松原 敏春(まつばら としはる、1947年2月13日 - 2… 松原 敏春(まつばら としはる、1947年2月13日 - 2001年2月6日)は、岐阜県岐阜市出身の脚本家・作詞家・演出家。慶應義塾大学法学部卒業。1992年、『家族日和'93』で第11回向田邦子賞受賞。 松原敏春が脚本したテレビドラマ、バラエティ番組、舞台演劇は以下の通りである。
職業が作詞家:815人
松原 敏春(まつばら としはる、1947年2月13日 - 2… 松原 敏春(まつばら としはる、1947年2月13日 - 2001年2月6日)は、岐阜県岐阜市出身の脚本家・作詞家・演出家。慶應義塾大学法学部卒業。1992年、『家族日和'93』で第11回向田邦子賞受賞。 松原敏春が脚本したテレビドラマ、バラエティ番組、舞台演劇は以下の通りである。
魚住 勉 (うおずみ べん、1947年1月1日 - )は、日… 魚住 勉 (うおずみ べん、1947年1月1日 - )は、日本のコピーライター、作詞家。 熊本県出身。熊本県立熊本高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。 1983年に女優の浅野温子と結婚。長男は元NHKアナウンサーの魚住優。 日本デザインセンター、サン・アド勤務を経て1979年に独立。コピーライターとして伊勢丹、丸井、小学館、パルコ、サントリー、キリンビール、高橋酒造など数多のCM・ポスターのコピーを担当する。かつては糸井重里、仲畑貴志、川崎徹らと共に″コピーライター四天王″と呼ばれていた。 東京コピーライターズクラブ賞、東京アートディレクターズクラブ賞ほか多くのグランプリを受賞している。 作詞家としては、作曲家の馬飼野康二とのコンビで葵司朗&日野美歌「男と女のラブゲーム」、児島未散「ジプシー」、WANDS「もっと強く抱きしめたなら」(上杉昇との共作) などのヒット曲がある。
渡瀬 昌治(わたせ まさはる、1947年 - )は、日本の合… 渡瀬 昌治(わたせ まさはる、1947年 - )は、日本の合唱指導者、作詞家。 1947年〈昭和22年〉、宮崎県で生まれる。国立音楽大学を卒業後、東京都調布市立神代中学校に勤務し、同校に合唱団を設立。NHK全国学校音楽コンクール第44回大会(1977年度〈昭和52〉開催)と第49回大会(1982年度〈昭和57〉開催)において最優秀賞を受賞。 2008年〈平成20年〉3月、国立市立国立第三中学校を定年退職。
酒井チエ(さかい ちえ、1946年8月29日- )は、日本の… 酒井チエ(さかい ちえ、1946年8月29日- )は、日本の詩人・作詞家。 本名・酒井千枝。普連土学園高等学校在学中から雑誌に詩やショートストーリーを連載。1969年多摩美術大学デザイン科卒。原田治とは多摩美術大学グラフィックデザイン科の同期生。ファッション誌、ティーン誌、PR誌などの仕事の他に、CMソングやレコードの作詞も手がける。小柳ルミ子「夏に萌えて」、クニ河内「苺の花嫁さん」(みんなのうた)、竹下景子「弟」などを作詞した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
松山 猛(まつやま たけし、1946年8月13日 - )は日… 松山 猛(まつやま たけし、1946年8月13日 - )は日本の作詞家、ライター、編集者。京都府京都市生まれ。京都市立日吉ヶ丘高等学校卒。 ザ・フォーク・クルセダーズおよびサディスティック・ミカ・バンドの黒幕的存在であり、「イムジン河」の作詞者。後に、『BRUTUS』その他の雑誌の編集を務め、常に日本の音楽およびファッションをリードしてきた。 ザ・ドッグ・パウンドのDj2highは息子。 作詞を手がけたザ・フォーク・クルセダーズのデビュー曲『帰って来たヨッパライ』(1967年)が大ヒットする(同曲は元々アマチュア時代のザ・フォーク・クルセダーズの自主制作盤アルバム『ハレンチ』収録、後にプロデビュー・シングル曲になった)。
北山 修(きたやま おさむ、1946年6月19日 - )は、… 北山 修(きたやま おさむ、1946年6月19日 - )は、日本の精神科医、精神分析家、臨床心理学者、作詞家、ミュージシャン。九州大学名誉教授。
北村 英明(きたむら えいめい/ひであき、1946年5月5日… 北村 英明(きたむら えいめい/ひであき、1946年5月5日 - )は、日本の作家、詩人、作詞家。熊本県生まれ。都留文科大学国文科卒。日本推理作家協会、日本ペンクラブ会員。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
