出羽の洲 聖(でわのしま ひじり、1962年11月3日 - … 出羽の洲 聖(でわのしま ひじり、1962年11月3日 - 2021年10月9日)は、東京都新島本村(現:新島村)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は前田 聖(まえだ ひじり)。身長189cm、体重150kg。最高位は東十両7枚目(1982年11月場所)。得意技は右四つ、寄り、突き。 小学校5年生の時から勧誘され、中学校を卒業する時には身長が180cmに達していた。進路決定の締め切り日まで悩んだ挙げ句に「力士になる」と両親に告げて入門し、1978年3月場所に出羽海部屋から初土俵。同期生には横綱・大乃国、幕下付出デビューの大関・朝潮、関脇・水戸泉、小結・琴稲妻、幕内・起利錦、若瀬川などがいる。
大乃国 康(おおのくに やすし、1962年10月9日 - )… 大乃国 康(おおのくに やすし、1962年10月9日 - )は、北海道河西郡芽室町出身で放駒部屋(入門時は花籠部屋)に所属した元大相撲力士。第62代横綱(昭和最後の横綱)。本名は青木 康(あおき やすし)。現在は年寄・芝田山。芝田山部屋の師匠を務めている。 1962年に、北海道河西郡芽室町で牧畜と農業を営む家の長男として生まれる。2歳のときに北海道東部の健康優良児として表彰を受けた。小学校から帰ってくると畑仕事を手伝い、小学校3年の時に、畑の中でトラクターを動かし、刈り取った豆を脱穀機まで運んでいた。小学校4年の時に、実家の牛と預かった近所の農家の牛に水をやり、サイロから餌を出して牛舎に運んでいた。
水戸泉 政人(みといずみ まさと、1962年9月2日 - )… 水戸泉 政人(みといずみ まさと、1962年9月2日 - )は、茨城県水戸市出身で高砂部屋所属の元大相撲力士。最高位は東関脇。本名は小泉 政人(こいずみ まさと)。身長194cm、体重192kg(最高200kg、1996年1月場所)、現在は年寄・錦戸、得意手は突っ張り、左四つ、寄り、上手投げ。愛称は「水戸ちゃん」、「イズミちゃん」など、趣味は油彩画。 幼少の頃に父を亡くし弟の昭二(元十両13・梅の里)とともに母1人の手で育てられた。茨城県水戸市立飯富中学時代には母の勧めで柔道に打ち込み初段になる腕前の持ち主だった。1977年の暮に力士のサイン会に行った。本人は貴ノ花のサイン会だと思っていたそうだったが実は高見山と富士櫻のサイン会だった。
起利錦 利郎(きりにしき としろう、1962年8月31日 -… 起利錦 利郎(きりにしき としろう、1962年8月31日 - )は、群馬県桐生市(出生地は東京都大田区)出身、鏡山部屋所属の元大相撲力士。 本名は山田 利郎(やまだ としろう)。身長188cm、体重173kg。愛称は「キリちゃん」。得意技は右四つ、寄り。最高位は東前頭2枚目(1987年3月場所)。現在は年寄・勝ノ浦として伊勢ノ海部屋に所属する。 知人の紹介で中学卒業と同時に鏡山部屋に入門。1978年3月場所に初土俵を踏んだ。入門当初は、部屋での生活になかなか馴染めず苦労し序二段を脱することが出来なかったが、連日の稽古により右四つ相撲の型を磨き着実に番付を上げていった。 1985年11月場所には東幕下15枚目の地位で7戦全勝の成績で幕下優勝を果たし、翌1986年1月場所に十両に昇進した。
両国 梶之助(りょうごく かじのすけ、1962年7月30日 … 両国 梶之助(りょうごく かじのすけ、1962年7月30日 - )は、長崎県長崎市出身の元大相撲力士。本名は小林 秀昭(こばやし ひであき)。出羽海部屋伝統の四股名である両國(兩國)梶之助を襲名した者は9人存在するが新字体の両国表記のみの者は当人だけである。学生相撲の経験を有する影響で、両国梶之助 (小林)とも表記される場合がある。現在は年寄・境川(13代)として境川部屋師匠を務めている。
若瀬川 剛充(わかせがわ よしみつ、1962年7月28日 -… 若瀬川 剛充(わかせがわ よしみつ、1962年7月28日 - 2011年10月8日)は、山形県酒田市出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した大相撲力士。本名は佐藤 亙(さとう わたる)。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭筆頭(1989年3月場所)。現役時代の体格は189cm、152kg、血液型はB型。 酒田第三中学校を卒業後、上京して伊勢ヶ濱部屋に入門し、1978年3月場所で初土俵を踏んだ。以来、順調に番付を上げて行き、1980年9月場所では18歳の若さで十両に昇進した。この頃には、後の大関・北天佑と共に「北若時代」を築くことが期待されていた。当初は十両に定着できなかったが、2度目の再十両の場所であった1982年7月場所で11勝4敗の成績で十両優勝を果たすと2場所連続して勝ち越し、1983年1月場所で新入幕を果たした。
