塚越 仁慈(つかごし ひとじ、1948年 - )は日本の洋画… 塚越 仁慈(つかごし ひとじ、1948年 - )は日本の洋画家である。1971年に渡仏してジャン・ジャンセンに師事し、以後はヨーロッパ、なかでも南ヨーロッパの風景を主題とする油彩作品を中心に制作している。2024年には画業50周年を迎えた。 写実的な風景画を得意とし、ヨーロッパ各地、とくに南仏、スペイン、イタリアの街並み、村落、運河、古城などを題材にした油彩作品で知られる。南欧の明るい光や空気感、静けさ、詩情を大切にした表現が特徴で、作品名にも土地の名や風景の情景が多く見られる。 『トスカーナの一軒家』『ポンヌフの秋』『ベニス風景』『アッシジ遠望』『カップマルタン村』『こもれ陽』『春を耕す』『川辺の片隅』などが挙げられる。
村上 祥司(むらかみ しょうじ、1948年 - )は、日本の… 村上 祥司(むらかみ しょうじ、1948年 - )は、日本の都市計画家。(株)想像都市研究所代表取締役。 愛媛県に生まれる。 武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業後、都市計画設計研究所を経て想像都市研究所に入り、土地利用計画、風景計画・景観計画から都市・集落の空間デザイン、景観関連条例の改正・制定検討一連の企画立案・計画・設計などの業務に従事する。 著書に『日本の風景計画』(学芸出版会)など。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
蛇雄(だお、1948年 - )は、愛知県刈谷市出身の画家。無… 蛇雄(だお、1948年 - )は、愛知県刈谷市出身の画家。無所属。 一貫して独特な世界観の幻想絵画を描き続ける芸術家である。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
内藤 五琅(ないとう ごろう、1948年 - )は、日本の日… 内藤 五琅(ないとう ごろう、1948年 - )は、日本の日本画家。東京都出身、さいたま市浦和区在住。日本美術院特待。浦和画家。 東京都杉並区に生まれ、浦和市(現・さいたま市)に移住。埼玉県立浦和高等学校、東京芸術大学日本画科卒業。佐野東石美術館、成川美術館などに作品が所蔵されている。父、内藤四郎は彫金の人間国宝。
井上 直久(いのうえ なおひさ、1948年 - )は、日本の… 井上 直久(いのうえ なおひさ、1948年 - )は、日本の画家、イラストレーター、漫画家。大阪府東大阪市出身、茨木市在住。大阪府立春日丘高等学校、金沢美術工芸大学産業美術科卒業。 大学卒業後の1971年から2年間広告代理店に勤め、その後大阪府立春日丘高等学校に美術教諭として20年間勤務。学校勤務と並行して、異郷「イバラード」をテーマにした作品を描き、個展や画集を発表。1992年に学校退職後も精力的に活動し、1995年公開のアニメ映画『耳をすませば』中の挿話「バロンのくれた物語」の背景画を制作して注目を集めた。2002年から6年間成安造形大学に教授として勤務。2007年にはスタジオジブリが製作した映像作品『イバラード時間(英語版)』を監督した。
池田 理代子(いけだ りよこ、1947年12月18日 - )… 池田 理代子(いけだ りよこ、1947年12月18日 - )は、日本の漫画家・劇画家・声楽家。大阪府出身、千葉県柏市育ち渋谷区在住。血液型はAB型。
貝原 浩(かいはら ひろし、1947年11月24日 - 20… 貝原 浩(かいはら ひろし、1947年11月24日 - 2005年6月30日)は、日本の画家。岡山県倉敷市浜ノ茶屋出身。[要出典] この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
落田 洋子(おちだ ようこ、1947年11月22日 - )は… 落田 洋子(おちだ ようこ、1947年11月22日 - )は、日本の画家。 埼玉県浦和市生まれ。1968年、武蔵野美術短期大学商業デザイン科卒業。 広告企画の仕事を経て、1976年から油彩画を描き始める。1978年、六本木・青画廊で初個展。1979年、銅版画を開始する。個展やグループ展示会などで作品を発表している。作品は単行本や文庫本などで多く使われている。 1982年、『紅茶と海』でライプツィヒ国際図書デザイン展銅賞を受賞。 個展活動は銀座77ギャラリーを中心に展開している。 グループ展に「ポストコレクション展」(東京セントラル美術館)、「現代形象展」(ストライプハウス美術館)、「チバ・アートナウ'98」(佐倉市美術館)などがある。
