宮城 長五郎(みやぎ ちょうごろう、1878年〈明治11年〉… 宮城 長五郎(みやぎ ちょうごろう、1878年〈明治11年〉9月5日 - 1942年〈昭和17年〉6月25日)は、明治から昭和にかけての裁判官、検察官、政治家。司法大臣、貴族院議員。旧少年法および矯正院法(少年院法の前身)の成立に尽力した人物として名高い。 埼玉県出身。農業・宮城藤次郎の二男として生まれる。郁文館中学、第一高等学校を経て、1906年(明治39年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。司法官試補となり千葉地方裁判所詰となる。 1908年(明治41年)4月、判事に任官し東京地方裁判所に着任。以後、八王子区裁判所予審判事、東京地裁判事を歴任。1913年(大正2年)5月、東京区裁判所検事に異動し、同年9月、司法省参事官となり法務局に勤務。
宮沢 清作(みやざわ せいさく、1878年(明治11年)4月… 宮沢 清作(みやざわ せいさく、1878年(明治11年)4月21日 - 1939年(昭和14年)3月14日)は、衆議院議員(立憲政友会)、弁護士、判事。 宮城県宮城郡多賀城村(現在の多賀城市)に、宮沢清右衛門の五男として生まれる。1904年に日本大学を卒業し、判事検事登用試験に合格した。司法官試補を経て、盛岡地方裁判所、宇都宮地方裁判所、栃木区裁判所、仙台区裁判所、仙台地方裁判所で判事を歴任した。やがて退官して弁護士となり、仙台弁護士会副会長を務めた。 県会議員を経て、1931年の衆議院補欠選挙に当選。以後、第18回・第19回総選挙で当選し、1937年にも補欠当選した。
亥角 仲蔵(いすみ ちゅうぞう、1878年(明治11年)3月… 亥角 仲蔵(いすみ ちゅうぞう、1878年(明治11年)3月31日 - 1953年〈昭和28年〉7月19日)は、日本の判事、内務官僚、朝鮮総督府官僚。 京都府舞鶴市の亥角常吉の長男として生まれる。1902年(明治35年)、早稲田大学邦語行政科を卒業し、翌年には法政大学を卒業した。福島県事務官、宮崎県事務官、統監府警視、朝鮮総督府警務官・警視、鳥取県内務部長などを歴任。その後、全羅南道知事、全羅北道知事に就任した。 退官後は清津水利組合長、有信鉱業株式会社社長を務めた。
水内 吉藏(1876年(明治9年)10月21日 – 不明)は… 水内 吉藏(1876年(明治9年)10月21日 – 不明)は、日本の裁判官。
阿部 茂雄(あべ しげお 1876年(明治9年)10月14日… 阿部 茂雄(あべ しげお 1876年(明治9年)10月14日 – 没年不明)は、日本の裁判官。
櫻田 壽(さくらだ ひさし、1876年(明治9年)10月6日… 櫻田 壽(さくらだ ひさし、1876年(明治9年)10月6日 – 1944年(昭和19年)6月19日)は、日本の裁判官。宮城控訴院長、広島控訴院長。
長尾 景徳(ながお かげのり、1876年(明治9年)7月15… 長尾 景徳(ながお かげのり、1876年(明治9年)7月15日 - 没年不詳)は、日本の裁判官。台湾総督府官僚。 山形県米沢市出身。1903年(明治36年)、京都帝国大学法科大学独法科を卒業。司法官試補を経て、1905年(明治38年)より台湾総督府法院の判官となった。高等法院勤務を経て、1918年(大正7年)に台湾総督府法務部長に就任した。1921年(大正10年)に退官した後は弁護士を開業。台北弁護士会会長や台湾瓦斯株式会社監査役を務めた。
和田 純(わだ じゅん、1876年〈明治9年〉5月2日 - … 和田 純(わだ じゅん、1876年〈明治9年〉5月2日 - 没年不詳)は、日本の判事、内務官僚、朝鮮総督府官僚。弁護士。 東京府東京市に津田仙の子として生まれ、和田謙吉の養子となった。1902年(明治35年)、早稲田大学邦語行政科を卒業。司法官試補、平壌控訴院判事、海州地方法院部長を務めた。その後、高知県警察部長、和歌山県警察部長、愛媛県内務部長、新潟県内務部長、慶尚南道知事を歴任した。 1928年(昭和3年)に退官した後は弁護士を開業し、海軍協会常務理事を務めた。
小川 悌(おがわ よし、1876年(明治9年)4月17日 -… 小川 悌(おがわ よし、1876年(明治9年)4月17日 - 没年不詳)は、日本の裁判官。 千葉県山武郡東金町(現在の東金市)出身。1903年(明治36年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補となる。名古屋地方裁判所判事、東京区裁判所判事、東京地方裁判所判事、東京地方裁判所予審掛、東京地方裁判所部長、東京控訴院判事、宇都宮地方裁判所所長を歴任した。 1920年(大正9年)、朝鮮総督府裁判所判事となり、高等法院判事、大邱地方法院長、高等法院判事、同部長、京城覆審法院長を歴任し、1934年(昭和9年)に高等法院長に就任した。