三杉里 公似(みすぎさと こうじ、1962年7月1日 - )… 三杉里 公似(みすぎさと こうじ、1962年7月1日 - )は、滋賀県甲賀郡信楽町(現・滋賀県甲賀市)出身で二子山部屋に所属した元大相撲力士。本名は岡本 公似(おかもと こうじ)。最高位は東小結(1992年9月場所)。現役時代の体格は185cm、159kg。趣味は映画、音楽鑑賞、ゴルフ、格闘技観戦。得意手は右四つ、寄り、上手投げ、突き落とし。愛称は「おかもっちゃん」・「おかもん」。血液型はA型。 信楽焼で有名な滋賀県甲賀郡信楽町の出身で、陶芸家もよく出入りする陶芸燃料商の三男として産まれる。そんな環境から陶芸家を目指したこともあり、地元信楽中学校から信楽工業高校(現・信楽高校)窯業科に進学する。
栃乃和歌 清隆(とちのわか きよたか、1962年5月22日 … 栃乃和歌 清隆(とちのわか きよたか、1962年5月22日 - )は、和歌山県海南市(旧海草郡下津町)出身で、春日野部屋所属の元大相撲力士。本名は、綛田 清隆(かせだ きよたか)、身長190cm、体重162kg。最高位は東関脇(1987年11月場所、1992年5月場所)。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。
琴稲妻 佳弘(こといなずま よしひろ、1962年〈昭和37年… 琴稲妻 佳弘(こといなずま よしひろ、1962年〈昭和37年〉4月26日 - )は、群馬県利根郡みなかみ町(旧利根郡新治村)出身(のちに協会発表の出身地を沼田市に変更)で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は田村 昌浩(たむら よしひろ)。現在は年寄・粂川。最高位は東小結(1995年(平成7年)11月場所)。現役時代の体格は181cm、137kg。得意手は突き、押し、右四つ、寄り、上手投げ、肩透かし。地味ながら、巧さの光る相撲で長く活躍した。通称は「ピヨ」。 新治村立新治中学校時代、当時活躍していた同郷の関脇・栃赤城に憧れ「あのようになりたい」と言っていたところ、佐渡ヶ嶽(元横綱・琴櫻)に誘われて卒業後に佐渡ヶ嶽部屋に入門し、1978年(昭和53年)3月場所、初土俵を踏んだ。
佐賀昇 博(さがのぼり ひろし、1961年11月27日 - … 佐賀昇 博(さがのぼり ひろし、1961年11月27日 - )は、佐賀県藤津郡塩田町(現・同県嬉野市、出生地は杵島郡白石町)出身で、押尾川部屋に所属した元大相撲力士。本名は林 博(はやし ひろし)。現役時代の体格は192cm、119kg。得意手は左四つ、下手投げ。最高位は東前頭14枚目(1988年11月場所)。 趣味は、音楽鑑賞と読書。血液型はO型。 幼い頃両親を亡くし、3歳年上の姉や5歳年下の弟と一緒に現在の嬉野市にある児童養護施設「済昭園」で育った。中学3年生の時には身長が184cmあり目立つ存在であった。中学校近くのラーメン店の店主が同郷の押尾川親方(元大関・大麒麟)と知り合いの縁で何度も入門を誘われた。
高木 功(たかぎ いさお、1961年11月8日 - )は、大… 高木 功(たかぎ いさお、1961年11月8日 - )は、大阪府守口市出身の男性プロレスラー、元大相撲力士。嵐のリングネームでの活動が知られている。 「空爆重戦車」のニックネームを持つヘビー級の選手で、かつては全日本プロレス、ドラディションに所属、主戦場としていた。 大相撲時代では高田川部屋に所属し、四股名は卓越山 吾郎(たくえつやま ごろう)であった。当時は、身長187cm、体重148kg。最高位は西十両5枚目(1985年11月場所)。得意技は突き、押し。 知人の紹介で中学卒業と同時に同じ守口市出身の元大関・前の山の高田川部屋に入門。1977年3月場所に「前の光 功」(まえのひかり いさお)の四股名で初土俵を踏んだ。
39代 木村庄之助(さんじゅうくだい きむら しょうのすけ、… 39代 木村庄之助(さんじゅうくだい きむら しょうのすけ、1961年10月30日 - )は、大相撲の立行司である。九重部屋所属。本名は洞澤 裕司(ほらさわ ゆうじ)、血液型はO型。 東京都府中市出身。少年時代より相撲好きで、北の富士(13代井筒→12代九重)のファンだった。1977年の高校入学後に「行司になりたい」と手紙を出し、すぐに高校を辞めて北の富士が師匠を務めていた井筒部屋に入門した。北の富士からは「君は行司に向いているね」と迎い入れられた。 1977年11月場所にて「木村裕司」の名で九重部屋所属行司として初土俵を踏んだ。 ハリのある力強い呼び上げと掛け声が特徴である。 2000年3月場所より番付の書き手であった式守敏廣(当時幕内格、後の立行司36代木村庄之助)の番付書き助手を務めていた。
床弓(とこゆみ、1961年10月12日 - )は、大相撲の元… 床弓(とこゆみ、1961年10月12日 - )は、大相撲の元床山。本名は行方嘉朗。福井県小浜市出身。最終所属は高砂部屋。最高位は一等床山。