鹿野 浩四郎(しかの こうしろう、1947年〈昭和22年〉1… 鹿野 浩四郎(しかの こうしろう、1947年〈昭和22年〉10月27日 - )は、日本の俳優、アナウンサー、画家。 1947年10月27日午後2時22分、東京都江戸川区小岩生まれ。東京都立墨田川高等学校より、俳優座養成所にあたる桐朋学園大学演劇科へ進む。1968年、劇団俳優座に所属、舞台・映画・TV等に多数出演。1978年4月~1984年3月、NHK『600 こちら情報部』のキャスターとして毎週月曜~金曜、約1500回の生放送に出演。 1988年~1990年、東日本放送のメーキングキャスターとして出演。1990年~2003年、テレビ神奈川の司会者として出演。 その後、絵師・佐藤勝彦に師事し、墨彩画家としての活動を始める。
宮迫 千鶴(みやさこ ちづる、1947年10月16日 - 2… 宮迫 千鶴(みやさこ ちづる、1947年10月16日 - 2008年6月19日)は、画家・エッセイスト。夫は画家の谷川晃一。 広島県呉市出身。1970年、県立広島女子大学文学部卒業。1984年エッセイ集『超少女へ』で注目され、上野千鶴子との対談を刊行、絵のほかに多くの女性論などのエッセイを刊行した。一貫してオカルト、スピリチュアルへの関心を抱いていた。1996年には『婦人之友』の表紙絵を担当していた。 2008年6月19日午後11時57分、リンパ腫のため埼玉県川越市の病院で死去。60歳没。 1991年の朝日新聞夕刊に連載していたコラムで、「(女性の結婚相手の条件として)3高というと怒る男性がいる。
遠藤 彰子(えんどう あきこ、1947年10月7日 - )は… 遠藤 彰子(えんどう あきこ、1947年10月7日 - )は、日本の洋画家。暗緑色を基調とした背景に、複数の視点からなる建物、踊り場、広場などがあり、そこに多数の人物や動物が描かれ、全体として神秘的な印象を受けるような作品が特徴とされる。 東京都中野区出身。武蔵野美術短期大学油絵学科卒。武蔵野美術大学油絵学科名誉教授、二紀会理事、女流画家協会委員。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
堀 浩哉(ほり こうさい、1947年9月28日 - )は、日… 堀 浩哉(ほり こうさい、1947年9月28日 - )は、日本の画家。多摩美術大学名誉教授。富山県高岡市生まれ。 主にキャンバスを支持体に、アクリル絵具、油絵具、岩絵具、和紙、オイルスティック、箔などを使った絵画作品を制作している。作家活動を始めた当初より、パフォーマンスも平行して行う。ユニット「堀浩哉+堀えりぜ」で活動するほか、NTTインターコミュニケーション・センター学芸員の畠中実も加わった「ユニット00」名義で活動していた時期もある。 1977年にパリ青年ビエンナーレ、1984年にはベニスビエンナーレの日本代表の1人として参加。 富山県立高岡高等学校卒業。1966年に上京。多摩美術大学の受験に失敗するも1年浪人ののち、1967年に入学。
柴崎 春通(しばさき はるみち、1947年8月27日 - )… 柴崎 春通(しばさき はるみち、1947年8月27日 - )は、日本の画家、YouTuber。 元文化庁派遣芸術家在外研究員。日本美術家連盟会員。“おじいちゃん先生”の愛称で親しまれる。 1947年に千葉県夷隅郡国吉町で生まれる。小学生の頃から絵を描くことが好きで、先生や同級生らに褒められるほどであった。夷隅町立国吉中学校(現・いすみ市立国吉中学校)に進学してからは柔道に熱中し、県大会で2位の成績を収めたこともある。千葉県立大多喜高等学校1年生のときに休眠状態だった美術部を再び立ち上げ、部長を務める。当時の美術部の顧問は、日本画家の渡邉包夫であった。 高校3年生になり、周囲が就職や進学を考える時期になっても柴崎は進路を決めかねていた。