泉二 新熊(もとじ しんくま、1876年〈明治9年〉1月27… 泉二 新熊(もとじ しんくま、1876年〈明治9年〉1月27日 - 1947年〈昭和22年〉10月25日)は、日本の刑法学者、裁判官、司法官僚。第20代大審院長、第13代大審院検事総長、枢密顧問官。法学博士。奄美大島出身で、「東京奄美会」初代会長。 鹿児島県大島郡中勝村、現在の龍郷町中勝出身。泉二当整の長男。中勝小学校簡易科に入学し、後に簡易科廃止・学校統合により戸口小学校に通学。1887年(明治20年)名瀬小学校に転校し、その後同校を卒業。1889年(明治22年)、名瀬に高等小学校が設置され、1期生として入学。1890年(明治23年)、母方の叔父である大島信の勧めにより、高等小学校1年修了で上京して郁文館中学校(旧制)に入学。
小田 幹治郎(おだ みきじろう、1875年(明治8年)4月3… 小田 幹治郎(おだ みきじろう、1875年(明治8年)4月3日 - 1929年(昭和4年)3月1日)は、日本の裁判官。朝鮮総督府官僚。 兵庫県出身。1895年(明治28年)、和仏法律学校(現在の法政大学)邦語法律科を卒業。判事検事登用試験に合格し。司法官試補、長野区裁判所判事・長野地方裁判所判事を務めた。1905年(明治38年)、韓国政府の聘用で、平安北道裁判所法務補佐官、内閣法典調査局事務官、同書記官を務めた。1910年(明治43年)より朝鮮総督府取調局事務官、朝鮮総督府事務官・参事官室勤務、総督官房総務課勤務、中枢院書記官、中枢院調査課長などを歴任。1922年(大正11年)に中枢院書記官長に就任した。
皆川 治廣(みながわ はるひろ、1875年(明治8年)3月7… 皆川 治廣(みながわ はるひろ、1875年(明治8年)3月7日 - 1958年(昭和33年)3月7日)は、司法官僚、検事、判事。 愛媛県松山市出身。旧制第一高等学校を経て、1903年(明治36年)に東京帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補として大阪地方裁判所に勤務した。翌年、日露戦争が勃発すると第四軍司令部附国際法顧問として従軍した。 1906年(明治39年)、大阪地方裁判所予備検事となり、小倉区裁判所検事、東京地方裁判所検事を歴任した。1910年(明治43年)、ブリュッセルで開催された万国刑法会議に出席した後、フランス・ドイツ・スイスに留学した。1913年(大正2年)に帰国後、司法書記官・大臣官房職員課長に任命され、法律取調委員会幹事も務めた。
田中 右橘(たなか うきつ、1875年1月8日 - 1963… 田中 右橘(たなか うきつ、1875年1月8日 - 1963年12月22日)は、日本の元裁判官。東京控訴院長や大審院判事などを歴任し、八幡大学(現・九州国際大学)初代学長を務めた。従四位勲三等。族籍は鹿児島県士族。
竹内 佐太郎(たけうち さたろう、1875年(明治8年)1月… 竹内 佐太郎(たけうち さたろう、1875年(明治8年)1月3日 - 1966年(昭和41年)12月6日)は、日本の裁判官、検事。 富山県下新川郡入善町出身。1903年(明治36年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、司法官試補となる。浦和地方裁判所判事、東京区裁判所判事、長野区裁判所検事、東京区裁判所検事、東京地方裁判所検事、和歌山地方裁判所検事正、高知地方裁判所検事正、神戸地方裁判所検事正、横浜地方裁判所検事正を歴任。その後、台湾総督府法院に転じ、高等法院検察官長、高等法院長を務めた。 1935年(昭和10年)、広島控訴院検事長となった。1937年(昭和12年)に退官した後は弁護士を開業した。
谷野 格(たにの かく、1874年(明治7年)8月16日 -… 谷野 格(たにの かく、1874年(明治7年)8月16日 - 1923年(大正12年)6月10日)は、日本の裁判官。 兵庫県出石郡出石町(現在の豊岡市)出身。1899年(明治32年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補となる。東京区裁判所検事、東京地方裁判所検事、司法省参事官、東京控訴院検事、東京帝国大学法科大学講師嘱託を歴任。1913年(大正2年)、大審院判事となる。1914年高千穂高等商業学校(現高千穂大学)教員に就任。1916年(大正5年)には法学博士の称号を得た。 1917年(大正6年)、台湾総督府法院判官に転じ、覆審法院長、高等法院長を務めた。