小金富士 岳志(こがねふじ たけし、1961年10月7日 -… 小金富士 岳志(こがねふじ たけし、1961年10月7日 - )は、花籠部屋、放駒部屋に所属した元力士。弓取を担当した。本名は荒瀬 岳志。東京都小金井市出身。身長186.5cm、体重122kg。最高位は東幕下筆頭(1988年11月)。 同級生の父親が花籠部屋後援者と知り合いだった縁で、中学生の時から花籠部屋に出入りしていた。中学卒業後にそのまま花籠部屋に入門し、1977年3月初土俵。前相撲は一番出世だった。 1981年9月場所で幕下に昇進、10代のうちの幕下昇進ということで周囲からは期待されたが、その後は伸び悩んだ。放駒部屋に転籍する直前の1985年11月場所より弓取りを勤めた(担当期間は1985年11月場所から1987年1月場所3日目までと、1987年9月場所)。
大石田 謙治(おおいしだ けんじ、1961年10月2日 - … 大石田 謙治(おおいしだ けんじ、1961年10月2日 - )は、神奈川県相模原市出身で大鵬部屋に所属した元大相撲力士。本名は石田 謙治(いしだ けんじ)、182cm、141kg。最高位は西十両13枚目。得意技は突き、押し、左四つ、寄り、血液型はO型。 1977年3月場所初土俵、入門14年目の1990年9月場所に所要81場所で念願の新十両昇進を果たす。ただ初日は勝利したものの翌日から13連敗、千秋楽は勝利したが2勝13敗の成績で1場所で幕下に陥落。十両在位は結局この1場所で、最後は三段目まで陥落し1993年9月場所限りで現役を引退(廃業)した。現役晩年には短期間で体重が20㎏以上減り、当時幕内で活躍していた智ノ花の豪快な「いぞり」と関連し「どうした、げっそり元十両・大石田」とやくみつるの漫画でネタにされてしまった。
天凰山 豊(てんこうやま ゆたか、1961年8月25日 - … 天凰山 豊(てんこうやま ゆたか、1961年8月25日 - 2017年)は、愛知県知立市出身で春日山部屋に所属した元大相撲力士。本名は近藤 英夫。175cm、143kg。最高位は東十両13枚目。得意技は押し。 中学生の時は地元の野球チームに入っており、3年生の時は三塁手のポジションで5番打者を務め、知立市大会でも優勝してゆくゆくは地元球団である中日ドラゴンズに入団するのが将来の夢だった。しかし、知人と一緒に7月場所を観戦し、春日山部屋に寄って一緒に食事をした時に「休みの時は東京へ遊びに来なよ」と誘われたので、その言葉通りに夏休みと冬休みに上京して部屋で遊んでいく内に部屋の雰囲気に自然と馴染んでいき、中学校を卒業したら入門すると決意した。
騏乃嵐 和稔(きのあらし かずとし、1961年7月9日 - … 騏乃嵐 和稔(きのあらし かずとし、1961年7月9日 - )は、北海道夕張市出身で、押尾川部屋に所属した大相撲力士。本名は石山 和敏(いしやま かずとし)。身長183cm、体重162kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭2枚目(1982年11月場所)。血液型はB型。夕張市立幌南中学校卒。 父親は夕張炭鉱の元・炭鉱夫。小学校6年時で既に170cm・76kgに達していた為走ることを不得手としていた。中学生の頃は野球や卓球を経験し、野球では一塁手として活躍した。 中学校卒業直前に、押尾川部屋のマネジャーで夕張市出身であった工藤氏のスカウトを受けて上京し、同部屋に入門することとなった。都内のガソリンスタンドへの就職が決まった兄も、自身と同時に上京したとされる。
益荒雄 広生(ますらお ひろお、1961年6月27日 - )… 益荒雄 広生(ますらお ひろお、1961年6月27日 - )は、福岡県田川郡糸田町出身で押尾川部屋(現在廃止)に所属していた元大相撲力士。最高位は西関脇(1987年7月場所)。現役時代の体格は188cm、127kg。本名は手島 広生(てしま ひろお)。得意手は右四つ、寄り、下手投げ。血液型はB型。現在は年寄・阿武松。夫人は、元プロゴルファーの奥村久子。
逆鉾 昭廣(さかほこ あきひろ、1961年6月18日 - … 逆鉾 昭廣(さかほこ あきひろ、1961年6月18日 - 2019年9月16日)は、鹿児島県姶良郡加治木町(現・姶良市)出身(出生地は東京都墨田区)で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は福薗 好昭(ふくぞの よしあき)。 最高位は東関脇。得意技は左四つ、寄り、もろ差し、外掛け。現役時代の体格は182cm、130kg。引退後は年寄・井筒を襲名し、井筒部屋で後進の指導に当たっていた。 なお彼以前に逆鉾を名乗った力士が9人いるため、彼は10代目の逆鉾である。 生まれ育ったのは父・鶴ヶ嶺が居宅及び部屋を構えた墨田区であるが、大相撲入り後は父の出身地である鹿児島県を自身の出身地として届け出た。 墨田区立二葉小学校、墨田区立両国中学校を卒業。
龍授山 正男(りゅうじゅやま まさお、1961年6月12日 … 龍授山 正男(りゅうじゅやま まさお、1961年6月12日 - )は、福島県相馬市出身(生まれは神奈川県川崎市)で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は渡辺 正男(わたなべ まさお)。182cm、145kg。最高位は東十両8枚目。得意技は右四つ、寄り。趣味はカメラ。 小学校5年生から東京都立砧工業高等学校まで柔道を習い、砧工業高校には飲食店でアルバイトをしながら通学していた。ある日、飲食店でアルバイトをしている時に、近所の相撲料理店を通じて訪ねて来た錦戸親方(元前頭・大田山)から勧誘されたので、高校を中途退学して高砂部屋へ入門した1979年5月場所に初土俵。幕下までは順調に出世したが、幕下ではなかなか幕下上位に進めず、十両に昇進するまで約7年の年月を要した。
