青木 俊直(あおき としなお、1960年8月18日 - )は… 青木 俊直(あおき としなお、1960年8月18日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、キャラクターデザイナー、アニメーター。 東京都出身。筑波大学基礎工学類卒業。妻は漫画家の谷川史子。 『ウゴウゴルーガ』、『なんでもQ』シリーズ、『みんなのうた』、『おかあさんといっしょ』等、主に子供向けテレビ番組のキャラクターデザイナー、アニメーターとして活躍。 その他、携帯ゲームや企業のマスコットキャラクターのデザイン、ウェブコンテンツ作成、漫画作品の執筆と、幅広く活動している。 作風はゆるキャラ系や少女キャラクターを得意とし、商業誌・自主制作ともに漫画作品を発表している。個人、および親交のあるイシデ電、岩岡ヒサエ、志村貴子、谷川史子らと「腹ペコ戦隊はしレンジャー」名義にて同人活動も行う。
後藤 隆幸(ごとう たかゆき、1960年8月7日 - )は、… 後藤 隆幸(ごとう たかゆき、1960年8月7日 - )は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー。Production I.G副社長、第一スタジオチーフ。
三辻富貴朗(みつじ ふきお、1960年8月6日 - 2008… 三辻富貴朗(みつじ ふきお、1960年8月6日 - 2008年12月11日)は日本のゲームデザイナー。東京都港区出身。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒。 タイトーに入社、アーケードゲームの企画・ディレクション・グラフィックを担当。関与したタイトルでは、スタッフロールや初期状態でのスコアランキングに「MTJ」という名称を用いていた。スタッフロールでは本名を併記することもあった。 『バブルボブル』や『レインボーアイランド』、『サイバリオン』といったヒット作を生みだした。その傍ら、雑誌「ゲーメスト」において、No.30(1989年3月号)より水谷潤名義で「ゲームデザイナー入門」を連載。一年間に渡り、現役のゲームデザイナーが制作手法を公開するという、当時としては異例の記事となった。
小林 誠(こばやし まこと、1960年7月13日 - )は、… 小林 誠(こばやし まこと、1960年7月13日 - )は、日本のモデラー (模型)、イラストレーター、メカデザイナー、漫画家、アニメ監督。代表作に『ドラゴンズヘブン』『迷宮都市』『未来兵器AS』『ICE』などがある。東京都出身。イラストレーター・アニメ監督の小林治は実弟。 1980年代半ばに雑誌「ホビージャパン」誌上で数々のオリジナルデザインによるフルスクラッチ製作を行い、注目を集める。『機動戦士Ζガンダム』や『機動戦士ガンダムΖΖ』に登場するモビルスーツ (MS) 群を手がけ、これらのデザインワークによってアニメファン・メカファンへの知名度が急上昇し、ガンダム世界を独自に解釈・展開した作品群を模型誌で多数発表した。
鈴木 雅久(すずき まさひさ、1960年6月18日 - 20… 鈴木 雅久(すずき まさひさ、1960年6月18日 - 2022年6月20日)は、イラストレーター、デザイナー。新潟県新潟市出身。敬和学園高等学校卒。 イラストレーターとしてのデビュー前には、漫画家の柴田昌弘の元アシスタントも務めていた。 1980年代にはサンライズ企画室に在籍しており、アニメを中心とした映像作品のデザインにも携わり、アニメ『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』では主役メカ・νガンダムのデザインコンペに参加、『機甲戦記ドラグナー』ではパイロットスーツなどの衣装や銃器、小物などのデザインなどのデザイン協力など、多岐に渡って活躍していた。実写映画『ガンヘッド』(1989年)では銃器デザイン協力として参加し、当初はデザイン作業のみの予定であったが、予算の都合から新規に制作することはできないためキャラクターに合わせた銃器の選択およびカスタマイズ案の提案も行うこととなった。
岡田 有章(おかだ ともあき、1960年6月7日 - 、ふた… 岡田 有章(おかだ ともあき、1960年6月7日 - 、ふたご座・AB型)は、東京都出身のアニメーション美術監督、メカニカルデザイナーである。日本大学文理学部卒。 特記がないものは、美術監督として参加した作品。
ねこまたや(1960年5月29日 - )は、日本のアニメータ… ねこまたや(1960年5月29日 - )は、日本のアニメーター、メカニックデザイナー、アニメ演出家。大分県出身。 大阪芸術大学卒。作品によっては、本名の清積 紀文(きよづみ のりふみ)でクレジットされる場合もある。 大阪芸術大学に在学中は、DAICON FILMのメンバーとして活動した。大学卒業後、上京してアニメーション制作会社のアートランドに入社。 アートランドを退社後は、フリーランスのアニメーターとして活躍している。
