池村 英樹(いけむら ひでき、1971年 - 2014年2月… 池村 英樹(いけむら ひでき、1971年 - 2014年2月13日)は、沖縄県那覇市出身の高校野球指導者。 中学時代から野球の指導者になることを志す。高校卒業後、職を転々としながら1999年頃にスポーツ専門学校に講師として就職。その後、母校・那覇高校野球部で教員免許を持たない外部指導員という形でコーチを務めると、部員たちに慕われていたことから監督に昇格した。打撃指導ではアッパースイングを奨励したり、疲労回復に適したドリンクを用意したり、部員たちに常に考えて意図を持ってプレーすることを要求したりなど、当時としては先進的とも言える指導が特徴であった。当時30歳だった2000年夏には甲子園大会出場に導き、固定概念に囚われず、左投げの捕手や三塁手がいたり、変則的な打撃フォームの選手が複数いたりと、型破りな個性派チームとして注目を集めた。
岸本 祐二(きしもと ゆうじ、1970年7月31日 - )は… 岸本 祐二(きしもと ゆうじ、1970年7月31日 - )は、日本の元俳優。沖縄県那覇市出身。 沖縄県内でスポーツ校として知られる興南高校卒業。日本テレビ開局40年記念イベント「第1回ミスター日本グランプリ」準グランプリ獲得。グランプリの川井博之ともう一人の準グランプリの金井茂とのユニット『世紀末御三家』として芸能界デビューした。 名前の岸本「祐二」(本名)を「裕二」に改名している。
池上 永一(いけがみ えいいち、1970年5月24日 - )… 池上 永一(いけがみ えいいち、1970年5月24日 - )は、日本の小説家。沖縄県那覇市出身。本名は又吉真也。 沖縄県那覇市に生まれ、3歳より中学卒業まで石垣市で育つ。 沖縄県立開邦高等学校卒業、早稲田大学人間科学部人間健康科学科中退。 1994年、早稲田大学在学中に『バガージマヌパナス』で第6回日本ファンタジーノベル大賞を受賞し活動開始。 1998年、『風車祭(カジマヤー)』が第118回直木三十五賞候補となる。 『レキオス』『シャングリ・ラ』のようなSFファンタジーも執筆する。 2017年、『ヒストリア』で第8回山田風太郎賞受賞。
賀数 仁然(かかず ひとさ、 (1969-12-09) 19… 賀数 仁然(かかず ひとさ、 (1969-12-09) 1969年12月9日 - )は、沖縄県那覇市出身の琉球史研究家、放送作家、ラジオパーソナリティ、歴史監修者。琉球・沖縄の歴史文化を、放送、著作、講演、舞台脚本、歴史監修などを通じて一般向けに伝える活動を行っている。 1969年12月9日、沖縄県那覇市に生まれる。早稲田大学大学院人間科学研究科を修了し、生命科学を専攻した。 沖縄セルラー電話での勤務を経て、2009年にFECオフィスで文化事業部を設立し、琉球王国の歴史文化とエンターテインメントを組み合わせたツアー企画や観光ガイドを始めた。その後、琉球史研究家、放送作家、ラジオパーソナリティ、歴史監修者として活動している。
荒巻 圭子(あらまき けいこ、本名:新垣智子(あらかき とも… 荒巻 圭子(あらまき けいこ、本名:新垣智子(あらかき ともこ)、1968年12月20日 - )は、日本の漫画家。沖縄県那覇市出身。沖縄県立浦添工業高等学校デザイン科卒。 『月刊アフタヌーン』などに劇画調の作品を発表。作品制作にあたり大量の専門書を資料としていることもあり非常に寡作である。2005年、公式サイトにて漫画家廃業宣言を行った。 1988年、『月刊コミックおきなわ』(丸正印刷)にて「たたみ」でデビュー(新垣智 名義)。しばらく同誌に短編作品を発表。 1994年、アフタヌーン四季賞夏のコンテストにおいて近未来SF作品「GENOMES」が四季大賞を受賞。1995年より同作品を『月刊アフタヌーン』に連載。
名幸 一明(なこう かずあき、1968年10月19日 - )… 名幸 一明(なこう かずあき、1968年10月19日 - )は、沖縄県出身の元プロ野球選手、プロ野球審判員。審判員袖番号は10。