福ノ里 邦男(ふくのさと くにお、1961年6月4日 - )… 福ノ里 邦男(ふくのさと くにお、1961年6月4日 - )は、岩手県九戸郡軽米町出身で立田川部屋に所属した元大相撲力士。本名は福田 邦男(ふくだ くにお)。身長180cm、体重107kg。得意手は右廻し、上手投げ、寄り。最高位は東十両13枚目(1989年9月場所)。現在は音羽山部屋所属の若者頭、血液型はB型。 陸奥部屋の公式サイトによると、趣味はゴルフ、好きな食べ物は魚。2023年時点の体重は94kg。 中学から高校まで野球部に所属していたが、上級生との不仲もあり2年の途中で退部した。直後に、二十山親方(元関脇・青ノ里)を紹介され、岩手県立軽米高等学校を中退し立田川部屋に入門。1978年7月場所に初土俵を踏み、翌9月場所に序ノ口優勝を果たす。
清美岳 太(きよみだけ ふとし、1961年6月4日 - 19… 清美岳 太(きよみだけ ふとし、1961年6月4日 - 1997年7月)は、山形県村山市出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は黒沼 美佐登。181cm、128kg。最高位は東十両13枚目。得意技は突き、押し。 1978年9月場所に18歳で初土俵。1983年7月場所に22歳で新十両。その場所は6勝9敗と負け越し、1場所で幕下へ陥落。11月場所に十両に復帰するが右膝を負傷して途中休場、1986年9月場所限りで廃業。廃業後は飲食店を経営していたが、若くして亡くなった。
琴白山 俊也(ことはくさん としや、1961年6月1日 - … 琴白山 俊也(ことはくさん としや、1961年6月1日 - )は、石川県小松市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は釜野 俊也(かまの としや)。身長183cm、体重131kg。得意手は右四つ、下手投げ。最高位は東十両4枚目(1990年9月場所)。血液型はO型。 小学生時はサッカー、中学時代は野球部に所属していた。中学卒業直前に後援会の人から佐渡ヶ嶽親方(元横綱・琴櫻)を紹介され勧誘された。高校に進学し野球部に所属したものの、以前佐渡ヶ嶽親方の話を聞き相撲に魅力を感じていたので1ヶ月ほどで高校を中退し、佐渡ヶ嶽部屋に入門。1977年5月場所に初土俵を踏んだ(同期に陣岳がいた)。体重がなかなか増えず、三段目、幕下で長く苦労した。
田上 明(たうえ あきら、1961年5月8日 - )は、日本… 田上 明(たうえ あきら、1961年5月8日 - )は、日本の元男性プロレスラー、元大相撲力士、実業家、飲食店経営者。埼玉県秩父市出身。血液型A型。身長191cm、体重115kg。大相撲力士 - プロレスラー時代は身長192cm、体重120kg。 力士時代は押尾川部屋所属で四股名は玉麒麟 安正(たまきりん やすまさ)。最高位は西十両6枚目(1987年1月場所)。得意技は右四つ、寄り、上手投げ。 全日本プロレスの運営会社・全日本プロ・レスリング株式会社の取締役、プロレスリング・ノアの運営会社・株式会社プロレスリング・ノアの代表取締役社長、事業を譲渡されたノア・グローバルエンタテインメントの相談役を歴任した。
前乃臻 康夫(まえのしん やすお、1961年4月17日 - … 前乃臻 康夫(まえのしん やすお、1961年4月17日 - )は、福岡県嘉穂郡筑穂町(現役当時、現・同県飯塚市)出身で高田川部屋に所属した元大相撲力士。本名は沢辺 康夫(さわべ やすお)。最高位は東小結(1987年9月場所)。得意手は左四つ、寄り、上手投げなど。現役時代の体格は185cm、137kg、血液型はB型。 引退後、年寄・山響を借株で襲名するも1996年11月場所後に失踪状態になり(正式に失踪宣告を受けていたかは不明)、翌1997年1月31日に日本相撲協会から解雇された。 高田川親方(元大関・前の山)が育てた、初めての十両・幕内・三役力士である。力士から親方を経てタレントに転向した、元小結・龍虎を思わせるハンサム力士であった。
飛円 美智浩(とびまる みちひろ、1961年2月18日 - … 飛円 美智浩(とびまる みちひろ、1961年2月18日 - 没年不明[要出典])は、茨城県常陸太田市出身で宮城野部屋に所属した元力士。本名は澤幡 美智浩。身長176.5cm、体重90kg。最高位は西幕下2枚目。 茨城県立水戸農業高等学校相撲部に所属。1979年3月初土俵を踏む。1991年9月引退。軽量ながら幕下上位に定着していたが、ついに十両昇進はならなかった。 引退後の2015年8月、日本相撲協会主催の「第1回相撲指導適格認定証認定講習会受講者」に参加、講習と実技実習の後、筆記試験を受け、合格し、認定証を受けた。 通算76場所262勝240敗23休 自己最高位で迎えた1987年5月場所9日目に、十両の土俵に上がり市ノ渡三四四と対戦している。