冨島 元治(とみしま もとはる、1874年(明治7年)2月1… 冨島 元治(とみしま もとはる、1874年(明治7年)2月16日 - 1945年(昭和20年)11月16日)は、日本の判事・台湾総督府官僚。高雄州知事。 京都府に冨島元起の長男として生まれる。京都府立第一中学校、第二高等学校を経て、1899年(明治32年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業。京都地方裁判所判事、横浜地方裁判所判事、東京地方裁判所判事、宇都宮地方裁判所部長判事を歴任。 台湾総督府総務長官・賀来佐賀太郎の招きにより台北に赴任し、覆審法院判官となった。その後行政官となり、南投庁長、台北庁長を歴任した。さらに台湾総督府警視総長(1919年5月21日 - 1919年6月28日)、同警務局長(1919年6月28日 - 1920年9月1日)を務めた。
三橋 久美(みつはし ひさよし、1873年〈明治6年〉11月… 三橋 久美(みつはし ひさよし、1873年〈明治6年〉11月27日 - 1943年〈昭和18年〉4月5日)は、明治から大正時代の日本の判事(裁判官)、教育者。大審院判事・部長、東京控訴院判事・部長、東京地方裁判所判事・部長、立教大学教授。 1873年(明治6年)11月、東京府人・三橋久實の長男として東京市小石川区で生まれる。その後、家督を相続する。 1901年(明治34年)7月、東京帝国大学法科大学英法科を卒業した後、翌年3月に司法官試補(東京区裁判所詰)となる。 その後、東京地方裁判所判事、東京控訴院判事、東京地方裁判所部長、東京控訴院部長を歴任。 1924年(大正13年)1月、大審院判事に任じられ、1933年(昭和8年)1月には大審院部長に就任。
三宅 徳業(みやけ のりなり、1873年8月3日 - 196… 三宅 徳業(みやけ のりなり、1873年8月3日 - 1966年7月12日)は、日本の裁判官。行政裁判所長官。岡山県岡山市出身。 岡山城下の友野家に生まれ、のち、下道郡岡田村(のち吉備郡岡田村→同大備村→同真備町、現・倉敷市)の三宅家の養子となる。旧制岡山中学、第三高等中学校を経て、1896年東京帝国大学法科卒。司法官試補として京橋区裁判所に勤務し、東京区裁判所判事となり、東京地方裁判所、東京控訴院などの判事となる。1907年行政裁判所評定官、同部長兼務、1939年行政裁判所長官に就任し、1942年まで務めた。墓所は多磨霊園。
岡田 庄作(おかだ しょうさく、1873年(明治6年)3月6… 岡田 庄作(おかだ しょうさく、1873年(明治6年)3月6日 - 1937年(昭和12年)5月4日)は、日本の裁判官、弁護士、法学博士。 1873年3月、島根県邇摩郡波積村生まれ。 島根県師範学校を卒業後、小学校校長となるが、1900年に上京し、1902年に明治法律学校を卒業。大分、熊本、水戸、東京の各地方裁判所検事を歴任。1909年、ドイツに留学してミュンヘン大学に学び、帰国後東京控訴院判事となる。 1919年、裁判所を退職して弁護士を開業。東京弁護士会会長となり、のちに明治大学教授。1924年、明治大学より法学博士号を取得(論文タイトルは『錯誤論』)。 1937年5月4日死去。65歳。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
宮崎 三之助(みやざき さんのすけ、1872年10月22日〈… 宮崎 三之助(みやざき さんのすけ、1872年10月22日〈明治5年9月20日〉 – 1941年〈昭和16年〉9月1日)は、日本の裁判官、弁護士、政治家(立憲政友会)。 富山県富山市に出生。1892年(明治25年)、明治法律学校(現在の明治大学)を卒業。判事検事登用試験に合格し、判事として七尾、木更津の各地方裁判所と千葉区裁判所に勤務した。後に弁護士を開業し、本所区会議員を務めた。また第12代本所区会議長も務めた。1911年(明治44年)6月から本所区選出の東京市会議員を3期務めた。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に立憲政友会から東京府第6区で立候補し、当選。1921年(大正10年)4月26日付で市議を辞職した。