佐渡山 安博(さどやま やすひろ、1968年 - )は、日本… 佐渡山 安博(さどやま やすひろ、1968年 - )は、日本の紙芝居作家、絵本作家。さどやんの名で活動している。沖縄県那覇市出身。 沖縄の言葉(しまくとぅば)、民話、伝承、地域史、沖縄戦、移民史などを題材とした創作紙芝居を制作し、学校、図書館、公民館、美術館などで口演活動を行っている。 長女の通う小学校での読み聞かせボランティアをきっかけに紙芝居制作を始めた。 組踊「銘苅子」を題材にした『めかるっちの大冒険』を約5年かけて制作し、2010年より街頭紙芝居の形式を取り入れた口演活動を開始した。 以後、沖縄県内各地の学校、図書館、書店、公民館などで活動している。2013年から約2年間、NHK沖縄の番組『うちなーであそぼ』に出演した。
八木 教広(やぎ のりひろ、1968年- )は、日本の男性漫… 八木 教広(やぎ のりひろ、1968年- )は、日本の男性漫画家。沖縄県立真和志高等学校卒。 1990年(平成2年)に第32回赤塚賞に投稿した『UNDEADMAN』が入選となり、同作でデビューを果たす。1993年(平成5年)に『月刊少年ジャンプ 』で『エンジェル伝説』の連載を開始し、連載デビュー。同作は7年に渡り連載が続けられ、OVA化もされるヒット作となった。連載開始後もしばらくは沖縄で執筆活動を続けていたが、同作9巻の頃に東京に仕事場を移す。 2001年(平成13年)に『月刊少年ジャンプ 』において『CLAYMORE』を連載開始。同作はテレビアニメ化もされるヒット作となるが、掲載誌である『月刊少年ジャンプ 』が2007年(平成19年)に休刊。
喜屋武 あつこ (きゃん あつこ、1966年2月21日 - … 喜屋武 あつこ (きゃん あつこ、1966年2月21日 - ) は日本のモデル、実業家。芸能事務所『office RHIZOME』代表取締役でペットトリマーサロン『ワンニャンじゃんぐる』オーナー。 沖縄県那覇市出身。沖縄県立浦添高等学校・沖縄国際大学国文科卒。 15歳でスカウトをきっかけにモデルを始める。 22歳で東京へ上京。オスカープロモーションに所属しモデルやタレントとして活躍。 1992年~1994年にアメリカに留学した後に沖縄に戻り、モデル業を再開。 2003年6月、『OFFICE RHIZOME』を設立。 2019年1月、芸能事務所『株式会社OFFICE RHIZOME』設立、7月に厚生労働大臣許可『労働者派遣事業許可 派47-300323』『有料職業紹介事業許可 47-ユ-300793』を取得。
宮里 立士(みやざと たつし、1966年 - 2014年)は… 宮里 立士(みやざと たつし、1966年 - 2014年)は、日本の文芸評論家。 沖縄県那覇市出身。琉球大学法文学部卒業。成蹊大学大学院文学研究科博士課程満期退学。 研究分野は日本の近代精神と琉球文学。文芸・オピニオン誌『表現者』(イプシロン出版企画、偶数月16日頃発売)に「琉球文藝考」を連載。2014年に死去した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
比嘉 良智(ひが よしとも、1965年6月26日 - )は、… 比嘉 良智(ひが よしとも、1965年6月26日 - )は、沖縄県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
阿佐慶 涼子(あさげ りょうこ、1965年(昭和40年)6月… 阿佐慶 涼子(あさげ りょうこ、1965年(昭和40年)6月5日 - )は、沖縄テレビ放送営業局営業促進部長、元アナウンサー。
仲田 幸司(なかだ こうじ、1964年6月16日 - )は、… 仲田 幸司(なかだ こうじ、1964年6月16日 - )は、アメリカ・ネバダ州出身の元プロ野球選手(投手)、指導者、野球解説者、タレント。イゼル株式会社所属。
島袋 勉(しまぶくろ つとむ、1963年(昭和38年)4月2… 島袋 勉(しまぶくろ つとむ、1963年(昭和38年)4月24日 - )は、沖縄県那覇市出身のランナー。2001年(平成13年)に踏切事故で両下腿を切断、以来両足に義足を装着しマラソンに挑む義足のランナーとして知られる。2012年(平成24年)からは京都マラソンの応援大使を務める。 2001年(平成13年)、千葉県で踏切事故に遭い両下腿を膝下10cmの部分から切断、高次脳機能障害(記憶障害)を負うが、退院後は両足に義足を装着し各国のマラソンに参加してきた。2004年(平成16年)にトリムマラソン3kmに初挑戦したのを皮切りに、ニューヨークシティマラソン、バンクーバーマラソン(英語版)などに複数回参加している。