妹尾 一朗(せのお いちろう、1947年6月11日 - 20… 妹尾 一朗(せのお いちろう、1947年6月11日 - 2015年6月26日)は、日本の洋画家。生命と宇宙の神秘をテーマに、動植物をモチーフとした幻想絵画の世界観を描く。作品の主な表現技法として、油彩・テンペラを用いている。宮城県塩竈市出身。 1971年 上智大学文学部社会学科卒業。 1972年 東京芸術学園卒業。 1973年 独立展入選。 1975年 ブロードウェイ新人展新人賞第一席受賞、同ギャラリーと契約。太陽美術展銅賞受賞。 1976年 フランス国際展国際賞受賞。ル・サロン交流展選抜。ブロードウェイギャラリーにて個展。太陽美術展銀賞受賞。太陽美術協会会員。 1977年 第一回日洋展入選。ル・サロン展銅賞受賞。
角間 貴生(かくま たかお、1947年(昭和22年)4月20… 角間 貴生(かくま たかお、1947年(昭和22年)4月20日 - )は、日本の版画家。芸術家。小説家。 アート工房ゆめらいふを主宰。 1947年(昭和22年)4月20日に富山県高岡市高湶町(現大手町)で五人兄弟の次男として出生する。 出生時から幼少期にかけての写真は一切ないが、理由は不明。最も古い写真は、児童期の頃のものである。 高岡市立平米小学校、高岡市立高陵中学校、富山県立高岡高等学校を経て、九州大学(旧九州芸術工科大学)を卒業。九州大学版画研究室修了。 小学生の6年間は、昆虫採集に夢中になっていた。将来、昆虫学者になることを志していたほどであった。高校時代は、富山の進学校(富山県立高岡高等学校)に進学したものの、神経症と胃病に悩まされ、学業不振。
村居 正之(むらい まさゆき、1947年4月20日 - )は… 村居 正之(むらい まさゆき、1947年4月20日 - )は、日本画家。日本芸術院会員、日展理事、大阪芸術大学教授美術学科長。金沢美術工芸大学客員教授。 父玄之助 (大正5年10月28日生)と母ハナ江 (大正9年3月21日生)の次男として京都市で生まれる。京都市立日吉ヶ丘高等学校美術工芸コース日本画科卒業後、池田遙邨に師事。日本芸術院会員、日展理事、大阪芸術大学教授 美術学科長。2019年に「月照」で恩賜賞・日本芸術院賞受賞。
室越 健美(むろこし たけみ、1947年〈昭和22年〉4月2… 室越 健美(むろこし たけみ、1947年〈昭和22年〉4月20日 - 2020年〈令和2年〉4月8日)は、日本の洋画家。多摩美術大学名誉教授。 群馬県前橋市にて生まれる。1977年に東京藝術大学油画科卒業。御茶の水美術専門学校、宇都宮文星短期大学で教鞭をとった後、多摩美術大学油画科助教授、教授などを歴任し、同大名誉教授となる。 2020年4月8日、肺ガンのため死去。72歳没。
杉本 一文(すぎもと いちぶん、男性、1947年(昭和22年… 杉本 一文(すぎもと いちぶん、男性、1947年(昭和22年)3月31日 - )は日本のイラストレーター・銅版画家。福井県出身。 高校卒業後、浪人生活を経て専門学校「東京デザインカレッジ」に入学。卒業後同校のデザイン科で助手として勤務したが半年後グラフィックデザイン事務所に移り3年の勤務を経て、フリーのイラストレーターとして独立。主に、角川文庫の横溝正史作品シリーズの表紙を担当していたことで知られる。書籍を中心にイラストレーターとして活躍、50歳から銅版画家として活動を開始。海外でも高い評価を得る。作品の描写力は秀逸にして驚異的であり、特に光と影を操る画面構成に優れている。版画作品は現代のデューラー、レンブラントとも言われている。
千地 泰弘(ちぢ やすひろ、1947年(昭和22年)3月19… 千地 泰弘(ちぢ やすひろ、1947年(昭和22年)3月19日 - )は、日本の友禅作家、仏教画家、舞台衣裳作家。
斎藤 吾朗(さいとう ごろう、1947年3月16日 - )は… 斎藤 吾朗(さいとう ごろう、1947年3月16日 - )は、愛知県幡豆郡寺津町(現・西尾市)出身の画家。独立美術協会会員。「赤絵」と呼ばれる作風で知られる。 大胆に赤色を用いる個性的な色遣いや、鑑賞者の意表を突く構成による絵画で知られている。故郷の愛知県三河地方を活動拠点としており、三河地方の人々・風景・祭礼などを題材とすることが多い。 第43回独立展で独立賞および海老原賞を受賞した1975年(昭和50年)頃から注目を集めるようになり、個性的な作品が「斎藤の赤絵」と呼ばれるようになった。1970年代には強烈な赤色の作品が多く、記念撮影を題材とする作品が多かった。1980年代には自身の子どもを描いた作品が加わり、1990年代には祭礼も題材となった。
