原口 大輝(はらぐち だいき、1993年11月13日 - )… 原口 大輝(はらぐち だいき、1993年11月13日 - )は、フリーアナウンサー。元静岡放送アナウンサー。宮崎県えびの市出身。 高校時代は日南学園高校の硬式野球部に所属し、第93回全国高等学校野球選手権大会にも出場した。高校卒業後は専門学校に進学し、3年次に鹿屋体育大学に編入し、その後は筑波大学の大学院に進学した。 大学院修了後はスポーツを身近に伝えられる職業としてアナウンサーを志望し、2018年4月に静岡放送に入社した。 趣味は野球観戦と料理。野球は東京ヤクルトスワローズのファン。料理がプロ並みに上手く、『まだ帰りたくない大人たちへ チョコレートナナナナイト!』のコーナー「原口大輝のお持ち帰り大作戦」でチキン南蛮や恵方巻きを作り、腕の凄さを認められた。
前原 香那枝(まえはら かなえ、1989年10月12日 - … 前原 香那枝(まえはら かなえ、1989年10月12日 - )は、日本のプロボクサー、看護師である。宮崎県えびの市出身。三迫ボクシングジム所属(デビュー2戦はワタナベボクシングジム)。現女子日本ミニマム級王者。 大学病院の看護師として働き始めて3,4年たち、精神的に辛くなった時に姉の勧めで観た映画『百円の恋』がきっかけでボクシングを始める。 2018年8月20日、デビュー戦でダウンを奪って判定勝ち。 2022年9月1日、鵜川菜央に判定で敗れプロ3戦目で初黒星。 2025年1月21日、プロ9戦目で漣バルとの女子日本ミニマム級王座決定戦に臨むが、0-3判定で敗れ王座獲得ならず。 2025年7月27日、神戸市立中央体育館にて女子日本ミニマム級王座決定戦として1位の吉川梨優那と対戦、2回にダウンを奪ったが1-2判定で敗れる。
吉村 洋子(よしむら ようこ、1971年5月29日 - )は… 吉村 洋子(よしむら ようこ、1971年5月29日 - )は、元中部日本放送 (CBC) のアナウンサー。宮崎県えびの市出身。 東京女子大学卒業後、1994年にCBCに入社。同期に大石邦彦、中橋かおり、日角真、相羽装子がいる。在籍期間中に結婚と妊娠の経験あり。 2016年現在、埼玉のFMラジオ放送NACK5のショッピングキャスター等で出演。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。 Category:CBCテレビのアナウンサーを参照。
片平 夏貴(かたひら なつき、本名:片平 貴美代(かたひら … 片平 夏貴(かたひら なつき、本名:片平 貴美代(かたひら きみよ)、1961年12月10日 - )は、タレント、フリーアナウンサー。宮崎県えびの市出身。宮崎県立小林高等学校卒業。
井川原 賢(いがわはら まさる、1960年〈昭和35年〉9月… 井川原 賢(いがわはら まさる、1960年〈昭和35年〉9月7日 - )は、日本の外交官。 アジア大洋州局中国・モンゴル第一課地域調整官、在青島総領事などを経て、2023年10月から駐モンゴル大使を務める。 宮崎県えびの市出身。宮崎県立小林高等学校を卒業。
銀色 夏生(ぎんいろ なつを、1960年3月12日 - )は… 銀色 夏生(ぎんいろ なつを、1960年3月12日 - )は、日本の女性詩人、随筆家、作詞家、写真家。 1960年、宮崎県えびの市に生まれる。えびの市立真幸小学校、えびの市立真幸中学校、宮崎県立小林高等学校、埼玉大学教養学部を卒業。 1982年に作詞家として活動を開始し、翌1983年に沢田研二の「晴れのちBLUE BOY」を作詞した。その後も大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」「ゴーゴーヘブン」や、2011年度NHK全国学校音楽コンクール課題曲「僕が守る」 などを作詞した。また、山本みき子・山元みき子(やまもと みきこ)名義で太田裕美に歌詞を提供している。 1985年に第1詩集『黄昏国』を河出書房新社より刊行。
