中村 司(なかむら つかさ、1965年 - )は、日本のサッ… 中村 司(なかむら つかさ、1965年 - )は、日本のサッカー選手、指導者。 1965年生まれ。岩手県岩手郡岩手町で生まれ育ち、沼宮内中学校から盛岡商業高校に進学して頭角を現し、日本ユース代表、第61回全国高校サッカー選手権大会で優秀選手に選出された。 高校卒業後、日立製作所サッカー部に入団したが、家庭の事情により引退し帰省した。 仕事の傍ら地元のサッカークラブや国体の選手として活躍し、現役引退後は2002年から2021年まで盛岡商業高校サッカー部のコーチを務めた。息子は藤枝順心高校監督の中村翔、娘はサンフレッチェ広島レジーナの中村楓。 2002年から2008年まで柏レイソル盛岡のコーチを務め、2009年にRENUOVENS OGASA FOOTBALLCLUBの代表となり指導にあたる。
久保山 雅彦(くぼやま まさひこ、1964年12月29日 -… 久保山 雅彦(くぼやま まさひこ、1964年12月29日 - )は、静岡県焼津市出身の元サッカー選手。ポジションはFW、MF。 現在、日本経済大学サッカー部の監督を務めている。
園部 晃久(そのべ あきひさ、1964年12月16日 - )… 園部 晃久(そのべ あきひさ、1964年12月16日 - )は東京都出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 駒澤大学高等学校から駒澤大学へ進学。三菱養和SCでサッカーを学び、高校卒業と同時に三菱重工業サッカー部へ入部した。入部4年目から正GKの座を掴み以降、そのポジションを守り通した。 1992年に浦和レッドダイヤモンズへと改称後も同クラブに在籍。土田尚史の台頭、1993年途中からミロの加入もあって出場機会はなく、引退。1994年にGKコーチとなった。しかし同年、GKに怪我人が続出したことで現役復帰し、選手登録された。サブに入ることもあったが、シーズン終了をもって改めて引退し、1995年にはサテライトGKコーチに就任し、1996年まで務めた。
堀 直人(ほり なおと、1964年11月24日 - )は、神… 堀 直人(ほり なおと、1964年11月24日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手。元サッカー日本代表。現役時代のポジションはDF。実弟の堀孝史は元サッカー選手、指導者。 神奈川県立厚木高等学校、早稲田大学を経て、日本サッカーリーグ2部の全日空横浜クラブ(後の全日空クラブ)に加入。1987-88シーズンにJSL2部で優勝し、1部昇格直後の1988-89シーズンでは第1節の松下電器戦を含む全22試合に出場し1得点1アシストを記録。その後、4シーズンの間にJSL1部通算82試合に出場し4得点5アシストを記録した。 代表レベルでは1988年に日本B代表に選ばれインドネシアで開催されたマラハリム・カップに参加。
森下 聖二(もりした せいじ、1964年11月5日 - )は… 森下 聖二(もりした せいじ、1964年11月5日 - )は、日本の元サッカー選手、指導者。広島県豊田郡大崎上島町出身。 元アンジュヴィオレ広島監督。 県立大崎高校(現広島県立大崎海星高等学校)、国士舘大学卒業。大学時代はサッカー部に所属した。 大学を卒業後、フジタに入社し、広島フジタSCに所属する。小滝勇一監督のもと沖野等らとプレーした。 一方で1988年からフジタサッカースクール広島校(フジタSSS)の指導者としても活躍、ジュニアユース監督など各年代指導者を歴任した。 1997年、日本女子サッカーリーグ(当時L・リーグ)所属のフジタSCマーキュリーに転身し、結城治男監督のもとコーチとして活躍した。
大塚 一朗(おおつか いちろう、1964年11月3日 - )… 大塚 一朗(おおつか いちろう、1964年11月3日 - )は、富山県富山市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。サッカーモンゴル代表監督を務める。 9歳からサッカーを始め、富山第一高校、法政大学と進み、古河電工に入社した。チームメイトに岡田武史や奥寺康彦がいた。2年プレーして引退。 1989年に渡英し、当時古河電工サッカー部と提携関係にあったウェストハム・ユナイテッドFCで1年間に亘り指導者について学び、イングランドのインターナショナルライセンス(18歳以下のチームの指揮が可能)を取得した。 1990年に帰国し、アローズ北陸のコーチに就任。在任中の1995年、第50回ふくしま国体において富山県選抜チームの監督兼選手として出場し、初優勝を果たした。
喜熨斗 勝史(きのし かつひと、1964年10月6日 - )… 喜熨斗 勝史(きのし かつひと、1964年10月6日 - )は、日本のサッカー指導者。日本サッカー協会公認S級コーチ(監督・コーチ・フィジカルコーチ)。東京都練馬区出身。東京大学大学院修了、日本体育大学卒業。 Jリーグでトップチームのコーチを歴任したのち、2015年に、中国スーパーリーグに移籍した。2021年より、セルビア代表のコーチに就任。欧州代表チーム初の日本人コーチ。2024年11月にマレーシアの強豪、セランゴールFCの監督に就任した。語学力を活かし、グラウンドでは英語、ポルトガル語での指導もできる。 東京出身。祖父は二代目市川小太夫 。初代市川猿翁は大伯父という歌舞伎俳優一家に生まれた。
