古邊 考功(ふるべ よしのり、1970年12月9日 - )は… 古邊 考功(ふるべ よしのり、1970年12月9日 - )は、広島県福山市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 現役時代のポジションは、ディフェンダー(DF)。一時期、登録選手名を"考功"から"芳昇"に改名(読みは同じ)していた事がある。 大学卒業後、香川紫雲クラブ (現:カマタマーレ讃岐)を経て、1994年に中央防犯FC藤枝ブルックスに加入。以後ジャパンフットボールリーグからJリーグ昇格、アビスパ福岡へとプロ化した直後のチームをキャプテンとして支え、1998年末にはJ1参入決定戦で川崎フロンターレやコンサドーレ札幌を破りJ2降格回避に貢献した。 1999年にJ2・FC東京に移籍。プロ化及びJリーグ加盟初年度のチームにおいて、Jリーグ経験者として守備陣をバックアップし、激しくパワフルなプレーでチームの精神的支柱として活躍した。
川田 信茂(かわだ のぶしげ、1970年12月3日 - )は… 川田 信茂(かわだ のぶしげ、1970年12月3日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。 本庄東高校を経て1989年に日本サッカーリーグのフジタ工業クラブ(後のフジタサッカークラブ)に加入。1989-90シーズンのJSL1部第17節、日産自動車戦でデビューし、第22節の東芝戦で初得点をあげるなど、5試合に出場し1得点1アシストを記録。チームは同シーズン限りで降格したため、以降はJSL2部でのプレーとなった。 1992年からはチームが日本プロサッカーリーグ参入が成らなかったため、新設されたジャパンフットボールリーグでのプレーとなった。
杉本 龍勇(すぎもと たつお、 1970年11月25日 - … 杉本 龍勇(すぎもと たつお、 1970年11月25日 - )は、日本の陸上競技選手、サッカー指導者(フィジカルコーチ)。静岡県沼津市出身。血液型はO型。静岡県立浜松北高等学校、法政大学(卒業後、ドイツ留学)、中京大学大学院博士課程修了。 現在は法政大学経済学部教授を務める。 182cm、80kgと恵まれた体型から、日本人離れしたパワータイプのスプリンターであった。 インターハイ、インカレの実績ですでに日本のトップスプリンターの1人であったが、日本選手権のタイトルや日本記録はならず、また、25歳を越してから活躍が乏しく、オリンピック代表も22歳でのバルセロナに終わった。バルセロナでは4×100mリレーのアンカーとして、日本の戦後初のオリンピックでのリレー種目決勝進出に貢献。
宮澤 浩(みやざわ ひろし、1970年11月22日 - )は… 宮澤 浩(みやざわ ひろし、1970年11月22日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身の元サッカー選手(DF)、サッカー指導者。 小学4年からサッカーを始め、中央大学学友会サッカー部時代にU-19日本代表に選出され、バルセロナオリンピック日本代表候補に選ばれている。 1993年、Jリーグが始まった年にジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)とプロ契約を結ぶ。 その後1996年からベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)、1998年からサンフレッチェ広島に所属する。ただ広島での晩年は怪我により全く公式戦には出場していなかった。 2000年10月、広島時代のコーチだったトム・サーマンニに誘われる形でオーストラリアン・ナショナルサッカーリーグ(NSL)のキャンベラ・コスモスFC(英語版)に移籍し1シーズン在籍する。
吉田 啓(よしだ あきら、1970年11月13日 - )は、… 吉田 啓(よしだ あきら、1970年11月13日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 天理大学を卒業後の1993年から1994年まで京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)に在籍。1995年に教育研究社FCに移籍。関西サッカーリーグでは1996年から1999年まで4年連続でベスト11に選出され、1997年度は最優秀選手に選出された。2000年にチームは日本フットボールリーグに昇格、FC KYOKEN 京都やFC京都BAMB1993へ名称が変更した際にも在籍し、2004年をもって現役を引退した。 また、1999年からは並行して指導者の道に進み、2004年からは京都府サッカー協会の育成強化コーチや京都サンガのU-12スペシャルクラスコーチなどに就任。