畠中 光享(はたなか こうきょう、1947年3月7日 - )… 畠中 光享(はたなか こうきょう、1947年3月7日 - )は、奈良県出身の日本画家。 1947年(昭和22年)、奈良県に生まれる。1970年(昭和45年)、大谷大学文学部史学科を卒業後、京都市立芸術大学専攻科修了。 1971年、パンリアル展(パンリアル美術協会)出品(81年退会)。以後、1973年、山種美術館賞展(1975年、1977年、1989年)を始め多くの絵画展に出品。1977年、シェル美術賞、1978年、第1回東京セントラル美術館日本画大賞展大賞を始め受賞歴多数。 インドから日本にいたる仏教の展開に造詣が深く、作品もインドの風俗や仏伝(ブッダ釈尊の伝記および思想)をはじめ、仏教を題材にしたものが多い。
傅 益瑶(ふ えきよう、拼音仮名転写:フ・イーヤオ、1947… 傅 益瑶(ふ えきよう、拼音仮名転写:フ・イーヤオ、1947年1月4日-、)は、中国出身の水墨画家。長年の国際的活動がたたえられ、中国国務院から「第五回中華之光賞」、日本政府からは令和三年度「文化庁長官表彰」 等が授与されている。 1947年1月4日、中国南京市に、中国近代画壇の巨匠・傅抱石(中国語版、英語版)の第五子として生まれる。画家として生きる原点は1962年、高校生の時の周恩来総理との出会い。「お嬢さんはどうして絵を学ばないのですか?……もしもあなたの父が〝傅抱石〟でなければ、私も何も言いはしません。しかし、あなたの父が描く山河は本当に美しく、素晴らしいのです。あなたの父のように祖国の風景を描けたら、どれほど意義深いことか」「もし私があなたならば、必ず絵を描きますよ」との励ましを受ける(『水墨の詩』より)。
土屋 慎吾(つちや しんご、1947年 - )は、日本の漫画… 土屋 慎吾(つちや しんご、1947年 - )は、日本の漫画家、官能劇画家、似顔絵師。 愛知県犬山市出身。1947年(昭和22年)生。 滝高等学校卒業後、東京デザインカレッジ在学中に水木しげるのアシスタントになる。 『ゲゲゲの女房』時代後期(1967年 - 1970年)つげ義春、鈴木翁二らと机を並べる。 少年サンデー第3回新人漫画賞受賞。 ぼくらマガジンコミックス『タイガーマスク(8)』に掲載された『海の鎖』でデビュー。 その後、青年誌、官能劇画誌、自販機雑誌等に執筆。特集本も多数発売されたが、『お検査して』第4集が発禁となる。 現在は、愛知県犬山市犬山城城下町にて、似顔絵を描きながら新作自伝『ゲゲゲのアシスタント』など描き下ろし作品を執筆中。
増田 信敏(ますだ のぶとし、1947年 - )は、日本の写… 増田 信敏(ますだ のぶとし、1947年 - )は、日本の写実画家。福岡県苅田町出身。薔薇画廊専属作家。 福岡県立京都高等学校卒業。17歳の時画家を志す。「神秘のリアリスト」として創作活動を展開。「聖なるものを描くことが仕事」とし、本物のリアリズムを追求。
米山 渉(よねやま わたる、1947年 - )は、日本の洋画… 米山 渉(よねやま わたる、1947年 - )は、日本の洋画家。長野県出身。 一陽会会員、ル・サロン/フランス芸術家協会永久会員、日本国際美術家協会会員。 駒澤大学卒業。1998年「一陽展」に初出品。 2001年「ル・サロン」入選。2002年、第48回一陽展奨励賞受賞。2004年、第50回記念一陽展特待賞受賞。 2005年、「ル・サロン」永久会員に推挙される。同年、一陽会 会友。2014年、一陽会 会員。 20世紀芸術世界賞グランプリ(フランス)、モナコ政府芸術名誉賞等受賞。海外10数カ国へ出品を続ける。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