登坂 誠(のぼりさか まこと、1960年5月26日 - )は… 登坂 誠(のぼりさか まこと、1960年5月26日 - )は、日本のランドスケープアーキテクト, 都市計画・デザイナー, 建築家。Blue Ocean Designを主宰。日建設計でプロジェクト開発部門主管ランドスケープアーキテクトや都市デザイナーとして活動。茨城県生まれ。 Profile/Blue Ocean Design参照。1985年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。1990年ハーバード大学デザイン大学院ランドスケープアーキテクチュア修士修了。1990年ピーター・ウォーカー&パートナーズ+日建設計。2015年からBlue Ocean Design。その間、東京大学まちづくり大学院・慶應義塾大学環境情報学部にて非常勤講師。
佐藤 理(さとう おさむ、1960年4月14日 - )は、日… 佐藤 理(さとう おさむ、1960年4月14日 - )は、日本のマルチメディアアーティスト、ゲームデザイナー、作曲家。有限会社アウトサイド・ディレクターズ・カンパニー代表取締役社長。京都工芸繊維大学、嵯峨美術短期大学卒業。 京都府京都市に生まれる。 京都工芸繊維大学、嵯峨美術短期大学を卒業。モス・アドバタイジング(現:モスデザイン研究所)に所属した後、1988年にオサム・サトウ・デザイン室(のちに有限会社アウトサイド・ディレクターズ・カンパニーに改称)を設立し、グラフィックデザインや展覧会の企画、ウェブデザインなど、メディアを問わない様々な作品を手がける。また、ゲームデザインや広告制作なども手がけている。
篠塚 正典(しのづか まさのり、1960年4月2日 - )は… 篠塚 正典(しのづか まさのり、1960年4月2日 - )は、日本のグラフィックデザイナー。 東京都江東区出身。歌手・松本ちえこのLPジャケットのデザイン一般公募で1位は逃したものの入選して、ジャケット裏部分に篠塚のデザインが採用された。これが篠塚にとって世の中に出た最初の作品ではないかという。1979年に東京都立九段高等学校を卒業。 進学した多摩美術大学グラフィックデザイン科を1984年に卒業後、渡米。アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン(ゼミの恩師でもある咽原省三の出身校)で、グラフィックデザインとパッケージデザインを学び、首席で卒業。その後、ランドーアソシエイツに入社しデザイナーとなる。
岡本 英郎(おかもと ひでお|1960年〈昭和35年〉3月2… 岡本 英郎(おかもと ひでお|1960年〈昭和35年〉3月28日 - )は、日本のデザイナー、メカニックデザイナー、イラストレーター、映画監督。東京都葛飾区亀有出身。別名義に島本高雄がある。 高校当時にイラストに熱中していたところをアニメプロデューサーの野崎欣宏に才能を認められ、18歳で彼からの初仕事としてテレビアニメ『宇宙大帝ゴッドシグマ』の玩具のミニカードを描く。その後、デザイン会社「デザインメイト」への就職を経て独立し、同社のサブマリン、伸童舎、3Dプラネッツなどのスタジオに出入りしていた。『機動戦士Ζガンダム』や『機動戦士ガンダムΖΖ』、『桃太郎伝説 PEACHBOY LEGEND』などのデザインに関わった後、『鎧伝サムライトルーパー』の鎧デザインコンペに「負けたら業界から身を引くつもりで」参加し、採用される。
河森 正治(かわもり しょうじ、1960年2月20日 - )… 河森 正治(かわもり しょうじ、1960年2月20日 - )は、日本のメカニックデザイナー、アニメーション監督・演出家。富山県東礪波郡平村(現南砺市)生まれ。株式会社Vector Vision所属、株式会社サテライト特別顧問。 監督としての代表作は「マクロスシリーズ」「アクエリオンシリーズ」など。おもなメカニックデザインとしては「マクロスシリーズ」の可変戦闘機(バルキリー)や、「新世紀GPXサイバーフォーミュラシリーズ」のサイバーフォーミュラ、「エウレカセブンシリーズ」のLFO、ゲーム「アーマード・コアシリーズ」のアーマード・コアなどがある。 1980年代初頭のアニメブーム期に、アニメファン世代の大学生デザイナーとして頭角を現す。
土器手 司(どきて つかさ、1960年2月6日 - )は、日… 土器手 司(どきて つかさ、1960年2月6日 - )は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー。鹿児島県指宿市出身。 自身が幼かった頃は、地元の民間放送局はアニメ放送の少なかったTBS系列の南日本放送のみだったこともあって、子供の頃にアニメを観た印象があまり無く、観ていた子供番組で記憶に残っているのはTBS系列で放送していた『ウルトラマン』くらいだったと話している。それでも絵を描くことだけは好きだったが、当時はまだアニメ制作をやりたい願望が出て来ることは無かったという。 鹿児島県立錦江湾高等学校理数科卒業。高校卒業後は2年ほど遊んでいたが、それもだんだん許されないような状況になって「何とかなるのでは」と思うがままに上京、どうしようかと思って色々考えた後に「絵を描く仕事ならいいんじゃないか」ということになり、そのうちにアニメーターが面白そうだと思うようになってアニメ界入りすることになる。