手塚 貴子(てづか たかこ、1970年11月6日 - )は、… 手塚 貴子(てづか たかこ、1970年11月6日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元女子サッカー選手、元サッカー女子日本代表、サッカー指導者。現在は日本サッカー協会理事・女子委員会副委員長、日本女子プロサッカーリーグ理事、日本女子サッカーリーグ理事。元浦和レッドダイヤモンズ・レディース監督。現役時代のポジションはフォワード。日本大学卒。2007年度、日本サッカー協会公認A級コーチライセンスを取得。U-20日本女子代表コーチやナショナルトレセンコーチも務めた。 小学3年のとき担任の勧めでサッカーチームに入ったが、女子は手塚一人だった。リフティングが得意で1000回以上続けることもでき、10歳と12歳のときには全日本ジュニアボールリフティング大会で優勝した(10歳で優勝のときは来日していたペレと握手した)。
入井 和久(いりい かずひさ、1970年10月18日 - )… 入井 和久(いりい かずひさ、1970年10月18日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手。現役時のポジションは主にディフェンダー(サイドバック)。1995年にJ1リーグに昇格した柏レイソルに移籍。しかし、まだ出場機会は多くなく、1996年に日本フットボールリーグのブランメル仙台に移籍。1997年シーズン終了後に引退した。 茨城県立日立工業高等学校を卒業後、1989/90シーズンに本田技研工業へ加入する。1992年、本田技研工業サッカー部のプロ化見送りを受け、監督の宮本征勝、ヘッドコーチの関塚隆、主力選手の黒崎久志、長谷川祥之、本田泰人、内藤就行、千葉修とともに、設立されたばかりの鹿島アントラーズに移籍した。
塚野 真樹(つかの まさき、1970年10月12日 - )は… 塚野 真樹(つかの まさき、1970年10月12日 - )は、鳥取県米子市箕蚊屋出身の元サッカー選手、実業家。早稲田大学第一文学部卒業。現ガイナーレ鳥取代表取締役社長、Jリーグ理事。 鳥取県立米子東高等学校を経て、1993年に早稲田大学を卒業し本田技研工業フットボールクラブに入部。1995年にヴィッセル神戸へ移籍。神戸は1997年に日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟したため、鳥取県出身者初のJリーガーとなった。 1999年、1年間勤めた会社を退職してフットサル場の経営を始め、その後地元鳥取で「ジョイフットよなご(現 NPO「やまつみスポーツクラブ」)」を設立。 2006年、J2拡大の方針を受けて、鳥取県商工労働部長の山口祥義がSC鳥取の株式会社化とJリーグ参入を提案。
境 秋範(さかい あきのり、1970年10月6日 - )は、… 境 秋範(さかい あきのり、1970年10月6日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手である。 小学校時代は空手をしており黒帯所持であったが、サッカーへの転向をした。市立船橋高校では布啓一郎監督の指導を受け、レギュラーとして全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の2年連続優勝を経験した。高校3年時の全国高等学校サッカー選手権大会では準優勝となって、大会優秀選手に選ばれた3人のGKの中に含まれた。高校時代は日本代表に選出されている。今で言うU18であり海外での試合も経験している。 卒業後、日本サッカーリーグ(JSL)でのプレーを選んだ同級生の小川誠一や野口幸司とは異なり、境は進学を選択して専修大学に入学し、関東大学サッカーリーグに所属する同大学サッカー部に所属した。
川澄 和弘(かわすみ かずひろ、1970年10月5日 - )… 川澄 和弘(かわすみ かずひろ、1970年10月5日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 古河第一高校3年時の高校総体では準優勝に貢献し、優秀選手に選出された。 筑波大学を経て、1993年に日本プロサッカーリーグの清水エスパルスに加入。その後、藤枝ブルックスを経て水戸ホーリーホックでプレーし、1998年シーズンまで在籍した。 引退後はサッカー指導者となり、水戸のコーチを経て流通経済大学でコーチを務めている。このほか、2017年にはユニバーシアード日本代表、2018年にはJFL選抜のコーチを務めている。