維新力 浩司 (いしんりき こうじ、本名:飯橋 浩司(いいは… 維新力 浩司 (いしんりき こうじ、本名:飯橋 浩司(いいはし こうじ)、1961年1月24日 - )は、日本の元男性プロレスラー、日本の元大相撲力士、飲食店経営者。血液型A型。リングネームは維新力(いしんりき)。東京都杉並区出身。 大相撲時代の最高位は西十両筆頭(1989年11月場所)。 相撲の経験は小学校と中学校時代を通じて地域の祭で開催される相撲大会に出場する程度だったが、兄の影響で格闘技が大好きなため、プロレスラーよりも体格に関する条件が緩かった大相撲力士を志した。高鐵山を尊敬していたということと、大きな部屋だと「君のような小さな人は行司か床山になりなさい」と言われる恐れがあると考えたことから、弟子が2人しかいなかった高鐵山が率いる大鳴戸部屋に入門。
一ノ矢 充(いちのや みつる、1960年12月28日 - )… 一ノ矢 充(いちのや みつる、1960年12月28日 - )は、鹿児島県大島郡徳之島町出身で高砂部屋(入門時は若松部屋)所属の元大相撲力士。本名は松田 哲博。得意手は押し、出し投げ、肩透かし。2007年11月28日の引退時点で現役最年長力士だった。また、2017年5月27日までは昭和以降の最高齢力士の記録も保持していた。初の国立大学出身の力士でもある。血液型AB型。最高位は東三段目6枚目(1991年7月場所)。 亀津中学校、徳之島高校時代は柔道部。琉球大学理学部物理学科在学中に相撲部を興す。大学卒業後、元関脇・房錦の若松部屋に入門、国立大学出身力士としては史上初の角界入りを果たした。身長が規定に及ばず(身長165cm、合格基準173cm)新弟子検査を合格することができないまま半年ほど過ぎたが、1983年(昭和58年)11月場所の新弟子検査で身長の計測係だった鏡山親方(元横綱・柏戸)のお情けで合格、大学時代の実績がほぼ皆無であったため幕下付出の資格は得られず前相撲から初土俵を踏んだ。
6代 木村 玉治郎(ろくだい きむら たまじろう、本名:武田… 6代 木村 玉治郎(ろくだい きむら たまじろう、本名:武田 雅史(たけだ まさし)、1960年(昭和35年)12月27日 - )は、大相撲の元三役格行司である。立浪部屋所属。血液型はO型。 福島県福島市出身。千葉県船橋市で育ち、小学生時代は野球(V9と当時の甲子園常連・千葉県立銚子商業高等学校)やサッカーに親しみ、相撲にはあまり興味はなかったが、6年生の時の九州場所をたまたまテレビ観戦した際、4代木村玉治郎(のちの27代木村庄之助)の姿を見て以来、4代玉治郎にあこがれるようになった。 その後、4代玉治郎が立行司に昇格し、23代式守伊之助を襲名した際には、わざわざ蔵前国技館(当時)まで足を運んでいる。
琴椿 克之(ことつばき かつゆき、1960年12月6日 - … 琴椿 克之(ことつばき かつゆき、1960年12月6日 - )は、沖縄県那覇市出身、佐渡ヶ嶽部屋所属の元大相撲力士。本名は渡嘉敷 克之(とかしき かつゆき)。最高位は西前頭3枚目(1992年7月場所)。趣味は音楽鑑賞。現役時代は稽古熱心で有名であった。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。現在は年寄・白玉。 沖縄が日本に返還されて日の浅い当時、「沖縄を大相撲畑にしたい。」と佐渡ヶ嶽(元横綱・琴櫻)に口説かれた渡嘉敷少年は1976年3月場所に初土俵を踏む運びとなった。1972年5月の沖縄返還以前に大相撲へ入門した力士は過去に4人しかおらず、関取に昇進したのは琉王優貴(元前頭筆頭)ただ1人であり、これは前例の少ない試みであった。
富士乃真 司(ふじのしん つかさ、1960年11月6日 - … 富士乃真 司(ふじのしん つかさ、1960年11月6日 - )は、千葉県船橋市(出生地は千葉県山武郡)出身で九重部屋(入門時は井筒部屋)に所属した元大相撲力士。本名は矢木 哲也(やぎ てつや)。最高位は東前頭筆頭(1988年1月場所)。身長181cm、体重147kg。得意手は左四つ、寄り。現在は年寄・陣幕。第65代横綱・貴乃花の長男である花田優一の元岳父。 中学時代は野球部に所属していた。中学2年の時に相撲に興味を持ち、同級生で同じく野球部に所属していた武田雅史(後の6代木村玉治郎)とともに、蔵前国技館まで良く足を運んでいたという。中学を卒業後、元横綱・北の富士が率いる井筒部屋に入門し、1976年3月場所で初土俵を踏んだ。
床中(とこなか、1960年10月27日 - )は、大相撲の元… 床中(とこなか、1960年10月27日 - )は、大相撲の元床山。本名は中山紀久雄。佐賀県嬉野市出身。所属部屋は押尾川部屋→錦戸部屋。最高位は特等床山。 高校を2年で中退して押尾川部屋に床山として入門。2005年に押尾川部屋が閉鎖された後は錦戸部屋に転籍し、床寿が入院中の代役および引退後(2009年1月場所以降)の後任として横綱朝青龍の大銀杏を担当した。2025年1月場所から最高位の特等床山に昇格。停年(定年)退職直前の同年9月場所が最終場所となった。