谷山 弘行(たにやま ひろゆき、1951年(昭和26年)8月… 谷山 弘行(たにやま ひろゆき、1951年(昭和26年)8月4日 - )は、日本の病理学者・獣医師。獣医学博士(北海道大学)。酪農学園大学理事長。前酪農学園大学学長・酪農学園大学短期大学部学長。2025年11月6日永眠。 宮崎県えびの市出身。1977年、酪農学園大学酪農学部獣医学科卒業。1980年、帯広畜産大学大学院畜産学研究科修士課程を修了し、帯広畜産大学畜産学部助手。1987年、酪農学園大学酪農学部講師。1993年、酪農学園大学酪農学部助教授。1991年、アメリカ合衆国オハイオ州立大学医学部に留学(~1992年)。2003年、酪農学園大学獣医学部教授。2007年、酪農学園大学学長・酪農学園大学短期大学部学長(~2013年)。
中山 義彦(なかやま よしひこ、1947年10月18日 - … 中山 義彦(なかやま よしひこ、1947年10月18日 - )は、日本の政治家。宮崎県えびの市長(1期)。元えびの市議会議員(2期)。 宮崎県えびの市出身。宮崎県立都城工業高等学校卒業後、建設会社で約40年間勤務する。2017年9月からはえびの市議会議員を2期務めたほか、再生可能エネルギー会社の役員も務める。 2024年11月、翌年のえびの市長選挙への立候補を表明し、2025年1月、市議を辞職。 2025年9月21日、えびの市長選挙で初当選した。10月12日、就任。
堀 和郎(ほり かずお、1945年 - )は日本の教育学者、… 堀 和郎(ほり かずお、1945年 - )は日本の教育学者、筑波大学名誉教授。 宮崎県えびの市出身。現在、東京医療保健大学教授。2026年、瑞宝中綬章受章。 文部科学省大学設置・学校法人審議会専門委員、スーパーイングリッシュランゲージハイスクール事業専門委員、宮崎太陽銀行の社外取締役や監査役などを歴任した。 2004年には、教育委員会制度調査研究会代表として、「教育委員会制度及び県費負担教職員制度の運用実態に関する調査」 を行った。 九州大学教育学部助手。宮崎大学教育学部講師。宮崎大学教育学部助教授をへて、1990年 - 宮崎大学教育学部教授。 1997年 - 筑波大学大学院人間総合科学研究科教授。
出口 辰夫(でぐち たつお、大正12年〈1923年〉- 昭和… 出口 辰夫(でぐち たつお、大正12年〈1923年〉- 昭和30年〈1955年〉1月30日もしくは昭和30年(1955年)1月10日)は、日本のヤクザ。稲川組(組長:稲川角二)幹部。宮崎県西諸県郡飯野町出身。通称「モロッコの辰」。 大正12年(1923年)、宮崎県西諸県郡飯野町(現:宮崎県えびの市)で生まれる。実家は農家で、5人兄弟の四男だった。 昭和13年(1938年)、加久藤尋常小学校高等科2年を卒業後、すぐ上の兄とともに、横浜市鶴見区潮田に住む次兄夫婦のもとに預けられ、ここで夜学の工業高校に進学した。在学中、川崎の「薄田拳闘クラブ」に通い、本格的にボクシングを始めた。この頃から喧嘩三昧の生活を送るようになり、愚連隊の世界に入っていくこととなる。
松形 祐堯(まつかた すけたか、1918年2月26日 ‐ 2… 松形 祐堯(まつかた すけたか、1918年2月26日 ‐ 2007年8月23日)は、日本の政治家、官僚。 宮崎県知事(公選第10‐15代)、林野庁長官を歴任。 宮崎県えびの市出身。宮崎県立小林中学校(現・宮崎県立小林高等学校)、鹿児島高等農林学校(現・鹿児島大学農学部)、九州帝国大学農学部卒業。1942年農林省に入省。林野庁長官などを歴任後、1976年の参議院議員補欠選挙に宮崎県選挙区から自由民主党公認で立候補したが落選。1979年当時の宮崎県知事黒木博の任期途中での辞職により同県知事選に立候補し当選、2003年まで宮崎県知事を6期務めた。6期目では全国で最高齢の知事であった。2004年旭日大綬章受章。