山田 孝雄(やまだ たかお、1946年3月7日 - )は日本… 山田 孝雄(やまだ たかお、1946年3月7日 - )は日本の作詞家。宮崎県・三股町出身。 宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒、工学院大学電子工学科中退。 星野哲郎に師事。1972年、牧村三枝子「恋人形」で作詩家デビュー。1973年、『昭和枯れすすき』がTBSの人気ドラマ「時間ですよ」の挿入歌として話題となり、ミリオンセラーを記録。1982年、女優で歌手の松原愛と結婚。 日本音楽著作権協会理事、日本作詩家協会常務理事 2018年、12月より筆名を「波たかし」として新しい境地の作風を模索しながら、活動する。 JRAの元調教師・橋口弘次郎と親交があったこともあり、10曲以上の競馬に関連する楽曲の作詞を手がけている。
千家 和也(せんけ かずや、1946年 - 2019年6月1… 千家 和也(せんけ かずや、1946年 - 2019年6月13日)は、日本の作詞家。本名:村越英文。 千葉県市原市出身。市川高校卒業。早稲田大学教育学部中退。 なかにし礼に師事、その後、作詞家としてデビュー。1972年、「終着駅」が第14回日本レコード大賞作詞賞を受賞。 アイドル歌謡曲からアニメソング、大人の歌と幅広く作詞をしている。 1982年には、本名で書いた小説『だから言わないコッチャナイ』で、第60回オール讀物新人賞を受賞。 1989年10月から1991年9月までHBCラジオ『千家和也の特上生ワイド』のパーソナリティーを務めた。 2019年6月13日、東京都内の病院で食道がんのため死去。
アト゚イ(Atuy、本名:豊岡征則(とよおか まさのり)、1… アト゚イ(Atuy、本名:豊岡征則(とよおか まさのり)、1945年11月18日 – )は、アイヌ人実業家・作曲家・作詞家。別名はサンニョアイノ(考える人)、愛称はポンニー(小さな木の人)という。 「アト゚イ」は、「アトゥイ」と書くこともできるが、本人は「ト゚」を使った表記を一貫して使っている。 1945年(昭和20年)、北海道釧路支庁白糠町生まれ。アイヌ人が多く住む集落で育ち、アイヌ人のアイデンティティを持つ。母はアイヌ人、父は非アイヌ人だがアト゚イ出生前に姿を消した。小学生の頃には漁船に下働きとして乗り組み、櫓のこぎ方もそこで覚えた。アイヌの出自のために和人の子供から差別を受けることに我慢できず、小学校に通うのをやめた。
東海林 良(しょうじ りょう、 1945年8月5日 - )は… 東海林 良(しょうじ りょう、 1945年8月5日 - )は、日本の作詞家・小説家。本名:東海林良司。 秋田県湯沢市三梨町出身。県立湯沢高校、中央大学法学部卒業。代議士秘書を経て、ソ連、北欧、フランス、東欧を放浪。帰国後放送作家を経て作詞家となる。4千曲以上もの作詞を手がける。DJ、気象キャスターの東海林舞は娘。皆瀬・国際芸術村、浅草国際大学(東海林良 作詞塾)代表。浅草ビューホテル内で、調剤薬局・浅草みやげの店ヴァラエティドラッグ東海林を経営する。
阿木 燿子(あき ようこ、1945年5月1日 - )は、日本… 阿木 燿子(あき ようこ、1945年5月1日 - )は、日本の作詞家・女優・小説家・エッセイスト。本名は木村 広子(旧姓は福田)。明治大学文学部卒業。夫はミュージシャン・俳優の宇崎竜童。 長野県長野市で出生、神奈川県横浜市出身。捜真女学校中学部・高等学部を卒業 後の1964年、明治大学文学部史学地理学科に入学し、軽音楽クラブに入部。そこで、後に夫となる同学年の宇崎竜童(法学部)と出会う。宇崎は入部に訪れた阿木を一目見て、「あ、嫁が来た!」と思ったという。テレビ出演では「妻・阿木燿子を語る」と題されたコーナーでの本人トークで「先輩から校門での部員勧誘を命じられ、はじめに声をかけた女の子がうちの嫁なんですよ。
舟崎 克彦(ふなざき よしひこ、1945年2月2日 - 20… 舟崎 克彦(ふなざき よしひこ、1945年2月2日 - 2015年10月15日)は、日本の作家、詩人、作詞家、挿絵画家、劇画原作者。森 窓一郎名義での作品もあり、著書は300冊以上にのぼる。影響を受けた文学者として、谷崎潤一郎、金子光晴、西東三鬼の3人を挙げている。柔道三段。2015年3月まで白百合女子大学教授として文章表現と創作の授業を講じる。 1945年2月、キリスト教系の病院なら米軍の爆撃を免れるはずとの母の考えにより、東京都中央区明石町の聖路加国際病院にて誕生。父の舟崎悌次郎は和歌山県生まれ、京都帝国大学経済学部卒、元画家志望だった建築家で、当時は会社社長。克彦は末男として東京都豊島区千早町に育つ。