東川 昌典(ひがしかわ よしのり、1964年9月30日 - … 東川 昌典(ひがしかわ よしのり、1964年9月30日 - )は石川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 実子はプロサッカー選手の東川続。 高校時代はユース代表としても活躍。Jリーグでは15試合出場。 愛媛FCユース監督を経て、2008年当時、九州サッカーリーグのV・ファーレン長崎の監督に就任。選手にプロとしての意識を植え付け、リーグでは沖縄かりゆしFCに次いで2位に終わったものの、全国地域リーグ決勝大会で決勝ラウンド4チーム中2位となり日本フットボールリーグ昇格を果たした。しかし、昇格した2009年のJFLでは12試合終了時点で12位と低迷し、成績不振を理由に解任されている。その後、6月13日付けでチームの普及・育成部長に就任。
谷中 治(たになか おさむ、1964年9月24日 - )は、… 谷中 治(たになか おさむ、1964年9月24日 - )は、東京都府中市出身の元サッカー選手。元日本代表。 現役時代は俊足を活かした快速フォワード(ウインガー)として名を馳せ、サイドから中央へと切り込み鋭いシュートを放つなど高いサッカーセンスを持つ、と帝京高校時代から将来を嘱望されていた。第60回全国高等学校サッカー選手権大会で5得点をマークし、得点王の座に輝く。帝京高での同期に楠瀬直木、1期後輩に前田治、広瀬治、平岡和徳。同高校卒業後の1983年に日本サッカーリーグの強豪・フジタ工業クラブサッカー部に入部し、翌1984年には10代で日本代表に選出され、国際Aマッチ3試合に出場した。 フジタではペルー系日系人のホルヘ平野が在籍していた縁でペルーに短期留学を経験。
加藤 善之(かとう よしゆき、1964年7月27日 - )は… 加藤 善之(かとう よしゆき、1964年7月27日 - )は、東京都出身の元プロサッカー選手。日本大学文理学部卒業。 読売クラブ時代からヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)で活躍。ポジションはFWからMF、DFまで幅広く務めた。 現役引退後はJリーグ所属の東京ヴェルディのスカウト、強化部長、テクニカルディレクターを歴任、また東京都クラブユースサッカー連盟理事長を務めた。 2009年1月、Jリーグ入りを目指す日本フットボールリーグの松本山雅FCのゼネラルマネージャー(GM)に就任。2011年6月7日には監督に就任し、チームは初のJリーグ昇格を果たした。松本山雅が2012年シーズンよりJ2に加入したことに伴い、S級ライセンスを所持しない加藤は監督を続けることができないために退任し、反町康治の監督就任に伴い再びGMとなった。
石末 龍治(いしずえ りゅうじ、1964年7月22日 - )… 石末 龍治(いしずえ りゅうじ、1964年7月22日 - )は、兵庫県伊丹市出身の元サッカー選手、サッカー指導者(GKコーチ)。 伊丹北高校時代の3年のときに、兵庫県選抜入りし、兵庫県の初優勝に貢献、和田昌裕、永島昭浩と共に「兵庫・高校三羽がらす」と呼ばれた。その後、東海大学を経て、1987年に全日空横浜サッカークラブに入団。1992年はレギュラー、1993年のJリーグ発足後は、森敦彦の控えに回ることになったが、森の不調や出場停止による試合出場時には好セーブを連発した。そのため、他チームの選手やサポーターからは「控え最強のGK」とも言われた。1993年の天皇杯決勝では出場停止の森に代わり先発、安定感のあるプレーで優勝に貢献した。
羽中田 昌(はちゅうだ まさし、1964年7月19日 - )… 羽中田 昌(はちゅうだ まさし、1964年7月19日 - )は、山梨県甲府市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、解説者およびスポーツエッセイスト。JFA 公認S級コーチ(2006年取得)。 甲府市丸の内で家具商を営む羽中田家の次男として生まれる。6歳上の兄の影響で小さいころからサッカーに親しみ、甲府市立春日小学校(現:甲府市立舞鶴小学校)3年時にサッカー少年団が設立されるとこれに入部してサッカーに熱中するようになった。少年時代から切れ味鋭いドリブル突破が持ち味のフォワードとしてプレーし、小学校5年生の時に湯田少年団の一員として全国サッカー少年団大会(全日本少年サッカー大会の前身)に出場。翌年には春日少年団の一員として同大会に出場し、2年連続で優秀選手に選ばれ全国的に名前が知れ渡るようになった。
古俣 健次(こまた けんじ、1964年7月15日 - )は新… 古俣 健次(こまた けんじ、1964年7月15日 - )は新潟県新潟市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。サッカー解説者。 新潟工業高校から大阪商業大学を経て、1987年に日本サッカーリーグ(JSL)のヤマハ発動機(現ジュビロ磐田)に入団。1987/88年シーズンで全試合に出場し、新人王を受賞。日本代表合宿に招集され、松永成立、武田修宏、黒崎久志、菊原志郎らと共にマラハリムカップに出場し、優勝に貢献した。ジャパンフットボールリーグを経て、ジュビロがJリーグ昇格後の1994年まで主力の一角としてプレーしたが、1995年は頸椎の骨折や、同じポジションのドゥンガ加入などが原因でわずか1試合の出場に留まり、オフに戦力外通告を受けて退団した。