池田 太(いけだ ふとし、1970年10月4日 - )は、東… 池田 太(いけだ ふとし、1970年10月4日 - )は、東京都小金井市出身の元プロサッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはDF。JFA 公認S級コーチ。
伊藤 哲也(いとう てつや、1970年10月1日 - )は、… 伊藤 哲也(いとう てつや、1970年10月1日 - )は、千葉県千葉市出身(北海道札幌市生まれ)のサッカー指導者、元サッカー選手 。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。 小学校4年生の時にサッカーを始め八千代松陰中学校・高等学校から法政大学を経て、1993年にNKKサッカー部に加入。しかし、この年限りで廃部となったため、1994年より横浜マリノスに移籍。井原正巳、小村徳男らDFにタレントを揃える横浜Mでは出場機会に恵まれなかった。 1997年、サンフレッチェ広島に期限付き移籍(翌年完全移籍)。上村健一、トニー・ポポヴィッチらと堅守を築き、冷静な判断力を武器とする頭脳派DFとして活躍した。
栗田 大輔(くりた だいすけ、1970年9月19日 - )は… 栗田 大輔(くりた だいすけ、1970年9月19日 - )は、静岡県出身のサッカー指導者。2025年現在は東京ヴェルディ代表取締役副社長を務める。 静岡県立清水東高等学校出身。3年時の第67回全国高等学校サッカー選手権大会では県大会の決勝で三浦文丈、藤田俊哉などがメンバーの静岡市立清水商業高等学校に延長の末、1-2で敗れ全国大会出場は果たせなかった。清水東高校の1学年下には相馬直樹、2学年下には野々村芳和などがいた。その年の全国高校サッカー選手権大会では清水商業が全国優勝を果たした。 1989年に明治大学政治経済学部に入学して、サッカー部に入部。1993年、同大学を卒業後は清水建設に入社し、社会人サッカーも続けた。
永山 邦夫(ながやま くにお、1970年9月16日 - )は… 永山 邦夫(ながやま くにお、1970年9月16日 - )は、神奈川県出身の元プロサッカー選手。サッカー指導者。横浜マリノス/横浜F・マリノスで主に右サイドバック、右ウイングバックとしてプレーした。 マリノス前身の日産時代から15年間(ユースを含め18年間)を1クラブのみ在籍した「ワン・クラブ・マン」である。愛称の「オニク」はサッカーを始めた神大寺幼稚園以来のもの。 小・中学校の時期に所属したかながわクラブでは1年先輩に天才と言われ、後に16歳でプロデビューする菊原志郎(読売/ヴェルディ川崎→浦和レッズ)がおり、憧れであるとともに目標にしていたという。日産ユースではユース日本代表に選出され、第26回アジアユース(1988年)に出場した。
南 省吾(みなみ しょうご、1970年9月13日 - )は、… 南 省吾(みなみ しょうご、1970年9月13日 - )は、福井県出身の元プロサッカー選手。ポジションはGK。
小椋 哲也(おぐら てつや、1970年8月26日 - )は、… 小椋 哲也(おぐら てつや、1970年8月26日 - )は、日本の元サッカー選手。現役時代のポジションはDF。 1970年、神奈川県生まれ。県立藤沢西高校卒業後、早稲田大学に進学しア式蹴球部でプレー。ユース日本代表にも選ばれたサイドバックで、ガンバ大阪や京都パープルサンガに所属し、1995年に引退。積極的なオーバーラップを得意とするファイタータイプのディフェンダーであった。 各シーズンの所属クラブ/背番号/出場・得点記録の出典1995年の天皇杯予選の記録は不明。
井尻 明(いじり あきら、1970年8月17日 - )は、福… 井尻 明(いじり あきら、1970年8月17日 - )は、福島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは、DF。日本サッカー協会公認S級ライセンスコーチ。 双葉郡富岡町出身。市立船橋高等学校時代からセンターバックを務め、3年次の1988年には野口幸司、小川誠一らと共に高校総体で優勝。また、高校サッカー選手権では準優勝。大会優秀選手にも選出された。空中戦に強く「空の要塞」と呼ばれていた。日本ユース代表に選出され、アジアユース最終予選に出場する。 1989年に関東大学リーグ2部の駒澤大学へ進学。その後、京都パープルサンガ、教育研究社サッカー部でプレー。引退後は、指導者へ転身。2009年、JFA 公認S級コーチに認定された。