清王洋 好造(せいおうなだ こうぞう、1960年10月20日… 清王洋 好造(せいおうなだ こうぞう、1960年10月20日 - 2003年10月8日)は、伊勢ヶ濱部屋に所属していた元大相撲力士。本名は畠野 好造(はたの こうぞう)。身長178cm、体重192kg。鹿児島県枕崎市出身、兵庫県神戸市垂水区育ち。得意手は突き、押し。最高位は西十両9枚目(1987年11月場所)。 1960年10月20日、神戸市にて生まれる。兵庫県神戸市垂水区で育つ。父は自動車教習所指導員。出身地は新十両時は兵庫県、再十両時は鹿児島県としていた。1979年3月に天理高等学校卒業。新弟子検査に合格。高校で柔道を習っており、大学でも柔道を続けようと考え、天理大学体育学部を受験し合格したが、自分の身体能力を生かすには相撲しかないと考え、進学せずに伊勢ヶ濱部屋に入門。
大鷹 雅規(おおたか まさき、1960年9月16日 - )は… 大鷹 雅規(おおたか まさき、1960年9月16日 - )は、岡山県和気郡(現在の備前市)出身で大鵬部屋に所属した元大相撲力士。本名は定久 正行(さだひさ まさゆき)。身長188cm、体重128kg。最高位は西十両4枚目(1986年1月場所)。得意技は右四つ、寄り。 中学3年生の時に元横綱・大鵬の雑誌記事を目にして興味を持ち、何度も読み返すうちに相撲を志して大鵬親方に入門を願う手紙を出した。中学校卒業後、大鵬部屋へ入門。1976年3月場所で初土俵を踏む。初土俵から9年半経った1985年9月場所で十両に昇進した。昭和最後の岡山県出身関取。1989年1月場所を最後に28歳で廃業した。
藤ノ川 祐兒(ふじのかわ ゆうじ、1960年8月20日 - … 藤ノ川 祐兒(ふじのかわ ゆうじ、1960年8月20日 - )は、愛知県大府市出身で伊勢ノ海部屋所属の元大相撲力士。本名は服部祐兒。身長193cm、体重150kg。得意手は左四つ、寄り、小手投げ。最高位は東前頭3枚目(1986年7月場所)。体育学者、アマチュア相撲指導者で、現在は東海学園大学教授。祐兒の祐は正確には示へんに右。
北天佑 勝彦(ほくてんゆう かつひこ、1960年8月8日 -… 北天佑 勝彦(ほくてんゆう かつひこ、1960年8月8日 - 2006年6月23日)は、北海道室蘭市出身で三保ヶ関部屋に所属した大相撲力士。本名は千葉 勝彦(ちば かつひこ)。最高位は東大関。後の年寄・二十山。現役時代の体格は身長183cm、体重149kg。得意手は突き、押し、右四つ、左褌、吊り、寄り、投げ。実弟も角界入りし、九重部屋で、富士昇の四股名で三段目まで昇進した。血液型はO型、趣味はゴルフ、水墨画。またその端整なマスクから女性ファンからの人気が高く、当時の角界としては珍しく女性からの黄色い声援が上がっていた。また四度の幕内優勝を果たした元大関・貴景勝は娘婿に当たる。 四股名の由来は「北の天の下に生まれ人の右に出る」から取られている。
恵那櫻 徹(えなざくら とおる、1960年7月29日 - )… 恵那櫻 徹(えなざくら とおる、1960年7月29日 - )は、岐阜県恵那郡坂下町(※現役当時、現・同県中津川市)出身で押尾川部屋に所属した元大相撲力士。本名は早川 徹(はやかわ とおる)。最高位は西前頭筆頭(1990年11月場所)。現役時代の体格は180cm、135kg。得意手は右四つ、突っ張り、押し。 一時「恵那桜」と新字の「桜」を使った時期もあったが、本記事では便宜上「恵那櫻」の表記で通す。 岐阜県立恵那北高等学校(※2007年3月限りで廃校となり、岐阜県立中津高等学校へ統合)を中退後、押尾川部屋に入門。もともとは料理人志望で、中学卒業後は料理の専門学校に通うつもりでいた。入門の動機は、押尾川親方(元大関・大麒麟)から勧誘を受けた時に「力士になれば、ちゃんこ料理を作れるよ」と言われた事だという。
立富士 祐司(たつふじ ゆうじ、1960年7月26日 - )… 立富士 祐司(たつふじ ゆうじ、1960年7月26日 - )は、静岡県富士宮市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は渡辺 裕次(わたなべ ゆうじ)。177cm、132kg。最高位は東十両11枚目。得意技は左四つ、寄り。のちに立の富士 祐司(たつのふじ ゆうじ)とも名乗った。 相撲は小学生の時から取っていたが、当時はまだ本格的に取り組んではいなかった。しかし、中学校に入るとクラブ活動で本格的に始めた。静岡県立富士宮北高等学校へ進学した時には体重が100kgに達し、3年生の全国高等学校相撲選手権大会でも個人・団体の部で8位に入賞する活躍をした。国民体育大会(開催地:長野)に出場する前に就職先が決まっていたが、相撲選手権の活躍を聞いた立浪から勧誘され、好きな世界だったので就職を断ってから入門した。