柱谷 哲二(はしらたに てつじ、1964年7月15日 - )… 柱谷 哲二(はしらたに てつじ、1964年7月15日 - )は、京都府京都市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者・解説者。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。元日本代表。 元プロサッカー選手でサッカー指導者の柱谷幸一は実兄。 出場時の多くはキャプテンとしての出場であり、チームを激しく鼓舞するその姿から「闘将」と呼ばれた。現役引退後はJリーグ選手協会、Jリーグ選手OB会それぞれの初代会長を務める。 日産自動車サッカー部、ヴェルディ川崎、日本代表等でセンターバック、守備的MFを務め長年活躍。日産では加茂周監督の下、「ボランチ」という言葉が日本国内に普及する以前に中盤の底の役割を確立し、1992年にはこのポジションの選手としては初となるJSL年間最優秀選手に選出された。
本並 健治(ほんなみ けんじ、1964年〈昭和39年〉6月2… 本並 健治(ほんなみ けんじ、1964年〈昭和39年〉6月23日 - )は、大阪府枚方市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者、解説者。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。元日本代表 妻は元女子日本代表の丸山桂里奈。 大阪市立依羅小学校、大阪市立我孫子中学校、清風高等学校、大阪商業大学を経て1987年、ガンバ大阪の前身である松下電器産業サッカー部に入団。松下時代は1学年上の慶越雄二の控えであったが、慶越の移籍もあって正GKの座に就く。 1993年のJリーグ発足後より、度々見せる鋭い反応や、自陣のぎりぎりまでも飛び出す攻撃的な姿勢が注目を浴び、人気選手の1人となる。当時のG大阪は弱小チームであり、守備の弱さから本並の出番は多かった。
大熊 清(おおくま きよし、1964年6月21日 - )は、… 大熊 清(おおくま きよし、1964年6月21日 - )は、埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。サッカー指導者の大熊裕司は実弟。サッカー選手の大熊健太は実子である。 1980年に浦和市立南高校(現・さいたま市立浦和南高等学校)に入学。在学中、埼玉県選抜として2度の国体に出場し、1981年大会では準優勝。3年次の1983年1月に開催された全国高等学校サッカー選手権大会においてベスト8に進出した。1983年に入学した中央大学ではサッカー部に所属した。 1987年、日本リーグ1部のクラブからもオファーを受けていたが、鈴木徳彦からの勧誘で東京ガスに入社し、関東リーグに所属する同社の企業サッカー部に入部。
高 勝竜(こう しょうりゅう、1964年6月12日 - )は… 高 勝竜(こう しょうりゅう、1964年6月12日 - )は、東京都足立区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 三菱養和のアカデミーでサッカー選手として経験を積む。1987年に読売ジュニアサッカークラブに入団、1990年に京都紫光クラブ(現:京都サンガF.C.)へ移籍して、1992年まで在籍した。 1993年から指導者の道に進んで、同年からCYDフットボールクラブのジュニア及びユースのコーチ、2002年に東京ヴェルディ1969相模原支部コーチ、2003年から2004年は水戸ホーリーホックのジュニアユース監督、2005年は水戸のトップチームコーチを務めた。 2006年に柏レイソルのトップチームコーチ、2007年に徳島ヴォルティスユース監督、2008年から2009年までジェフユナイテッド市原・千葉のアカデミーのコーチを務めた。
膳亀 信行(ぜんがめ のぶゆき、1964年5月27日 - )… 膳亀 信行(ぜんがめ のぶゆき、1964年5月27日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー (GK)。 静岡県清水市(現・静岡市清水区)に生まれる。小学校5年生でサッカーを始め、6年生からGKを務めた。静岡県立清水東高等学校に進学し、1年生時からレギュラー選手となる。全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会(インターハイ)では1年生時から連覇を達成する一方、全国高等学校サッカー選手権大会では2年生時まで優勝を経験できなかった。膳亀の学年は1学年上に沢入重雄、反町康治、望月達也、1学年下に長谷川健太、大榎克己、堀池巧がおり、彼らに挟まれた「谷間の年」と言われたが、3年生時の1982年度の第61回全国高等学校サッカー選手権大会(3年生は進学を控えた時期の大会ながら9人が部に残留)では準決勝まで4戦連続で完封、決勝の山梨県立韮崎高等学校戦で1点を失ったものの4-1で勝利し、清水東高校に初の全国優勝をもたらした。