柄谷典宏(からたに のりひろ、1970年8月17日 - )は… 柄谷典宏(からたに のりひろ、1970年8月17日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 静岡市立高等学校、愛知学院大学でプレーした。高校時代には、U-17サッカー日本代表としてAFC U-17選手権1986にも出場した。その後、当時JFLのNTT関東(現大宮アルディージャ)、、ジェフユナイテッド市原やジュビロ磐田でプレーした。現役引退後は、ジュニアユース年代の指導に従事し、2020年から藤枝MYFCでユース、ジュニアユース年代の指導に従事している
田端 秀規(たばた ひでのり、1970年8月15日 - )は… 田端 秀規(たばた ひでのり、1970年8月15日 - )は、青森県十和田市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW。 2008年-2011年までソニー仙台FCの監督を務めた。2012年はソニーの強化担当に就任。 2014年よりツエーゲン金沢の強化部入り。4月より部長に就任した。 2023年12月4日、横浜FCのゼネラルマネージャーに就任した。2025年12月、同年限りでの退任し、2026年よりスカウトに就任することを発表。
遠藤 雅大(えんどう まさひろ、本名・旧登録名:遠藤 昌浩〈… 遠藤 雅大(えんどう まさひろ、本名・旧登録名:遠藤 昌浩〈読み同じ〉、1970年8月15日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー解説者。元日本代表。 実子はサッカー選手の遠藤雅己。 松戸市立新松戸北中学校、帝京高等学校、順天堂大学を経て、1993年、当時旧JFLのヤマハ発動機(ジュビロ磐田)に入団。帝京高校サッカー部では岩本三郎、巻田清一は2学年上、飯島寿久、本田泰人、礒貝洋光、島根聡一、森山泰行は1学年上、同期に池田伸康、保坂信之、浅沼達也、2学年下に森下仁志がいる。 元々はフォワードとしてプレーしていたが、磐田が1994年にJリーグ昇格後、就任したハンス・オフト監督により左サイドバックにコンバートされる。
高田 信行(たかだ のぶゆき、1970年8月11日 - )は… 高田 信行(たかだ のぶゆき、1970年8月11日 - )は、宮城県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 塩釜FCや塩釜高校を経て、日本サッカーリーグ2部のコスモ石油サッカー部に加入。1990-91シーズンのJSL2部では18試合に出場し4アシストを記録、JSLカップ2回戦のフジタ戦では2アシストを記録してベスト8進出に貢献した。 1992年に日本プロサッカーリーグの清水エスパルスに加入。リーグ戦の出場機会はなく1993年限りで退団した。
津野 健次(つの けんじ、1970年8月11日 - )は、静… 津野 健次(つの けんじ、1970年8月11日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。ポジションはFW、MF、DF。
秋田 豊(あきた ゆたか、1970年8月6日 - )は、愛知… 秋田 豊(あきた ゆたか、1970年8月6日 - )は、愛知県名古屋市中村区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者、実業家。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。元日本代表。 1998年、2002年のワールドカップ日本代表メンバー。2022年10月から2024年11月まで、いわてアスリートクラブの代表取締役オーナー兼代表取締役社長を務めた。 小学生時代は野球、中学生時代は夏に野球、冬にサッカーをしていた。中学生時代にはフォワード、センターバックを経験。愛知高等学校から愛知学院大学に特待生で進学した。 1993年に鹿島アントラーズに加入。当初はジーコの推薦で右サイドバックとしてレギュラーに定着し、以降はセンターバックとして活躍。
鈴木 正治(すずき まさはる、1970年8月3日 - )は、… 鈴木 正治(すずき まさはる、1970年8月3日 - )は、静岡県焼津市出身の元サッカー選手。ポジションはDF(左サイドバック)。シュートJr.ユース代表・監督。 1989年に静岡学園高を卒業後、日産自動車サッカー部(現横浜F・マリノス)に入部。初年度から出場機会を掴み、静学仕込みの技巧的なドリブルと抜群のボールコントロールで、左サイドのスペシャリストとして活躍した。 1991年には同僚の永山邦夫と共にU-23日本代表に選出され、バルセロナ五輪アジア予選等に出場した。 1995年は、マリノスのJリーグチャンピオンシップ制覇に大きく貢献し、ベストイレブンにも選ばれた。同年日本代表に選出され、2試合に出場している。