野田 文一郎(のだ ぶんいちろう、1872年4月12日(明治… 野田 文一郎(のだ ぶんいちろう、1872年4月12日(明治5年3月5日) - 1960年(昭和35年)3月9日)は、広島県三次郡三次町(後の三次市)出身の裁判官、政治家。関西法律学校(後の関西大学)卒業。正四位勲二等旭日重光章。 広島県三次町(後の三次市)の造り酒屋に生まれ、関西法律学校卒業後、明治法律学校を経て司法官試補となる。大津区裁を振り出しに神戸地方裁判所、大阪控訴院判事を歴任後、兵庫県神戸市で弁護事務所を開業した。1920年、後立憲民政党となる憲政会から出馬し衆議院議員初当選。しかし1924年の総選挙で落選し議員生活を離れる。このため若手弁護士グループに担ぎ出され神戸弁護士会会長に就任。
和仁 貞吉(わに ていきち、明治3年5月12日(1870年6… 和仁 貞吉(わに ていきち、明治3年5月12日(1870年6月10日) - 昭和12年(1937年)12月3日)は、日本の判事(大審院長)、検事。 東京府出身。父の元利は宇都宮藩の藩医だった。1894年(明治27年)に東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、司法官試補となる。1896年(明治29年)、浦和地方裁判所判事となり、東京区裁判所判事、東京地方裁判所部長、東京控訴院判事、東京控訴院部長、大審院判事、京都地方裁判所所長、大阪地方裁判所所長を歴任。その間の1920年(大正9年)4月には法学博士号を取得している。同年7月より検事となり、長崎控訴院検事長、大阪控訴院検事長、東京控訴院検事長を歴任した。
内田 司馬彦(うちだ しばひこ 1870年(明治3年)1月2… 内田 司馬彦(うちだ しばひこ 1870年(明治3年)1月20日 – 1928年(昭和3年)12月29日)は、日本の裁判官。 1870年、熊本県山本郡山本村(現・熊本市北区植木町)にて出生。 明治法律学校卒業後、佐賀、名古屋、京都などの地方裁判所検事を経て、松江、福井、鹿児島の各地方裁判所検事正を歴任。後に大審院検事となる。 1928年、死去。59歳。
横田 五郎(よこた ごろう、明治2年10月8日(1869年1… 横田 五郎(よこた ごろう、明治2年10月8日(1869年11月11日) - 没年不詳)は、日本の裁判官、検事。男爵横田國臣の弟。 豊前国宇佐郡封戸村(現在の大分県宇佐市)にて、島原藩士の子として生まれる。1898年(明治31年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補となる。東京地方裁判所判事、同部長、検事・司法省参事官、東京控訴院検事、横浜地方裁判所所長を歴任した。のち、朝鮮総督府法務局長に転じ、さらに朝鮮総督府高等法院長も務めた。
今村 恭太郎(いまむら やすたろう、1869年6月19日(明… 今村 恭太郎(いまむら やすたろう、1869年6月19日(明治2年5月10日) - 1936年(昭和11年)12月7日)は、日本の裁判官。日比谷焼打事件の裁判長などを務め、借地借家法の功労者としても知られる。妻・菊子は伍堂卓爾の六女で、海軍軍人で実業家、政治家の伍堂卓雄の妹。 関東大震災発生時には東京地方裁判所所長であり、岡慶治(日比谷焼討事件の左陪審 )は浦和地方裁判所所長であった。
早川 彌三郎(はやかわ やさぶろう、1869年(明治2年)4… 早川 彌三郎(はやかわ やさぶろう、1869年(明治2年)4月28日 - 没年不明)は、日本の裁判官。 1869年、三重県にて出生。1893年7月、明治法律学校卒業。1893年12月の弁護士試験に及第して弁護士登録したものの、翌年12月の判事検事登用試験にも及第したため、司法官の道を選んだ。 安濃津区裁判事を皮切りに、 四日市区、名古屋区地裁判事を経て、台湾総督府法院判官に転じた。1907年から約3年半に亘って、司法制度および訴訟手続法の研究のためドイツに留学し、ミュンヘン大学、ハイデルベルク大学、ベルリン大学で学んだ。 帰国後は覆審法院検察官となり、1921年、大審院検事に補された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
堤 定次郎(つつみ ていじろう、1868年12月14日(明治… 堤 定次郎(つつみ ていじろう、1868年12月14日(明治元年11月1日) - 1935年(昭和10年)8月18日)は、日本の裁判官、検察官、内務官僚、実業家。官選岩手県知事。位階および勲等は従四位・勲四等。 常陸国、後の茨城県真壁郡上野村(現筑西市)出身。堤恵次郎の長男として生まれる。1892年、帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補となる。 以後、東京区裁判所判事、東京地方裁判所検事、横浜地方裁判所検事、東京控訴院検事、宮城控訴院検事、函館地方裁判所検事正、熊本県事務官・警察部長、香川県事務官・内務部長などを歴任。 1913年3月、岩手県知事に就任。1914年6月、知事を休職となる。その後、実業界に転じ、安田保善社理事、五十銀行頭取などを務めた。