柘植 伊佐夫(つげ いさお、1960年1月27日 - )は、… 柘植 伊佐夫(つげ いさお、1960年1月27日 - )は、日本のビューティーディレクターおよび人物デザイナー。長野県伊那市出身。 1979年より美容界へ入りヴィダルサスーンの技術を習得する。1982年にモッズヘアへ入社。ヘアメイクアーティストとして活動する。 1990年、「第一回日本ヘアデザイナー大賞」(Japan Hairdressing Award) を受賞、1991年同アワードで「セッションスタイリスト優秀賞」を受賞。1999年、手塚眞監督『白痴』で映画全体のヘアメイク監督を担当する。 2003年、庵野秀明監督『キューティーハニー』の担当よりヘアメイク監督から「ビューティーディレクター」へ改称する。
桝田 省治(ますだ しょうじ、1960年1月22日 - )は… 桝田 省治(ますだ しょうじ、1960年1月22日 - )は、日本のゲームデザイナー、兵庫県姫路市生まれ。有限会社マーズの代表取締役。 武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業後、広告代理店I&Sに就職。同社にて担当していたクライアントの中にハドソンがあった事が、後のゲームクリエイターへの転身の一因であった。同社所属時代には『桃太郎伝説』を原作としたアニメ『桃太郎伝説 PEACHBOY LEGEND』『PEACH COMMAND 新桃太郎伝説』でプロデューサーを務めている。同社でハドソンの『天外魔境 ZIRIA』の広告を担当し、開発の遅れから制作側を手伝う事になる。その後、広告代理店を退社する。 続編の『天外魔境II 卍MARU』ではディレクターとシナリオを担当し、本格的にゲーム製作へ参加する。
永野 護(ながの まもる、1960年1月21日 - )は、日… 永野 護(ながの まもる、1960年1月21日 - )は、日本のメカニックデザイナー、キャラクターデザイナー、漫画家。
山北 篤(やまきた あつし、1960年 - )は、日本のゲー… 山北 篤(やまきた あつし、1960年 - )は、日本のゲームライター、ゲームデザイナー。京都大学出身。 ゲームライターの細江ひろみは妻、ゲームミュージック作曲の細江慎治は義弟。 1980年頃、京都大学マイコンクラブ会員と共にネットワークを自力で構築し、対戦オンラインゲームを制作した。自身ではこれが世界初のネットワークゲームであったのではないかと考えている。 1980年代後半より、ライター集団怪兵隊の主要メンバーとなり、テーブルトークRPG(TRPG)関連の書籍や雑誌記事を多数執筆。また、1990年に脱サラし専業のライターとなり、TRPGの製作や翻訳も行ってきた。1993年のF.E.A.R.社の設立にも参加し、以後同社の作品に関わった。
近藤 一弥(こんどう かずや、1960年 - )は、東京都出… 近藤 一弥(こんどう かずや、1960年 - )は、東京都出身のグラフィックデザイナー、装幀家。東北芸術工科大学教授。 現代美術、音楽、コンテンポラリーダンスなど、アート関連のポスター、書籍デザインを中心にグラフィックデザイナーとして幅広く活動している。 また、アーティストとしても活動しており「作家の創造の軌跡」をテーマに、映像/音響を用いたインスタレーション作品も発表している。 実父は日本画家の近藤弘明である。 芸術とデザインを区別しておらず、「デザインは世界とつながる動機付けの上に成り立つ。水溜まりに映し出される世界のように、心に映し出される形でのみ世界を知り得ることができる。そういう意味では芸術とデザインとを根本的に区別する必要はないと考えている。
三谷 徹(みたに とおる、1960年 - )は、日本のランド… 三谷 徹(みたに とおる、1960年 - )は、日本のランドスケープアーキテクト、環境デザイナー。東京大学教授。博士(工学)。 静岡県沼津市出身。1983年、東京大学工学部建築学科(香山壽夫研究室)を卒業。1985年、東京大学大学院工学系研究科(建築学専攻)修士課程修了後、渡米しハーバード大学デザイン大学院ランドスケープ学科修士課程に進学。ランドスケープ・アーキテクチュアを専攻して1987年、その課程を修了しMLA (Master of landscape Architecture) を取得した。 ハーバード大大学院修了後はピーター・ウォーカー&マーサ・シュワルツデザイン事務所を経てササキエンバイロメントデザインオフィスに勤務。
山際 康之(やまぎわ やすゆき、1960年 - )は、日本の… 山際 康之(やまぎわ やすゆき、1960年 - )は、日本の博士(工学)・工学者、ノンフィクション作家、サステナブルシステムデザイナー。東京造形大学 学長(2005年 - )・教授。学校法人桑沢学園(東京造形大学・桑沢デザイン研究所) 理事長。 東京都生まれ。東京大学博士(工学)取得。ソニー株式会社入社後、世界初の携帯音楽プレヤー ウォークマン、ビデオなどの製品設計、ロボットのシステム開発を経て、組立性・分解性デザイン(評価設計法)の開発とコンサルタントビジネスを推進する。在籍中に書籍の執筆や雑誌の連載も手掛けた。以後、エコデザインの開発戦略、設計の研究と製品化に従事し、製品環境グローバルヘッドオフィス部門部長を担当する。