旭富士 正也(あさひふじ せいや、1960年〈昭和35年〉7… 旭富士 正也(あさひふじ せいや、1960年〈昭和35年〉7月6日 - )は、青森県西津軽郡木造町(現在のつがる市)出身で大島部屋に所属した元大相撲力士、第63代横綱(平成最初の横綱)。本名は杉野森 正也(すぎのもり せいや)。現役時代の体格は身長189cm、体重143kg。得意技は右四つ、寄り、掬い投げ。現在は年寄・宮城野。 血液型はB型、趣味は音楽鑑賞、映画鑑賞。特技は手品。近畿大学を中途退学して大相撲入門後、現役中に同大学通信教育課程に再度入学し卒業(学位は学士)。 木造町立木造中学校、私立五所川原商業高等学校(現在の下山学園高等学校)在学中は相撲部に所属。高校生時代に長野県で行われた第33回国民体育大会では、少年の部の団体優勝に貢献した。
輪鵬 和久(りんほう かずひさ、1960年1月22日 - )… 輪鵬 和久(りんほう かずひさ、1960年1月22日 - )は、福岡県大川市出身で花籠部屋(入門後に放駒部屋に移籍)に所属した元大相撲力士。本名は志岐 和久(しき かずひさ)。身長178cm、体重195kg。最高位は西十両11枚目。得意技は突き、押し。 家具製造業を営む実家に生まれ、中学生の時はランニングを得意としていた。高校時代は柔道に打ち込んでおり、九州高校柔道大会で3位に入った。その活躍から多くの相撲部屋の勧誘を受けたが、花籠部屋に入門した。1977年3月場所に玄海鵬の四股名で初土俵を踏む。玄界鵬の四股名は郷土の玄界灘と横綱・大鵬に因んだ。入門直後から期待され、順調に番付を上げていった。兄弟子の横綱・輪島と共にランニングを行って調整していたことで知られ、その様子を収めた写真も現存している。
次郎(じろう、本名:西出 和夫(にしで かずお)、1960年… 次郎(じろう、本名:西出 和夫(にしで かずお)、1960年1月19日 - )は、大相撲の元呼出。三保ヶ関部屋→春日野部屋所属。 千葉県習志野市出身。長く土俵作りの責任者を務め、「土俵作りの名人」の異名をとった。 2008年1月場所から2022年11月場所まで、三役呼出筆頭の地位に在位していたが、その期間中、出場力士の最高位が関脇の優勝決定戦として次に示す3番を呼び上げた。 2019年11月場所より、不祥事により10月に退職した立呼出の拓郎に代わって結びの一番を含む最後の2番を呼び上げている。 次郎にとって拓郎は同じ部屋に入門・所属してきた兄弟子で40年以上の付き合いがあった。拓郎は退職が決まる前に次郎に「九州は行けなくなるから、頼むな」と電話をかけており、拓郎の退職届受理は春日野から聞いたという。
陣岳 隆(じんがく たかし、1959年12月24日 - )は… 陣岳 隆(じんがく たかし、1959年12月24日 - )は、鹿児島県曽於郡志布志町(現・同県志布志市)出身で井筒部屋(入門時は君ヶ濱部屋)に所属した元大相撲力士。本名は中山 隆(なかやま たかし)。現役時代は身長190cm・体重148kg。得意手は左四つ・突っ張り・吊り。最高位は東小結(1987年11月場所)。趣味は映画鑑賞・ゴルフ。血液型はB型。好物は焼肉とアイスクリーム。 志布志町役場に勤務していた公務員の父と元陸上選手の母との間に生まれた。家族は姉も実業団バレーボールの選手として鳴らした典型的なスポーツ一家であった。志布志小学校在学時から志布志高校の2年生までは、剣道で鳴らした。 その後相撲に転向し、高校を2年生の途中で中退して上京。
40代 式守 伊之助(よんじゅうだい しきもり いのすけ、本… 40代 式守 伊之助(よんじゅうだい しきもり いのすけ、本名:野内 五雄、1959年12月23日 - )は、大相撲の元立行司。宮城野部屋所属。 大阪府岸和田市出身。 幼い頃から相撲が大好きで、当時の大関・清國の仕切りのきれいさに憧れていたという。中学を卒業したら力士になろうと相撲部屋を訪ねて回ったが、165センチメートルの身長であったため断られ、宮城野部屋で「どうしても相撲の世界に入りたいなら行司にならないか? 行司になったら、番付表に名前が載るぞ!」と親方に声をかけられたという。 入門した宮城野部屋に当時は行司がおらず、一門の立浪部屋に所属していた27代木村庄之助の弟子として指導を受けた。1975年3月場所、式守吉之輔の名で初土俵。
栃泉 隆幸(とちいずみ たかゆき、1959年11月26日 -… 栃泉 隆幸(とちいずみ たかゆき、1959年11月26日 - )は、大阪府泉佐野市出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は中山 隆幸(なかやま たかゆき)。現役時代の体格は188cm、177kg。最高位は東十両3枚目(1983年9月場所)。得意手は突き、押し。 中学生時代は野球をしていたが、春日野親方にスカウトされ、中学3年の時に春日野部屋に入門。1975年1月場所に初土俵を踏んだ。長く序二段で低迷していたが、三段目に定着していた頃の1979年1月場所に本名の中山から、出身地の泉佐野市に因んで「栃泉」と改名すると幕下へ定着し、その間初っ切りで名を馳せる。1982年11月場所に十両昇進。その場所は5勝10敗と負け越し、1場所で幕下に落ちるが、十両に再度昇進した1983年5月場所に11勝4敗の成績で十両優勝。
