野村 昭夢(のむら あきむ、2002年11月10日 - )は… 野村 昭夢(のむら あきむ、2002年11月10日 - )は、鹿児島県志布志市出身の陸上競技選手。専門は中距離走・長距離走。志布志市立有明中学校、鹿児島城西高等学校、青山学院大学文学部・史学科卒業。現在は住友電工に所属している。 兄は東洋大学OBで、第93回箱根駅伝9区区間賞の野村峻哉。
鹿児島県 志布志市:19人
※有名人ナビに登録されている19人を職業別に数えました。複数の職業を持つ人は、それぞれの職業に数えています。
野村 昭夢(のむら あきむ、2002年11月10日 - )は… 野村 昭夢(のむら あきむ、2002年11月10日 - )は、鹿児島県志布志市出身の陸上競技選手。専門は中距離走・長距離走。志布志市立有明中学校、鹿児島城西高等学校、青山学院大学文学部・史学科卒業。現在は住友電工に所属している。 兄は東洋大学OBで、第93回箱根駅伝9区区間賞の野村峻哉。
前田 千島(まえだ ちしま、1997年3月4日 - )は、鹿… 前田 千島(まえだ ちしま、1997年3月4日 - )は、鹿児島県志布志市出身の、日本人の女子柔道家である。階級は52 kg級。身長157 cm。柔道弐段を取得。組み手は右組み。得意技は背負投。2019年に片手絞の珍しい絞技片手巻を国際試合で2回以上極めている。 5人兄弟の末っ子で、柔道は7歳の時に志布志柔道スポーツ少年団で始めた。小学校5年の時に全国小学生学年別柔道大会40 kg級に出場するが、予選リーグで敗れた。財部中学3年の時には全国中学校柔道大会44 kg級に出場するも、3回戦で敗れた。国分中央高校へ進むと、1年の時にはインターハイ52 kg級で5位となった。全国高校選手権52 kg級では3回戦で48 kg級の選手である大成高校2年の近藤亜美に袈裟固で敗れた。
野村 峻哉(のむら しゅんや、1995年4月22日 - )は… 野村 峻哉(のむら しゅんや、1995年4月22日 - )は、鹿児島県志布志市出身の元陸上競技選手。専門は長距離走。鹿児島城西高等学校、東洋大学経済学部経済学科卒業。現役時代は安川電機に所属した。身長173cm、体重55kg。東洋大学陸上競技部第65代主将。
山口 観弘(やまぐち あきひろ、1994年9月11日 - )… 山口 観弘(やまぐち あきひろ、1994年9月11日 - )は、鹿児島県志布志市出身の日本の競泳選手。種目は平泳ぎ。200m平泳ぎ元世界記録保持者。東洋大学出身。 4歳のときに水泳を始める。志布志市立志布志中学校在学中の2008年、2009年、全国中学校水泳競技大会において、100メートル、200メートル平泳ぎで2冠を達成。鹿児島県立志布志高進学後の2011年には100メートルで北島康介の高校記録を11年ぶりに更新し、世界ジュニア水泳選手権では200メートルで優勝した。。2012年、ロンドンオリンピックへの選考会を兼ねた日本選手権水泳競技大会では、100メートル、200メートルとも高校新記録を樹立、特に200メートルでは派遣標準記録を突破したものの、北島康介、立石諒に続く3位となり、オリンピック代表入りを逃した。
岡元 竜生(おかもと りゅうせい、1993年11月1日 - … 岡元 竜生(おかもと りゅうせい、1993年11月1日 - )は、鹿児島県志布志市出身の元ハンドボール選手。 中部大学時代は2014年の全日本学生ハンドボール選手権大会(インカレ)で優秀選手賞を受賞した。 2015年は第28回ユニバーシアード競技大会の日本代表に選ばれた。 2016年2月に日本ハンドボールリーグのトヨタ車体へ加入。背番号は「23」。6月には第23回世界学生選手権の日本代表U-24に選出された。 2016-17年シーズンから背番号を「13」へ変更。 2019年の第26回世界選手権で日本代表に初選出された。 2024-25年シーズン限りで現役を引退。