望月 聡(もちづき さとる、1964年5月18日 - )は、… 望月 聡(もちづき さとる、1964年5月18日 - )は、滋賀県大津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF(攻撃的MF、守備的MF)、FW(センターフォワード)。2007年、びわこ成蹊スポーツ大学准教授に就任。
保坂 孝(ほさか たかし、1964年5月5日 - )は、日本… 保坂 孝(ほさか たかし、1964年5月5日 - )は、日本のサッカー選手およびサッカー指導者である。 サッカーの街として知られる山梨県韮崎市生まれ。韮崎市立韮崎東中学校時代に羽中田昌を擁する甲府市立西中学校と出場権をかけて対戦し、全国中学校サッカー大会出場を果たした後、サッカーの古豪である地元の山梨県立韮崎高等学校に進学。ライバルである羽中田や1学年上の大柴剛とともに「H2Oトリオ」として脚光を浴び、全国高校サッカー選手権において1年次はベスト4、2年次は準優勝に輝く。大柴が卒業し、羽中田が腎臓病で出場機会が限られていた3年次の大会でも決勝まで勝ち上がり、清水東三羽烏擁する静岡県立清水東高等学校と優勝を争った(結果は準優勝)。
藤川 久孝(ふじかわ ひさたか、1964年5月1日 - )は… 藤川 久孝(ふじかわ ひさたか、1964年5月1日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはMF、DF。 習志野高校出身で、大野俊三は同級生である。 ヘディングが強く、また読みの良さと当たりの強さをいかしたプレー で、守備的ミッドフィールダー、センターバック、スイーパーをこなせるため、リーグ創成期の市原や名古屋で活躍した。 現在は愛知東邦大学サッカー部監督を務め、その傍ら中日スポーツ紙上での評論活動やスカパー!のサッカー中継の解説も行なっている。
金 鍾成(キン・ジョンソン、1964年4月23日 - )は、… 金 鍾成(キン・ジョンソン、1964年4月23日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。在日朝鮮人。金 鐘成と表記されることもある。 東京朝鮮第二初中級学校、東京朝鮮中高級学校(高級部)、朝鮮大学校(歴史地理学部)を卒業後、在日朝鮮蹴球団でプレー。その間、朝鮮代表として1990 FIFAワールドカップ・アジア予選などに国際Aマッチ20試合に出場した(2得点)。 その後、日本代表監督として対戦した際に金を高く評価していたハンス・オフト監督に誘われて1995年にジュビロ磐田に移籍した。朝鮮代表選手としては初のJリーグ入りとなったが、サルバトーレ・スキラッチや中山雅史などが在籍した磐田での出場は負傷も重なって2試合に留まった。
楠瀬 直木(くすのせ なおき、1964年4月17日 - )は… 楠瀬 直木(くすのせ なおき、1964年4月17日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは、ディフェンダー。シンガーソングライターの楠瀬誠志郎は実兄。日本サッカー協会公認S級ライセンス所持。 帝京高校では、1982年に鹿児島県で行われた高校総体で全国優勝。法政大学を経て、1987年に読売サッカークラブに入団し、1995年に本田技研工業サッカー部で現役生活を終える。 現役引退後は兵庫FC監督を経て、少年サッカースクールを栃木県小山市で開講。2003年からは長くVERDY S.S小山ジュニアユースで監督を務めた。2009年にJFA公認S級コーチライセンスを取得。
植村 晋(うえむら すすむ、1964年4月9日 - )は、滋… 植村 晋(うえむら すすむ、1964年4月9日 - )は、滋賀県出身の元サッカー選手。 同志社大学卒業後、ガンバ大阪に所属。 1993年のJリーグ開幕節では、5月16日の浦和レッズ戦に出場。開幕戦から5試合連続でディフェンダーとして出場した。その後はほとんど出場することができず、同年シーズン終了後に引退した。
永島 昭浩(ながしま あきひろ、1964年〈昭和39年〉4月… 永島 昭浩(ながしま あきひろ、1964年〈昭和39年〉4月9日 - )は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手で、サッカー解説者、スポーツキャスター。元サッカー日本代表。長女の永島優美は元フジテレビのアナウンサー。また、プロ野球の横浜DeNAベイスターズに所属している佐野恵太、福岡ダイエーホークス、西武ライオンズ、阪神タイガースなどでプレーした佐々木誠とも親戚関係にある(佐野の妻が優美の夫の妹、佐々木は佐野の伯父にあたる)。 小学4年からサッカーを始め、御影工業高校時代は1年からインターハイ出場、1、2年時には全国高校選手権出場。3年では兵庫県選抜入りし、島根国体で優勝。 高校卒業後の1983年、松下電器産業サッカー部(現:ガンバ大阪)に入団。