肥後 克広(ひご かつひろ、1963年3月15日 - )は、… 肥後 克広(ひご かつひろ、1963年3月15日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優。お笑いトリオダチョウ倶楽部のリーダー。沖縄県那覇市出身。太田プロダクション所属。 3人姉弟(姉が2人)の末子として出生した。父親は肥後が中学生になる前に病気で亡くなっている。高校時代は工業デザイン科に進学するが、先述の家庭事情の影響もあり、軍歌酒場のウェイターのアルバイトなどをして学費を稼いでいた。母親は奄美大島出身。 高校卒業後は自動車学校に1ヶ月間通った後上京し、白金のデザイン事務所で商業デザイナーとして働いていたが、半年ほどで退職し沖縄に帰郷。その後「お笑い芸人になる」という夢を抱き再度上京する。当初は萩本欽一に弟子入りを志願するが断られ、浅草演芸界に転じ、杉兵助に師事した。
新城 和博(しんじょう かずひろ、 (1963-02-25)… 新城 和博(しんじょう かずひろ、 (1963-02-25) 1963年2月25日(63歳)- )は、日本の編集者、コラムニスト、随筆家、ラジオパーソナリティ、作詞家。 1963年生まれ、沖縄県那覇市出身。那覇市立城岳小学校、那覇市立上山中学校、沖縄県立那覇高等学校を経て、琉球大学法文学部社会学科社会人類学コース卒業。高校ではワンダーフォーゲルクラブに所属。大学では今帰仁村の集落にフィールドワークで赴き、住民から聞き取りを行った。 大学卒業後、内地の出版社に就職し、出版社の営業として百科事典的な本の訪問販売に従事するが、自分には合わないと感じて退社し帰郷。月刊誌『青い海』の出版社の社員募集に応じ就職したが、3ヶ月ほどで倒産したため、1986年に沖縄出版に入社。
大城直樹(おおしろ なおき、1963年 - )は、日本の地理… 大城直樹(おおしろ なおき、1963年 - )は、日本の地理学者(人文地理学・文化地理学)。明治大学文学部教授。フィールドワークに基づく沖縄の地域アイデンティティに関する研究のほか、英語圏のデレク・グレゴリーなどの理論的論文の翻訳や研究動向の紹介に取り組んでいる。 沖縄県那覇市出身。1987年、明治大学文学部卒業、1989年、広島大学大学院前期博士課程修了、1994年、大阪市立大学大学院博士課程単位取得退学、日本学術振興会特別研究員、九州大学助手を経て、1995年10月、神戸大学文学部助教授。その後、神戸大学大学院准教授を経て、明治大学文学部教授。2009年博士(文学・大阪市立大学)(論文タイトルは『国民国家周縁部における生活様式の分節化と地域アイデンティティ再生産に関する文化地理学的研究:19世紀以降の沖縄を事例として』)。
しろま せいゆう(城間 清酉、1963年 - 2026年4月… しろま せいゆう(城間 清酉、1963年 - 2026年4月21日)は、日本の絵本作家、アーティスト(水彩画家)。沖縄県那覇市出身。 2016年、「沖縄県わったーバス党」事業で、沖縄県庁前の県民広場天井画「沖縄をバスで行こう」を制作する。 2018年、那覇市新商品開発支援事業の「龍柱会議」で、「なは土産」キャラクター(龍柱・うふシーサー・那覇大綱・那覇ハーリー・那覇のマグロ・オオゴマダラ・琉球泡盛の7つ)を手がける。 沖縄タイムス社 日曜版こども新聞 “ワラビー” にて『読み聞かせ劇場』を2015年より連載し、2018年度沖縄県公共図書館連絡協議会共済事業において、県内16カ所の図書館で「沖縄タイムス“ワラビー”連載『読み聞かせ劇場』パネルと原画の巡回展」を開催した[要出典]。
川平 慈英(かびら じえい、Jay Kabira、1962年… 川平 慈英(かびら じえい、Jay Kabira、1962年9月23日 - )は、沖縄県那覇市出身のタレント、スポーツキャスター、ナレーター、俳優。 熱狂的なサッカー好きとしても知られ、主にテレビ朝日のサッカー中継等でスポーツキャスターを務めている。ケイファクトリー所属。名前はJ(ジェイ)・カビラと表記される場合もある。上智大学比較文化学部(現・国際教養学部)卒業。 父親の川平朝清は元アナウンサー。朝清と伯父の川平朝申は伊江御殿支流向氏伊江殿内の家系であり末裔に当たる。 3人兄弟の末っ子で、タレントのジョン・カビラ(本名・川平慈温)は長兄、実業家の川平謙慈は次兄。 東京バプテスト教会に所属するクリスチャンである。