千代鳳 祐樹(ちよおおとり ゆうき、1992年10月11日 … 千代鳳 祐樹(ちよおおとり ゆうき、1992年10月11日 - )は、鹿児島県志布志市出身で九重部屋に所属した元大相撲力士。本名は木下 祐樹(きのした ゆうき)。身長178cm、体重173kg、血液型はO型。得意手は突き、押し。最高位は西小結(2014年5月場所)。現在は年寄・錦島。同じ九重部屋の千代丸は実兄。好物は鶏の唐揚げ。嫌いなものはトマトと梅干し。趣味は寝ること(入門前は釣り、サッカー)。平成4年度生まれの関取を指す、いわゆる「花のヨン組」の1人。 志布志大原保育園時代はサッカーを行い、志布志市立志布志小学校に入ってからは1年から5年ごろまで水泳を行っていた。入門前は主に柔道を得意とし、志布志柔道スポーツ少年団時代から志布志市立志布志中学校時代までの9年間に渡って続けていた。
千代丸 一樹(ちよまる かずき、1991年4月17日 - )… 千代丸 一樹(ちよまる かずき、1991年4月17日 - )は、鹿児島県志布志市出身で九重部屋に所属した元大相撲力士。現在は若者頭。本名は木下 一樹(きのした かずき)。身長178.0cm、体重166.0kg。血液型はB型。最高位は東前頭5枚目(2018年3月場所)。同じ九重部屋所属の元小結・千代鳳(20代錦島)は実弟。好物はパスタ、モンブラン。 小中学生時代には柔道を経験した他、小学生時代には相撲も並行して習っており、相撲の指導者の子が九重部屋所属の元力士だった縁で志布志市立志布志中学校を卒業後、九重部屋に入門。2007年5月場所で初土俵を踏んだ。同期には旭秀鵬がいる。本人は後年、相撲を取っていなかったら地元で子供たちに柔道を教えていただろうという趣旨のコメントをしている。
Yoko*(よーこ、1987年4月8日[要出典] - )は、… Yoko*(よーこ、1987年4月8日[要出典] - )は、日本の女性シンガーソングライター。 鹿児島県志布志市出身。シンガーソングライターママ。小さい頃からピアノ、歌が大好きで毎日を音楽と共に過ごしてきた。2010年のオーディションで抜群の歌唱力、存在感、聴く者の心に響く気持ちの熱さで高い評価を得た。大好きな鹿児島から、全国に、世界中に『音時間』を発信している。お母さんでもある彼女は、女性が輝き続けること、こどもたちの笑顔の味方でありたいと、宇宙規模でのアイを歌い続け、届け続けている。 ★2024年、鹿児島自衛隊広報大使に任命される。★2020年、垂水市観光PR大使に任命される。そして、垂水市の公式観光PRビデオの製作も自ら行っている。
小牧 毅(こまき つよし、1971年4月13日 - )は、兵… 小牧 毅(こまき つよし、1971年4月13日 - )は、兵庫県競馬組合の元騎手、調教師である。騎手時代は曾和直榮、花村通春厩舎所属であった。 鹿児島県曽於郡有明町(現・志布志市)出身。 1989年10月31日に初騎乗、同日に初勝利。生涯成績は10328戦1009勝。 兄である小牧太と共に曾和厩舎に所属していたが、有力馬はほとんど太に回されていた。騎乗技術は「小牧おもし」などと呼ばわりされるほどには低くなかったが、曾和の毅に対する評価は低く、曾和厩舎に出戻った当時も騎乗数の少なさは顕著であった。 太の移籍で騎乗数も増えるかと期待されたが、曾和は岩田康誠を主戦騎手に据えたために騎乗数は逆に減少、さらに2006年には川原正一が曾和厩舎の所属騎手となるに至り、同年4月1日付けで花村通春厩舎に所属変更したが、2007年4月1日より曾和厩舎に戻っている。
小牧 太(こまき ふとし、1967年9月7日 - )は、兵庫… 小牧 太(こまき ふとし、1967年9月7日 - )は、兵庫県競馬組合(兵庫県騎手会)の騎手。1985年に兵庫県競馬組合よりデビューして、2004年に日本中央競馬会(JRA)へ移籍し、2024年8月より兵庫県競馬組合に復帰。弟は兵庫県競馬組合所属調教師の小牧毅。子息の小牧加矢太は2020年の全日本障害飛越選手権を制した馬術競技の元選手で現JRA騎手。 出生は神奈川県横浜市。横浜から移り住んだ鹿児島で競馬とは無縁の環境で育ち、進学先の高校も決まっていたが、乗り役を捜していた近所の牧場が小牧に声を掛けたことから話は進展し、1985年兵庫県競馬組合の曾和直榮厩舎の所属騎手としてデビューとなる。 初騎乗は1985年10月30日の姫路競馬第1競走(タカラヒリユウ)で、初勝利は同年11月3日の姫路競馬第8競走(ビンゴトモエ)。