鶴嶺山 宝一(かくれいざん ほういち、1959年11月24日… 鶴嶺山 宝一(かくれいざん ほういち、1959年11月24日 - 2020年3月28日)は、鹿児島県姶良郡加治木町 (現在の姶良市)出身(出生地は東京都墨田区)で、井筒部屋(入門時は君ヶ濱部屋)に所属した大相撲力士。本名は福薗 好政(ふくぞの よしまさ)。身長182cm、体重122kg。最高位は西十両2枚目(1983年7月場所)。得意手は突っ張り、諸差し、寄り。引退時の四股名は鶴ノ富士。 生まれ育ったのは父・鶴ヶ嶺が居宅及び部屋を構えた墨田区であるが、大相撲入り後は父の出身地である鹿児島県を自身の出身地として届け出た。 父が師匠を務める君ヶ濱部屋(のちに井筒部屋に名称変更)へ入門し、中学校卒業後の1975年3月場所初土俵。
富士の里 昇(ふじのさと のぼる、1959年10月23日 -… 富士の里 昇(ふじのさと のぼる、1959年10月23日 - )は、北海道瀬棚郡今金町出身で九重部屋に所属した元大相撲力士。本名は瀧 文彦(たき ふみひこ)。187cm、125kg。最高位は東十両13枚目。得意技は左四つ、寄り、上手投げ。 高校へ進学してから身長が180cmに達したので目立ち始め、その評判を聞いた九重親方(第41代横綱・千代の山)から素質を見込まれて熱心に勧誘されたので高校を中途退学して九重部屋へ入門した。1975年11月場所に16歳で初土俵。幕下までは順調に出世したが、幕下で壁に当たり、負傷や病気も多かったのと相まって出世が遅れた。しかし、1983年11月場所の幕下優勝を足がかりにして、1984年5月場所に新十両(九重部屋から井筒部屋が分家・並立していた時期に九重部屋に入門した唯一の関取となった)。
花ノ国 明宏(はなのくに あきひろ、1959年10月15日 … 花ノ国 明宏(はなのくに あきひろ、1959年10月15日 - )は、大阪府藤井寺市出身で放駒部屋(入門時は花籠部屋)に所属した元大相撲力士。本名は野口 明宏(のぐち あきひろ)。最高位は東前頭筆頭(1989年11月場所)。身長185cm、体重148kg。血液型はB型。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。 相撲好きの父親から幼少期より鍛えられた。藤井寺市立道明寺中学校卒業時の、1975年(昭和50年)3月場所花籠部屋から初土俵を踏む。輪島が横綱時代後半に差し掛かったあたりから十両昇進まで付け人を務めていた。重い腰を生かした典型的な四つ相撲で、右四つからの正攻法の攻めで番付を上げていった。 1983年(昭和58年)5月場所新十両。
38代 木村 庄之助(さんじゅうはちだい きむら しょうのす… 38代 木村 庄之助(さんじゅうはちだい きむら しょうのすけ、1959年9月22日 - )は、大相撲の元立行司。引退時は高田川部屋所属。本名は今岡 英樹(いまおか ひでき)。島根県出雲市出身。 少年時代は高砂部屋の元大関前の山(8代高田川)のファンで、それが相撲界入りのきっかけとなった。もっとも、最初から行司志望だった訳ではなく(身長が160cmで力士規定に満たないため)、どうしても親方に裏方でもいいから弟子入りしたいと自己PRの手紙を書いているうち、最後の一文に「行司になりたい」と書いてしまったという。 1975年5月場所、木村秀樹の名で初土俵。40代式守伊之助の1場所後輩に当たる。40代伊之助より上の世代とは年齢が離れている(伊之助より1枚上だった4代木村正直(2013年1月死去)とは6歳差)ということもあり、彼とは付き合いが深いようで、新弟子時代は何度も相撲を取って勝負していたという。
志州山 真国(ししゅうやま まさくに、1959年6月22日 … 志州山 真国(ししゅうやま まさくに、1959年6月22日 - )は、三重県鳥羽市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は木下 昌彦。最高位は東幕下筆頭。194cm、114kg。 鳥羽市立菅島中学校(現在の鳥羽市立鳥羽東中学校)時代はバレーボール部に所属、中学時代、身長は190cm、足のサイズは30cmもあり、靴は特注品でないと買えなかった。中学3年生の時に市の大会で学校は準優勝。バレーボールだけでなく他のスポーツからの勧誘もあった。三重ノ海を相撲界に入れた人から誘いがあり、出羽海が直々に自宅に来て「高校に入る」ことを条件に出羽海部屋への入門が決まった。高校は両国高校の定時制に通った(卒業か中退かは不明)。
福龍岳 茂生(ふくりゅうだけ しげお、1959年5月8日 -… 福龍岳 茂生(ふくりゅうだけ しげお、1959年5月8日 - )は、福岡県嘉穂郡嘉穂町(現・嘉麻市)出身、出羽海部屋所属の元大相撲力士。本名は中尾 茂生(なかお しげお)。身長177cm、体重139kg。得意手は右四つ、下手投げ。最高位は東十両12枚目(1987年11月場所)。 中学生の時はバレーボール部に所属し、アタッカーとして活躍したが、相撲大会にも駆り出され、中学2 - 3年生の福岡県大会で3位に入賞した。高校へ進学して相撲部に所属する事が内定し、中学校卒業を間近に控えたときに勧誘され、本人も相撲が好きだったので高校の内定を断り入門を決意した。中学卒業と同時に出羽海部屋に入門し、1975年3月場所に初土俵を踏んだ。