仁井田 益太郎(にいだ ますたろう、1868年11月18日(… 仁井田 益太郎(にいだ ますたろう、1868年11月18日(明治元年10月5日)- 1945年1月17日)は、日本の法学者・裁判官・弁護士。学位は、法学博士。京都帝国大学法科大学教授、東京帝国大学法科大学教授を歴任。 守山藩士県吏仁井田隠重の長男。妻は貴族院議員奥山政敬の娘アイ、甥の陞は中国法制史家、東大教授。 富井政章付きの民法典起草補助委員として活躍し、ドイツ民法草案第一・第二を翻訳して富井に提供したほか、各国の法制度を調査して貢献した。 他の起草補助委員との合著『帝国民法正解』は、民法典施行後出版された最初の書物であり、大体純粋なドイツ法学派の見解から書かれたものであった。 京都帝国大学では民事訴訟法、商法の講座を担当し、東京帝国大学では民事訴訟法、民法、ドイツ法の講座を担当。
杉坂 実(すぎさか みのる、慶応4年8月1日(1868年9月… 杉坂 実(すぎさか みのる、慶応4年8月1日(1868年9月16日) - 没年不詳)は、日本の裁判官。 伊勢国飯高郡粥見村(現在の三重県松阪市)出身。1891年(明治24年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業。1893年(明治26年)、判事検事登用試験に合格し、司法官試補となる。高知区裁判所検事、大阪区裁判所判事、大阪控訴院判事、京都地方裁判所判事、大阪地方裁判所部長、宮城控訴院検事、岐阜地方裁判所検事正、富山地方裁判所所長、前橋地方裁判所所長、新潟地方裁判所所長を歴任した。 その後、台湾総督府法院に転じ、高等法院長を務めた。
内田 重成(うちだ しげなり、1868年2月18日(慶応4年… 内田 重成(うちだ しげなり、1868年2月18日(慶応4年1月25日)- 1965年(昭和40年)10月4日 )は、日本の裁判官、海軍法務官、政治家。最終階級は海軍法務中将。貴族院議員。旧姓は平井。山口県出身 長門国豊浦郡、のちの山口県豊浦郡内日村(現下関市 )で、清末藩士・平井貢蔵の二男として生まれ、1892年(明治25年)11月、下関市清末の内田護の養子となった。 関西法律学校(後の関西大学)、和仏法律学校(後の法政大学)卒業後、1890年(明治23年)12月、文官高等試験に合格。1891年(明治24年)1月、司法官試補に任官し千葉地方裁判所詰となる。以後、千葉区裁判所検事、弘前区裁判所判事、栃木区裁判所判事、前橋区裁判所判事を歴任。
唐渡 房次郎(からと ふさじろう、1868年(明治元年) -… 唐渡 房次郎(からと ふさじろう、1868年(明治元年) - 1924年(大正13年)3月16日)は、日本の裁判官。 1868年、香川県にて出生。明治法律学校卒業。 1891年、第1回判検事登用試験に合格し、甲府区裁判所検事となる。 1892年、松本区裁判所検事代理。 1893年、内閣の任命により判事となる。 静岡区裁判所判事事務取扱。 静岡区裁判所判事代理。 1899年、奈良区裁判所検事、奈良区地方裁判所検事 1900年、鳥取地方裁判所検事。 1902年、宮津区裁判所検事。 1907年、徳島地方裁判所検事。 1910年、福井地方裁判所検事正。 1915年、松江地方裁判所検事正。 1920年、広島控訴院検事。
阪本 三郎(さかもと さぶろう、1867年11月11日(慶応… 阪本 三郎(さかもと さぶろう、1867年11月11日(慶応3年10月16日) - 1931年(昭和6年)4月14日)は、日本の検察官、裁判官、内務官僚、教育者。憲政会系官選県知事、早稲田専門学校長。「坂本」と表記される場合がある。樋口一葉の婚約者(旧姓・渋谷)であったことで知られる。 武蔵国南多摩郡原町田村(後の町田村、現町田市)で旅籠武蔵屋を営む渋谷徳治郎の二男として生まれ、1892年8月、阪本タカの養子となる。祖父・真下専之丞(晩菘)の融貫塾、近在の小野路にある小島韶斎塾、藤沢の耕余塾で学ぶ。1888年7月、東京専門学校法学部を卒業。1890年12月、文官高等試験に合格。1891年1月22日、司法官試補に任じられ新潟地方裁判所詰となる。