黒木 親慶(くろき ちかのり、1883年(明治16年)2月1… 黒木 親慶(くろき ちかのり、1883年(明治16年)2月1日 - 1934年(昭和9年)3月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。 宮崎県西諸県郡飯野村(後の飯野町、現・えびの市)に大河平親貞の長男として生まれ、黒木実幸の養子となる。 熊本陸軍幼年学校、陸軍中央幼年学校を経て、1904年(明治37年)11月、陸軍士官学校(16期)を卒業。同期生に、岡村寧次、小畑敏四郎、永田鉄山らがいる。同年12月、歩兵少尉に任官し、歩兵第46連隊付となる。1905年(明治38年)5月から12月まで、日露戦争に出征。1912年(大正元年)陸軍大学校(24期)を卒業した。 陸軍士官学校教官、参謀本部部員、ハルビン駐在を経て、1916年(大正5年)第一次世界対戦下のロシア軍に従軍。
瀬戸山 清彦(せとやま きよひこ、1867年12月30日(慶… 瀬戸山 清彦(せとやま きよひこ、1867年12月30日(慶応3年12月5日)- 1944年(昭和19年)6月30日)は、日本の医師、政治家、衆議院議員(1期)。 日向国諸県郡、のちの宮崎県西諸県郡加久藤町(現えびの市)で生まれた。1890年(明治23年)第三高等中学校医学部(現:京都大学医学部)卒。陸軍一等軍医(大尉相当官)となり、日清、日露の両戦争に従軍する。その後は医業に従事し、日向銀行頭取を務めた。 1912年(明治45年)第11回衆議院議員総選挙において宮崎県から立憲政友会公認で立候補したが落選した。8月に塚本常弥の死去により繰り上げ当選となった。衆議院議員を1期務め、1915年(大正4年)第12回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。
肥田木 基昌(ひだき もとよし、1850年(嘉永3年8月)-… 肥田木 基昌(ひだき もとよし、1850年(嘉永3年8月)- 1906年(明治39年)5月10日)は、明治期の政治家。衆議院議員、宮崎県西諸県郡飯野村長。 日向国諸県郡飯野郷大明司村(宮崎県北諸県郡飯野郷大明司村、西諸県郡飯野郷大明司村、飯野村大字大明司、飯野町、えびの町を経て現えびの市大明司)で生まれた。漢学を修めた。 飯野村長、飯野村会議員、宮崎県会議員を務めた。1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(宮崎県第2区、自由党)で当選し、衆議院議員に1期在任した。
大河平 才蔵(おこひら さいぞう、生年不明 - 1894年(… 大河平 才蔵(おこひら さいぞう、生年不明 - 1894年(明治27年)5月18日)は、大日本帝国海軍の軍人、海軍大技監。従五位。 1882年(明治15年)東京築地海軍兵器製造所内において、日本初の近代洋式製鋼技術により鋼の生産に成功。鋼の化学分析の創始者。日本の近代洋式製鋼技術の礎を築いた。キリスト教徒。 才蔵は1855年前後、都城(現宮崎県えびの市)で薩摩藩士族・大河平実次の子として生まれた。大河平家は古くは日向国の士族であるが、江戸時代後期には薩摩藩島津家に代々仕え島津家の要職を務めており、才蔵の父は島津家の祐筆であったと言われている。後の海軍元帥東郷平八郎は従兄弟にあたる。東郷は大河平より年長だが、二人は親しく交際し、大河平の人生に少なからず影響を与えた。
内田 和幸(うちだ かずゆき)は、日本の獣医学者、獣医師。専… 内田 和幸(うちだ かずゆき)は、日本の獣医学者、獣医師。専門は神経病理学。東京大学大学院農学系研究科獣医学専攻教授。日本獣医病理学専門家協会理事長。日本獣医学会賞受賞。 宮崎県えびの市出身。1987年宮崎大学農学部獣医学科卒業。1989年東京大学大学院農学系研究科獣医学専攻修士課程修了。 1990年東京大学農学部獣医病理学研究室助手。1991年宮崎大学家畜病理学研究室助手。1993年東京大学博士(農学)。1996年ニューヨーク州立コーネル大学獣医学部病理講座研修医。2008年東京大学大学院農学生命研究科獣医病理学研究室准教授。 2017年日本獣医学会理事・編集委員、日本獣医病理学専門家協会副理事長。