中原 幸司(なかはら こうじ、1970年7月27日 - )は… 中原 幸司(なかはら こうじ、1970年7月27日 - )は、静岡県榛原郡吉田町出身のサッカー選手。ポジションはGK。 静岡県の吉田町立吉田中学校、東海大一高、中央大学を経て1993年に清水エスパルスに加入、1999年に清水エスパルス引退。現役引退後に清水エスパルスユース・Jrユース GKコーチ、2004年にトップチーム GKコーチ就任、2006年 退任
保坂 信之 (ほさか のぶゆき、1970年7月23日 - )… 保坂 信之 (ほさか のぶゆき、1970年7月23日 - ) は、埼玉県出身のサッカー指導者、元サッカー選手、元フットサル選手である。ポジションはミッドフィールダー。 埼玉県さいたま市(旧大宮市と旧浦和市のそれぞれを出身とする資料がある)出身。神奈川県厚木市の厚木ゴールプランダーズでサッカーを始め、第5回全日本少年サッカー大会出場。その後、北浦和サッカー少年団で少年時代を過ごし、浦和市立本太中学校へ進学。中学時代には関東選抜に選出される。 帝京高校では、2学年上に岩本三郎、巻田清一、1学年上に飯島寿久、礒貝洋光、島根聡一、本田泰人、森山泰行、同期に遠藤雅大(昌浩)、池田伸康、浅沼達也、2学年下に森下仁志がいた。
小川 誠一(おがわ せいいち、1970年7月21日 - )は… 小川 誠一(おがわ せいいち、1970年7月21日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手、サッカー指導者 船橋市立船橋高等学校ではインターハイ2連覇、高校選手権でも準優勝を経験した。高校1年生からレギュラーで出場した。野口幸司が同期にあたる。市船の売りである「鉄壁のディフェンス」は、小川が2年生のときは完成しており、高校2年生のときは新井二朗(日立、フジタなど)とディフェンスラインを組んだ高校総体インターハイ(北海道開催)では、初出場初優勝を飾った。 高校卒業後、1989年にトヨタ自動車に加入し、コニカカップ優勝などに貢献。トヨタ時代の選手登録はフォワードであったが、左サイドバックとして期待された。
太田 貴光(おおた たかみつ、1970年7月19日)は、静岡… 太田 貴光(おおた たかみつ、1970年7月19日)は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 清水商業高校3年次に第67回全国高校サッカー選手権で優勝。同期に三浦文丈がいる。静岡県社会人の富士通沼津、JSLのトヨタ自動車を経て1992年に清水エスパルス入団。1996年からはコンサドーレ札幌に移籍、1997年にはJFLのベストイレブンに選出された。1999年からジャトコに移籍。2001年に現役を引退。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
平 聡(たいら さとし、1970年7月16日 - )は、岩手… 平 聡(たいら さとし、1970年7月16日 - )は、岩手県花巻市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード。 花巻中時代から注目を集め、東北の名将・斎藤重信の誘いで、盛岡商高に入学(当初は同県のライバル校・遠野高進学を希望していた)。 全国高校サッカー選手権では、1年生だった第65回で国見高(同大会準優勝)からゴールを奪うなど、早くからエース級の活躍をみせた。3年生のとき第67回でベスト8まで進出したが、準々決勝で藤田俊哉、三浦文丈、山田隆裕など後に日本代表となる選手たちをそろえた清水市立商高(同大会優勝、現静岡市立清水桜が丘高)に0-0と善戦したが、PK戦は1-3で敗退(最後にPKを外したのは平だった)。
古矢 武士(ふるや たけし、1970年7月16日 - )は、… 古矢 武士(ふるや たけし、1970年7月16日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 高校卒業後よりブラジルに渡り、3つのクラブでプレーした。1992年より横河電機サッカー部に入部し、選手兼任コーチに就任。2003年から2006年まで横河武蔵野FCの監督を務め、2007年から2008年まで横河武蔵野FCのGMを務めた。また、2008年にJFA 公認S級コーチのライセンスを取得した。 2009年から大宮アルディージャの強化育成部強化部長に就任し、2013年を以て退任した。その後、東京経済大学サッカー部のコーチを経て、2014年5月よりベガルタ仙台の強化部長補佐に就任した。2015年2月より強化部長に就任し、2017年を以て退任した。