小林 章(こばやし あきら、1960年 - )は、書体デザイ… 小林 章(こばやし あきら、1960年 - )は、書体デザイナーである。モノタイプのタイプディレクターとして、書体設計の指揮や、Optimaなど名作書体の改刻を手掛けている。複数の国際的なタイプフェイス・コンテストの審査員も務める。写研出身で、のちにヒラギノ明朝やAXIS Fontの欧文を設計した。日本における欧文書体設計の第一人者である。 武蔵野美術大学視覚伝達デザイン科を卒業後、写研で原字の設計をしていた。1989年、欧文書体を学ぶため退職して渡英。1年半にわたってカリグラファーや石工、工芸家などと交わってそのエッセンスを学ぶ。 1990年日本帰国後字游工房でヒラギノ明朝・ヒラギノ角ゴシックの制作に携わり、1993年からタイプバンクで同社書体の欧文を手掛ける。
種田 陽平(たねだ ようへい、1960年 - )は、大阪府出… 種田 陽平(たねだ ようへい、1960年 - )は、大阪府出身のプロダクションデザイナー、アートディレクター。 武蔵野美術大学油絵学科卒業。在学中から絵画助手として寺山修司監督作品『上海異人娼館』などに参加。榎戸耕史監督『・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・』で劇場用一般映画デビュー。その後、数々の話題作の美術を務めている。 『スワロウテイル』で第20回日本アカデミー賞・優秀美術賞、『不夜城』で第18回香港電影金像奨・最優秀美術監督賞、第22回日本アカデミー賞・優秀美術賞を受賞。『キル・ビル Vol.1』では米国美術監督協会の最優秀美術賞にノミネート。『THE 有頂天ホテル』『フラガール』で第61回毎日映画コンクールの美術賞、第30回日本アカデミー賞・優秀美術賞を受賞。
大熊 肇(おおくま はじめ、1960年 - )は、日本の篆刻… 大熊 肇(おおくま はじめ、1960年 - )は、日本の篆刻家、グラフィックデザイナー、タイポグラファー。桑沢デザイン研究所卒業。 桑沢デザイン研究所非常勤教育職員。有限会社トナン代表。 埼玉県春日部市に生まれる。 専門学校桑沢デザイン研究所・リビングデザイン研究科・グラフィックデザインコース卒業。道吉剛デザイン研究所を経て独立。 8歳から書道教室に通う。小学校で教師に「木」の縦線をはねないように注意された(もちろんはねてもよい)[独自研究?]のがきっかけで、字体に強い興味を持つ。 道吉研究室を経てフリーランスになるころ、Macintoshを導入し、DTP組版を試みるが、組版についての無知を思い知り独学する。
岩郷 重力(いわごう じゅうりょく、1960年 - )は日本… 岩郷 重力(いわごう じゅうりょく、1960年 - )は日本のブックデザイナー。「WONDER WORKZ。」名義でSFやミステリのブックデザインを手掛ける。本名は、吉永和哉。
浜崎 博嗣(はまさき ひろし、1959年12月30日 - )… 浜崎 博嗣(はまさき ひろし、1959年12月30日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ演出家・監督。福岡県福岡市出身。 福岡県立西福岡高等学校(現・福岡県立福岡講倫館高等学校)卒業後、竜の子プロダクション(以下、タツノコプロ)直営の研修所に入所する。研修終了後、タツノコプロに入社し、同プロの研究所に配属された。 アニメーター(動画マン)としてのデビュー作は、テレビアニメ『科学忍者隊ガッチャマンII』であり、その後は『森の陽気な小人たちベルフィーとリルビット』、『とんでも戦士ムテキング』、『未来警察ウラシマン』などで原画を担当した。1985年、『炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ』で作画監督として参加し、同年に『昭和アホ草紙あかぬけ一番!』でキャラクターデザインを初めて手掛け(作画監督も兼任)、『赤い光弾ジリオン』、『アウトランダーズ』などのキャラクターデザイナーや作画監督も務めた。
藤原 茂樹(ふじわら しげき、1959年12月2日 - )は… 藤原 茂樹(ふじわら しげき、1959年12月2日 - )は、日本のゲームクリエイター、ゲームデザイナー、グラフィックデザイナー、ゲームプロデューサー。「ボンバー藤原」の名義を使用していた時期がある。 大阪芸術大学出身。元々は漫画家志望であり、藤子不二雄のアシスタントを務めていたことがある。 ブロック崩しゲームを見て、ブラウン管に絵を描くことに興味を覚え、ドットデザイナーとして1979年 - 1980年頃に日本物産に入社。『ムーンクレスタ』や『クレイジー・クライマー』などの制作に関わる。1985年にはゲームデザイナーとして『マグマックス』を企画、以降も『テラクレスタ』などヒット作品を企画した。 1989年にハドソンへ移籍。