石嶺 和彦(いしみね かずひこ、1961年1月10日 - )… 石嶺 和彦(いしみね かずひこ、1961年1月10日 - )は、沖縄県那覇市出身の元プロ野球選手(外野手、捕手、指名打者。右投右打)、プロ野球コーチ、野球解説者。愛称は「サッサ」。 現役時代は特に1986年から1993年にかけて阪急ブレーブスの強打の指名打者として、ブーマー・ウェルズ、藤井康雄と共にブルーサンダー打線の中心選手として活躍した。 沖縄県那覇市出身。小学校5年の時に、神原カープという少年野球チームで本格的に野球を始めた。投球動作がコンパクトだったため捕手として起用されたが、投手に憧れていたという。小学校6年の時にチームは沖縄県大会で準優勝し、石嶺も捕手として注目されるようになった。 豊見城高校では栽弘義監督のもとで猛練習を積み、1977年には下地勝治をエースとして擁するチームで2年生ながら四番打者を務め、選抜大会に出場した。
琴椿 克之(ことつばき かつゆき、1960年12月6日 - … 琴椿 克之(ことつばき かつゆき、1960年12月6日 - )は、沖縄県那覇市出身、佐渡ヶ嶽部屋所属の元大相撲力士。本名は渡嘉敷 克之(とかしき かつゆき)。最高位は西前頭3枚目(1992年7月場所)。趣味は音楽鑑賞。現役時代は稽古熱心で有名であった。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。現在は年寄・白玉。 沖縄が日本に返還されて日の浅い当時、「沖縄を大相撲畑にしたい。」と佐渡ヶ嶽(元横綱・琴櫻)に口説かれた渡嘉敷少年は1976年3月場所に初土俵を踏む運びとなった。1972年5月の沖縄返還以前に大相撲へ入門した力士は過去に4人しかおらず、関取に昇進したのは琉王優貴(元前頭筆頭)ただ1人であり、これは前例の少ない試みであった。
當間 盛夫(とうま もりお、1960年 (昭和35年)9月7… 當間 盛夫(とうま もりお、1960年 (昭和35年)9月7日 ‐ )は、日本の政治家。沖縄県議会議員(6期)。那覇市議会議員(1期)、政党そうぞう代表、日本維新の会沖縄県総支部幹事長兼代表代行などを務めた。 沖縄県那覇市出身。沖縄県立豊見城高等学校、阪南大学商学部卒業後、小禄農業協同組合(現:JAおきなわに統合)に就職。1990年1月、合資会社照屋総業などに勤務。 2001年7月8日、第16回那覇市議会議員選挙に当選。 2004年6月6日、第9回沖縄県議会議員選挙当選。以後、6期連続当選。県議会会派「維新の会」を結成。2005年12月、下地幹郎衆議院議員らと「政治団体そうぞう」を結成し政調会長に就任。
与座 朝勝(よざ ともかつ、1960年9月4日 - )は、沖… 与座 朝勝(よざ ともかつ、1960年9月4日 - )は、沖縄県那覇市出身の元プロ野球選手。(投手、内野手)。
高良 茂(たから しげる、1960年〈昭和35年〉3月14日… 高良 茂(たから しげる、1960年〈昭和35年〉3月14日 - 2006年〈平成18年〉5月7日)は、沖縄県で活躍したラジオパーソナリティ、ローカルタレント。那覇市出身。 1981年にラジオ沖縄の日曜昼のワイド番組「気まぐれワイド」でデビュー、1982年から夜のヤングワイド番組「ぶっちぎりトゥナイト」で、今では若者ではよく使われているウチナーヤマトグチで人気を博した。その後はラジオ沖縄や沖縄テレビを中心にパーソナリティや司会を務めた。サザンオールスターズの大ファンでFM沖縄で「ディアサザンオールスターズ」のパーソナリティを務め、1時間サザンの曲を毎週かけていた。ライバル局である琉球放送の柳卓や箕田和男両ベテランアナウンサーらとも親交があり、1990年代終わりになって同局の番組にも出演するようになった。
宮城 能彦(みやぎ よしひこ、1960年 - )は、日本の社… 宮城 能彦(みやぎ よしひこ、1960年 - )は、日本の社会学者。沖縄大学人文学部こども文化学科教授。専攻は地域社会学。 沖縄県那覇市出身。最終学歴は兵庫教育大学大学院教育学研究科修了。学位は修士(教育学、兵庫教育大学)。小林よしのり『新ゴーマニズム宣言スペシャル・沖縄論』でエフエム那覇の喜友名智子とともに沖縄の案内役として登場。世界平和統一家庭連合 (統一教会)の機関紙、「世界日報」月刊誌版 Viewpoint『ビューポイント』にも多くの記事を寄稿している。 『名護市史 教育』 本編6 2003年 那覇市教育委員会編 『那覇市教育史・通史編』 2002年