高嵜 理貴(たかさき りき、1970年7月11日 - )は福… 高嵜 理貴(たかさき りき、1970年7月11日 - )は福岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー(GK)。日本体育大学卒業。 直方市立直方第二中学校、北筑高校、日本体育大学を経て、1993年に当時ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)2部だったPJMフューチャーズに加入。第二GK・第三GKの立場であったが、クラブが佐賀県に移転し鳥栖フューチャーズになって以降もプレーを続けた。1997年1月にクラブは解散し、その受け皿として設立されたサガン鳥栖に加入。フューチャーズからサガンで引き続きプレーした8選手の一人となった。 サガンになってからは4シーズン正GKとしてゴールマウスを守るが、2001年にジェフユナイテッド市原に完全移籍。
小松崎 保(こまつざき たもつ、1970年7月10日 - )… 小松崎 保(こまつざき たもつ、1970年7月10日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現在は金沢星稜大学サッカー部で監督を務める。 甥はサッカー選手の山岸祐也。 大学卒業後、当時のチームメイトと同様に富士通の社員として入社し、社業の傍らでジャパンフットボールリーグに参加する同社サッカー部でプレー。 その後、富士通サッカー部が川崎フロンターレとなってプロ化した後も小松崎は会社に籍を残し、アマチュア契約の社員選手としてプレーしたが、1999年に川崎を戦力外となりコンサドーレ札幌へ移籍。その際には富士通を退社し、プロ契約選手となる。 2001年には横浜FCへと移籍、移籍初年度から活躍するも、2年目に長期離脱などがあり出場試合数が激減し、シーズン終了後に戦力外となる。
菊池 忍(きくち しのぶ、1970年7月7日 - )は、岩手… 菊池 忍(きくち しのぶ、1970年7月7日 - )は、岩手県水沢市(現奥州市)出身のサッカー指導者。
岩元 洋成(いわもと ひろなり、1970年6月27日 - )… 岩元 洋成(いわもと ひろなり、1970年6月27日 - )は、鹿児島県出身の元プロサッカー選手。 両サイドバック、ウイング、ボランチ、攻撃的MFと複数のポジションをこなせる貴重な存在として、最盛期の平塚を支えた。 当時の平塚には苗字が同じ読みで、アイドル的な人気を誇っていたMF岩本輝雄がいたため、「イワゲン」という愛称がつけられていた。 引退後は、サッカーで培ってきた経験を元に、人材育成会社の社員として力を注いでいる。
遠藤 善主(えんどう よしむね、1970年6月21日 - )… 遠藤 善主(えんどう よしむね、1970年6月21日 - )は、大分県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW。 大分県立大分上野丘高等学校を卒業後の1989年に日本鋼管に入社して、同サッカー部に入る。以降、京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)、ヴァンフォーレ甲府を経て、佐川急便大阪SCを最後に現役を引退。 その後、指導者となり2001年より2004年まで佐川急便大阪SCの監督を務めた。2006年より北陸電力サッカー部アローズ北陸のヘッドコーチに就任。2008年よりカターレ富山に移って、ヘッドコーチなどを歴任。2015年にはJFA 公認S級コーチのライセンスを取得。
瀬尾 清(せお きよし、1970年6月14日 - )は、滋賀… 瀬尾 清(せお きよし、1970年6月14日 - )は、滋賀県大津市出身の元サッカー選手。選手時代はセンターフォワードでプレーした。 滋賀県立守山高等学校時代には全国高校総体優秀選手に選ばれた。柏レイソルでプレーした後、フットサル日本代表になった。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
大神 友明(おおがみ ともあき、1970年6月7日 - )は… 大神 友明(おおがみ ともあき、1970年6月7日 - )は、広島市中区江波(えば)出身の元プロサッカー選手(ゴールキーパー)。 広島県立国泰寺高校から筑波大学に進学。卒業後、1993年にジュビロ磐田入団。 1996年より次第に出場機会を掴み、レギュラーを奪取した1997年には磐田の初優勝に貢献すると共にJリーグベストイレブンに選出される。1998年にはオールスターゲームに出場。しかし1999年の第1ステージで靭帯損傷の負傷から長期欠場。その後も調子が戻らず、アルノ・ヴァンズワムの加入などから出場機会を減らした。 2002年にアビスパ福岡に移籍。当初は正GKだったが、2003年以降は水谷雄一にその座と背番号1を譲り、2004年に現役を引退。