原田 則彦(はらだ のりひこ、1959年11月5日 - )は… 原田 則彦(はらだ のりひこ、1959年11月5日 - )は、日本のカーデザイナー・工業デザイナー。イタリアのカロッツェリアザガート(SZデザイン)のチーフデザイナーであり、「Nori Harada(ノリ ハラダ)」の名で知られる。東京都出身、イタリア在住。 慶應義塾普通部・慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学文学部哲学科を卒業後、1985年よりアメリカのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインに留学し、カーデザインについて学ぶ。同校卒業後、書き溜めたスケッチを持ってイタリアに渡り、1989年にI.DE.Aに採用される。 その後、上司のエルコーレ・スパーダに誘われ、ザガート・デザインセンターへ移籍。
柳田 義明(やなぎだ よしあき、1959年9月30日- )は… 柳田 義明(やなぎだ よしあき、1959年9月30日- )は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー。亜細亜堂所属。熊本県出身。血液型はB型、星座は天秤座。 最終学歴:熊本商科大学(1982年卒)。大学在学中はアニメーションのサークルに所属し、次第にアニメ制作に興味を持つようになる。 大学卒業後に上京し、アニメ制作会社の亜細亜堂に入社。 『ときめきトゥナイト』『とんでモン・ペ』の動画担当や『伊賀野カバ丸』『チックンタックン』『うる星やつら』などの原画マンを経て、1986年、『ロボタン』第4話「憧れのルンルンデートデッス」にて初めて作画監督を務めた。 現在も、同社の作品を中心に総作画監督やキャラクターデザインなどの役職で活躍するベテランアニメーターである。
美樹本 晴彦(みきもと はるひこ、1959年8月28日 - … 美樹本 晴彦(みきもと はるひこ、1959年8月28日 - )は、日本のイラストレーター、キャラクターデザイナー、漫画家、アニメーター。本名は佐藤 晴彦(さとう はるひこ)。東京都出身。
雨宮 慶太(あめみや けいた、1959年〈昭和34年〉8月2… 雨宮 慶太(あめみや けいた、1959年〈昭和34年〉8月24日 - )は、日本の映画監督、イラストレーター、キャラクターデザイナー。有限会社クラウド代表。国際SFアートコンテストなど、数々の受賞歴を持つ。 1978年、阿佐ヶ谷美術専門学校に入学。同校を中退後、1981年にデン・フィルム・エフェクトに入社。その間に自主制作映画『スウィートホーム』を発表し話題となる。1983年に有限会社クラウドを設立。篠原保や阿部統などといった人材を輩出した。 その後雑誌『宇宙船』編集長の村山実の紹介で『巨獣特捜ジャスピオン』(1985年)にて初めてキャラクターデザインを担当、翌年の『時空戦士スピルバン』よりメインでキャラクターデザインを手がけるようになる。
前田 育男(まえだ いくお、1959年7月16日 - )は、… 前田 育男(まえだ いくお、1959年7月16日 - )は、日本のカーデザイナー。マツダ株式会社シニアフェロー・ブランドデザイン。 広島県出身。修道中学校・高等学校及び京都工芸繊維大学工芸学部意匠工芸学科を卒業し、1982年にマツダに入社。商品企画部門を経て1985年にデザイン部に異動し、ミレーニアや初代デミオのエクステリアを担当。その後トリビュートやRX-8、3代目デミオのチーフデザイナーを務めた。2009年4月、ローレンス・ヴァン・デン・アッカーの後任としてデザイン本部長に就任。2010年にはデザインテーマ「魂動-Soul of Motion」をコンセプトカー・靭と共に発表した。 2017年から2018年にかけて、経済産業省と特許庁が設置した「産業競争力とデザインを考える研究会」の委員を務めた。
石井AQ(いしいエーキュー、1959年〈昭和34年〉6月8日… 石井AQ(いしいエーキュー、1959年〈昭和34年〉6月8日 - )は、日本の作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、プログラマー・プレイヤー・エンジニア・リミキサー・サウンドデザイナー・エッセイスト・大学講師。本名:石井 明。AQとは本名「明」を「AQUIRAX」と綴るところから。 シンセサイザーやコンピュータによる打ち込みを主な手法とする。谷山浩子の音楽プロデューサーとして知られる他、アニメ音楽、イメージアルバム、ドラマCDなどを手がける。 アニメ音楽では『ルパン三世』、『キャッツ♥アイ』、『ラーゼフォン』などで参加した。NHK教育の『みんなのうた』、『おかあさんといっしょ』、『いないいないばあっ!』の曲でも編曲を行っている。