橋本 テツヤ(はしもと テツヤ。1944年11月11日 - … 橋本 テツヤ(はしもと テツヤ。1944年11月11日 - )は、ジャーナリスト、コラムニスト、作詞家、メンタルケア学術学会認定メンタルケア心理士(心理カウンセラー)、肥満予防健康管理士。
山川 啓介(やまかわ けいすけ、1944年〈昭和19年〉10… 山川 啓介(やまかわ けいすけ、1944年〈昭和19年〉10月26日 - 2017年〈平成29年〉7月24日)は、日本の作詞家、脚本家。本名は井出 隆夫(いで たかお)。長野県佐久市出身(本籍は南牧村海尻)。 長野県上田高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。血液型はO型。 山川啓介名義での作詞活動の他、本名の井出隆夫名義で「おかあさんといっしょ」をはじめとする子供番組の楽曲の作詞や人形劇の脚本、及び番組の構成を手がけていた。特に「おかあさんといっしょ」では、1982年4月から10年半放送された「にこにこぷん」、1992年10月から7年半放送された「ドレミファ・どーなっつ!」で計18年間にわたっておよそ3500話を超える脚本を執筆し、劇中歌全てを作詞した。
東 隆明(あずま りゅうめい、1944年9月28日 - )は… 東 隆明(あずま りゅうめい、1944年9月28日 - )は、日本の男性作家、脚本家、演出家、作詞家、俳優、コミュニティネットワーク自然会会長。和歌山県和歌山市出身。旧芸名は東 龍明。 近衛文隆の庶子を称する。隆明の生年に文隆は大谷正子と結婚し、隆明の生母とは婚姻を結ばなかったという。 和歌山県立和歌山商業高等学校卒業後、19歳で上京。俳優、演出、脚本、企画制作などに携わる。また、情操教育を通じて青少年の健全育成に尽力すべく、学校演劇も手がける。 1983年、自然会(現コミュニティネットワーク自然会)発足、主宰。愛と究極の平和を説き続けている。講演会多数。 1992年より始められた島原復興支援活動では、復興ビルを創設して運営しながら常駐者を置き、地域のコミュニケーションに尽力する。
兼松 光(かねまつ ひかる、1944年8月8日 - 2023… 兼松 光(かねまつ ひかる、1944年8月8日 - 2023年5月16日)は、日本の音楽プロデューサー、作詞家である。CD-CREDITの英語表記はHikaru flash Kanematsu。愛知県名古屋市出身。作詞家として倉敷光、作曲家としてMichael Morati(マイケル・モラティ)のペンネームがある。株式会社フラッシュポイント代表取締役。ニックネームのflashの名付け親はブロードキャスターのピーター・バラカン。長谷川きよし、井田リエ & 42nd Street、当山ひとみ、アメリカ合衆国出身の女性コーラスグループA.S.A.P.のプロデュースほか、映画、テレビドラマ、ゲーム等の音楽のプロデュースも手がける。
かぜ 耕士(かぜ こうじ、1944年〈昭和19年〉7月13日… かぜ 耕士(かぜ こうじ、1944年〈昭和19年〉7月13日 - 2020年〈令和2年〉9月26日)は、日本の作詞家・放送作家・ラジオパーソナリティ。本名は山田功(やまだ いさお)。
葉方 丹(はかた たん、1944年7月8日 - )は、演出家… 葉方 丹(はかた たん、1944年7月8日 - )は、演出家、脚本家、作家、作詞家。 日本アカデミー賞協会、日本音楽著作権協会、日本シナリオ作家協会、日本放送作家協会に所属する。東京都在住。別名、「はがたたん」。 京都市出身。大将軍(白梅町)で生まれる。父は西陣の職人。京都府立山城高等学校卒業後、日本大学芸術学部在学中から映像関係の仕事に携わる。後に大学中退。 アルバイトで日本劇場で働いていた時に叡南覚照と知り合い、「ごぜんさま」と呼ぶようになり、世話になる。ある時、叡南に将棋で勝ち、叡南に「おまえには歯が立たない。おまえ、はがたたん、にせえ」と言われる。また、叡南に「八百屋で行け」と言われ、「来るもの拒まず」で種々の仕事をするようになった。