友利 正(ともり ただし、1959年12月28日 - )は、… 友利 正(ともり ただし、1959年12月28日 - )は、日本の元プロボクサー。沖縄県那覇市出身。元WBC世界ライトフライ級王者。トレーナーはデビュー当初は三迫将弘、世界戦の直前からエディ・タウンゼント。 私立沖縄高校(現、沖縄尚学高校)3年時に1977年度全日本高校モスキート級チャンピオンとなった。 1978年5月25日、18歳で三迫ジムからプロデビュー。デビューから7連勝(1KO)を飾ると、翌1979年の全日本ライトフライ級新人王を獲得した。 いつしか「具志堅二世」と呼ばれるようになり当然、世界への道も順調に歩むものだと思われた。しかし、世界戦へ挑んだ時の友利は勝ったり負けたりを繰り返す中堅ボクサーになっていたのである(精神面を鍛え直すため、会長三迫仁志が知り合いの僧侶のいる寺院に預けたこともあった)。
ジョン・カビラ(1958年11月1日 - )は、沖縄県那覇市… ジョン・カビラ(1958年11月1日 - )は、沖縄県那覇市出身 のフリーキャスター、タレント、司会者、ラジオパーソナリティ、ナレーター。ソニー・ミュージックアーティスツ所属。本名は川平 慈温(かびら じおん)。 日本人で琉球放送アナウンサーの父親・川平朝清とアメリカ人の母親・ワンダリー(Wandalee、旧姓Weaver、1929年3月10日 - 2018年1月11日、アメリカ合衆国カンザス州ハーベイ郡出身、アメリカンスクール・イン・ジャパン(ASIJ)の教師を務めていた)との間に生まれる 。3人兄弟の長男であり、元日本マクドナルドマーケティング本部長の川平謙慈は長弟、俳優・タレントの川平慈英は次弟。
前田 達也(まえだ たつや、1958年8月22日 - )は日… 前田 達也(まえだ たつや、1958年8月22日 - )は日本の歌手、作曲家、ギタリスト。沖縄県那覇市出身。血液型はAB型。
赤嶺 賢勇(あかみね けんゆう、1958年5月20日 - )… 赤嶺 賢勇(あかみね けんゆう、1958年5月20日 - )は、沖縄県出身の元プロ野球選手(投手)。 沖縄・豊見城高時代には、栽弘義監督の指導を受けて1年秋に県大会優勝、九州大会は準決勝で門司工に延長11回完投するもサヨナラ負け。1975年の選抜大会に出場し、初戦でその夏に甲子園優勝をとげた習志野高校を完封、準々決勝では、結果的に準優勝だった東海大相模高校に対して9回裏2死無走者(2死目は原辰徳から見逃し三振を奪った)までリードを保ち、そのあと津末英明からの被安打をきっかけに敗北したが、この大会の活躍で全国的に注目を浴びる投手となった。夏は県大会ベスト4、秋も県大会連覇すると九州大会では柳川商の久保康生に投げ勝つなど準優勝。
大嶺 満(おおみね みつる、1955年〈昭和30年〉8月31… 大嶺 満(おおみね みつる、1955年〈昭和30年〉8月31日 - )は、日本の実業家。沖縄電力会長、九州経済連合会副会長。沖縄県那覇市出身。 沖縄県那覇市出身。沖縄県立那覇高等学校を経て、1980年(昭和55年)青山学院大学経営学部卒、沖縄電力入社。経理部長や企画本部長などを歴任し、2009年(平成21年)に常務、2011年(平成23年)6月に副社長に昇格。2013年(平成25年)4月に社長就任。同社としては當眞嗣吉、石嶺伝一郎に続く3人目の生え抜き社長となる。2019年4月会長就任。 2019年九州経済連合会副会長。他に沖縄経済同友会代表幹事、沖縄県生産性本部会長、南西地域産業活性化センター会長、沖縄経済同友会特別幹事、内閣府沖縄振興審議会委員等を歴任。
多喜ひろみ(たき ひろみ、1954年11月23日 - )は、… 多喜ひろみ(たき ひろみ、1954年11月23日 - )は、エフエム沖縄のアナウンサーである。本名は多喜博美。沖縄県那覇市生まれ。