高田 富蔵(たかだ とみぞう、慶応3年8月6日(1867年9… 高田 富蔵(たかだ とみぞう、慶応3年8月6日(1867年9月3日) - 没年不詳)は、日本の裁判官、台湾総督府官僚、教育者。 摂津国八部郡山田村(現在の兵庫県神戸市北区)出身。1894年(明治27年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、司法官試補となる。台湾総督府法院判官、覆審法院部長、台北地方法院長、高等法院上告部判官・覆審部長を歴任し、1921年(大正10年)から台北州知事を務めた。 1924年(大正13年)に退官した後は、ハルピンの日露協会学校校長に転じた。1932年(昭和7年)に日露協会学校がハルピン学院と改称した後も引き続き院長を務め、1935年(昭和10年)まで在職した。
神崎 東蔵(東藏、かんざき とうぞう、1867年4月14日(… 神崎 東蔵(東藏、かんざき とうぞう、1867年4月14日(慶應3年3月10日)- 没年不詳)は、明治から大正期の裁判官・弁護士・政治家。衆議院議員、佐賀市会議長。 武蔵国江戸麻布(現東京都港区)で佐賀藩士・神崎要助、のせ の四男として生まれる。1889年(明治22年)帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業した。 司法官に任官し、判事試補、和歌山地方裁判所判事、佐賀地方裁判所判事などを歴任し、1891年(明治24年)に退官し佐賀市で弁護士を開業し、その後、福岡市、長崎市、小倉市、久留米市などにも出張所を開設した。 1897年(明治30年)憲政本党に入党し、佐賀市会議員、同議長、佐賀県会議員、佐賀商業会議所議員、九州鉄道顧問などを務めた。
山香 二郎吉(やまが じろきち、1867年3月31日(慶応3… 山香 二郎吉(やまが じろきち、1867年3月31日(慶応3年2月26日)- 1936年(昭和11年)1月21日)は、日本の裁判官、検察官。大審院(現最高裁判所)判事などを務めた。
牧野 菊之助(まきの きくのすけ、慶応2年12月21日(18… 牧野 菊之助(まきの きくのすけ、慶応2年12月21日(1867年1月26日) - 昭和11年(1936年)12月24日)は、日本の判事(大審院長)。帝国弁護士会名誉会員。 東京府出身。1891年(明治24年)に東京帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補となる。1893年(明治26年)、前橋区裁判所判事となり、東京地方裁判所判事、東京控訴院判事、東京控訴院部長、大審院判事、京都地方裁判所所長、東京地方裁判所所長を歴任。1918年(大正7年)には法学博士号を取得している。1920年(大正9年)には名古屋控訴院院長となり、さらに東京控訴院長、大審院部長を歴任した。 1927年(昭和2年)に大審院長に就任した。
今村 力三郎(いまむら りきさぶろう、1866年6月14日(… 今村 力三郎(いまむら りきさぶろう、1866年6月14日(慶応2年5月2日 ) - 1954年(昭和29年)6月12日)は、日本の弁護士であり、元裁判官。専修大学第5代総長。 信濃国(現長野県)下伊那郡上飯田村(現飯田市)に生まれる。旧姓は蜂谷であったが、今村家の養子となって今村姓を名のった。この養子縁組は兵役を逃れるためであった。1884年に上京し、伴正臣大審院(現最高裁判所)判事の玄関番をしながら、1886年に専修学校法律科(現専修大学法学部)に入学する。1888年、在学中に代言人試験(現司法試験)に合格して、専修学校を首席で卒業し、1889年から弁護士としての活動を開始した。1894年から1898年に裁判官として任官した後、1954年に没するまで在野法曹として、民事および刑事の多岐にわたる事件を扱い活躍した。
作田 右手雄(さくた うたお、1866年1月12日 - 不明… 作田 右手雄(さくた うたお、1866年1月12日 - 不明)は、日本の裁判官。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
永井 環(ながい たまき、1865年10月27日(慶応元年9… 永井 環(ながい たまき、1865年10月27日(慶応元年9月8日) - 1941年(昭和16年)12月15日)は、日本の裁判官、内務官僚、歴史家。官選宮崎県知事、門司市長、福岡県八幡市長、福井市長。 越前国足羽郡福井豊島中町(現福井県福井市豊島)出身。福井藩士・永井清也の長男として生まれ、永井熊之助の養子となる。1890年7月、帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。同年8月、判事試補に任官し千葉始審裁判所詰となる。 以後、千葉区裁判所判事、横浜地方裁判所判事、東京地方裁判所判事を歴任。1894年12月、内務省に転じ長野県参事官に就任。以後、同県内務部第二課長・第三課長兼務、同内務部第一課長兼第二課長、群馬県警部長、群馬県書記官、北海道庁事務官・財務部長、同兼土木部長、同植民部長、静岡県書記官、兵庫県書記官、同事務官・第一部長、兵庫県立蚕業学校長事務取扱などを歴任。