水藤五朗(すいとう ごろう、1944年6月19日 - 200… 水藤五朗(すいとう ごろう、1944年6月19日 - 2005年6月25日)は、昭和から平成時代の琵琶演奏家・作曲家・作詞家。錦琵琶二代目宗家。初代宗家水藤錦穣の次男。本名は五郎。 東京生まれ。母は錦びわ初代宗家の水藤錦穣、早稲田大学法学部卒。幼少の頃より母の影響を受け諸芸を聞く。昭和48年(1973年)4月、母の急逝により琵琶伝承を志し、二代目宗家となる。以来琵琶の普及と発展に全力を傾ける。語りに関しての造形は深く全国各地で琵琶演奏並びに講演を行い、近代琵琶楽の普及に尽力した。作曲として「毛利元就」「安寿と厨子王」、作詞として「建礼門院右京太夫」「藤十郎の恋」など。平成17年(2005年)6月25日、虚血性心不全のため没。
矢玉 四郎(やだま しろう、1944年2月3日 - 2024… 矢玉 四郎(やだま しろう、1944年2月3日 - 2024年7月14日)は、日本の児童文学作家、画家、漫画家、作詞家。日本児童出版美術家連盟(童美連)・日本文藝家協会会員。 大分県別府市に生まれる。千葉大学工学部工業意匠学科卒業後、商業デザイナーとしてサラリーマン生活の後、漫画家として独立する。週刊少年マガジンなどにナンセンス漫画を発表する。 しかしその後は児童文学に転向し、その第一歩として『おしいれの中のみこたん』を出版。1980年(昭和55年)には『はれときどきぶた』(岩崎書店刊)を発表。たちまち大ヒットとなった上、テレビアニメ化されたり各国語に翻訳されたりとさまざまな反響を呼び、現代を代表する児童文学の代表作ともなった。
小椋 佳(おぐら けい、1944年〈昭和19年〉1月18日 … 小椋 佳(おぐら けい、1944年〈昭和19年〉1月18日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家。本名・神田 紘爾(かんだ こうじ)。 1971年に歌手としてデビュー。当初はフォークソングあるいはニューミュージックに分類されていたが、次第にジャンルを広げていった。銀行員としてエリートコースを歩む一方、デビューから20年以上もの間、ほとんど表舞台に出ないアーティストとして活躍する。 1993年、銀行を早期退職すると、音楽活動の一方で再び母校の東京大学法学部に学士入学し、1995年に法学部第3類(政治コース)を卒業。さらに東京大学文学部思想文化学科とその大学院(人文社会系研究科の思想文化コース)でも学び、2000年に修士号を取得した(哲学専攻)。
馬場 祥弘(ばば よしひろ、1944年 - )は、日本の小説… 馬場 祥弘(ばば よしひろ、1944年 - )は、日本の小説家、作詞家。大阪府出身。別名、小森 豪人(こもり ごうじん)、早手 一郎(はやて いちろう)。 関西学院大学卒業後、東京の広告代理店にディレクターとして勤務、コマーシャルフィルムの製作を手がける。退社後は放送作家、DJ、コンサートプランナー、作詞家として活動。 1970年代より「小森豪人」名義で音楽関係の書籍を執筆しており、1980年代からはクイズ関連のほか雑学などの書籍を執筆。1990年代中頃に入ると本名である「馬場祥弘」名義にて、当時既に下火になりつつあった架空戦記小説ブームのなかで精力的に活動し、2000年代半ばまでの約10年間に数多くの作品をハイペースで発表した。
加藤 登紀子(かとう ときこ、本名:藤本 登紀子、1943年… 加藤 登紀子(かとう ときこ、本名:藤本 登紀子、1943年〈昭和18年〉12月27日 - )は、日本初の女性シンガーソングライター、作詞家、作曲家、女優。日本訳詩家協会6代目会長。「おときさん」の愛称で親しまれている。 「百万本のバラ」(1987年 のヒット曲)の日本語歌詞作詞を行ったことや、「難破船」(自身の歌唱後、中森明菜がカバーした)の作詞作曲などでも知られる。『ほろ酔いコンサート』を50年以上に渡って開いている(2023年現在)。 城西国際大学観光学部で客員教授をした後、星槎大学共生科学科客員教授(2025年1月現在)。日本訳詩家協会会長に就任(2021年5月〜)。夫は学生運動活動家の藤本敏夫。
四方 章人(よも あきと、 (1943-11-14) 194… 四方 章人(よも あきと、 (1943-11-14) 1943年11月14日(82歳) - )は、岩手県出身の作曲家・作詞家である。 1943年生まれ、岩手県水沢市出身。音楽での立身を思い上京し、ビクターレコードの歌手オーディションに合格、猪俣公章の門下生になり、作曲を始める。その後、歌手としては売れなかったが、1973年に作曲した三善英史「遠い灯り」、1980年に作詞作曲した田辺靖雄ほかの「おれでよければ」、1984年に発売された木村友衛ほかの「浪花節だよ人生は」(作曲を担当)などがヒットした。 主な作品として資料より、各賞受賞作を中心にピックアップした。(順不同。なお特記の無い限り作曲を担当)