うつのみや 理(うつのみや さとる、1959年4月17日 -… うつのみや 理(うつのみや さとる、1959年4月17日 - )は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ演出家。愛媛県松山市出身。 テレコム・アニメーションフィルム→エイトバイテン→マッドハウス→スタジオジュニオを経てフリー。大阪府立西野田工科高等学校デザイン科卒業。別名義は、宇都宮智、うつのみやさとる。 子供のときから絵を描くのが好きで、『白蛇伝』など東映動画の初期の長編アニメをテレビで見た影響でアニメ好きでもあったという。高校生のときにはアニメ研究会に所属し、少林寺拳法にも打ち込んでいたという。 高校卒業後、1982年にテレコム・アニメーションフィルムに見学しに行き、大塚康生に絵を見てもらい入社する。
安野 ともこ(やすの ともこ、1959年1月25日 - )は… 安野 ともこ(やすの ともこ、1959年1月25日 - )は、日本の衣装デザイナー、ジュエリーデザイナー。埼玉県坂戸市生まれ。身長157cm(1985年当時)、血液型B型。 実家は自営のストアー。ファッションブランド『2CV HIDEKO KOGURE』(ドゥーシヴォー ヒデココグレ)に勤務した後、雑誌『an・an』等でモデルとして活動しながら、秋山道男プロデュースにより日曜歌手としてデビュー。安野とも子名義でレコード『ラ・ミューズィック・エキゾティク』を1984年11月21日に発売。 その後はフリーのコラムニスト、ライター、プランナーとしての仕事をするかたわら、毎日新聞社の季刊誌『活人』や資生堂『Cawaii Click!』(カワイイクリック)誌で衣装製作に携わった。
渡部 隆(わたべ たかし、男性、1959年1月15日 - )… 渡部 隆(わたべ たかし、男性、1959年1月15日 - )は、日本のアニメーター、メカニックデザイナー、美術スタッフである。新潟県高田市(現在の上越市高田地区)出身。東京造形大学ビジュアルデザイン科卒業。 元々は漫画家を志望していたが、好きな漫画を描くために名前を売ろうとの考えからイラストレーターとしての活動を始め、ハヤカワ文庫の装丁画などを手がけるようになる。イラストの持ち込みをしている間に友人から紹介される形でJCGLのCGオペレーターとして映画『SF新世紀レンズマン』に参加。CG部分のイメージボードからメカニックデザイン、イラストまでを担当し、これが実質的なデビュー作となる。その後、マッドハウス作品を皮切りに『王立宇宙軍 オネアミスの翼』、『AKIRA』、『CYBER CITY OEDO 808』、『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』など多くの劇場アニメやOVAのスタッフとして活躍。
山本 貴嗣(やまもと あつじ、1959年1月1日 - )は、… 山本 貴嗣(やまもと あつじ、1959年1月1日 - )は、日本の漫画家・デザイナー。山口県防府市出身。代表作に『最終教師』、『エルフ・17』、『SABER CATS』など。 中学時代の同級生に宮岡寛がいた。少年時代にE・R・バローズ、R・E・ハワードの小説を読み、本格的にSFに目覚める。1977年に中央大学文学部哲学科に入学し、漫画研究会に所属。この時の仲間に山田貴敏、河合単、みやすのんきなどがいる。この頃、ウォーレン系のアメコミやメタル・ユルラン等のバンド・デシネに傾倒、特にリチャード・コーベンからは大きな影響を受けた。同年、小池一夫が設立した劇画村塾で一期生として学び、狩撫麻礼、さくまあきら、高橋留美子らの知己を得る。
祖父江 慎(そぶえ しん、1959年 - )は、愛知県生まれ… 祖父江 慎(そぶえ しん、1959年 - )は、愛知県生まれのブックデザイナー。 人文書、小説、漫画などの書籍の装幀やデザインを幅広く手がける。吉田戦車の漫画本をはじめとして、意図的な乱丁や斜めの裁断など、装幀の常識を覆すデザインで注目を集める。コズフィッシュ代表。 電話の声で女性と間違われるほど女性っぽい振舞いや話し方をするが、既婚で一女あり。妻は理論社(のちイースト・プレス)の『よりみちパン!セ』編集長の清水檀。 愛知県立旭丘高校美術科卒業。浪人時代に味岡伸太郎の影響を受ける。 多摩美術大学グラフィックデザイン科入学。漫画研究会の先輩にしりあがり寿、喜国雅彦がいた。在学中の1981年から杉浦康平のデザインにひかれ、工作舎でアルバイトを始め大学を中退。
梶原 良成(かじはら よしなり、1959年 - )は、日本の… 梶原 良成(かじはら よしなり、1959年 - )は、日本の建築家、デザイナー、デザイン教育者。宇都宮大学名誉教授。 1959年、長野県辰野町に生まれる。東京都出身。1986年、東京藝術大学美術学部建築科卒業後、土屋巌建築設計事務所に勤務、土屋巌に師事して、医療福祉施設、学校教育施設、社会教育施設、大学キャンパス計画などのプロジェクトに参画する。1998年に退所後、ジオアーキテクチュア一級建築士事務所を設立、東京と栃木県那珂川町の二つの拠点を中心に活動する。2001年、宇都宮大学専任講師に着任。助教授、准教授を経て、2009年、教授。2025年、名誉教授となり、ナカリバデザイン一級建築士事務所を那珂川町に共同設立。