藤森 悠二(ふじもり ゆうじ、1947年 - )は、日本の洋… 藤森 悠二(ふじもり ゆうじ、1947年 - )は、日本の洋画家。 1947年東京都台東区生まれ。1970年千葉商科大学商経学部卒業、ならびに寛永寺坂美術研究所修了。大学在学中に太平洋美術学校にて大谷幸一に師事。1969年に太平洋美術会展で「遠い視線」が初入選。1972年スペイン王立サン・フェルナンド美術アカデミー修了。1976年日本肖像芸術会展受賞。1977年新彩美術会結成。1978年日本肖像芸術会展特選。1989年一創会会員。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
清重 伸之(きよしげ のぶゆき、1947年 - )は、日本の… 清重 伸之(きよしげ のぶゆき、1947年 - )は、日本の画家。イラストレーター。徳島県出身。東京芸術大学洋画科油絵専攻卒業。東京芸術大学大学院技法材料科修了。 迎賓館天井画修復に従事する。アメリカ合衆国のセントオラフ大学でアニメーション実習を行う。現代書館の『フォー・ビギナーズ・シリーズ』の『本居宣長』『坂の上の雲』『ヤマトタケル』など、単行本のイラストを手がけている。
青木 敏郎(あおき としろう、1947年 - )は、日本の洋… 青木 敏郎(あおき としろう、1947年 - )は、日本の洋画家。京都市生まれ。リアリズムの作風と、ヨーロッパの古典絵画の技法を現地での研究をもとに追求し続ける画家。 1973年、東京造形大学を卒業。中村正義の援助にて留学、ベルギーヘントのロイヤルアカデミー(英語版)に在籍、その後1978年までオーストリア、オランダ、他に滞在する。 1980年、京都市立芸術大学講師となる(以後1983年まで)。 1981年、東京セントラル美術館油絵大賞展で佳作賞受賞。 1982年、第25回安井賞展入選、賞候補に上がる。 1983年、東京セントラル美術館油絵大賞展招待。 1984年、第27回安井賞展入選 渡欧。オーストリア、ウィーンの美術史美術館にてフェルメールの「画家のアトリエ」、オランダ、デン・ハーグのマウリッツハイス美術館にてフェルメールの「デルフト眺望」を模写。
南 一平(みなみ いっぺい、本名:荒木紀章、1947年-)は… 南 一平(みなみ いっぺい、本名:荒木紀章、1947年-)は、日本の漫画家、風景画家。日本漫画家協会会員。 金光学園高等学校を卒業後、専門学校東京デザイナー学院へ進学。東京デザイナー学院在学中に月刊漫画ガロで漫画家としてデビューし同誌新人賞を受賞する。以後、週刊少年ジャンプ、月刊少年ジャンプ、漫画ゴラクで連載を持つ。 1975年、『熱球の果てに…』で手塚賞佳作を受賞。 1980年代中頃、故郷の笠岡市にUターンし、知人に勧められ風景画を描くようになる。 1999年から2004年にかけて中国新聞井笠おかやま版で連載「みちくさ紀行」シリーズで挿絵を担当した。 岡山県川上町、岡山県新庄村、京都府八幡市などの地域プランナーの他、おかやま山陽高等学校、総合学園ヒューマンアカデミー広島校にて講師を務めている。
成瀬 政博(なるせ まさひろ、1947年 - )は、日本の画… 成瀬 政博(なるせ まさひろ、1947年 - )は、日本の画家、イラストレーター、エッセイスト。 大阪府出身。大阪外国語大学を卒業後、公務員の傍ら美術評論を書いていたが、退職してイラストレーターに転身した。1997年から、谷内六郎の後を引き継いで「週刊新潮」の表紙絵とコラムを担当している。 画家の横尾忠則の実弟。妻との間に5人の子供がいる。
到津 伸子(いとうづ のぶこ、1947年〈昭和22年〉 - … 到津 伸子(いとうづ のぶこ、1947年〈昭和22年〉 - 2019年〈平成31年〉1月31日)は、日本の画家、エッセイスト。 東京都生まれ。東京芸術大学美術学部卒業。その後渡仏、1977年パリで個展を開き、パリ・東京を拠点に活動。2003年エッセイ『不眠の都市』で講談社エッセイ賞を受賞。 父到津十三男は朝日新聞社で海外特派員としてドイツ滞在歴があり、NHK国際政治の解説委員も務め、ワイマール共和国、ナチスに関する著書、訳書もある。毎日新聞社創設者の吉武鶴次郎は祖父であり、徳富蘇峰、徳冨蘆花は大伯父である。到津の出自は、宇佐神宮の神官、旧男爵到津家の係累である。 2019年膵臓癌のため死去。最期を看取ったのは、パートナーだった作家の中山雅仁である。