村岡 誠(むらおか まこと、1970年6月6日 - )は愛知… 村岡 誠(むらおか まこと、1970年6月6日 - )は愛知県出身のサッカー指導者(日本サッカー協会公認B級コーチ)。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
高橋 健二(たかはし けんじ、1970年6月5日 - )は、… 高橋 健二(たかはし けんじ、1970年6月5日 - )は、山形県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。13年間モンテディオ山形(1996年まではNEC山形)に所属し続け、「ミスター・モンテディオ」と呼ばれる。 日大山形高校時代の1987年度高校サッカー選手権では山形県勢初のベスト16入りを果たし、自身も大会優秀選手に選ばれた。 高校卒業後に国士舘大学へ進学。在学時に1年休学してアルゼンチン留学を経験した。 大学卒業後、複数のJリーグチームからオファーを受けるも、「自分にはそれだけの実力がない」といい、1994年に全国地域リーグ決勝大会を突破してジャパンフットボールリーグへの昇格を決めたばかりの地元チームNEC山形(1996年以降、モンテディオ山形)へプロ契約選手として入団した。
野口 幸司(のぐち こうじ、1970年6月5日 - )は、千… 野口 幸司(のぐち こうじ、1970年6月5日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、指導者、解説者。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。 船橋市立船橋高等学校ではインターハイ2連覇、高校選手権でも準優勝を経験するなど、初期の黄金時代を築く主役として活躍した。高校1年生からレギュラーで出場しており、当時は小川誠一(元名古屋グランパスエイト)、曽我豊明(元水戸ホーリーホック)と野口の3人が市船の将来を託された選手であった。高校2年生のとき高校総体インターハイ(北海道開催)では、初出場初優勝を飾っている。その後、野口が3年生のときも高校総体インターハイでも優勝しており、高校総体2連覇を達成した。
川島 透(かわしま とおる、1970年6月4日 - 2024… 川島 透(かわしま とおる、1970年6月4日 - 2024年1月19日)は、大阪府出身の元サッカー選手。 1970年6月4日大阪府生まれ。中京大学中退後、1991年、日本サッカーリーグクラブ松下電器(後のガンバ大阪)に入団。しかし、本並健治と岡中勇人の後ろの試合ではほとんどプレーできなかった。 1996年、日本フットボールリーグクラブ大塚製薬に移籍。1996年にはレギュラーのゴールキーパーとしてプレー。1997年のシーズンには出場回数が減少し、1998年のシーズンの終わりに引退した。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
神野 卓哉(じんの たくや、1970年6月1日 - )は、埼… 神野 卓哉(じんの たくや、1970年6月1日 - )は、埼玉県草加市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションは主にフォワード(FW)。初代J2得点王。 修徳高校在学時に頭角を現し、2年次には東京都選抜の一員として国体でベスト4、3年次には高校総体でベスト8に進出した。 1989年に同校を卒業し、日本サッカーリーグ1部の日産自動車サッカー部(現横浜F・マリノス)に加入。当初は日産の厚い選手層の中で出場機会を得られずにいたが、1990-91シーズンにオスカー監督の抜擢によりリーグデビュー。縦への鋭い突破で、第8節の読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)戦で初得点を決めると、その後も1990-91シーズン後期、1992年のJリーグカップ、第72回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝延長戦での決勝ゴールなど、読売クラブや後継の東京V戦になると得点を重ねたことから読売キラーの異名で呼ばれ スーパーサブとして活躍した。