田川 啓二(たがわ けいじ、1959年 - )は、東京都港区… 田川 啓二(たがわ けいじ、1959年 - )は、東京都港区[要出典]出身の実業家、ビーズ刺繍デザイナー。株式会社チリア代表取締役、公益財団法人黒栁徹子記念財団 代表理事、黒柳徹子のマネージャー。 少年時代、母親の趣味であったフランス刺繡に関心を持つ。明治大学法学部法律学科卒業後、レナウンルックに就職、営業職に就いた。在職中はエスモードジャポン夜間コースで学び、レナウンルックを2年で退職。「ジャン・クロード・ジトロワ」(Jean-Claude Jitrois)に転職し、扱う製品に使用されているオートクチュール刺繍の奥深さを知り感銘を受ける。 ジトロワの仕事で南フランスで行なわれたショーに買い付けに出向いた際、席が隣り合った縁でインドで刺繍工場を経営している女性実業家と知り合い、「自社製品を日本に売り込みたいのでアテンドしてくれないか」と依頼され、日本のアパレル会社にインド刺繍の営業、テキスタイルやパターン、デザインを提案するエージェントとして起業することを決意する。
山本 コテツ(やまもと こてつ、1959年 - )は、日本の… 山本 コテツ(やまもと こてつ、1959年 - )は、日本の空間プロデューサー、デザイナー。 立教高校、立教大学と進み、大学在学中にPOPEYEのスタッフになる。海外取材を通じて「国際的遊び人」に成長したという。 ディスコトゥーリア(1987年)、ライブハウスMZA有明(1988年)など、飲食店やディスコなどのプロデュースを次々に手掛け、空間プロデューサーと呼ばれた。 近年では石川県七尾市の「辻口博啓美術館 ル ミュゼ ドゥ アッシュ」(2006年)のデザインなどを担当している。
奥山 清行(おくやま きよゆき、1959年 - )は、日本の… 奥山 清行(おくやま きよゆき、1959年 - )は、日本の工業デザイナー、カーデザイナー。日本国外では Ken Okuyama(ケン・オクヤマ)の活動名義で知られる。 イタリアピニンファリーナ社デザインディレクター(Creative Director)を経て2006年9月に独立。KEN OKUYAMA DESIGNのCEO。山形県山形市出身。 ゼネラルモーターズのチーフデザイナー、ポルシェのシニアデザイナーを務めた後、1995年にイタリアのデザイン会社ピニンファリーナにいちデザイナーとして入社。1998年に日本人初の同社チーフデザイナーに就任し、フェラーリ・エンツォフェラーリ、マセラティ・クアトロポルテなどのカーデザインを担当した。
小泉 均(こいずみ ひとし、1958年12月25日 - )は… 小泉 均(こいずみ ひとし、1958年12月25日 - )は、日本のグラフィックデザイナー・タイポグラファー、教育者、版元。茶名は宗字。 東京都出身。獨協中学校・高等学校を経て、1980年に千葉大学工学部画像工学科卒業。学生時代にYMOのスナップ写真撮影のアルバイトをする。その後、森啓デザイン研究室で5年間スタッフとして勤め、月刊誌サイエンティフィック・アメリカンの日本版エディトリアルデザインを中心にデザインを基礎から実践的に学ぶ。1983年にTypeTripというタイポグラフィの研修旅行でMonotype Corporation主催の「Digital typography aids clarity and benefits computer and electronic media」に参加。
安藤 正浩(あんどう まさひろ、1958年10月8日 - )… 安藤 正浩(あんどう まさひろ、1958年10月8日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。 愛知県名古屋市出身。血液型はA型。名古屋芸術大学商業デザイン科卒業。東映動画(現・東映アニメーション)出身。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
内原智史(うちはら さとし、1958年6月1日 - )は、日… 内原智史(うちはら さとし、1958年6月1日 - )は、日本のライティングデザイナー。京都府出身。多摩美術大学デザイン科卒。内原智史デザイン事務所・所長。 六本木のクリスマスイルミネーション、表参道ヒルズ、羽田空港ターミナルの照明、金閣寺、銀閣寺、平等院鳳凰堂のライトアップなどを手がけ、『光の魔術師』と呼ばれる。福島市飯坂温泉の十綱橋のライトアップも指導した。 建物を照らさず本質を照らす事を信念とし、建物だけでなく周囲の街を自らの足で入念にリサーチし照明方法を決める。 この信念にたどり着いた転機は平等院鳳凰堂の仕事をした際。初めは鳳凰堂自体を照らそうと思ったが、悠久の歴史をなんとか表現できないかと考え、鳳凰堂の前の池に照明を当てた。