多賀 新(たが しん、1946年12月14日 - )は、日本… 多賀 新(たが しん、1946年12月14日 - )は、日本の銅版画家。北海道本別町出身。北海道本別高等学校卒業。千葉県市川市在住。 代表作は、銅版画・江戸川乱歩の世界、新十二神将合体図など。近年は鉛筆画の作品にも力を入れている。銅版画「三極」は横綱日馬富士の化粧まわしの原画となった。
城 景都(じょう けいと、1946年12月13日 - )は、… 城 景都(じょう けいと、1946年12月13日 - )は、愛知県刈谷市出身の画家。 1946年インド系朝鮮人の父の三男として生まれる。小学校時代より音楽と絵に興味を持ち、学生時代を経てロックバンドを結成しライブ活動を行いつつ、絵を書き始める。 傷害事件で少年院に入ったこともあるが、恩師であり画家である近藤正治と出会いその芸術論に感銘し、その後本格的に絵を描きはじめる。植物の葉脈から導き出した、貫乳風のひび割れを使った作風は独自のスタイルといえる。从会会員。 画集等で公表されている生年月日は1948年12月13日であるが、現在では1946年12月13日に訂正されている。 弟に画家で絵本作家の木村昭平がいる。
福田 千惠(ふくだ せんけい、1946年11月21日 - )… 福田 千惠(ふくだ せんけい、1946年11月21日 - )は、日本画家、日本藝術院会員。東京都葛飾区東立石出身。本名は千恵子。「けい」の字は「恵」ではなく「惠」。 葛飾区立川端小学校、武蔵野美術大学卒。佐藤太清に師事。1981年日展特選、1996年日展会員賞、1999年日展文部大臣賞。2006年「ピアニスト」で日本芸術院賞。日展理事。2009年芸術院会員。2012年葛飾区名誉区民。2024年、旭日中綬章受章。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
有元 利夫(ありもと としお、1946年9月23日 - 19… 有元 利夫(ありもと としお、1946年9月23日 - 1985年2月24日)は、日本の画家。妻は日本画家・陶芸家の有元容子。 1946年、岡山県津山市(疎開先)に生まれる。生後間もなく東京都台東区へ戻り、人生のほとんどを谷中で過ごした。1953年、台東区立谷中小学校入学[要出典]。小学校低学年の頃からゴッホに強い興味を抱いたと言われ、駒込高等学校在学中に中林忠良の指導を受ける。1969年、東京芸術大学美術学部デザイン科に入学、在学中の1971年にヨーロッパを旅行し、イタリアのフレスコ画に深い感銘を受けた。1973年、東京芸術大学を卒業、卒業制作「私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ」は同大学が買い上げた。
佐藤 一郎(さとう いちろう、1946年8月26日 - )は… 佐藤 一郎(さとう いちろう、1946年8月26日 - )は、日本の男性画家であり、絵画材料学、絵画技術学の研究者である。1999年から2014年に東京芸術大学教授を務め、定年退職後、2014年から2019年まで金沢美術工芸大学大学院専任教授、2019年から2025年まで東北生活文化大学学長。。 マックス・デルナーの『絵画技術体系』の訳者にしてウィーン幻想派の画家ルドルフ・ハウズナーに師事した画家にふさわしい、混合技法による数々の絵画を描いている。それは、グレーズ (彩色技術)(英語版)やインプリマトューラといった技法を巧みに用い、強い光沢を備えているものもそれでいてくどくない、油絵具の透明性や物体性を活かした霊妙な作品である。
左髙 啓三(さたか けいぞう、1946年8月6日 - )は、… 左髙 啓三(さたか けいぞう、1946年8月6日 - )は、日本の建築家、都市計画家。 株式会社I・I・E国際環境研究所所長(代表取締役)。ドイツの温泉利用のまちづくりに詳しい。 1965年4月、東京芸術大学美術学部建築科入学。 1970年3月、東京芸術大学美術学部建築科卒業。 1970年4月、丹下健三+都市・建築設計研究所入所(1974年3月退所)。 1971年5月 - 1973年5月まで、西ドイツのシュツットガルト工科大学軽量構造物研究所、客員研究員。 1974年4月 - 1975年5月まで、シュツットガルト工科大学軽量構造物研究所入所(Frei OTTO)。 1975年10月、東京芸術大学美術学部建築科、特別講師。