新垣 清(あらかき きよし、1954年10月17日 - )は… 新垣 清(あらかき きよし、1954年10月17日 - )は、沖縄県那覇市出身の空手家、作家。 現米国硬式空手道連盟会長、沖縄空手道無想会最高師範。 1967年、13歳で長嶺将真十段の松林流に入門。その傍ら、多くの沖縄空手界の重鎮や長老の下へと通い、古伝の沖縄空手、古武道を修得する。1973年、沖縄県立那覇高等学校を卒業。1977年、初渡米。 1978年、自身の空手流派にフルコンタクト制も導入。その後、タイのバンコクにてムエタイの殿堂ルンピニー・スタジアムに出場。 1981年に再渡米し、ユタ州ソルトレイクシティーにおいて無想会を創始した。 山根流棒術で知られる大城利弘は、兄弟子に当たる。
南風原 朝和(はえばら ともかず、1953年 - )は、日本… 南風原 朝和(はえばら ともかず、1953年 - )は、日本の教育心理学者。東京大学名誉教授。広尾学園中学校・高等学校校長。 沖縄県那覇市出身。1972年琉球政府立那覇高等学校卒業。文系も理系も興味があったので、国費・自費沖縄学生制度で東京工業大学工学部経営工学科に進学するため、東京工業大学工学部第4類に入学。しかし、進路が機械工学科と決定されたため、半年で中退し沖縄に帰郷した。 翌1973年、東京大学理科Ⅱ類に合格して入学、その後教育学部教育心理学科に進学し、1977年に卒業。同大学院修士課程中退、1979年アイオワ大学大学院教育学研究科教育心理・測定・統計学専攻修士課程、81年同博士課程修了(Ph.D. )。
与那覇恵子(よなは けいこ、1952年9月24日 - )は、… 与那覇恵子(よなは けいこ、1952年9月24日 - )は、日本近代文学研究者、東洋英和女学院大学教授。 沖縄県那覇市出身。専修大学文学部卒、同大学院日本文学専攻博士課程満期退学、東洋英和女学院大学短期大学助教授、東洋英和女学院大学国際社会学部教授。近現代の女性作家を中心に研究している。NHKのドラマ「ちゅらさん」で沖縄風俗考証を務めた。 名桜大学教授の与那覇恵子(1953-)は同名異人。
フリッパー上原(フリッパーうえはら、1952年2月8日 - … フリッパー上原(フリッパーうえはら、1952年2月8日 - )は、日本のプロボクサー。本名は上原 晴治(うえはら はるじ)。沖縄県那覇市出身。興南高校卒、日本大学文理学部体育学科中退。協栄ボクシングジム所属。元日本フェザー級王者。 WBA世界ジュニアライト級王者・上原康恒は実兄である。 日大一年1970年、全日本アマチュアボクシング選手権大会・フェザー級で優勝を果たした。同年、兄・康恒もライトウェルター級で優勝している。 大学を3年で中退して協栄ボクシングジムに入門、1973年1月11日、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスでプロデビュー。ロサンゼルスで4戦4勝し、同年10月28日に5戦目で日本デビュー。
ハリケーン照(ハリケーンてる、本名照喜名 俊三(てるきな し… ハリケーン照(ハリケーンてる、本名照喜名 俊三(てるきな しゅんぞう)、1952年2月3日 - 2014年1月)は、日本の元プロボクサー。第34・36代日本バンタム級王者。プロ現役時代は石川ボクシングジム所属。 沖縄県那覇市出身。沖縄県立沖縄工業高等学校卒業。 沖縄工業高校在学中はアマチュアで活動。 卒業後に上京し、1970年9月23日、石川ジムよりプロデビュー。 1979年7月16日、阿南弘生を2回KOで倒し日本バンタム級王座奪取。 初防衛戦で阿南とのダイレクトリマッチを返り討ちにする。 1980年1月28日、モントリオールオリンピック日本代表からプロ転向した石垣仁に判定で敗れ王座陥落。 リングネームをハリケーン・テルからハリケーン照に改め、ダイレクトリマッチで9回KO勝利し王座に返り咲く。
屋良 朝助(やら ちょうすけ、1952年1月14日 - )は… 屋良 朝助(やら ちょうすけ、1952年1月14日 - )は、日本の政治活動家、かりゆしクラブ(旧名琉球独立党)党首、衣料品加工印刷会社代表。沖縄県那覇市出身、那覇高等学校卒業。