松本 礼児(まつもと れいじ、1943年2月17日 - 20… 松本 礼児(まつもと れいじ、1943年2月17日 - 2011年12月19日)は、日本の作詞家。本名:今福正。 長野県松本市出身。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て上智大学卒業後、日本航空に入社。 国際線のチーフパーサーとして勤務していたが、30代前半の頃、たまたま機内でレコード会社キャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)の社長と知り合い、引き抜かれる形で1976年に入社。以後、制作部の責任者として森昌子、前川清、夏川りみなどを手掛けた異色の経歴を持つ。 在職中の1979年に石野真子の「ジュリーがライバル」で作詞家デビュー。1988年には大月みやこの「乱れ花」で第21回日本作詩大賞の優秀作品賞、第9回古賀政男記念音楽大賞を受賞した。
奥成 達(おくなり たつ、1942年6月30日 - 2015… 奥成 達(おくなり たつ、1942年6月30日 - 2015年8月16日)は、日本の詩人、ジャズ評論家、著述家、漫画原作者、編集者、作詞家、トランペット奏者。 東京都品川区大井出身。東京都立城南高等学校卒業。雑誌記者、タウン誌編集長、青山学院大学文学部講師を歴任。 さまざまな種類の活動を通して、日本のサブカルチャー界に、広い人脈を築いた。タモリの「密室芸」の命名者である。 また、様々な別名を用いて執筆活動を行った。自身のペンネーム「異魔人」。また高橋肇との共同ペンネーム「影山勲」。弟の奥成繁(久保田呉春)との共同ペンネーム「山口泰」。妻はイラストレーターのながたはるみ。 2015年8月16日、腎盂癌のため死去した。
浅川 マキ(あさかわ マキ、1942年1月29日 - 201… 浅川 マキ(あさかわ マキ、1942年1月29日 - 2010年1月17日)は、日本の歌手、作詞(詩)家、作曲家、編曲家。淺川マキと綴られることもある。本名:森本悦子。 石川県石川郡美川町(現:白山市)出身。石川県立金沢二水高等学校卒業。 浅川マキは詳しい生い立ちを公表せず、学習研究社が1980年5月に刊行した『NEW MUSIC'81 ニューミュージック事典』の「アーティスト名鑑」では「1961年に法律の勉強をするため上京。その後某放送局ののど自慢で8人抜きをしたことから、浜口庫之助に認められ歌の世界に入る。黒人霊歌やジャズなどを得意とする」などと書かれている。 町役場で国民年金窓口係の職に就くも程なくして上京する。
岡本 おさみ(おかもと おさみ、1942年1月15日 - 2… 岡本 おさみ(おかもと おさみ、1942年1月15日 - 2015年11月30日)は、日本の作詞家。 鳥取県米子市出身。鳥取県立米子東高等学校、日本大学卒業。兄は浅見光彦ミステリーなどを手掛けた脚本家の岡本克己。 放送作家から作詞家に転身し、主にフォーク黎明期に活躍した。作曲者としての吉田拓郎とのコンビで知られ、森進一が歌って第16回日本レコード大賞を受賞した「襟裳岬」をはじめ多くの作品を生んだ。 1980年にリリースされた吉田拓郎のアルバム『アジアの片隅で』では、岡本らしいメッセージ性の濃い歌詞を提供している。強烈なメッセージ性を有した表題曲「アジアの片隅で」は12分を超える大作である。 SIONとはデビュー前から交流があり、音楽雑誌の新譜ジャーナルで連載していた『うたのことばが聴こえてくる』でデビュー前のシオンや共同作業中の詞を紹介している。
金子 詔一(かねこ しょういち、1942年 - 2025年4… 金子 詔一(かねこ しょういち、1942年 - 2025年4月1日)は、日本の作詞家・作曲家、英語教育者、実業家。日本の歌百選に選ばれた「今日の日はさようなら」の作詞・作曲者。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
いで はく(本名・井出 博正(いで ひろまさ)、1941年〈… いで はく(本名・井出 博正(いで ひろまさ)、1941年〈昭和16年〉11月22日 - )は、日本の作詞家。日本音楽著作権協会(JASRAC)会長(2016年4月-2022年3月)。日本音楽作家団体協議会理事長、松尾芸能振興財団理事。 長野県南佐久郡南牧村海尻出身。長野県野沢北高等学校を経て1965年早稲田大学商学部卒業後、全国モーターボート競走会連合会の教官として活動。全国の競艇場(24場)を回って、選手のスタート試験や登録試験などを担当した。その後は友人と共に会社を起業し、幼児向け英語教材(カセットテープ)を大手の出版社と連携して販売した。最初は売れ行きも好調だったが、提携先企業が苦境に陥り、僅か2年で失敗に終わる。