森 淳(もり あつし、1964年4月5日 - )は、神奈川県… 森 淳(もり あつし、1964年4月5日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカークラブスタッフ。 神奈川県立旭高等学校、日本体育大学を経て、日本サッカーリーグ(JSL)のフジタ工業サッカー部(のちのベルマーレ平塚、湘南ベルマーレ)に在籍。 1988年には日本代表の西アジア遠征メンバーに選ばれたが、試合出場はなかった。 29歳で現役を退き、1994年に同年よりJリーグに参入したベルマーレ平塚のクラブスタッフとなる。スカウトとなって一年目に当時Jリーグの12クラブ中11クラブが獲得に乗り出していた中田英寿の獲得に成功する。その後は石原直樹、中町公祐らを獲得。 2005年から2009年までベガルタ仙台にて強化部チーフスカウトを務める。
羽生 英之(はにゅう ひでゆき、 1964年4月3日 - )… 羽生 英之(はにゅう ひでゆき、 1964年4月3日 - )は日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)元事務局長。元東京ヴェルディ代表取締役社長。 東京都立富士高等学校、早稲田大学卒業。東日本旅客鉄道社員→東日本JR古河フットボールクラブ(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)出向の後Jリーグに。2005年12月にJリーグ事務局長に就任。2010年、親会社の撤退による経営危機に立たされた当時J2の東京ヴェルディの経営に介入し、史上初となる事実上のJリーグ直轄運営(公式には関連会社「ジェイリーグエンタープライズ」を介しての経営)を行うにあたり、Jリーグ事務局長との兼務の形で12月に社長に就任。その後新スポンサー探しに奔走する最大の功労者となった。
反町 康治(そりまち やすはる、1964年3月8日 - )は… 反町 康治(そりまち やすはる、1964年3月8日 - )は、埼玉県浦和市 (現:さいたま市) 出身の元サッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。2008年北京オリンピック時のU-23サッカー日本代表監督。2024年より清水エスパルスのゼネラルマネージャーを務める。 静岡県立清水東高校で澤入重雄、望月達也らとともに全国大会優勝を経験。その後一浪し、一般入試で慶應義塾大学法学部政治学科に入学。ソッカー部へ入部する。 大学卒業後の1987年に全日本空輸(全日空)に総合職にて入社(同期に石末龍治、堀直人)。全日空では午前中は羽田空港でパイロットのスケジュール作成を担当し、午後にサッカー部で練習を行うという生活を送っており、サッカー部がJリーグ発足時にプロサッカークラブ・横浜フリューゲルスに衣替えしてもプロ契約には移行せず、フリューゲルスの運営会社である全日空スポーツへの出向扱いとなって社員選手としてサッカーに専念、引退後に社業に戻れる道を選んだことで各方面から注目された。
牧内 辰也(まきうち たつや、1964年1月30日 - )は… 牧内 辰也(まきうち たつや、1964年1月30日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手、指導者(JFA 公認S級コーチ)。 鹿児島商時代に全国高等学校サッカー選手権大会に出場、大会優秀選手に選ばれている。当時はMF。福岡大学を卒業後、1986年に全日空横浜サッカークラブ(のちに全日空サッカークラブに改名、横浜フリューゲルスの前身)へ入団、DFとしてモネール、反町康治、前田治、冨嶋均らとプレーした。1992年、現役を引退した。 1995年、アーセン・ベンゲル率いる名古屋グランパスエイトに入団、主にサテライトのスタッフとして活躍する。1996年に日本サッカー協会公認B級ライセンスを取得した。 2000年、アビスパ福岡育成部門責任者に就任。
牧田 有史(まきた ゆうし、1964年1月10日 - )は、… 牧田 有史(まきた ゆうし、1964年1月10日 - )は、日本の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 静岡県立清水東高等学校では望月達也、反町康治、澤入重雄と同期。2年時の高校総体では優勝、高校選手権では準優勝した。 東京農業大学を経て1986年、日本サッカーリーグのマツダサッカークラブに加入。1991-92シーズンにはリーグ戦5試合に出場し1得点1アシストを記録した。プロ化によりサンフレッチェ広島へ移行後も1992年までプレーした[要出典]。
山本 佳司(やまもと けいじ、1963年11月21日 - )… 山本 佳司(やまもと けいじ、1963年11月21日 - )は、滋賀県甲賀市出身の元アマチュアレスリング選手、サッカー指導者。滋賀県立野洲高等学校保健体育科教諭で同校のサッカー部総監督を務めている。 日本体育大学時代はレスリングの選手として活躍。卒業後の1986年、ドイツ・ケルン体育大学に留学し、そこでサッカーと出会う。当時マスコミは素人監督の快挙と持て囃したが、中学時代はサッカー部で活躍した。高校、大学とレスリング部ではあるが、満更素人でもなかったという話である「同級生談より」[要出典]。 帰国後、水口東高校を経て、1996年に野洲高校に赴任。就任当時、無名で部員数16人しかいなかったサッカー部を、2002年の高校選手権に初出場でベスト8に導く。