上原 康恒(うえはら やすつね、1950年10月12日 - … 上原 康恒(うえはら やすつね、1950年10月12日 - )は、日本の元プロボクサー。沖縄県那覇市出身。元日本スーパーフェザー級王者。元WBA世界スーパーフェザー級。元リングマガジン世界スーパーフェザー級王座。 沖縄中央高校3年時にインターハイ優勝、日本大学在学時にはライト級、ライトウェルター級の2階級を制覇し専修大学のエース風間清と数回対戦。国際大会でも1970年アジア大会ライトウェルター級銅メダルを獲得。アマチュア通算117勝(87RSC)8敗と抜群の成績を残し、協栄ボクシングジムと当時日本プロボクシング史上最高となる契約金1,000万円で契約した。実弟であるフリッパー上原も元プロボクサー。
石嶺 伝一郎(いしみね でんいちろう、1949年4月26日 … 石嶺 伝一郎(いしみね でんいちろう、1949年4月26日 - )は、沖縄電力相談役。沖縄県那覇市出身。琉球大学法文学部商学科卒業。 沖縄県那覇市出身。沖縄県立那覇高等学校を経て、1972年に琉球大学法文学部商学科卒業後、琉球電力公社入社。2001年、沖縄電力取締役に就任。2005年に副社長、2007年に社長、2013年に会長に就任するとともに、一般社団法人南西地域産業活性化センターの会長に就任した。2019年会長を退任、相談役。 この間、2016年から那覇商工会議所会頭、沖縄県経済団体会議議長を務めた他、沖縄県商工会議所連合会会長、那覇空港拡張整備促進連盟会長、沖縄県振興審議会副会長、日本電気協会沖縄支部長なども歴任した。
里見 進(さとみ すすむ、1948年6月18日 - )は、日… 里見 進(さとみ すすむ、1948年6月18日 - )は、日本の医学者。医学博士。専門は、外科学一般、移植外科、消化器外科。独立行政法人日本学術振興会理事長、日本外科学会名誉理事長。沖縄県那覇市生まれ。 第21代東北大学総長、国立大学協会会長、日本外科学会初代理事長等を歴任。 1948年6月18日、沖縄県那覇市で生まれる。1967年3月、那覇高等学校を卒業。国費・自費沖縄学生制度に応募するも進学先が選べなかったため、沖縄から遠い東北大学に進学した。在学中、東京で祖国復帰運動に参加。 1974年3月、東北大学医学部医学科を卒業。同年4月からは東京都済生会中央病院で勤務し、同年7月に医師免許を取得。
堀川 恭進(ほりかわ きょうしん、1946年11月15日 -… 堀川 恭進(ほりかわ きょうしん、1946年11月15日 - 2018年10月10日)は、日本の実業家。元沖縄トヨペット株式会社代表取締役社長、元一般社団法人日本自動車連盟(JAF)沖縄支部長、元一般社団法人日本自動車販売協会連合会沖縄県支部長、元沖縄県自動車販売協会会長。 1946年、沖縄県那覇市生まれ。千葉商科大学商経学部卒業。1979年沖縄トヨペット株式会社入社。1982年取締役、1987年常務取締役、1990年専務取締役、1994年代表取締役専務、1996年社代表取締役副社長、1998年代表取締役社長就任。2014年国土交通省「平成26年自動車関係功労者大臣表彰」受賞。
新里 堅進(しんざと けんしん、1946年 - )は、日本の… 新里 堅進(しんざと けんしん、1946年 - )は、日本の漫画家。沖縄県那覇市壺屋出身。沖縄県在住。 沖縄県立那覇商業高等学校に在学中、『サブマリン707』や『紫電改のタカ』などを読み、漫画家を志す。卒業後、タクシー運転手など様々な職を経験しながら独学で漫画を描き、1973年に沖縄戦を題材とした『沖縄決戦』でデビュー。以来、沖縄をテーマとした作品を数多く発表している。1982年、『ハブ捕り』で第11回 日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。
琉王 優貴(りゅうおう ゆうき、1945年2月25日 - 2… 琉王 優貴(りゅうおう ゆうき、1945年2月25日 - 2015年6月28日)は、沖縄県那覇市出身(出生地は大分県中津市)で、朝日山部屋に所属した元大相撲力士。 本名は島 武光(しま たけみつ)→神田 武光(かんだ - )。現役時代の体格は176cm、130kg。得意手は突き、押し。最高位は西前頭筆頭(1973年9月場所)。沖縄県出身者初の関取として記録に残っている。 疎開先の大分県中津市で生まれ、アメリカ占領下の那覇市で少年時代を過ごした。中学卒業後に奄美群島奄美大島に渡り、奄美高校では柔道部で活躍する。高校2年の夏休みに上京した時、同じ奄美群島徳之島出身の横綱・朝潮のいる高砂部屋に出かけたが、巡業中で誰もおらず失望して帰る途中で道に迷ったところを朝日山親方(元関脇・高津山)夫人に声を掛けられた。