富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年〈昭和16年〉11… 富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年〈昭和16年〉11月5日 - )は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家、漫画原作者、作詞家、小説家。日本芸術院会員。本人は演出家・原案提供者としている。日本初の30分テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』の制作に携わるなど、日本のテレビアニメに草創期から携わる。祖父は東京府南葛飾郡大島町(現・東京都江東区の一部)町長を務めた富野喜平次。 代表作は『機動戦士ガンダム』などのガンダムシリーズ、『伝説巨神イデオン』、または『聖戦士ダンバイン』他のバイストン・ウェル関連作品など。 キャリアを通じて複数のペンネームを用いている。 本名は富野 喜幸()で両親の喜平と幸子の一文字ずつをとって付けられた。
仲倉 重郎(なかくら しげお、1941年8月21日 - )は… 仲倉 重郎(なかくら しげお、1941年8月21日 - )は、日本の映画監督、脚本家、作詞家。
石坂 浩二(いしざか こうじ、1941年〈昭和16年〉6月2… 石坂 浩二(いしざか こうじ、1941年〈昭和16年〉6月20日 - )は、日本の俳優、タレント、司会者、ナレーター、画家、作詞家。石坂ミュージカル・エンタープライズ社長。2015年10月からプロダクション尾木に所属。 本名は武藤 兵吉(むとう へいきち)で、親しい芸能人には「兵ちゃん」と呼ばれる。画家として1974年から1985年まで二科展に連続入選している。プラモデルの愛好家としても知られる。 東京府東京市京橋区木挽町(現:東京都中央区銀座)生まれの大田区田園調布出身。小さき花の幼稚園、大田区立田園調布小学校、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。神奈川県横浜市在住。
石坂 まさを(いしざか まさを、本名:澤ノ井 龍二、1941… 石坂 まさを(いしざか まさを、本名:澤ノ井 龍二、1941年5月18日 - 2013年3月9日)は、日本の作詞家・作曲家。一般社団法人真世界宗教連合会元相談役。 東京都新宿区出身。父親の澤ノ井音次郎は、十数人の弟子を持つ看板業を営んでいた。家業が繁盛し裕福になると女遊びに手を出し、正妻の他に8人の妾を持ち、石坂自身も4番目の妾の婚外子であった。しかし子に恵まれなかった音二郎の正妻・千恵の元で女手一つ愛情深く育てられ、石坂もまた千恵への深い思慕で結ばれていた。新宿区立四ツ谷第二中学校を卒業後、肺結核と闘いながら職を転々とする。 19歳の秋、自死を考えるが、鶴田浩二の「街のサンドイッチマン」を聴き、発奮され作詞家を志すようになる。
藤 公之介(ふじ こうのすけ、本名:工藤 喜美夫〈くどう き… 藤 公之介(ふじ こうのすけ、本名:工藤 喜美夫〈くどう きみお〉、1941年〈昭和16年〉5月17日 - )は、日本の作詞家、詩人、放送作家。 宮城県塩竈市出身。東北学院中学校・高等学校を経て、日本大学芸術学部卒業。アイドルから、大人の歌まで幅広い作詞活動をしている。
中山 大三郎(なかやま だいざぶろう、1941年2月15日 … 中山 大三郎(なかやま だいざぶろう、1941年2月15日 - 2005年4月7日)は、日本の作詞家、作曲家。 主に演歌、歌謡曲を中心に作詞、作曲を行っていた。 宮崎県北諸県郡高崎町(現・都城市)出身。1995年に結婚した三佐子夫人は、アナウンサー小川宏の次女。 宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。法政大学在学中、作詞家の星野哲郎に師事、作曲家としての活動を始める。 クラウンレコードの専属作曲家を経て、尾形大作の『無錫(むしゃく)旅情』、島倉千代子の『人生いろいろ』、天童よしみの『珍島(ちんど)物語』などの大ヒット曲を作詞、作曲した。 また、別名義に水沢圭吾・なかやま和郎・山下孝一郎がある。 テレビのワイドショーのコメンテーター(TBSテレビ『3時にあいましょう』『スーパーワイド』など)としても活躍する一方で、1989年から日本作詩家協会の常務理事を務めていたが、1999年に癌であることを公表した。