小山 温(おやま あつし、慶応元年8月28日(1865年10… 小山 温(おやま あつし、慶応元年8月28日(1865年10月17日) - 昭和19年(1944年)2月9日)は、日本の司法官僚、判事、衆議院議員。法学博士。 三河国碧海郡小山村(愛知県碧海郡小山村、刈谷町を経て現刈谷市)出身。1890年、東京帝国大学法科大学法律学科卒業。東京地方裁判所判事、東京控訴院判事、東京控訴院部長、大審院判事を歴任した。1906年より法律取調委員。1907年、司法省監獄局長に就任し、1911年に司法省刑事局長に移った。1912年に司法次官に昇任し、1914年まで務めた。 次官退任後、1914年4月21日、錦鶏間祗候に任じられ、弁護士を開業した。1917年の第13回衆議院議員総選挙に愛知県郡部から立憲政友会の候補として出馬し、当選。
相原 祐弥(あいはら すけや、元治元年11月4日(1864年… 相原 祐弥(あいはら すけや、元治元年11月4日(1864年12月2日) - 没年不詳)は、日本の裁判官。 宮城県仙台市出身。小野祐治の二男として生まれ、相原安治の養子となった。1891年(明治24年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補となる。秋田地方裁判所判事、前橋地方裁判所判事、東京地方裁判所、東京控訴院判事、東京控訴院部長、名古屋控訴院部長を歴任した。 大審院判事を務めた後、台湾総督府法院判官に転じ、高等法院長に就任した。
平石 氏人(ひらいし うじんど、元治元年3月10日(1864… 平石 氏人(ひらいし うじんど、元治元年3月10日(1864年4月15日) - 1939年〈昭和14年〉3月17日)は、日本の判事。旅順市長。 土佐国(高知県)出身。1889年(明治22年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業。判事となり、大審院判事まで累進した。のち関東都督府判事に転じ、同高等法院長、関東庁高等法院長を務めた。 1924年(大正13年)、旅順市長に選任された。
石原 健三(いしはら けんぞう、1864年2月20日(文久4… 石原 健三(いしはら けんぞう、1864年2月20日(文久4年1月13日) - 1936年(昭和11年)9月4日)は、日本の内務官僚、裁判官、政治家。枢密顧問官、貴族院議員。位階勲等は正二位勲一等。 備前国邑久郡、後の岡山県邑久郡笠加村出身。農業・石原庫平の三男として生まれる。岡山中学、大学予備門を経て、1889年(明治22年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。判事試補となり京橋区治安裁判所勤務となる。以後、司法省参事官試補、民事局勤務、長崎控訴院書記長、熊本地方裁判所判事などを歴任。 1892年(明治25年)10月、内務省に転じ、茨城県参事官、同県内務部第一課長兼第三課長、大阪府参事官、香川県警察部長、岐阜県書記官を歴任。
北島 伝四郎(傳四郎、きたしま でんしろう、1863年11月… 北島 伝四郎(傳四郎、きたしま でんしろう、1863年11月22日(文久3年10月12日)- 1924年(大正13年)9月16日)は、明治から大正期の裁判官、弁護士、地主、政治家。衆議院議員。本姓・北嶋。 出羽国秋田郡浦大町村字里ケ久(秋田県秋田郡浦大町村、南秋田郡浦大町村、面潟村浦大町を経て現八郎潟町浦大町)で、地主、素封家・北島吉右衛門の二男として生まれた。宇野弥三郎、谷田部吉次に師事し和漢学、英語を修めた。1886年(明治19年)上京して英吉利法律学校(現中央大学)で学び、1889年(明治22年)9月に卒業。 1889年12月27日、判事試補に任官し弘前始審裁判所詰となる。以後、弘前区裁判所判事兼青森地方裁判所判事、秋田区裁判所監督、本荘区裁判所監督、大曲区裁判所監督、沼津区裁判所判事、横浜地方裁判所判事を歴任。