佐藤 好春(さとう よしはる、1958年5月15日 - )は… 佐藤 好春(さとう よしはる、1958年5月15日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。日本アニメーション所属。神奈川県出身。 神奈川県立神奈川工業高等学校を卒業後、大学入学を目指すが頓挫。1978年スタジオ・カーペンターに入社し数作品の動画を担当した後、日本アニメーションに移籍。アニメーター森康二、近藤喜文らに学び、『世界名作劇場シリーズ』のメイン・アニメーターとして永く活躍した。 1986年愛少女ポリアンナ物語で、初のキャラクターデザイナーに抜擢される。その後、スタジオジブリに移籍するが、そのきっかけになったのは、1988年公開の高畑勲監督の火垂るの墓の作画監督に決まった近藤喜文の推薦により、宮崎駿監督のとなりのトトロの作画監督に抜擢されたことによる。
中野 彰子(なかの あきこ、1958年5月9日 - )は、日… 中野 彰子(なかの あきこ、1958年5月9日 - )は、日本の女性アニメーター、作画監督、演出家、キャラクターデザイナー、アニメ監督、小説家。三重県名張市出身。 大阪市立大学を中退後、アニメーターとなる。スタジオジュニオに入社し、1983年のテレビアニメ『伊賀野カバ丸』で作画監督を担当。 1986年には劇場版『世紀末救世主伝説 北斗の拳』に原画として参加。1987年公開のGAINAX制作による劇場アニメ『王立宇宙軍 オネアミスの翼』に原画として参加し、この作品を機にフリーランスとして独立した。同年には『マップス 伝説のさまよえる星人たち』(劇場版)や『アニメ80日間世界一周』にも原画として携わっている。
野村 精司(のむら せいじ、1958年4月3日 - 2020… 野村 精司(のむら せいじ、1958年4月3日 - 2020年3月30日 )は、石川県金沢市出身の映画監督、演出家、ストーリーデザイナー、地域活性プロデューサー、作詞家、作家、料理デザイナーである。小説、エッセイなど文芸関係ペンネームは野村生一、作詩、シナリオ、絵本原作などペンネームは海野セイウチとしている。 映画俳優で、伝説のテレビ番組 11PM(藤本義一司会)のサントリーオールードのバーテンとして登場していた父(飲食店経営)の影響を受け、映像関係に興味を持ち、大阪芸術大学映像計画学科に入学。シナリオライターの依田義賢や、黒澤組カメラマンの宮川一夫、映画評論家の滝沢一らに師事。その影響を大きく受け、東映京都撮影所でのアルバイトから、卒業後は、制作や美術を担当。
三井 雅弘(みつい まさひろ、1958年3月26日 - )は… 三井 雅弘(みつい まさひろ、1958年3月26日 - )は、日本の歌手、ラジオパーソナリティ、デザイナー。兵庫県神戸市出身。 1977年頃に音楽活動をスタート。 1979年 朝日放送の番組『ヤングプラザ』の企画において、『いたちごっこ』というレコードをインディーズレーベル(朝日放送内のレーベル)で発売。但し、『関西の協力レコード店に一定期間置いてもらい、ノルマを達成したらメジャー流通に乗せるが、達成出来ないと廃盤』(原盤を観客の前で叩き折る)という過酷な条件付であった。 1980年頃、TOPSの前身であるソウル・ロックバンド「ITACHI」を結成(ボーカル担当)。数年の内に関西のライブハウスで最も客を動員できるバンドの一つとして注目を集め、本格的な音楽活動に入る。
北田 たくみ(きただ たくみ、1958年(昭和33年)3月1… 北田 たくみ(きただ たくみ、1958年(昭和33年)3月13日 - )は、日本の建築家・家具デザイナー・著作家。 株式会社「のるすく」代表取締役社長。 現在建築家と家具デザイナーとして活躍を続けている。 岩手県盛岡市生まれ。通商産業省を退省後、90年に株式会社のるすく設立。 広葉樹の無垢材を使用した家具のデザインに従事し、店舗や住宅の空間デザインを経て一級建築士事務所設立。 現在は神奈川県川崎市の溝の口駅,フィオーレの森に『のるすく建築設計室』と東京都目黒区の都立大学駅に『のるすくショールーム』がある。
東泉 一郎(ひがしいずみ いちろう、1958年1月4日 - … 東泉 一郎(ひがしいずみ いちろう、1958年1月4日 - )は、日本・東京都出身のクリエイティブ・ディレクター、デザイナー。Higraph Inc.Tokyo 代表。 早稲田大学理工学部を中退ののち、多摩美術大学美術学部デザイン科卒業。流行通信社にて雑誌『STUDIO VOICE』を中心にグラフィックデザインを手掛ける。プロダクション勤務やフリーランスを経て、1994年にHigraph Inc.Tokyoを設立。 アルスエレクトロニカ(1997年)でゴールデン・ニカを受賞した“Sensorium project”のディレクターとして世界各地で実験的インスタレーションを行うほか、日本科学未来館「インターネット物理モデル」、「インターネット物理モデル2017」のクリエイティブ&デザインディレクション、2002 FIFAWorld Cupのための演出デザインワーク、KDDI「AUdesign project」コンセプトモデル、JAXA「moonbell」、「OoA-creature with TOYOTA HEART PROJECT」などエモーショナル・フィジカルインターフェイスの開発などを手がける。