吉田 旺(よしだ おう、1941年2月6日 - )は、福岡県… 吉田 旺(よしだ おう、1941年2月6日 - )は、福岡県若松市(現北九州市若松区)出身の作詞家。旧名:吉田央。 なお、1960年から1968年にかけて、フジテレビのテレビドラマの専属演出家として活躍していた吉田央は同姓同名の別人。 多摩美術大学卒業後、広告代理店に2年間勤務。以降、フリーデザイナーと作詞の二足の草鞋を履く。そして、賞金の3万円とステレオの商品が欲しくて月刊「平凡」の募集歌に応募。ちあきなおみのデビューシングルである「雨に濡れた慕情」で吉田も作詞家としてデビューを果たす。 第14回日本レコード大賞を受賞した「喝采」を始めとして、ちあきなおみの楽曲の中でも数多くの作詞を担当している。
西条 ロック(さいじょう ロック、1941年〈昭和16年〉-… 西条 ロック(さいじょう ロック、1941年〈昭和16年〉- )は、日本の漫談家、歌手、ラジオパーソナリティ、作詞家。京都府出身。本名は西条 貴博(さいじょう たかひろ)。1970年代以降、関西を中心に漫談・音楽ショー・ラジオなど幅広い分野で活動した。 京都府立朱雀高等学校在学中、京都市内の歌謡喫茶「ひばり」に所属するグループ「シャネル・カンカンズ」のリーダーを務めた。同店でボーヤとして楽器運びをしていた人物が、後にラジオ大阪『オーサカ・オールナイト』で共演する横山プリンである。同時期、素人参加型のラジオ演芸番組に数多く出演し賞金を得る、いわゆる「素人番組荒らし」として早くから注目される存在となっていた。
伊藤 アキラ(いとう アキラ、本名:伊藤皓(いとう あきら)… 伊藤 アキラ(いとう アキラ、本名:伊藤皓(いとう あきら)、1940年8月12日 - )は千葉県出身の作詞家。
高木 あきこ(たかぎ あきこ、1940年6月14日 - )は… 高木 あきこ(たかぎ あきこ、1940年6月14日 - )は、日本の児童文学作家、作詞家。 東京都出身。父親は、芥川賞を辞退したことで知られる小説家・ドイツ文学者の高木卓。祖母の安藤幸はヴァイオリニストで、その兄姉には郡司成忠、幸田露伴、幸田成友、幸田延がいる。 東京学芸大学学芸学部国語科卒業。大学在学中よりサトウハチロー主宰の木曜会にて童謡を学ぶ。 1972年、「たいくつな王様」で第5回日本児童文学者協会新人賞受賞。2002年、「おやつのうた」で日本童謡賞受賞。2007年、詩「どこか いいところ」で第25回新美南吉児童文学賞、第54回産経児童出版文化賞産経新聞社賞受賞。
関口 義明(せきぐち よしあき、1940年1月23日 - 2… 関口 義明(せきぐち よしあき、1940年1月23日 - 2012年8月16日)は、日本の作詞家。代表作は井沢八郎の「あゝ上野駅」。 埼玉県羽生市出身。高校時代から川柳を作り始め、新聞社主催の「読者の集い」でたまたま職業作詞家と出会ったことから作詞の道に進む。高校卒業後は埼玉県の地方銀行に勤務。23歳のときに「あゝ上野駅」が雑誌『家の光』の懸賞で当選し、大ヒット曲となる。その後も銀行員との兼業作詞家を続け、40歳を過ぎた頃に本格的に作詞家として独立した。。日本作詩家協会理事を歴任。2012年8月16日に肺炎のため死去(享年72)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
杉 紀彦(すぎ のりひこ、本名、杉野明夫、1939年9月17… 杉 紀彦(すぎ のりひこ、本名、杉野明夫、1939年9月17日 - 2018年12月17日)は、放送作家・作詞家。 東京都生まれ、石川県羽咋郡志雄町出身。石川県立羽咋高等学校、千葉大学文理学部卒業。 2018年12月17日午前1時57分、肺炎のため東京都の病院で死去。81歳没。
橋本 淳(はしもと じゅん、1939年〈昭和14年〉7月8日… 橋本 淳(はしもと じゅん、1939年〈昭和14年〉7月8日 - 2026年〈令和8年〉5月21日)は、日本の作詞家である。本名は与田凖介(よだ じゅんすけ)で、詩人・児童文学者の与田凖一(1905年 - 1997年)は実父である。すぎやまこういちに師事し、弟子に中村容子がいる。作曲家の筒美京平とのコンビでヒット曲を多数手がける。 2,000曲を超える楽曲を発表し、代表作として知られるいしだあゆみ『ブルー・ライト・ヨコハマ』のほか、ジャッキー吉川とブルーコメッツ『ブルー・シャトウ』、ヴィレッジ・シンガーズ『亜麻色の髪の乙女』などグループ・サウンズ(GS)の作詞を多く手がけ、オリコンチャート解析で「GS関連で最も売れた作詞家」とされた。