永富 浩(ながとみ ひろし、1963年10月29日 - )は… 永富 浩(ながとみ ひろし、1963年10月29日 - )は、愛知県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはFW、MF(攻撃的MF)。 名古屋市千種区の私立愛知高等学校を卒業後、1982年に日本サッカーリーグ(JSL)1部の三菱重工業サッカー部に加入。2年間は公式戦出場なしで、3年目以降も関口久雄や吉田靖の控えに回ることが多かったが、1986年頃から得意のドリブルを武器に出場機会が増え、アジアの核弾頭・原博実や、名取篤、辻谷浩幸、広瀬治の帝京トリオとともに攻撃に加わった。1987-1988年シーズンには、メシアス、水沼貴史、浅岡朝泰、ラモスらを抑え、JSLアシスト王(11アシスト)のタイトルを獲得。
小林 慎二(こばやし しんじ、1963年10月17日 - )… 小林 慎二(こばやし しんじ、1963年10月17日 - )は、山梨県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは、ミッドフィールダー。 明治大学を卒業後、1986年に山梨県教育委員会へ就職すると同時に、甲府サッカークラブへ入団。1990-91シーズンにはJSL2部で14アシストを記録し、アシスト王のタイトルを獲得。1991年、全日空サッカークラブへ移籍し、1993年までプレーした。その後は富士通サッカー部、福島FCでプレーし、1997年に現役を引退。 引退後は古巣横浜フリューゲルスで指導者としてのキャリアをスタートさせ、2001年からは横浜F・マリノスのアシスタントコーチを務める。
白石 益代(しらいし ますよ、1963年9月24日 - )は… 白石 益代(しらいし ますよ、1963年9月24日 - )は、日本の元女子サッカー選手。元サッカー日本女子代表。 西山高校でプレー。1981年に1981 AFC女子選手権のために初めてサッカー日本女子代表が編成された際に代表に選出された。6月7日、この大会の初戦、チャイニーズタイペイ代表との試合で日本代表デビューした。この試合は日本代表にとって初めての国際Aマッチだった。この大会の全3試合に出場した。その後、9月のポートピア'81国際女子サッカーのイングランド戦にも出場した。日本代表での出場は通算でこれらの4試合だった。
慶越 雄二(けいごし ゆうじ、1963年9月17日 - )は… 慶越 雄二(けいごし ゆうじ、1963年9月17日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手。ポジションはGK。 鹿児島実業高校を経て1982年に松下電器産業サッカー部に加入。第70回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝の日産自動車戦では、120分間を無失点に抑えたのちPK戦で2本のキックを弾いて松下の初優勝に貢献した。Jリーグ発足後はヴェルディ川崎、アビスパ福岡、京都パープルサンガでプレーした。 引退後は1998年から2006年までガンバ大阪でサテライトや育成組織のGKコーチを担当。2007年からはJFAナショナルコーチングスタッフとして年代別日本代表のGKコーチを務めた。2014年から2016年までFC岐阜のトップチームGKコーチ。
吉田 寿光(よしだ としみつ、1963年8月29日 - )は… 吉田 寿光(よしだ としみつ、1963年8月29日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元サッカー選手、サッカー審判員(元国際審判員、元プロフェッショナルレフェリー)。 宇都宮高校ではサッカー部に所属。筑波大学に進学後も蹴球部に所属 しプロサッカー選手を目指したが、体調を崩したことで大学卒業と同時にサッカー選手としてのキャリアを終えた。1987年に栃木県内の公立高校の教員として赴任し、高校サッカー部の顧問を務めた。また、1988年に3級審判員、1993年に1級審判員としてそれぞれ登録され、2000年には国際審判員として登録された。 なお、その間は教員と審判を両立させていたが、2003年に16年間勤務した教員を退職して、同年からスペシャルレフェリー(SR、現プロフェッショナルレフェリー:PR)として契約、2004年1月1日の第83回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝の主審を務めた。
菅原 宏 (すがはら ひろし、1963年8月28日 - ) … 菅原 宏 (すがはら ひろし、1963年8月28日 - ) は、群馬県前橋市出身の実業家、元サッカー選手およびサッカー指導者である。 中学までは野球部に所属していたが、群馬県立前橋商業高等学校ではサッカー部に所属した。高校卒業後は教師になるために体育学部のある大学への進学を希望していたが、高校3年時に土木工事業を営んでいた実父が倒れたため、跡を継ぐべく足利工業大学工学部土木工学科に進学した。 大学に通う傍ら、前橋商OBのクラブとして1982年に創設された図南クラブ(現:tonan前橋)の運営に携わった。大学卒業後の1986年4月に池下工業(株)に入社したが、1987年に実父が死去したため、家業の菅原土建(株)(現商号は(株)菅原、本社:群馬県前橋市)に入社。