喜多 健二(きた けんじ、1970年5月28日 - )は、京… 喜多 健二(きた けんじ、1970年5月28日 - )は、京都府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。 1989年にマツダSCに入団。同期は河野和正ら。サテライトチームであるマツダSC東洋を経てトップチームである日本サッカーリーグのマツダSCに登録された。マンチェスター・ユナイテッドへの留学経験もある。
黒田 剛(くろだ ごう、1970年5月26日 - )は、北海… 黒田 剛(くろだ ごう、1970年5月26日 - )は、北海道札幌市出身の元アマチュアサッカー選手、サッカー指導者。現FC町田ゼルビア監督。 1994年から2022年までの28年間、青森山田高校を指揮した。 2023年にFC町田ゼルビアの監督に就任。高校サッカーの実績を評価されてプロチームの指揮を執るケースとしては布啓一郎に続く存在[要検証 – ノート]。 1970年5月、北海道札幌市生まれ。父から教わった野球に夢中になっていたが、小学2年時に隣の石狩町に転校。小学校には剣道と出来たてのサッカーチームしか無く、しばらく剣道を習っていたが、友人に誘われ地元のサッカー少年団の練習を覗いたことをきっかけに入団。
秋山隆之(あきやま たかゆき、1970年5月24日 - )は… 秋山隆之(あきやま たかゆき、1970年5月24日 - )は、新潟県三条市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 秋田経法大付属高校、立正大学を経て1993年にJリーグ名古屋グランパスエイトに入団し、新潟県出身者初のJリーガーとなるが、リーグ戦等の出場機会に恵まれず同年限りで現役を引退。 引退後は母校でもある立正大学体育会サッカー部監督に就任し、安英学らを育成。その後、ジェフユナイテッド市原・千葉の強化部育成普及部を経て、出身地の新潟医療福祉大学サッカー部監督に就任。 現在は新潟医療福祉大学(男子・女子)サッカー部部長、又同校教員として健康スポーツ学科の准教授を務めている。
小屋 禎(こや ただし、1970年5月24日 - )は、神奈… 小屋 禎(こや ただし、1970年5月24日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 安定感には欠けるがハードマークと攻撃参加を得意とし両サイドをこなすサイドバックとして、市原やブランメル仙台でプレーした。 各シーズンの所属クラブ/背番号/出場・得点記録の出典1996年の天皇杯予選の記録は不明。
埜下 荘司(ののした しょうじ、1970年5月24日 - )… 埜下 荘司(ののした しょうじ、1970年5月24日 - )は愛媛県出身の元プロサッカー選手。ポジションはDF。
川合 孝治(かわい こうじ、1970年5月19日 - )は、… 川合 孝治(かわい こうじ、1970年5月19日 - )は、埼玉県さいたま市出身の元サッカー選手である。現役時代はFWとして東芝、コンサドーレ札幌、大分トリニティでプレーした。
池田 伸康(いけだ のぶやす、1970年5月18日 - )は… 池田 伸康(いけだ のぶやす、1970年5月18日 - )は、日本の元サッカー選手、現サッカー指導者である。埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身。ポジションはミッドフィルダー(攻撃的MF、守備的MF)、フォワード(ウインガー)。 小学時代の1982年にFC浦和の一員として全日本少年サッカー大会に出場し3位入賞と優秀選手に選出された。中学時代は地元の浦和ルーテル学院へ通学しながら、クラブチームのロクFCでサッカーを学んだ。高校は強豪の帝京高等学校へ進学。帝京高等学校サッカー部では、2学年上に岩本三郎、巻田清一、1学年上に飯島寿久、本田泰人、礒貝洋光、島根聡一、森山泰行、同期に遠藤雅大(昌浩)、保坂信之、浅沼達也、2学年下に森下仁志がいる。
沢田 謙太郎(さわだ けんたろう、1970年5月15日 - … 沢田 謙太郎(さわだ けんたろう、1970年5月15日 - )は、神奈川県鎌倉市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはDFで主に右サイド。 鎌倉市の粟船FC、大船中学校、藤沢西高校から中央大学を経て、1993年に柏レイソルに入団。入団当時は攻撃的なMFでの出場機会が多かったが、2年目から右サイドバックにコンバートされた。右サイドからの素早い上がりを持ち味とし、DFとしても堅実な守備で貢献した。この活躍が認められJFLの新人王とベストイレブンに輝くなど、チームの原動力となりJリーグ昇格も果たした。1995年はJリーグ昇格1年目の柏で活躍を見せ、柏レイソル発足後初の日本代表にも選出され通算4試合に出場。