中村 泰士(なかむら たいじ、1939年〈昭和14年〉5月2… 中村 泰士(なかむら たいじ、1939年〈昭和14年〉5月21日 - 2020年〈令和2年〉12月20日)は、日本の作曲家、作詞家、ロカビリー歌手、ラジオパーソナリティ、俳優、タレント。 奈良県北葛城郡王寺町出身。本名は泰士と書いて「たいし」と読む(芸名の読みを「やすし」としていたこともある)。クリスチャンの家に、長兄と12歳も離れた5人兄弟の末っ子として生まれる。6歳の時に歯科医師の父が亡くなり、役場に勤める母に女手一つで育てられた。 中学生の時、クラブ活動でブラスバンド部に入り、トロンボーン担当となる。行進曲のリズムを刻み続けることにつまらなさを感じ、部室にあったジャズの譜面のメロディーをトロンボーンで吹いていた。
千葉 真一[注釈 1](ちば しんいち、JJ Sonny C… 千葉 真一[注釈 1](ちば しんいち、JJ Sonny Chiba [注釈 2], 1939年1月22日 - )は、日本の俳優・体操選手・空手家・歌手・芸能プロモーター・アクション監督・映画監督・映画プロデューサー・作詞家・作曲家・ナレーター・声優。
安井 かずみ(やすい かずみ、1939年〈昭和14年〉1月1… 安井 かずみ(やすい かずみ、1939年〈昭和14年〉1月12日 - 1994年〈平成6年〉3月17日)は、日本の作詞家、訳詞家、エッセイスト、歌手。本名は漢字で一美。愛称はズズ (ZUZU)。初期のペンネームは みナみ カズみ。日本基督教団のクリスチャンでもあった(1993年受洗)。神奈川県横浜市出身。 フェリス女学院高等学校、文化学院油絵科卒業。ピアノや絵の好きな子供だった。文化学院油絵科に進んだころ、アルバイトで訳詞した「GIブルース」の大ヒットをきっかけにNHKの林叡作に勧められ、初めて作詞したのが「女の子だもん」。フェリス時代の同級生に藤村志保がいる。少女時代から絵画のほか、多数の習い事をしていた。
佐々木 勉(ささき べん、1938年12月26日 - 198… 佐々木 勉(ささき べん、1938年12月26日 - 1985年3月11日)は、日本の作詞家、作曲家、歌手。 東京府出身(現在の東京都杉並区出身)。成城学園高校を経て成城大学卒業。本名は佐々木 勤(ささき つとむ)。夫人は作詞家の笠間ジュン(前妻は女優の西尾美恵子)。 現在の東京都杉並区荻窪で生まれ、幼少期にバイオリンを習い音楽に親しむ。 成城学園高校在学中にラジオ番組「素人ジャズのど自慢」で日本一となり、バンド「カントリー・ケーパーズ」を結成し米軍キャンプを巡る。成城大学に入学後、「小坂一也とワゴン・マスターズ」に参加。大学卒業後は証券会社や広告代理店に勤務する傍ら作曲活動を行う。 1964年、清原タケシの「夜空の星(後に「星に祈りを」と改題)」の作詞・作曲で作家デビュー。
奥山 コーシン(おくやま コーシン、本名:戸波 侊伸(となみ… 奥山 コーシン(おくやま コーシン、本名:戸波 侊伸(となみ てるのぶ)、1938年〈昭和13年〉11月18日 - 2023年(令和5年)5月24日)は、日本のラジオパーソナリティ、放送作家、作詞家。社団法人日本放送作家協会理事。放送作家としての名は奥山侊伸(おくやま てるのぶ)。通称は『おくちゃん』。北海道旭川市出身。北海道旭川東高等学校卒業。門下の一人に秋元康がいる。
なかにし 礼(なかにし れい、本名:中西 禮三(なかにし れ… なかにし 礼(なかにし れい、本名:中西 禮三(なかにし れいぞう)、1938年〈昭和13年〉9月2日 - 2020年〈令和2年〉12月23日)は、日本の小説家、作詞家。 満洲国の牡丹江省牡丹江市(現在の中華人民共和国黒竜江省)生まれ。両親は酒造業で成功を収めていた。終戦後、満洲からの引き揚げでは家族とともに何度も命の危険に遭遇、この体験は以後の活動に影響を与えた。実兄・正一は特攻隊に配属されたが終戦となった。8歳の時に小樽に戻るが、兄の事業の失敗などで小学校時代は東京と青森(青森市立古川小学校)で育ち、中学から東京品川区大井町に落ち着く。東京都立九段高等学校卒業後、シャンソン喫茶でアルバイトをした。