野﨑 千華(のざき ちか、旧姓:川畑、1967年〈昭和42年… 野﨑 千華(のざき ちか、旧姓:川畑、1967年〈昭和42年〉5月27日 - )は、日本のフリーアナウンサー、ナレーター、声優、キャスター、リポーター。元南日本放送(MBC)女性アナウンサー。 鹿児島県志布志市出身。鹿児島県立志布志高等学校卒業後、日本女子大学を卒業。血液型はO型。 アナウンサーとして、1991年(平成3年)4月1日にMBC南日本放送へ入社し、1995年(平成7年)3月30日に退社。 空から日本を見てみようでのナレーションは低い声だが、本来は高め。趣味は、旅行、ドライブ、映画、ドラマ鑑賞、フラメンコ。
山下 隆一(やました りゅういち、1964年〈昭和39年〉6… 山下 隆一(やました りゅういち、1964年〈昭和39年〉6月20日 - )は、日本の経産官僚。 鹿児島県志布志市出身。中学2年の時、親元を離れて鹿児島市立城西中学校へ移る。ラ・サール高等学校から東京大学へ進学。1989年(平成元年)、東京大学法学部を卒業し、同年4月、通商産業省へ入省。 製造産業局鉄鋼課長、経済産業政策局経済産業政策課長、経済産業省大臣官房総務課長、資源エネルギー庁資源・燃料部長などを歴任。途中、産業再生機構などに出向し、原子力損害賠償・廃炉等支援機構連絡調整室長、東京電力ホールディングス取締役などを務めた。 2020年(令和2年)7月20日、産業技術環境局長に就任。国家イノベーション戦略の推進、国家研究開発事業の企画及び実施、気候変動対策を含む工業標準政策や環境政策を統括した。
堂園 喜義(どうぞの きよし、1956年6月10日- )は、… 堂園 喜義(どうぞの きよし、1956年6月10日- )は、鹿児島県志布志市(現役当時は、同県曽於郡志布志町)出身の元プロ野球選手。ポジションは投手で、アンダースロー投法であった。 鹿児島商業高等学校では1972年、1年生ながらエースとして夏の甲子園に出場。1回戦でこの大会に優勝した津久見高に9回逆転サヨナラ負けを喫する。1973年の夏は鹿児島県予選で決勝に進出するが、鹿児島実業に敗退。最上級生として臨んだ1974年は春の選抜に出場。これまた初戦で、この大会に優勝した報徳学園に敗れた。同年夏は、県予選決勝で定岡正二を擁する鹿児島実業に0-2で敗北。2度の甲子園出場で勝利を味わう事が叶わないまま、高校3年間を終える。
池添 兼雄(いけぞえ かねお、1952年10月22日 - )… 池添 兼雄(いけぞえ かねお、1952年10月22日 - )は、JRAの・栗東トレーニングセンターに所属していた元騎手、元調教師。長男は騎手の池添謙一、次男は調教師の池添学、謙一のバレットを務める娘(3番目の実子で長女)がいる。 1974年3月、栗東・大久保石松厩舎所属で騎手デビュー。4月大久保正陽厩舎となる。 1979年7月23日、長男・謙一が誕生する。 1981年10月、フリーとなる。 1992年2月、騎手を引退する(通算成績1587戦185勝)。3月、鶴留明雄厩舎の調教助手となる。 1997年、調教師免許を取得する。 1999年3月、厩舎開業。 2023年2月28日をもって調教師を引退した。
綾小路 きみまろ(あやのこうじ きみまろ、本名:假屋 美尋〈… 綾小路 きみまろ(あやのこうじ きみまろ、本名:假屋 美尋〈かりや よしひろ〉、1950年12月9日 - )は、日本の漫談家、お笑いタレント。 鹿児島県志布志市出身。5代目鈴々舎馬風門下。あん摩マッサージ指圧師の国家資格を保有(鍼灸師は保有していない)。現在の家族構成は本人、5歳年下の弟、妻、子供3人。父親は1997年、自身が40代後半の時に亡くなったが、生前は馬の種付けや農業をしていた傍ら、戦時中は徴兵されて戦地に出向いた事もある。 鹿児島県立末吉高等学校、拓殖大学商学部卒業。身長165cm、体重70Kg。血液型はO型。 鈴々舎馬風一門として「落語協会」会員である。ブレイク以後、寄席に出演することはほとんどないが、籍を置き続けている。