安仁屋 宗八(あにや そうはち、1944年8月17日 - )… 安仁屋 宗八(あにや そうはち、1944年8月17日 - )は、沖縄県那覇市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家・ラジオパーソナリティ。
佐藤 太圭子(さとう たかこ、1944年2月1日 - )は、… 佐藤 太圭子(さとう たかこ、1944年2月1日 - )は、琉球舞踊家。本名、山内太圭子。沖縄県那覇市出身。琉球舞踊太圭流家元。沖縄県立芸術大学名誉教授。沖印友好協会理事。重要無形文化財「琉球舞踊」保持者(総合認定)。 1944年2月1日、沖縄県那覇市に生まれる。 1951年に新垣松含の弟子であった宮里ヨシ子に師事、1957年には島袋光裕に師事し、琉球舞踊および組踊を学ぶ。1962年琉球政府立那覇高等学校卒業。同年佐藤太圭子練場を開設。1965年より、普天満宮宮司の新垣義志に古典舞踊よび創作舞踊を師事。1988年沖縄大学非常勤講師。1990年沖縄県立大学音楽学部助教授。1993年より沖縄県立大学音楽学部教授(2009年退館)。
真喜志 好一(まきし よしかず、1943年 - )は、日本の… 真喜志 好一(まきし よしかず、1943年 - )は、日本の建築家、構造家。 沖縄県那覇市出身。1968年、神戸大学大学院修士課程修了後同大学工学部助手。大学在任中は構造エンジニアとして、当時関西の著名な建築家作品の構造をいくつか担当する。1972年に沖縄に戻り、沖縄開発庁沖縄総合事務局に勤務。1976年、同庁を退職し、那覇市に建築設計事務所、有限会社建築研究室DIG and PILE(DAP)を設立。 1981年、日本建築士連合会作品展優秀賞受賞。 1984年から1985年まで、琉球大学非常勤講師を務めた。 一坪反戦地主会、白保の海と暮らしを守る会、SACO(沖縄に関する特別行動委員会)究明委員会、意見広告を出す会、沖縄環境ネットワークなどの市民運動に深く関わる。
高嶺 朝一(たかみね ともかず、1943年-)は、日本のジャ… 高嶺 朝一(たかみね ともかず、1943年-)は、日本のジャーナリスト。T & CT Office代表、前琉球新報社社長。沖縄県那覇市出身。 1943年那覇市に生まれる。西南学院大学文学部英文科、同文学専攻科を卒業後、1970年に琉球新報社に入社する。編集局長や論説委員長などを経て2008年に琉球新報社社長に就任。琉球新報社の100%子会社である週刊レキオ社の代表取締役会長(非常勤)も兼職。2010年6月に退任し、T & CT Office設立。軍事研究家でもあり琉球文化圏や沖縄の基地問題、戦争とメディア等に関して講演や著書などがある。 編集局長時代の2000年には沖縄サミットが開催された。沖縄県サミット推進県民会議主催のサミットフォーラムでは基地の整理縮小に関して「強者の安全保障政策という理屈は考えず、ストレートに米軍基地はノーということを外側に発信する必要がある」と意見を述べている。
砂川 しげひさ(すながわ しげひさ、1941年10月11日 … 砂川 しげひさ(すながわ しげひさ、1941年10月11日 - )は、日本の漫画家、エッセイスト。本名:砂川 恵永(すながわ しげひさ)。
秋山 眞和(あきやま まさかず、1941年9月29日 - )… 秋山 眞和(あきやま まさかず、1941年9月29日 - ) は、日本の染織家。「綾の手紬染織工房」創設者。現代の名工(卓越技能者)。元沖縄県立芸術大学美術工芸学部教授。沖縄県那覇市出身。 1941年、沖縄県那覇市生まれる。琉球(首里)上布を開発した秋山常磐を父に持つ。太平洋戦争の戦況悪化で沖縄から父・常盤の郷里である福岡県浮羽郡田主丸町(現久留米市)に疎開。戦火により那覇市の工場等を手放した常盤と共に、宮崎県宮崎市に移住し、琉球織物の復興に携わる。その後、常盤から染織業を引き継ぎ、1966年、宮崎県綾町にて「綾の手紬染織工房」を創設、宮崎独自の織物制作を目指した。 1968年、日本伝統工芸展に初入選し、1972年、日本工芸会正会員。
来間 泰男(くりま やすお、1941年(昭和16年)7月28… 来間 泰男(くりま やすお、1941年(昭和16年)7月28日 - )は、沖縄史学者・農学者、沖縄国際大学名誉教授。