池田 和弘(いけだ かずひろ、1946年〈昭和21年〉7月2… 池田 和弘(いけだ かずひろ、1946年〈昭和21年〉7月29日 - 2024年〈令和6年〉11月17日)は、日本の画家、イラストレーター、自動車愛好家。通称「Bow。」。 日本のカーイラストの第一人者。『カーマガジン』の表紙絵を創刊から約40年間に渡り担当した。車のほか、オートバイ、船、風景の絵を多数手掛ける。 東京都杉並区生まれ。第二次世界大戦後間もない幼少期に、自宅近くの甲州街道を行き交う米軍たちが乗る煌びやかなアメリカ車に魅了され、車の絵を書くことを始める。 車のデザイナーになることを志し工業高校に進学するも中退。ファッション・イラストの第一人者、長沢節主催のセツモードセミナーに通いイラストレーターとしてのキャリアがスタート。
葉 祥明(よう しょうめい、1946年7月7日 - )は、日… 葉 祥明(よう しょうめい、1946年7月7日 - )は、日本の絵本作家、画家、詩人。本名、葉山祥明。 熊本県熊本市出身。九州学院高等学校、立教大学経済学部、セツ・モードセミナー卒業後、ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグに留学、油絵を学ぶ。 多くの絵本の作者として知られ、2014年の時点で、絵本・詩集など書籍の出版数は300点に上る。 福建省福清県にルーツを持つ華僑2世で中華料理店「紅蘭亭」の創業者である葉菊華の子。7人兄弟の6番目、三男として育つ。長兄の葉山祥泰(しょうたい)は「紅蘭亭」グループ前代表、SWISS洋菓子店創業者。次兄の葉祥栄は建築家、実弟の葉山祥鼎(しょうてい)は童話作家・エッセイスト・写真家で"葉祥明 阿蘇高原絵本美術館"の館長。
弦屋 光溪(つるや こうけい、 昭和21年(1946年)7月… 弦屋 光溪(つるや こうけい、 昭和21年(1946年)7月 - )は、日本の版画家、浮世絵師。歌舞伎役者の大首絵でデビューした。 本名は三井 弦。昭和21年 (1946年)、神奈川県茅ヶ崎市生まれ、父は洋画家の藤川光次、祖父は同じく洋画家の中澤弘光。東京都新宿区諏訪町で育つ。1971年(昭和46年)に富士短期大学を卒業。サラリーマンを経て木版画家に転身し、独学で制作を続け、1978年(昭和53年)に木版画家としてデビューする。歌舞伎座で役者大首絵の展覧会を22年間続け、大英博物館の「日本20世紀後半の版画展」ほかにも出品。2000年に大首絵を完結させると、猫をモチーフにした戯画「猫三連作」(「三扇面流し 猫の忠臣蔵」2011年)や「アルチンボルドに捧ぐ五題」(「虫」 2014年)ほかだまし絵、さらに自画像へと、浮世絵を探求していく。
東野 光生(とうの こうせい、1946年5月21日 - )は… 東野 光生(とうの こうせい、1946年5月21日 - )は、日本の水墨画家、小説家。
新井 満(あらい まん、1946年〈昭和21年〉5月7日 -… 新井 満(あらい まん、1946年〈昭和21年〉5月7日 - 2021年〈令和3年〉12月3日)は、日本の男性著作家、作詞作曲家、歌手、写真家、環境映像プロデューサー、絵本画家。新潟県新潟市生まれ。本名:滿(みつる)。母は助産婦。 新潟市立寄居中学校、新潟明訓高等学校、上智大学法学部卒業。子供時代に新潟地方を襲った大地震で危うく命を落としかけた。また、幼少時から病弱だった。上智大学グリークラブ(男声合唱団)に所属するも、重病を患い生死の境目を彷徨ったため入院退部。何とか治癒して生きる喜びを強く実感する。以降、美しいものを発見して伝えることをライフワークとして生きていきたいと誓う。 卒業後、電通に入社し環境ビデオ映像の製作に携わるかたわら、小説・歌などの創作活動に入る。
星野 富弘(ほしの とみひろ、1946年4月24日 - )は… 星野 富弘(ほしの とみひろ、1946年4月24日 - )は、日本の詩人・画家。現在も詩画や随筆の創作を続けており、また国内外で「花の詩画展」が開かれている。
若井 康彦(わかい やすひこ、1946年3月1日 - )は、… 若井 康彦(わかい やすひこ、1946年3月1日 - )は、日本の政治家、都市計画家。