松村 和彦(まつむら かずひこ、1963年7月17日 - )… 松村 和彦(まつむら かずひこ、1963年7月17日 - )は、広島県出身の元サッカー審判員。サッカー指導者。 筑波大学卒業。1995年12月に1級審判登録され、主にJリーグ ディビジョン1で主審を務めた。2008年までは国際主審も務め、2006 FIFAワールドカップ・アジア予選や2010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選で笛を吹いた。 少々の接触プレーではほとんどファウルを取らない、Jリーグでも屈指の「流す主審」として知られ、審判批評を行う石井紘人も「Jリーグで最もフットボールコンタクトに寛容な主審」の上位に名を連ねる一人だろうと評している。時に明らかなファウルすら流して物議をかもすことはあるが、頻繁にプレーを止めて試合を壊すことのない判定姿勢である。
三浦 俊也(みうら としや、1963年7月16日-)は、岩手… 三浦 俊也(みうら としや、1963年7月16日-)は、岩手県釜石市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 岩手県立釜石南高校(現・岩手県立釜石高等学校)を卒業後、1982年に駒澤大学へ入学し、サッカー部に所属したが控え選手だった。大学卒業後は地元の養護学校の教諭をしながら東北社会人サッカーリーグの盛岡ゼブラや新日鐵釜石サッカー部で選手としてプレーしていた。 その後、指導者になるという夢を捨てきれずに、1991年にドイツにコーチ留学した。ケルン体育大学で5年半に渡ってコーチ理論を学び、ドイツA級(日本のA級に互等)ライセンスを取得した。また、この時期にドイツ語を習得した。 日本に戻った直後の1996年にはS級ライセンスを通訳兼任で受講し、ライセンスを取得。
山崎 茂雄(やまざき しげお、1963年7月16日 - )は… 山崎 茂雄(やまざき しげお、1963年7月16日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 2006年、ユース年代での指導が評価され、20年余り勤めた公立学校教員の職を辞しプロの指導者に転身した。 国体選抜・県トレセン ナショナルトレセン・
宮澤 ミシェル(みやざわ ミシェル、1963年7月14日 -… 宮澤 ミシェル(みやざわ ミシェル、1963年7月14日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー解説者・指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。千葉県出身。国士舘大学卒。家族は妻と2男1女。長男はサッカー選手・宮澤勇樹。長女はモデル、タレント(元乃木坂46)の宮澤成良。 1963年にフランス人の父親と日本人の母親の元に生まれ、千葉県千葉市で育ち、小学校からサッカーをはじめる。1979年に千葉県立市原緑高校に入学し、本田裕一郎監督のもとでプレー。速いサッカーを目指す本田監督はテクニックのある宮澤をセンターフォワードで起用した。また、1981年にびわ湖国体で、国体史上初の外国籍選手として出場した。
梶居 勝志(かじい かつし、1963年7月11日 - )は… 梶居 勝志(かじい かつし、1963年7月11日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手、サッカークラブのフロントスタッフ。ガンバ大阪強化部長。 小学6年の時にサッカーを始める。フォワードや攻撃的ミッドフィールダーとしてプレーし、ドリブルでチャンスを広げ多くのアシストを記録した。自身ではプレーの特長を「スピードで相手をぶっちぎること」と述べている。鹿児島実業高等学校、大阪商業大学を経て、1986年にガンバ大阪の前身である松下電器産業サッカー部に加入。JSL1部での通算成績は102試合出場12得点24アシスト。これは松下において永島昭浩(107試合出場)に次ぐ試合出場数であり、アシスト数では通算1位である。
柳生 斉(やぎゅう ひとし、1963年7月8日 - )は、岡… 柳生 斉(やぎゅう ひとし、1963年7月8日 - )は、岡山県出身の元サッカー選手。 ポジションは、DF。 岡山県作陽高校在学時、FWで、年代別の日本代表に選出される。1981年の第60回全国高校サッカー選手権では、市立清水商業に準々決勝で敗れたものの、ベスト8と健闘した。大学は、大阪商業大学に進み、1986年、JSL2部・田辺製薬サッカー部へ入部し、活躍した。