下平 晴行(しもひら すみゆき、1949年〈昭和24年〉1月… 下平 晴行(しもひら すみゆき、1949年〈昭和24年〉1月12日 - )は、日本の政治家、行政書士。鹿児島県志布志市長(3期)。元志布志市議会議員(2期)。 鹿児島県志布志市生まれ。鹿児島県立有明高等学校卒業。1972年(昭和47年)、志布志町役場に入庁。商工水產課長、住民生活課長。2005年(平成17年)、志布志町役場を退職。 2006年(平成18年)1月1日、志布志町・松山町・有明町は合併し志布志市が発足。同年の志布志市議会議員選挙に立候補し初当選。2010年(平成22年)、再選。 2014年(平成26年)2月2日に行われた志布志市長選挙に立候補するも落選。選挙の結果は以下のとおり。※当日有権者数:27,154人 最終投票率:75.15%(前回比:-5.42pts) 2018年(平成30年)1月28日に行われた市長選に再挑戦し現職の本田修一を破り初当選を果たした。
本田 修一(ほんだ しゅういち、1948年(昭和23年)5月… 本田 修一(ほんだ しゅういち、1948年(昭和23年)5月23日 - )は、日本の政治家。元鹿児島県志布志市長(3期)、元有明町長(1期)。 鹿児島県志布志市出身。ラ・サール高等学校卒業。中央大学法学部中退。帰省後、養豚業を営むかたわら、地域おこし団体「有明べぶんこ村」を立ち上げる。 2003年(平成15年)、有明町長選挙に立候補し初当選した。 2006年(平成18年)1月1日、有明町は志布志町、松山町と合併し消滅。志布志市発足に伴って行われた市長選挙に立候補し初当選。4期目を狙う2018年(平成30年)の市長選で、元市議の下平晴行に敗れ落選。 2006年(平成18年)2月12日執行。元志布志町長の慶田泰輔、元尚志館高等学校長の林敬二郎らを破り初当選した。
肥後 静雄(ひご しずお、1858年3月17日(安政5年2月… 肥後 静雄(ひご しずお、1858年3月17日(安政5年2月3日) - 1924年(大正13年)8月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 鹿児島県出身。曽於郡志布志郷の後の東志布志村(志布志町を経て現志布志市の一部)に生まれる。薩摩藩藩校造士館に学ぶ。囎唹郡東志布志村長、鹿児島県会議員となる。 1912年の第11回衆議院議員総選挙において鹿児島県郡部から立憲政友会公認で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1915年の第12回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1924年に死去した。
佐藤 通代(さとう みちしろ、1851年5月(嘉永4年4月)… 佐藤 通代(さとう みちしろ、1851年5月(嘉永4年4月)- 1914年(大正3年)11月22日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員。旧姓・河野。 日向国諸県郡志布志郷帖村(現・志布志市志布志町帖)で河野家に生まれた。 西南戦争に中隊長として従軍。戦後に刑を受けた。佐藤家に入籍し、農業を営む。内之倉村戸長、蓬原村戸長を務めた。 1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(鹿児島県第6区)で当選し、その後、第6回総選挙でも再選され、最後は立憲政友会に所属し衆議院議員に連続2期在任した。 その後、郷里の子弟の教育、産業振興に尽力した。1914年11月、郷里で病のため死去した。