土屋 礼一(つちや れいいち、1946年2月28日 - )は… 土屋 礼一(つちや れいいち、1946年2月28日 - )は、日本画家。本名は土屋 禮一(つちや れいいち)。勲等は旭日中綬章。日本芸術院会員、日展副理事長、金沢美術工芸大学名誉教授・客員教授。 岐阜県養老郡養老町出身。岐阜県立大垣南高等学校、武蔵野美術大学卒業後、加藤東一に師事。 日展理事、武蔵野美術大学客員教授、金沢美術工芸大学教授。代表作『赤い沼』は文化庁に買い取りを受けている。 1998年、師の加藤東一が描く予定だった、瑞龍寺(岐阜市)本堂障壁画を描く。この時より、本名の、土屋禮一名義で、作品を発表。 2007年に「軍鶏」で日本芸術院賞受賞。 2009年、日本芸術院会員。 2011年、隅田川花火大会花火コンクールの審査委員長を歴任。
伊藤 卓美(いとうたくみ、1946年1月15日 - )は、… 伊藤 卓美(いとうたくみ、1946年1月15日 - )は、日本の版画家。 母の実家である宮城県登米郡登米町(現・登米市)で、洋画家である伊藤悌三の三男として生まれる。高校2年の時、版画家の馬淵聖が版画で作成した父宛の年賀状と出会い、自身も本格的に版画制作を始める。秋田の版画家勝平得之の影響を受けた民俗芸能をテーマにした作品で、1967年に初の個展を開く。 1979年に日版会版画展に『群鹿』を出品、新人賞を獲得して会友に推挙される。以後日版会賞や文部大臣賞を受賞した。2004年に日版会会長となるが、自作の版画制作を優先すべく2014年に退会した。 2024年に、岩手県花巻市の第34回イーハトーブ賞を受賞した。
真瀬 宏子(ませ ひろこ、1946年1月12日 - )は、日… 真瀬 宏子(ませ ひろこ、1946年1月12日 - )は、日本の政治家、洋画家、教員。栃木県野木町長(5期)。栃木県初の女性首長である。 栃木県那須郡烏山町(現・那須烏山市)生まれ。5歳より宇都宮市で育った。宇都宮大学教育学部附属小学校、宇都宮大学教育学部附属中学校、栃木県立宇都宮女子高等学校卒業。1968年(昭和43年)3月、東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。同年に安宅賞を受賞した。1974年(昭和49年)、東京芸術大学大学院修士課程修了。 1975年(昭和50年)より県立高等学校美術科の教師の職に就く。また洋画家としてこれまでに個展を30回開催した。2002年(平成14年)12月、土曜美術社出版販売から共作で絵本を出版。
菊池 伶司(きくち れいじ、1946年 - 1968年)は、… 菊池 伶司(きくち れいじ、1946年 - 1968年)は、日本の銅版画家。
西村 不可止(にしむら ふかし、1946年 - )は、日本の… 西村 不可止(にしむら ふかし、1946年 - )は、日本の画家。 NPOひろしまインターネット美術館理事。 山口県立萩高等学校卒業。 会社に勤めていた35歳の時に絵画教室へ通い始めた。41歳になった頃、師の勧めで公募展に出品をすると初の入選をした。2度目の公募展では中国新聞社賞を受賞し、このころより創作活動に本腰を入れることになる。以来35年間連続で公募展に出品。故郷でもある萩市の「萩市美展」や「国民文化祭」、その他個展やグループ展にて作品を発表。搬入、搬出には有休を取って自ら参加している。 また、絵画教室の講師も仕事と並行して務めた。
奥山 民枝(おくやま たみえ、1946年 - )は、日本の画… 奥山 民枝(おくやま たみえ、1946年 - )は、日本の画家、芸術家である。 大学卒業後、独学で油絵や日本画などの絵画制作を始めた。 20代から欧州、北南米、インドネシアなど世界各地を旅した。初期作品から一貫して自然のなかに潜む生命力やエロティシズムに着目し、山、雲、太陽などのモティーフを描き続けている。 1992年、「山夢」で第35回安井賞を受賞した。 戦時疎開先の新潟県高田市寺町(現・上越市寺町)で生まれ、その後東京に転居した。 1965年、東京芸術大学美術学部工芸デザイン科に入学。在学中の1966年、現代演劇協会ホール「令嬢ジュリー」舞台壁画制作、草月会館「ジョン・シルバー」舞台装置制作を手掛けた。