佐久間 悟(さくま さとる、1963年7月7日 - )は、東… 佐久間 悟(さくま さとる、1963年7月7日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。現在はJリーグ・ヴァンフォーレ甲府の代表取締役、ゼネラルマネージャー。 城西大川越高校では高校選手権の埼玉県予選でベスト8に進出。[要出典]駒澤大学に進学し、4年次にはチームの主将を務める。[要出典] 大学卒業後NTTに入社、大宮アルディージャの母体となるNTT関東サッカー部でプレーし、2年目に副主将、3年目からは主将を務めた。[要出典] 引退後はNTT関東と大宮で指導者としてのキャリアを経験してフロント入り。1995年にはドイツやオランダに留学し、リヌス・ミケルスの考案した指導者養成プログラム「ダッチ・ビジョン」に触れ、大きな影響を受けた。
山西 博文(やまにし ひろふみ、1963年6月22日 - )… 山西 博文(やまにし ひろふみ、1963年6月22日 - )は、広島県出身の元サッカー選手(DF)、元サッカー審判員。現在はJリーグのサンフレッチェ広島職員。 広島市立舟入高等学校、東京農業大学卒業。高校・大学の1年先輩に石井知幸がいる。 卒業後マツダに入社、マツダSC(現サンフレッチェ広島)に在籍。ディフェンダーとして松田浩や信藤克義)らとともにDFラインを形成し、高橋真一郎、風間八宏、森保一、織田秀和、前川和也らとプレーした。 Jリーグ発足後はプロ契約を結ばず、サンフレッチェ広島強化部の職員としてユース年代の指導に当たりつつ、審判員として活動する。1997年に1級審判員登録。以後、J1を中心とした国内試合の主審として笛を吹く。
手島 淳(TESHIMA, ATSUSHI てしま あつし、… 手島 淳(TESHIMA, ATSUSHI てしま あつし、1963年6月20日 - )は、岡山県津山市出身のサッカー指導者。 1984年に大阪社会体育専門学校卒業後、神戸フットボールクラブにて、小学校高学年世代(9歳~12歳)の指導に従事したのを皮切りにサッカー指導者の道を歩み出す。1988年に西ドイツ・ケルン体育大学に留学して以後、オランダ、旧ユーゴスラビアなどでサッカーコーチングを学ぶ。 ドイツ留学中にハンス・オフト(元サッカー日本代表監督)の知遇を得る。後にオフトが日本プロサッカーリーグのジュビロ磐田、京都パープルサンガ、浦和レッドダイヤモンズで指揮を執った際には専属通訳としてベンチ入りした。
上川 徹(かみかわ とおる、1963年6月8日 - )は、鹿… 上川 徹(かみかわ とおる、1963年6月8日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手、元サッカー審判員(元国際審判員)。元日本サッカー協会 (JFA) 審判委員長。 息子はサッカー選手の上川琢。 鹿児島高専3年修了後中退、東海大学を経てフジタ工業でプレーした。1992年引退後、日本初のプロサッカーリーグ(Jリーグ)のために設置された選手経験者向け審判養成講座の一期生として審判員のキャリアをスタートする。1994年、1級審判員を取得し、1996年にJリーグの主審デビュー。1998年から国際主審登録され、国際Aマッチでも笛を吹いた。2002年からはJFAのスペシャルレフェリー(現:プロフェッショナルレフェリー)(審判活動によって主たる収入を得る審判員)として活動していた。
宮部 和弘(みやべ かずひろ、1963年5月10日 - )は… 宮部 和弘(みやべ かずひろ、1963年5月10日 - )は、日本の元サッカー選手。選手時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。北海道出身。 室蘭大谷高等学校時代の1981年、インターハイで準優勝。卒業後の1982年に日本サッカーリーグ1部の古河電気工業サッカー部(現 ジェフユナイテッド市原・千葉)に入部。以後、切れ味鋭いドリブルを武器に、ウインガー、攻撃的MFとして活躍。1985年のリーグ優勝、1986年のアジアクラブ選手権制覇にも貢献した。1991年引退。
澤入 重雄(さわいり しげお、1963年5月8日 - )は、… 澤入 重雄(さわいり しげお、1963年5月8日 - )は、静岡県清水市(現:静岡県静岡市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW(センターフォワード)。JFA公認S級コーチ(2004年取得)。 静岡県立清水東高等学校時代は望月達也、反町康治らと共に高校総体2連覇(1980、1981年度)、高校選手権準優勝(1980年度)に貢献。法政大学を経て、1986年に日本サッカーリーグ2部のトヨタ自動車へ入部。打点の高いヘディングを武器に センターフォワードとして活躍し、Jリーグの発足により名古屋グランパスエイトとなってからも活躍、初代主将を務めた。1995年に現役引退。 引退後は名古屋のスタッフを経て、中京大学の監督を務め後進の指導に努めたほか、中日スポーツ評論家、東海テレビの『グランパスExpress』解説等を務めた。
澤入 重雄(さわいり しげお、1963年5月8日 - )は、… 澤入 重雄(さわいり しげお、1963年5月8日 - )は、静岡県清水市(現:静岡県静岡市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW(センターフォワード)。JFA公認S級コーチ(2004年取得)。