由布 武三郎(ゆふ たけさぶろう、文久2年2月24日(186… 由布 武三郎(ゆふ たけさぶろう、文久2年2月24日(1862年3月24日) - 大正15年(1926年)2月22日)は、日本の判事・弁護士。錦鶏間祗候。 福岡県出身。熊本バンドのメンバー。1881年(明治14年)、東京大学法学部を卒業。始審裁判所判事、上等裁判所判事、重罪裁判所裁判官、控訴院評定官、地方裁判所所長を歴任した。その後、文部省に転じ、参事官、視学官、高等商業学校(現在の一橋大学)校長などを務めた。1897年(明治30年)、行政裁判所評定官に任じられ、1910年(明治43年)に退官した。退官後は弁護士を開業した。1918年(大正7年)12月16日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた。
馬場 愿治(ばば げんじ、1860年10月8日(万延1年8月… 馬場 愿治(ばば げんじ、1860年10月8日(万延1年8月24日) - 1940年(昭和15年)11月13日)は、日本の裁判官。大審院部長で退官後、中央大学学長を務めた法学博士である。 会津藩に士籍を有し、のち福島県議を5期務めた馬場庄平の次男である。会津若松英語学校などで修学したのちに上京し、中村正直の私塾、東京英語学校(官立)を経て東京大学予備門に進む。 1885年(明治18年)7月、東京大学法学部を次席で卒業。 馬場は司法省御用掛となり、東京始審裁判所詰として裁判官のキャリアを開始する。横浜地裁、東京地裁、東京控訴院での勤務を経て1896年(明治29年)に浦和地裁裁判長、翌々年に大審院判事となる。
寺田 栄(てらだ さかえ、1859年12月12日(安政6年1… 寺田 栄(てらだ さかえ、1859年12月12日(安政6年11月19日) - 1926年(大正15年)1月13日)は、日本の官僚・裁判官・政治家。玄洋社幹部。族籍は東京府平民。貴族院議員。長女の鳩山薫(鳩山薫子)は鳩山一郎(総理大臣)の妻で共立女子学園長。鳩山威一郎の祖父、鳩山由紀夫(総理大臣)、鳩山邦夫の曽祖父。鳩山紀一郎、鳩山太郎、鳩山二郎の高祖父。 1859年(安政6年)、福岡県人・寺田案山子の長男として生まれる。1877年(明治10年)に福岡で発生した士族反乱、反政府暴動である「福岡の変」に参加し、国事犯に問われたため一族と別れ、分家して一家を創立した。 1882年(明治15年)、明治法律学校を卒業。
渡邊 魁(わたなべ かい、安政6年5月6日〈1859年6月6… 渡邊 魁(わたなべ かい、安政6年5月6日〈1859年6月6日〉- 大正11年〈1922年〉12月26日)は、明治中期の日本の裁判官。脱獄囚であったが、戸籍を偽って別人になりすまし、裁判官となったという特異な経歴で知られる。 安政6年(1859年)5月6日、島原藩士渡邊平丁の長男として江戸に生まれる。 商法講習所(一橋大学の前身)で学んだ後、三井物産長崎支店に勤務した。同支店では金銭出納を担当していたが、明治12年(1879年)2月以来、支店長の検印を盗み、会社の切符を偽造して三井銀行から金を盗み、出納簿を改竄し、460余円を横領。これが発覚し、同年7月2日、改定律例の「雇人盗家長財物律」により、終身懲役の有罪判決を受ける。
水上 長次郎(みずかみ ちょうじろう、1858年2月10日(… 水上 長次郎(みずかみ ちょうじろう、1858年2月10日(安政4年12月27日)- 1936年(昭和11年)4月3日)は、日本の判事、検事、貴族院勅選議員。 近江国彦根出身。1884年(明治17年)、司法省法学校を卒業。徳島始審裁判所・大阪始審裁判所・大阪控訴院で判事を務め、京都地方裁判所部長・福井地方裁判所所長・岐阜地方裁判所所長を歴任した。1898年(明治31年)、大阪地方裁判所検事正となり、広島控訴院検事長・長崎控訴院検事長・大阪控訴院検事長を歴任した。その間、日露戦争の際には佐世保で捕獲審検所検察官を務めた。1913年(大正2年)、名古屋控訴院長に就任し、のち大阪控訴院長に転じた。1921年(大正10年)6月14日、貴族院議員に勅選され、交友倶楽部に所属して死去するまで在任した。
北里 貞之(きたざと さだゆき、1857年3月4日(安政4年… 北里 貞之(きたざと さだゆき、1857年3月4日(安政4年2月9日) - 1928年(昭和3年))は日本の裁判官、弁護士。元・大審院判事。 1857年(安政4年2月9日)、熊本藩士北里一格の長男として生まれる。東京法学校(現・法政大学)で学び、1887年(明治20年)に判事検事登用試験に合格する。1890年(明治23年)に北里崎次郎の養子となる。 福島地方裁判所判事、宮崎地方裁判所長、大分地方裁判所長、鹿児島地方裁判所長を経て、1919年(大正8年)に大審院判事に就任する。正五位勲四等。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。