から平戸藩砲兵塾で学んだ。1871年(明治4年6月)農業、回漕業・草刈太一左衛門の養子となり、1876年(明治9年)6月、家督を相続した。 実業界では、九十九銀行取締役、平戸貯蓄銀行取締役、長崎県農工銀行取締役、相浦銀行監査役などを務めた。 政界では、1879年(明治12年)山口村会議員に就任。
中倉 万次郎(なかくら まんじろう、嘉永2年12月22日(1… 中倉 万次郎(なかくら まんじろう、嘉永2年12月22日(1850年2月3日) - 昭和11年(1936年)2月6日)は、明治時代から昭和時代初期にかけての日本の政治家・実業家。 現在の佐世保市吉井町の川崎家に生まれ、幼時に現在の同市世知原町の中倉家の養子となる。 1883年(明治16年)長崎県会議員に選出される。1889年(明治22年)に町村制が施行されると、北松浦郡山口村(現在の佐世保市相浦地域)の村長に選ばれた。 その後中央及び地元で長崎県農工銀行取締役頭取、衆議院議員、帝国農会議員、米価調節委員を歴任。 製茶練習所を世知原村内に開設して所長となり現在同地区の名産となっている茶作りの基礎を築いた他、北松浦郡内の道路整備や、当時栄えていた北松炭田からの石炭積み出しを目的とした佐世保軽便鉄道(のち佐世保鉄道、現松浦鉄道西九州線の一部)の設立、平戸島電燈会社の設立など、地域の発展に務めた。